神奈川中央交通
神奈川中央交通本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 |
神奈中(かなちゅう) Kanachu 神奈交(銘柄略称) |
本社所在地 |
日本 〒254-0811 神奈川県平塚市八重咲町6番18号 北緯35度19分36.5秒 東経139度20分59.1秒 / 北緯35.326806度 東経139.349750度座標: 北緯35度19分36.5秒 東経139度20分59.1秒 / 北緯35.326806度 東経139.349750度 |
設立 | 1921年(大正10年)6月5日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 6021001036307 |
事業内容 | 一般旅客自動車運送事業、不動産業他 |
代表者 | 代表取締役社長 今井雅之 |
資本金 |
31億6000万円 (2020年3月31日現在)[1] |
発行済株式総数 |
1260万株 (2020年3月31日現在)[1] |
売上高 |
連結: 1127億0200万円 単独: 525億4400万円 (2020年3月期)[1] |
営業利益 |
連結: 53億2900万円 単独: 32億2200万円 (2020年3月期)[1] |
経常利益 |
連結: 54億7000万円 単独: 35億3100万円 (2020年3月期)[1] |
純利益 |
連結: 22億8000万円 単独: 19億2000万円 (2020年3月期)[1] |
純資産 |
連結: 605億5600万円 単独: 379億7200万円 (2020年3月31日現在)[1] |
総資産 |
連結: 1561億5400万円 単独: 1049億4200万円 (2020年3月31日現在)[1] |
従業員数 |
連結: 7,224人 単独: 2,236人 (2020年3月31日現在)[1] |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | EY新日本有限責任監査法人[1] |
主要株主 |
小田急電鉄 45.41% 横浜銀行 4.99% 横浜ゴム 1.96% 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 1.82% 日本トラスティ・サービス信託銀行(三井住友信託銀行退職給付信託口) 1.63% 三井住友信託銀行 1.49% 朝日生命保険 0.98% 第一生命保険 0.98% 日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 0.89% 明治安田生命保険 0.83% (2020年3月31日現在)[1] |
主要子会社 | #グループ会社参照 |
外部リンク |
www |
概要[編集]
日本最大のバス事業者で[5]、バス専業の事業者としても日本一の規模であり[6]、日本のバス業界のリーダー的存在とされている[7]。 川崎市臨海部や横浜市北東部、三浦半島、西湘・箱根を除く神奈川県の大部分の地域と町田市・多摩市・稲城市・八王子市の東京都南多摩地域を中心に路線バスや貸切バスの運行を行っているほか、東京駅・新宿駅からの深夜急行バスや、東京国際空港・成田国際空港への空港連絡バスを運行する。かつては横浜・町田・本厚木などから近畿地方各地や盛岡駅への高速バス路線の運行も行っていた︵後述︶。近年では都市間高速バスの運行にも力を入れている。歴史[編集]
本節では、主にバス事業の歴史を中心として、関連事業についても適宜記述する。関連事業についてはグループ会社の節も、車両の歴史は車両の節を参照。創業期[編集]
2009年現在の神奈川中央交通が主な営業エリアとしている神奈川県中央部に乗合自動車が走り始めたのは、1910年に佐藤某[注釈 1]が設立した合資会社による、厚木と平塚を結ぶ幌つき自動車による路線の開設に端を発する[7]。これに続くように、1911年には相陽自動車が車両3両で秦野と平塚を結ぶ路線の運行を開始している。しかし、乗合馬車や人力車の方が安かったことや[8]、道路が悪く運転技術も未熟だった[8]こともあり、いずれも1年程度で廃業となっている[7]。 第一次世界大戦後の好景気により、横浜市内ではまず賃貸自動車営業[注釈 2]が開始され、続いて兼営で乗合自動車の運行が開始された[9]。1917年頃から個人営業による乗合自動車業が設立されはじめ[9]、当時市街地として発展していた弘明寺を中心に、複数の乗合自動車が激しい乗客争奪戦を行ったが[9]、無益な競争をやめて整理統合する機運が高まり[9]、1921年6月5日に横浜市大岡町を拠点として相武自動車が設立された[9]。これが神奈川中央交通の直接的な起源である[7]。 相武自動車 横浜市大岡町字樋ノ口︵現在の横浜市南区通町︶に本社を置き、野口貞一が代表者を務めた。弘明寺 - 大岡川村 - 本郷村 - 鎌倉町小町、弘明寺 - 日下村田中 - 屏風浦村杉田 - 横浜市滝頭町、鎌倉駅 - 逗子駅、逗子駅 - 六浦荘村三分瀬戸︵1931年11月湘南乗合自動車︵現在の京浜急行バス︶に譲渡︶、横浜市南吉田町 - お三の宮 - 引越 - 戸塚町旭町、鎌倉駅 - 長谷大仏前 - 藤沢駅などを運行していた。1923年9月の関東大震災の影響を受け社業が傾いたが、それでも同月横浜市八幡橋 - 横浜駅(現在の桜木町駅)の新線を開業させた。しかし、奏功せず1925年に横浜市八幡橋 - 横浜駅、鎌倉駅 - 逗子駅、鎌倉駅 - 藤沢駅各線の撤退を余儀なくされた。1928年梁瀬長太郎︵ヤナセ創業者︶が社長に就任。横浜市南吉田町 - 戸塚町旭町の路線の起点を横浜市吉野町に変更して再建に務めていた。 1920年に伊勢原自働車運輸が平塚と伊勢原市を結ぶ路線[6]、1921年に秦野自動車が秦野と平塚を結ぶ路線の運行をそれぞれ開始した[6]。同年に大谷仁三郎が橋本と田名村を結ぶ路線などの運行を開始し[6]、厚木町の有力者は厚木と横浜を結ぶ路線を開設したのち、1923年に設立された中央相武自動車に営業譲渡した[6]。ほかに片瀬自動車商会が厚木と藤沢を、鶴屋商会︵鶴屋自動車商会とも︶が厚木と戸塚を、結ぶ路線を開業するなど、1930年に10数社がバス事業を設立している[6]。東海道本線の鉄道駅と大山道の宿場町を結んで開設された路線が目立つ一方、東京府におけるバス営業は、1934年に原町田乗合自動車が原町田と鶴川、淵野辺と小野路を結ぶ路線を開業させた[10]。自主統合の流れ[編集]
小規模なバス事業者の乱立は、結果的に競合による疲弊を招き[10]、資本力のある事業者が小規模事業者を買収し合併することで、事業規模を拡大すると共に無益な競合を解消する気運が現れ始めた[11]。こうした自主的な統合という方向性は、1931年に公布された自動車交通事業法の目的である﹁交通企業の合理化と交通事業の統制﹂にも叶うものであった[10]。 1928年︵昭和3年︶に、伊勢原の伊勢原自働車運輸が同じく伊勢原を拠点としていたサンエキ自動車と合併して伊勢原サンエキ自動車と改称して[12]、1932年︵昭和7年︶に伊勢原自動車へ社名を変更した[11]。1931年︵昭和6年︶2月17日に江之島自動車、片瀬自動車商会、鵠沼自動車が合併して設立[10]された藤沢自動車は、藤沢近辺にとどまらず、厚木・津久井方面まで沿線事業者と合併の上規模を拡大した結果[11]、1937年︵昭和12年︶には、営業キロが約300キロメートルで車両数約60台を有する大手事業者となり[11]、同年6月25日に同社は京王電気軌道の傘下となる[10]。その一方、藤沢自動車と競合する相模鉄道は自社の相模線を擁護するため[12]、1935年に大谷仁三郎の個人経営だった橋本・渕野辺から田名にいたる路線を譲受し[11]、1936年︵昭和11年︶に愛高自動車商会の厚木と上溝を結ぶ路線を買収し、沿線を自社バス路線の営業エリアとした[13]。また同年には東京新宿に拠点を置く関東乗合自動車が原町田乗合自動車を合併している[11]。 1936年横浜市の相武自動車も同年12月28日鶴屋商会と戸塚自動車商会を合併して翌年1月12日に相武鶴屋自動車と改称した[10]。相武鶴屋自動車は1938年5月10日に東京横浜電鉄の傘下に入り、すでに東横傘下に入っていた中央相武自動車を1939年︵昭和14年︶6月16日に合併して東海道乗合自動車と改称し、主に東海道本線沿線へ路線を展開した[11]。1941年︵昭和16年︶12月15日に東横系となっていた関東乗合自動車の町田営業所を継承し[10]、同じく東横傘下になっていた江ノ島電気鉄道の茅ヶ崎・平塚の2路線を譲受した[14]。1942年に同じく東横系となっていた秦野自動車を合併した[12]。 この時期までに東海道乗合自動車へ譲受されたバス事業の概要は以下の通りである。なお、東海道乗合自動車は鎌倉市より南の三浦半島地区で営業していた湘南半島自動車と日本自動車道にも統合を持ちかけたが、親会社の京浜電気鉄道が反発し議論は不調に終わる。結局湘南半島自動車が日本自動車道を吸収合併した後、京浜電気鉄道を経て東京急行電鉄に組み込まれた。
戦時統合へ[編集]
戦後の復興[編集]
神奈川県中央部は、横浜・川崎と比較すると戦災による路線の被害は少なかったが[20]、戦後の輸送量増加においては車両不足が顕在化した[19]。このため、1946年︵昭和21年︶に神中自動車工業秦野工場を買収し、自社で車両再生を行った[20]。また車両不足から運休に追い込まれていた横浜市内の一部路線を再開するため、東京急行電鉄とともに横浜市交通局と臨時運転契約を結んだ。なお同じ小田急グループの他のバス会社は当時まだ小田急電鉄とは無関係の独立会社であった。小田急バスは旧社名を武蔵野乗合自動車といい、小田急の傘下に入るのは神奈川中央乗合よりも後の1950年(昭和25年)である。立川バスは戦前、南武線を運営していた南武鉄道(現・太平洋不動産)の子会社で、1954年(昭和29年)に小田急グループ入りした。また、東海バスが小田急グループに入るのは、それから20年近く後の1971年(昭和46年)である。
経済成長期[編集]
1960年代・団地輸送の増強と拡大[編集]
1950年代後半に入ると、人口増加地域である神奈中エリアの通勤需要は増加の一途を辿る[29]。特に東海道線沿線の鉄道フィーダー輸送の必要性が高くなっていたことから[28]、1953年︵昭和28年︶に藤沢駅と横浜駅を結ぶ路線を15分ヘッドで運行し、急行便も新設した[29]。その後、国府津駅までの鉄道と並行する路線も同様に運行便数の充実を図り[28]、さらに各鉄道駅から住宅地への路線を新設して鉄道との連携輸送を行った[29]。同様に人口が増加していた小田急沿線からの路線も拡充し[28]、町田地区では道路改良と共に次々と路線新設を行った[29]ほか、宮ヶ瀬︵清川村︶や青根︵相模原市緑区︶などの山間集落にも路線を展開した[28]。1956年までの3年間に導入した車両数は126台となり[29]、約90系統が新設されている[28]。1958年︵昭和33年︶には京王帝都電鉄や小田急バスとの相互乗り入れという形態で東京都内にも路線拡大を展開[29]、調布市や関戸、吉祥寺駅へも乗り入れた[28]。一方、横浜市内では横浜市交通局や相模鉄道との路線免許申請の競合が多くなったが[29]、1960年頃からは各社で申請前に協議することになり[28]、1962年には3社で運輸協定を結んだため[29]、以後競願による認可の遅れという事態は回避されることになった[31]。日本初の整理券方式ワンマンバス[編集]
このように輸送力増強に追われる中、要員不足が顕在化することとなった[31]。特に車掌の採用難が厳しくなったことから[32]、当時都市部の一部路線で行われていたワンマン化を進める事になった[31]。しかし、ワンマン化自体は1951年に大阪市交通局で実施されていたが[36]、それまでワンマン化されていた路線は均一運賃体系の路線が主で、多区間運賃制路線では申告制前払いとしたところもあった[36]。しかし、神奈中の大多数の路線のように運賃区間の多い路線での多区間運賃制へのワンマン化事例は当時存在せず、運賃収受の確実化を図る必要があった[36]。 そこで、乗車停留所を明確にするために、乗車時に乗車整理券を取り、乗客は降車時に整理券と照合して運賃を支払うという﹁整理券方式﹂のワンマンバスを導入する事になり、1962年11月1日より試験的に運賃区界数2区間の路線でワンマン化が開始された。この時の整理券はボール紙[注釈 3]で[37]、前扉付近に整理券ホルダーを設置した。以後、神奈中の乗車方法は前乗り前降りが基本となる。その後も機器の開発を進め、1964年4月には運賃区界数5区間の路線でもワンマン化が行われたが[37]、この時には色分けされたプラスチック板の整理券を乗車時にボタンを押して受け取る方法となり[37]、さらに同年10月には運賃区界数8区間の路線にも導入された[37]。それを受けて、1965年2月1日より伊勢原と茅ヶ崎の2営業所で本格的なワンマン化を開始した。1966年にはロール紙に1枚ずつ番号を印刷してカットする機構が開発され[37]、運賃区界数にかかわらずワンマンバスの運行が可能になったことから一気にワンマン化を促進し、同年10月1日には山間部の一部路線を除いてほぼ全路線がワンマン化された。 日本では多区間運賃制路線でのワンマン化は神奈中が初であり[31]、会社の規模としては急速かつ広範囲にワンマン化が進められたが、監督官庁から安全性を危惧する意見があり、狭隘な道路では待避所やカーブミラーの設置を進めると共に[38]、見通しの悪い踏切などでは自社で交通整理要員を配置して対処した[35]。また、当時はワンマン化に反対するバス事業者が多く、他社の労働組合からワンマンバス導入展開にクレームもあり[37]、労使共に説得したこともあるという[37]。しかし、ワンマン化は時代の趨勢であり、以後整理券方式のワンマンバスは日本全国に拡大され、乗降ドアの違いなどはあるものの、日本のバスにおいて標準的な運賃支払い方式となった。神奈中においては、1974年5月の大秦野駅とヤビツ峠を結ぶ路線を最後に、完全ワンマン化を達成している[32]。1970年代・さらなる輸送力増強[編集]
1970年代になると、既に開発の進んだ鉄道沿線から離れた外縁部へも宅地化が進むことになった[39]。1971年に入居を開始した多摩ニュータウンでは、ニュータウン鉄道の開通まではバスに通勤輸送が委ねられることとなり[40]、神奈中と京王が輸送を担当した[39]。さらに都心から離れた厚木・伊勢原・秦野・平塚においても住宅地の造成が進み[40]、路線と車両増強を繰り返した結果、小田急線・東海道本線沿線各駅のバス路線の集積度はきわめて高くなった[39]。 また、自家用バスによる送迎が行われている企業や学校での車両代替に着目し[31]、1975年以降は特定バス事業にも着手した[31]。運行や車両整備はバス事業者が行うが、運行形態やバスのカラーリングなどは顧客側で決定するというもので、積極的にセールスを行ったことによって特定輸送の運行規模はその後大幅に拡大され[32]、その後の神奈中のバス事業の基幹の1つに位置付けられている[39]。1976年には山間部の路線において停留所以外でも乗降が可能な自由乗降方式の採用も開始した[41]。 関連事業においては、ボウリング場の乱立による競争の激化で経営が悪化、1974年5月までに一部の店舗を除いて撤退することになったが[42]、用途のなくなった建物の有効活用としてスイミングスクールの運営を1976年10月から開始し[43]、これをきっかけとしてテニススクールやフィットネススタジオなど、スポーツ事業への参入も開始した[44]。また、不動産業では沿線外の宅地分譲も行うこととなり[45]、1974年から1985年までに兵庫県三木市[45]・愛知県名古屋市[45]・岐阜県岐阜市[46]・秋田県秋田市[46]での宅地分譲を行っている。また、市街地の再開発などにあわせて、自社用地に建設したビルを使用した賃貸業務も拡大させている[47]。この他、老朽化した営業所建屋を改築した際に生じた空きスペースを利用して[44]、食堂業へ進出することとなり[48]、1977年10月24日からは﹁サッポロラーメンくるまや﹂︵当時︶と業務提携を行うことによってラーメン屋の営業も開始している[48]。深夜バスの運行[編集]
1980年代・さらに続く拡大傾向[編集]
1980年代に入ると、日本のバス事業全体の傾向としてモータリゼーションと道路渋滞による走行環境の悪化と利用者減少に見舞われるが、神奈中の営業エリアは人口増加が続き、バス利用者も増加した[41]。人口増加や企業・学校の郊外移転などで、鉄道からのフィーダー輸送の役割が求められたためである[53]。1980年代以降は沿線に大学の新設や移転などが続いたため、通学輸送の増強も行われる事になった[41]。既に1971年には相模原市に北里大学が移転していたが、1980年代初頭には相模原地区における輸送の要となっていた[53]。多区間運賃制路線では日本初のバスカード導入[編集]
県内初の夜行高速バス[編集]
バス復権に向けて[編集]
ミニバス展開[編集]
地域分社化[編集]
日本初の環境定期券導入とスヌーピーバス[編集]
この頃、環境問題がクローズアップされていた折、神奈中でも環境問題に取り組むことになった。基本的にはマイカー通勤からバス通勤への移行を呼びかけるものであるが、ただ呼びかけるだけではバス会社の都合と受け止められる可能性を考慮し[86]、バス会社側でも新しい運賃制度を導入することが必要と考えられた[87]。潜在的需要の発掘[編集]
1997年夏には、これからバスを利用する世代となるであろう児童層に着目し、路線バスの利用方法を覚えてもらうという趣旨で[75]﹁ちびっこ50円キャンペーン﹂を開始した。現金払いの場合は一般路線の全路線で小児運賃50円となるというもので、当初は長期休暇とゴールデンウィークのみの実施であったが、多い時には1日1万3千人もの利用がある[75]など一定の効果が認められた事から、後年すべての土曜・休日に適用を拡大している。2023年4月には、交通系ICカード利用時における﹁小児IC運賃の一律50円﹂を開始するのに伴い、ちびっこ50円キャンペーンは同年3月末で終了した[88]。 また、高齢者向けの施策としては、1996年より敬老の日に65歳以上の運賃を100円とするサービスを行った後、2001年6月より﹁かなちゃん手形﹂の発売を開始した。これは、初めに購入するパスを安価に設定[注釈 8]、パスを提示した場合は乗車1回につき運賃を区間にかかわらず100円とするもので、1回毎の運賃を安価に設定することで乗車回数を増やす事を目的とした施策である[89]。1日1万2千人の利用があるという[89]。当初は車内でも発売していた。これと同時に、一般路線の全線に有効な﹁一日フリー乗車券﹂の発売も開始している[90][注釈 9]。高速バス路線の再編[編集]
2000年代以降の展開[編集]
Jリーグとの関わり[編集]
2003年から、日本プロサッカーリーグ︵Jリーグ︶のクラブと関わりを持つようになり、同年より神奈中本社がある平塚市にホームスタジアムを置く﹁湘南ベルマーレ﹂のオフィシャルクラブパートナーとなり、神奈中主催のサッカースクール開催や最寄駅とスタジアム︵平塚競技場︶を結ぶシャトルバスの運行を担うようになり[94]、2009年にはベルマーレラッピングバスも運行された[95]。 さらに、2007年頃からは町田営業所の近くにホームスタジアムを置く﹁FC町田ゼルビア︵当時はJFLのクラブ︶﹂の観客輸送も担うようになり、2009年より神奈中の親会社である小田急電鉄がクラブスポンサーに就任した[96]。なお、前述の湘南ベルマーレとは異なり、神奈中としてはFC町田ゼルビアのクラブパートナーには参画していないが[97]、2023年よりFC町田ゼルビアラッピングバスがシーズン期間限定で運行されている。横浜市などからの路線譲受[編集]
自転車搭載バスなどの新サービス[編集]
連節バスと新たな公共交通の模索[編集]
通勤・通学路線においては、新しいタイプの公共交通の模索も進められた。 湘南台駅と慶應義塾大学藤沢キャンパスを結ぶ路線は、朝のバス待ち行列が250人近く並ぶ有様で、通常のバスでは捌ききれない状況であった。また、駅前広場の状況も警察により一般車の乗り入れ規制や交通指導員の配置なども行われていたが、通常のバスによるこれ以上の増発は困難な状況であった。このため、2003年には藤沢市が中心となって新たな公共交通システムを導入するための検討委員会が設立され[102]、道路交通の遠隔化やバリアフリー化、さらに交通不便地域でのミニバスによるフィーダー路線運行によるマイカー抑制や環境保全などを目標と定めた[102]。その前提として、1台あたりの定員の多い連節バスを基幹路線に導入することになった[102]。規制緩和への行動力[編集]
これに続き、厚木市は朝方通勤時のバス利用者が多い厚木アクストへの通勤路線に連節バスの導入を検討し、2006年には独自の補助金制度を定めた[104]。しかし、この時には藤沢市で導入されていたセントロライナーが日本向け車両の供給を中止しており[105]、車種選定を改めて行うことになった。自動運転推進への取り組み[編集]
2010年代後半に入ると、生活交通路線の維持や人為的ミスによる交通事故防止、運転士不足などに対処するため、自動運転バスの実用化に向けた取り組みを開始する[111]。 2017年に小田急電鉄、慶應義塾との間で先端技術の研究、地域の活性化、人材育成、教育活動などで連携協力する内容の協定を締結。2018年5月には、小田急電鉄、SBドライブ︵現・BOLDLY︶との間で協業に関する協定を締結し[111]、同年6月には自社初となる小型自動運転バス︵日野・ポンチョ︶を使った自動運転技術の実証実験を慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで、2019年2月には多摩ニュータウン内でそれぞれ実施した[112]。2021年2月には、横浜市栄区において中型自動運転バス︵いすゞ・エルガミオ︶を使った実証実験が行われ、この実験では磁気マーカに加え、信号情報の受信、路側センサー等による自動運転バスと地上インフラとの連携により、自動走行割合の大幅な向上が見られた[113]。 2021年10月には東京都住宅供給公社︵JKK東京︶と群馬大学が共同で、町田木曽住宅地域において乗客を乗せた自動運転車両︵レベル2、トヨタ・アルファード︶を活用した実証実験を実施することになり、運行事業者として神奈中グループ︵神奈川中央交通及び神奈中タクシー︶が参画することになった[114]。しかし、試験走行中に物損事故が発生したことを受けて実験開始が延期され[115]、2022年9月に運用を見直したうえで改めて実験運行が実施された[116]。 2022年5月からは慶應義塾大学SFC研究所と共同で、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス内で自動運転による循環シャトルバス︵三菱ふそう・ローザ︶の本格運行を開始した。運行開始時は自動運転レベル2での運行だが、2025年度に自動運転レベル4︵高度運転自動化︶を目指すとともに、将来的には自社一般路線での自動運転バス導入を目指している[117]。 2024年1月からはいすゞ自動車などと共同で、平塚駅南口エリアにて自動運転仕様に改造された大型路線バス﹁いすゞ・エルガ﹂を用いて、自動運転バスの実証実験が行われた。実験は自動運転レベル2での運行で、自動運転バスの操作を習得した運転士が乗務し、平塚営業所の﹁平15系統﹂の運行経路を一般の乗客を乗せずに走行する形で実施し、今後は特定条件下における完全自動運転となる自動運転レベル4を目指している[118]。乗合バス事業の再編へ[編集]
先述の通り、1996年の湘南神奈交バス設立以降順次進められてきた、神奈交バス5社への一部路線移管および運行管理の委託だったが、エリアの特性に応じた事業環境や効率化・最適化などを考慮し、この従来までの体勢を一新することが、2015年3月26日に行われた取締役会において決議された。 効力は2017年1月1日[119]で、バス事業をエリアごとに神奈川中央交通︵神奈川中央交通+横浜神奈交バス、相模神奈交バス町田営業所を含む︶、神奈川中央交通東︵藤沢神奈交バス+相模神奈交バス︶、神奈川中央交通西︵湘南神奈交バス+津久井神奈交バス︶の3社にそれぞれ吸収合併し再編、これにより従来の神奈交バス5社︵湘南、藤沢、横浜、相模、津久井︶は消滅した。 再編の概要は、以下の表の通りである[120][119]。2016年12月26日のリリースで再編後の営業所が一部計画変更の上公表され、相模神奈交バス相模原営業所︵峡の原車庫︶が﹁橋本営業所︵車番略称‥﹁も﹂︶﹂へ、相模神奈交バス厚木営業所︵上荻野車庫︶が﹁厚木北営業所︵車番略称‥﹁き﹂︶﹂へ変更された[121]。その後、2017年12月16日より大和・相模原営業所が新たに神奈川中央交通東が加わったほか、2019年4月1日より伊勢原営業所が新たに神奈川中央交通西が加わった。再編前の営業所名 | 再編前の事業者 | 再編後の事業者 | 再編後の営業所名 | 備考 | ||
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あ | 厚木営業所(及川、下荻野操車所) | 神奈川中央交通 | 神奈川中央交通 | あ | 厚木営業所 | |
い | 伊勢原営業所 | 神奈川中央交通 | い | 伊勢原営業所 | 現在の事業者は神奈川中央交通西[122][123] | |
お | (横浜営業所 舞岡操車所) 横浜神奈交バス 舞岡営業所 |
横浜神奈交バス | お | 舞岡営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり)。現在は全面解除 | |
さ | 相模原営業所(麻溝操車所) | 神奈川中央交通 | さ | 相模原営業所 | 現在の事業者は神奈川中央交通東 | |
せ | 綾瀬営業所 | 神奈川中央交通 | せ | 綾瀬営業所 | ||
た | 多摩営業所 | 神奈川中央交通 | た | 多摩営業所 | ||
ち | 茅ヶ崎営業所 | 神奈川中央交通 | ち | 茅ヶ崎営業所 | ||
と | 戸塚営業所 | 神奈川中央交通 | と | 戸塚営業所 | ||
や | (大和営業所 中山操車所) 横浜神奈交バス 中山営業所 |
横浜神奈交バス | な | 中山営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託。現在は全面解除 | |
ま | 町田営業所 相模神奈交バス 町田営業所 |
神奈川中央交通 相模神奈交バス |
ま | 町田営業所 | 2015年4月当時、相模神奈交バスへ一部委託 | |
や | 大和営業所(鶴間操車所) | 神奈川中央交通 | や | 大和営業所 | 2015年4月当時、鶴間操車所の一部を藤沢神奈交バスへ委託(神奈交自社路線あり) 現在の事業者は神奈川中央交通東 | |
よ | 横浜営業所 | 神奈川中央交通 | よ | 横浜営業所 | ||
相模神奈交バス 菅生営業所 | 相模神奈交バス | 神奈川中央交通東 | 菅生営業所 | 川崎市交通局菅生営業所を全面受託 2017年3月26日[124]より、受託営業所を菅生から井田営業所へ変更[125][126]。 | ||
あ | (厚木営業所 上荻野操車所) 相模神奈交バス 厚木営業所 |
相模神奈交バス | き | 厚木北営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託 | |
ふ | (茅ヶ崎営業所 藤沢操車所) 藤沢神奈交バス 藤沢営業所 |
藤沢神奈交バス | ふ | 藤沢営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) | |
さ | (相模原営業所 峡の原操車所) 相模神奈交バス 相模原営業所 |
相模神奈交バス | も | 橋本営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) | |
や | 藤沢神奈交バス 大和営業所 | 藤沢神奈交バス | や | 大和営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より鶴間操車場の一部を受託
(神奈交自社路線あり) | |
つ | (相模原営業所 三ヶ木操車所・城山操車所) 津久井神奈交バス 津久井営業所 |
津久井神奈交バス | 神奈川中央交通西 | つ | 津久井営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) |
は | (伊勢原営業所 秦野操車所) 湘南神奈交バス 秦野営業所 |
湘南神奈交バス | は | 秦野営業所 | 2015年4月当時、神奈川中央交通より全面受託(神奈交自社路線あり) | |
ひ | 伊勢原営業所 平塚操車所 湘南神奈交バス 平塚営業所 |
神奈川中央交通 湘南神奈交バス |
ひ | 平塚営業所 | 2015年4月当時、湘南神奈交バスへ一部委託(神奈交自社路線あり) |
年表[編集]
●1921年 ●6月5日 - 相武自動車株式会社設立[9]。 当時の横浜市大岡地区では乗合自動車を始める者が乱立し、競争が繰り広げられていた。この無益な競争に終止符を打つべく、関係者が同社を設立し整理統合を行った。 ●10月29日 - 金沢自動車運輸より路線承継︵滝頭 - 杉田 - 瀬戸 - 逗子間︶。 ●1928年7月 - 梁瀬長太郎︵ヤナセ創業者︶が社長に就任。 ●1931年11月 - 鶴屋商会︵1919年5月創業、戸塚 - 厚木間の乗合自動車を運営︶の大木敏行が買収。杉田 - 逗子間を湘南乗合自動車︵現在の京浜急行バス︶へ譲渡。 ●1936年12月 - 鶴屋商会及び戸塚自動車商会︵戸塚 - 岡津間︶を合併[10]。 ●1937年1月12日 - 相武鶴屋自動車株式会社に商号を変更[10]。 ●1938年5月 - 東京横浜電鉄︵現在の東急︶に買収され、同社の傘下に入る[15]。 ●1939年6月16日 - 中央相武自動車を合併、東海道乗合自動車株式会社に商号変更。 ●1941年12月15日 - 同じ東横傘下の関東乗合自動車及び江ノ島電気鉄道の一部路線を譲受。 ●1942年2月 - 同じ東横傘下の秦野自動車︵1921年8月設立、秦野 - 平塚間、秦野 - 二宮間他︶を合併[12]。 ●1943年4月 - 東京急行電鉄、神奈川県下の陸上交通統制の趣旨に基づき、伊勢原自動車及び藤沢自動車を買収。 ●1944年 ●5月31日 - 東海道乗合自動車は伊勢原自動車及び藤沢自動車を合併[12]。 ●6月16日 - 神奈川中央乗合自動車株式会社に商号を変更[12]。 ●11月28日 - 相模鉄道及び江ノ島電気鉄道の乗合自動車事業を譲受︵3月に譲渡契約を締結。江ノ電バスはこれで一旦消滅︶[12]。 ●1945年11月 - ハイヤー・タクシー事業を相模中央交通に譲渡。 ●1948年6月1日 - 東京急行電鉄の再編成に伴い、同社より分離・新発足した小田急電鉄の傘下会社になる[28]。 ●1949年 ●5月 - 東京証券取引所に上場。 ●6月20日 - 江ノ島電気鉄道に一部路線を譲渡︵江ノ電バスの復活︶[20]。 藤沢駅 - 七里ヶ浜 - 鎌倉駅間、藤沢駅 - 本鵠沼駅 - 辻堂駅間、石上 - 堀川間︵旧来の江ノ電路線︶ 藤沢駅 - 深沢 - 鎌倉駅間、鎌倉駅 - 大船駅 - 日野 - 弘明寺間、大船駅 - 飯島 - 戸塚駅裏口間、関ノ下 - 杉田聖天橋間 ●1950年5月31日 - 相模中央交通を合併してハイヤー・タクシー事業を再び兼業する。 ●1951年6月29日 - 神奈川中央交通株式会社に商号を変更[29]。 ●昭和30年代に平塚駅から伊勢原市大山までトロリーバスの運行を計画したことがあったが、道路事情の悪さから道路を管理する神奈川県が難色を示し、中止となった。 ●1965年2月1日 - 伊勢原営業所・茅ヶ崎営業所の管内全路線でワンマン運行を開始[37]。多区間運賃路線での整理券方式によるワンマン化は日本では初めて[31]。 ●1970年7月27日 - 鶴川駅 - 鶴川団地線に深夜バスを運行開始[41]。当時は運賃は3倍で[49]、定期券は利用不可であった[49]︵日本初の深夜バスといわれていたが[41]、実際には誤りである。詳しくは日本の深夜バスを参照。︶。 ●1973年4月 - ハイヤー・タクシー事業を神奈中ハイヤーに譲渡。 ●1974年5月 - ヤビツ峠線のワンマン化に伴い、全路線のワンマン化が終了[32]。 ●1976年5月1日 - 藤野町︵現・相模原市︶の路線で自由乗降区間を初めて設定[41]。以後順次導入路線を拡大。 ●1979年5月21日 - 路線バス車両に冷房車の導入を開始[127]。 ●1980年9月9日 - 路線バス車両に大型方向幕の導入を開始[128]。 ●1981年 - 開業60周年を記念し、薪バス﹁三太号﹂を復元[127]。 ●1986年4月1日 - 全系統に系統番号を附番[129]。横浜市内の均一運賃区間において、共通回数券を導入。 ●1987年 ●3月3日 - 一般路線バスの塗装を変更[129][注釈 12]。 ●4月 - ギャラリーバスの運行開始[129]。全社で26台導入し、すべての営業所に配置された。一般公募により、同年7月に﹁カナちゃん号﹂と命名された。 ●5月29日 - 路線バス全車両が冷房車となった[130]。 ●1988年5月9日 - 多区間運賃制の路線バスでは日本初となるバスカードシステムを平塚・伊勢原・秦野の各営業所で導入開始[131]。 ●1989年 ●2月28日 - 夜行高速バス運行開始[132]。 ●12月22日 - 深夜急行バス運行開始[133]。 ●1990年3月26日 - 横浜・舞岡・戸塚の各営業所での導入を最後に全路線へのバスカードシステム導入完了[133]。 ●1992年9月25日 - 極東開発工業と共同で、従来のツーステップバスをペースに前扉のステップにリフト機器を取り付けた新ステップ車の試作車が5台運行開始[134]。1993年3月にも10台の試作車が投入された。1994年から量産車を投入し、2000年までの大型車と中型車全車に取り付けた[注釈 13]。 ●1995年4月1日 - 観光バス並びに事業を神奈中ハイヤーに譲渡[135]︵現在の神奈中観光︶。 ●1996年4月1日 - 一部路線並びに事業を湘南神奈交バスに譲渡[136]。 ●1997年9月20日 - 環境保護キャンペーンの一環として﹁スヌーピーバス﹂の運行を開始[137]。同時に日本初の環境定期券制度を導入[137]。 ●1999年 ●6月30日 - 相模原所属のさ154号車が廃車[138]。これにより波形デザインの旧塗装車が全廃[138]。 ●11月21日 - 一部路線・事業を津久井神奈交バスに譲渡[138]。 ●2000年10月18日 - 一部路線・事業を横浜神奈交バスに譲渡[139]。 ●2001年 ●4月1日 - 一部路線・事業を相模神奈交バス並びに藤沢神奈交バスに譲渡[140]。 ●12月 - 横浜担当の全線が前乗り・運賃先払いとなったため、整理券発行機が撤去された[注釈 14]。 ●12月8日 - 2代目となるギャラリーバスが運行を開始[140]。各営業所に1台ずつ配置。愛称は﹁かなちゃん号﹂を踏襲。初代はこの日限りで引退。 ●2003年 ●4月1日 - 藤野台団地 - 相模湖線の廃止で、一般路線は山梨県から撤退。 ●8月 - ﹁スヌーピーバス﹂の運行終了。車両はそのまま貸切兼用として運用。 ●2005年 ●2月1日 - 厚木市内全路線︵厚木営業所は全路線︶でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[141]。 ●3月14日 - 湘南台駅 - 慶應義塾大学で﹁ツインライナー﹂運行開始。同時にGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[142]。 ●7月4日 - 横浜市交通局︵横浜市営バス︶から一部路線の移譲開始。 ●9月25日 - 横浜営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。 ●9月27日 - 舞岡営業所の支払い方式を両替式から釣銭方式に変更。 ●11月28日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される[143]。 ●2006年 ●1月30日 - 横浜市営バスから一部路線を完全移譲される︵同年3月27日にも実施︶[143]。 ●3月27日 - 伊勢原営業所管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●5月1日 - 上大岡駅発着路線でGPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[141]。 ●11月17日 - 昼行高速バス﹁新横浜駅線﹂の運行を開始[144]。 ●2007年 ●3月11日 - 藤野町の相模原市合併に伴い、藤野町営バス路線を子会社の津久井神奈交バスが譲受。これにより神奈中撤退区間が復活。 ●3月16日 - 相模原・多摩・町田の各営業所管内及び大和営業所の町田市内乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[141]。 ●3月18日 - 戸塚営業所の全路線とツインライナーにてPASMO運用開始[144]。 ●4月1日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される[144]。 ●12月9日 - 茅ヶ崎・綾瀬の各営業所の全路線と藤沢神奈交バス(藤沢)にてPASMO運用開始[93]。 ●2008年 ●1月20日 - 多摩・町田の各営業所の全路線にてPASMO運用開始[93]。 ●2月4日 - 厚木バスセンター - 厚木アクスト線にツインライナー導入[93]。同時に同路線にてPASMOの運用開始。 ●2月12日 - 横浜市営バスから一部路線を移譲される[93]。 ●2月17日 - 大和営業所と藤沢神奈交バス︵大和︶の全路線にてPASMO運用開始[93]。 ●3月1日 - 昼行高速バス﹁新横浜駅線﹂を廃止[93]。 ●8月12日 - 新潟市のオムニバスタウン事業の一環として、新潟市でツインライナーの試乗会が開催された[93]。 ●8月16日 - 相模鉄道から同社バス細谷戸線を委譲される[93]。 ●10月13日 - 相模原営業所と相模神奈交バス︵相模原︶・津久井神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始[145]。 ●11月3日 - 横浜・舞岡各営業所及び横浜神奈交バスの全路線にてPASMO運用開始[145]。 ●11月24日 - 平塚営業所と湘南神奈交バス︵平塚︶の全路線にてPASMO運用開始[145]。 ●12月21日 - 厚木営業所の全路線にてPASMO運用開始[145]。 ●2009年 ●3月15日 - 伊勢原営業所と湘南神奈交バス︵秦野︶の全路線にてPASMO運用開始[145]。これにより、夜間高速バス、成田空港線、羽田空港線を除いた全営業所の一般路線にてPASMOの利用可能となった。 ●3月26日 - 茅ヶ崎営業所の一部路線にて自転車ラックバスの実証実験を開始︵ - 8月31日︶[145]。 ●12月16日 - 秦野市内および座間市内への乗入路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[141]。 ●2010年 ●3月1日 - 横浜市内全路線および藤沢市内の一部路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[141]。 ●7月31日 - バス共通カードの取り扱いを終了[146]。 ●12月16日 - 藤沢・綾瀬・茅ヶ崎・平塚・伊勢原営業所管内の路線において、GPSを利用したバスロケーションシステムの運用を開始[141]。 ●2011年4月1日 - 相模神奈交バスが川崎市交通局より川崎市バス菅生営業所の運行管理を受託。自社子会社が神奈川中央交通本体以外の運行管理を受託するのは初となる[147]。 ●2012年 ●3月24日 - 茅ヶ崎営業所管内︵藤沢操車所を除く︶全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●5月28日 - 町田バスセンター - 山崎団地センター間でツインライナー導入[109]。 ●10月29日 - 伊勢原営業所秦野操車所管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●2013年 ●3月23日 - PASMO、Suicaなど交通系ICカード全国相互利用サービス開始。 ●6月24日 - 平塚営業所︵湘南神奈交バスを含む︶管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●10月27日 - 相模原営業所︵相模神奈交バス相模原営業所・津久井神奈交バスを含む︶管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●2014年 ●3月24日 - 厚木営業所︵相模神奈交バス厚木営業所を含む︶管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●4月1日 - 消費税増税に伴い運賃を改定し、10円単位の現金運賃と1円単位のICカード運賃の2種類の運賃を設定するようになった。 ●9月24日 - 綾瀬営業所・茅ヶ崎営業所藤沢操車所管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●2015年 ●3月23日 - 戸塚営業所管内全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂﹁前乗り・中降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●7月 - 7月以降から新車導入は全車ノンステップバスに統一される。 ●2016年 ●3月22日 - 大和営業所︵藤沢神奈交バス大和営業所を含むが中山操車所を除く︶管内のうち、横04・90系統を除く全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂﹁前乗り・中降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●2017年 ●1月1日 - 神奈中の再編に伴い神奈交バスが消滅。 ●3月21日 - 多摩営業所・町田営業所管内のうち、鶴01、08、10、11、13、26、町13︵朝の山崎団地センター発のみ︶、まちっこを除く全路線の乗降方法を﹁前乗り・前降り﹂・﹁前乗り・中降り﹂から﹁中乗り・前降り﹂に変更。 ●2019年 ●4月1日 - 神奈中の再編に伴い伊勢原営業所の事業者が神奈川中央交通西へと変更[122][123]。 ●2021年 ●4月1日 - 創立100周年を記念し、新制服を導入[148]。 ●4月2日 - バス利用特典サービスを終了[149]。 ●9月1日 - 金額式IC定期券を導入。従来の区間式定期券は同年8月31日付で販売終了[150]。 ●2022年2月28日 - 神奈中高速バス予約センターの予約受付業務を終了[151]。 ●2023年 ●4月1日 - 小児IC運賃を一律50円に改定。この改定に伴い、ちびっこ50円キャンペーンは同年3月末で終了[88]。 ●5月26日 - 同年7月1日︵予定︶に、横浜市内均一運賃区間など一部を除き、乗合路線バスの運賃改定を発表[152]。神奈川中央交通西の路線については認可申請中[153]。 ●7月1日 - 乗合路線バスの運賃改定︵横浜市内均一運賃区間など一部を除く︶ ●10月1日 - バス車内に掲示している乗務員名札を廃止︵同年8月に一部改正された旅客自動車運送事業運輸規則における乗務員氏名掲示義務の廃止により︶ ●10月27日 - 一般塗装のリニューアルを発表︵デザインは奥山清行が担当︶[154]。基本デザインの大幅な刷新は1949年以来、74年ぶりとなる。2024年2月導入の新車両を皮切りに順次更新予定。バス事業[編集]
路線バス[編集]
乗降方式[編集]
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「中乗り前降り」方式採用当初は『中ドア乗車』の幕を掲げた
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本格導入後は行先表示器の系統番号に『中乗り』と表示する方式に変更
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町田営業所の前面行先表示。中乗り前降り導入後は『中乗り』もしくは『先払』と表示される
乗り継ぎ割引[編集]
指差呼称[編集]
高速バス[編集]
深夜急行バスについては神奈川中央交通西・平塚営業所と神奈川中央交通舞岡営業所を参照。 かつては神奈中本体で6路線の夜行高速バスを運行していた。その後、採算性の悪化により廃止や神奈交バスへの移管を経て、共同運行会社による単独運行や他系統への統合が行われた。一部路線は再編の上で存続しているが、神奈中では予約・発券業務のみを担当している。そのため現在は昼行高速バスと空港連絡バスのみ運行している。かつては電話予約も受け付けていたが、神奈中高速バス予約センターの閉鎖に伴って2022年2月28日で予約受付業務を終了した︵以降はインターネット予約のみ︶[151]夜行高速バス[編集]
昼行高速バス[編集]
空港連絡バス[編集]
羽田空港発着[編集]
田村車庫・本厚木発着 京浜急行バス[注釈 15]との共同運行で[201]、1999年6月14日より運行開始[201][注釈 16]。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス︵現‥神奈川中央交通西︶に運行移管。東名大和バス停は、2018年9月1日から停車[202]。 相模大野・町田・南町田発着 京浜急行バス[注釈 15]との共同運行で[203]、2001年8月7日より運行開始[140]。2017年7月1日より一部便が南町田グランベリーパーク駅に停車[194]。 戸塚・港南台発着 神奈中側では横浜神奈交バス︵現‥神奈川中央交通︶が運行を担当、京浜急行バス[注釈 15]との共同運行で[203]、2003年7月18日より運行開始[204]。当初は港南台駅発着のみであったが、2004年12月1日より一部便が戸塚駅東口まで延長[142]。2015年4月より一部便が東戸塚駅東口・上永谷駅に停車。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、2021年5月20日から全便運休となったが、運行再開をせずに2022年2月28日限りで廃止。2021年5月19日が事実上の最終運行日となった。 海老名発着 京浜急行バス・相鉄バスとの共同運行[205]。2012年3月30日より運行開始[205]。神奈中側は2016年8月16日より湘南神奈交バス︵現‥神奈川中央交通西︶に運行移管。新型コロナウイルス感染拡大の影響により、2020年9月1日から全便運休となったが、運行再開をせずに共同運行便も含めて2024年5月31日限りで廃止[206]。2020年8月31日が事実上の最終運行日となった[207]。成田空港発着[編集]
貸切バス[編集]
特定旅客事業[編集]
営業所[編集]
営業所名後ろの括弧内の平仮名及び英字は営業所を略記する際の記号。個別の路線については各営業所及び操車所の項目を参照のこと。 神奈川中央交通 ●綾瀬営業所︵せ︶ - 神奈川県綾瀬市 ●多摩営業所︵た︶ - 東京都八王子市 ●茅ヶ崎営業所︵ち︶ - 神奈川県茅ヶ崎市 ●戸塚営業所︵と︶ - 神奈川県横浜市泉区 ●町田営業所︵ま︶ - 東京都町田市[注釈 18] ●中山営業所︵な︶ - 神奈川県横浜市旭区 ●横浜営業所︵よ︶ - 神奈川県横浜市栄区 ●舞岡営業所︵お︶ - 神奈川県横浜市戸塚区 神奈川中央交通東 ●厚木営業所︵あ︶・厚木北営業所︵き︶ - 神奈川県厚木市 ●相模原営業所︵さ︶ - 神奈川県相模原市南区 ●橋本営業所︵も︶ - 神奈川県相模原市緑区 ●藤沢営業所︵ふ︶ - 神奈川県藤沢市 ●大和営業所︵や︶ - 神奈川県大和市 神奈川中央交通西 ●伊勢原営業所︵い︶ - 神奈川県伊勢原市 ●秦野営業所︵は︶ - 神奈川県秦野市 ●津久井営業所︵つ︶ - 神奈川県相模原市緑区 ●平塚営業所︵ひ︶ - 神奈川県平塚市廃止・改称・移管された営業所・操車所[編集]
●弘明寺営業所 - 神奈川県横浜市︵1954年12月21日に移転の上横浜営業所に改称[215]︶ ●上溝営業所 - 神奈川県相模原市︵1958年9月22日に移転の上相模原営業所に改称[216]︶ ●厚木営業所半原操車所 - 神奈川県愛甲郡愛川町︵1982年5月16日廃止[217]︶ ●藤沢営業所長後操車所 - 神奈川県藤沢市︵現 長後駅前サービスセンター。1988年12月24日廃止。営業所機能は綾瀬営業所に移行[218]︶ ●横浜営業所笹下操車所 - 神奈川県横浜市港南区︵2001年12月16日廃止[140]。営業所機能は管轄の本郷操車所に移転︶ ●神奈中ハイヤー観光バス 新横浜営業所 - 神奈川県横浜市港北区︵2004年廃止︶ ●元は県の第三セクター神奈川県観光の営業所。同じ神奈中ハイヤー観光バス︵当時︶の平塚・町田・戸塚営業所へ統合し廃止。詳細は神奈中観光を参照。 ●藤沢営業所 - 神奈川県藤沢市︵2005年4月16日に茅ヶ崎営業所へ統合し廃止、操車所化[143]︶ ●津久井営業所 - 神奈川県津久井郡津久井町︵2005年4月16日に相模原営業所へ統合し廃止、操車所化[143]︶ ●津久井営業所城山操車所 - 神奈川県津久井郡城山町︵2005年4月16日に相模原営業所に移管[143]︶ ●神奈中観光 戸塚営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区︵2006年廃止︶ ●先立った小田急グループ内の事業再編で、2002年に旧・箱根登山観光バス東京営業所を統合し、野津田車庫から旧箱根登山観光の車庫へ移転していた当時の神奈中観光町田営業所︵町田市鶴間。現・東京営業所︶と2006年に統合し廃止。詳細は神奈中観光を参照。なお、現在も車庫は現存し、神奈川中央交通戸塚営業所上矢部休憩所として休憩や待機で使用している。 ●秦野営業所 - 神奈川県秦野市︵2008年5月16日に伊勢原営業所へ統合し廃止、操車所化[93]︶ ●神奈中観光 平塚営業所 - 神奈川県平塚市︵2008年改称。現在の神奈川営業所︶ ●神奈中観光 町田営業所 - 東京都町田市︵2008年改称。現在の東京営業所︶ ●舞岡営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区︵2011年10月16日に横浜営業所へ統合し廃止、操車所化︶ 前述の藤沢・津久井・秦野・舞岡については、子会社への全面委託化に伴う操車所化であり、それぞれ神奈交バスの営業所として現存していた。 また、事業再編の項での先述通り、舞岡については2017年の事業再編で再び神奈川中央交通の営業所となった。 以下は2006年12月まで存在した神奈交時代の営業所一覧で、記号は当時の各神奈交の自社所有車両に使用された︵受託車両には用いない︶。なお、所在地に併記した営業所名は、各神奈交の営業所が所在する神奈中本体の営業所・操車所を表す。 ●湘南神奈交バス︵か︶ ●平塚営業所 - 神奈川県平塚市︵平塚営業所田村操車所︶ ●秦野営業所 - 神奈川県秦野市︵伊勢原営業所秦野操車所︶ ●藤沢神奈交バス︵FK︶ ●大和営業所 - 神奈川県大和市︵大和営業所鶴間操車所︶ ●藤沢営業所 - 神奈川県藤沢市︵茅ヶ崎営業所藤沢操車所︶ ●相模神奈交バス︵SK︶ ●相模原営業所 - 神奈川県相模原市緑区︵相模原営業所峡の原操車所︶ ●厚木営業所 - 神奈川県厚木市︵厚木営業所上荻野操車所︶ ●町田営業所 - 東京都町田市︵町田営業所︶ ●津久井神奈交バス︵T-︶ ●津久井営業所 - 神奈川県相模原市緑区︵相模原営業所三ヶ木操車所︶ ●津久井営業所城山操車所 - 神奈川県相模原市緑区︵相模原営業所城山操車所︶ ●横浜神奈交バス︵YK︶ ●舞岡営業所 - 神奈川県横浜市戸塚区︵横浜営業所舞岡操車所︶ ●中山営業所 - 神奈川県横浜市緑区︵大和営業所中山操車所︶営業所の変遷[編集]
統合により神奈川中央乗合自動車が発足した1944年6月16日の時点では、以下の営業所が存在した。 東海道乗合自動車の営業所 弘明寺[215]・戸塚[219]・平塚[220]・中野[221]・町田[222] 旧・藤沢自動車の営業所 藤沢[223][注釈 19]・茅ヶ崎[224]・厚木[225] 旧・秦野自動車の営業所 秦野[226] 旧・伊勢原自動車の営業所 伊勢原[227] その後、同年9月16日には茅ヶ崎営業所を平塚営業所に統合した[224]ほか、相模鉄道のバス事業譲り受けに伴い、同年11月28日に上溝営業所が発足している[216]。 戦後、1952年2月23日に鶴間営業所が開設された[228]ことに伴い、町田営業所は鶴間営業所の出張所となった[222]。1954年には弘明寺営業所の業務を横浜市南区笹下町に新設された横浜営業所に移転[229]、1958年6月25日には町田営業所が開設され[222]、逆に鶴間営業所は町田営業所の出張所となった[228]。同年9月22日には、上溝営業所が移転の上相模原営業所に改称している[216]。1960年には中野営業所を津久井営業所に改称した[230]。 1960年代以降、輸送力の増強に伴う車両の増加に対応するために、営業所を郊外へ新設や移転を行い、同時に敷地面積も拡大するという手法がとられた[31]。まず1962年には厚木営業所上荻野出張所︵当時︶・戸塚営業所長後出張所︵当時︶が開設され[230]、翌1963年4月20日には戸塚営業所を戸塚駅前から郊外︵横浜市戸塚区中田町、現 立場ターミナル停留所︶に移転[231]、同年5月10日には舞岡営業所が新設されたほか[232]、1963年12月25日には横浜営業所本郷出張所が竣工[232]、1964年8月15日には平塚営業所から分離して[231]茅ヶ崎営業所が設立された[232]。なお、命令系統の明確化を目的として[231]、1962年以降は各営業所は運輸部所属部門から社長直轄の事業所に変更された[231]。 1965年に車両数が1000台を超えると、さらに郊外への移転が進められた。1966年6月10日に秦野営業所が移転[232]、1968年には平塚営業所田村操車所が竣工[233]、1969年には町田営業所が移転[233]、1970年には町田営業所から鶴間操車所が分離して大和営業所が発足[234]、1971年には相模原営業所峡の原車庫が開設され[235]、1972年には厚木営業所も移転した[236]。1973年には貸切業務が平塚・戸塚の2営業所に統合された[237]ほか、戸塚営業所長後操車所を藤沢営業所に[237]、津久井営業所の橋本操車所を相模原営業所へそれぞれ移管した[237]。 1988年12月24日からは藤沢営業所から分離するかたちで[218]綾瀬市吉岡に綾瀬営業所が開設され[238]、藤沢営業所長後操車所は廃止された[218]。2001年7月29日には多摩営業所が開設された[239]。 2005年4月16日からは、藤沢営業所は茅ヶ崎営業所藤沢操車所に[143]、津久井営業所・城山操車所2005年4月16日よりそれぞれ相模原営業所三ヶ木操車所・相模原営業所城山操車所︶に[143]、秦野営業所は2008年5月16日より伊勢原営業所秦野操車所に[93]、舞岡営業所は2011年10月16日より横浜営業所舞岡操車所に変更された。各地区の神奈交バスへの全面的な管理委託が行われたことによるもので、神奈川中央交通本体としての営業所機能は廃止された。 その後2017年1月1日の会社再編により神奈交バス5社は消滅し、次の通り再編された。 ●旧横浜神奈交バスの営業所‥舞岡︵横浜営業所舞岡操車所︶・中山︵大和営業所中山操車所︶を神奈川中央交通に移管[注釈 20]。 ●旧相模神奈交バスの営業所‥相模原︵相模原営業所峡の原操車所︶・厚木︵厚木営業所上荻野操車所︶を神奈川中央交通東に移管しそれぞれ橋本営業所・厚木北営業所に名称を変更し、町田は神奈川中央交通の営業所に一本化された。 ●旧藤沢神奈交バスの営業所‥藤沢︵茅ヶ崎営業所藤沢操車所︶・大和を神奈川中央交通東に移管[注釈 21]。 ●旧湘南神奈交バスの営業所‥平塚︵伊勢原営業所平塚操車所︶・秦野︵伊勢原営業所秦野操車所︶を神奈川中央交通西に移管。 ●旧津久井神奈交バスの営業所‥津久井︵相模原営業所三ヶ木操車所・城山操車所︶を神奈川中央交通西に移管。 また、上記の再編に続き2017年12月16日には、神奈川中央交通の営業所であった相模原・厚木・大和の各営業所が神奈川中央交通東に移管された[注釈 22]。2019年4月1日には、神奈川中央交通の営業所であった伊勢原営業所が神奈川中央交通西に移管された。 なお、2009年6月からは、それまで社長直轄事業所であった各営業所は、運輸営業部に所属する部門に変更された[240]。 各営業所の特徴として、乗務員の休憩室と事務室の仕切りがなく[241]、事務員が多忙の際には休憩中の乗務員が外部からの問い合わせ電話を受けることもある[241]という点が挙げられる。運賃・乗車券類[編集]
●かなちゃん手形 ●69歳以上の利用者限定で購入でき、手形を呈示することで一般路線バスを本来の運賃に関係なく1乗車100円(深夜バスは200円)で利用できる。3か月3,500円、6か月5,900円、1年10,800円である。当初は65歳以上としていたが、2022年3月10日発売分より69歳以上に対象年齢が引き上げられた。 ●一日フリー乗車券 ●神奈川中央交通グループの一般路線バスが乗り放題になるフリー乗車券で、当日のみ使用可能。PASMOまたはSuicaを利用し、バス車内でのみ発売。大人1,050円、小児530円。かつてはスクラッチ式︵2011年12月31日販売終了︶、磁気券︵2022年2月28日販売終了︶も存在した。障害者割引[編集]
●身体障害者手帳・療育手帳 ●現金運賃、IC運賃は5割引、定期券は3割引、スマートフォンアプリ﹁ミライロID﹂等を提示︶した場合、本人と介護人に対してそれぞれ割引運賃が適用される。 ●IC運賃を障がい者用ICカードで支払う場合、手帳の提示は不要。 ●精神障害者保健福祉手帳 ●精神障害者保健福祉手帳︵写真付︶を提示︵スマートフォンアプリ﹁ミライロID﹂等の提示も含む︶し、かつ乗車降車ともに本人に限り5割引の運賃が適用される。 ●但し、東京都発行の手帳及び、東京都内での利用に限る︵本社がある神奈川県及び山梨県において、東京都民以外の人は障害者割引が利用出来ないので注意が必要である︶。車両[編集]
本節では便宜上、大型車のうち全長が10.5mから10.9mの車両を﹁標準尺車﹂、全長が9mから10.5m未満の車両を﹁短尺車﹂、全長11m級の車両を﹁長尺車﹂と標記する。車両史[編集]
創業期の車両[編集]
神奈中の前身となる事業者の1つである鶴屋商会では、フォードやビュイック、レオなどの輸入車両が使用された記録が残っている[51]。戦時中から終戦直後[編集]
1940年10月になると、石油消費規制が強化されたことに伴い、保有車両の7割が代用燃料化された[242]。さらに、1941年8月には液体燃料配給停止の措置がとられたため、保有車両の全車両が代用燃料化されることになった[242]。 当初は代用燃料は木炭と薪が使用されていた。神奈川県内では清川村が良質の木炭の産地であった[243]。地元民からは﹁木炭を特別に配給するからダイヤの完全運行をしてほしい﹂という依頼もあったという[243]。ところが、1945年に入ると県内産木炭の入荷が途絶え[243]、やむを得ず福島県から鉄道輸送によって木炭を入手することになった[243]。しかし、神奈川県産の木炭と比べるとガス発生量は少なかったという[243]。その福島県産の木炭さえも入手が難しくなり、最終的にはほぼ薪に頼る状態となった[243]。 薪については、代用燃料導入当初は、ガス発生にも適する状態のよく乾燥された良質の薪が入手できていたが[244]、1944年頃からは乾燥が不十分な状態のままで入荷することになった[244]。薪の産地は丹沢の森林地帯で[244]、トラックや座席を撤去したバスで足柄上郡三保村まで直接取りに行っていたという[244]。終戦直後になると、薪の加工工場の生産能力が間に合わず、1946年には渋沢に薪生産工場を設けて自社生産を行った[244]。 燃料以外の保守部品も不足しており、エンジンオイルは鉱物油・植物油・魚油を混合したものを使用し[244]、しかも一度使用したオイルは再生の上配給に回された[244]。窓ガラスが破れた場所には板が張られ[244]、雨漏りの補修もままならず[245]、雨の日には車内で乗客が破れた傘をさしている光景も見られたという[245]。 なお、空襲を避けるため、横浜市内の路線を担当する戸塚営業所では全車両に装甲車に見えるようなカムフラージュを施して営業していたという[243]。戦後の復興[編集]
戦後、稼動車両を早期に増強しないと収入が見込めない状態であった[246]。しかし、バスはシャーシが割り当てられたものの架装すべき車体がない状態であった[246]。また、部品を他の車両に流用したままになっていた遊休車両もあった[246]。そこで、秦野町︵当時︶にある神中自動車工業秦野工場を買収し、秦野工場として自社で車両整備を行うことになり[246]、1947年から秦野工場として本格的に業務が開始された[246]。同工場で再生された車両は、自製のボンネット周りに外観上の特徴があった[51]。 また、戦後の貸切バス再開に伴い、1936年式のフォードの内装を改装した貸切バス車両を2台導入したが[247]、これも秦野工場で再生された[247]。 秦野工場は各営業所の付属工場の整備が進んだ1953年に閉鎖されたが[246]、戦後の車両復興に大きく貢献した。ディーゼルバス導入から高度成長期へ[編集]
1948年10月には、初のディーゼルバスとしていすゞ・BX91型が5台導入された[247]。翌1949年に導入された車両からは、路線バス車両のカラーリングについて、ベース色がクリーム色に変更された[248]。 1963年には、清川村の札掛へ乗り入れる路線が開設されたが[249]、この路線に導入された車両は、当時の神奈中としては唯一のマイクロバスであった[249]。 高度成長期は輸送力増強に対応するため、道路環境が整備されているとは限らなかったにもかかわらず、高度成長期から1990年までの神奈中で導入される車両の大半は長尺車であった[55][注釈 23]。車両数も別表に見られるように増加の一途を辿り、特に厚木営業所では1985年度に所属台数が200台を超えている[注釈 24]。1980年代以降の車両概説[編集]
1980年代半ばに神奈川三菱ふそう自動車販売が傘下となってからは三菱製車両の導入が多くなり[54]、2005年時点では9割以上が三菱車となっている[212]。相模原・多摩・戸塚・平塚・町田・横浜など、大型路線車のほとんど全車が三菱車で占められている営業所も多数存在する[注釈 25]。いすゞ製の車両は綾瀬・茅ヶ崎・藤沢・大和の各営業所に多く[250][注釈 26]、日野製の大型車両はハイブリッド車と一部のブルーリボンII以外は全車両が伊勢原営業所に配置され[251][注釈 27]、日産ディーゼルは主に厚木・平塚・秦野の各営業所に配置された[251][注釈 28]。各メーカーの車両とも、1990年以降はノンステップバスなど一部の短尺車を除き標準尺車のみの導入に統一されている[212]。狭隘路線や閑散路線には中型車も導入されており、こちらもかつては4メーカーから導入していたが、日野製の中型車は2009年までに日産ディーゼルの中型車は2011年に全廃となり、現在は三菱製といすゞ製のみの在籍となっている。1985年製の車両までは6年から8年程度︵長くても10年程度︶で廃車されるケースが多かったが[210]、近年は使用年限を延長しており[210]、2017年時点で最も古い車両は2001年式である[210]。[注釈 29] 一般路線車の車体は、三菱製は伝統的に︵呉羽自動車工業→新呉羽自動車工業→三菱自動車バス製造→︶三菱ふそうバス製造[210][注釈 30]、日野製は日野車体[210]、いすゞ製は純正の川崎重工の他、富士重工や北村製作所を並行して採用していた[210][注釈 31]。日産ディーゼル車についても富士重工および西日本車体工業製で導入されていたが[210]、2010年後半以降は三菱からのOEM車種であるスペースランナーAを導入していた。 なお、ほかの事業者では2000年の三菱リコール隠し以降三菱製の導入を一時中止したり、減らしたりした事業者が多いが、当社は前述の理由から若干、いすゞが増えた程度。ただし、中型車を擁する営業所ではエアロミディ生産中止の影響でジェイ・バス製以外の選択肢がなくなり、いすゞや日野が増加する傾向にある。-
三菱「エアロスター」ノンステップ(お07)
撮影:馬車道駅前 -
三菱「エアロミディS」ワンステップ(い103)
撮影:伊勢原営業所 -
いすゞ「エルガミオ」ノンステップ(や0107)
撮影:相武台前駅 -
いすゞ「エルガハイブリッド」ノンステップ(な44)
撮影:鶴ヶ峰駅 -
日野「ブルーリボンハイブリッド」ノンステップ(ひ114)
撮影:愛甲石田駅 -
日産ディーゼル「スペースランナー」ノンステップ(あ30)
撮影:厚木バスセンター
この他、「ツインライナー」と命名された連節バス(ネオプラン・セントロライナー[252]、メルセデス・ベンツ・シターロ[105])が一部路線で運用されているほか、ミニバス路線や自治体から受託のコミュニティバス向けに小型ノンステップバス(オムニノーバ・マルチライダー[252]や三菱・エアロミディME、日野・ポンチョ)などが導入されている。2023年からは同社初となる電気バス(BYD・K8)が、翌2024年には小型電気バス(BYD・J6)がそれぞれ導入された。
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BYD・K8(ひ201) 撮影:平塚駅北口
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オムニノーバ・マルチライダー(ち104) 撮影:茅ケ崎駅
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三菱・エアロミディME(や159) 撮影:境橋
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日野・ポンチョ(ま175) 撮影:町田バスセンター
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BYD・J6(ま178) 撮影:町田市役所
路線車両の仕様[編集]
ノンステップバスの導入は1998年より積極的に推進している[212]。標準尺車と短尺車を導入している。当初はノンステップバスには専用のカラーリング︵後述するブルーイエロー色︶を採用していたが、2002年以降は一般車と同じデザインに変更されている。三菱車においてはエアロスターを増備しているが、2008年から2009年前半までは一部を除いて日産ディーゼルからのOEM車種であるエアロスター-S︵AA系︶を導入していた[254]。なお、通常の路線車は1998年からアイドリングストップが標準に[212]、2001年からはワンステップバスが標準となった[212]。2002年7月25日からは、後窓に後方視界確保のための広角レンズ設置が開始された[204]。 大型方向幕は1985年9月から採用され[58]、2002年5月13日からLED行先表示器の導入が開始され[140]、方向幕の車両も2004年頃の改造開始から3年程度でLED表示器に載せ変えた[注釈 32]。これにより、路線開設や廃止などによる幕交換やほこりなどで汚れた幕の清掃などの負担が大幅に軽減された[255]。2016年8月31日からは白色LEDの新型行先表示器を搭載した車両が導入され、今後は全営業所で順次導入予定[256]。また、路線バスの車内放送は長らく8トラテープを使用していたが、2005年10月23日よりクラリオン製音声合成装置の導入が開始された[143]。出庫時に運行ダイヤを設定することによって、LED式行先表示器・運賃表示器・整理券発行器・カードリーダーが集中制御できるようになった[255]。-
方向幕時代の前面行先表示
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LED前面行先表示器
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白色LED前面行先表示器
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1983年から2004年頃まで使用されていたデジタル運賃表示器
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1995年から順次導入された改良型デジタル運賃表示器
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2014年から本格導入されたLCD運賃表示器
2003年の新車より小田急グループマテリアルズ仕様で導入されている。これは同社を通じて購入することによりコストを抑えながら短期間で大量の更新が行えるようになっている。このため、床面処理・ドア配置や空調装備品などは小田急グループのバス事業者共通の仕様となっている。
2015年中盤の導入車から大型車は三菱ふそう・エアロスターのQKG-MP38FK、中型車はいすゞ・エルガミオの SDG-LR290J1或いはSDG-LR290J2、小型車は日野・ポンチョといったノンステップ化への統一や神奈中独自の仕様であった運賃幕や出入口幕の廃止に伴い、2014年中盤の新車から神奈中独自の仕様が消滅しつつある。
後部ブレーキランプについては、1988年式以降は2灯だったものを4灯に変更[257]、さらに1997年式からバス協型→角型に変更した[257]。
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1987年まではブレーキランプは2灯
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1988年以降はブレーキランプは4灯
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1997年以降はブレーキランプを角型に変更
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4灯にするために追加でブレーキランプを車内に設置された例
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1998年までは座席モケットは一般席が赤・優先席が青
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1999年以降の配色。標準的なワンステップ車の例
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2009年7月以降の導入車は吊り手が三角になった
特徴的な仕様[編集]
バス専業としては日本最大の事業者だけに1年あたりの導入車両数が多く、その結果﹁神奈中仕様﹂とも言える特注仕様が存在する。 後ヒンジ式前扉 1979年まで、折戸の前扉が通常とは逆の後ろ側に開く後ヒンジ式だった[51]。 運賃支払い方法表示窓︵運賃幕︶ 1970年代から、車両前面上部左側の表示窓に乗車方法と運賃支払い方法を表示する﹁運賃支払い方法表示窓﹂が設けられ、1980年代からは乗降口に近い車両前面の向かって右側の窓下[注釈 33]に設置されるようになった[209][注釈 34]。尚、一時期江ノ電バスでも使用されたことがあった。2014年度からこの表示窓を廃止し、一部いすゞ・日野製車ではステッカーに変更される車両も登場したが、ステッカーは2018年前半までとなった。 大型バンパー 2000年導入車までは前後のバンパーは大型の仕様が標準となっていたが[209]、これはバンパーをフロントガラスの清掃の際に使用するステップと兼用させるためであった[259]。 長尺車 かつて三菱にホイルベース5.8mで全長が11m級の車両︵長尺車︶[注釈 35]を特注し、これをMP218-Nとしてメーカーに追加で型式認定させた程の力を持つ[注釈 36]。しかし、1990年を最後に長尺車の導入は終了し[257]、以後は標準尺車をメインに導入されている[212]。また、1995年には全長9m・幅2.3m級の中型車両を大量に導入している[257]。2014年中旬のMP38導入以降はノンステップバスは短尺車、2015年度以降は全車ノンステップの短尺車で統一されている。 新ステップ車 1992年9月25日から試用開始し[260]、1994年から2000年にかけて導入された標準床車両は全て前扉に極東開発工業製の可動式ステップを設置した﹁新ステップ車﹂となっている[210]。これはさらに床の低い車両の導入や観光バスなどで見られる補助ステップでは、新興住宅地に多い急坂では車体と路面の接触の可能性があったため[261]、乗降性の改善策として、三菱自動車工業︵当時︶・新呉羽自動車工業・極東開発工業との共同開発により導入された[262]。この﹁新ステップ﹂は横浜市交通局・神戸市交通局・小田急バスなど、他の事業者にも波及している[263]。しかし、2017年に﹃つ605﹄を最後に新ステップ車は神奈中から消滅した。 車外ドアコックの鍵 2008年後期導入車より、前面および側面の車外ドアコックに鍵が取り付けられている。同時に既存車も全車取り付けられた。高速バスタイプの車両では至って普通の仕様だが、すべての路線車に導入する会社は珍しい。既存車への取り付けは車両によって位置が異なる。なお、一般路線車は2017年頃より、新車導入車に限り、アドブルー投入口にも鍵が設置されている。この他、同社高速路線車は全車、軽油及びアドブルーの投入口にも取り付けられている。前扉が後ヒンジ式の三菱ふそうMP117N -
運賃幕。左が旧仕様の幕、右が新様式の幕
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バンパーの比較。奥の車両がステップを兼ねた大型バンパー
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特注車を型式認定させた三菱ふそうP-MP218N
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「新ステップ車」は前扉にリフトを設置
廃車車両の譲渡[編集]
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北海道旅客鉄道(当時)(帯広営業所)
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北見バス(北見駅前)
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旭川電気軌道(旭川駅前)
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道北バス(旭川市内)
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北海道中央バス
(札幌ターミナル前) -
秋田中央交通
(秋田駅西口) -
岩手県交通
(横浜駅東口バスターミナル) -
岩手県交通
(一関営業所) -
関東自動車
(宇都宮駅前) -
江ノ島鎌倉観光(当時)
(大船駅前) -
箱根登山鉄道(当時)
(小田原駅前) -
沖縄バス
(那覇バスターミナル) -
越後交通グループ
(新潟県長岡市)
薪バス「三太号」[編集]
車両塗装[編集]
一般路線車の標準色[編集]
1949年の新車から採用された[248]。黄色に近いクリーム色[248]+下部赤色+赤色と橙色の帯。当初は下部の赤色が波形になっており、前面などにも差異があったが、1987年から直線的なデザインに変更された[55][注釈 37]。波形デザインの車両は1999年6月30日に廃車となった﹁さ154﹂が最後であった[138]。2004年からは正面の社紋が﹁かなちゅう﹂﹁かなこう﹂ロゴマークに変更された[265]。2012年6月1日より神奈中グループのブランドマークが制定され[266]、路線バス車両の前面、側面、後面に青色で﹁Kanachu﹂と書かれたブランドマークの貼り付けが順次行われている[266][注釈 38]。-
旧塗装(お77)
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1987年より採用された塗り分け。初期は赤が目立つものだった(や65)
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1987年より採用された塗り分け(あ81)
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2004年から「かなちゅう」ロゴマークを表示(た37)
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2012年6月1日より「Kanachu」ブランドマークを表示(あ135)
神奈交色[編集]
2002年4月1日から導入された[140]。白色の車体に、各神奈交指定色が前方から中央車体下部及び後方全体に塗られ、大きくKANAKO BUSのロゴが入るという、各車共通で色違いのデザインである[265][注釈 39]。新車として神奈交バスが購入した車両のみに施される塗装なので、数は少ない。2016年12月より神奈中再編に向けて、各神奈交色であった車両は、ラッピングにより神奈中色に変更されている。
過去には各神奈交の塗装のままロゴの一部をシールで目隠しをしている車両もあったが、2017年6月の『つ604』を最後に消滅した。
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湘南神奈交バス(か1004)※現在は廃車
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津久井神奈交バス(T-18)※現在は神奈中色に変更(写真は当時の神奈交色)
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相模神奈交バス(SK2010)※現在は神奈中色に変更(写真は当時の神奈交色)
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藤沢神奈交バス(FK013)※現在は神奈中色に変更(写真は当時の神奈交色)
ギャラリーバス[編集]
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初代「カナちゃん号」(は87)
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2代目「かなちゃん号」(ち68)
夜行高速バス色(ブルーイエロー)[編集]
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夜行高速バス色(あ701)
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ブルーイエロー(あ4)
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ブルーイエロー(ノンステップバス)(ま0101)
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ブルーイエロー(ワンステップバス貸切兼用車)(ひ3)
ミニバス色[編集]
1997年に藤沢市でミニバス路線を開設した際に採用された[265]。前述の塗装からイエローを省略したデザインに、アヒルのイラスト入れたものだが、イラストが入っていない車両も存在する[270])。車体の表記は前述のブルーイエローとは異なり、KanaChu(またはKanakoBus)と省略している。しかし、2015年12月以降の導入されている小型車は青一色、その後、2020年2月導入のひ167,168は一般色に変更されている。
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ミニバス色(か1011)
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ミニバス色(さ32)
空港リムジン色[編集]
1994年の「ひ852」及び、1999年以降に採用され[268]、グレーに上半分が水色。窓の下と屋根にロゴが入る[注釈 40]。横浜神奈交の車両は側面の社名ロゴが異なる点で識別可能[268]。
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神奈中空港リムジン色(さ852)
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横浜神奈交バスリムジン色 (YK8112)
スヌーピーバス[編集]
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スヌーピーバス 1997年式(ひ132)
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元スヌーピーバス 1997年式(あ151)
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元スヌーピーバス 1998年式(い25)
ツインライナー色[編集]
ベースカラーはピーチピンク1色[265]。窓周りは黒で、ロゴが入る。最初に導入されたセントロライナーでは、天井部分にもロゴが入れられていたが、シターロでは省略され、現行のシターロでは屋根の塗装自体が省略されている(エアコン部分を除く)
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ツインライナー色(ち202)
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ツインライナー色(あ201)
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ツインライナー色(も203)
貸切色[編集]
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旧貸切色(い96)
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1993年に導入された新貸切色(H-0622)
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1997年以降は小田急グループ統一デザイン(H-0615)
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2000年に傘下に入った神奈川県観光の色 (Y-0615)
リフト付路線バス[編集]
1994年に神奈川県総合リハビリテーションセンターと共同開発した[270]車両は青をベースとしたデザイン。一方、1996年に東京都の補助金により導入した町田営業所所属車は白地に水玉模様[270]。
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伊勢原営業所所属のリフト車色(い110)
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町田営業所所属のリフト車色(ま197)
かなみんラッピングバス[編集]
2014年(平成26年)6月より各営業所(藤沢・秦野・厚木・津久井・相模原の神奈交委託も含む)に順次導入された、神奈川中央交通公式キャラクターかなみんのラッピングバス。車体デザインは、横浜みなとみらい地区が描かれた桃色、海水浴するかなみんが描かれた青色、登山するかなみんが描かれた緑色、住宅街が描かれた水色の4種類が存在し、それぞれその地域を所管する営業所にあったイメージのものが導入されている。2019年に全車ラッピングが剥がされ、同年導入の新車に新デザインの塗装がされている。また、このかなみんラッピングバスでは、前面の行先表示器左側へ「かなみん」ステッカー(都営バス「みんくる」・東急バス「ノッテちゃん」・小田急バス「きゅんた」・関東バス「かんにゃん」ステッカーと同様のもの[注釈 41])を貼り付けており、車内の座席もかなみんが描かれた仕様となっている。しかしながら、『かなちゃん号』とは違い、コスト削減のためにラッピングで施されている。2019年以降の新デザインでは、ラッピング施工車が2015年標準仕様ノンステップのため、同位置にはベビーカーステッカーの貼り付けがなされており、「かなみん」ステッカーの貼り付けは一代限りとなった。
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初代「かなみんラッピングバス(横浜の風景カラー・前面)」(よ2)
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初代「かなみんラッピングバス(横浜の風景カラー・後面)」(よ2)
新カラーデザインバス[編集]
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新カラーデザインバス(せ17)
その他[編集]
- YAMATE LINER
- 茶色の濃淡にロゴが入る。2007年4月に横浜市交通局より移管された舞岡営業所11系統用に登場[141]。後に11系統にはノンステップ車を運用する事になり、それまで11系統で使用していたワンステップ車は3台を除き11系統の運用を外れ、それらの車両は塗色はそのままでロゴのみが'KANACHU-BUS'に書き換えられたものとなっている。なお、同塗装の車両は11系統の他に、60系統、保土ヶ谷駅東口発着の77系統、保06系統でも運用される。
- 自転車ラックバス
- 前面がオレンジ、側面がオレンジと白のツートンカラー。「BICYCLE CARRIER」のロゴも施されている。
この他、「湘南めぐみが丘」色、町田市民バスまちっこ(町18・町28系統)色や、各自治体から受託運行しているコミュニティバスの専用色などがある。
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YAMATE LINER(お0116)
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自転車ラックバス(ち87)
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「湘南めぐみが丘」色(ひ0165)
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(旧)まちっこ色(ま131)
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愛川町循環バス(あ12)
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相模原市コミュニティバスせせらぎ号(も611)
車両番号(社番)[編集]
神奈中・神奈中東・神奈中西の社番[編集]
神奈川中央交通・神奈川中央交通東・神奈川中央交通西の所属車両に付けられている社番は、「平仮名1文字」と「1 - 3桁の数字(営業所別・用途別の固有番号)」の組み合わせにより構成され、平仮名は所属する営業所を示している[277][278]。
- 営業所の略号
神奈中観光の社番[編集]
営業所別所属台数推移[編集]
特定車・高速車を含み、貸切車・教習車は含まない。
広報[編集]
情報誌﹁くる~ず﹂[編集]
沿線の見どころやバスに関するお得な情報、神奈中の歴史など、地域に密着した情報を提供するフリーペーパーとして2002年︵平成14年︶に発行開始。バス車内などで配布していたが、情報提供媒体の多様化などを鑑み、一定の役割を終えたとして、2018年春号︵No.65︶をもって発行終了となった[311]。マスコットキャラクター﹁かなみん﹂[編集]
2014年︵平成26年︶3月28日に神奈川中央交通の公式マスコットキャラクターとして﹁かなみん﹂が制定された。乗客や地域住民に親しみを持ってもらうことを目的とし、神奈川中央交通の略称﹁神奈中︵かなチュー︶﹂からネズミをモチーフにしたキャラクターとなっている。名前募集には4,842件の応募が寄せられた。グループ会社[編集]
連結子会社[編集]
一般旅客自動車運送事業 ●神奈川中央交通東︵乗合、特定、貸切、運行管理受託︶ ●神奈川中央交通西︵乗合、特定、運行管理受託︶ ●神奈中タクシー︵乗用、乗合、特定、運行管理受託[注釈 61][注釈 62]︶ ●神奈中観光︵貸切[312][注釈 63]︶ その他事業 ●神奈中商事︵グループでの資材一括調達、ソーラー発電事業[313]、かなちゅうクリーニング、ENEOSガソリンスタンドの経営など[314]。︶ ●神奈中スポーツデザイン︵グループ内の娯楽施設・神奈中スイミング等の経営[314]。2017年10月にクリエイトL&Sから社名変更。︶ ●アドベル︵広告代理業、清掃業[314]︶ ●グランドホテル神奈中︵平塚・秦野におけるホテル事業[315]︶ ●神中興業︵自動車整備業[315]︶ ●神奈川三菱ふそう自動車販売︵自動車販売業[315]︶ ●神奈中システムプラン︵らーめん花樂の運営、各種店舗フランチャイズ経営[316]︶ ●神奈中情報システム︵グループ企業のシステム・サーバー管理、ソフトウェア製作など[312]︶ ●横浜ビルシステム︵総合ビルメンテナンス[312]︶ ●神奈中相模ヤナセ︵輸入自動車販売[317]︶過去の子会社[編集]
●湘南神奈交バス︵乗合、特定、貸切、運行管理受託[316]︶ ●津久井神奈交バス︵乗合、特定、運行管理受託[316]︶ ●横浜神奈交バス︵乗合、運行管理受託[318]︶ ●相模神奈交バス︵乗合、運行管理受託[318]︶ ●藤沢神奈交バス︵乗合、運行管理受託[318]︶ ●神奈中ハイヤー︵乗用、運行管理受託︶ ●相模中央交通︵乗用、運行管理受託︶持分法適用関連会社[編集]
●大山観光電鉄 ●小田急保険サービス脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
書籍[編集]
●神奈川中央交通株式会社創立100周年記念行事準備委員会﹃神奈川中央交通100年史﹄神奈川中央交通、2021年。 ●神奈川中央交通株式会社創立90周年記念行事準備委員会﹃神奈川中央交通九十年史﹄神奈川中央交通、2011年。 ●神奈川中央交通株式会社創立80周年記念行事準備委員会﹃神奈川中央交通八十年史﹄神奈川中央交通、2001年。 ●神奈川中央交通株式会社70周年記念行事準備委員会﹃神奈川中央交通七十年史﹄神奈川中央交通、1991年。 ●神奈川中央交通株式会社60周年記念行事準備委員会﹃神奈川中央交通六十年史﹄神奈川中央交通、1982年。 ●神奈川中央交通社史編集委員会﹃神奈川中央交通五十年史﹄神奈川中央交通、1971年。 ●鈴木文彦﹃高速バス大百科﹄中央書院、1989年。ISBN 4924420360。 ●鈴木文彦﹃新版・高速バス大百科﹄中央書院、1991年。ISBN 492442062X。 ●鈴木文彦﹃日本のバス年代記﹄グランプリ出版、1999年。ISBN 4876872066。 ●鈴木文彦﹃路線バスの現在・未来﹄グランプリ出版、2001年。ISBN 4876872171。 ●鈴木文彦﹃路線バスの現在・未来 PART2﹄グランプリ出版、2001年。ISBN 4876872279。 ●森彰英﹃小田急グループの未来戦略﹄日本能率協会、1988年。ISBN 4820704788。 ●﹃バスジャパン・ニューハンドブックシリーズ・23神奈川中央交通﹄BJエディターズ、1997年。ISBN 4434072722。 ●﹃バスジャパン・ハンドブックシリーズR・57神奈川中央交通﹄BJエディターズ、2006年。ISBN 4434072722。雑誌記事[編集]
●飯田辰彦﹁我奮戦せり 神奈中バス黒字始末記﹂﹃旅﹄第726号、日本交通公社出版事業局、1987年9月、104-105頁。 ●鈴木敏﹁乗合バスへのカードシステム導入とバス交通活性化について﹂﹃バス・ジャパン﹄第9号、バス・ジャパン刊行会、1988年7月、50-52頁、ISBN 4795277648。 ●鈴木文彦﹁深夜バスの発展と現状﹂﹃バス・ジャパン﹄第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、42-45頁、ISBN 479527763X。 ●鈴木文彦﹁普及の兆しを見せるバスカード その現状と展望﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第2号、ぽると出版、1988年11月、45-48頁、ISBN 4938677024。 ●鈴木文彦﹁私の取材メモ 指差喚呼はどこへ﹂﹃鉄道ジャーナル﹄第533号、鉄道ジャーナル社、2011年3月、116頁。 ●高橋俊哉﹁深夜バス ハナ金ウォッチング﹂﹃バス・ジャパン﹄第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、46-48頁、ISBN 479527763X。 ●日本バス友の会、鈴木文彦﹁Bus Corner﹂﹃鉄道ジャーナル﹄第238号、鉄道ジャーナル社、1986年10月、134-137頁。 ●日本バス友の会、鈴木文彦﹁BUS CORNER﹂﹃鉄道ジャーナル﹄第512号、鉄道ジャーナル社、2009年6月、143-145頁。 ●日本バス友の会、鈴木文彦﹁BUS CORNER﹂﹃鉄道ジャーナル﹄第550号、鉄道ジャーナル社、2012年8月、159-161頁。 ●日本バス友の会、鈴木文彦﹁BUS CORNER﹂﹃鉄道ジャーナル﹄第551号、鉄道ジャーナル社、2012年9月、159-161頁。 ●盛永伸一﹁富士重工現役車両のスタイリング﹂﹃バス・ジャパン﹄第5号、バス・ジャパン刊行会、1987年6月、5-10頁、ISBN 4795277605。 ●﹁神奈川中央交通に聞くバスカード導入の実際﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第2号、ぽると出版、1988年11月、40-44頁、ISBN 4938677024。 ●﹁一般低床車の前ステップにリフト機構が付いた﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第16号、ぽると出版、1993年3月、52-53頁、ISBN 4938677164。 ●﹁国内バスニュース﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第16号、ぽると出版、1993年3月、94-95頁、ISBN 4938677164。 ●﹁国内ニュース﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第30号、ぽると出版、1995年7月、92-97頁、ISBN 493867730X。 ●﹁バス事業者訪問69神奈川中央交通﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第68号、ぽると出版、2001年10月、43-66頁、ISBN 4899800681。 ●﹁走り出した国内初のノンステップ連節バス 神奈川中央交通の"ツインライナー"﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第89号、ぽると出版、2005年3月、21-25頁、ISBN 4899800894。 ●﹁神奈川中央交通のツインライナー第2弾が運行開始﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第106号、ぽると出版、2008年2月、9-15頁、ISBN 9784899801061。 ●﹁評価も上々、運行開始から1か月 神奈中のツインライナー第2弾﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第107号、ぽると出版、2008年4月、16-19頁、ISBN 9784899801078。 ●﹁国内ニュース﹂﹃バスラマ・インターナショナル﹄第131号、ぽると出版、2012年5月、86-89頁、ISBN 9784988901313。関連項目[編集]
- 小田急グループ
- 神奈中グループ
外部リンク[編集]