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宮沢賢治の死後、トランクから発見された遺書(2通)を収録した外部リンクを付記した。底本は『校本宮澤賢治全集第十三巻』。
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|subject = 詩・童話・[[短編小説]]

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|notable_works = 『[[注文の多い料理店]]』[[1924年]]<br />『[[雨ニモマケズ]]』<br />『[[銀河鉄道]]』<br />『[[又三郎]]』

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[[仏教]]([[法華経]])信仰と[[農家|農民]]生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の[[理想郷]]に、郷里の[[岩手県]]を[[モチーフ]]として[[イーハトーブ|イーハトーヴ]](Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、[[草野心平]]らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。主な作品は[[宮沢賢治#作品一覧|後節]]を参照。

[[仏教]]([[法華経]])信仰と[[農家|農民]]生活に根ざした創作を行った。作品中に登場する架空の[[理想郷]]に、郷里の[[岩手県]]を[[話題|モチーフ]]として[[イーハトーブ|イーハトーヴ]](Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、[[草野心平]]らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。主な作品は[[宮沢賢治#作品一覧|後節]]を参照。



== 生涯 ==

== 生涯 ==

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[[ファイル:Miyazawa Kenji01s3200.jpg|thumb|250px|生家<br/>(賢治在世当時の建物は現存しない)]]

[[ファイル:Miyazawa Kenji01s3200.jpg|thumb|250px|生家<br/>(賢治在世当時の建物は現存しない)]]

[[ファイル:Miyazawa Kenji and Toshi.jpg|thumb|200px|1902年の小正月、 5歳の賢治(右)と3歳のトシ(左)]]

[[ファイル:Miyazawa Kenji and Toshi.jpg|thumb|200px|1902年の小正月、 5歳の賢治(右)と3歳のトシ(左)]]


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[[1922年]](大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は[[押入れ]]に顔を入れて「とし子、とし子」と号哭し{{sfn|堀尾|1991|p=166}}、亡骸の乱れた髪を[[火箸]]で梳いた{{sfn|堀尾|1991|p=208}}。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は[[真宗大谷派]]の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた{{sfn|作家読本|1989|p=88}}。それから半年間、[[詩]]作をしなかった{{sfn|作家読本|1989|p=89}}。[[1923年]](大正12年)7月、農学校生徒の就職依頼で[[樺太]]を旅行。『青森挽歌』『樺太挽歌』などトシを思う詩を書く{{sfn|作家読本|1989|p=93}}。

[[1922年]](大正11年)11月27日、結核で病臥中のトシの容態が急変、午後8時30分死去。賢治は[[押入れ]]に顔を入れて「とし子、とし子」と号哭し{{sfn|堀尾|1991|p=166}}、亡骸の乱れた髪を[[火箸]]で梳いた{{sfn|堀尾|1991|p=208}}。『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』を書く。29日の葬儀は[[真宗大谷派]]の寺で行われたため賢治は出席せず、出棺の時に現れて棺を担ぎ、持参した丸い缶にトシの遺骨半分を入れた。この遺骨は後に国柱会本部に納めた{{sfn|作家読本|1989|p=88}}。それから半年間、[[詩]]作をしなかった{{sfn|作家読本|1989|p=89}}。[[1923年]](大正12年)7月、農学校生徒の就職依頼で[[樺太]]を旅行。『青森挽歌』『樺太挽歌』などトシを思う詩を書く{{sfn|作家読本|1989|p=93}}。

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=== 羅須地人協会 ===

=== 羅須地人協会 ===

[[ファイル:Rasuchijin.jpg|thumb|250px|羅須地人協会に使われた建物([[岩手県立花巻農業高等学校|花巻農業高校]]内)]]

[[ファイル:Rasuchijin.jpg|thumb|250px|羅須地人協会に使われた建物([[岩手県立花巻農業高等学校|花巻農業高校]]内)]]


[[1926]]15331退{{sfn||1989|p=119}}413{{sfn||1989|p=112}}4[[]][[]]{{sfn||2014|pp=246-248}}{{sfn||2008|pp=138-139}}<ref>{{Cite web |url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/47028_46742.html |author=|title=  |publisher=|accessdate=2016-10-21}}</ref>[[]][[]]6稿<ref>{{Cite web |url=http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html|author=|title= |publisher=|accessdate=2016-10-21}}</ref>

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死去から49年後の1982年、花巻市矢沢の胡四王山に花巻市立宮沢賢治記念館が開館している<ref>[http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/501/miyazawakenji/p004116.html 宮沢賢治記念館] - 花巻市</ref>。

死去から49年後の1982年、花巻市矢沢の胡四王山に花巻市立宮沢賢治記念館が開館している<ref>[http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/501/miyazawakenji/p004116.html 宮沢賢治記念館] - 花巻市</ref>。




稿調稿調[[]]稿120094 <ref>{{Cite web|url=http://book.asahi.com/news/TKY200904080264.html|title= |publisher=asahi.com|date=2009-4-8|accessdate=2016-10-13|archivedate=2016-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161013104434/http://book.asahi.com/news/TKY200904080264.html}}</ref>

稿調稿調[[]]稿120094 <ref>{{Cite web||url=http://book.asahi.com/news/TKY200904080264.html|title= |publisher=asahi.com|date=2009-4-8|accessdate=2016-10-13|archivedate=2016-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161013104434/http://book.asahi.com/news/TKY200904080264.html}}</ref>


広く作品世界を覆っているのは、作者自らの裕福な出自と、郷土の農民の悲惨な境遇との対比が生んだ[[贖罪]]感や[[自己犠牲]]精神である。また幼い頃から親しんだ仏教も強い影響を与えている。その主な契機としては[[浄土真宗]]の[[暁烏敏]]らの講話・説教が挙げられる。特に18歳の時に同宗の学僧である[[島地大等]]編訳の法華経を読んで深い感銘を受けたと言われる。この法華経信仰の高まりにより、賢治は後に[[国粋主義]]的な法華宗教団「国柱会」に入信するが、法華宗は当時の宮沢家とは宗派違いであったので、父親との対立を深めることとなった。弱者に対する献身的精神、強者への嫌悪などの要素は、これらの経緯と深い関わりがあると思われる。また、良き理解者としての妹トシの死が与えた喪失感は、以後の作品に特有の陰影を加えた。


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また、童話作品においては[[擬声語]]を多用し、作品によっては[[韻文]]にも近いリズム感を持った文体を使用したことも大きな特徴である。賢治の童話は同時代に主流とされた『赤い鳥』に掲載されるなどしていた児童文学作品とはかなり異質なものであった。

また、童話作品においては[[擬声語]]を多用し、作品によっては[[韻文]]にも近いリズム感を持った文体を使用したことも大きな特徴である。賢治の童話は同時代に主流とされた『赤い鳥』に掲載されるなどしていた児童文学作品とはかなり異質なものであった。

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賢治の作品には[[コスモポリタニズム|世界主義]]的な雰囲気があり、岩手県という[[郷土愛|郷土への愛着]]こそあれ、[[軍国主義]]や[[ナショナリズム|民族主義]]的な要素を直接反映した作品はほとんど見られない。ただ、24歳の時に国柱会に入信してから、時期によって活動、傾倒の度合いに差はあるものの、生涯その一員であり続けたため、その社会的活動や自己犠牲的な思想について当時の[[ファシズム]]的風潮との関連も議論されている。晩年には遺作『[[銀河鉄道の夜]]』に見られるように[[キリスト教]]的な[[救済]]信仰をも取り上げ、全人類への宗教的寛容に達していたことが垣間見られる。宗教学者からは、賢治のこうした考え方の根本は、法華経に基づくものであると指摘されている<ref>{{cite video |url=http://www.youtube.com/watch?v=OQnEDI-QYhA&list=PL29809B3CE9F5C44B |title=宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか |people=[[正木晃]](話者)|publisher=日蓮宗 |date=2012-08-26}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=[[定方晟]] |title=『銀河鉄道の夜』と法華経 |journal=東海大学紀要. 文学部 |volume=64 |pages=110-88 |publisher=東海大学文学部 |location=東京|date=1995|url=https://opac.time.u-tokai.ac.jp/webopac/TC20001999 |issn=05636760 |naid=110001048402 |accessdate=2016-09-21}}110頁。</ref>。この宗教的思想と自然科学の融合した独自の世界観は[[第二次世界大戦]]後に日本国外の研究者からも評価され、[[1996年]]9月、宮沢賢治生誕100周年を記念して花巻市にて開催された宮沢賢治国際学会では20ヶ国程の研究者、翻訳者が集ったことを[[歴史家]]の[[色川大吉]]は著書で言及している<ref>{{Citation|和書|last=色川|first=大吉|title=歴史家の見た宮沢賢治の光と闇|journal=色川大吉歴史論集:近代の光と闇|publisher=日本経済評論社|date=2013-01-18|page=2|isbn=978-4-8188-2254-2|ncid=BB11426978}}</ref>。

賢治の作品には[[コスモポリタニズム|世界主義]]的な雰囲気があり、岩手県という[[郷土愛|郷土への愛着]]こそあれ、[[軍国主義]]や[[ナショナリズム|民族主義]]的な要素を直接反映した作品はほとんど見られない。ただ、24歳の時に国柱会に入信してから、時期によって活動、傾倒の度合いに差はあるものの、生涯その一員であり続けたため、その社会的活動や自己犠牲的な思想について当時の[[ファシズム]]的風潮との関連も議論されている。晩年には遺作『[[銀河鉄道の夜]]』に見られるように[[キリスト教]]的な[[救済]]信仰をも取り上げ、全人類への宗教的寛容に達していたことが垣間見られる。宗教学者からは、賢治のこうした考え方の根本は、法華経に基づくものであると指摘されている<ref>{{cite video |url=http://www.youtube.com/watch?v=OQnEDI-QYhA&list=PL29809B3CE9F5C44B |title=宮澤賢治はなぜ浄土真宗から法華経信仰へ改宗したのか |people=[[正木晃]](話者)|publisher=日蓮宗 |date=2012-08-26}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|author=[[定方晟]] |title=『銀河鉄道の夜』と法華経 |journal=東海大学紀要. 文学部 |volume=64 |pages=110-88 |publisher=東海大学文学部 |location=東京|date=1995|url=https://opac.time.u-tokai.ac.jp/webopac/TC20001999 |issn=05636760 |naid=110001048402 |accessdate=2016-09-21}}110頁。</ref>。この宗教的思想と自然科学の融合した独自の世界観は[[第二次世界大戦]]後に日本国外の研究者からも評価され、[[1996年]]9月、宮沢賢治生誕100周年を記念して花巻市にて開催された宮沢賢治国際学会では20ヶ国程の研究者、翻訳者が集ったことを[[歴史家]]の[[色川大吉]]は著書で言及している<ref>{{Citation|和書|last=色川|first=大吉|title=歴史家の見た宮沢賢治の光と闇|journal=色川大吉歴史論集:近代の光と闇|publisher=日本経済評論社|date=2013-01-18|page=2|isbn=978-4-8188-2254-2|ncid=BB11426978}}</ref>。



賢治は自ら学んだエスペラントでも詩作を試みたが、公表されたのは1953年である。これらの作品のほとんどは自らの作品のエスペラントへの翻訳、改作である<ref>{{Cite web|url=http://www.hh.e-mansion.com/~sibazyun/ali-trad/poe-miyazawa0.htm|title=宮沢賢治・自訳エスペラント詩集 |accessdate=2016-09-03}}(このサイトには公表状態でなく、校訂された作品が掲載されている)</ref>。

賢治は自ら学んだエスペラントでも詩作を試みたが、公表されたのは1953年である。これらの作品のほとんどは自らの作品のエスペラントへの翻訳、改作である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.hh.e-mansion.com/~sibazyun/ali-trad/poe-miyazawa0.htm|title=宮沢賢治・自訳エスペラント詩集 |accessdate=2016-09-03}}(このサイトには公表状態でなく、校訂された作品が掲載されている)</ref>。



[[1998年]]頃に、[[山折哲雄]]がある[[小学校]]で授業をした際に、賢治の3つの作品『[[風の又三郎]]』『[[注文の多い料理店]]』『[[銀河鉄道の夜]]』を示し、これらに共通する問題があり、それは何だと子供たちに問い、自らは[[風]]がすごく大きな役割を果たしている、この3つの童話の中心的大問題は「風」だと力説した。この時、子供の一人が「[[猫]]」だと言おうとしたが、山折が「風」と言ったのであれっと思ったが、山折の話を聞く内にやっぱり「風」だと思った。ところがこの[[エピソード]]を聞いた[[河合隼雄]]は、賢治作品における猫の役割の重要性をずっと考えていたため、「猫と風」というヒントから、風のつかまえどころの無さと優しさと荒々しさの同居、少しの隙間でも入り込んでくる点など猫との共通点を感じ、賢治作品に登場する猫は、正にそのような性格を持って登場すると論じている。賢治の『猫』という短編には「私は猫は大嫌いです。猫のからだの中を考えると吐きそうになります」という一節が見られる<ref name="neko">[[河合隼雄]] 『猫だましい』 新潮社、2000年5月20日。{{要ページ番号|date=2016年9月}}</ref>。しかし、この「猫」は[[高瀬露]]が転嫁された表現であり、実際に賢治が猫嫌いだったわけではないという指摘もある([[ますむらひろし]]著『イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験』{{要ページ番号|date=2019年5月}})。

[[1998年]]頃に、[[山折哲雄]]がある[[小学校]]で授業をした際に、賢治の3つの作品『[[風の又三郎]]』『[[注文の多い料理店]]』『[[銀河鉄道の夜]]』を示し、これらに共通する問題があり、それは何だと子供たちに問い、自らは[[風]]がすごく大きな役割を果たしている、この3つの童話の中心的大問題は「風」だと力説した。この時、子供の一人が「[[猫]]」だと言おうとしたが、山折が「風」と言ったのであれっと思ったが、山折の話を聞く内にやっぱり「風」だと思った。ところがこの[[エピソード]]を聞いた[[河合隼雄]]は、賢治作品における猫の役割の重要性をずっと考えていたため、「猫と風」というヒントから、風のつかまえどころの無さと優しさと荒々しさの同居、少しの隙間でも入り込んでくる点など猫との共通点を感じ、賢治作品に登場する猫は、正にそのような性格を持って登場すると論じている。賢治の『猫』という短編には「私は猫は大嫌いです。猫のからだの中を考えると吐きそうになります」という一節が見られる<ref name="neko">[[河合隼雄]] 『猫だましい』 新潮社、2000年5月20日。{{要ページ番号|date=2016年9月}}</ref>。しかし、この「猫」は[[高瀬露]]が転嫁された表現であり、実際に賢治が猫嫌いだったわけではないという指摘もある([[ますむらひろし]]著『イーハトーブ乱入記―僕の宮沢賢治体験』{{要ページ番号|date=2019年5月}})。

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== 人物像 ==

== 人物像 ==

=== 幼少期の伝説 ===

=== 幼少期の伝説 ===

{{要出典範囲|賢治には多くの「伝説」が語り継がれているが、特に本人が資料を残していない幼少期の[[神格化]]が甚だしいと指摘されている。こうした神格化を後押ししていたのが、父・政次郎や弟・清六であった。|date=2021-07}}伝説が嘘ではないにしても誇張や曲解が行われたのは関係者の思い入れと宮沢家への気遣いであろうと、[[山下聖美]]は推測している{{sfn|山下|2008|p=30-34}}。現代では[[吉田司]]の『宮沢賢治殺人事件』のように聖人イメージを破壊するという著作も現れている{{sfn|千葉|2014|pp=2-3}}。


{{|[[]]|date=2021-07}}[[]]{{sfn||2008|p=30-34}}[[]][[]]{{sfn||2014|pp=2-3}}

* 21896615[[|]][[]]{{sfn||1989|p=11}}193333[[|]](No.325)[[1913]]-[[1996]]<ref>{{Cite web |url=http://www.kenji.gr.jp/kaiho/kaiho31/index.html#L |title= 31 |publisher= |accessdate=2010-11-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060207002502/http://kenji.gr.jp/kaiho/kaiho31/index.html |archivedate=2006-2-7 |deadlinkdate=2014-12-18}}</ref><ref>{{Cite book | |author= |authorlink= |date=2010-07 |title= |volume=2 |publisher= |page= |isbn=978-4-585-05226-5}}{{|date=20169}}</ref>

* 21896615[[|]][[]]{{sfn||1989|p=11}}193333[[|]](No.325)[[1913]]-[[1996]]<ref>{{Cite web||url=http://www.kenji.gr.jp/kaiho/kaiho31/index.html#L |title= 31 |publisher= |accessdate=2010-11-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060207002502/http://kenji.gr.jp/kaiho/kaiho31/index.html |archivedate=2006-2-7 |deadlinkdate=2014-12-18}}</ref><ref>{{Cite book | |author= |authorlink= |date=2010-07 |title= |volume=2 |publisher= |page= |isbn=978-4-585-05226-5}}{{|date=20169}}</ref>

* {{sfn||1991|p=36}}

* {{sfn||1991|p=36}}

* [[|]]{{sfn||1991|p=36}}

* [[|]]{{sfn||1991|p=36}}
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=== 食生活と菜食主義 ===

=== 食生活と菜食主義 ===


[[]][[]]<ref>[http://ihatov.la.coocan.jp/bizi.htm ]</ref>191875[[|]]{{sfn||1991|p=96}}519[[]][[]]<ref>{{Cite web|url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/63.html |title=1918519  |publisher= |accessdate=2016-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160916120804/http://why.kenji.ne.jp:80/shiryo/shokan/63.html |archivedate=2016-09-16}}</ref>[[]]宿[[]]{{sfn||1991|p=103}}[[]][[]][[]]{{sfn||1989|p=68}}[[]][[]][[]][[]]{{sfn||1991|p=456}}192110811<ref>{{Cite web|url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/197.html |title=1921811 |publisher= |accessdate=2016-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141223092757/http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/197.html |archivedate=2014-12-23}}</ref>

[[]][[]]<ref>[http://ihatov.la.coocan.jp/bizi.htm ]</ref>191875[[|]]{{sfn||1991|p=96}}519[[]][[]]<ref>{{Cite web||url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/63.html |title=1918519  |publisher= |accessdate=2016-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160916120804/http://why.kenji.ne.jp:80/shiryo/shokan/63.html |archivedate=2016-09-16}}</ref>[[]]宿[[]]{{sfn||1991|p=103}}[[]][[]][[]]{{sfn||1989|p=68}}[[]][[]][[]][[]]{{sfn||1991|p=456}}192110811<ref>{{Cite web||url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/197.html |title=1921811 |publisher= |accessdate=2016-09-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20141223092757/http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/197.html |archivedate=2014-12-23}}</ref>



[[]][[]][[]][[]]<ref>{{Cite web|url=http://www.yabuya.jp/ybyhpg3.htm |title= |publisher=  |accessdate=2016-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170702013605/http://www.yabuya.jp:80/ybyhpg3.htm |archivedate=2017-01-02}}</ref>[[]][[]]{{sfn||2008|pp=156-157}}[[]][[]][[]]{{sfn||1989|p=97}}[[]][[]]{{sfn||1991|p=214}}

[[]][[]][[]][[]]<ref>{{Cite web||url=http://www.yabuya.jp/ybyhpg3.htm |title= |publisher=  |accessdate=2016-09-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170702013605/http://www.yabuya.jp:80/ybyhpg3.htm |archivedate=2017-01-02}}</ref>[[]][[]]{{sfn||2008|pp=156-157}}[[]][[]][[]]{{sfn||1989|p=97}}[[]][[]]{{sfn||1991|p=214}}


羅須地人協会時代の自炊は極端な粗食だった。[[ご飯]]はまとめて炊いてザルに移して[[井戸]]の中に吊り下げて置き、冬は凍ったまま食べた。[[おかず]]は油揚げや[[漬物]]、[[トマト]]などだった{{sfn|作家読本|1989|p=142}}{{sfn|山下|2008|pp=152-153}}。賢治の体を心配した母のイチが[[小豆]]を入れた[[ひっつみ]]を届けたことがあるが、受け取らなかった{{sfn|千葉|2014|pp=36-30}}。急性肺炎で倒れ病臥生活になっても菜食はやめず、[[鶏卵]]も[[牛乳]]も拒否した<ref>{{Cite web|url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/419.html|title=1932年6月1日(森佐一あて) 下書|publisher=宮沢賢治の童話と詩森羅情報サービス |accessdate=2016-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161014060119/http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/419.html |archivedate=2016-10-14}}</ref>。イチが[[鯉]]の生き肝が肺炎に効くと聞いて、[[オブラート]]に包み薬と偽って飲ませたことがあった。弟の清六から中身を聞き出した賢治は涙を流し、「生き物の命をとるくらいならおれは死んだほうがいい」「これからは決してそんなことをしてくれるな」と真っ青な顔で言い、最期まで菜食主義をつらぬいた{{sfn|堀尾|1991|p=459-462}}。


[[]][[]][[]][[]][[]]{{sfn||1989|p=142}}{{sfn||2008|pp=152-153}}[[]][[]]{{sfn||2014|pp=36-30}}[[]][[]]<ref>{{Cite web||url=http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/419.html|title=193261 |publisher= |accessdate=2016-10-13|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161014060119/http://why.kenji.ne.jp/shiryo/shokan/419.html |archivedate=2016-10-14}}</ref>[[]][[]]{{sfn||1991|p=459-462}}


=== 恋愛・性愛観 ===

=== 恋愛・性愛観 ===

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{{quotation|調|{{sfn||2008|pp=145-146}}}}

{{quotation|調|{{sfn||2008|pp=145-146}}}}



[[]][[|]][[|]]{{sfn||2008|p=105}}[[|]]{{sfn||1989|p=186}}

[[]][[|]][[|]]{{sfn||2008|p=105}}[[]][[|]]{{sfn||1989|p=186}}


賢治は浮世絵コレクターで、特に「和印([[春画]])」を積めば高さ30センチメートルになるほど集めていた{{sfn|堀尾|1991|p=355}}。それら農学校に持ってきて、同僚と批評して楽しんだ{{sfn|作家読本|1989|p=69}}。[[ハヴロック・エリス|ハバロック・エリス]]の『性の心理』を持っていて、翻訳本で[[伏字]]になった部分を[[仙台市|仙台]]の本屋まで行って原書で読んで確かめた{{sfn|山下|2008|p=106}}。この本のことを聞かれると「いなかの子ども(農学校の教え子)が性でまちがいをおこさないように教えたいと思って」と答え{{sfn|堀尾|1991|p=355}}、実際生徒に「[[猥談]]は大人の童話みたいなもので頭を休めるもの」「誰を憎むというわけでも、人を傷つけるというものでもなく、悪いものではない。性は自然の花だ。」と話したという{{sfn|山下|2008|p=107}}。

賢治は浮世絵コレクターで、特に「和印([[春画]])」を積めば高さ30センチメートルになるほど集めていた{{sfn|堀尾|1991|p=355}}。それら農学校に持ってきて、同僚と批評して楽しんだ{{sfn|作家読本|1989|p=69}}。[[ハヴロック・エリス|ハバロック・エリス]]の『性の心理』を持っていて、翻訳本で[[伏字]]になった部分を[[仙台市|仙台]]の本屋まで行って原書で読んで確かめた{{sfn|山下|2008|p=106}}。この本のことを聞かれると「いなかの子ども(農学校の教え子)が性でまちがいをおこさないように教えたいと思って」と答え{{sfn|堀尾|1991|p=355}}、実際生徒に「[[猥談]]は大人の童話みたいなもので頭を休めるもの」「誰を憎むというわけでも、人を傷つけるというものでもなく、悪いものではない。性は自然の花だ。」と話したという{{sfn|山下|2008|p=107}}。

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* 『[[さるのこしかけ (小説)|さるのこしかけ]]』

* 『[[さるのこしかけ (小説)|さるのこしかけ]]』

* 『[[祭の晩]]』

* 『[[祭の晩]]』


* {{refnest|group=""|[[1923]]126[[]][[西]][[]]<ref>{{Cite journal | |last= |first= |author-link= |year=1997 |month=2 |title= :  |periodical=[[]] |volume=56 |issue=2 |pages=21-39 |naid=AN00017940 }}</ref><ref>{{Cite||author=[[]]|title=|publisher=[[]]|date=2012-10|pages=98|isbn=978-4-16-375750-6|ncid=BB10774414}}</ref>}}

* {{refnest|group=""|[[1923]]126[[]][[西]][[]]<ref>{{Cite journal | |author= |author-link= |year=1997-02 |title= :  |periodical=[[]] |volume=56 |issue=2 |pages=21-39 |id={{NCID|AN00017940}} }}</ref><ref>{{Cite||author=[[]]|title=|publisher=[[]]|date=2012-10|pages=98|isbn=978-4-16-375750-6|ncid=BB10774414}}</ref>}}


=== 詩 ===

=== 詩 ===

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*『「銀河鉄道の夜」の旅〜1923宮沢賢治サハリン紀行の謎』

*『「銀河鉄道の夜」の旅〜1923宮沢賢治サハリン紀行の謎』


:1995[[]][[]][[TBS|TBS]]1995[[|]]131996 [[|ATP]] 20

:1995[[]][[]][[TBS|TBS]]1995[[|]]131996 [[|ATP]] 20

* 『ACT 宮沢賢治』


:[[1996]][[]][[]]

*『[[賢治のほほえみ]]』

*『[[賢治のほほえみ]]』

:[[1996年]]の[[テレビドラマ]]。[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]が『[[ドラマ新銀河]]』で[[7月8日]]から[[7月11日]]まで放送。

:[[1996年]]の[[テレビドラマ]]。[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]が『[[ドラマ新銀河]]』で[[7月8日]]から[[7月11日]]まで放送。

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*:[[太陽と風の家]]

*:[[太陽と風の家]]

* 斉藤征義記念 宮沢賢治ライブラリ「虔十庵(けんじゅうあん)」

* 斉藤征義記念 宮沢賢治ライブラリ「虔十庵(けんじゅうあん)」


*: 17002023521<ref name="hokkaido-np20230522">{{Cite web |title=  1700 |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/849527/ |website= |access-date=2023-05-22 |language=ja}}</ref><ref name="hokkaido-np20230522" />20204120221225<ref>{{Cite web |title= No.131 |url=http://www.tomakomai-lib.jp/wp-content/uploads/2020/05/papyrus131.pdf |website= |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=  |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/780541/ |website= |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref>

*: 17002023521<ref name="hokkaido-np20230522">{{Cite web||title=  1700 |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/849527/ |website= |access-date=2023-05-22 |language=ja}}</ref><ref name="hokkaido-np20230522" />20204120221225<ref>{{Cite web||title= No.131 |url=http://www.tomakomai-lib.jp/wp-content/uploads/2020/05/papyrus131.pdf |website= |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web||title=  |url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/780541/ |website= |access-date=2022-12-28 |language=ja}}</ref>


== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

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* [https://www.kenji.gr.jp/ 宮沢賢治学会イーハトーブセンター]

* [https://www.kenji.gr.jp/ 宮沢賢治学会イーハトーブセンター]

* [http://why.kenji.ne.jp 森羅情報サービス] - 賢治の大半の作品のテキストを掲載している。

* [http://why.kenji.ne.jp 森羅情報サービス] - 賢治の大半の作品のテキストを掲載している。

* [https://www.project-archive.org/0/100.html 宮沢賢治「遺書(2通)」] - ARCHIVE

* {{青空文庫著作者|81|宮沢 賢治}}

* {{青空文庫著作者|81|宮沢 賢治}}


* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/scaffale00410/kenjitop.htm |title= |date=20190331150736}} - 

* {{Wayback|url=http://www.geocities.jp/scaffale00410/kenjitop.htm |title= |date=20190331150736}} - 

2024年5月8日 (水) 19:56時点における版

宮沢 賢治
(みやざわ けんじ)
1924年1月12日[注釈 1]撮影
誕生 宮沢 賢治
(1896-08-27) 1896年8月27日
日本の旗 日本岩手県稗貫郡花巻川口町
(現・花巻市
死没 (1933-09-21) 1933年9月21日(37歳没)
日本の旗 日本・岩手県稗貫郡花巻町
(現・花巻市)
墓地 身照寺(花巻市)
職業 詩人
童話作家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 盛岡高等農林学校
(農学得業士[2]
(現・岩手大学農学部
活動期間 1918年 - 1933年
ジャンル
童話
サイエンス・フィクション
仏教哲学
主題 詩・童話・短編小説
文学活動 理想主義[3]
代表作注文の多い料理店』(1924年)
銀河鉄道の夜
風の又三郎
ポラーノの広場
グスコーブドリの伝記
よだかの星
セロ弾きのゴーシュ
雨ニモマケズ
デビュー作春と修羅』(1924年)
親族 宮澤政次郎(父)
宮澤清六(弟)
トシ、シゲ、クニ(妹)
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Ihatov (Ihatovo) 


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童話












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鹿



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1923

1995TBS1995131996 ATP 20

ACT 

1996



1996NHK78711

 [163][164]

1996NHK86

 [165]

1996NHK824

 

1996100914=

[166]

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19961001019=

KENjI

1996251214



2012



201415201732WOWOWW



2017158

 --

滿


[167]








 
17002023521[168][168]20204120221225[169][170]















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 - 104




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 - 

 () - 

 - 宿3

注釈



(一)^ [1]

(二)^ 71981[4]

(三)^ 寿[22]

(四)^ (1958)

(五)^ [45]

(六)^ [86]

(七)^ [89]

(八)^  1999

(九)^  1989[150]

(十)^ [149]便[149][154]1915[149]

(11)^ [160]

(12)^ 1923126西[161][162]

(13)^ RPG

出典



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退()2010ISBN 9784335950377

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2006215

 200611

2201091

  2 ()20143

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1987ISBN 44808124661991ISBN 9784480025746

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18


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