海龍王寺
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海龍王寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 奈良県奈良市法華寺北町897 |
位置 | 北緯34度41分34.43秒 東経135度48分19.99秒 / 北緯34.6928972度 東経135.8055528度座標: 北緯34度41分34.43秒 東経135度48分19.99秒 / 北緯34.6928972度 東経135.8055528度 |
山号 | なし |
宗派 | 真言律宗 |
本尊 | 十一面観音(重要文化財) |
創建年 | 伝・天平3年(731年) |
開山 | 伝・玄昉 |
開基 | 光明皇后 |
別称 | 隅寺 |
札所等 | 大和北部八十八ヶ所霊場第19番 |
文化財 |
五重小塔(国宝) 西金堂、経蔵、木造文殊菩薩立像ほか(重要文化財) 絹本著色仏涅槃図(県指定有形文化財) |
公式サイト | 海龍王寺 |
法人番号 | 1150005000104 |
海龍王寺︵かいりゅうおうじ︶は、奈良県奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院。山号は佐保山。本尊は十一面観音。光明皇后の皇后宮︵藤原不比等の邸宅跡︶の北東隅に建てられたことから隅寺︵すみでら︶の別称がある。
五重小塔
国宝。昭和二十六年六月九日、国宝十八号として指定。西金堂内に安置。相輪を含む総高4.01メートル︵相輪を除く高さは2.85メートル︶の小塔だが、工芸品ではなく﹁建造物﹂として国宝に指定されており﹁国内最小の国宝五重塔﹂である。当初から屋内に安置されていたもの。木箱入り法華経2巻と垂木木口金物2個が国宝の附︵つけたり︶として指定されている。奈良市・元興寺︵極楽坊︶の五重小塔が内部構造も省略せず、屋外にある塔と同様に1つ1つの部材を組み上げて造られているのに対し、海龍王寺の小塔は箱状の構造物を積み上げ、組物などの細かい部材は外側から貼り付けたものである。しかし、様式的には元興寺小塔より古い8世紀前半頃のもので、細部様式が薬師寺の三重塔に類似しており、遺例の少ない奈良時代建築の様式を知るうえで重要である。
後世の塔では、四隅に45度の角度で突出する組物と、その両隣の組物とは肘木で連結するが、この小塔では連結されていない。後世の建物では、四隅の組物には鬼斗︵おにと︶という、特殊な形状の斗︵ます︶を用いるのが普通だが、この小塔では四隅にも通常の斗を使っている。また、軒の部分に支輪︵しりん︶という斜め方向の壁状のものを設けず、水平に張られた軒天井とするのも古い要素である。以上の点は薬師寺東塔と同様の構造になる。
一方で、薬師寺東塔より時代の下る要素もいくつかある。一番外側の軒桁︵垂木を直接支える水平材︶は、薬師寺東塔では断面角形だが、この小塔では断面円形である。薬師寺東塔では三手先︵みてさき︶の組物の二手目の肘木には斗︵ます︶が1つしか乗らないが、この小塔では斗が2個乗り、後世の塔と同様になっている。以上のことから、この小塔の様式は、天平2年︵730年︶頃建立の薬師寺東塔よりは新しいが、奈良時代末期の當麻寺東塔よりはさかのぼるものとみられる。
この塔の初重には扉や壁がない。初重と二重目の間には組み入れの格天井を張るが、それ以外の設備は何もなく、当初どのような用途に使われたものかは不明である。前述の木箱入り法華経2巻は塔内に安置されていたものだが、鎌倉時代のものである。この塔は小さいながらも﹁模型﹂ではなく、正式の﹁塔﹂として造られ、西金堂はその覆屋として建てられたものだとする説もある。基壇には永仁2年︵1297年︶の銘があって、その頃修理が行われたと推定される。また、相輪は1906年︵明治39年︶の補作で、当初の状況は不明である[2][3]。
なお、海龍王寺は皇后宮の内廷寺院として、聖武天皇・光明皇后を支えたが、五重小塔および西金堂は、光明皇后宮内に残る唯一の天平時代建造物であるとともに、内廷仏教と内廷寺院の中心伽藍を現在に伝える仏教建造物として重要な役割を果たしている。
西金堂︵重要文化財︶
●本堂︵奈良市指定有形文化財︶ - 寛文6年︵1666年︶再建。和様建築。
●西金堂︵重要文化財︶ - 奈良時代の建立︵鎌倉時代に大修理︶。内部に五重小塔︵国宝︶を安置する。切妻造、本瓦葺き、正面3間、側面2間の小規模な仏堂である︵ここでいう﹁間﹂は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語︶。古代の仏堂で現存するものは、構造的に中心部の﹁身舎﹂︵もや︶と、その周囲の﹁庇﹂という2つの部分からなるものが多いが、この西金堂は﹁身舎﹂のみで﹁庇﹂にあたる部分がない、簡素な建物である。奈良時代の建物ではあるが、鎌倉時代に再建に近い大修理を受けており、奈良時代の部材はその多くが当初位置ではなく、堂内の他の場所に転用されている。創建時より規模や様式的は変更は無いと考えられている。
●春日社 - 鎮守社。
●東金堂跡 - 創建当初は西金堂に向かい合う形で建ち、内部に五重小塔が建っていた。明治初年に廃絶し現在は基壇が残る。
●経蔵︵重要文化財︶ - 寄棟造、本瓦葺きの小建物。鎌倉時代に、西大寺の中興の祖・叡尊により造立されたと伝わる。叡尊の年譜︵﹃興正菩薩行実年譜﹄︶に、正応元年︵1288年︶、海龍王寺の堂宇を修造し、経蔵を新築したことがみえ、これにあたるものと推定される。
●生木地蔵堂
●庫裏
●築地塀 - 室町時代の建立。
●山門︵奈良市指定有形文化財︶ - 室町時代の建立。
経蔵︵重要文化財︶