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'''東名急行バス'''(とうめいきゅうこうバス)は、[[東名高速道路]]を走行する[[高速バス]]運行会社として、沿線鉄道・バス会社12社共同 |
'''東名急行バス'''︵とうめいきゅうこうバス︶は、かつて[[東京都]][[渋谷区]]︵[[東京急行電鉄]]本社内︶に所在した[[バス (交通機関)|バス]]会社である。[[東名高速道路]]を走行する[[高速バス]]運行会社として、沿線[[鉄道事業者|鉄道]]・[[日本のバス|バス会社]]12社による共同[[出資]]で設立された。
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[[1969年]][[6月10日]]に車両台数50台・従業員数205人で運行開始。 |
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しかしその後、[[新幹線]]の充実による利用の低迷や[[オイルショック]]などで赤字が増大し、[[1975年]][[3月31日]]に路線全てが廃止され、同年[[10月1日]]に会社解散し消滅。車両の一部は廃止後に[[静岡鉄道]]や[[名古屋鉄道|名鉄]]へ譲渡されている。
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[[1967年]]︵[[昭和]]42年︶8月に設立され<ref name="運輸と経済27-10">{{Cite journal |和書 |author=<!-- 記載なし --> |title=運輸日誌 |date=1967-10-01 |journal=運輸と経済 |volume=27 |issue=10 |page=87 |publisher=一般財団法人 運輸調査局 |issn=0287-8305 |doi=10.11501/2637525 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/2637525/1/45 |accessdate=2023-08-19 }}</ref>、[[1969年]]︵昭和44年︶[[6月10日]]に<ref name="高速道路と自動車12-08">{{Cite journal |和書 |author=<!-- 記載なし --> |title=東名バス営業開始 |date=1969-08-01 |journal=高速道路と自動車 |volume=12 |issue=8 |pages=100-101 |publisher=財団法人 高速道路調査会 |issn=0287-2587 |doi= |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/2688622/1/58 |accessdate=2023-08-19 }}</ref>車両台数50台・[[従業員]]数205人︵含む[[運転士]]115名︶で運行を開始した。
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[[代表取締役]][[社長]]には、[[東京急行電鉄]]社長の[[五島昇]]が就任し、[[専務取締役]]には同社[[常務取締役]]唐沢勲が就任した。このことからもわかるように、共同出資ではあるが単独での出資比率が最も高い東急が主導的立場にあり、本社も東京急行電鉄本社に同居していた。
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路線が[[国鉄バス]]の[[東名ハイウェイバス]]と重複([[ダブルトラック (交通)|ダブルトラック]])していたことに加え、[[東海道新幹線]]の充実や[[モータリゼーション]]による利用低迷、第1次[[オイルショック]]などで赤字が増大し、[[1974年]]度の累積[[黒字と赤字|赤字]]は8億4500万円に達していた<ref>『年鑑バスラマ 2009-2010』p.86、ぽると出版、2009年12月。</ref>。また、出資各社(特に富士急、静鉄、遠鉄、名鉄)が徐々に東名高速道路経由の自社運行路線に傾斜したこともあり、[[1975年]](昭和50年)[[3月31日]]に路線全てが廃止され、同年[[10月1日]]に会社[[解散]]し消滅した。 |
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資本金 5000万円 |
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⚫ | * [[伊豆箱根鉄道]]、[[東海自動車]]、[[大井川鐵道]]、[[山梨交通]]、[[京浜急行電鉄]]、[[富士急行]]、[[遠州鉄道]]、[[相模鉄道]]、[[静岡鉄道]] いずれも6.6% |
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=== 乗務員 === |
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営業開始前年から数期にわたり乗務員が募集された。仕業は[[ワンマン運転|ワンマン運行]]で、渋谷 - 名古屋直通便は東名静岡で交代していた |
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<ref>『年鑑バスラマ 2009-2010』p.85、ぽると出版、2009年12月。</ref>。乗務員の制服は黄土色の[[制帽]]・ズボン・ネクタイに黒い光沢のあるジャケットという組み合わせで、五島昇が視察した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド社]]の制服をベースにしたデザインであった<ref>『年鑑バスラマ 2009-2010』p.80-81、ぽると出版、2009年12月。</ref>。[[自動車整備士|車両整備士]]についても東急が全面支援し、同社から管理者が出向していた<ref>『年鑑バスラマ 2009-2010』p.88、ぽると出版、2009年12月。</ref>。 |
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会社解散後、東急からの出向者は東急本体に戻ったほか、乗務員は同業他社への転職など各方面に散らばり、中には[[国鉄バス]]へ転籍して国鉄・[[JRバス]]で[[東名ハイウェイバス]]の乗務員を続けた者もいた。OB組織「東名急行バス友の会」を通じ交流している。 |
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=== 事業所 === |
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* 本社 - 東京都渋谷区[[桜丘町 (渋谷区)|桜丘町]]、東京急行電鉄本社内(現在の[[セルリアンタワー]]の場所)。 |
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* 静岡営業所 - 静岡市駿河区中野新田、東名高速[[静岡インターチェンジ|静岡IC]]北側。 |
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⚫ | : 現在[[ロイヤルホスト]]静岡インター店などが建つ。[[JR東海バス]]静岡支店西側に隣接する場所には、管理者名に「[[小田急電鉄]]」とあった月極[[駐車場]]が存在したが、2012年春に転売され東名急行バスの痕跡は消滅した。 |
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=== ターミナル === |
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== 歴史== |
== 歴史== |
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* [[1967年]]8月 |
* [[1967年]][[8月10日]] - 東名急行バス株式会社設立{{R|運輸と経済27-10}}。 |
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* [[1969年]][[6月10日]] |
* [[1969年]][[6月10日]] - 運行開始{{R|高速道路と自動車12-08}}。 |
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* [[1975年]][[4月1日]] - 路線廃止<ref>{{Cite news |和書|title=東名急行バス事業廃止許可 運輸省 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通協力会 |date=1975-03-29 |page=1 }}</ref>。
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* [[1975年]][[3月31日]] 路線廃止。 |
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* [[1975年]][[10月1日]] |
* [[1975年]][[10月1日]] - 会社解散。 |
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== 主な運行路線 == |
== 主な運行路線 == |
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* [[渋谷駅]] |
* [[渋谷駅]] - [[名古屋駅|名古屋]]・[[名鉄バスセンター|名鉄BC]] |
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* 渋谷駅 - [[新静岡駅]] |
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* 渋谷駅 - [[東名静岡]]([[御殿場駅]]経由あり) |
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* 渋谷駅 - [[浜松駅]] |
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* 渋谷駅 - [[沼津駅]] |
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* 渋谷駅 - [[御殿場駅]] |
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* 渋谷駅 - [[東名横浜]] |
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* [[名鉄BC]]⇔[[御殿場駅]] |
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* 名鉄BC - 御殿場駅 |
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* 名鉄BC - 沼津駅 |
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* 名鉄BC - 新静岡駅 |
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* 名鉄BC - 浜松駅 |
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種別としては快速、急行、特急があった。快速は全ての[[バス停留所|停留所]]に停車するわけではなく、区間便のみが停車する停留所もあった。車両にはトイレが設置されなかったため、休憩は[[足柄サービスエリア]]と[[浜名湖サービスエリア]]で実施した︵渋谷 - 沼津と浜松 - 名古屋系統は休憩なし︶<ref>﹃年鑑バスラマ 2009-2010﹄p.81、ぽると出版、2009年12月</ref>
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== 車両 == |
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車両は全て[[三菱自動車工業]](現[[三菱ふそうトラック・バス]])製[[三菱ふそう・エアロエース#B805/806、B905/906/907|B906R]]を使用。番号は1100番台を使用した。車体は三菱K10型を発展させ、ボディの主要部分に[[軽合金]]を使用した高速バス専用車体であった。またこの車両から[[アルミニウム合金|アルミ]][[鋳物]]製の[[フロントグリル]]を採用し、後に「東名グリル」と呼ばれるようになった。また後面も従来の2枚ガラスから、後にB35型で採用される3枚ガラスとなっており、新しい試みが随所に見受けられる。塗装は窓の下辺を境に上が白、下が赤を基調とし、裾部は赤とシルバーの横縞模様となっていた。前面グリル部と側面には社紋が取り付けられていた<ref>『年鑑バスラマ 2009-2010』p.79-80、ぽると出版、2009年12月。</ref>。 |
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[[東名ハイウェイバス|国鉄バス]]で導入された[[スバルカスタマイズ工房|富士重工]]製13型B([[シャシ (自動車)|シャーシ]]は同じ)と異なり、[[便所|トイレ]]は装備されなかった。 |
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東名急行バス廃止後に、車両の一部は[[名鉄バス|名古屋鉄道]]や[[しずてつジャストライン|静岡鉄道]]へ譲渡されている。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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*『[[バスラマ・インターナショナル|年鑑バスラマ]] 2009-2010』、[[ぽると出版]]、2009年12月。ISBN 978-4-89980-016-3 |
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== 関連項目 == |
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** [[東急バス]] / [[東急バス不動前営業所]] |
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** [[セルリアンタワー]] |
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** [[渋谷マークシティ#旧バスターミナル]] |
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* [[名鉄バス]] / [[名鉄バスセンター]] |
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* [[東名ハイウェイバス]] - [[国鉄バス]]・[[JRバス]]が運行 |
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* 共同出資で設立された高速バス運行会社 |
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** [[常磐急行交通]] |
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** [[瀬戸大橋高速バス]] |
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** [[四国高速バス]] |
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[[Category:東急グループの歴史]] |
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[[Category:静岡鉄道|廃とうめいきゆうこうはす]] |
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[[Category:渋谷区の企業|廃とうめいきゆうこうはす]] |
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[[Category:1967年設立の企業|廃とうめいきゆうこうはす]] |
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[[Category:1975年廃止の企業]] |
2023年8月19日 (土) 13:50時点における最新版
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概要[編集]
1967年︵昭和42年︶8月に設立され[1]、1969年︵昭和44年︶6月10日に[2]車両台数50台・従業員数205人︵含む運転士115名︶で運行を開始した。 代表取締役社長には、東京急行電鉄社長の五島昇が就任し、専務取締役には同社常務取締役唐沢勲が就任した。このことからもわかるように、共同出資ではあるが単独での出資比率が最も高い東急が主導的立場にあり、本社も東京急行電鉄本社に同居していた。 路線が国鉄バスの東名ハイウェイバスと重複︵ダブルトラック︶していたことに加え、東海道新幹線の充実やモータリゼーションによる利用低迷、第1次オイルショックなどで赤字が増大し、1974年度の累積赤字は8億4500万円に達していた[3]。また、出資各社︵特に富士急、静鉄、遠鉄、名鉄︶が徐々に東名高速道路経由の自社運行路線に傾斜したこともあり、1975年︵昭和50年︶3月31日に路線全てが廃止され、同年10月1日に会社解散し消滅した。出資事業者[編集]
資本金 5000万円 ●東京急行電鉄 13.6% ●小田急電鉄、名古屋鉄道 13.5% ●伊豆箱根鉄道、東海自動車、大井川鐵道、山梨交通、京浜急行電鉄、富士急行、遠州鉄道、相模鉄道、静岡鉄道 いずれも6.6% ●小田急電鉄は神奈川中央交通、箱根登山鉄道、小田急バスを含む。 ●名古屋鉄道は豊橋鉄道を含む。乗務員[編集]
営業開始前年から数期にわたり乗務員が募集された。仕業はワンマン運行で、渋谷 - 名古屋直通便は東名静岡で交代していた [4]。乗務員の制服は黄土色の制帽・ズボン・ネクタイに黒い光沢のあるジャケットという組み合わせで、五島昇が視察したアメリカ・グレイハウンド社の制服をベースにしたデザインであった[5]。車両整備士についても東急が全面支援し、同社から管理者が出向していた[6]。 会社解散後、東急からの出向者は東急本体に戻ったほか、乗務員は同業他社への転職など各方面に散らばり、中には国鉄バスへ転籍して国鉄・JRバスで東名ハイウェイバスの乗務員を続けた者もいた。OB組織﹁東名急行バス友の会﹂を通じ交流している。事業所[編集]
●本社 - 東京都渋谷区桜丘町、東京急行電鉄本社内︵現在のセルリアンタワーの場所︶。 ●東京営業所 - 東京急行電鉄不動前営業所跡地を転用。 ●静岡営業所 - 静岡市駿河区中野新田、東名高速静岡IC北側。 現在ロイヤルホスト静岡インター店などが建つ。JR東海バス静岡支店西側に隣接する場所には、管理者名に﹁小田急電鉄﹂とあった月極駐車場が存在したが、2012年春に転売され東名急行バスの痕跡は消滅した。 ●名古屋営業所ターミナル[編集]
●渋谷駅 - 当初は東京急行電鉄本社前︵現在のセルリアンタワーの場所︶であった。その後、渋谷駅西口の玉川口にあった旧東急玉川線渋谷駅ホームを高速バス乗り場に改築し、東急バスの一般路線や高速バスも使用していた。現在は再改築されて渋谷マークシティが建ち、京王井の頭線渋谷駅構内になっている。詳細は渋谷マークシティ#旧バスターミナルを参照。 ●新静岡駅 - 静岡鉄道新静岡駅構内のバスターミナル。 ●名鉄バスセンター - 名古屋駅桜通口・広小路口南側。名鉄百貨店に隣接。歴史[編集]
●1967年8月10日 - 東名急行バス株式会社設立[1]。 ●1969年6月10日 - 運行開始[2]。 ●1975年4月1日 - 路線廃止[7]。 ●1975年10月1日 - 会社解散。主な運行路線[編集]
●渋谷駅 - 名古屋・名鉄BC ●渋谷駅 - 新静岡駅 ●渋谷駅 - 東名静岡︵御殿場駅経由あり︶ ●渋谷駅 - 浜松駅 ●渋谷駅 - 沼津駅 ●渋谷駅 - 御殿場駅 ●渋谷駅 - 東名横浜 ●名鉄BC - 御殿場駅 ●名鉄BC - 沼津駅 ●名鉄BC - 新静岡駅 ●名鉄BC - 浜松駅 種別としては快速、急行、特急があった。快速は全ての停留所に停車するわけではなく、区間便のみが停車する停留所もあった。車両にはトイレが設置されなかったため、休憩は足柄サービスエリアと浜名湖サービスエリアで実施した︵渋谷 - 沼津と浜松 - 名古屋系統は休憩なし︶[8]車両[編集]
車両は全て三菱自動車工業︵現三菱ふそうトラック・バス︶製B906Rを使用。番号は1100番台を使用した。車体は三菱K10型を発展させ、ボディの主要部分に軽合金を使用した高速バス専用車体であった。またこの車両からアルミ鋳物製のフロントグリルを採用し、後に﹁東名グリル﹂と呼ばれるようになった。また後面も従来の2枚ガラスから、後にB35型で採用される3枚ガラスとなっており、新しい試みが随所に見受けられる。塗装は窓の下辺を境に上が白、下が赤を基調とし、裾部は赤とシルバーの横縞模様となっていた。前面グリル部と側面には社紋が取り付けられていた[9]。 国鉄バスで導入された富士重工製13型B︵シャーシは同じ︶と異なり、トイレは装備されなかった。 東名急行バス廃止後に、車両の一部は名古屋鉄道や静岡鉄道へ譲渡されている。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『年鑑バスラマ 2009-2010』、ぽると出版、2009年12月。ISBN 978-4-89980-016-3