中国の歴代王朝一覧
表示
(中国歴朝から転送)
先史時代 中石器時代 新石器時代 | |||||||||||
三皇五帝 (古国時代) |
(黄河文明・ 長江文明・ 遼河文明) | ||||||||||
夏 | |||||||||||
殷 | |||||||||||
周(西周) | |||||||||||
周 (東周) |
春秋時代 | ||||||||||
戦国時代 | |||||||||||
秦 | |||||||||||
漢(前漢) | |||||||||||
新 | |||||||||||
漢(後漢) | |||||||||||
呉 (孫呉) |
漢 (蜀漢) |
魏 (曹魏) | |||||||||
晋(西晋) | |||||||||||
晋(東晋) | 十六国 | ||||||||||
宋(劉宋) | 魏(北魏) | ||||||||||
斉(南斉) | |||||||||||
梁 | 魏 (西魏) |
魏 (東魏) | |||||||||
陳 | 梁 (後梁) |
周 (北周) |
斉 (北斉) | ||||||||
隋 | |||||||||||
唐 | |||||||||||
周(武周) | |||||||||||
五代十国 | 契丹 | ||||||||||
宋 (北宋) |
夏 (西夏) |
遼 | |||||||||
宋 (南宋) |
金 | ||||||||||
元 | |||||||||||
明 | 元 (北元) | ||||||||||
明 (南明) |
順 | 後金 | |||||||||
清 | |||||||||||
中華民国 | 満洲 | ||||||||||
中華人民 共和国 |
中華 民国 (台湾) | ||||||||||
中国の王朝︵ちゅうごくのおうちょう︶は、現在の中国の地域において、天子︵皇帝︶が天の委任を受け[注釈 1]、天下︵九州︶の全部または一部を治めた朝廷︵政権︶のことである[1]。
また、夏については、実在が完全に証明されていないが、実在したと考える研究者が少なくなく、後述する徳の継承が殷・周になされている[注釈 2]ため、取り上げることにする。
中国の王朝の系統については、一般に﹁徳﹂を用いた説明がなされるため、徳についても説明する。
徳とは、儒教において君主が持つべき道徳的な能力のことであり、徳の断絶は王朝の断絶と見なされていた。そのため、王朝交代の形には禅譲と放伐の2種が存在する[注釈 3]。
●禅譲︵ぜんじょう︶とは、帝王が次代を︵徳のある︶臣下から選ぶものである。代表例として堯舜革命や夏の建国が挙げられる。
●放伐︵ほうばつ︶とは、︵徳がない︶悪政を理由に、武力行使して打倒し、帝王を名乗ることである。代表例として夏商革命や殷周革命が挙げられる。
また、魏の曹丕は後漢の献帝に禅譲させることで皇帝となった。このようなケースは現代では簒奪と呼ばれるが、以降の王朝交代にみられる形となった。
征服王朝︵せいふくおうちょう︶とは、漢族以外による支配が行われた王朝のことである。ただし、五胡十六国や魏晋南北朝時代の北朝については浸透王朝に含めるため、実質的には遼・金・元・清の4王朝のことである。カール・ウィットフォーゲルと中国科学院考古研究所の馮家昇との共著である﹃中国社会史・遼﹄により初めて言及がなされた。
三代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
夏 | BC1920〜BC1449、471年間[注釈 4] | 崇→陽城→斟鄩[注釈 5]→帝丘→綸→夏邑→原→老丘→西河→斟鄩[注釈 5][注釈 6] | 姒文命[注釈 7] | 夏后履癸 | 鳴条の戦いで交代 |
殷(商) | BC1449〜BC1046、403年間[3] | 亳[注釈 8]→隞[注釈 9]→相→庇→邢→奄→商[注釈 10]→朝歌 | 子履 | 子受(帝辛) | 牧野の戦いで交代 |
西周 | BC1046〜BC771、275年間[注釈 11] | 豊京・鎬京 | 姫発 | 姫宮涅 | 申侯の乱(のちに平王が東遷し、周を復活させる) |
-
夏の勢力図
-
殷の勢力図
-
周の勢力図
春秋戦国時代[編集]
秦代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
秦 | BC221[26]〜BC206[27]、15年間[28] | 咸陽 | 始皇帝[29] 趙政(嬴政[注釈 19]) | 秦王 趙子嬰[29] | 劉邦の咸陽入城[30] |
-
秦の統一戦争の過程
-
秦朝統一時の勢力図
-
秦朝の最大勢力図
漢代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
前漢(西漢) | BC206〜AD8、214年間[28] | 長安 | 劉邦 | 劉衎[注釈 20] | 王莽による簒奪 |
新 | AD8〜AD23、15年間[31] | 常安 | 王莽 | 王莽 | 昆陽の戦い |
後漢(東漢) | AD23〜AD220、197年間[32] | 洛陽→長安→許昌 | 劉秀 | 劉協 | 曹魏の曹丕に禅譲 |
-
前漢の勢力図
-
後漢の勢力図(AD191)
三国時代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
魏(曹魏) | 220〜265、45年間[33] | 洛陽 | 曹丕 | 曹奐 | 西晋の司馬炎に禅譲[34][35] |
呉(孫呉、東呉) | 222〜280、58年間[33] | 建業 | 孫権 | 孫晧 | 呉の滅亡(西晋によって滅亡) |
蜀(漢、蜀漢) | 221〜263、42年間[33] | 成都 | 劉備 | 劉禅 | 蜀漢の滅亡(魏によって滅亡) |
晋代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
西晋 | 265〜316、51年間[34][35][36] | 洛陽 | 司馬炎 | 司馬鄴 | 永嘉の乱と漢(後の前趙)によって滅亡 |
東晋 | 317〜420、103年間[37] | 建康 | 司馬睿 | 司馬徳文 | 禅譲により南朝宋へ |
桓楚 | 403〜404、1年間[注釈 21] | 洛陽 | 桓玄 | 桓石綏 | 劉裕の東晋復興クーデター |
五胡十六国時代[編集]
詳細は「五胡十六国時代」を参照
王朝 | 初代君主 | 最後の君主 | 存在年 | 首都 | 民族 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|---|
前涼 | 張軌 | 張天錫 | 301〜376 | 姑臧 | 漢族 | 前秦による滅亡 |
前趙 | 劉淵 | 劉煕 | 304〜329 | 左国城→離石→黎亭→蒲子→平陽→長安 | 匈奴 | 後趙による滅亡 |
成漢 | 李特 | 李勢 | 304〜347 | 成都 | 巴賨(氐) | 東晋の成都攻略 |
後趙 | 石勒 | 石祗 | 319〜351 | 襄国→鄴 | 羯 | 冉魏の成立 |
前燕 | 慕容皝 | 慕容暐 | 337〜370 | 棘城→龍城→薊→鄴 | 鮮卑 | 前秦との約束反故による侵攻 |
前秦 | 苻健 | 苻崇 | 351〜394 | 長安→晋陽→南安→胡空堡→湟中 | 氐 | 淝水の戦いの敗戦を一因とする分裂、西秦の成立 |
後燕 | 慕容垂 | 慕容熙 | 384〜409 | 中山→龍城 | 鮮卑 | 馮跋のクーデターによる北燕成立 |
後秦 | 姚萇 | 姚泓 | 384〜417 | 長安 | 羌 | 東晋の侵攻 |
西秦 | 乞伏国仁 乞伏乾帰 |
乞伏乾帰 乞伏暮末 |
385〜400 409〜431 |
①勇士城→金城→西城→苑川 ②度堅山→苑川→譚郊→枹罕→定連→南安 |
鮮卑 | ①後秦に降伏・臣従 ②夏に降伏、その後の一族殲滅 |
後涼 | 呂光 | 呂隆 | 386〜403 | 姑臧 | 氐 | 後秦による属国化、臣従 |
南涼 | 禿髪烏孤 | 禿髪傉檀 | 397〜414 | 廉川堡→楽都→西平→楽都→姑臧→楽都 | 鮮卑 | 西秦に降伏[注釈 23] |
北涼 | 沮渠蒙遜 | 沮渠牧犍 | 397〜439 | 楽涫→張掖→姑臧 | 盧水胡(匈奴) | 北魏に降伏[注釈 24] |
南燕 | 慕容徳 | 慕容超 | 398〜410 | 滑台→広固 | 鮮卑 | 東晋の反撃により滅亡 |
西涼 | 李暠 | 李恂 | 400〜421 | 敦煌→酒泉→敦煌 | 漢族 | 北涼の計略による北涼侵攻戦で大敗 |
夏(胡夏) | 赫連勃勃 | 赫連定 | 407〜431 | 統万城→上邽→平涼 | 匈奴 | 北涼への遠征の途中で吐谷渾の襲撃 |
北燕 | 馮跋 | 馮弘 | 409〜436 | 龍城 | 漢族 | 北魏の侵攻、亡命先の高句麗での殺害 |
南北朝時代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
北魏 | 386〜534、148年間 | 盛楽→平城→洛陽 | 拓跋珪 | 元脩[注釈 25] | 東西分裂[39] |
西魏 | 535〜556、21年間[39] | 長安 | 元宝炬 | 拓跋廓[注釈 26] | 禅譲により北周へ |
東魏 | 534〜550、14年間[39] | 鄴 | 元善見 | 元善見 | 禅譲により北斉へ |
北周 | 556〜581、25年間 | 長安 | 宇文覚 | 宇文闡 | 禅譲により隋へ |
北斉 | 550〜577、27年間 | 鄴 | 高洋 | 高恒 | 北周が滅ぼす |
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
宋(劉宋) | 420〜479、59年間[37] | 建康 | 劉裕 | 劉準 | 禅譲により斉へ |
斉(南斉) | 479〜502、23年間[37] | 建康 | 蕭道成 | 蕭宝融 | 禅譲により梁へ |
梁 | 502〜557、55年間[37] | 建康 | 蕭衍[注釈 27] | 蕭方智 | 陳による滅亡 |
後梁(西梁) | 554〜587、33年間 | 江陵 | 蕭詧 | 蕭琮 | 隋の侵攻 |
陳 | 557〜589、32年間[37] | 建康 | 陳霸先 | 陳叔宝 | 隋の侵攻 |
隋代[編集]
隋代と唐代の間については隋末唐初を参照
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
隋 | 581〜618、37年間[37][40] | 大興城 | 楊堅 | 楊侑 | 唐に禅譲 |
-
隋の領域図
唐代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
唐 | 618〜690 705〜907、289年間[41] |
長安 | 李淵 李顕 |
李顕 李柷 |
武則天による廃位、武周建国 朱全忠による簒奪、後梁建国 |
武周 | 690〜705、15年間[注釈 28] | 長安 | 武則天 | 武則天 | 家臣の退位進言、李顕の復位 |
五代十国時代[編集]
詳細は「五代十国時代」を参照
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
後梁 | 907〜923、16年間[42] | 開封[注釈 29] | 朱全忠 | 朱友貞 | 後唐の成立 |
後唐 | 923〜936、13年間 | 洛陽 | 李存勗 | 李従珂 | 後晋建国・契丹(後の遼)軍の侵入 |
後晋 | 937〜946、9年間 | 開封 | 石敬瑭 | 石重貴 | 契丹軍の侵入[注釈 30] |
後漢 | 946〜950、4年間 | 開封 | 劉知遠 | 劉承祐 | 後周の成立 |
後周 | 951〜960、9年間[43] | 開封 | 郭威 | 柴宗訓[注釈 31] | 北宋の成立(趙匡胤への禅譲) |
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
前蜀 | 907〜925、18年間 | 成都 | 王建 | 王衍 | 後唐による侵攻 |
後蜀 | 934〜965、31年間 | 成都 | 孟知祥 | 孟昶 | 宋による併合 |
呉 | 902〜937、35年間 | 江都府 | 楊行密 | 楊溥 | 李昪(南唐)に禅譲 |
南唐 | 937〜975、38年間 | 江寧府→南昌府→江寧府 | 李昪 | 李煜 | 宋の侵攻 |
荊南 | 907〜963、56年間 | 江陵 | 高季興 | 高継沖 | 宋の侵攻 |
呉越 | 907〜978、71年間 | 銭塘 | 銭鏐 | 銭弘俶 | 宋に領地献上 |
閩 | 909〜945、36年間 | 長楽府 | 王審知 | 王延政 | 南唐の侵攻 |
楚 | 907〜951、44年間 | 長沙 | 馬殷 | 馬希崇 | 南唐の侵攻 |
南漢 | 909〜971、62年間 | 興王府 | 劉龑 | 劉鋹 | 宋による併合 |
北漢 | 951〜979、28年間 | 太原府 | 劉崇 | 劉継元 | 宋による併合 |
岐 | 907〜924、17年間 | 鳳翔 | 李茂貞 | 李茂貞 | 後唐に領地献上 |
桀燕 | 911〜913、2年間 | 幽州 | 劉守光 | 劉守光 | 晋[注釈 32]の侵攻 |
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
宋 | 960~1279 | 汴京→ | 趙匡胤 | 趙昺 | 元の侵攻 |
北宋 | 960〜1127、167年間[43][44] | 開封 | 趙匡胤 | 趙桓 | 靖康の変 |
南宋 | 1127〜1276、149年間[43] | 臨安 | 趙構 | 趙昺 | クビライによる侵攻 |
遼 | 907〜1125、218年間[45] | 上京臨潢府 | 耶律阿保機 | 耶律阿果 | 金の反乱[注釈 33] |
金 | 1115〜1234、119年間[注釈 34] | 会寧→燕京→汴京 | 完顔阿骨打 | 完顔呼敦 | モンゴルの侵攻 |
西夏 | 1038〜1227、189年間 | 興慶 | 李元昊 | 李睍 | モンゴルの侵攻 |
モンゴル帝国 | 1206〜1271、65年間 | カラコルム | チンギス・カン[注釈 35] | モンケ[注釈 36] | 元などに分裂し緩やかな連合体に |
元代[編集]
元末の諸勢力については元末明初を参照
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
元 | 1271〜1368、92年間[46][47][48][49][50] | 上都/大都 | 世祖クビライ[注釈 37] | 恵宗トゴン・テムル[注釈 38] | 明の北伐に伴う北遷 |
-
1345年の元
明代[編集]
明・清の間の混乱については明清交替を参照
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
明 | 1368〜1644、276年間[50] | 南京→北京 | 朱元璋 | 朱由検 | 李自成の乱 |
後金 | 1616〜1636、20年間 | ヘトゥアラ→盛京 | 愛新覚羅弩爾哈斉[注釈 39] | 愛新覚羅皇太極 | 清に改称 |
清代[編集]
王朝 | 存在年 | 国都 | 初代君主 | 最後の君主 | 滅亡原因 |
---|---|---|---|---|---|
清 | 1636〜1912、276年間[注釈 40][51] | 盛京→北京 | 愛新覚羅皇太極 | 愛新覚羅溥儀 | 袁世凱による退位 |
同名の王朝について[編集]
中国の王朝には、当時同じ名前で呼ばれていた王朝が複数ある例が多く、後世それぞれを区別するために、便宜上修飾語を付していることが多い。その修飾語には次のようなパターンがある。 ●存在した時期の前後から﹁前﹂﹁後﹂ - 例‥前漢、前秦、前蜀、後漢、後梁、後金 ●方角から﹁東﹂﹁西﹂﹁南﹂﹁北﹂ - 例‥東周、東晋、南唐、南宋、西周、西晋、北魏、北宋 ●建国した皇帝または王の姓 - 田斉、曹魏、冉魏、桓楚、武周、桀燕 ●途中で改名した場合、改名前後の国名を並べる - 成漢、漢趙 ●その他 - 蜀漢、胡夏 次に中国史の各王朝の当時の名称と該当する王朝の一覧表を示すが、この一覧では、隋末唐初や元末明初などの短い混乱期の短命に終わった独立勢力など、あまりにもマイナーなものは省略する。当時の名称 | 該当する王朝 |
---|---|
夏 | 夏 (三代)、夏 (五胡十六国)(大夏/胡夏/劉夏)、西夏 現代では単に「夏」といった場合、三代の夏と五胡十六国の夏、特に前者をいうことが多い。 |
周 | 周〔西周、東周〕、北周、武周、後周 現代では単に「周」といった場合、西周・東周をいうことが多い。 |
秦 | 春秋時代からの秦、前秦、後秦、西秦 現代では単に「秦」といった場合、春秋時代からの秦をいうことが多い。 |
燕 | 燕 (春秋)、前燕、後燕、南燕、北燕、西燕、桀燕 現代では単に「燕」といった場合、春秋時代からの燕をいうことが多い。 |
楚 | 楚 (春秋)、西楚、桓楚、楚 (十国) |
趙 | 趙 (戦国)、前趙/漢趙、後趙 現代では単に「趙」といった場合、戦国時代の趙をいうことが多い。漢趙は改名前後の国名を並べたもの。 |
魏 | 魏 (戦国)、魏 (三国) (曹魏/前魏)、冉魏、翟魏、北魏/後魏/元魏/拓跋魏、東魏、西魏 現代では単に「魏」といった場合、戦国時代の魏、または三国時代の魏(曹魏/前魏)をいうことが多い。 |
斉 | 姜斉/呂斉、田斉、南斉、北斉 |
晋 | 晋 (春秋)、晋〔西晋、東晋〕、前晋(後唐の前身)、後晋 |
宋[要曖昧さ回避] | 宋 (春秋)、南朝宋/劉宋、宋〔北宋、南宋〕 現代では単に「宋」といった場合、どの「宋」を指すかは文脈によるが、特に北宋・南宋をいうことが多い。 |
漢 | 漢〔前漢/西漢、後漢(ごかん)/東漢〕、蜀漢/季漢、漢趙、成漢、後漢 (五代)(こうかん)、北漢、南漢 現代では単に「漢」といった場合、前漢・後漢(ごかん)を指すことが多い。後漢(ごかん)と五代の後漢(こうかん)は別の国であり、中国では混乱を避けるため、前漢を西漢、後漢(ごかん)を東漢と呼ぶことが多い。漢趙と成漢は改名前後の国名を並べたもの。 |
蜀 | 古蜀、後蜀 (五胡十六国)(譙蜀/西蜀)、前蜀、後蜀 (十国) 現代では単に「蜀」といった場合、蜀漢を指すことが多いが、蜀漢の当時の国名は「漢」であった。また国名として当時「蜀」と呼ばれなかったが現在の便宜上の国名に「蜀」を含む例としては、他に成漢の成蜀/前蜀/後蜀がある。 |
呉 | 呉 (春秋)、呉 (三国)(孫呉/東呉)、呉 (十国) 現代では単に「呉」といった場合、どの「呉」を指すかは文脈によるが、特に三国時代の呉(孫呉/東呉)をいうことが多い。 |
涼 | 前涼、後涼、南涼、北涼、西涼 |
梁 | 梁(魏 (戦国)の大梁遷都以降の国号)、梁 (南朝)(蕭梁)、後梁 (南朝)/西梁、五代の後梁/朱梁 現代では単に「梁」といった場合、特に南朝の梁をいうことが多い。南朝の後梁と五代の後梁は別の国である。 |
唐 | 唐 (三代) (古唐国)、唐/李唐、後唐、南唐 現代では単に「唐」といった場合、618年に李淵が建てた唐(李唐)をいうことが多い。 |
金 | 金、後金 現代では単に「金」といった場合は前者(1115年に阿骨打が建てた国)をいうことが多い。 |
北元については、1368年に元が明によって中国領土を喪失して以降の後世の名称であり、王朝の連続性を見れば元と北元は同一の王朝である。また、南明については、1644年の明滅亡後に明の皇族たちによって華中・華南に立てられた諸政権の総称であり、当時明と呼ばれて現在南明と呼ばれる一つの王朝が存在したわけではない。
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 実際に﹁天﹂は存在せず、王朝による自称であったことに留意。また﹁皇帝﹂といっても、先秦時代においては帝号ではなく王号を用いたため﹁王﹂となる。
(二)^ 代表例がこの箱である。他にも正統王朝には九鼎などの宝物・祭祀具が受け継がれていた。特に九鼎は秦朝において伝国璽となり、以降の中国の正統王朝では伝国璽やその模造品︵途中で紛失した為︶を受け継いだ。
(三)^ しかし、東周を秦が滅ぼしたケース︵放伐とは言い難い︶など、幾つか例外も存在する。
(四)^ 夏商交代については、夏王朝の建国をBC1920年として逆算した。また、471年間という数字は史書に因った。
(五)^ ab河南省洛陽市偃師区の二里頭遺跡とする説と、河南省鄭州市鞏義市から南西へ29km先とする説とがある。
(六)^ 二里頭遺跡が都の遺跡とも[2]。
(七)^ 後に夏后に改姓。
(八)^ 郼薄︵郼亳︶ともいう。古代中国の言葉の一つである通假字では、薄を意味する。また、河南省洛陽市偃師区とする説、河南省鄭州市にある鄭州商城遺跡とする説とがある。
(九)^ 囂とも。河南省鄭州市滎陽市の北東にある敖山︵広武山︶とする説、河南省鄭州市にある鄭州商城遺跡とする説がある。
(十)^ 商という字の意味について、殷の遺民が流浪の身となり、商業で身を立てたことにあるとする説があるが、これは白川静により否定されている。
(11)^ 殷滅亡を夏商周年表プロジェクトによりBC1046としたが、竹書紀年ではBC1027など、実際はBC1127〜BC1018の間とするのが正しいとされる。
(12)^ 周が申国・犬戎に滅ぼされた紀元前771年から、晋の分裂の紀元前403年までを春秋時代、以降を戦国時代と呼ぶ。両時代の違いは主に、春秋時代は周が重んじられていた︵尊王攘夷︶のに対し、戦国時代は周が軽んじられていた︵王号自称︶ことなどが挙げられる。
(13)^ BC226とも
(14)^ 昌平君︵紀元前223年︶とも[15]
(15)^ abcBC453〜とも
(16)^ 燕と結んだ残党が滅んだBC222とも
(17)^ 代王︵紀元前227年 - 紀元前222年︶とも
(18)^ 分裂はBC453だが、魏趙韓の三晋が諸侯国として認められたのはBC403である。また、晋は紀元前371年まで命脈を保った。
(19)^ 漫画等では始皇帝が﹁嬴政﹂と呼ばれることがあるが、当時姓は女性、氏は男性が名乗るものであり、彼は男性であったため、﹁嬴政﹂ではなく﹁趙政﹂が正しい呼び名だったと考えられる︵秦王家は嬴姓趙氏︶。また、始皇帝というのは後世の呼び名で、在位中は単に皇帝と呼ばれたとされる。
(20)^ 最後の皇太子は劉嬰
(21)^ 乱はAD405まで続いた。
(22)^ 冉魏、代、西燕、翟魏、譙蜀は十六国としてカウントされない[38]。
(23)^ 禿髪傉檀の子である禿髪破羌が北魏に降った時に与えられた﹁源氏﹂は、﹁源を同じにする﹂という事から、日本の皇別氏族・源氏の氏族名の由来となった。また、禿髪烏孤の子にあたる禿髪樊尼が滅亡後にチベットへ逃れ、吐蕃を建国したという伝説もある。
(24)^ 滅亡後、沮渠牧犍の弟にあたる沮渠無諱と沮渠安周は高昌国︵高昌北涼︶を建てた。
(25)^ 国姓が違うのは、拓跋宏︵孝文帝︶の漢化政策の一環で、拓跋姓が元姓に改められたからである。
(26)^ 元廓であったが、拓跋に復姓した。
(27)^ 国姓が変わらなかったのは、南朝斉に対して帝室支族が反乱を起こしたため。
(28)^ 通例ではこれは唐代に含むが、王朝の定義を満たしているため、記載する。
(29)^ 汴州との記述あり
(30)^ この時、秦朝以来の中華王朝の象徴である伝国璽が混乱の中で失われてしまったという。
(31)^ 反乱以前に劉承祐により郭威の一族が皆殺しに遭ったため、亡妻の甥にあたる柴栄が養子として即位。以後、国姓は柴である。
(32)^ 後唐の前身、李存勗の軍閥
(33)^ 耶律大石は逃れて西遼建国。
(34)^ ﹃靖康稗史箋證﹄に靖康の変についての記述がある。
(35)^ 本名はテムジン。﹁チンギス・カン﹂は即位後の称号。
(36)^ 分裂前までの君主︵4代カアン︶。分裂以降の連合体もモンゴル帝国と呼ぶ場合がある。北元までをモンゴル帝国とする場合は、林丹汗︵虎墩兔︶となる。
(37)^ モンゴル皇帝としての称号はセチェン・カアン。本名の漢字表記は忽必烈。モンゴル皇帝には姓がないが、出身氏族のキヤト氏︵奇渥温︶が便宜上国姓とされることもある。
(38)^ 元の11代皇帝であるが、ハーンとしては15代目。モンゴル皇帝としての称号はウカアト・カアン。また、本名の漢字表記は妥懽帖睦爾。
(39)^ 表記揺れ有
(40)^ 後金時代を含めると1616〜1912。また北元︵1368〜1388、20年間︶の後継国家とされ、遊牧民に対しては唐同様、可汗︵カアン、ハーン︶の称号を用いた。
出典[編集]
(一)^ 天下と天朝の中国史 檀上寛 岩波新書 2016年8月19日 P1〜5
(二)^ 世界史の窓
(三)^ 夏商周断代工程的主要成就
(四)^ abcdef島崎 2019, p. 66.
(五)^ 佐藤 2016, p. 209,210.
(六)^ 佐藤 2016.
(七)^ 島崎 2019, p. 103.
(八)^ abcd島崎 2019, p. 35.
(九)^ abcdef島崎 2019, p. 102.
(十)^ ab島崎 2019, p. 44.
(11)^ abcdef島崎 2019, p. 92.
(12)^ abc島崎 2019, p. 43.
(13)^ abc島崎 2019, p. 98.
(14)^ ab島崎 2019, p. 101.
(15)^ 島崎 2019, p. 100.
(16)^ 島崎 2019, p. 40.
(17)^ abc島崎 2019, p. 88.
(18)^ 島崎 2019, p. 90.
(19)^ abc島崎 2019, p. 45.
(20)^ abc島崎 2019, p. 95.
(21)^ 島崎 2019, p. 97.
(22)^ abcdefg島崎 2019, p. 86.
(23)^ 島崎 2019, p. 42.
(24)^ ab︽史記・巻四十六・田敬仲完世家第十六︾‥康公貸立十四年,太公遷康公于海上。明年,魯敗斉平陸。三年︵康公十八年、紀元前387年︶,太公与魏文侯会濁澤,求為諸侯。魏文侯乃使使言周天子及諸侯,請立斉相田和為諸侯。周天子許之。康公之十九年,田和立為斉侯,列于周室,紀元年。
(25)^ 佐藤 2016, p. 204.
(26)^ 寺田 1997, p. 49.
(27)^ 寺田 1997, p. 59.
(28)^ ab﹃史記﹄高祖本紀
(29)^ ab寺田 1997, p. 53.
(30)^ 寺田 1997, p. 58.
(31)^ 渡邉義浩監修﹃中国王朝四〇〇〇年史﹄新人物往来社、2012年、30頁。
(32)^ 後漢の意味 goo国語辞書 (2020年04月23日閲覧)
(33)^ abc﹁正史 三国志﹂︵陳寿、裴松之 注、井波律子・今鷹真・小南一郎 訳、ちくま学芸文庫全8巻︶
(34)^ ab川本 2005, p. 47.
(35)^ ab山本英史﹃中国の歴史﹄河出書房新社、2010年10月、92頁。
(36)^ 川本 2005, p. 58.
(37)^ abcdef川本 2005.
(38)^
岡崎文夫﹃魏晋南北朝通史内編﹄安田二郎[解説]、平凡社︿東洋文庫﹀、1989年7月︵原著1932年9月︶。ISBN 978-4-582-80506-2。
(39)^ abc前島佳孝﹁第二部第六章 東魏・北斉等の情勢と西魏の南進戦略総括﹂﹃西魏・北周政権史の研究﹄汲古書院、2013年。ISBN 978-4-7629-6009-3。
(40)^ ﹃隋書﹄
(41)^ 宮崎市定﹃大唐帝国―中国の中世﹄︿中公文庫﹀1998年。ISBN 978-4122015463。
(42)^ 梅原郁; 斯波義信; 溝口雄三; 森田憲司; 愛宕元; 杉山正明 編﹃中国史3五代 - 元﹄山川出版社︿世界歴史大系﹀、1997年。ISBN 4634461706。
(43)^ abc周藤吉之、中島敏﹃五代と宋の興亡﹄︿講談社学術文庫﹀2004年。ISBN 4061596799。
(44)^ 宮崎市定﹁北宋史概説﹂﹃世界文化史体系12宋元時代﹄誠文堂新光社、1935年。
(45)^ ﹃遼史﹄
(46)^ 岡田英弘 ﹃モンゴル帝国の興亡﹄ 筑摩書房︿ちくま新書﹀2001年
(47)^ 杉山正明 ﹃モンゴル帝国の興亡︵上︶軍事拡大の時代﹄ 講談社︿講談社現代新書﹀1996年5月、ISBN 4-06-149306-X。
(48)^ 杉山正明 ﹃モンゴル帝国の興亡︵下︶世界経営の時代﹄ 講談社︿講談社現代新書﹀1996年6月、ISBN 4-06-149307-8。
(49)^ 愛宕松男﹃アジアの征服王朝﹄河出書房、1968年。
(50)^ ab愛宕松男、寺田隆信﹃中国の歴史6元・明﹄講談社、1974年。
(51)^ 増井経夫﹃大清帝国﹄︿講談社学術文庫﹀2002年。ISBN 406-1595261。
参考文献[編集]
- 佐藤信弥『周-理想化された古代王朝』中央公論新社、2016年。
- 島崎晋『春秋戦国の英傑たち』双葉社、2019年。
- 寺田隆信『物語 中国の歴史』中央公論新社、1997年。
- 川本芳昭『中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝』講談社〈中国の歴史05〉、2005年2月。