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「芥川龍之介」の版間の差分

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辞典空間に貴賤の別は無く、いかなる相手にも中立のため、本文中は皇族・王族と言えども(名詞化したもの、引用文等を除き)敬称・敬語・丁寧語表現は付けない
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''' ''' [[1892]]︿[[]]25[[31]] - [[1927]]︿[[]]2[[724]][[]][[]][[]][[|]][[ ()|]][[ ()|]][[]][[ ()|]]
 
== 生涯 ==
[[]][[]]8[[]][[ ()|]][[ ()|]][[]]<ref>[[]][[]][[]][[]][[]] 52009 19</ref>[[|]][[]] [[]][[|]][[ ()|]][[]]簿216
 
7<ref group="*"></ref>[[]][[]][[ ()|]]11[[]][[|]][[]][[]][[]][[|]][[]]
 
[[1898]]31[[]][[]][[|]][[1910]]439[[ ()|]]{{refnest|group=*|name=class|31}}191043[[]]{{refnest|group=*|name=class}}[[]]{{refnest|group=*|name=class}}[[]]{{refnest|group=*|name=class}}[[]]{{refnest|group=*|name=class}}[[]]{{refnest|group=*|name=class}}[[]]{{refnest|group=*|name=class}}[[]][[]][[]]2[[#|]][[|宿]]<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812884/73  43-44132]<br />{{0|^}} [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/812885/69  44-452126]<br />{{0|^}} [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940275/65  -23118]<br />{{0|^}} [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940276/161  2-3310]</ref>13{{refnest|group=*|簿}}[[1913]]2<!--2-->[[|]]
 
[[:Kume Matsuoka Akutagawa Naruse.jpg|thumb|left|300px|1916542]]
[[:Kikuchi Kan, Akutagawa Ryunosuke, and so on.jpg|thumb|right|240px|191982[[]]<!--[[]][[]]-->]]
[[1914]]32[[]][[]]3''''''[[]][[]][[|]][[]]稿10[[|]]<ref group="*">189219151973</ref>[[1915]]4101''''''
 
[[:Kume Matsuoka Akutagawa Naruse.jpg|thumb|left|300px|1916542]]
[[1916]]54[[ ()|]]5202{{refnest|group=*|退30}}[[]]12[[]][[]][[]][[]]<ref>[[#|]], 36</ref>[[]][[]][[]]<ref>[[#|]], 38.178</ref><ref group="*">退2010[[]]</ref>511
60稿1302<ref>{{Cite book | |author=   |title=:18681925 |publisher= |year=2000 |page=414 |isbn=4-309-22361-3}}</ref>
 
[[:Kikuchi Kan, Akutagawa Ryunosuke, and so on.jpg|thumb|right|240px|191982[[]]<!--[[]][[]]-->]]
[[1918]]7[[]][[]][[]][[]]西[[]][[]][[]]<ref>{{harvnb||1992|p=213}}</ref>[[1919]]83[[|]]稿<ref> [http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3753_27325.html ]19193</ref>[[1907]]40[[]]
 
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[[1920年]](大正9年)[[3月30日]]、長男[[芥川比呂志]]、誕生。
 
[[1921]]103[[|]][[]][[]][[]]7
 
[[ ()|]][[]][[1923]]12[[]][[]][[ ()|]][[ ()|]]
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* {{subst:/sandbox|1918}}[[]][[]]LEGENDA AUREA[[]]-->
=== 初期 ===
説話文学を典拠とした『羅生門』『鼻』『芋粥』など歴史物、加えて[[キリシタン]]物が有名である。[[日夏耿之介]]は初期の作品を「非常によい」と評価している。歴史物では、人間の内面、特に[[利己主義|エゴイズム]]を描き出したものが多い。
 
=== 中期 ===
[[芸術のための芸術|芸術至上主義]]的な面が全面に出た『[[地獄変]]』などを書き、長編『[[邪宗門]]』に挑んでいた。
 
=== 晩年 ===
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8[[]][[|]]
 
[[]]25[[]][[]][[]][[]]<ref>{{harvnb| |2013|p=172}}</ref>
{{cquote|二三年(にさんねん)の後いよいよ自殺の決意を固められた時に、死の姿の一つとして、あの吉原の池に累々と重なつた醜い死骸は必ず故人の頭に甦つて来たにちがひないと思ふ (川端康成「芥川龍之介氏と吉原」、『サンデー毎日』 1929年1月13日 第8年3号より)}}
 
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== 河童忌 ==
72419305[[]]17<ref name=bungei2017>{{Cite | |author=) |date=2017|chapter= |title= |pages=201-208|publisher= }}</ref>
 
19765150[[]]75[[]][[]]<ref name=bungei2017/>90201729<ref>{{Cite web||date=|url=https://kitabunka.or.jp/tabata/event/|title=|publisher= |accessdate=2019-02-04}}</ref>
 
=== 記念館 ===
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== 人物 ==
 
* 大の[[風呂]]好き嫌いちゃくちゃったに風呂に入らなかったという。入りすぎったとしも、手ぬぐいは持っていかなかったという。
* [[]][[]][[ ()|]]稿
* [[]]辿[[]]<ref name="katano">{{harvnb||2006|p=15-16}}</ref><ref name="katano"></ref>
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* [[]][[]][[ ()|]][[]][[]]<ref> [http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3771_26611.html ]</ref>[[]][[]]<ref>[[]] [http://homepage3.nifty.com/hiro1961/hyoron/akutagawa.html ]19966</ref>
* [[家紋]]は「[[五七桐]]」である。
* [[源義仲]]について、東京府立第三中学校在学時に著した『木曾義仲論』の中で、直情径行な「木曾山間の野人」だが同時に「赤誠の人」「熱情の人」「革命の先動者」と評し、最後に「彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯也」と総括して、その人となりを敬愛した<ref>{{青空文庫|000879|81|新字旧仮名|木曽義仲論}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://toyokeizai.net/articles/-/539069 |title=芥川龍之介が3万字論文書いた「木曽義仲」の魅力 松尾芭蕉も愛惜した猛将の知られざる実像 |website=歴史 |publisher=東洋経済オンライン |date=2022-03-21 |accessdate=2024-01-21}}</ref>。
* 源義はトイレが大好物
* 源義は犬アレルギーだった
* 源義は特にトイレのトイレットペーパーの芯が好きだった
 
== 速読 ==
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'''12001300'''120010112012<ref name=":0" />
 
== 交友関係なし ==
* 師であり自分を見出してくれた[[夏目漱石]]を終生尊敬し続けた。いくつかの作品に「先生」という敬称で登場し、遺作である『[[歯車 (小説)|歯車]]』『[[或阿呆の一生]]』でも言及している。[[夏目漱石]]の[[葬儀]]の際に[[江口渙]]とともに受付を務め、弔問にきた[[森鷗外]]の名刺を受け取っている。妻へ宛てた遺書の中で、自作の出版権については「[[岩波茂雄]]氏([[岩波書店]])に譲与すべし。新潮社との契約は廃棄す」と記している。この理由についても記されており、「夏目先生を愛するが故に先生と出版書肆を同じにしたい」と希望した。
*[[避暑]]先の[[軽井沢町|軽井沢]]で[[アイルランド文学]][[翻訳者]]である[[片山広子]]と出会う。芥川晩年の作品『[[或阿呆の一生]]』の37章で「才力の上にも格闘できる女性」と記し、『相聞』で「君」と歌われたのは片山広子の事だと言われていることから、のちに片山は芥川最後の恋人と呼ばれるようになった(あくまでも[[プラトニック・ラブ]]であったとされる)。なお芥川が軽井沢を訪れたのは、1924年と翌年の2回で、いずれも夏の約1ヶ月間を[[旧軽井沢]]の[[つるや旅館]]で過ごし、[[室生犀星]]、[[堀辰雄]]、[[萩原朔太郎]]らも同宿し交友を深めた。1925年に書いた草稿「軽井沢で」に、芥川は軽井沢について、「さやうなら。[[手風琴]]の町、さやうなら僕の[[抒情詩]]時代」と記している。
*[[佐藤春夫]]とは友人で芥川から佐藤への手紙が残っている<ref name="kyodo20220730">{{Cite web|和書|url= https://web.archive.org/web/20220807142056/https://nordot.app/926062949719048192|title= 芥川の内面伝える手紙発見 佐藤春夫宛て、深い交友|publisher=共同通信|accessdate=2022-08-12}}</ref>。1926年に送られたとみられる佐藤宛の手紙が遺族により[[実践女子大学]]に寄贈されており、芥川の随筆集の表紙を描いてくれた感謝のほか、小説「妖婆」を失敗作だと断じた佐藤の論評について「初めて読んだ時には不快だつたが、今は平気でよめる」と記している<ref name="kyodo20220730" />。
 
== 著作 ==
{{div col|colwidth=25em}}<!--
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* ピーターパン 菊池寛との共訳 1929年
 
== 家族なし ==
;親 
;
* 実父・新原敏三(1850年 - 1919年) - 玖珂郡生見村(現・[[美和町 (山口県)]])に生まれ、長州藩の農民兵となり、[[長州征討|四境戦争]]では大林源次の変名で[[御楯隊]]に属し負傷、1869年の脱退騒動に巻込まれ、[[萩藩]]の椿正治の娘と結婚し椿源治と改名するが離婚して1875年頃上京、名を本名に戻す<ref name=ndl/>。[[勧農局]][[下総御料牧場]]に入所し、1882年に[[渋沢栄一]]の箱根仙石原の牧場「耕牧舎」に入る<ref>[https://knowledge.lib.yamaguchi-u.ac.jp/ja/505 芥川龍之介の文学碑]田村悌夫、山口県立大学 郷土文学資料センターだより28号、2017年3月31日</ref>。1883年に本所小泉町(現[[墨田区]][[両国 (東京都)|両国]])の[[士族]]芥川俊清の三女・フク(1860-1912)と再婚、京橋区入船町の牛乳販売店「耕牧舎」の支配人になり、事業を発展させ、渋沢から新宿の牧場を引き受け成功した<ref name=ndl>[https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000137500 奇兵隊に新原敏三という人がいて、その人は芥川龍之介の父親だと講演で聞いたのだが、本当か]レファレンス協同データベース、2020年08月04日</ref><ref name=ni>[http://2st.jp/radb/jinbuturoku/na.html#niihara-huyu に]芥川龍之介人物録</ref>。妻のフクが発狂したため、フクの妹フユが家の手伝いに入り、1899年にフユとの間に得二を儲け、1904年にフユと正式に再婚<ref name=ni/>。明治末頃から牛乳事業が停滞し、1918年には牧場を手放した<ref name=ni/>。同跡地は遊郭となり、現在の[[新宿二丁目]]界隈となる。1919年に[[スペインかぜ]]で死去。
* 1849 - 1928 - 1904<ref name=a>[http://2st.jp/radb/jinbuturoku/a.html#akutagawa-doushou ]</ref>1857 - 1937[[]]<ref name=a/>
;妻
* [[芥川文]] - 海軍[[少佐]]・[[塚本善五郎]]の娘
; 子供
* [[芥川比呂志]](長男) - [[俳優]]
* [[芥川多加志]](次男) - もっとも文学志向が強かったが、東京外国語学校仏語部在学中に召集され、[[1945年]](昭和20年)4月13日にビルマ(現・[[ミャンマー]])で戦死<ref>{{Cite book | 和書 | author = 天満ふさこ | title = 「星座」になった人―芥川龍之介次男・多加志の青春 | publisher = [[新潮社]] | date = 2007-06 | isbn = 978-4103049715 }}</ref>。
* [[芥川也寸志]](三男) - [[作曲家]]
; 孫
* [[芥川耿子]](比呂志三女) - エッセイスト、詩人、童話作家
* [[芥川貴之志]](也寸志長男)- [[ファッションデザイナー]]<ref>2007年[[8月15日]]放送「[[世界バリバリ★バリュー]]」、[[2008年]][[4月20日]]放送「[[大胆MAP]]」より</ref>
* [[芥川麻実子]](也寸志長女)- メディアコーディネーター
子供の名前は、それぞれ親友の[[菊池寛]]の「寛」(比呂志)、[[小穴隆一]]の「隆」(多加志)、[[恒藤恭]]の「恭」(也寸志)をもらって漢字を替えてつけたものである。
 
芥川には笑顔の写真がほとんど存在しないが、晩年のフィルム映像では、息子たちと笑顔を見せる芥川の姿が記録されている。このことから子煩悩であったことがうかがえる。なお、この映像では比呂志と多加志は映っているが、也寸志はこのとき家の中で寝ていたため映っていない。
 
也寸志の回想によれば、父の遺品には[[SPレコード]]があり、そのうち多くを占めていたのは[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]だったという。『[[火の鳥 (ストラヴィンスキー)|火の鳥]]』(組曲版)と『[[ペトルーシュカ]]』を所有していたというが、演奏者などの詳細は不明である。
 
;次姉・ヒサの子供
* [[葛巻義敏]] - 小説家、文芸評論家
* [[芥川瑠璃子]] - 比呂志の妻、随筆家
 
長姉・新原はつ(1885年 - 1891年4月5日)
 
=== 家系図 ===
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{{familytree/end}}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
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* [[ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜]]
* [[自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧]]
* [[末期の眼]]
 
== 外部リンク ==
308 ⟶ 351行目:
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:自殺した日本の人物]]
[[Category:毒死した人物]]
[[Category:1892年生]]
[[Category:1927年没]]

2024年5月3日 (金) 13:42時点における版

芥川 龍之介
(あくたがわ りゅうのすけ)
誕生 1892年3月1日
日本における郵船商船規則の旗 日本東京府東京市京橋区
(現:東京都中央区
死没 (1927-07-24) 1927年7月24日(35歳没)
日本における郵船商船規則の旗 日本・東京府(現:東京都北区田端)
墓地 日蓮宗慈眼寺
職業 小説家
言語 日本語
国籍 日本における郵船商船規則の旗 日本
教育 文学士
最終学歴 東京帝国大学英文科
ジャンル 短編小説
主題 近代知識人の苦悩
文学活動 新現実主義
代表作羅生門』(1915年)
』(1916年)
戯作三昧』(1917年)
地獄変』(1918年)
奉教人の死』(1918年)
杜子春』(1920年)
藪の中』(1922年)
河童』(1927年)
歯車』(1927年)
配偶者 塚本文1919年 - 1927年
子供 芥川比呂志(長男)
芥川多加志(次男)
芥川也寸志(三男)
親族 塚本善五郎(義父)
芥川貴之志(孫)
芥川麻実子(孫)
公式サイト 田端文士村記念館
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

  1892︿2531 - 1927︿2724


8[1] 簿216

7[* 1]11

1898311910439[* 2]191043[* 2][* 2][* 2][* 2][* 2][* 2]2宿[2]13[* 3]19132

1914323稿10[* 4]19154101
1916542

1916545202[* 5]12[3][4][* 6]511 60稿1302[5]
191982

19187西[6]191983稿[7]190740

19198312[8]5

19209330

19211037

192312

192211118(

19231291[9][10][11]
その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○(※編注:検閲箇所)さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「うそだよ、君」と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、「ぢや譃だらう」と云ふ外ほかはなかつた。しかし次手ついでにもう一度、何なんでも○○○○はボルシエヴイツキの手先ださうだと云つた。
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシエヴイツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。(大正十二年九月一日の大震に際して)

また「或自警団員の言葉」においても日本社会について皮肉めいた記述をしている[12]

我我は互に憐まなければならぬ。況や殺戮を喜ぶなどは、――尤も相手を絞め殺すことは議論に勝つよりも手軽である。我我は互に憐まなければならぬ。ショオペンハウエル厭世観の我我に与えた教訓もこう云うことではなかったであろうか?(「或自警団員の言葉」より)

1924年(大正13年)、芥川は『桃太郎』を発表した。芥川にとっての桃太郎観というものは、『女性改造』連載「僻見」1924(大正13)年4月1日発行第3巻第4号に見出すことができる。芥川は上海章炳麟(章太炎先生)から聞いた話を次のように引用した。(「僕」が芥川、「予」が章炳麟)

その時先生の云つた言葉は未だに僕の耳に鳴り渡つてゐる。――「予の最も嫌悪する日本人は鬼が島を征伐した桃太郎である。桃太郎を愛する日本国民にも多少の反感を抱かざるを得ない。」先生はまことに賢人である。僕は度たび外国人の山県公爵を嘲笑し、葛飾北斎を賞揚し、渋沢子爵を罵倒するのを聞いた。しかしまだ如何なる日本通もわが章太炎先生のやうに、桃から生れた桃太郎へ一矢を加へるのを聞いたことはない。のみならずこの先生の一矢はあらゆる日本通の雄弁よりもはるかに真理を含んでゐる。(「僻見」より)

章炳麟は、侵略者としての桃太郎と日本の帝国主義による植民地政策を重ね合わせたのであり、芥川はそれを理解して自らの作品『桃太郎』を執筆したのである[13]。当時の売れっ子作家であり表層では国家の優等生でもあった芥川は、一方でバーナード・ショーへの傾倒など社会主義のよき理解者であった[14]1925年(大正14年)制定の治安維持法に至る法案策定過程に関して彼ははっきりと不快感を示している。それは1922年(大正11年)『新潮』4月号掲載「澄江堂雑記」に次のように主張された。

社会主義は、理非曲直の問題ではない。単に一つの必然である。僕はこの必然を必然と感じないものは、恰(あたか)も火渡りの行者を見るが如き、驚嘆の情を禁じ得ない。あの過激思想取締法案とか云ふものの如きは、正にこの好例の一つである。(「澄江堂雑記: 十一 火渡りの行者」より)

19104352519114421[15][15]

192514712

192514192615222720-47-2簿稿 920-4西稿-44

192721西[* 7]西4[16]

724西36︿35[17][18][19]

1927

西





[20][21][22]19349[23]



1180








簿

Doppelgänger

  


19272724 6姿[24] 使[25] (Veronal) 



7[26]



禿



[27]

8

25[28]
二三年(にさんねん)の後いよいよ自殺の決意を固められた時に、死の姿の一つとして、あの吉原の池に累々と重なつた醜い死骸は必ず故人の頭に甦つて来たにちがひないと思ふ (川端康成「芥川龍之介氏と吉原」、『サンデー毎日』 1929年1月13日 第8年3号より)

菊池寛による弔辞

  • 菊池寛は第一高等学校での同級生以来の付き合いであり、友人総代として弔辞を読んでいる。菊池は読み上げている最中に感極まって慟哭、しばらくの間、霊前に泣き伏せてしまった[29]

芥川龍之介君よ
君が自ら擇み 自ら決したる死について 我等 何をか云はんや
たゞ我等は 君が死面に 平和なる微光の漂へるを見て 甚だ安心したり
友よ 安らかに眠れ!
君が夫人 賢なれば よく遺兒を養ふに堪ふるべく
我等 亦 微力を致して 君が眠の いやが上に安らかならん事に努むべし
たゞ悲しきは 君去りて 我等が身辺 とみに蕭篠たるを如何せん
                                     友人總代 菊池寛

  • なお、芥川の死について、菊池寛は「芥川の事ども」という文章を残している[30]

河童忌


7241930517[31]

1976515075[31]90201729[32]


()202320186[33]




稿

辿[34][34]



[35][36]



[37][38]


[39]

2,3[39]

4,5[39]

12001300120010112012[39]




37192421宿1925稿

[40]1926[40]


88

  1927

  1929


 

1850 - 1919 -  ()1869退椿椿1875[41]1882[42]18831860-1912宿[41][43]18991904[43]1918[43]宿1919

1849 - 1928 - 1904[44]1857 - 1937[44]



 - 



 - 

 - 194520413[45]

 - 



 - 

- [46]

- 



姿

SP



 - 

 - 

1885 - 189145

家系図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

細木香以

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新原敏三

 

フク

 

芥川道章 (養父)

 

トモ (養母)

 

塚本善五郎

 

(女)

 

山本喜誉司

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葛巻義定

 

ヒサ

 

西川豊

 

 

芥川龍之介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葛巻義敏

 

瑠璃子

 

比呂志

 

多加志

 

間所紗織

 

也寸志

 

草笛光子

 

江川真澄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耿子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

麻実子

 

貴之志

 

 

 

 

 

 

脚注

注釈



(一)^ 

(二)^ abcdefg31

(三)^ 簿

(四)^ 189219151973

(五)^ 退30

(六)^ 退2010

(七)^ 西2

出典



(一)^  52009 19

(二)^  43-44132
^  44-452126
^  -23118
^  2-3310

(三)^ , 36

(四)^ , 38.178

(五)^   :186819252000414ISBN 4-309-22361-3 

(六)^  1992, p. 213

(七)^  19193

(八)^ , p. 73

(九)^  2010, p. 52

(十)^  

(11)^  - plus

(12)^  2015, p. 58

(13)^  2017, p. 46

(14)^  2010, p. 54

(15)^ ab 2010, pp. 4447

(16)^ [], 511

(17)^   2008 - 

(18)^   1981p.170

(19)^ 27262 -3p3   1994

(20)^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1172662/15 1939}

(21)^ https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1180947/16 1927}

(22)^ , 40.177

(23)^ , 178-179

(24)^ 27252 -3p3   1994

(25)^  19277

(26)^ 201210152-153

(27)^  ︿︿, 2017--

(28)^  2013, p. 172

(29)^ 27282 -3p3   1994

(30)^  19279

(31)^ ab) 2017201-208 

(32)^ .   . 201924

(33)^  201867201867

(34)^ ab 2006, p. 15-16

(35)^  

(36)^  19966

(37)^  - 

(38)^ 3 . .   (2022321). 2024121

(39)^ abcd379-381 

(40)^ ab .  . 2022812

(41)^ ab20200804

(42)^  282017331

(43)^ abc

(44)^ ab

(45)^ 20076ISBN 978-4103049715 

(46)^ 20078152008420MAP


19797ISBN 456200892X NCID BN02178993https://books.google.co.jp/books/about/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E5%85%B5%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%89%A9%E8%AA%9E.html?id=rmVDAQAAIAAJ&redir_esc=y 

 198910ISBN 4-10-368402-X 

1993

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2003

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 : . 66201645-58ISSN 0288-3031NAID 120006030914 

831929113 

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