日本文学(読み)ニホンブンガク

デジタル大辞泉 「日本文学」の意味・読み・例文・類語

にほん‐ぶんがく【日本文学】

日本の風土や日本人の性質などを基盤とした文学。また、日本語で書かれた文学。それらを研究する学問についてもいう。

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精選版 日本国語大辞典 「日本文学」の意味・読み・例文・類語

にほん‐ぶんがく【日本文学】

  1. 〘 名詞 〙 日本の風土、日本人の国民性などに根ざした日本人特有の文学。国文学の称が古典意識に傾斜しているのに対して、なお広く近代・現代文学まで総合的に包括する称。大正中期頃から流入してきた世界文学の概念に対して普及してきた概念。
    1. [初出の実例]「今更に往時に溯りて日本文学の本源を尋ね」(出典:日本開化小史(1877‐82)〈田口卯吉〉四)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本文学」の意味・わかりやすい解説

日本文学
にほんぶんがく

日本民族は海に囲まれた日本列島において大陸の高度の先進文化を主体的に受容しつつ、主として農耕生活を基盤とする独自の文化伝統を形成した。そのことは、日本語が外国語と接触しつつも、あくまで一つの特殊な言語としての基本的特徴を保持し続けてきたことからも理解されよう。日本文学は、その日本語による日本人の心性の表現として、古代の神話・伝説をはじめとする多様なかつ独特な形態を時代時代に開花させたが、とくに注意すべきは、早く古代において日本語の特性を集約的に表現した和歌が、『万葉集』にみられるごとき短歌という定型の叙情詩に結実したことであろう。和歌は、もと民族固有の口頭文芸として歌われたものであり、恋愛や葬祭をはじめ種々の慶祝などさまざまの営為とかかわって発達したのだが、水と緑に恵まれた温順な風土のなかで育成された自然感情や美意識の全的な表現として、日本的な感性・思惟(しい)の表現様式が創出されたのである。

 万葉和歌は『古今集』をはじめとする勅撰(ちょくせん)和歌集時代の短歌に受け継がれるが、漢詩に対する倭歌(やまとうた)として自覚され、民族の心性としての天皇信仰と表裏した宮廷文学として、いわゆる「みやび」文化の伝統を形成した。日常生活のなかの贈答・唱和において心の交流のよすがとなった和歌によって練磨された表現技法と繊細な生活感情は、10世紀以後に発達した物語や日記文学など散文文学の世界に内面的情趣をもたらすことになる。11世紀初頭に出現した長編の『源氏物語』は世界文学史上の驚異的な金字塔であり、現在では西欧の20世紀文学と同列にすら評価されているが、その多彩優艶(ゆうえん)な人生模様と細緻(さいち)な心理情動の追求は、生活のなかに美を求める和歌文学の方法を無視しては理解できまい。『源氏物語』は、以後の物語文学に限らず、さまざまの文学形態に決定的な影響を与えたが、逆にまた和歌の世界にも『源氏』の人生や表現が美意識の規範として君臨することにもなった。ということは、『源氏物語』が単に宮廷や貴族の人生や風俗を描いたものではなく、そこに多面的に開示される日本的な思考や感性の原型が、読者をしておのがじし自己の存在を確証させるからであろう。『古今集』や『源氏物語』の研究史や享受史・影響史それ自体が日本の文化史の一翼を大きく担うゆえんであるが、そのことと和歌の伝統とは切り離すことができないのである。勅撰和歌集は室町時代まで21集が撰進され、その営みを軸として歌合(うたあわせ)・歌会が盛行し、大小無数の私撰集・私家集に和歌詠作の実際が知られるが、勅撰集の廃絶ののちも、王朝以来の伝統を固守しようとする堂上(どうじょう)歌人に限らず、作歌人口は地下(じげ)、地方の諸階層に拡大した。その発想それ自体は時代・社会の思想や感覚とは縁遠いものとなっていくほかなかったが、そのことと裏腹に、いわゆる自然諷詠(ふうえい)的な叙情詠嘆の型が強固に守られたといえよう。明治以降、この伝統的な和歌が、自我に基づく実感を基本とする革新運動によって排斥され、近代短歌として文学の第一線に引き出されたものの、しかしながら31音の定型はあくまで恪守(かくしゅ)されたのである。また、そうした近代歌壇の多彩な形成とは別個に、南北朝時代以来の古式である歌会始(うたかいはじめ)の宮中行事が御歌所(おうたどころ)によって引き継がれた。第二次世界大戦後も新制度のもとに正月儀礼となっており、国の内外各層から詠進される数万首から選ばれる短歌が天皇・皇族の作歌とともに公表されている。全国各地で発行される歌誌は現在500を超えているが、そうした結社運動のほか、主要商業新聞紙上に常設される投稿歌壇の隆盛からも膨大な数の作歌人口が推量されるのである。古代から現代まで、こうした定型詩が日本人の生活のなかに守り続けられたということは大いに注意すべきであろう。また短歌と並んで現代の国民生活になじまれている俳句は、元来和歌を母胎とする連歌(れんが)から派生した俳諧(はいかい)の発句の独立したものであるが、日本独自の生活詩として国外からも注目されているこの短詩型は、その由来そのものからして日本文学の特質と考えられるが、巨視的にみれば和歌の伝統にその根幹が求められよう。

 日本の文学はこうした短詩型の土着的文学を生活のなかに育成してきた美意識が核となっているといえよう。その伝統のうえに「もののあはれ」「幽玄」「わび」「さび」「軽み」等々の美的理念が培われたが、形而上(けいじじょう)的な神秘性や抽象的思想性とはおよそ縁遠い、いわば気分象徴的なそれらの理念は、前近代に限らず、西欧近代文学の貪婪(どんらん)な摂取によって伝統と断絶したかにみえる近現代文学においても、基層的に受け継がれているといえよう。もとより短歌や俳句のごとき短詩型とは対極的な物語・小説や劇文学の豊饒(ほうじょう)な達成を各時代時代に無視することはできないし、そこには思想的な統一性、論理的な構築性を志向する試みがなされなかったわけではない。しかしながら、日本文学の特質としては、日常生活のなかに醸成される微妙な人情のあや、伝統的な自然感情の細妙な表現においてその達成度の示される傾向を否定することができない。

[秋山 虔]

古代文学

文学の発生から奈良時代まで

日本列島に居住する日本人がほぼ共通の言語=日本語を用いて社会生活を営むようになったのは数万年前のことといわれる。その日本語の成立とともに発生したであろう日本文学は、長期にわたる口誦(こうしょう)の期間を経過したが、やがて大陸から伝来した漢字によって記載される新しい文学の時代を迎えることになった。漢字の伝来そのものは1、2世紀ころと推定されているが、日本語を表記するために用いられるのは5世紀以後であり、なおそれに習熟したのは6世紀末から7世紀にかけての推古(すいこ)天皇の時代であった。この時期を受けて、舒明(じょめい)天皇の時代に始まる1世紀余の、いわゆる万葉時代が到来した。万葉時代は、大和(やまと)地方を中心として古代国家の機構が整えられ、中央集権的律令(りつりょう)制の確立する時期であったが、『万葉集』はそうした時代の息吹を体現する大叙情詩集であり、大陸文化の盛んな摂取や個人の自覚と相まって、日本文学の青春期の記念ともいうべきものである。一方、この時期に成立した『古事記』『日本書紀』『風土記(ふどき)』などは国家の政治的意図によって編纂(へんさん)されたものであるけれども、長期にわたる口誦文学のおもかげを宿す文献として貴重である。ここに織り込められている神話・伝説および多数の歌謡は、天皇家や諸氏族ならびに民間の記録や伝承であり、そこには原始・古代の文学に特有の豊かな想像力や感性が息づいている。そのほか、神を祭ることばである祝詞(のりと)や天皇の勅を宣布することばの宣命(せんみょう)なども忘れがたいが、なお日本人によってつくられた漢詩が『懐風藻(かいふうそう)』に編まれていることも注意される。漢詩・漢文の制作は、大陸文化の積極的な受容によって古代国家を建設した貴族官人たちの晴れの正統的文学であり、それは次の時代の勅撰(ちょくせん)漢詩文集の成立へとつながるものである。

 この時期までの文学は、すべて漢字・漢文で書かれるほかなかった。いわゆる万葉仮名も、漢字の音や訓を借用して日本語を表記したのである。やがて9世紀後半になって、万葉仮名をもとにして新たに生み出された平仮名の普及とともに、文学の歴史は期を画するものとなる。

[秋山 虔]

平安時代

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中世文学

政治史にいう鎌倉、南北朝、室町の3時代に成立した文学を中世文学とみなし、鎌倉時代を前期、南北朝・室町の両時代を後期と区分するのが一般的な見方である。前期の主要作者は貴族、僧侶(そうりょ)、隠者などだが、後期には武士、町衆なども加わってくる。全体的には仏教的色彩が濃厚で、無常感や幽玄の美意識が底流をなしているが、後期になると宗教的色彩は薄れ、有心(うしん)に対する無心、幽玄に対する滑稽諧謔(こっけいかいぎゃく)などが求められるようになる。

[久保田淳]

前期(鎌倉時代)

()1190119912213()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()3()()()()()()()()()()()

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後期(南北朝~室町時代)

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近世文学

近世文学の特色

16世紀末の安土(あづち)桃山時代を過渡期とし、徳川氏の幕藩体制が成立して崩壊するまでの約2世紀半、いわゆる江戸時代の文学をいう。この時代は、第一に中世までの国民思想の首座を占めた仏教にかわって、現世の秩序を説く儒教が登場して文学の思想性を決定するが、中期になると反儒教的、反仏教的な国学が成立して、とくに近世和歌・歌論の形成を促し、第二に士・農・工・商という世襲制の身分制度が確立すると同時に家族制度が施行され、男女の自由な恋愛を認めなかったために、中世までにはみられなかった恋愛悲劇が生まれて文学に反映する。第三に統一的な貨幣制度が成立したことで、あらゆるものの価値が金銭に換算されることになり、金銭と人間の格闘を描く文学が生まれてきた。第四には多くの国民が読み書きができない状態から解放され、出版技術が確立したことで、文学が商品として出版業者から売り出され、文学が中世までのように一部の特権階級のものでなく、多くの国民の手に解放されたことになり、文学の創作を生活の手段とする職業作家が登場することになった。

[神保五彌]

雅の文学と俗の文学

以上のような特徴をもつ近世の文学は、大きくこれを雅(が)の文学(第一文学)と俗(ぞく)の文学(第二文学)に大別される。雅の文学とは伝統的な和歌、和文、漢詩文などであり、支配階級や特権階級(武家や公家(くげ))の側の文学であり、しかも元禄(げんろく)(1688~1704)ごろから庶民のなかからこれらの文学に参加する人々も目だってきて、和歌、漢詩文のすべてにきわめて清新な詩風をみせることになり、とくに和歌・歌論においては19世紀に入るときわめて近代的な歌風・歌論を用意することとなって、近代につながっている。俗の文学とは、近世に入って文学を生産し享受する能力を確保した庶民によって制作された文学で、詩の俳諧(はいかい)・雑俳(ざっぱい)・狂歌・狂詩、小説の浮世草子(うきよぞうし)・草双紙(くさぞうし)・洒落本(しゃれぼん)・滑稽本(こっけいぼん)・人情本・読本(よみほん)・咄本(はなしぼん)であり、演劇の浄瑠璃(じょうるり)・歌舞伎(かぶき)、さらに近世歌謡や、講釈(講談)・落語などの舌耕(ぜっこう)文芸がこれに加わり、庶民の文学としての俗の文学はきわめて多彩な展開を示している。庶民の文学といっても、短詩型であるゆえに広く地方の教養ある農民や町人などにも普及した俳諧や狂歌を別として、ほかはすべて経済力を確保した町人、主として都市の町人(商人)によって制作され、ときに武士もこれに参加した都市文芸であったのである。

[神保五彌]

上方から江戸へ

18()()()17511772西()()17()()西()西()18退

 18()西西()()()()()()()17161736


俳諧・和歌の全国化

政治や商業資本との関連が薄い庶民詩としての俳諧、あるいは本来雅の文芸に属しながら近世に入って庶民の間にも拡散していった和歌などの叙情詩は、近世歌謡をも含めて、小説のようにその中心地が上方から江戸へと移行することはなかった。国民が文学に参加することが可能になった時代だけに、全国各地に歌人、俳諧師が輩出することになった。和歌はもちろん、芭蕉(ばしょう)によって真の国民詩として定着した俳諧も、蕪村(ぶそん)を中心とする天明(てんめい)俳諧、あるいは後の一茶(いっさ)に代表される化政期の俳諧にしても、中心地は各地にあったわけである。狂歌なども、元禄のころまで学者や歌人などの余技であったものが、享保期に入ると永田貞柳(ていりゅう)などの職業的な狂歌師が現れるようになり、上方狂歌壇が形成され、江戸でもまた四方赤良(よものあから)(蜀山人(しょくさんじん))を中心とする江戸狂歌壇が形成されてともに幕末に及ぶのである。

[神保五彌]

浄瑠璃・歌舞伎の成長

演劇の世界では、前代以来の能・狂言が武士階級の式楽として採用されるが、伝統を墨守するのみで新しい発展はみられなかった。これに対し、庶民の芸能として出発した浄瑠璃・歌舞伎は、時代の演劇としてそれぞれ目覚ましい成長を遂げてゆく。神仏の霊験譚(れいげんたん)や高僧伝、史話などに題材を求めて、戯曲構造も、したがって文学性も未熟な古浄瑠璃の時代を経て、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が貞享(じょうきょう)元年(1684、一説には貞享2年)に大坂に竹本座を開くと、義太夫と提携した近松門左衛門によって優れた作品が次々と発表され、時代物と世話物の浄瑠璃が、竹本座に対抗した豊竹(とよたけ)座の存在もあって全盛期を迎えるが、それも18世紀後半以後は、創作浄瑠璃は少なくなり、芸の伝承期に移行する。人形にかわる生きた俳優の演技の魅力に及ばなくなった結果である。これに対し歌舞伎は、女歌舞伎、若衆(わかしゅ)歌舞伎を経て野郎(やろう)歌舞伎の元禄時代に入ると、従来の舞踊本位から演劇性が強まり、立役、女方、敵役(かたきやく)などの役割も定まり、さらに町人社会の発展に伴って都市の性格も定まり、上方と江戸とは明瞭(めいりょう)な相違をみせるようになった。京都を中心とする上方では、写実的な演出により濡事(ぬれごと)の狂言が歓迎され、江戸では浪漫(ろうまん)的傾向の、武張った荒事(あらごと)の芸風が好まれ、基本的にはこの傾向が続いて、上方と江戸との交流を繰り返しながら、もっとも庶民的な演劇として続いた。

[神保五彌]

近代文学

創出期(明治時代)

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確立期(明治末~大正時代)

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転換期(昭和前期)

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現代の文学――第二次世界大戦後から現在まで


2020197019702050


終戦直後

1945年(昭和20)の終戦はGHQ(連合国最高司令部)による占領の始まりであった。占領政策は巧妙で、いわば支配の印象を与えない支配だった。文学に直接かかわる分野でいえば、GHQはすべての出版物に対して厳しい事前検閲を行ったが、その痕跡(こんせき)を残さない検閲だったため、国民のほとんどはその事実を知らず、すべてが自由になったと思い込んでいた。ともあれ敗戦と戦後の民主化の波は、既成の権威や秩序を崩壊させた。その混乱のなかでまず無頼(ぶらい)派とよばれた石川淳(じゅん)、坂口安吾(あんご)、太宰治(だざいおさむ)、織田作之助(おださくのすけ)らの破滅的な作品やデカダン生活が注目された。坂口安吾の『堕落論』(1946)、太宰治の『斜陽』(1947)やその心中自殺(1948)などは、とくに強い衝撃を与えた。新しい文学理念の形成の面では、平野謙(けん)、荒正人(あらまさひと)、本多秋五(しゅうご)ら『近代文学』派の評論家たちの果たした役割が大きい。彼らは戦前の革命運動の批判的検討を通じて自我の再建を唱え、文学における近代主義の担い手になった。一方、中野重治(しげはる)、宮本百合子(ゆりこ)、蔵原惟人(くらはらこれひと)ら旧プロレタリア文学者たちは『新日本文学』に拠(よ)りながら民主主義文学運動を推し進めた。両者の間に起こった「政治と文学」論争(1946~1947)は、旧来の純文学を政治や組織やマスコミからいかに守るかという発想に基づいており、そのような文学あるいは自我のとらえ方が戦後文壇の支配的理念となった。創作面では、野間宏(ひろし)、椎名麟三(しいなりんぞう)、埴谷雄高(はにやゆたか)、梅崎春生(はるお)、武田泰淳(たいじゅん)、三島由紀夫(ゆきお)、中村真一郎、大岡昇平、少し遅れて安部公房(こうぼう)、堀田善衛(よしえ)、島尾敏雄(としお)らの戦後派作家がその担い手とされ、戦前の左翼体験や戦争体験の意味を確かめ直し、人間を全体的にとらえようとするスケールの大きい観念的な小説が生み出された。野間宏の『暗い絵』(1946)はその出発を告げる作品であった。戦後はまた川端康成(やすなり)、井伏鱒二(いぶせますじ)、伊藤整(せい)、阿部知二(ともじ)、高見順(じゅん)ら、昭和初年代・10年代作家の成熟期でもあり、上林暁(かんばやしあかつき)、尾崎一雄(かずお)、外村繁(とのむらしげる)らによって私小説の名作が書かれる一方、丹羽文雄(にわふみお)、田村泰次郎(たいじろう)、石坂洋次郎、舟橋聖一、石川達三らの風俗小説、中間小説が人気をよんだ。

[曾根博義]

1950年代

195025()調195019571953()()()()1955()1956()1957()退1956()1950()()()()()()()()


1960年代

1960年(昭和35)の安保闘争と、その後1970年ごろまでの高度成長期は、さまざまな意味で戦後民主主義の試練の時代であった。大江健三郎、高橋和巳(かずみ)、井上光晴(みつはる)、小田実(まこと)ら、戦後派の後継者である若い世代の作家たちは、安保闘争における苦い体験を踏まえ、全共闘運動とも部分的にかかわりながら、民衆の土俗的エネルギーの根源にまでさかのぼって権力と対峙(たいじ)しようとする姿勢をとり、戦後派の作家たちは1970年前後にそれぞれの到達点を示す大作を相次いで完成させる。大岡昇平『レイテ戦記』(1967~1969)、野間宏『青年の環(わ)』(1947~1971)、武田泰淳『富士』(1969~1971)、福永武彦(たけひこ)『死の島』(1966~1971)などが後者の成果にほかならない。しかし『豊饒(ほうじょう)の海』四部作(1965~1971)擱筆(かくひつ)後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げるという三島由紀夫の衝撃的な行動(1970)には、いまや高度成長に酔い、私生活中心主義に堕落した戦後という時代に対する激しい呪詛(じゅそ)が込められていた。三島のよき理解者であり、日本の作家として初のノーベル文学賞を受賞(1968)した川端康成も、1972年にガス自殺を遂げた。それより早く小島信夫は私生活中心の戦後の家庭の空洞化を『抱擁(ほうよう)家族』(1965)に描き、島尾敏雄は『死の棘(とげ)』(1960)など一連の病妻もので戦後の夫婦関係の崩壊と再建を祈るように書いていた。吉行淳之介によって描かれる性は、『砂の上の植物群』(1963)を経て『暗室』(1969)になると、いっさいの人間的なものから抽象されて死とほとんど同質のものとなった。そのほか、ベトナムに赴いた開高健、『砂の女』(1962)以下の一連の反リアリズム小説で注目された安部公房、外国文学の教養を生かした丸谷才一、辻邦生(つじくにお)、北杜夫(もりお)らの長編、倉橋由美子(ゆみこ)、河野多恵子、大庭(おおば)みな子らの女流新人、柴田翔(しょう)、庄司薫(かおる)などの新しい青春小説や、焼跡闇市(やみいち)派の野坂昭如(あきゆき)らの活躍などが注目された。

[曾根博義]

1970年代

197019742019691970()()()()姿()()()()()()()SF


1980年代以降

19805520001220198919911989()1995()()194319921948 198020021990()1956 1958 193119871970()199421


海外における日本文学


WG1899Karl Adolf Florenz186519391906Michel Revon1867194719102195810D41984()19292010()1931 22000

 Arte da Lingoa de Iapam31608()()()()()()()()18345Isaac Titsingh174417451812()Heinrich Julius Klaproth17831835()18633Léon de Rosny18371914TEXTES JAPONAIS()18651Frederick Victor Dickins18381915THE CHINESE AND JAPANESE REPOSITORY1865.311J()HYAKU NIN ISS'HUClay MacCauley184319251899William N. Porter184919291909Tom Galt198218725August Pfizmaier1808188734200BH1910Jan Lodewijk Pierson19294196439Wiesław Kotański1915200519611971J19701884Judith Gautier18451917西()()RG1934HC19851964RE1961J196419121913()()()

 1906Paul-Louis Couchoud18791959()NRF()1920.9Haï-KaïsPJSIC()1917.11()()193419861972

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改訂新版 世界大百科事典 「日本文学」の意味・わかりやすい解説

日本文学 (にほんぶんがく)


1

 2︿︿

 ︿2︿︿︿︿西︿

 ︿西1︿︿︿

 2︿genres littéraires︿︿︿西西

 3︿︿︿︿

1000︿︿︿西西西西



1 2

2 
    
3 1713

 西︿西
 

5

1 西1617西19200︿調︿調

 ︿︿︿西︿
  
2 西14西︿19西2︿

3 ︿︿15

 ︿︿

4 西調調

 ︿︿

5 


︿︿1890︿稿︿301899︿August Böckh︿︿31913-211924-2581953-56︿︿

 19051911192241916-2119191922192619351931西1938194031929-3019061904192619241938194351936-50

 ︿19371944︿1936194319411935

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日本文学」の意味・わかりやすい解説

日本文学
にほんぶんがく
Japanese literature

 
 ()  ()  ()  ()  () 5 ()  ()  ()  ()  ()  ( )  ( )  ()  () 
7使使 ()  (710794)  45001 260 (712)  (720) 2 (970)  (7941185)  ()  1010
 (11851333)  (1205) 退 (1220) 使 (16031867)  200575317 (13361573) 17西2 35001
退 () 西 (18671912) 20 (68)  (94)   

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