明治大学ラグビー部
原語表記 | 明治大学体育会ラグビー部 | |
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クラブカラー | 紫紺 | |
愛称 | メイジ | |
創設年 | 1923年 | |
代表 | 西村弥(部長) | |
監督 | 神鳥裕之 | |
ヘッドコーチ | 伊藤宏明 | |
所属リーグ | 関東大学ラグビー対抗戦グループ | |
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公式サイト | ||
https://www.meijirugby.jp |
明治大学体育会ラグビー部︵めいじだいがくたいいくかいラグビーぶ、英: MEIJI UNIVERSITY Rugby Football Club︶は、関東大学ラグビー対抗戦Aグループに所属する明治大学のラグビー︵ラグビーユニオン︶部である。愛称メイジ。略称明大︵めいだい︶。
全国タイトル22回︵全国大学タイトル21回・日本選手権1回︶および全国大学タイトル21回︵東西対抗8回・大学選手権13回︶を誇る。また7人制では、ジャパンセブンズ優勝1回・YC&AC JAPAN SEVENS優勝2回・東日本大学セブンズ優勝3回を誇る。
明治大学ラグビー部︵1928年、前列右から2人目が北島忠治︶[1 ]
ラグビー明早戦︵1938年12月4日︶
明早戦は1973年〜2013年まで国立競技場で開催されていた。
明治大学で14番目の運動部として1922年に創部された︵翌1923年に正式承認︶。
部のエンブレムはペガサス。﹁重戦車﹂と呼ばれる強力FWがチームの特徴であるが、黄金期にはBKにも好選手を擁していた。
北島忠治が1929年から67年間指揮を執り、彼が言い続けた﹁前へ﹂を合言葉に日本選手権1回、大学選手権13回優勝の名門に作り上げた。
長きに亘り、人気・実力共に大学ラグビーの中心的な存在であり、特に早稲田大学との対戦は﹁明早戦﹂︵早明戦︶と呼ばれ、日本ラグビー界を代表する伝統の一戦とされる。
1969年に選手の丸刈り制を廃止。1972年度から1982年度まで11年連続で大学選手権決勝進出、その内5回優勝している。
1982年12月5日、空前のラグビーブームのなか明早戦が行われた国立競技場は、有料入場券発売が66,999枚を記録し、1964年東京オリンピックの開会式と閉会式の販売枚数に次いで歴代3位となった[2][3]。当時の国立競技場の定員は62,064人だったが、前売り4万枚に加え、当日券約2万枚を求めて会場外に多くの人が集まったため、当日来場しない1〜2割の人数を見込んで、追加発売したことによるものだった。これによる観客席の混乱はなかったという[4]。また、当時は正確な入場者数が把握できず、﹁有料入場券発売枚数﹂を公式な人数として発表していた[4]。
1990年代には対抗戦優勝8回、大学選手権優勝5回・準優勝3回と圧倒的な強さを誇った[5]。
2006年3月、部員が騒音を出し続けたため慢性的な睡眠不足になったとして、合宿所近くの住民が明治大学を相手取って慰謝料を求めた。東京地裁は明治大学に計45万円の慰謝料の支払いを命じた[6][7]。
2008年度はシーズン中盤から終盤にかけて4連敗を喫し対抗戦で6位となり、24年ぶりに大学選手権出場を逃した。
2010年度の対抗戦では全勝で明早戦を迎え、12年ぶりの優勝に王手をかけたが、早稲田大学に15-31で敗れ復活優勝はならなかった。同年度の大学選手権準決勝でも早稲田大学と再戦したが10-74で完敗した。この74失点は2007年度の対抗戦における71失点を上回り、早稲田大学戦での最多失点となった。
2012年度は大学選手権を含めて100回目となる明早戦を後半ロスタイムで逆転勝利し、筑波大学・帝京大学と同率ながら14年ぶりの対抗戦グループ優勝を飾った。
2013年度は3勝4敗と負け越したが、青山学院大学と同率の5位で大学選手権に出場した。なお国立競技場改修前に行われた最後の明早戦は、明治が先制するも早稲田に逆転され敗れた。
2014年度からは、対抗戦の明早戦は秩父宮ラグビー場で開催されている。
2015年度は明早戦に3年ぶりに勝利し、帝京大学と同率ながら3年ぶりの対抗戦グループ優勝を飾った。
2017年度は19年ぶりに大学選手権で決勝進出を果たしたが、帝京大学に1点差で敗れた。
2018年度は2年連続で大学選手権決勝に進出し、天理大学を破り22年振り13回目の優勝を果たした。
2019年度は3年連続で大学選手権決勝に進出したが、早稲田大学に敗れた。なおこの試合は国立競技場で初めて開催されたラグビーの試合だった。
イェール大学︵米国アイビーリーグ︶との国際親善試合︵八幡山グラン ド︶
日本のラグビーチームとしては最も早期とされる1927年12月に上海遠征を行っており、またそれが縁となって、約1ヵ月後の1928年1月に来日した上海駐屯ウェールズ連隊が、初めて来日した海外のラグビーチームとされている[8]。以来、欧米各国や香港の代表チームとの間で、日本代表チームとは別に、明大ラグビー部単独チームとして交流試合などを行ってきた国際交流の歴史をもつ。
中でも1950年代以降、オックスフォード大学ラグビー部︵1869年創部︶、ケンブリッジ大学ラグビー部︵1872年創部︶の両チームとは、両校が来日した際には日本代表チームとは別に、明大ラグビー部単独チームとして交流試合を開催するなど、特別な国際交流を行ってきた歴史をもつ。
シドニー大学との国際親善試合︵八幡山グランド︶
近年では、コロナ禍前の2018年にイェール大学︵1875年創部︶、シドニー大学︵1863年創部︶などを個別に明大グランドに招聘し、ウェルカムパーティ、アフターマッチファンクションなども交えた国際交流イベントを開催するなど親睦を深めている。また、OBも交えた﹁オール明治﹂としての試合なども開催している[9]。
以下、主要な海外交流戦︵記事作成済みのもののみ︶
●1928年上海駐屯イギリス軍ウェールズ連隊ラグビー部の日本遠征
●1928年ラグビー満洲代表の日本遠征
●1932年ラグビーカナダ代表の日本遠征
●1934年ラグビーオーストラリア学生選抜の日本遠征
●1936年ラグビーニュージーランド大学選抜の日本遠征
●1952年オックスフォード大学ラグビー部の日本遠征
●1952年ラグビー香港代表の日本遠征
●1953年ケンブリッジ大学ラグビー部の日本遠征
●1977年ラグビースコットランド代表の日本遠征
概要[編集]
国際交流[編集]
タイトル[編集]
※年は全て年度。- 日本ラグビーフットボール選手権大会:1回
- 1975年
- 全国大学ラグビーフットボール選手権大会:13回 (出場48回)
- 東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦:8回
- 1931年、1935年、1938年、1939年、1940年、1949年、1951年、1954年
- 関東大学ラグビー対抗戦:30回[12](関東大学ラグビーリーグ戦 と分裂後[1967年度以降]は17回)
- 関東大学春季大会グループA:1回
- 2018年
- 関東大学春季大会グループB:2回
- 2014年、2019年
- ジャパンセブンズ選手権大会:1回
- 1993年
- YC&AC JAPAN SEVENS:2回
- 1976年、1982年
- 東日本大学セブンズ:3回
- 2017年、2018年、2019年
早慶2校との対戦成績[編集]
早稲田大学戦[編集]
大会 | 試合数 | 明治大学 勝利 |
引き分け | 早稲田大学 勝利 |
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関東大学対抗戦 (定期戦・明早戦) |
97 | 40 | 2 | 55 |
大学選手権 | 16 | 9 | 0 | 7 |
合計 | 113 | 49 | 2 | 62 |
- ※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2021年度現在。
慶應義塾大学戦[編集]
大会 | 試合数 | 明治大学 勝利 |
引き分け | 慶應義塾大学 勝利 |
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関東大学対抗戦 (定期戦・明慶戦) |
95 | 54 | 3 | 38 |
大学選手権 | 8 | 6 | 1 | 1 |
合計 | 103 | 60 | 4 | 39 |
- ※招待試合・練習試合・ジュニア選手権等は含まない。2020年度現在。
戦績[編集]
近年のチームの戦績は以下のとおり。
年度 | 所属 | 勝敗 | 順位 | 監督 | 主将 | 大学選手権 |
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1986年 | - | 10勝0敗 | 1位 | 北島忠治 | 高橋善幸 | 準決勝 3-11 大東文化大学 |
1987年 | - | 8勝2敗 | 3位 | 北島忠治 | 大西一平 | 1回戦 0-10 大阪体育大学 |
1988年 | - | 9勝1敗 | 1位 | 北島忠治 | 安東文明 | 優勝 決勝 13-13 大東文化大学[11] |
1989年 | - | 8勝2敗 | 4位 | 北島忠治 | 竹ノ内弘典 | 1回戦 10-21 大阪体育大学 |
1990年 | - | 8勝1分 | 1位[13] | 北島忠治 | 吉田義人 | 優勝 決勝 16-13 早稲田大学 |
1991年 | - | 9勝0敗 | 1位 | 北島忠治 | 小村淳 | 優勝 決勝 19-3 大東文化大学 |
1992年 | - | 9勝0敗 | 1位 | 北島忠治 | 永友洋司 | 準決勝 18-42 法政大学 |
1993年 | - | 9勝0敗 | 1位 | 北島忠治 | 元木由記雄 | 優勝 決勝 41-12 法政大学 |
1994年 | - | 9勝0敗 | 1位 | 北島忠治 | 南條賢太 | 準優勝 決勝 17-22 大東文化大学 |
1995年 | - | 7勝2敗 | 2位 | 北島忠治 | 信野將人 | 優勝 決勝 43-9 早稲田大学 |
1996年 | - | 9勝0敗 | 1位 | 北島忠治 →寺西博 | 松本幸雄 | 優勝 決勝 32-22 早稲田大学 |
1997年 | A | 7勝0敗 | 1位 | - | 田中澄憲 | 準優勝 決勝 17-30 関東学院大学 |
1998年 | A | 6勝0敗 | 1位 | 金谷福身(HC) | 山岡俊 | 準優勝 決勝 28-47 関東学院大学 |
1999年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 金谷福身(HC) | 斉藤祐也 | 2回戦 17-21 関東学院大学 |
2000年 | A | 5勝2敗 | 2位 | 田中充洋 | 桜井崇将 | 2回戦 14-46 同志社大学 |
2001年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 田中充洋 | 松原裕司 | 2回戦 31-42 関東学院大学 |
2002年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 境政義 | 伊藤太進 | 1回戦 43-48 近畿大学 |
2003年 | A | 4勝3敗 | 4位 | 境政義 | 小堀正博 | 2回戦 プール戦Bグループ 0勝3敗 |
2004年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 境政義 | 黒田崇司 | 2回戦 7-38 法政大学 |
2005年 | A | 4勝3敗 | 4位 | 境政義 | 高野彬夫 | 1回戦 24-43 大阪体育大学 |
2006年 | A | 5勝2敗 | 2位 | 藤田剛(HC) | 日和佐豊 | 2回戦 14-28 大阪体育大学 |
2007年 | A | 5勝1敗1分 | 2位 | 藤田剛(HC) | 上野隆太 | 準決勝 27-34 慶應義塾大学 |
2008年 | A | 3勝4敗 | 6位 | 藤田剛 | 杉本晃一 | 不出場 |
2009年 | A | 3勝4敗 | 5位 | 吉田義人 | 金澤章太 西原忠佑 |
準決勝 12-43 帝京大学 |
2010年 | A | 6勝1敗 | 3位 | 吉田義人 | 杉本博昭 | 準決勝 10-74 早稲田大学 |
2011年 | A | 5勝2敗 | 2位[16] | 吉田義人 | 溝口裕哉 | 2回戦 9-11 筑波大学 |
2012年 | A | 6勝1敗 | 1位[14] | 吉田義人 | 竹内健人 | セカンドステージ敗退 |
2013年 | A | 3勝4敗 | 5位[17] | 丹羽政彦 | 圓生正義 | セカンドステージ敗退 |
2014年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 丹羽政彦 | 勝木来幸 | セカンドステージ敗退 |
2015年 | A | 6勝1敗 | 1位[15] | 丹羽政彦 | 中村駿太 | 準決勝 19-28 東海大学 |
2016年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 丹羽政彦 | 桶谷宗汰 | 3回戦 22-26 京都産業大学 |
2017年 | A | 5勝2敗 | 2位[18] | 丹羽政彦 | 古川満 | 準優勝 決勝 20-21 帝京大学 |
2018年 | A | 5勝2敗 | 3位[19] | 田中澄憲 | 福田健太 | 優勝 決勝 22-17 天理大学 |
2019年 | A | 7勝0敗 | 1位 | 田中澄憲 | 武井日向 | 準優勝 決勝 35-45 早稲田大学 |
2020年 | A | 7勝0敗 | 1位 | 田中澄憲 | 箸本龍雅 | 準決勝 15-41 天理大学 |
2021年 | A | 5勝2敗 | 3位 | 神鳥裕之 | 飯沼蓮 | 準優勝 決勝 14-27 帝京大学 |
2022年 | A | 6勝1敗 | 2位 | 神鳥裕之 | 石田吉平 | 準々決勝 21-27 早稲田大学 |
1975年度の日本一[編集]
1975年度の第13回日本ラグビーフットボール選手権大会(1976年1月15日)で、三菱自動車京都を37-12で破り初優勝を果たした。下記は当校日本一の試合時におけるフィフティーンである。
明大ラグビー部十訓[編集]
部歌[編集]
作詞‥春日井薫 作曲‥入江為守
ルビコンの流れ 勇姿を宿し
天山の嵐 将星をみがく
知るや駿台 ラグビーの戦士
球蹴れば 空鳴り
球落つれば 地揺らぐ
勝利は我にあり 勝利は我にあり
バシティー明治 バシティー明治 バシティー明治
主な選手[編集]●廣瀬雄也︵主将、CTB / 東福岡高出身︶ ●山本嶺二郎︵副将、LO / 京都成章高出身︶ ●床田淳貴︵PR / 桐蔭学園高出身︶ ●大越勇気︵SH / 茗溪学園高出身︶ ●山村和也︵WTB・CTB / 報徳学園高出身︶ ●川村心馬︵SO・CTB / 函館ラ・サール高出身︶在籍した選手[編集]※ラグビー日本代表歴代キャップ保持者一覧、Category:明治大学ラグビー部の選手も参照。 ●能美一夫︵創部者 / 天理中︶ビーチラグビー[編集]明大ラグビー部内で、競技﹁ビーチラグビー﹂が発祥した。ラグビーのオフシーズンに部内のローカルルールで実施されていたが、1990年にOBの若狭平和らが公式ビーチスポーツとしてルール等を整備し競技大会、協会等を発足させた。エピソード[編集]●67年にわたり監督を務め、明大ラグビー部の象徴であった北島忠治監督は、監督経験最高齢記録保持者としてギネスブックに掲載され、ゴールデンタイムの2時間ドラマの主人公や、同じくゴールデンタイムのドキュメンタリー教養番組のテーマとして据えられるなど、アマチュアスポーツ界のレジェンド的存在として知られた。 ●俳優の渡辺謙は生まれ故郷の新潟県から上京後、NHK朝ドラに出演しブレークを果すまでの8年間を八幡山で暮らし、明大ラグビー部の練習を見るために、度々、八幡山グラウンドを訪れていたことを述懐している[20]。 ●雑誌﹃日経トレンディ﹄No.49では、﹁難関チケット獲得大作戦特集﹂として、正月ハワイ旅行、クリスマス・ホテル宿泊、大相撲4人枡席、F1グランプリ鈴鹿などと共に、明早戦が最も獲得が難しいプラチナチケットとして取り上げられ、同じく、雑誌﹃BRUTUS﹄などでも冬のスポーツ文化を代表する一戦として特集が組まれている。 ●明早戦はスポーツ競技の定期対抗戦で唯一、国立競技場をホームとして開催されており︵1973年~︶、1982年12月5日の明早戦は有料入場券発売数が66,999枚を記録し、スポーツ試合としての同競技場の最多入場者数記録となっている。﹁雪の明早戦﹂など数々の名勝負で知られる。嘗ては、試合終了後の夜に両校の学生が新宿歌舞伎町の新宿コマ劇場 (現: 新宿東宝ビル) 前の広場に集まるのが恒例となっていた[21][22]。 ●吉永小百合が度々観戦に訪れるなど、明早戦は両校OBの著名人が観戦することで知られ、政界では自社さ連立政権時代に、政権トップの面々である、内閣総理大臣の村山富市︵明治OB︶、自由民主党総裁の河野洋平︵早稲田OB︶、自由民主党幹事長の森喜朗︵同︶及び、新党さきがけ代表・大蔵大臣の武村正義︵東大OB︶などが観戦している他、最近では、2023年に自由民主党政務調査会長の萩生田光一︵明治OB︶が元首相の森喜朗︵早稲田OB︶と共に観戦している。 ●2013年12月1日に改修工事前の国立霞ヶ丘競技場にて行われた旧競技場での最後の明早戦では、試合終了後に﹁さよなら国立セレモニー﹂が行われ、両校のエール交換に続いて、松任谷由実が出演し﹃〜ノーサイド・夏〜空耳のホイッスル﹄︵アルバム﹃NO SIDE﹄収録︶の歌詞朗読に続けて、松任谷正隆のピアノ演奏をバックに、両校のプレーヤーを前に﹁ノーサイド﹂を歌い上げた[23]。 ●公式試合のテレビ中継は、明早戦をNHKテレビが1953年︵昭和28年︶のJOAK東京放送局のテレビ開局の年から毎年行っている他[24]、嘗てはオフシーズンの﹁全早慶明対向ラグビー﹂が毎年3週にわたり、テレビ東京で中継されていた。フィクションに登場した明治大学ラグビー部[編集]●﹃母校の花形﹄︵映画、日活、1937年︶ - 笠原恒彦︵ラグビー部OB︶がラグビー部主将役 ●﹃マドンナ﹄︵漫画、ビッグコミックスピリッツ、1987年 - 1992年︶ - 明大ラグビー部をモデルにした“M大ラグビー部”のスター選手が登場 ●﹃ノーサイド 〜91歳の青春・北島忠治監督物語〜﹄︵テレビドラマ、日本テレビ、1992年︶ - 北島忠治ラグビー部監督を主人公とする2時間ドラマ︵木曜ゴールデンドラマ︶ ●﹃きけ、わだつみの声 Last Friends﹄︵映画、東映、1995年︶ - 織田裕二がラグビー部選手役で主演 ●﹃サントリー・サタデー・ウェイティング・バー﹄︵ラジオドラマ、TOKYO FM、1992年 - 2013年︶ - 元明大ラグビー部マネジャー︵役設定︶の女性が準レギュラー出演 ●﹃ピートのふしぎなガレージ﹄︵ラジオバラエティ、TOKYO FM、2013年 - 2020年︶ - 北島監督及び、明大ラグビー部の歴史などメディア関連[編集]●﹃日立テレビシティ 激突!早明ラグビーの全て﹄︵TBSテレビ、1982年︶ - 伝統の一戦の特番、後にレコード化 ●﹃Ryu's Bar 気ままにいい夜﹄︵TBSテレビ・講談社、1990年︶ - 森重隆、松尾雄治による明治ラグビー談義等 ●﹃クローズアップ現代 前へ~明大・北島監督の遺言~﹄︵NHK、1996年︶ - 今村昌平︵映画監督︶が北島監督を語る ●﹃心はいつもノーサイド~北島忠治90才﹄︵テレビ朝日、1992年︶ - 明大ラグビー部特番 ●﹃知ってるつもり?!﹄︵日本テレビ、1999年︶ - 北島忠治監督特集 ●﹃アナザースカイ﹄︵日本テレビ、2019年︶ - 田村優がゲスト ●﹃ノーサイド・ゲーム﹄︵TBSテレビ、2019年︶ - 天野義久、齊藤祐也、佳久創らがレギュラー出演 ●﹃紫紺と共に﹃前へ﹄百年の刻 日本ラグビーの挑戦、そして未来へ。﹄︵BS-TBS、2024年︶ - 100周年を迎える明大ラグビー部特集、天野義久、田村優が出演関連書籍[編集]●北島忠治﹃重量フォワードを育てて : ラグビー人生回顧録﹄ベースボール・マガジン社、1977年8月。ISBN 4583017782。 ●ブルータス編集部 編﹃BRUTUS︵雑誌ブルータス︶ No.55 ﹁ラグビーに荒ぶる︽12.5︾早明決戦目前特集号﹂﹄マガジンハウス、1982年11月。[25] ●ラグビーマガジン編集部 編﹃アルバム 八幡山春秋: 北島忠治︵明大ラグビー部監督︶89年の軌跡﹄ベースボール・マガジン社、1990年6月。ISBN 4583028369。 ●フォト・ユナイテッド 企画・編集﹃ザ・ラグビー早明戦: 滾る男たちへの讃歌 完全保存版﹄いんなあとりっぷ社、1991年11月。ISBN 4266000308。 ●佐野克郎﹃早稲田のラグビーVS明治のラグビー﹄コスモの本、1991年11月。ISBN 4906380212。 ●芸文社編集部編﹃遥かなるノーサイド: 追悼・北島忠治監督 前へを貫いたラグビー人生の軌跡﹄芸文社、1996年11月。ISBN 4874653294。 ●﹃ラグビー早明戦を知り尽くす: 宿命対決の真実﹄ベースボール・マガジン社︿B.B.MOOK 81: スポーツ伝説シリーズ3﹀、1998年12月。ISBN 4583610386。 ●朝日新聞社編﹃朝日新聞で見るラグビー早明戦の歴史﹄朝日新聞社事業本部メセナスポーツ部、2002年。 ●馬場信浩﹃松尾雄治にもらった勇気﹄光文社、2003年12月。ISBN 9784334974268。※﹃スクール☆ウォーズ﹄の原作者が明大後輩の松尾を描く ●﹃ラグビー早明戦80年: 臙脂と紫紺の記憶 早明戦全記録1923-2003﹄ベースボール・マガジン社︿B・B MOOK 328 スポーツシリーズ﹀、2004年11月。ISBN 4583613016。 ●野尻佳孝﹃史上最短で、東証二部に上場する方法。﹄アメーバブックス、2005年5月25日。ISBN 9784344990074。 ●明治大学ラグビー部﹃﹁前へ﹂: 明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂﹄カンゼン、2011年11月9日。ISBN 9784862551092。 ●百瀬恵夫、篠原勲﹃明大魂と人間力: ﹁もののふ﹂を育む理念: 明治大学出身のオンリーワン偉人列伝﹄第三企画出版、2017年6月。ISBN 9784908272080。 ●吉田義人﹃矜持: すべてはラグビーのために﹄ホーム社、集英社、2017年10月26日。ISBN 9784834253108。 ●小幡一 編著﹃愚直に"前へ": 北島忠治・明治大学ラグビーの真髄﹄︵新装普及版︶人間の科学新社、2018年4月。ISBN 9784822603366。 ●明治大学ラグビー部﹃紫紺の凱歌: 明大ラグビー、再建と新時代へ﹄カンゼン、2019年11月5日。ISBN 9784862555243。 ●安藤貴樹﹃紫紺の誇り: 明大ラグビー部に受け継がれる北島イズム﹄ベースボール・マガジン社、2019年11月19日。ISBN 9784583112367。 ●永田洋光﹃明治大学ラグビー部、復活への軌跡: 勝者の文化を築け!監督・田中澄憲の﹁改革戦記﹂﹄洋泉社、2019年12月。ISBN 9784800316981。 ●明治大学ラグビー部﹃紫紺の凱歌 明大ラグビー部、再建、そして新時代へ﹄カンゼン、2019年11月5日。ISBN 9784862555243。 ●ラグビーマガジン編集部﹃明治ラグビー100年 明治大学ラグビー部100周年記念﹄ベースボール・マガジン社、2023年7月18日。ISBN 9784583627618。 ●永田洋光﹃ペガサス、未来へ翔く 明治大学ラグビー部100周年記念﹄二見書房、2024年3月26日。ISBN 9784576240220。映像作品[編集]●﹁'91.1.15ラグビー日本選手権~栄光への軌跡﹂NHK情報ネットワーク、ポニーキャニオン、1991年7月21日。 ●﹁敵陣深く〜明治大学ラグビー部創部70周年﹂︵オリジナルビデオ︶、大日本印刷、ポニーキャニオン、1994年11月2日。PCVE-10250。 ●﹁早稲田大学VS明治大学 日本ラグビー名勝負﹂︵オリジナルビデオ︶、文芸春秋、1997年10月1日。 ●﹁明治ラグビー十年史: 前へ﹂︵オリジナルビデオ︶︿ラグビー三国史2003﹀、石井正巳︵企画︶、財団法人日本ラグビーフットボール協会・関東ラグビーフットボール協会・明治大学体育会ラグビー部・明治大学ラグビー部OB倶楽部︵協力︶、バンダイナムコフィルムワークス、2003年12月21日。BCBE-1809。 ●﹁大学ラグビー激闘史 1990年度﹂NHKエンタープライズ、2008年1月25日。 ●﹁大学ラグビー激闘史 1991年度﹂NHK情報ネットワーク、2008年1月25日。 ●﹁大学ラグビー激闘史 1993年度﹂NHKエンタープライズ、2009年12月25日。所在地[編集]脚注[編集]
(一)^ 目で見る明治大学の歩み#69 - 明治大学史資料センター
(二)^ “旧国立競技場の主なイベント実績等”. 国立競技場. JAPAN SPORT COUNCIL. 2023年5月30日閲覧。
(三)^ 田中浩﹁︻ベテラン記者コラム︵76︶︼国立競技場が本当の﹁超満員﹂になった1981年の早明戦﹂﹃サンケイスポーツ﹄産業経済新聞社、2020年11月30日。2023年5月30日閲覧。
(四)^ ab五十嵐久史﹁国立︵霞ケ丘︶競技場の利用状況を顧みて﹂﹃RUGBY FOOTBALL﹄第33巻第1号、日本ラグビーフットボール協会、1983年7月14日、22–25頁、2023年5月30日閲覧。
(五)^ 明大6戦全勝で対抗戦V3 - ウェイバックマシン︵1999年10月13日アーカイブ分︶
(六)^ ﹁明治大騒音訴訟で賠償命令﹂﹃livedoor NEWS﹄ライブドア︵ライブドア・ニュース︶、2006年3月15日。2023年5月30日閲覧。
(七)^ ﹁明大合宿所のコンパは騒音!!近隣住民勝訴﹂﹃TOKYO HEADLINE﹄ヘッドライン、2006年3月20日。オリジナルの2010年1月29日時点におけるアーカイブ。
(八)^ 日本ラグビーフットボール協会/日本ラグビー デジタルミュージアム
(九)^ [https://www.meiji.ac.jp/koho/meidaikouhou/201803/p05_02.html 明治大学広報
第713号︵2018年3月1日発行︶]
(十)^ 慶應義塾大学と同点両校優勝
(11)^ ab大東文化大学と同点両校優勝
(12)^ 日比野弘﹃早稲田ラグビー史の研究: 全記録の復元と考察﹄︵新版︶早稲田大学出版部、2007年1月、540–541頁。ISBN 9784657071019。
(13)^ abc早稲田大学と同率1位
(14)^ ab筑波大学及び帝京大学と同率1位
(15)^ ab帝京大学と同率1位
(16)^ 早稲田大学及び筑波大学と同率2位
(17)^ 青山学院大学と同率5位
(18)^ 慶應義塾大学及び早稲田大学と同率2位
(19)^ 慶應義塾大学と同率3位
(20)^ ︻NHK首都圏ナビ︼渡辺謙の原点 東京・八幡山︵世田谷区・杉並区︶下積みから朝ドラ出演まで駆け抜けた8年
(21)^ “WasedaWillWin.com”. archive.wasedawillwin.com. 2023年12月3日閲覧。
(22)^ (日本語) 夜の早明戦'06 新宿歌舞伎町コマ劇場前 2023年12月3日閲覧。
(23)^ “ユーミン﹁ノーサイド﹂に5万人が泣いた”. 日刊スポーツ. (2013年12月2日) 2014年4月28日閲覧。
(24)^ “NHKクロニクル 1953年12月6日 総合 番組表”. JRFU. 2023年4月7日閲覧。
(25)^ 雑誌ブルータス︵BRUTUS︶ No.55 ﹁ラグビーに荒ぶる︽12.5︾早明決戦目前特集号﹂
(26)^ 明治大学ラグビー部﹃﹁前へ﹂: 明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂﹄カンゼン、2011年11月9日、31–32頁。ISBN 9784862551092。
(27)^ ﹃﹁前へ﹂: 明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂﹄、32–33頁。
(28)^ ﹃﹁前へ﹂: 明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂﹄、34–36頁。
(29)^ ﹃﹁前へ﹂: 明治大学ラグビー部 受け継がれゆく北島忠治の魂﹄、36–37頁。
関連項目[編集]●明治大学 ●明早戦 ●雪の明早戦 ●明慶戦 ●早稲田大学ラグビー蹴球部 ●慶應義塾體育會蹴球部 ●全国大学ラグビーフットボール選手権大会 ●関東大学ラグビー対抗戦グループ ●日本の大学ラグビーチーム ●テイクアンドギヴ・ニーズ、トランクホテル︵OBの野尻佳孝が創立︶ ●ビーチラグビー︵元は明大ラグビー部内で発祥し部内のローカルルールで実施されていた競技。1990年にOBの若狭平和らが公式ビーチスポーツとしてルール等を整備し競技大会、協会等を発足させた︶外部リンク[編集]
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