東急バス瀬田営業所
沿革[編集]
瀬田営業所は、1956年︵昭和31年︶3月16日に戦後初の増設営業所︵観光営業所を除く︶として開設された営業所である。当営業所の管轄地域の大半は、戦後になってから市街化が始まっているため、路線は1950年代以降に新設されたものが多い。戦前のこの地域はバス路線自体が少なく、玉川電気鉄道が自社の鉄道に沿って渋谷 - 玉川・溝の口方面と駒沢で分岐して等々力方面に至る路線を、目黒蒲田電鉄︵目蒲乗合︶が駒沢・等々力の2つのゴルフコースへ向かう路線を運行していた程度であった。 営業所の開設当初は、主に多摩川沿岸地域から渋谷方面に向かう路線を担当していたが、学校線、砧線︵現・二子成城線︶、エビス線、弦巻線、上馬線など、世田谷区内を運行する路線が相次いで新設されると、これらを受け持つようになっていった。その後、周辺地域に弦巻、高津、駒沢の各営業所が新設されたことにより路線が移管され、さらに長距離路線の分断が進んだことなどにより、担当路線は世田谷区の西部に集中するようになっていった。 2001年3月16日より、東急トランセへの運営委託が行われている。同日より、環八・用賀の2路線、同年5月16日よりコーチ自由が丘線、7月16日より世田谷線、9月16日より玉堤循環・美術館の2路線、11月16日より二子成城・遊園地の2路線、2002年9月16日より大橋営業所からの移管に伴い等々力線を、それぞれ同社瀬田営業所に委託している。2007年6月13日には、同営業所所管路線にPASMOが導入されている。 2024年3月31日をもって東急トランセへの運営委託が終了。翌4月1日付で東急トランセが東急バスに吸収合併された[1]ことに伴い、全路線の運営が東急バス直営となっている。 また、以前配置されていた貸切バスは下馬営業所に移管された。現行路線[編集]
二子成城線[編集]
●玉07‥二子玉川駅 - 二子玉川 - 中耕地 - 吉沢 - 鎌田 - 砧中学校下 - 成城学園前駅︵二子玉川駅発は終日、二子玉川駅行きは平日朝のみ。成城学園前駅における乗車は南口・降車は西口︶︵小田急バス狛江営業所と共同運行︶ ●玉07‥二子玉川駅 ← 二子玉川緑地前 ← 吉沢 ← 鎌田 ← 砧中学校下 ← 成城学園前駅︵平日朝以外︶︵小田急バス狛江営業所と共同運行︶ ●玉07‥二子玉川駅 ← 二子玉川緑地前 ← 吉沢 ← 鎌田 ← 砧中学校下︵平日朝1本のみ︶ ●玉07‥二子玉川駅 - 二子玉川 - 瀬田 - 瀬田営業所︵出入庫︶世田谷区の二子玉川駅から、旧東急砧線の一部区間をたどりながら多摩堤通りを進み、小田急線成城学園前駅︵南口︶へ至る路線。小田急バスとの2社共同運行を行っている。
戦前はこの線にほぼ沿う形で、現在のJR南武線の前身である南武鉄道(現・太平洋不動産)が溝口駅 - 二子玉川 - 成城学園前というバス路線を有していたとの記録がある。南武鉄道のバス部門は、1940年(昭和15年)に子会社入りした立川自動車運輸(現・立川バス)に統合される。戦後の混乱の中、立川バス溝口営業所は1952年(昭和27年)に川崎市交通局(現・川崎市バス鷲ヶ峰営業所)へ売却され、この時に都内部分の運行は取りやめられた。そして、東急と小田急バスの2社が二子玉川園駅 - 成城学園前駅間の運行を始めることとなった。
1956年(昭和31年)4月10日付けで東急単独の砧線として改めて開設。同年6月1日には二子玉川線の一部となり、大田区の国鉄大森駅まで延長された。一方、小田急は同じ頃二子玉川園駅 - 成城学園前駅 - 祖師ヶ谷大蔵駅 - 千歳烏山駅 - 岩崎学生寮という路線の一部として運行していたが、1960年代半ば頃に両社とも路線を分割・短縮し、二子玉川と成城学園前を結ぶ現在の形で共同運行するようになった。
遊園地線[編集]
●玉11‥二子玉川駅 - 明神池前 - 玉堤一丁目 - 多摩川駅 ●玉11‥二子玉川駅 - 上野毛駅 - 瀬田営業所︵出入庫︶ ●玉11‥瀬田営業所 - 上野毛駅 - 明神池前 - 玉堤一丁目 - 多摩川駅︵出入庫︶ 遊園地線は、二子玉川駅から多摩堤通りを二子成城線とは反対の方向に走り、東急東横線多摩川駅に至る路線である。かつて多摩川沿いにあった2つの遊園地、二子玉川園と多摩川園を結ぶ路線として1955年︵昭和30年︶に開通した路線で、東急電鉄の寄付によって同年完成した﹁多摩川パークウェイ﹂を経由し、初期の段階ではボディに動物の絵を描いた車両が使われるなど、レジャー路線の色彩が濃かったようである。 両端の遊園地が消えた同路線ではあるが、現在もレジャー色は少なからず残っている。野毛の桜堤や、河川敷の公園やグラウンド︵かつては巨人軍グラウンドがあった︶は、日曜などは家族連れやスポーツを楽しむ人たちで賑わう。終点近くには、かつて﹁タマちゃん﹂の愛称で親しまれたアザラシが現れた地点がある。東京都市大学世田谷キャンパスへは、この路線を利用すると大学構内へ二番目に近い。 路線の運行状況は開通時からあまり変化がないが、担当営業所は変わっている。開通当初は中延営業所の所管だったが、瀬田営業所の開設とともに瀬田が担当し、さらに1962年︵昭和37年︶4月の日吉営業所開設と同時に日吉へ移管。その後中延に戻り、1981年︵昭和56年︶6月の中延閉鎖で瀬田に復帰して現在に至る。東急電鉄では社内報﹃清和﹄の中で、営業成績が芳しくなかったためにこのような﹁たらい回し﹂的所管換えが続いたと当時の様子を記録している。 原則として中型ノンステップバスで運行されていたが、現在は中型ロング車や大型車で運行される事がメインになっており、最近のダイヤ改正では増便が行われている。入出庫便は瀬田営業所発着が運転される。一部の便は明神池前でサービスプロパイダー︵乗務員︶の交代を実施する。瀬田営業所から明神池前までは距離があり、さらに玉川高校前付近の坂道があるため、営業所の自転車で移動する。 2010年6月1日︵JST11:00︶から、二子玉川駅周辺の道路切替により、二子玉川駅 - 明神池前間の経路が玉川高校経由から東急グループによる再開発地区﹁二子玉川ライズ﹂経由へ変更されている。 2015年︵平成27年︶9月5日より土休日のみ小杉駅東口への乗り入れを開始した。小杉駅東口への乗り入れが好評だったため、2016年︵平成28年︶9月1日のダイヤ改正からは平日の乗り入れも開始した。小杉駅東口への乗り入れ便における多摩川駅 - 小杉駅東口では丸子橋、新丸子駅付近を経由するがこの区間は無停車となり、また同区間に限り川崎市内運賃が適用される。丸子橋を渡る東急バスの一般路線は、1960年代まで存在した川崎営業所の久末線、日吉営業所の神奈川線以来45年ぶりの復活であったが、2021年︵令和3年︶4月1日のダイヤ改正で平日の乗り入れを終了し、土休日についても2022年︵令和4年︶4月1日のダイヤ改正に先駆ける形で、2022年3月27日をもって乗り入れを終了した。美術館線[編集]
- 玉30:二子玉川駅→吉沢→玉川病院→吉沢→二子玉川駅
- 玉31:二子玉川駅 - 吉沢 - 岡本三丁目 - 成育医療研究センター前 - 成城学園前駅
- 玉31:二子玉川駅 - 吉沢 - 岡本三丁目 - 成育医療研究センター(早朝夜間のみ運行)
- 系統番号なし:二子玉川駅→吉沢→岡本三丁目→成育医療研究センター→美術館→二子玉川駅(休日1本のみ、旧・玉32)
- 用21:用賀駅 - 用賀地区会館 - 関東中央病院
- 用22:用賀駅 - 用賀地区会館 - 関東中央病院 - 美術館
- 直行:用賀駅 - 美術館(特別展示における増発時等に運行)
- 系統番号なし:用賀駅 - 上用賀三丁目 - 岡本三丁目 - 成育医療研究センター前 - 成城学園前駅
等々力線[編集]
●渋82‥渋谷駅 - 大橋 - 三軒茶屋 - 駒沢 - 深沢不動前 - 等々力 ●渋82‥渋谷駅 - 大橋 - 三軒茶屋 - 駒沢 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 瀬田営業所︵出入庫︶ ●渋82‥瀬田営業所 - 中町五丁目 - 深沢不動前 - 等々力︵出入庫︶ 等々力線は、渋谷駅と世田谷区南部の等々力を結ぶ路線である。瀬田営業所管轄の路線では、唯一終日渋谷駅へ足を伸ばす。東急田園都市線と大井町線で囲まれ駅から距離のある世田谷区深沢、中町、等々力の地域輸送を担うが、沿線に駒澤大学駒沢キャンパス、東京都市大学等々力キャンパス、日本体育大学世田谷キャンパス、都立園芸高校、東京学芸大学附属世田谷小学校、世田谷中学校など教育機関が多く立地する関係で、二子成城線と同様に通学輸送の役割が重い。 ﹁等々力線﹂の名称からも推測できるように、この路線は等々力周辺︵大井町線の北側︶で最も早くから走っていた路線であり、1930年︵昭和5年︶11月16日に玉川電気鉄道が渋谷 - 園芸学校︵現・都立園芸高校︶前として開通したのが起源である。その後、若干の延長および戦時休止を経て、戦後は1950年︵昭和25年︶4月6日に渋谷 - 等々力間の東急単独で再開された。開設当初は瀬田営業所がなく、目黒営業所が担当した。 その翌年、1951年︵昭和26年︶5月6日から東京都交通局︵都営バス︶との相互乗り入れを開始。都営に合わせて102系統という番号が付けられ、神谷町・新橋経由で東京駅八重洲口まで運行した。等々力 - 東京駅間を結ぶ相互乗り入れ路線には他に目黒営業所の自由が丘線︵東98︶があるが、東98が目黒通りの開通によって自由が丘︵現、八雲三丁目付近︶から延長されて等々力まで至るようになったのは1959年︵昭和34年︶のことであり、両地点を結ぶ路線としては等々力線のほうが古い。東急バスにおける東京駅へ向けての相互乗り入れ線の新設は、等々力線が最後である。1956年の当営業所の開設と同時に目黒から移管されてきたが、1964年︵昭和39年︶の駒沢営業所開所時に再移管されて一度は担当から外れた。東京都交通局第3次再建計画に伴う追加の路線再編成を兼ね、駒沢営業所の廃止を約1か月後に控えた1984年(昭和59年)2月16日付けで渋谷駅を境に分断され、都営は東京駅八重洲口 - 渋谷駅前間の東82、東急は渋谷駅 - 等々力間の渋82という2つの路線になった。分断当初、渋谷駅は東口(東急文化会館前)発着であった。都営の東82系統は1990年3月に系統番号が渋88系統となり、その後は東京駅丸の内南口発着への変更、新橋駅までの短縮、はとバス委託に伴う新宿支所への移管を経て現在も運行されている。なお同じ駒沢が開設以来担当してきた環七線も同時に分断され、等々力・環七の両路線は揃って大橋営業所に移管された。都営側は現在は両路線ともはとバス委託である。
さらに2002年(平成14年)9月16日の大橋営業所閉鎖に伴い瀬田に再度移管。駒沢開所時以来38年ぶりに元の担当営業所へ復帰した形となり現在に至っている。再移管された直後は大橋営業所からの転属車を含め、全車大型ツーステップバスで運行されていたが、現在は原則として全車大型ノンステップバスで運行されている。
玉堤循環線︵愛称・﹁タマリバーバス﹂︶[編集]
-
初代専用車(S1792)
-
専用のバスポール(等々力商店街)
環八線[編集]
エビス線[編集]
●玉21‥二子玉川駅 - 上野毛駅 - 中町五丁目 - 深沢不動前 - 駒沢公園 - ︵←東京医療センター前︶ - 東京医療センター︵東京医療センター前停留所は二子玉川駅方向のみ︶ 玉21は2017年︵平成29年︶4月1日に新設された系統[11]で、路線としてはエビス線の一つに含まれている[注釈 2]。日中時間帯のみの運行で、本数は1時間あたり1本程度。車両は中型車から大型車までを併用している。用賀線[編集]
●用01‥用賀駅 - 覆馬場 - 農大前 - 千歳船橋 - 祖師ヶ谷大蔵駅 ●系統番号なし‥瀬田営業所 - 中町五丁目 - 用賀駅︵出入庫︶ 用賀線は、用賀駅から農大前、千歳船橋を経由して祖師ヶ谷大蔵駅を結ぶ路線と、瀬田営業所から用賀駅への出入庫路線から成る[注釈 2][12]。1994年1月17日の路線再編成で、恵比寿駅 - 用賀 - 祖師ヶ谷大蔵駅間を運行していたエビス線が用賀駅バスターミナル乗り入れ開始と共に分割され、用賀駅 - 祖師ヶ谷大蔵駅が本路線となった。恵比寿駅 - 用賀駅はエビス線・恵32のまま瀬田営業所が担当していたが、2001年︵平成13年︶3月1日の東急トランセ委託化に際し、下馬営業所に移管された。ただし同年3月16日より、早朝・夜間に限って恵32のごく少数の便を用賀線の一部として再度、瀬田営業所が受け持つようになった。瀬田営業所担当便の一部には、恵比寿駅 → 瀬田営業所の入庫便も運行されていた。 2016年︵平成28年︶3月1日、恵32が瀬田担当便を含め下馬から瀬田に15年ぶりに全便再移管されたことにより、恵32の瀬田担当便が用賀線から分離された。 かつて用01の系統番号はかつて、美術館線用賀駅 - 美術館の系統に割り当てられていた。従って本路線の用01は2代目ということになる。世田谷線[編集]
●等12‥等々力操車所 - 等々力 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅 - 桜丘三丁目 - 成育医療研究センター前 - 成城学園前駅 ●等12‥等々力操車所 - 等々力 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅 ●等12‥等々力操車所 - 等々力 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 瀬田営業所︵出入庫︶ ●等12‥瀬田営業所 - 中町五丁目 - 用賀駅 - 桜丘三丁目 - 成育医療研究センター前 - 成城学園前駅︵出入庫︶ ●等12‥三本杉 → 成育医療研究センター前 → 成城学園前駅︵出庫︶ ●用06‥用賀駅 - 桜丘三丁目 - 成育医療研究センター前 - 成城学園前駅 世田谷線は、等々力操車所から玉川警察署、駒沢通り、用賀中町通り、世田谷通りを経由し、成城学園前駅︵南口︶までを結ぶ路線である。 この路線は昭和30年代後半の開通で、かつては田園調布駅を起点に運行されていた園03系統であったが、1994年︵平成6年︶1月17日の路線再編成で、上町線︵園02系統・2018年廃止︶との重複区間が多かった田園調布駅 - 九品仏駅 - 尾山台駅 - 等々力間が廃止された。同時に用賀駅バスターミナルへの乗り入れが開始された。 1995年︵平成7年︶7月17日、成城学園前駅側からの折り返し便として、用06系統が新設されている。 園03系統の短縮された区間のうち、同系統の単独運行区間であった奥沢七丁目 - 等々力間は、1998年10月16日に運行開始した世田谷区コミュニティバスの等01系統﹁タマリバーバス﹂に引き継がれた。奥沢七丁目に相当する停留所は﹁等々力五丁目﹂であるが、信号を挟んで数十メートルの至近距離にある。 主にナロー車及び大型車で運行されるが、ごくまれに中型車やコーチ専用車両︵後述︶、小型車︵日野・リエッセ︶で運行される場合もある。 近年はナロー車の除籍に伴い大型車の運用が多い。 2023年7月1日より、平日日中と土休日夜間帯について、用賀駅で運行を分断することとなった。これに伴い、用06と等12区間便または恵32と乗り継ぐ際にICカード乗継割引が適用されることとなり、90分以内に乗り継げば、乗り継ぎ先のバスで運賃が差し引かれないようになる[13]。 なお、等11系統︵祖師谷線︶は弦巻営業所での運行となっている。雪が谷線[編集]
●多摩01‥東京医療センター - 都立大学駅前 - 緑が丘駅 - 奥沢駅 - 雪が谷 - 多摩川駅 2011年3月1日に多摩01系統が下馬営業所から移管された。またこの時のダイヤ改正で渋33系統が減便され平日朝のみの運転になり、1往復を瀬田が担当するようになった。この路線は基本は中型車だが、日野・リエッセなど小型車も運用につくことがある。ごく稀に、大型車が運用につく事もある。また、雪が谷線の名は1989年4月1日に品90系統が廃止されて以来約22年ぶりの復活となる。 渋33系統はかつて渋谷駅から下丸子駅、池上駅を経由して大森駅︵大森操車所︶まで運行していた路線が前身。1981年6月に渋33系統と森10系統︵大森操車所 - 田園調布駅。1993年11月廃止︶に分割、渋33系統は丸子橋までの運行となったが、1989年に多摩川駅まで延長されている。当初は淡島営業所の担当だったが、1999年に下馬営業所に移管され、2014年9月1日に渋34系統が淡島営業所へ再移管され、渋33系統は平日朝のごく一部であるが、淡島との共同担当運行となった。 2017年︵平成29年︶2月1日、渋33系統の瀬田担当便が廃止され、渋33系統は淡島営業所単独の平日朝の初便︵渋谷駅 - 多摩川駅︶1往復と三宿始発の出庫便︵三宿 → 多摩川駅︶1便のみの運行となり、多摩01系統は瀬田単独の担当運行となった。 2018年︵平成30年︶2月28日をもって、厳しい状況が続いていることから渋33系統の運行は廃止された[14]。宇奈根線[編集]
- 砧06:砧本村→天神森橋→宇奈根一丁目→喜多見小学校→東名高速下→鎌田→砧本村
- 喜多見・宇奈根地区オンデマンド輸送:砧本村 - 天神森橋 - 宇奈根地区・喜多見地区の一部(予約制)
コーチ自由が丘線[編集]
- 自01:自由が丘駅 - 等々力七丁目 - 深沢一丁目 - 深沢不動前 - {日体大裏→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前}(循環)
- 自01入庫:自由が丘駅→等々力七丁目→深沢一丁目→深沢不動前→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→中町五丁目→瀬田営業所
- 自02:自由が丘駅 - 等々力七丁目 - エーダンモール深沢 - 深沢不動前 - {日体大裏→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前}(循環)
- 自02出庫:瀬田営業所→中町五丁目→日体大裏→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→エーダンモール深沢→等々力七丁目→自由が丘駅
- 自02入庫:自由が丘駅→等々力七丁目→エーダンモール深沢→深沢不動前→日体大裏→深沢六丁目→駒大深沢キャンパス前→深沢不動前→中町五丁目→瀬田営業所(深夜バスあり)
- 自11:東京医療センター→駒沢公園→深沢一丁目→等々力七丁目→自由が丘駅(片道のみ)
- 自12:自由が丘駅 - 等々力七丁目 - エーダンモール深沢 - 駒沢公園 - 東京医療センター
- 系統番号なし:中町五丁目 - 玉川警察署 - 等々力七丁目 - 九品仏駅前 - 田園調布駅(土曜夕刻1往復のみ)
運行方向 | 早朝~
朝ラッシュ |
日中午前 | 日中午後 | 夕ラッシュ
~夜間 |
深夜バス |
---|---|---|---|---|---|
自由が丘駅→駒大深沢キャンパス前 | 自02 | 自01 | 平日:自02入庫
土休日:運行無し | ||
駒大深沢キャンパス前→自由が丘駅 | 自02 | 自01 | 自02 | 運行無し | |
自由が丘駅→東京医療センター | 運行無し | 平日:自12
土休日:運行無し |
自12 | 運行無し | |
東京医療センター→自由が丘駅 | 運行無し | 平日:自12
土休日:運行無し |
自11 | 運行無し |
砧・大蔵地区予約制乗合ワゴン[編集]
●砧・大蔵地区予約制乗合ワゴン実証運行‥祖師ヶ谷大蔵駅 - 砧1~8丁目・大蔵1~3丁目︵予約制︶ 世田谷区が地域住民等と検討してきたコミュニティ交通で、2023年5月1日~2024年4月30日に実証運行されることとなった。祝日を含めた月・水・金曜日の8:30~18:00に運行している。運行実績を分析評価し、実証運行継続︵最大3年間︶の判断をするとしている[21]。運行事業者として東急バスが選定された[22][23]。 運行ルートは固定されておらず、利用者の予約状況に応じて、AIを活用し乗降地点間を最適なルートで運行することとなっている。祖師ヶ谷大蔵駅の他、砧まちづくりセンター、カーメスト大蔵の杜︵大蔵住宅︶、大蔵運動公園、世田谷美術館付近が乗降地点に含まれている[24]。運賃は大人300円、小児150円、70歳以上100円︵要・乗車証明書︶とし、交通系ICカードの利用を可能としている。廃止路線[編集]
雪が谷線︵旧︶[編集]
●品90‥品川駅 - 五反田駅 - 平塚橋 - 昭和大学前 - 洗足池 - 雪が谷 - 丸子橋 ●品90出入‥品川駅 - 五反田駅 - 平塚橋 - 昭和大学前 - 洗足池 - 石川台 - 田園調布駅入口 - 等々力駅入口 - 上野毛駅 - 瀬田営業所 ●品90出入‥瀬田営業所 - 上野毛駅 - 等々力駅入口 - 田園調布駅入口 - 石川台 - 雪が谷 - 丸子橋 ●反10‥五反田駅 - 平塚橋 - 昭和大学前 - 洗足池 - 雪が谷 - 丸子橋 雪が谷線は、品川駅から五反田駅を経由し、中原街道を一直線に走って丸子橋に至る路線であった。1927年に池上電気鉄道が池上線の未通区間の連絡をかねて開通した、五反田駅 - 中延間の乗合自動車路線を起源とする古い路線であり、戦時休止を経て1947年︵昭和22年︶6月25日からは、都営バスとの相互乗り入れにより東京駅乗車口︵現・南口︶ - 品川駅 - 五反田駅 - 洗足坂上間を運行するようになった。その後、雪が谷、丸子橋へと延長するなど、池上電鉄のバス車庫を引き継いだ中延営業所の主幹路線として発展してきた︵後に東90の系統番号が与えられた︶。高速渋谷線[編集]
●︵139甲→︶東83‥東京駅南口 - 都庁前 - 内幸町 - 霞ヶ関 - 溜池 - 六本木 - 西麻布 - 青山車庫前 - 渋谷駅 - 大橋 - 三宿 - 三軒茶屋 - 駒沢 - 桜新町 - 桜新町操車場 ●︵139乙→︶東83‥東京駅南口 - 都庁前 - 内幸町 - 霞ヶ関 -︵首都高速︶- 三軒茶屋 - 駒沢 - 桜新町 - 桜新町操車場︵駒沢営業所、弦巻営業所と共管、都営バス渋谷営業所と共同運行︶ 1967年︵昭和42年︶12月10日の都電第1次撤去と同時に、その3か月前に開通したばかりの首都高速3号渋谷線を使った都心と郊外を結ぶ新しい通勤手段として、都営バス主導で企画され開設。駒沢・弦巻両営業所とともに都営との共同運行に参加した。1977年︵昭和52年︶に東急新玉川線︵現・田園都市線︶が開業したのをきっかけに乗客が鉄道へと転移し、交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により1979年︵昭和54年︶11月22日限りで廃止。国領線[編集]
●玉08‥国領駅 - ジューキ前︵現・国領八丁目︶ - 松原 - 狛江駅北口 - 砧農協前︵現・砧中学校下︶ - 吉沢 - 中耕地 - 二子玉川園駅︵現・二子玉川駅︶︵小田急バス狛江営業所と共同運行︶ 玉07系統と同じく多摩堤通りを進み、砧農協前︵現・砧中学校下︶で成城学園前駅方面とは反対に左折。弦巻営業所の調布線と同じルートで狛江町︵現・狛江市︶、調布市方面へ向かっていた。小田急と共同運行していたが、1975年︵昭和50年︶7月31日限りで東急が撤退。小田急バス単独となり、その後調布市側の起終点が調布駅南口に変更され現在に至る。二子玉川線[編集]
駒沢循環線[編集]
●園05‥田園調布駅 → 自由が丘駅入口 → 国立第二病院前︵現・東京医療センター前︶ → 駒沢大学駅前 → 駒沢 → 深沢不動前 → 国立第二病院前 → 自由が丘駅入口 → 田園調布駅 田園調布駅から駒沢大学駅前まで渋11と同じルートを通り、真中︵現、駒沢大学駅前︶交差点より国道246号に入り駒沢交差点を左折、駒沢公園通りを通り、深沢不動交差点から駒沢通りを経て、国立第二病院︵現、東京医療センター︶へと抜けるルートを辿り、再び行きと同じルートで田園調布駅まで戻る路線。グランド線の途中打ち切りといえる路線で、1時間あたり1 - 2本が渋谷駅までの全線通し系統に混じって運転され、駒沢大学駅前到着時には車内アナウンスで﹁この車は三軒茶屋、渋谷駅には参りません﹂と言っていた。1982年︵昭和57年︶6月15日限りでグランド線に統合され廃止。美術館線︵一部路線の廃止︶[編集]
●玉09‥二子玉川園駅 - ︵直行︶ - 美術館 ●用01‥用賀駅 - 用賀消防署 - 玉川第五出張所︵現・玉川台二丁目︶ - 用賀地区会館 - ひまわり荘 - 美術館 1986︵昭和61︶年3月30日の世田谷美術館開設に合わせ、二子玉川園駅と用賀駅からの2系統が新設された。玉09は翌年の東急コーチ化に伴い廃止、用01については利用者が少ないことから1988年頃に廃止された。二子成城線︵一部路線の廃止︶[編集]
●直行‥砧本村→二子玉川駅︵高津営業所と共管、平日夕方のみ︶ 一時期、瀬田営業所も本系統を担当していた。新設時期・廃止時期不明。宇奈根線︵一部路線の廃止︶[編集]
通過車両の重量に制限のある荒玉水道道路を経由するため、専用車として小型ノンステップバスの三菱ふそう・エアロミディME)が使用され、下馬営業所から移籍したCNG車2台と川崎営業所から移籍した2台の合計4台が充当されていた。これらの車両は後にすべて日野・ポンチョに代替されているが、稀に日野・リエッセが運用に入る場合があった。
喜多見小学校バス停案内放送に続き「時間調整のため、少々停車する場合がございます」と流れ、東名高速道路高架下に設けられた同バス停にてダイヤ調整をすることがあった。
2009年3月1日改正のダイヤによれば、平日朝5本は遅延防止と遠近分離のために鎌田→二子玉川間が中耕地経由となり、世田谷総合高校・二子玉川以外が通過となっている。開設当初は二子玉川のみの停車であったが、その後世田谷総合高校にも停車するようになった。 2020年以降のコロナ禍で欠損額が多い状況にあり、2023年3月1日より輸送需要に応じた運行形態への変更され、玉04・05は廃止となった[16]。
移管路線[編集]
グランド線[編集]
- 渋11:渋谷駅 - 三軒茶屋 - 駒沢大学駅前 - 東京医療センター前 - 自由が丘駅入口 - 田園調布駅
1956年(昭和31年)11月15日、田園調布駅まで延長されたときに目黒営業所から移管。他の路線と違いワンロマ車を集中配備したり、1990年代後半には導入初期だったノンステップバスを投入するなど差別化した。
出入庫に際しては田園調布駅から園01と同一ルートの環八経由で出入りする他、瀬田営業所 - 上野毛駅 - 玉川警察署 - 八雲三丁目 - 渋谷駅というルートで、渋谷駅方面から出入りする便が存在した。目黒営業所の黒02と同様の上野毛通り・目黒通り経由での出入りであった。
淡島営業所の幹線だった渋谷線を東急トランセ管理委託とした際に、当時まだ直営だった淡島営業所の規模を維持するため、1999年(平成11年)9月1日付で淡島へ移管された。その後、淡島も東急トランセに切り替わり、2003年7月16日付で管理委託路線となって現在に至る。
IKEA港北シャトル(契約輸送)[編集]
2008年2月中に試験運行が開始されその後正式に運行が開始された。なおこの路線は無料であり、また高速道路を経由するため当営業所に配置されていた貸切観光バスの車両で運用されていた。その後、同年10月に新羽営業所に移管の後、2015年(平成27年)3月31日限りで廃止となった。
エビス線[編集]
- 恵32:恵比寿駅 - 目黒区総合庁舎前 - 三谷 - 東京医療センター前 - 深沢不動前 - 中町五丁目 - 用賀駅
- 恵32:恵比寿駅 - 目黒区総合庁舎前 - 三谷 - 東京医療センター前 - 深沢不動前 - 中町五丁目(出入庫)
- 恵32:五本木 → 三谷 → 東京医療センター前 → 深沢不動前 → 中町五丁目 → 用賀駅(出庫)
2022年(令和4年)4月1日、瀬田営業所から弦巻営業所に全便移管された。[25]
車両[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 世田谷区のコミュニティバス - 世田谷区公式サイト