市河氏

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脚注[編集]

  1. ^ 「六条八幡宮造営注文」(国立歴史民俗博物館所蔵文書)。なお、同文書には甲斐源氏の武士の名も多く記載されている。
  2. ^ この際に使者として派遣されているのが同年武田晴信書状「市河文書」に見られる「山本菅助」で、『甲陽軍鑑』に登場する山本勘助に比定される可能性があることからも注目されている。また、2009年には群馬県安中市の真下家文書において「山本菅助」関係文書が発見されている。「山本菅助」と市河氏の関わりについては平山優『山本勘助』(講談社現代新書、2006年)、西川広平「山本勘助と足軽」上野晴朗・萩原三雄編『山本勘助のすべて』(新人物往来社、2006年)など。
  3. ^ 2009年には山梨県立博物館が収蔵。

参考文献[編集]

  • 金井喜久一郎「市河文書雑記-釧路 市川家の文書概観-」『一志茂樹博士喜寿記念論集』郷土資料編集会、1971年
  • 金井喜久一郎「戦国期に於ける市河氏の動向」『高井』二八市市河氏特集号、1974年
  • 須藤茂樹「ある一国人の動向・武田から上杉へ-『市河文書』を素材として-」大河ドラマ特別展『風林火山-信玄・謙信、そして伝説の軍師-』NHKプロモーション、2007年
  • 西川広平「戦国大名武田家と市河家」『信濃』60-10、2008年
  • 西川広平「山梨県立博物館「市河家文書」について」『山梨県立博物館研究紀要 第4集』山梨県立博物館、2010年
  • 西川広平「米沢藩士市河家による系図作成」『山梨県立博物館研究紀要 第5集』山梨県立博物館、2011年