三条駅 (京都府)
三条駅 | |
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三条駅北ビル(2017年11月) | |
さんじょう Sanjo | |
右は三条京阪駅 | |
所在地 |
京都市東山区三条大橋東詰[1] 北緯35度0分32.81秒 東経135度46分20.19秒 / 北緯35.0091139度 東経135.7722750度座標: 北緯35度0分32.81秒 東経135度46分20.19秒 / 北緯35.0091139度 東経135.7722750度 |
駅番号 | KH 40 |
所属事業者 | 京阪電気鉄道 |
電報略号 | 三(駅名略称方式) |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗降人員 -統計年度- |
27,756人/日 -2022年- |
開業年月日 | 1915年(大正4年)10月27日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■京阪本線* |
キロ程 | 49.3 km(淀屋橋起点) |
◄KH39 祇園四条 (0.7 km) | |
所属路線 | ■鴨東線* |
キロ程 | 0.0 km(三条起点) |
(1.0 km) 神宮丸太町 KH41► | |
乗換 | 地下鉄東西線(三条京阪駅) |
備考 | *両線で直通運転を実施 |
配線図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概要
京阪本線の終点かつ鴨東線の起点駅である。一駅隣の祇園四条駅とともに京阪の京都側の主要駅であり、京都市の中心市街地である三条通に位置している。かつては、京阪電気鉄道の京都におけるターミナル駅であることを強調するため、﹁京都三条駅﹂﹁三条京都駅﹂と呼称していたこともあった。2017年頃から大阪府内の駅の発車標などにて﹁[京都] 三条﹂の表記を再開している︵正確には﹁京都﹂の部分が四角囲み︶。1951年の地図では、駅名が﹁けいはんさんじょう﹂と表記されるなどした例もみられる[2]。 当駅は長年にわたって京阪本線系統の終点および大津方面へ連絡する京津線の起点であることから両線の乗り換え駅として、また隣接する三条京阪バスターミナルから洛北方面への乗り換え駅として、京都市内の交通網において重要な役割を果たしてきた。だが、乗降客数では京都随一の繁華街・歓楽街である四条河原町や祇園の間に位置する祇園四条駅が常に上回っている。さらに、1989年に京阪本線の延長路線である鴨東線開業以降は、全ての列車が鴨東線に直通する[3]ことから実質的には途中駅扱いとなり、新たな終点となった出町柳駅よりもやや少ない乗降客数で推移している。 なお京津線の駅については1987年に﹁京津三条駅﹂として分離したのち、京都市営地下鉄東西線の開通により京津線の京津三条 - 御陵間が廃線となり、京津三条駅も廃止されている[4][5][6]。 周辺地域︵地下鉄駅や京阪バスのバスターミナル等︶を含めて、三条京阪という通称で呼ばれている。これの由来は﹁三条通の京阪前﹂に由来するとのことで、京阪の三条駅から転じたものではない[7]。﹁三条京阪﹂は周辺の地名ではなく、京阪の京都市内のターミナル駅でもある三条駅前のことを、三条通京阪前と呼んでいた事に由来する。なお、京阪の駅名は三条駅となっており﹁京阪﹂を冠しないが、定期券や駅ビルの看板においては﹁京阪三条﹂となっている。利用可能な鉄道路線
京阪電気鉄道
●京阪本線 - 枚方市・京橋・淀屋橋・中之島線方面 ●鴨東線 - 出町柳方面 ●京阪本線の終点かつ鴨東線の起点となり、実際に当駅発着の列車が少数残っているものの、基本的に両線は当駅を介して一体的なダイヤが組まれているため、事実上折り返し可能な途中駅として取り扱われている。 なお、以下の路線の駅とは地下通路で連絡している。 京阪大津線の各駅から京阪本線系統の各駅へ切符で行く場合は、三条京阪駅まで購入し、乗り換え駅である当駅から再び切符を購入しなければならない。また、車内においての放送で三条駅からの乗り換え案内の際、﹁地下鉄東西線と京津線・琵琶湖方面はお乗り換えです﹂との案内も行っている。京都市営地下鉄
●京都市営地下鉄東西線︵三条京阪駅︶ ●東西線三条京阪駅 - 御陵駅間は廃止された京津線京津三条駅 - 御陵駅間の代替路線としての性格を備え、東西線には御陵駅から京津線びわ湖浜大津方面に乗り入れる直通列車が設定されている。 ●長らく京津線とは改札内で直接乗り換えることが出来たが、1987年︵昭和62年︶に京阪本線が地下化し、改札外乗り換えで京津線のみしばらく地上に残っていた。1997年︵平成9年︶には地下鉄東西線に京津三条駅 - 御陵駅間の区間を譲り、京津線の京津三条駅 - 御陵駅間は地下鉄東西線として事実上地下化し、以降京津線は地下鉄東西線経由︵三条京阪駅︶で三条に乗り入れることとなった。歴史
当初は京津電気軌道︵後の京阪京津線︶の三条大橋駅が開業し、そこに琵琶湖疏水︵鴨川運河︶と鴨川に挟まれた堤防上を北上してきた京阪本線の終点として三条駅が開業、その後の京阪による京津電軌の吸収合併で両者が統合されるという経緯を辿った。なお、京阪本線清水五条 - 三条間は元来京都市電気局の軌道法に基づく特許線であり、京阪本線はその特許を借用して路線を開業したことから、特許借用期限切れの前後には特許返還を求める市会の一部勢力への対抗措置として京津線との一体性を強調する運輸施策が行われるなど、京阪本線五条 - 三条間存続のために様々な方策が採られた︵この経緯については京阪60型電車の項を参照のこと︶。 地上時代には京阪本線が鴨川と琵琶湖疏水に挟まれた立地、しかも用地の所有権が軌道特許を保有する京都市側にあったがゆえに地形の自由な改変が出来なかったことなどから、特に京阪本線ホームの設置には様々な制約が存在した。そのため、疏水上に橋梁構造の基礎部を架設してその上に駅舎を設置し、さらに4番線ホームを鴨川に張り出して設置するなど、様々な制約の下で可能な限りの面積を確保した、特異な配置となっていた。 のちに1番線ホームが設置された琵琶湖疏水を渡る線路がもともとの本線で、2-4番線は側線であった。また、60型﹁びわこ﹂号が走行した京阪本線と京津線の連絡線は1923年にはすでに完成していた。連絡線は京阪本線の優等列車速度向上で直通列車が廃止された後も残されていたが、1969年に撤去された。しかし、その痕跡は京津三条廃止まで長く残された[8]。年表
●1912年︵大正元年︶ ●8月15日‥京津電気軌道︵現在の京津線︶の三条大橋駅が開業。場所は三条通上にあった。 ●12月13日‥三条大橋 - 三条間に特許が下りる。 ●1915年︵大正4年︶10月27日‥京阪電気鉄道の三条駅開業。 ●1917年︵大正6年︶5月29日‥三条大橋 ‐ 三条間が単線開業[9]。地上時代
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地上時代は三条通の南、三条大橋東詰南に駅施設があった。京阪線の地下化工事が始まる直前(1978年ごろ)の状況を記す[41]。京津線では降車ホームにも番号がついていたが、京阪線は番号がなかった。
1 | 中書島・宇治方面 宇治線直通 |
宇治行きのりば |
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2 | 京橋・淀屋橋方面 | 特急のりば |
3 | 中書島・枚方市・京橋・淀屋橋方面 | 急行・準急のりば |
4 | 中書島・枚方市・京橋・淀屋橋方面 | 普通のりば |
京津三条駅
京津三条駅* | |
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ホーム遠景(1997年9月) | |
けいしんさんじょう KEISHIN SANJŌ | |
(0.6 km) 東山三条► | |
所属事業者 | 京阪電気鉄道 |
所属路線 | 京津線 |
キロ程 | 0.0 km(京津三条起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 3面2線 |
開業年月日 | 1912年(大正元年)8月15日 |
廃止年月日 | 1997年(平成9年)10月12日** |
* 改称経歴 |
平面図が「E」の形をした櫛形ホームで、真ん中のホームがのりばだった。
5 | 急行・準急の降車用ホーム |
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6 | 急行・準急のりば |
7 | 普通のりば(「びわこ号」直通線路の片割れ) |
8 | 普通の降車用ホーム |
駅舎全体は琵琶湖疏水を跨いで建てられており、三条閘門からしぶきを上げて流れ出る疏水を見ることができた[42]。また前述の通り、4番線のホームは鴨川の河原の上に張り出していた。構内には飲食店やみやげ物店が軒を連ねる一角「のれん街」があり、小規模ながらターミナルの様相を呈していた。なお、出入口は高山彦九郎像のある三条大橋側の北口と、京津線乗り場に近い若松通縄手角に開いた南口があった。タクシー乗り場は北口、バス乗り場は南口に面していた。
1番線と7番線の間の線路は戦後も長く残っていた(1961年に京阪線・京津線の直通営業運転終了、1965年過ぎまで京津線の新車の回送に使用)が、1969年11月に撤去され、それぞれの端にコンクリート製の車止めが設置された。1980年ごろには降車ホームの番線表示が廃止され、6番線が5番線、7番線が6番線に変更された。1987年、京阪本線の地下化に伴い京津線のホームが京津三条駅として分離されてからは、5番線が1番線、6番線が2番線に変更された。
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駅ホームから望む三条通(1997年7月)
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廃止後放置された駅跡(1999年7月)
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廃止後放置されたホーム(1999年7月)
京阪本線地下化・京津線地上駅時代
京阪鴨東線・地下鉄東西線開通後
駅構造
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 |
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1・2 | ■鴨東線 | 上り | 出町柳方面[47] |
3・4 | ■京阪本線 | 下り | 淀屋橋・中之島線方面[47] |
モニュメント
けいはんインフォステーション
コンコースに設置された駅事務室を兼ねた総合案内所。地下1階の中央改札口近くに位置する。京阪電車と京阪バスの案内。京阪バスの場合は京阪バス三条案内所でも対応している。その他
列車運行管理システム、ADEC︵自律分散式運行管理システム︶の19駅ある各信号取り扱い駅の1つで駅制御装置が配置され信号機やポイントの制御から駅の案内放送や行き先表示まで自動化されている[48]。 災害対策として防災管理盤により駅設備は常時監視されている。万が一の火災発生時には防火防煙シャッターの制御・排煙機の運転、避難路確保のための自動改札機の開放、火災発生表示機の点灯・運転指令所への通報が自動またはワンスイッチでおこなえる。地下駅の構内でも警察無線や消防無線が使えるように無線通信補助設備や防災電話などが完備されている[49]。また水害対策として川端通西側の出入り口には床板が起き上がる止水板が設置されている。 このほか地下施設には三条受電変電所が設置されていて関西電力荒神口変電所より送電された交流60 Hz・77 kVの電気を直流1,500 Vに変換して電車線に送電するだけでなく10,000 kVAの変圧器2基で交流6,600 Vに変圧して当駅だけでなく周辺の地下駅施設・信号機などに送電している。また停電時に備え1000 kVAのガスタービン発電機が2基設置されている[50]。 さらに2015年、駅構内の照明設備がLEDに更新された。これは一般社団法人﹁低炭素社会創出促進協会﹂からの補助金の交付を受けての事業で併せて出町柳-七条間の地下線の照明、清水五条駅・七条駅もLED照明化されたことにより年間100万kWhの電力量削減をみこんでいる。利用状況
2022年︵令和4年︶度の1日平均乗降人員は27,756人である。 京都府内の京阪の駅では丹波橋駅、祇園四条駅、出町柳駅に次いで4番目に多い。 近年の1日あたり利用客数の推移は下記の通り[51][52]。年度 | 乗降人員 | 乗車人員 |
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2007年 | 36,992 | 17,587 |
2008年 | 36,803 | 18,375 |
2009年 | 35,964 | 18,132 |
2010年 | 35,732 | 18,011 |
2011年 | 36,595 | 18,227 |
2012年 | 37,252 | 18,742 |
2013年 | 36,293 | 18,896 |
2014年 | 37,860 | 19,611 |
2015年 | 40,454 | 20,522 |
2016年 | 34,036 | 17,052 |
2017年 | 35,225 | 17,781 |
2018年 | 35,096 | 17,764 |
2019年 | 35,617 | 17,921 |
2020年 | 21,968 | 10,995 |
2021年 | 22,054 | 11,274 |
2022年 | 27,756 | 13,975 |
駅周辺
商業施設
京阪三条駅の商業施設。京阪グループの直営店とテナントがある。 京阪三条 rest complex KYOUEN 2003年に京津三条駅跡︵6400m2︶に2010年までの暫定で造られたレストランなど商業施設。2010年までに後継施設を決めるべく検討していたが、土地の高さ制限20mと容積率600%がネックになり先送りされ、後継施設が具体化するまで現状どおり営業を続けるとしていた[54]。 KYOUENは中央に﹁ZEN庭園﹂と名付けられた枯山水の庭を囲むようにガラスを多用し景観を配慮した2階建てで、2003年の開業時・10店舗中﹁カノビアーノ京都店︵京阪レストランの運営︶﹂・﹁らーめん山頭火﹂など4店舗が京都初出店︵うち2店舗は関西初出店︶[55]した。しかし、﹁らーめん山頭火﹂を除き、カノビアーノ・お粥家周荘・IDEEなど9店舗が撤退し、別の店舗が出店していた[56]。 2016年5月29日、全店閉店した[57]。 京阪三条のれん街 京阪ザストアが運営する改札内店舗︵いわゆる駅ナカ店舗︶。その起源は古く地上駅時代の1951年にオープン、1963年に専門店の形態︵この時は3店舗︶になり。その後、京阪本線地下化直前の1984年には各種京銘菓・千枚漬など漬物・さば寿司など24店舗を数える駅中商業施設に発展[58]。京阪本線地下化後も改札内には八ツ橋・豆菓子・そばぼうろ・ういろうなどの和菓子や京佃煮・京漬物などを販売しており、2009年にリニューアルされ改札外からも買い物が出来るようになった[59]。 ほかに改札内にはセカンドポシェ︵売店︶が大阪行きホームに設置されている。 地下コンコース コンコースの中央は京都地下線開通時には券売機が並ぶ切符売り場[46]だったが、券売機を中央改札口南側の案内所の跡に移設して、券売機の跡地にアンスリー︵コンビニエンスストア︶と志津屋︵老舗のパン屋︶の店舗になっている。地下鉄東西線との連絡通路の南側に京阪交通社の店舗があったがセルフ方式の喫茶﹁ぷらCafe﹂になり[60]、現在はドトールコーヒーとなっている。中央改札口の券売機の前、地上への階段の裏側に宝くじ売り場とコンタクトレンズ販売店があるほか、外貨両替機も設置された。京阪三条北ビル
1987年5月の京阪本線の地下化と同時にオープンした地上3階地下2階のビルで[61]、三条大橋交差点北東に建てられている。エスカレーター8基・エレベーター2基が設置されている。三条駅地下コンコースから同ビルの地下2階に直結していて、富樫実作﹁鴨川ピラー﹂が目印、モニュメントの設置部分だけが吹き抜けで空を見ることができる。 開業時は1階に金融機関の支店、2階にはギャラリーやカルチャースクール、3階にレストランが設置された[46]。現在は1FにATM、1-3Fは中古書店ブックオフが営業している。B1Fは京阪レストランの運営する﹁麺処あしかり﹂﹁喫茶ビエモンテ﹂、B2Fにはたこ焼き店の﹁風の家﹂、100円ショップのmeets.が営業している。京阪三条南ビル
その他の施設
●京都三条大橋郵便局 ●東山警察署三条大橋東交番 ●住友不動産販売京都東営業センターバス路線
地下コンコースとエスカレーターと階段で結ばれている、商業施設﹁KYOUEN﹂を囲うようにバス乗り場が設置されている。京阪バス︵三条京阪︶および、京都市営バス・京都バス︵三条京阪前︶が乗り入れている。隣の駅
- 京阪電気鉄道
- 京阪本線・鴨東線
- ■快速特急「洛楽」・□ライナー(平日のみ運転)・■特急・■通勤快急(平日下りのみ運転)・■快速急行
- ■急行・■通勤準急(平日下りのみ運転)・■準急・■普通
- 祇園四条駅(京阪本線)(KH39) - 三条駅 (KH40) - 神宮丸太町駅(鴨東線)(KH41)
- 深夜に1本のみ、当駅止まりの上り特急で到着後、そのまま普通出町柳行きになる列車がある。
- 括弧内は所属路線名および駅番号を示す。
かつて存在した路線
- 京阪電気鉄道
- 京津線(1997年廃止区間)
- 京津三条駅 - 東山三条駅
脚注
参考文献
- 京阪電気鉄道、2000、『街をつなぐ 心をむすぶ』
- 京阪電気鉄道、2011、『京阪百年のあゆみ』
- 『鉄道ピクトリアル No.281 1973年7月臨時増刊号 <京阪電気鉄道特集>』、電気車研究会、1973年
- 『鉄道ピクトリアル No.382 1980年11月号 <京阪電車開業70周年特集>』、電気車研究会、1980年
- 『鉄道ピクトリアル No.427 1984年1月臨時増刊号 <特集>京阪電気鉄道』、電気車研究会、1984年
- 『鉄道ピクトリアル No.553 1991年12月臨時増刊号 <特集>京阪電気鉄道』、電気車研究会、1991年
- 『鉄道ピクトリアル No.695 2000年12月臨時増刊号 <特集>京阪電気鉄道』、電気車研究会、2000年
- 『鉄道ピクトリアル No.822 2009年8月臨時増刊号 <特集>京阪電気鉄道』、電気車研究会、2009年
- 藤井信夫(編)、1991、『車両発達史シリーズ 1 京阪電気鉄道』、関西鉄道研究会
- 沖中忠順 編著、2007、『JTBキャンブックス 京阪特急 鳩マークの電車が結んだ京都・大阪間の50年』、JTBパブリッシング
- 関西鉄道研究会、2010、『関西の鉄道 別冊第1巻京阪電気鉄道 戦後分離独立後の歩みPartI』
- 植村善博、2011、『京都の治水と昭和大水害』、文理閣
- 広岡友紀、2011、『日本の私鉄 京阪電気鉄道』、毎日新聞社
- PHP研究所(編)、杉浦博道、松尾諭、小川裕夫、杉田一馬、河野孝司、2014、『京阪電鉄のひみつ』、PHP研究所
- 生田誠、2015、『京阪電車 街と駅の1世紀』、彩流社
- 中山嘉彦、2017、「日本初の連節車 京阪電気鉄道 60 型 びわこ号 登場の謎とその生涯」、『レイル』103
関連項目
外部リンク
- 三条駅 - 京阪電気鉄道
- おけいはん.ねっと|駅情報局:三条駅