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[[吉田神道]]の事実上の大成者である[[吉田兼倶]]による著書﹃[[神道大意]]﹄には、冒頭部分で﹁夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、陰陽に超て而も陰陽を成す、天地に在ては之を神と云ひ、萬物に在ては之を霊と云ひ、人に在ては之を心と云ふ、心と者神なり、故に神は天地の根元也、萬物の霊性也、人倫の運命也、無形して而も能く有形物を養ふ者は神なり…﹂とある<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992876/12 神道叢説] ﹃神道大意﹄国書刊行会 p.8︵国立国会図書館︶</ref><ref>{{cite book|title=吉田叢書 第一編|publisher=内外書籍株式会社|author=宮地直一|year=1940|page=14}}</ref>。吉田神道は[[幕末]]頃までは、神道の一派というより中心流派であった<ref>{{Cite journal|和書|title=近世神社通史稿 |url=https://doi.org/10.15024/00001657 |author=井上智勝 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=269-288 |naid=120005748697 |doi=10.15024/00001657}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=十七世紀中葉における吉田家の活動:確立期としての寛文期 |url=https://doi.org/10.15024/00001659 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |author=幡鎌一弘 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=331-356 |naid=120005748698 |doi=10.15024/00001659}}</ref>。
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[[吉田神道]]の事実上の大成者である[[吉田兼倶]]による著書﹃[[神道大意]]﹄には、冒頭部分で﹁夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、陰陽に超て而も陰陽を成す、天地に在ては之を神と云ひ、萬物に在ては之を霊と云ひ、人に在ては之を心と云ふ、心と者神なり、故に神は天地の根元也、萬物の霊性也、人倫の運命也、無形して而も能く有形物を養ふ者は神なり…﹂とある<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/992876/12 神道叢説] ﹃神道大意﹄国書刊行会 p.8︵国立国会図書館︶</ref><ref>{{cite book|title=吉田叢書 第一編|publisher=内外書籍株式会社|author=宮地直一|year=1940|page=14}}</ref>。吉田神道は[[幕末]]頃までは、神道の一派というより中心流派であった<ref>{{Cite journal|和書|title=近世神社通史稿 |url=https://doi.org/10.15024/00001657 |author=井上智勝 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=269-288 |naid=120005748697 |doi=10.15024/00001657}}</ref><ref>{{Cite journal|和書|title=十七世紀中葉における吉田家の活動:確立期としての寛文期 |url=https://doi.org/10.15024/00001659 |journal=国立歴史民俗博物館研究報告 |author=幡鎌一弘 |ISSN=02867400 |publisher=国立歴史民俗博物館 |year=2008 |month=dec |volume=148 |pages=331-356 |naid=120005748698 |doi=10.15024/00001659}}</ref>。
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[[宮地直一]]は、時代により変遷がある観念であるカミは﹁日常崇拝の對象となりしもの﹂﹁廣く超人間の威力あるもの﹂と総称できるとしている<ref>{{cite book|title= 神祇史綱要|page=4-5|author= 宮地直一|year=1919|url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943702/10|publisher= 明治書院}}︵国立国会図書館︶</ref>。
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[[宮地直一]]は、時代により変遷がある観念であるカミは、﹁日常崇拝の對象となりしもの﹂﹁廣く超人間の威力あるもの﹂の総称、称であるものとしている<ref>{{cite book|title= 神祇史綱要|page=4-5|author= 宮地直一|year=1919|url= https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/943702/10|publisher= 明治書院}}︵国立国会図書館︶</ref>。
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=== 他言語との関係 === |
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=== 語源 === |
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[[ファイル:神 kyuujitai.PNG|right|thumb|126px|﹁神﹂の字の旧字体﹁神﹂。]]
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[[ファイル:神 kyuujitai.PNG|right|thumb|126px|﹁神﹂の字の旧字体﹁神﹂。]]
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漢字の﹁神﹂は、祭祀を意味する﹁示﹂に音符﹁申﹂を付した字で、祭祀および祭祀対象である神霊の類を示す。また﹁神祇﹂とした場合は、地の神である﹁祇﹂に対し、天空にいる雷神の類を意味する。﹁神﹂字は、日本においては﹁カミ﹂と訓じられ、日本の神霊的存在の総称として定着した<ref name=itou>伊藤聡 2012年</ref>。
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漢字の﹁神﹂は、祭祀を意味する﹁示﹂に音符﹁申﹂を付した字で、祭祀および祭祀対象である神霊の類を示す。また﹁神祇﹂とした場合は、地の神である﹁祇﹂に対し、天空にいる雷神の類を意味する。﹁神﹂字は、日本においては﹁カミ﹂と訓じられ、日本の神霊的存在の総称として定着した<ref name=itou>伊藤聡 2012年</ref>。
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== 神名 == |
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=== 神号 === |
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=== 神号 === |
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神の名の最後につく尊称のようなものを神号とよぶ<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913348/148 神道大辞典 : 3巻. 第二卷]』平凡社p.284(国立国会図書館)</ref>。{{Anchors|「ミコト」(神号)}}一般に神号とは観念されないものの、「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)が、名ああああああああああああああい合のある神がいる。「ミコト」の語源は「御事」とする説と「御言」とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものという説がある<ref name=mikoto>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359/177 神道大辞典 : 3巻. 第三卷]』平凡社 p.292-3(国立国会図書館)</ref>一方で、『[[日本書紀]]』には「至貴を尊と曰ひ 自餘を命と曰ふ」<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/10 訓讀日本書紀. 上巻]』黒板勝美 編 岩波書店 p.16(国立国会図書館)</ref>とあり、なぜ「命」の字を当てるかについて説明はない。あるいは『[[古事記]]』では全て「命」の文字を当てており<ref name=mikoto/>ここでも大した意味はない。ただし『古事記』では[[イザナギ]]・[[イザナミ]]の尊称は「天神諸命以」<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2578740/12 訂正古訓古事記 3巻. 1]』河南儀兵衞 [ほか3名] 1803年(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3460051/11 古訓古事記]』永田調兵衞 1870年(国立国会図書館)</ref>(あまつかみもろもろのみこともちて)国作りを詔りごちた後、「神」から「命」に変わっている<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031649/5 古事記]』幸田成友 校訂 岩波書店 p.7(国立国会図書館)</ref>。 |
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神の名の最後につく尊称のようなものを神号とよぶ<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913348/148 神道大辞典 : 3巻. 第二卷]』平凡社p.284(国立国会図書館)</ref>。{{Anchors|「ミコト」(神号)}}一般に神号とは観念されないものの、「カミ」(神)と「ミコト」(命・尊)が、名前の最後に交換可能な形で記紀で記される場合のある神がいる。「ミコト」の語源は「御事」とする説と「御言」とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものという説がある<ref name=mikoto>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359/177 神道大辞典 : 3巻. 第三卷]』平凡社 p.292-3(国立国会図書館)</ref>一方で、『[[日本書紀]]』には「至貴を尊と曰ひ 自餘を命と曰ふ」<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1904260/10 訓讀日本書紀. 上巻]』黒板勝美 編 岩波書店 p.16(国立国会図書館)</ref>とあり、なぜ「命」の字を当てるかについて説明はない。あるいは『[[古事記]]』では全て「命」の文字を当てており<ref name=mikoto/>ここでも大した意味はない。ただし『古事記』では[[イザナギ]]・[[イザナミ]]の尊称は「天神諸命以」<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2578740/12 訂正古訓古事記 3巻. 1]』河南儀兵衞 [ほか3名] 1803年(国立国会図書館)</ref><ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3460051/11 古訓古事記]』永田調兵衞 1870年(国立国会図書館)</ref>(あまつかみもろもろのみこともちて)国作りを詔りごちた後、「神」から「命」に変わっている<ref>『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031649/5 古事記]』幸田成友 校訂 岩波書店 p.7(国立国会図書館)</ref>。 |
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特に貴い神には大神︵おおかみ︶・大御神︵おおみかみ︶の神号がつけられる。また、後の時代には[[明神]]︵みょうじん︶、[[権現]]︵ごんげん︶などの神号も表れた。神号を巡っては、[[徳川家康]]の神霊の神号を﹁明神﹂にする[[吉田神道]]派の[[以心崇伝]]と﹁権現﹂にする[[山王神道]]派の[[天海|南光坊天海]]で論争が起き、最終的に[[日光東照宮]]に﹁東照大権現﹂として祀られた話がある<ref>﹃[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359/8 神道大辞典 : 3巻. 第三卷]﹄平凡社 p.4 ︵国立国会図書館︶</ref><ref>{{Cite web|和書|title=徳川家康 ー将軍家蔵書からみるその生涯ー 家康の神号|url= https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents6_04/|website=国立公文書館|accessdate=2021-10-02}}</ref><ref>{{cite news|title= 家康改葬︵1︶家康はなぜ日光で﹁神﹂になったか ﹁江戸の真北﹂に意味がある|url= https://www.sankei.com/article/20150117-VBQP2UW5YNLMRND53IRZNCEY3Y/|date=2015-01-17|newspaper=産経新聞|accessdate=2021-10-02}}</ref>。
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特に貴い神には大神︵おおかみ︶・大御神︵おおみかみ︶の神号がつけられる{{refnest|group="注釈"|﹃古事記﹄で﹁大御神﹂の神号がつくのは、[[天照大御神]]・伊耶那岐大御神・[[迦毛大御神]]のみである<ref>{{cite web|title=味耜高彦根神|website=國學院大學﹁古典文化学事業﹂|url=https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/ajishikitakahikonenokami/|accessdate=2024-06-29}}</ref><ref>{{cite journal|title=アジスキタカヒコネと建国神:原ヤマトタケル伝承と四・五世紀史序説|author=大内 建彦|journal=城西大学女子短期大学部紀要|volume=9|issue=1|pages=35-44|year=1992|doi=info:doi/10.20566/02897849_9(1)_b35}}</ref>。}}。また、後の時代には[[明神]]︵みょうじん︶、[[権現]]︵ごんげん︶などの神号も表れた。神号を巡っては、[[徳川家康]]の神霊の神号を﹁明神﹂にする[[吉田神道]]派の[[以心崇伝]]と﹁権現﹂にする[[山王神道]]派の[[天海|南光坊天海]]で論争が起き、最終的に[[日光東照宮]]に﹁東照大権現﹂として祀られた話がある<ref>﹃[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359/8 神道大辞典 : 3巻. 第三卷]﹄平凡社 p.4 ︵国立国会図書館︶</ref><ref>{{Cite web|和書|title=徳川家康 ー将軍家蔵書からみるその生涯ー 家康の神号|url= https://www.archives.go.jp/exhibition/digital/ieyasu/contents6_04/|website=国立公文書館|accessdate=2021-10-02}}</ref><ref>{{cite news|title= 家康改葬︵1︶家康はなぜ日光で﹁神﹂になったか ﹁江戸の真北﹂に意味がある|url= https://www.sankei.com/article/20150117-VBQP2UW5YNLMRND53IRZNCEY3Y/|date=2015-01-17|newspaper=産経新聞|accessdate=2021-10-02}}</ref>。
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== 脚注 == |
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== 脚注 == |
| この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。︵2021年9月︶ |
神道における神︵かみ︶とは、自然現象などの信仰や畏怖の対象である。﹁八百万の神﹂︵やおよろずのかみ︶と言う場合の﹁八百万﹂︵やおよろず︶は、数が多いことの例えである。
定義
吉田神道の事実上の大成者である吉田兼倶による著書﹃神道大意﹄には、冒頭部分で﹁夫れ神と者天地に先て而も天地を定め、陰陽に超て而も陰陽を成す、天地に在ては之を神と云ひ、萬物に在ては之を霊と云ひ、人に在ては之を心と云ふ、心と者神なり、故に神は天地の根元也、萬物の霊性也、人倫の運命也、無形して而も能く有形物を養ふ者は神なり…﹂とある[1][2]。吉田神道は幕末頃までは、神道の一派というより中心流派であった[3][4]。
宮地直一は、時代により変遷がある観念であるカミは、﹁日常崇拝の對象となりしもの﹂﹁廣く超人間の威力あるもの﹂の総称、称であるものとしている[5]。
他言語との関係
日本語における﹁神﹂という言葉は、元々は神道の神を指すものであった。ただし﹃日本書紀﹄にはすでに仏教の尊格を﹁蕃神﹂とする記述が見られる。16世紀にキリスト教が日本に入ってきた時、キリスト教で信仰の対象となるものは﹁デウス﹂﹁天主﹂などと呼ばれ、神道の神とは︵仏教の仏とも︶別のものとされた。しかし、明治時代になってそれが﹁神﹂と訳された。
他言語においては、神道の神を指す場合は "kami" として一般的な神とは区別されることもある。
語源
﹁神﹂の字の旧字体﹁神﹂。
漢字の﹁神﹂は、祭祀を意味する﹁示﹂に音符﹁申﹂を付した字で、祭祀および祭祀対象である神霊の類を示す。また﹁神祇﹂とした場合は、地の神である﹁祇﹂に対し、天空にいる雷神の類を意味する。﹁神﹂字は、日本においては﹁カミ﹂と訓じられ、日本の神霊的存在の総称として定着した[6]。
現代日本語では﹁神﹂と同音の言葉に﹁上﹂がある。﹁神﹂と﹁上﹂の関連性は一見する限りでは明らかであり、この2つが同語源だとする説は古くからあった。しかし江戸時代に上代特殊仮名遣が発見されると、﹁神﹂はミが乙類 (kamï) 、﹁上﹂はミが甲類 (kami) と音が異なっていたことがわかり、昭和50年代に反論がなされるまでは俗説として扱われていた。
ちなみに﹁身分の高い人間﹂を意味する﹁長官﹂﹁守﹂﹁皇﹂﹁卿﹂﹁頭﹂﹁伯﹂等︵現代語でいう﹁オカミ﹂︶、﹁龗﹂︵神の名︶、﹁狼﹂も、﹁上﹂と同じくミが甲類︵kami︶であり、﹁髪﹂﹁紙﹂も、﹁上﹂と同じくミが甲類︵kami︶である。
﹁神 (kamï)﹂と﹁上 (kami)﹂音の類似は確かであり、何らかの母音変化が起こったとする説もある。
神倭伊波礼毘古命︵カムヤマトイワレヒコ︶、神阿多都比売︵カムアタツヒメ︶、神屋楯比売命︵カムヤタテヒメ︶などの複合語で﹁神﹂が﹁カム﹂となっていることから、﹁神﹂は古くは﹁カム﹂かそれに近い音だったことが推定される。大野晋や森重敏などは、ï の古い形として *uiと *oi を推定しており、これによれば kamï は古くは *kamui となる。これらから、﹁神﹂はアイヌ語の﹁カムイ (kamui)﹂と同語源だという説もある。[誰によって?]
﹁カム﹂には﹁交む﹂﹁組む﹂﹁絡む﹂﹁懸かる﹂﹁係わる﹂﹁案山子﹂﹁影﹂﹁鍵、鉤﹂﹁嗅ぐ﹂﹁輝く﹂﹁翳す﹂﹁首﹂﹁株﹂﹁黴︵かび︶﹂﹁賀茂、鴨﹂﹁醸す﹂﹁食む︵はむ︶﹂﹁生む﹂﹁這う﹂﹁蛇︵ハブ、はふむし︶﹂﹁土生、埴生︵はぶ︶﹂﹁祝︵はふる︶﹂﹁屠る︵ほふる︶﹂﹁放る﹂などの派生語がある。[要出典]
現時点では、本居宣長が﹃古事記伝﹄のなかで﹁迦微︵かみ︶と申す名の義はいまだ思い得ず﹂といっているように、語源についての明確な定説はない[6]。
八百万の神
日本では古くから[いつ?]、山の神様、田んぼの神様、トイレの神様(厠神 かわやがみ)、台所の神様︵かまど神︶など、米粒の中にも神様がいると考えられてきた。少なくとも古墳時代には、現在の神社につながる自然崇拝の痕跡がある事が明らかになっていると考えられている[9]。
18世紀の国学者、本居宣長は﹃古事記伝﹄で﹁八百万は、数の多き至極を云(いへ)り﹂と解釈している。
﹃古事記﹄では天照大御神が天岩戸に隠れて世界から光が失われた際に八百万の神が集まって相談したという記述がある[11]。﹃延喜式﹄の﹃六月晦大祓﹄には、八百万の神が相談して皇孫が豊葦原ノ瑞穂ノ国を治めるように決定したと書いてある[12][13]。
神道は、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じるアニミズムの特徴を保持してきたとされる場合がある。動植物やその他の事物に人格的な霊魂、霊神が宿るとするアニミズムは、非人格的な超常現象、超自然的な呪力を崇拝するマナイズム︵呪力崇拝︶とは区別される。アニミズムはすべてのものに魂があると主張するのに対し、物活論はすべてのものが生きていると主張する[17]:149[18]。一方で本居宣長は神には御霊があるものと霊ではなく自然体の﹁かしこさ﹂を神格化したものの二つを挙げている[19]。
特定の氏族、部族が自然現象・自然物や動植物と超自然的関係で結ばれることをトーテムと呼び、南方熊楠は、大物主を蛇トーテムとした[21]。
八万四千の法門の﹁八万四千﹂は、仏教で﹁多数﹂を意味する語であり、八百の由来とする説がある。他にも八大地獄、八大奈落、八大明王、八大童子、八大菩薩などがあり、八は多くの仏教用語で使用されている。
仏教伝来時に発生した崇仏・廃仏論争において物部尾輿・中臣鎌子らは﹁我が国の王の天下のもとには、天地に180の神がいます。今改めて蕃神を拝せば、国神たちの怒りをかう恐れがあります[23]﹂と反対、私的な礼拝と寺の建立が認められた。しかし直後に疫病が流行し物部・中臣氏らは﹁仏神﹂のせいで国神が怒っているためであると奏上。欽明天皇は仏像の廃棄、寺の焼却を黙認したという。神仏習合が進んだものの、斎宮には仏教に関する禁忌が存在した[25]。
中央集権化に伴い、神に対して人間の位階に相当する神階を奉授する神階制が成立した[9][26]。
神と霊
たたりを恐れ崇拝の対象とする死霊崇拝はアニミズムの一形態とされている。神社で怨霊を鎮めるために神として祀るなどした。中国では魏︵220年 - 265年︶、晋以後に広まっているが、日本では奈良・平安・鎌倉時代に盛んに信仰され、怨霊がもたらす不幸を防ぐために呪法が行われたとされる。
神道において、特に有力な人物や恨みを残して亡くなった人物を﹃神﹄として祀り、祟りを避けようとした例は数多い。中でも菅原道真を祀る天満宮は亡くなった人間を神として扱う顕著な例である。ただし、道真の生前から存在する神社︵生祠︶[29]や、出生譚には神仏の化身として現世に顕現した説話も存在する[30][31]。
これに対して近代に興った靖国神社は国家のために戦死した不特定多数を神として祀っており、特定単数を神として祀る先述の例と一線を画している。ただし、神社に祖霊社が設けられることがある。
これらのことから、神社から慰霊碑、︵神仏習合における︶墓に至るまで規模は違えど本質的に同じものであり、﹃神﹄︵祀れば恩恵をもたらし、ないがしろにすれば祟るもの︶と﹃霊﹄︵人間が死んだ後に残るとされる霊魂︶とは明確に区別されていないといえる。更には、神を﹁霊﹂の語で言い表す場合もあり、少なくとも言葉の上では明確な区別はない[32]。
神体
神は本来、目に見えないものか見てはならないものとして観念されている一方で[35]、祭祀などに際し神が依るべき物体として神体があり、山や鏡など様々な物が神体とみなされている[36][37][38]。
フェティシズムとしての議論
類型
神道の神々は祖霊信仰を淵源として人と同じような姿や人格を有する記紀神話に見られるような﹁人格神﹂であり、現世の人間に恩恵を与える﹁守護神﹂であるが、祟る性格も持っている。祟るからこそ、神は畏れられたのである。神道の神は、この祟りと密接な関係にある。
当然の如く神と人の関係は祟りのみにより規定されているわけではなく、鎌倉幕府以降の武士政権での法令﹃御成敗式目﹄では第一条で﹁右神者依人之敬増威。人者依神之徳添運。﹂とあり[46]、祟り以外の側面が強調されている。
神の現れ方は多様であり、夢枕に登場したり、神がかりをおこしたりして現れてくる場合がある。
神々は、いろいろな種類があり、発展の段階もさまざまなものが並んで存在している。
神を大別すると、以下のようにリスト化することもできる。
(一)自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神︵山の神、大山咋神、白山比咩神︶
(二)思考・災いといった抽象的なものを擬人化、神格化した観念神︵疫病神、禍津日神︶
(三)蛇・鳥︵カラス︶・ワニ・サメ・熊といった野獣を擬人化、神格化した獣神︵大国主神︻蛇︼、事代主神︻ワニ︼、建御名方神︻蛇︼、大物主神︻蛇︼、賀茂建角身命︻カラス︼︶
(四)禊︵水浴︶の汚れ、排泄物から生まれた神︵三貴子、金山毘古神、波邇夜須毘古神等、神産み︶
(五)怨霊信仰などにみられる祟り神
(六)人工物に関する神
(七)穀物などにみられる食物の神
(八)古代の指導者・有力者などを神格化したと思われる神︵エウヘメリズム︶、氏の集団や村里の守り神とされるようになる神々
(九)万物の創造神・根源神
(十)万物の創造主・主宰者としての全能の天皇
(11)王権神授説 (Theory of the divine right of kings) における divine としての神︵天皇︶(日本神話では、イザナギの三貴子への統治委任や瓊瓊杵尊の天孫降臨参照。)﹁Divine right of kings﹂︵王権神授説︶とは異なり、特権的である以上に、同時に天皇自身が神であるとも観念されている。
自然物や自然現象を擬人化、神格化した人格神
この中で最も古いのは1の自然物や自然現象を擬人化、神格化した神である。日本神話では大山祇神などが山の神として登場する。比叡山・松尾山の大山咋神、白山の白山比咩神など、特定の山に結びついた山の神もある。草の神である草祖草野姫︵くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味︶も日本神話において現れる。日本神話では日本の国土形成を行ったのはイザナギ・イザナミであり、淤能碁呂島以外は現在の日本列島のうち︵当時︶主要な島は、国産みで産まれた神々である[48][49]。引き続く神産みでは海の神の大綿津見神、山の神の大山津見神、野の神のカヤノヒメ、風の神の志那都比古神、火の神の火之夜藝速男神などを産んだ[50]。
古代の日本人は、山、川、海中の島、巨石、巨木、神の顕現と思われるような動物・植物などといった自然物、鏡や剣のような神聖な物体、火、雨、風、雷などといった自然現象の中に、神々しい﹁何か﹂を感じ取った。この感覚は今日でも神道の根本として残るものであり、小泉八雲はこれを﹁神道の感覚﹂と呼んでいる。自然は人々に恩恵をもたらすとともに、時には人に危害を及ぼす。古代人はこれを神々しい﹁何か﹂の怒り︵祟り︶と考え、怒りを鎮め、恵みを与えてくれるよう願い、それを崇敬するようになった。これが後に﹁カミ︵神︶﹂と呼ばれるようになる。このように神の観念の発展とともに、岩や器物は神霊の憑依するものと見なされるようになり、鳥や獣も神の使いとして考えられるようになる。
山に関しては神の鎮まるところ、神の住むところと見るようになり、山そのものを神体として﹁神体山﹂と呼ぶようになった。大場磐雄は、神体山を浅間型と神南備︵かんなび︶型の二つに分けている。まず浅間型は山谷が秀麗で周囲の山々からひときわ高く目立つ形をしており、神南備型は人里に近い比較的低い山で、傘を置いたようななだらかな形をしている。地名としてはカンナビ、ミムロ・ミモロというものが多い。前者に属する山は富士山や白山︵加賀︶で、後者は奈良の三輪山[36]・春日山がその典型。
次に、川や沼、池などにも水の神がいるという信仰もたくさんある。農業用水や生活用水との神と結びつくことが多い。神聖な山から水が流れ出し川となり、その川の上流から何か流れくるものが、神の世界から来たものと結びつけられることが多く、桃太郎や瓜子姫の話が成立し、神の子が誕生する物語に発展していく。修験道の系譜だが、例えば那智滝はそれ自体が御神体である。
思考・災いといった抽象的なものを擬人化、神格化した観念神
禊(水浴)の汚れ、排泄物から生まれた神
﹃古事記﹄によると黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命︵イザナキ︶が禊︵水浴︶で黄泉の汚れを落としたときに左目から天照大御神︵本来は男神だったとする説もある[68]︶、右目から月読命、鼻から須佐之男命が生まれた。
●泣沢女神 - イザナギの涙から生まれた神
●金山彦神 - イザナミの嘔吐物︵たぐり︶から生まれた神
●波邇夜須毘古神 - イザナミの大便から生まれた神
●彌都波能売神 - イザナミの尿から生まれた神
祓戸大神と総称される、伊邪那岐命の禊で生まれた神は、祓詞で言及され、また大祓詞で言及されるそれらに比定される神は、罪を祓う神とされる。
怨霊信仰などにみられる祟り神
穀物などにみられる食物の神
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『國體の本義』文部省 編纂 内閣印刷局 p.12-3(国立国会図書館)
天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神︵明神︶或は現人神と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。
—
『國體の本義』文部省 編纂 内閣印刷局 p.23-4(国立国会図書館)
王権神授説(Theory of the divine right of kings)における「divine」としての神(天皇)
﹁現人神﹂の対訳として昭和天皇の人間宣言 (1946年) の英文詔書において用いられた。
We stand by the people and we wish always to share with them in their moment of joys and sorrows. The ties between us and our people have always stood upon mutual trust and affection. They do not depend upon mere legends and myths. They are not predicated on the false conception that the Emperor is divine and that the Japanese people are superior to other races and fated to rule the world.
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神︵アキツミカミ︶トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。﹃現代訳‥私は国民のそばにいて、彼らの喜びや悲しみの瞬間を常に共有したいと思っています。私と国民との間の絆は、常に相互の信頼と愛情によって結ばれており、単なる神話と伝説によって生まれるものではありません。天皇を現御神とし、そして日本人は他の民族よりも優れているので世界を支配する運命にあるという想像上の観念に基づいているわけでもありません。﹄
﹃現御神︵アキツミカミ︶﹄は﹁Emperor is divine﹂と訳され[要検証 – ノート]、﹁Divine right of kings﹂︵王権神授説︶とはやや異なり、権利や特権というよりは天皇自体の神聖さに重きがある。しかしながらどちらにせよ天壌無窮の神勅に見られるように、神から選ばれているものであるというニュアンスは含む。[独自研究?]﹁天皇をもって現御神とし﹂は﹁Emperor is divine﹂と訳されている。
ピーター・リャン・テック・ソンの歴史学論文によると、唯一神と天皇を同じ唯一者として信じるように、ムスリムへ命令が下された。大日本帝国は、ジャワ島のムスリムたちへ﹁メッカよりも東京に礼拝し、日本皇帝を唯一神として礼賛せよ、という日本軍の命令︵the Japanese military orders to bow towards Tokyo rather than Mecca and to glorify the Japanese Emperor as God︶﹂を伝えていた。
神名
神号
神の名の最後につく尊称のようなものを神号とよぶ[119]。一般に神号とは観念されないものの、﹁カミ﹂︵神︶と﹁ミコト﹂︵命・尊︶が、名前の最後に交換可能な形で記紀で記される場合のある神がいる。﹁ミコト﹂の語源は﹁御事﹂とする説と﹁御言﹂とする説とがある。後者は命令のことで、何かの命令を受けた神につけられるものという説がある[120]一方で、﹃日本書紀﹄には﹁至貴を尊と曰ひ 自餘を命と曰ふ﹂[121]とあり、なぜ﹁命﹂の字を当てるかについて説明はない。あるいは﹃古事記﹄では全て﹁命﹂の文字を当てており[120]ここでも大した意味はない。ただし﹃古事記﹄ではイザナギ・イザナミの尊称は﹁天神諸命以﹂[122][123]︵あまつかみもろもろのみこともちて︶国作りを詔りごちた後、﹁神﹂から﹁命﹂に変わっている[124]。
特に貴い神には大神︵おおかみ︶・大御神︵おおみかみ︶の神号がつけられる[注釈 2]。また、後の時代には明神︵みょうじん︶、権現︵ごんげん︶などの神号も表れた。神号を巡っては、徳川家康の神霊の神号を﹁明神﹂にする吉田神道派の以心崇伝と﹁権現﹂にする山王神道派の南光坊天海で論争が起き、最終的に日光東照宮に﹁東照大権現﹂として祀られた話がある[127][128][129]。
脚注
注釈
出典
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(22)^ ブリタニカ・ジャパン 2021a, p. ﹁八万四千の法門﹂.
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(24)^ ブリタニカ・ジャパン 2021b, p. ﹁蘇我稲目﹂.
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参考文献
関連項目
外部リンク
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基礎 |
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資料 |
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神社 |
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祭祀と祭礼 |
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関連用語 |
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