瓜生清
瓜生 清︵うりう きよし、1920年︵大正9年︶10月26日[1] - 1970年︵昭和45年︶11月9日[2][3]︶は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。
経歴[編集]
大阪府出身[2][3][注 1]。1942年︵昭和17年︶関西大学専門部を卒業した[2][3]。兵役に従事[2]。 復員後、織布会社に入社[2][3]。1949年︵昭和24年︶労働運動に加わり主に繊維産業対策に従事[2][3]。大阪府地方労働委員、社会保障診療報酬支払基金理事、社会保障制度審議会︵現社会保障審議会︶委員などを務めた[2][3]。 1965年︵昭和40年︶7月の第7回参議院議員通常選挙で全国区に民主社会党︵民社党︶公認で出馬して当選[2][4]。民社党中央執行委員、同党選挙対策委員長、全国繊維産業労働組合同盟︵のちゼンセン同盟︶顧問などを務めた[2][3]。 在任中の1970年︵昭和45年︶11月9日[3]、食道静脈瘤破裂のため現職のまま死去。葬儀、告別式は同月18日、青山葬儀所にて民社党、全繊同盟の合同葬として行われた[5]。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される[6]。脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『大阪紳士録』178頁では出生地を「福岡県直方市」と記載。
出典[編集]
参考文献[編集]
- 大阪図書出版編『大阪紳士録 第1版』大阪図書出版、1959年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。