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中国の歴代王朝一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中国歴朝から転送)
中国の王朝の勢力図

中国の歴史

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蜀漢

曹魏
西晋
東晋 十六国
劉宋 北魏
南斉

(西魏)

(東魏)

(後梁)

(北周)

(北斉)
 
武周
 
五代十国 契丹

北宋

(西夏)

南宋

(北元)

南明
後金
 
 
中華民国 満洲
 
中華人民
共和国
中華
民国

台湾

[ 1][1]

[ 2]



2[ 3]



使



4

三代[編集]

三代(夏・殷・周)の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
BC1920〜BC1449、471年間[注釈 4] 陽城斟鄩[注釈 5]帝丘夏邑老丘西河→斟鄩[注釈 5][注釈 6] 姒文命[注釈 7] 夏后履癸 鳴条の戦いで交代
(商) BC1449〜BC1046、403年間[3] [注釈 8][注釈 9][注釈 10]朝歌 子履 子受(帝辛) 牧野の戦いで交代
西周 BC1046〜BC771、275年間[注釈 11] 豊京鎬京 姫発 姫宮涅 申侯の乱(のちに平王が東遷し、を復活させる)

春秋戦国時代[編集]

春秋時代の諸侯の勢力図
姓氏 領域 国都 爵位 存在年 初代君主 最後の君主 滅亡原因
周朝
東周 姫氏 名義上、全国を統治。
実際は首都洛邑(河南省洛陽市)の周囲の狭小地区
洛邑 天子 前770年[4] - 前256年[注釈 12][5][4] 平王紀元前770年 - 紀元前720年 赧王紀元前314年 - 紀元前256年 秦国
東周の滅亡
戦国七雄
嬴姓趙氏 陝西省中南部、甘粛省東部、四川省重慶市河南省西部、湖北省西部など。前221年に中華を統一した[6][7] 秦邑・汧邑・汧渭の会平陽中国語版[8][8]櫟陽[8]咸陽中国語版[8] 仲→(前770年受封)→王(前325年自称[4])→帝(前288年に西帝自称[9])→王(復称)→皇帝(前221年全国統一後改称) 前770年 - 前206年 襄公紀元前777年 - 紀元前766年 秦王政紀元前246年 - 紀元前210年 西楚
姞姓 遼寧省南部、北京市天津市河北省北部 [10](副都:下都[10] →王(前323年自称[4] 前1046年 - 前221年[注釈 13][11] 燕侯克召公奭 燕王喜[11]紀元前254年[11] - 紀元前222年[11] [11]
燕の滅亡[11]
羋姓熊氏 湖北省湖南省北部、安徽省西部、江西省西部、河南省南部、江蘇省浙江省 丹陽[12][12]寿春[12] →王(前704年自称[4] 殷代 - 前223年[13] 鬻熊中国語版 負芻[14]紀元前227年 - 紀元前223年[14][注釈 14] [13]
楚の滅亡[13]
嬴姓趙氏 河北省西部、山西省北部、内モンゴル自治区南部 邯鄲[16] 侯→王(前296年自称) 前403年[注釈 15] - 前222年[注釈 16][17] 列侯紀元前408年 - 紀元前400年 幽繆王紀元前235年 - 紀元前228年[18][注釈 17] [17]
趙の滅亡[17]
姫姓魏氏 山西省南部、河南省北部、陝西省東部、河北省の一部 安邑[19]大梁[19] 侯→王(前344年自称) 前403年[注釈 15] - 前225年[20] 文侯紀元前445年 - 紀元前396年 王假[21]紀元前227年 - 紀元前225年 [20]
魏の滅亡[20]
姫姓韓氏 河南省 陽翟新鄭[19] 侯→王(前324年自称[22] 前403年[注釈 15] - 前230年[22] 景侯紀元前408年 - 紀元前400年 王安[22]紀元前238年[22] - 紀元前230年[22] [22]
韓の滅亡[22]
(田斉) 嬀姓田氏 山東省東部、河北省南部 臨淄[23] 侯→王(前334年自称[4])→帝[9]→王 前386年[24] - 前221年[9] 太公紀元前386年 - 紀元前385年 王建紀元前265年 - 紀元前221年[9] [9]
斉の滅亡[9]
戦国七雄の前身
姓氏 領域 爵位 存在年 後継国
(姜斉) 姜姓呂氏 山東省東部、河北省南部 前1046年 - 前379年[24][25] 田斉
姫姓 山西省、河南省北部、陝西省東部、河北省東部 前1033年 - 前349年[注釈 18] 韓、趙、魏

秦代[編集]

秦朝の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
BC221[26]〜BC206[27]、15年間[28] 咸陽 始皇帝[29] 趙政(嬴政[注釈 19] 秦王 趙子嬰[29]  劉邦の咸陽入城[30]

漢代[編集]

漢代の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
前漢(西漢) BC206〜AD8、214年間[28] 長安 劉邦 劉衎[注釈 20]  王莽による簒奪
AD8〜AD23、15年間[31] 常安 王莽 王莽 昆陽の戦い
後漢(東漢) AD23〜AD220、197年間[32] 洛陽長安許昌 劉秀 劉協 曹魏曹丕に禅譲

三国時代[編集]

魏呉蜀三国の勢力図
三国時代の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
(曹魏) 220〜265、45年間[33] 洛陽 曹丕 曹奐 西晋司馬炎に禅譲[34][35]
(孫呉、東呉) 222〜280、58年間[33] 建業 孫権 孫晧 呉の滅亡西晋によって滅亡)
(漢、蜀漢) 221〜263、42年間[33] 成都 劉備 劉禅 蜀漢の滅亡によって滅亡)

晋代[編集]

西晋の勢力図
東晋の勢力図
晋代の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
西晋 265〜316、51年間[34][35][36] 洛陽 司馬炎 司馬鄴 永嘉の乱と漢(後の前趙)によって滅亡
東晋 317〜420、103年間[37] 建康 司馬睿 司馬徳文 禅譲により南朝宋
桓楚 403〜404、1年間[注釈 21] 洛陽 桓玄 桓石綏 劉裕の東晋復興クーデター

五胡十六国時代[編集]



五胡十六国[注釈 22]
王朝 初代君主 最後の君主 存在年 首都 民族 滅亡原因
前涼 張軌 張天錫 301〜376 姑臧 漢族 前秦による滅亡
前趙 劉淵 劉煕 304〜329 左国城離石黎亭蒲子平陽長安 匈奴 後趙による滅亡
成漢 李特 李勢 304〜347 成都 巴賨(氐) 東晋の成都攻略
後趙 石勒 石祗 319〜351 襄国 冉魏の成立
前燕 慕容皝 慕容暐 337〜370 棘城龍城 鮮卑 前秦との約束反故による侵攻
前秦 苻健 苻崇 351〜394 長安晋陽南安胡空堡湟中 淝水の戦いの敗戦を一因とする分裂、西秦の成立
後燕 慕容垂 慕容熙 384〜409 中山龍城 鮮卑 馮跋のクーデターによる北燕成立
後秦 姚萇 姚泓 384〜417 長安 東晋の侵攻
西秦 乞伏国仁
乞伏乾帰
乞伏乾帰
乞伏暮末
385〜400
409〜431
勇士城金城西城苑川
度堅山苑川譚郊枹罕定連南安
鮮卑 後秦に降伏・臣従
に降伏、その後の一族殲滅
後涼 呂光 呂隆 386〜403 姑臧 後秦による属国化、臣従
南涼 禿髪烏孤 禿髪傉檀 397〜414 廉川堡楽都西平楽都姑臧楽都 鮮卑 西秦に降伏[注釈 23]
北涼 沮渠蒙遜 沮渠牧犍 397〜439 楽涫張掖姑臧 盧水胡(匈奴) 北魏に降伏[注釈 24]
南燕 慕容徳 慕容超 398〜410 滑台広固 鮮卑 東晋の反撃により滅亡
西涼 李暠 李恂 400〜421 敦煌酒泉敦煌 漢族 北涼の計略による北涼侵攻戦で大敗
(胡夏) 赫連勃勃 赫連定 407〜431 統万城上邽平涼 匈奴 北涼への遠征の途中で吐谷渾の襲撃
北燕 馮跋 馮弘 409〜436 龍城 漢族 北魏の侵攻、亡命先の高句麗での殺害

南北朝時代[編集]

西魏、東魏、梁の領域図
北朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
北魏 386〜534、148年間 盛楽平城洛陽 拓跋珪 元脩[注釈 25] 西分裂[39]
西魏 535〜556、21年間[39] 長安 元宝炬 拓跋廓[注釈 26] 禅譲により北周
東魏 534〜550、14年間[39] 元善見 元善見 禅譲により北斉
北周 556〜581、25年間 長安 宇文覚 宇文闡 禅譲により
北斉 550〜577、27年間 高洋 高恒 北周が滅ぼす
南朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
(劉宋) 420〜479、59年間[37] 建康 劉裕 劉準 禅譲により斉へ
(南斉) 479〜502、23年間[37] 建康 蕭道成 蕭宝融 禅譲により梁へ
502〜557、55年間[37] 建康 蕭衍[注釈 27] 蕭方智 陳による滅亡
後梁(西梁) 554〜587、33年間 江陵 蕭詧 蕭琮 の侵攻
557〜589、32年間[37] 建康 陳霸先 陳叔宝 の侵攻

隋代[編集]

王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
581〜618、37年間[37][40] 大興城 楊堅 楊侑 に禅譲

唐代[編集]

王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
618〜690
705〜907、289年間[41]
長安 李淵
李顕
李顕
李柷
武則天による廃位、武周建国
朱全忠による簒奪、後梁建国
武周 690〜705、15年間[注釈 28] 長安 武則天 武則天 家臣の退位進言、李顕の復位

五代十国時代[編集]

917年の各国の勢力範囲
五代
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
後梁 907〜923、16年間[42] 開封[注釈 29] 朱全忠 朱友貞 後唐の成立
後唐 923〜936、13年間 洛陽 李存勗 李従珂 後晋建国・契丹(後の遼)軍の侵入
後晋 937〜946、9年間 開封 石敬瑭 石重貴 契丹軍の侵入[注釈 30]
後漢 946〜950、4年間 開封 劉知遠 劉承祐 後周の成立
後周 951〜960、9年間[43] 開封 郭威 柴宗訓[注釈 31] 北宋の成立(趙匡胤への禅譲)
十国
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
前蜀 907〜925、18年間 成都 王建 王衍 後唐による侵攻
後蜀 934〜965、31年間 成都 孟知祥 孟昶 による併合
902〜937、35年間 江都府 楊行密 楊溥 李昪(南唐)に禅譲
南唐 937〜975、38年間 江寧府南昌府江寧府 李昪 李煜 の侵攻
荊南 907〜963、56年間 江陵 高季興 高継沖 の侵攻
呉越 907〜978、71年間 銭塘 銭鏐 銭弘俶 に領地献上
909〜945、36年間 長楽府 王審知 王延政 南唐の侵攻
907〜951、44年間 長沙 馬殷 馬希崇 南唐の侵攻
南漢 909〜971、62年間 興王府 劉龑 劉鋹 による併合
北漢 951〜979、28年間 太原府 劉崇 劉継元 による併合
907〜924、17年間 鳳翔 李茂貞 李茂貞 後唐に領地献上
桀燕 911〜913、2年間 幽州 劉守光 劉守光 [注釈 32]の侵攻


[]

西
西西
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
960~1279 汴京

臨安

趙匡胤 趙昺 の侵攻
北宋 960〜1127、167年間[43][44] 開封 趙匡胤 趙桓 靖康の変
南宋 1127〜1276、149年間[43] 臨安 趙構 趙昺 クビライによる侵攻
907〜1125、218年間[45] 上京臨潢府 耶律阿保機 耶律阿果 金の反乱[注釈 33]
1115〜1234、119年間[注釈 34] 会寧燕京汴京 完顔阿骨打 完顔呼敦 モンゴルの侵攻
西夏 1038〜1227、189年間 興慶 李元昊 李睍 モンゴルの侵攻
モンゴル帝国 1206〜1271、65年間 カラコルム チンギス・カン[注釈 35] モンケ[注釈 36] などに分裂し緩やかな連合体に

元代[編集]

元朝の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
1271〜1368、92年間[46][47][48][49][50] 上都/大都 世祖クビライ[注釈 37] 恵宗トゴン・テムル[注釈 38] の北伐に伴う北遷

明代[編集]

1415年の。後に後金満洲地方に成立する。
明代の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
1368〜1644、276年間[50] 南京北京 朱元璋 朱由検 李自成の乱
後金 1616〜1636、20年間 ヘトゥアラ盛京 愛新覚羅弩爾哈斉[注釈 39] 愛新覚羅皇太極 に改称

清代[編集]

清代の王朝
王朝 存在年 国都 初代君主 最後の君主 滅亡原因
1636〜1912、276年間[注釈 40][51] 盛京北京 愛新覚羅皇太極 愛新覚羅溥儀 袁世凱による退位
1820

[]


便

 - 

西 - 西西

 - 

 - 

 - 


中国史の各王朝の当時の名称と該当する王朝
当時の名称 該当する王朝
夏 (三代)夏 (五胡十六国)(大夏/胡夏/劉夏)、西夏
現代では単に「夏」といった場合、三代の夏と五胡十六国の夏、特に前者をいうことが多い。
西周東周〕、北周武周後周
現代では単に「周」といった場合、西周・東周をいうことが多い。
春秋時代からの前秦後秦西秦
現代では単に「秦」といった場合、春秋時代からの秦をいうことが多い。
燕 (春秋)前燕後燕南燕北燕西燕桀燕
現代では単に「燕」といった場合、春秋時代からの燕をいうことが多い。
楚 (春秋)西楚桓楚楚 (十国)
趙 (戦国)前趙/漢趙、後趙
現代では単に「趙」といった場合、戦国時代の趙をいうことが多い。漢趙は改名前後の国名を並べたもの。
魏 (戦国)魏 (三国) (曹魏/前魏)、冉魏翟魏北魏/後魏/元魏/拓跋魏、東魏西魏
現代では単に「魏」といった場合、戦国時代の魏、または三国時代の魏(曹魏/前魏)をいうことが多い。
姜斉/呂斉、田斉南斉北斉
晋 (春秋)西晋東晋〕、前晋後唐の前身)、後晋
[要曖昧さ回避] 宋 (春秋)南朝宋/劉宋、北宋南宋
現代では単に「宋」といった場合、どの「宋」を指すかは文脈によるが、特に北宋・南宋をいうことが多い。
前漢/西漢、後漢(ごかん)/東漢〕、蜀漢/季漢、漢趙成漢後漢 (五代)(こうかん)、北漢南漢
現代では単に「漢」といった場合、前漢・後漢(ごかん)を指すことが多い。後漢(ごかん)と五代の後漢(こうかん)は別の国であり、中国では混乱を避けるため、前漢を西漢、後漢(ごかん)を東漢と呼ぶことが多い。漢趙と成漢は改名前後の国名を並べたもの。
古蜀後蜀 (五胡十六国)(譙蜀/西蜀)、前蜀後蜀 (十国)
現代では単に「蜀」といった場合、蜀漢を指すことが多いが、蜀漢の当時の国名は「漢」であった。また国名として当時「蜀」と呼ばれなかったが現在の便宜上の国名に「蜀」を含む例としては、他に成漢の成蜀/前蜀/後蜀がある。
呉 (春秋)呉 (三国)(孫呉/東呉)、呉 (十国)
現代では単に「呉」といった場合、どの「呉」を指すかは文脈によるが、特に三国時代の呉(孫呉/東呉)をいうことが多い。
前涼後涼南涼北涼西涼
梁(魏 (戦国)の大梁遷都以降の国号)、梁 (南朝)(蕭梁)、後梁 (南朝)/西梁、五代の後梁/朱梁
現代では単に「梁」といった場合、特に南朝の梁をいうことが多い。南朝の後梁と五代の後梁は別の国である。
唐 (三代) (古唐国)、/李唐、後唐南唐
現代では単に「唐」といった場合、618年李淵が建てた唐(李唐)をいうことが多い。
後金
現代では単に「金」といった場合は前者(1115年阿骨打が建てた国)をいうことが多い。

北元については、1368年によって中国領土を喪失して以降の後世の名称であり、王朝の連続性を見れば元と北元は同一の王朝である。また、南明については、1644年の明滅亡後に明の皇族たちによって華中華南に立てられた諸政権の総称であり、当時明と呼ばれて現在南明と呼ばれる一つの王朝が存在したわけではない。

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 

(二)^ 

(三)^ 

(四)^ BC1920471

(五)^ ab西29km

(六)^ [2]

(七)^ 

(八)^ 

(九)^ 

(十)^ 

(11)^ BC1046BC1027BC1127BC1018

(12)^ 771403

(13)^ BC226

(14)^ 223[15]

(15)^ abcBC453

(16)^ BC222

(17)^ 227 - 222

(18)^ BC453BC403371

(19)^ 

(20)^ 

(21)^ AD405

(22)^ 西[38]

(23)^ 禿禿禿禿 

(24)^ 

(25)^ 

(26)^ 

(27)^ 

(28)^ 

(29)^ 

(30)^ 

(31)^ 

(32)^ 

(33)^ 西

(34)^ 

(35)^ 

(36)^ 4

(37)^ 便

(38)^ 1115

(39)^ 

(40)^ 161619121368138820

出典[編集]



(一)^    2016819 P15

(二)^ 

(三)^ 

(四)^ abcdef 2019, p. 66.

(五)^  2016, p. 209,210.

(六)^  2016.

(七)^  2019, p. 103.

(八)^ abcd 2019, p. 35.

(九)^ abcdef 2019, p. 102.

(十)^ ab 2019, p. 44.

(11)^ abcdef 2019, p. 92.

(12)^ abc 2019, p. 43.

(13)^ abc 2019, p. 98.

(14)^ ab 2019, p. 101.

(15)^  2019, p. 100.

(16)^  2019, p. 40.

(17)^ abc 2019, p. 88.

(18)^  2019, p. 90.

(19)^ abc 2019, p. 45.

(20)^ abc 2019, p. 95.

(21)^  2019, p. 97.

(22)^ abcdefg 2019, p. 86.

(23)^  2019, p. 42.

(24)^ ab387使使

(25)^  2016, p. 204.

(26)^  1997, p. 49.

(27)^  1997, p. 59.

(28)^ ab

(29)^ ab 1997, p. 53.

(30)^  1997, p. 58.

(31)^ 201230 

(32)^  goo (20200423)

(33)^ abc 寿  8

(34)^ ab 2005, p. 47.

(35)^ ab20101092 

(36)^  2005, p. 58.

(37)^ abcdef 2005.

(38)^  []︿1989719329ISBN 978-4-582-80506-2 

(39)^ abc 西西2013ISBN 978-4-7629-6009-3 

(40)^ 

(41)^ ︿1998ISBN 978-4122015463 

(42)^ ; ; ; ; ;  3 - ︿1997ISBN 4634461706 

(43)^ abc︿2004ISBN 4061596799 

(44)^ 121935 

(45)^ 

(46)^   ︿2001

(47)^   ︿19965ISBN 4-06-149306-X

(48)^   ︿19966ISBN 4-06-149307-8

(49)^ 1968

(50)^ ab61974 

(51)^ ︿2002ISBN 406-1595261 

参考文献[編集]

  • 佐藤信弥『周-理想化された古代王朝』中央公論新社、2016年。 
  • 島崎晋『春秋戦国の英傑たち』双葉社、2019年。 
  • 寺田隆信『物語 中国の歴史』中央公論新社、1997年。 
  • 川本芳昭『中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』講談社〈中国の歴史05〉、2005年2月。 

関連項目[編集]