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横須賀海軍施設ドック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1874年の完成当時の原形をほぼとどめている現役ドライドックである、横須賀海軍施設3号ドック。
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使6141871使6151940使

6西西66西

[]


西西1865318671[1]

14187132132[2]

381905455513192443192841929[3]

91934退111936退1019356111936161519406使418194319194416[4]

1622194761[5]

[]

[]


6185371854618539[6][7]

西[8]

1860[9]

218551861[10]

21862[11]

28211862914[12]

[]

1983
  

18643221864427使姿8[13]

2[14]

11318641213511101864128[15]

1126186412241221864123021865[ 1][16]

1281865153[17]

218651272212918652252241865312231218654723.76[18]

18652使[19]18658使使[20]

[21][22]

[23]

1[]

[]


27姿[24]

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1232345[26]1187710[27]

[28]

3186745使[29]

1[]

1
1871使1

使3186731[30]31014186711931291868134411868522[31]

1L.F.[ 2][32]11159124[33]2[34][35]

1使183701使[36]1調西[37]11867311[38]

1使[39]20131調10[40]

1使35600045[41][39][42]

[43]29568[44]

141871142818713271[34]1[ 3]113[45]1便[46][ 4]

1[47][48]1使1[49]

12[41]

3[]

19831231233
  

14187153[ 5][50][ 6]1341871[51]

233[52]3193[53]21332[54]

31西232312232使33[55]211332[56]

31L.F.L.F.V.C.V.C.331[57]3718741[50]

V.C.112187913132132[58]

311使3[59]1[60]190311[61]

3123[62]

223[63]
3

3[64][65][66][67]
1

19[64]1101935111936371874姿[68]

3223161941[69]

2[]

2

381875退918763[70]81875[71]

111878132[72]

2111878512131881512[73]

2132[74]2[75]

21318807[ 7]457000[76]

132[77]

13[78]8187523[79]

2171884721[80]2156.5[81]

233[62]21078[82]

2260-70222[83]22[84]3018972使156.5使[85]

2018871123[86]

4[]

4

21718841219188642218895[87]30189736190311[88]

431189810341901311443819059[89]

4319284192940.6141819431919441720054調13西[90]

4使413200156使152003使[91]

5[]

5
19834545
  

381905511391906411908[92]

381905444191175545[93]

5545519163[94]

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6

101921651930[98]4319284192940.6[99]

9193412退111936115退121937[100]650004便101935766[101]

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1720056調6[104]61205[105]

13193820214193960使46[106]

空母信濃の建造[編集]

6号ドックで建造された空母信濃、竣工後わずか10日で米潜水艦の攻撃を受け沈没した。

615194054[107]641002666[108]

16194112866[109]

17194231919441119[110]

1919441129[110]

[]


201945830150[111][112][113]221947427SRF[114]

271952428[115]西[116]

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4819731031991101998[118]20200827(2015)

6132001152003456使[119]SRF[120]使

[]


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[124] 41871351872[125]

18673711871451881141[126]

[]


1236019856219874562009

19983
1号ドック(北緯35度17分6.98秒 東経139度39分42.08秒 / 北緯35.2852722度 東経139.6616889度 / 35.2852722; 139.6616889 (1号ドック) 2号ドック(北緯35度17分8.57秒 東経139度39分40.56秒 / 北緯35.2857139度 東経139.6612667度 / 35.2857139; 139.6612667 (2号ドック) 3号ドック(北緯35度17分8.66秒 東経139度39分37.66秒 / 北緯35.2857389度 東経139.6604611度 / 35.2857389; 139.6604611 (3号ドック)
主体構造 石造(1936年の延長工事部分は
コンクリート造)[127]
石造[128] 石造[129]
起工 慶応3年(1867年)3月[127] 明治13年(1880年)7月[128] 明治4年(1871年)6月[129]
竣工 明治4年(1871年)1月[127] 明治17年(1884年)6月[128] 明治7年(1874年)1月[129]
設計者 ヴェルニー、L.F.フロラン[130] ジュエット[128] ヴェルニー、L.F.フロラン[130]
施工管理 恒川柳作[130]
全長 137.502 m[127] 150.803 m[128] 96.008 m[129]
28.674 m[127] 31.768 m[128] 18.145 m[129]
深さ (ドック入口から200ft地点)
9.091 m[127]
(ドック入口から200ft地点)
11.415 m[128]
(ドック入口から100ft地点)
7.474 m[129]
延長工事 昭和10年(1935年)6月~昭和11年(1936年)10月。全長が約14.5m延長された[131]
入渠可能艦船 青島厳島 (敷設艦)満州[132] 迅鯨洲埼夕張[133] 厳島 (防護巡洋艦)勝力松江[134]
4号ドック(北緯35度17分21.13秒 東経139度39分36.66秒 / 北緯35.2892028度 東経139.6601833度 / 35.2892028; 139.6601833 (4号ドック) 5号ドック(北緯35度17分24.08秒 東経139度39分36.14秒 / 北緯35.2900222度 東経139.6600389度 / 35.2900222; 139.6600389 (5号ドック) 6号ドック(北緯35度17分43.69秒 東経139度39分57.15秒 / 北緯35.2954694度 東経139.6658750度 / 35.2954694; 139.6658750 (6号ドック)
主体構造 コンクリート造、石造[99] コンクリート造、石造[94] 鉄筋コンクリート造と考えられる[135]
起工 明治34年(1901年)11月[99] 明治44年(1911年)7月[94] 昭和10年(1935年)7月[135]
竣工 明治38年(1905年)9月[99] 大正5年(1916年)3月[94] 昭和15年(1940年)5月[135]
設計者 石黒五十二[136] 吉田直[135]
施工管理 井上親雄[99] 澄田勘作[94]
全長 240.49 m[94] 323.7 m[135] 365.80 m[135]
38.1 m[94] 49.99 m[135] 67.50 m[135]
深さ 13.41 m[94] 15.24 m[135] 17.00 m[135]
延長工事 昭和3年(1928年)5月~昭和4年(1929年)5月。全長が40.60m延長された[99] 大正13年(1924年)10月完成。全長が約70m延長された[94]
再延長工事 昭和18年(1943年)4月~昭和19年(1944年)3月。全長が約27 m延長された[137]
入渠可能艦船 大鯨高雄[138] 赤城扶桑長門[139] 信濃[138]

[注釈 9]

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 1992200019882011

(二)^ 1西2006L.F.1L.F.20091L.F.

(三)^ 1988110193511193615

(四)^ 1988192

(五)^ 200923

(六)^ 1988453418715

(七)^ 199521118786

(八)^ 1996619652009

(九)^ 2009156156

出典[編集]

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参考文献[編集]

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  • 梅林宏道「在日米軍」岩波書店、2002年 ISBN 4-00-430783-X
  • 大林組プロジェクトチーム「季刊大林NO.47」『日本最古のドライドックを擁する横須賀造船所、考察と想定復元』株式会社大林組、2000年
  • 蟹江康光「横須賀市博物館研究報告(自然科学)第63号」『横須賀軍港地域(横須賀市楠ヶ浦町・泊町、稲岡町)の地質およびナウマンゾウの化石産地』横須賀市自然・人文博物館、2016年
  • 菊池勝広「横須賀市博物館研究報告(人文科学)第54号」『慶応元年柴田日向守一行のフランス軍港視察と横須賀製鉄所の建設事業について-横須賀製鉄所におけるフランス系技術の導入に関する研究(その1)』横須賀市自然・人文博物館、2009年
  • 菊池勝広「横須賀市博物館研究報告(人文科学)第55号」『1873年刊行フランス海事雑誌にみる横須賀製鉄所の建築技術-横須賀製鉄所におけるフランス系技術の導入に関する研究(その2)』横須賀市自然・人文博物館、2010年
  • 栗田尚弥「米軍基地と神奈川」有隣堂、2011年 ISBN 978-4-89660-210-4
    • 高村聡史「横須賀とSRF」
  • 駒崎博美「港湾荷役第52巻第2号」『わが国の歴史的クレーン(その5) 世界最大の空母信濃を建造したクレーン群』社団法人港湾荷役機械システム協会、2006年
  • 竹中祐典「横須賀市博物館研究報告(人文科学)第53号」『横須賀製鉄所の創設-その建設にかかわった在日フランス人たち-』横須賀市自然・人文博物館、2008年
  • 寺谷武明「近代日本の造船と海軍」成山堂書店、1996年 ISBN 4-425-30131-5
  • 東京大学生産技術研究所「横須賀市文化財調査報告書第17集」『米海軍横須賀基地内洋風建造物調査報告書』横須賀市教育委員会、1988年
  • 土木学会「日本土木史 大正元年-昭和15年」土木学会、1965年
  • 日本土木会「明治工業史土木編」原書房、1995年(原著は1929年刊) ISBN 4-562-02630-8
  • 西澤泰彦「土木史研究第19号」 『明治時代に建設された日本のドライドックに関する研究』土木学会土木史研究委員会、1999年
  • 西澤泰彦「未来につなぐ人類の技5・大型構造物の保存と修復」 『近代化遺産としてのドライドック』独立行政法人文化財研究所東京文化財研究所、2006年
  • 藤井幸泰、正垣孝晴、宮川真国、渡邉邦夫「地盤工学ジャーナル10(4)」『写真測量による旧横須賀製鉄所第1号ドライドックの記録と石材表面侵食量の測定』公益社団法人地盤工学会、2015年
  • 藤本博、島川雅史『アメリカの戦争と在日米軍』社会評論社、2003年 ISBN 4-7845-1430-9
    • 藤本博「ヴェトナム戦争と在日米軍・米軍基地」
  • 村松貞次郎「新建築技術叢書8 日本近代建築技術史」彰国社、1976年
  • 安池尋幸「横須賀市博物館資料集第18号」『石井頴一郎氏寄贈近代造船所建設図面資料目録』横須賀市自然・人文博物館、1992年
  • 安池尋幸「横須賀市博物館研究報告(人文科学)第54号」『造船所をめぐる幕末の日米外交関係素描-万延元年遣米使節から横須賀製鉄所起工へ』横須賀市自然・人文博物館、2009年
  • 横須賀海軍工廠「横須賀海軍工廠史2」原書房、1983年(原著は1935年刊、横須賀海軍工廠史第五巻)
  • 横須賀海軍工廠「横須賀海軍工廠史3」原書房、1983年(原著は1935年刊、横須賀海軍工廠史第六巻)
  • 横須賀海軍工廠「横須賀海軍工廠史4」原書房、1983年(原著は1935年刊、横須賀海軍工廠史第七巻)
  • 横須賀海軍工廠会「横須賀海軍工廠史第8巻」横須賀海軍工廠会、1998年
  • 横須賀市「横須賀市史」横須賀市、1988年
  • 横須賀市『新横須賀市史、別編文化遺産』、横須賀市、2009年
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  • 横須賀市教育委員会『旧横須賀海軍工廠200トンクレーン調査報告書』横須賀市教育委員会、2004年
  • 横須賀市教育委員会「横須賀市文化財調査報告書第44集」 『近代遺跡・近代化遺産調査概報集I』横須賀市教育委員会、2007年
  • 横須賀市教育委員会「横須賀市文化財調査報告書第45集」 『近代化遺産・近代遺跡調査概報集II』横須賀市教育委員会、2008年
  • 横須賀市自然・人文博物館「横須賀製鉄所(造船所)創設150周年記念展 すべては製鉄所から始まった-Made in Japanの原点-」横須賀市自然・人文博物館、2015年

外部リンク[編集]