ペーガソス
ペーガソス︵古希: Πήγασος, Pḗgasos, ラテン語: Pegasus, Pegasos︶は、ギリシア神話に登場する伝説の生物である。鳥の翼を持ち、空を飛ぶことができる馬とされる。海神ポセイドーンとメドゥーサの子で、クリューサーオールと兄弟。
ラテン語ではペーガススといい、英語読みペガサス(Pegasus)でも知られる。日本語では長母音を省略してペガソス、ペガススと呼ばれるほか、天馬︵てんば、てんま︶と訳される。
ジュゼッペ・チェーザリの絵画﹃ペルセウスとアンドロメダ﹄︵160 2年︶
ペルセウスのゴルゴーン退治の神話、またアンドロメダー救出の神話について、古典期の資料では一貫して﹁ペルセウスは翼のあるサンダルを履いていた﹂と語られており、ペルセウスがペーガソスに乗っていたとする伝承は残っていない︵ペーガソスに乗っていたことで有名なのは上述のベレロポーンであり、また彼が退治したのもキマイラである︶。しかしながら、中世以降の絵画や物語では、しばしばペルセウスがゴルゴーンを退治したのちペーガソスに乗って帰った、また帰路の途中で怪物ケートスと戦いアンドロメダーの命を救った際もペーガソスに乗って空から舞い降りた、と描かれていることがある。
14世紀初頭︵1317年から1328年の間︶にフランスで書かれた﹃オヴィド・モラリゼ︵道徳的なオウィディウス︶﹄は、オウィディウスの﹃変身物語﹄を道徳的に翻案したものであり、ルネサンス期の芸術家たちによるギリシア神話の芸術的表現に影響を与えたとされるが、ペルセウスの神話とベレロポーンおよびペーガソスの神話が混同される元になったとされる[17]。またジョヴァンニ・ボッカッチョの﹃異教の神々の系譜﹄︵1360年頃︶の名が挙げられることもある。
1532年のアリオスト﹃狂えるオルランド﹄で描かれた、ルッジェーロがヒッポグリフを駆りアンジェリカを救う場面も影響を与えているのではないかとみられている[18]。
中世における﹁ペーガソスに乗るペルセウス﹂が描かれた絵画の代表例としては、1602年に描かれたジュゼッペ・チェーザリの﹃ペルセウスとアンドロメダ﹄︵1593-1594年に描かれた﹃アンドロメダを救うペルセウス﹄では翼が描かれていないが、1602年版では描かれている︶、1611年のヨアヒム・ウテワールの﹃アンドロメダを救うペルセウス﹄などが挙げられる。またピーテル・パウル・ルーベンスの﹃アンドロメダを救うペルセウス﹄︵1620年︶、﹃ペルセウスとアンドロメダ﹄︵1622年頃︶では、ペルセウスをペーガソスに跨らせてはいないものの、ペルセウスとアンドロメダーに添えられる形でペーガソスが描かれている。
1981年の映画﹃タイタンの戦い﹄︵2010年に同名のリメイク作品あり︶では、ペルセウスがペガサスを駆る姿が描かれている。
また現代のプラネタリウムや天体観望の場、あるいは児童向けの図鑑、絵本などで語られる星座神話では、秋の星座としてペガスス座、アンドロメダ座、ペルセウス座、くじら座、カシオペヤ座、ケフェウス座が隣接していることもあり、﹁ぺガススを駆るペルセウスが通りかかり、化け物くじらに食べられそうになっていたアンドロメダを救った﹂という形でまとめられていることがある[19]。
神話[ソースを編集]
ポセイドーンの子を身ごもったメドゥーサが英雄ペルセウスによって倒された際、ペーガソスはクリューサーオールと共にメドゥーサの首の傷口から生まれた[1][2]。その後ペルセウスはヘルメースから与えられた翼のあるサンダルで、エチオピアの上空を飛んでいるときに岩に縛り付けられたアンドロメダーを発見した︵一説にはペーガソスに跨っていったともされる︶。一方のペーガソスは天に上り、ゼウスのもとで雷鳴と雷光を運ぶという名誉ある役割を与えられた[3]。ベレロポーン[ソースを編集]
ペーガソスはコリントス出身の英雄ベレロポーンの愛馬になったとも伝えられている。ピンダロスの詩によると、最初ベレロポーンはペイレーネーの泉に現れるペーガソスを捕らえようとして苦労した。すると夢にアテーナーが現れて面繋のついた黄金の轡を授けた。ベレロポーンはこの轡を用いることでようやくペーガソスを捕らえることができた[4]。ペーガソスはポセイドーンからベレロポーンに与えられたともいう[5]。そしてベレロポーンはペーガソスに騎乗して戦うことで、アマゾーンやソリュモイ人の討伐、怪物キマイラを滅ぼすという武勲をたてた[6][7]。 しかしベレロポーンは次第に増長し、ついにはオリュムポスに昇って神々の集会に加わり[8]、神々がどこに自分の座を持っているのかを確かめようとした[9]。しかしベレロポーンはゼウスの怒りに触れ、驚いたペーガソスはベレロポーンを振り落とした[8]。大地に墜落したベレロポーンは足を折り、一人淋しくその生涯を終えた[6]。ヘリコーン山[ソースを編集]
文芸の神ムーサイがピーエロスの娘たちと歌を競ったとき、ムーサイの歌を聴いたヘリコーン山︵ボイオーティア地方の山︶は異常に膨れ上がって天界にも届きそうになった。そこでペーガソスはポセイドーンの命により、ヘリコーン山を蹴って元に戻した[10]。またヘリコーン山にはヒッポクレーネー︵ Ἱπποκρήνη,﹁馬の泉﹂の意 ︶という泉があり、ペーガソスが蹴った場所に湧いたとされる[11][12][13]。 同じ名前の泉はトロイゼーンにもあり、そこでもペーガソスが地を蹴って泉を湧かせたと伝えられている[14]。異説[ソースを編集]
上記とは一部異なる諸説がある。 ●オウィディウスはペルセウスがメドゥーサの首を切ったとき、首の切り口から滴った血によってペーガソスとクリューサーオールは生まれたと述べている[15]。あるいは血が大地に滴って生まれたともいわれている︵父は同じく海神ポセイドーン︶。 ●ムーサイがヒッポクレーネーで飼っていた。 ●16世紀の神話研究の大家ナターレ・コンティによると、ゼウスの怒りに触れたベレロポーンは、ゼウスが遣わした虻がペーガソスを刺したために、驚いた天馬から振り落とされた。 ●ヒュギーヌスによると、ベレロポーンはオリュムポスに昇ろうとしたが、遠ざかる地面を見て恐怖し、墜死した。しかしペーガソスはそのまま天に昇って星座︵ペガスス座︶となった[16]。受容史[ソースを編集]
ペーガソスを駆るペルセウス[ソースを編集]
ウィキメディア・コモンズには、ペーガソスとペルセウスが共に描かれている図像に関するカテゴリがあります。シンボリズム[ソースを編集]
ペーガソスは﹁霊感﹂の象徴とも、ローマ時代には﹁不死﹂の象徴ともなった。また紋章学上では﹁教養﹂や﹁名声﹂の象徴である。系図[ソースを編集]
出典[ソースを編集]
(一)^ ヘーシオドス、277行-281行。
(二)^ アポロドーロス、2巻4・2-4・3。
(三)^ ヘーシオドス、284行-286行。
(四)^ ピンダロス﹃オリンピア祝勝歌﹄13歌63行-86行。
(五)^ ヘーシオドス断片69。
(六)^ ab﹃イーリアス﹄6巻。
(七)^ ピンダロス﹃オリンピア祝勝歌﹄13歌87行-90行。
(八)^ abピンダロス﹃イストミア祝勝歌﹄7歌44行-47行。
(九)^ エウリーピデース﹃ベレロポンテース﹄断片。
(十)^ アントーニーヌス・リーベラーリス、第9話。
(11)^ アラートス﹃星辰譜﹄216行-221行。
(12)^ オウィディウス﹃変身物語﹄5巻。
(13)^ パウサニアス、9巻31・3。
(14)^ パウサニアス、2巻31・9。
(15)^ オウィディウス﹃変身物語﹄4巻785行。
(16)^ ヒュギーヌス﹃天文論﹄2巻18。
(17)^ John M. Steadman (1958). “Perseus upon Pegasus' and Ovid Moralized”. The Review of English Studies (Oxford University Press) 9 (36): 407-410.
(18)^ Salomon Reinach (1923). E. Leroux. ed. Cultes, mythes, et religions. 5, pp. 242-272.
(19)^ 事例‥藤井旭﹃新装版 星の神話・伝説図鑑﹄ポプラ社、2018年。4頁。; ﹃星・星座﹄学研プラス、2018年。7、181頁。; “星座の神話から学ぼう - ベネッセ教育情報サイト”. ベネッセコーポレーション (2014年12月5日). 2024年2月11日閲覧。