コンテンツにスキップ

無限革命論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

)()

[1]

概要

[編集]

実存主義

[編集]

: existentialisme: existentialismessentiaexistentia 1956 19621951223223[2]

永劫回帰

[編集]

: Ewig Wiederkehren


実存主義(あるいは現象学的存在論)をマルクス主義の内部に包摂

[編集]

サルトルは講演『実存主義はヒューマニズムであるか』(著作物『実存主義とは何か』)の中で「実存は本質に先立つ」、「人間は自由という刑に処せられている」と言い切り、無神論的実存主義を進める中で、自らのアンガージュマン<engagement>(社会参加)の実践を通して、しだいに社会的歴史的状況に対する認識を深め、マルクス主義を評価するようになっていく。『存在と無』に続く哲学的主著『弁証法的理性批判』は、実存主義(あるいは現象学的存在論)をマルクス主義の内部に包摂することによって、史的唯物論の再構成を目指したものだった。

神の内在化-神の死の神学

[編集]

ニーチェのことばである「神は死んだ」(ここにいう神とはイエスキリスト)は、1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリカ神学者たちが使うようになり、無神論も広まったが、一方で、アメリカ人のキリスト教神学者トマス・アルタイザーエモリー大学で教えている間に、1965年と1966年の二回雑誌記事に『神は死んだか?』を発表(後に出版される)。「この歴史の中に神が全く内在化している。」として「神の内在化」を述べたのであった。

京都学派哲学からの神奈川大学への影響

[編集]

1953西19511952195619591961

東林学派・経世致用の学、水戸学

[編集]

[3] 192951715[4][5]西





-



()-19681  (CVN-65)197391415 () (USS Midway, CVB/CVA/CV-41)

-19651970

 -


神奈川大学建学精神の神髄解明

[編集]

高山岩男は1963年に神奈川大学創設者米田吉盛の要請で『神奈川大学の建学精神の神髄解明』を纏め、その中で、質実剛健(保守)精神と積極進取(革命)精神の両精神がダイナミックに衝突する事により真の進歩が齎されると論じている。 質実剛健(保守)と、積極進取(革命)は、一見、矛盾する精神であるが、その矛盾が衝突し、真の進歩が齎されるとするのは、高山岩男の「場所的理論と呼応の原理」(課題→解決)にも対応している。

思想の衝突の理論

[編集]

1965年、神奈川大学人文学研究所所長だった草薙正夫は『神奈川大学人文学研究所報発刊のことば1965. 3. 25』で次の要点を指摘している。[6]

  • 日本の学問的使命は特に重大である
  • 日本はインド仏教(インド文明)と儒教(シナ文明)との対決(衝突)が歴史的に現実に起き、生きてきた国であり、さらに明治以後東洋文明と西洋近代文明と対決(衝突)を続けてきた国である。
  • 日本民族が単に西洋近代文明の模倣と追従に甘んじることなく独自の文化的創造を企てようとするならばまず我が国における現在の東洋文明と西洋近代文明との対決(衝突)の決算を行うことが先決問題である

ダイナミックな思想の衝突の現実化-反米主義の世界的潮流

[編集]

使1960: Anti-Americanism



1968



1970()

比較文明論

[編集]

神川正彦は神奈川大学に教授として在籍し、また山本新 (文明学者)は、イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー研究の第一人者として、『文明の変動と構造』(創文社、1961年)を著して、比較文明論の学問領域を確立した。[7]

神奈川大学人文学研究所

[編集]

1963年、人文学研究領域相互の活発な研究活動を支援することを目的に神奈川大学の付属研究所として設立された神奈川大学人文学研究所において実存主義哲学研究や現実の社会問題改善の為の革命に関する研究論文やポストコロニアル理論等の論文が多数発表されている。 松山正男は神奈川大学人文研究所研究叢書、『聖と俗のドラマ』、勁草書房、pp.6-85、1993年「鈴木正三の聖俗一致説」という論文の中で、武士から曹洞宗の僧侶になった江戸時代初期旗本鈴木正三が日常の労働を重視していることを指摘し、労働を通して人は修行し向上してゆくと述べている。

神奈川大学人文学会

[編集]

1953[8][9]西西使西

  彿 151 

      

西  

 彿[10]: God of the gaps

宗教の必要性

[編集]

高山岩男は神奈川大学教授職在籍当時、『宗教はなぜ必要か』 創文社 1953年 (フォルミカ選書)、『現代の不安と宗教』 創文社 1955年で、宗教の必要性について論じている。

インド哲学・仏教哲学の輪廻転生との比較

[編集]

1987

ポストコロニアル理論研究・社会問題改革

[編集]

2016年には作家目取真俊を招待して神奈川大学人文学研究所主催講演会「沖縄・辺野古で起きていること見たこと、考えたこと」と題し、沖縄の米軍基地建設反対運動に関する講演会を開催している。 神奈川大学のポストコロニアル理論の研究や現実の社会問題の改善の活動は、実存主義の思想の影響を受けており、現在においてもその傾向はある。 神奈川大学には多様な研究者がおり、信太正三の無限革命の理論でいう<(無限)革命>や、高山岩男の呼応の原理に現れる「課題→解決」や、神奈川大学建学精神でいう「思想」の<衝突>が起きている。しかし、それによって「真の進歩」が理論上齎されるとする。

カルチュラル・スタディーズ・民俗資料学・民俗学研究

[編集]

1993[11]   ()西[12] 2013 Transform, Transfigure, Transcend: Translation in Cultural Studies  

汎神論

[編集]

 ()宿 (deus sive natura) ()1967

生き神信仰研究

[編集]

筑波大学退官後、神奈川大学に教授として在籍した宮田登は、日本人には人を神に祀る習俗(生き神信仰)があると研究している。(宮田登著『生き神信仰』塙書房〈塙選書〉、1970年)また博士論文は「ミロク信仰の研究 日本における伝統的メシア観」であり日本人の伝統的メシア思想・弥勒菩薩信仰を研究。

宗教多元主義

[編集]

日本人は、八百万の神々の信仰を持つ為、元来、宗教多元主義だとする指摘がある。神奈川大学に在籍した宮嶋俊一は宗教多元主義(Religious Pluralism)について研究している。

伝統継承

[編集]

神奈川大学では神道系の行事も行っており、神奈川大学工学部機械工学科開設時よりの伝統行事「ふいご祭り」(金山神社信仰)を横浜キャンパス23号館機械工作センターにて毎年11月に執り行っている。[13]またキャンパス再開発の土木工事、建設工事前には神道式の地鎮祭を執り行う。[14]

神奈川大学学内の宗教禁止

[編集]

しかし、一方で、神奈川大学では特定宗教の布教活動は禁止されている為、神奈川大学が特定宗教を布教する事はないとされる。[15]

久遠の覇者

[編集]

神奈川大学体育会では、応援歌の名称、歌詞や応援幕のスローガンに「久遠の覇者」という単語を使用している例が見られる。「久遠の覇者」とは実存主義の「永劫回帰」や「無限革命論」に通ずる。神奈川大学アメフト部部室に掲げられるスローガン「何事も永遠の理想に勝る今日の実業」は同様に実存主義に通じ創部者アメフト部OB会長永田氏の言葉とされる。[16]


科学によるアプローチ、生命、物質、光、無限、確率、位相等の研究

[編集]

一方、神奈川大学理学部・工学部では、吉田稔工学部教授「構成的場の理論」研究、阿部吉弘理学部教授「無限集合論」研究、酒井政美理学部教授「位相幾何学(トポロジー)」研究など数学、物理を通して、無限や、確率、次元について研究する。神奈川大学では理学部、工学部に、物質、生命等様々な研究する研究機関を設けて生命の謎を研究している。

ウロボロス

[編集]

神奈川大学工学部素粒子物理学の三田一郎教授は、「ウロボロス」に例え宇宙の構造を説明する。「科学と神」と題して、大きな蛇ウロボロスが自らの尾を銜える姿によって、宇宙の成り立ちは、ビッグバン~現在の私たちの世界~ビッグバン直後の素粒子の世界という大きなループ構造にあり、「大きな宇宙と小さな素粒子はつながっている。」と説明する[17]

人間原理

[編集]

 (() (etc) )

メビウスの帯

[編集]

神奈川大学横浜キャンパス1号館学生掲示ホール脇噴水の中心に聳え立つモニュメントは『メビウス”永遠”』(メビウスの帯は1周して戻ってくると向きが逆転しているという性質を有していることから、無限ループ構造を持つプロット(ループもの)や登場人物がなんらかの経験を経て考えをあらためて過去(あるいは元いた場所)に戻る際の比喩。)。2002年設置1998年の創立70周年記念事業で宮陵会及び後援会より寄贈。

思想史

[編集]

京都大学哲学者西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一論」(「過去と未来とが現在において互いに否定しあいながらも結びついて、現在から現在へと働いていく」)や、鈴木大拙の「即非の論理」(「Aは非Aであり、それによってまさにAである」)、田辺元の「種の理論」らの京都学派は、東洋の思想と西洋の思想の比較から日本人独自の思想を考えたが、京都学派四天王高山岩男、京都大学で哲学を専攻した草薙正夫信太正三、一橋大学の哲学者武藤光朗、東京大学の神川正彦らは、経世実用を学風とする横濱専門学校(神奈川大学)で教授の職を得て、神奈川大学人文学会で、ニーチェカール・ヤスパース研究などの実存主義に関する論文を発表してゆく中で、神奈川大学の学風であった経世実用(経世致用の学)の考え方と結びつき、また、サルトルがマルクス主義を評価したのと同様に、神奈川大学でも風早八十二美濃部亮吉らのマルクス主義の影響があったことから、マルクストロツキーの革命論(トロツキーの永続革命論)との比較をし、人間の現実実存の為に現実の社会問題を無限に改革してゆくべきとする無限革命の思想が生まれた。1952年より神奈川大学に在籍した高山岩男1963年に神奈川大学創設者米田吉盛の要請で『神奈川大学の建学精神の神髄解明』を纏め、その中で、質実剛健(保守)精神と積極進取(革命)精神の両精神がダイナミックに衝突する事により真の進歩が齎されると論じている。米田吉盛の提唱した「質実剛健」と「積極進取」神大建学精神の主張は、高山岩男により「衝突により進歩する」と哲学的裏付けを得た。

名称

[編集]

 ()1969  

関係する著名人

[編集]

哲学者・思想家・研究者

[編集]
  • 米田吉盛(神奈川大学創立者・政治家)-質実剛健と積極進取、中正堅実の神大精神考案者
  • 草薙正夫(神奈川大学・京都大学)-ヤスパース研究
  • 信太正三(神奈川大学・京都大学)-ニーチェ研究
  • 高山岩男(神奈川大学・京都大学)-『場所的理論と呼応の原理』
  • 武藤光朗(神奈川大学)-マルクス主義と実存哲学
  • 工藤喜作 (神奈川大学・筑波大学)-1967年「スピノザの汎神論研究」
  • 湯田豊 (神奈川大学)-インド哲学と実存哲学の比較
  • 上原雅文 (神奈川大学)-自然観の東西比較
  • 小林孝吉(神奈川大学)『神奈川大学評論』創刊以来編集専門委員-内村鑑三などキリスト教神学を研究
  • 宮田登(神奈川大学・筑波大学)国立歴史民俗博物館客員教授。民俗学者。「ミロク信仰」「生き神信仰」や天皇制に関する研究
  • 松山正男(神奈川大学)-「鈴木正三の聖俗一致説」

研究者(実学)

[編集]

-

-

-

--

-

 () J



-

-731

-

-

-

-

-

-

-

)-

)-







)-NHK

-

-

-

上記外の実存哲学者・思想家

[編集]
  • 九鬼周造(京都大学)-江戸時代の日本人の思想、「」(いき)を実存哲学と比較研究
  • 西部邁(東京大学)-1980年代より高度大衆社会・アメリカニズム批判と西欧流保守思想の擁護

小説家・劇作家

[編集]

 -(1961)4

 - 

- ()S36

-

-

-19501955

 -姿

政治活動家

[編集]
  • 古賀浩靖(神奈川大学)(三島事件)-生長の家信者-生長の家は「万教帰一」の思想で知られる。
  • 小賀正義(神奈川大学)(三島事件)-生長の家信者

脚注

[編集]


(一)^ 2019

(二)^  101999278-279NAID 110007478494 

(三)^ 

(四)^ 19811020134

(五)^ 

(六)^ 

(七)^ 2019

(八)^ 

(九)^ (退) : 15520053A51-A72CRID 1050001202571049344hdl:10487/3556ISSN 02877074 

(十)^ (1)PDF190 : 201661,63-93CRID 1520853832316480000ISSN 02877074 

(11)^ 

(12)^ KU

(13)^ 2016.11.1123

(14)^ 2018.03.1330

(15)^ HP

(16)^ 

(17)^ 

参考文献

[編集]



   1962

 () 1969

  1956

  1950

  1948

  1949

1951

1956

1959

]1961

 ()   1961 (

 ()   1961

pp.6-851993331

 -:17619774166-191ISSN 03868850NAID 40002929164 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]