コンテンツにスキップ

「相撲教習所」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
 
(7人の利用者による、間の11版が非表示)
10行目: 10行目:

[[]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref>p77 ISBN 978-4-309-27376-1</ref>

[[]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref>p77 ISBN 978-4-309-27376-1</ref>


[[幕下付出]]力士の中でも入門から半年以内に[[関取]]昇進を果たした者はその時点で教習所通いを免除される。ただし[[遠藤聖大]]は初土俵から所要2場所目[[十両]]昇進を果たしたにもかかわらず、師匠である[[大翔山直樹|追手風親方]]の意向に従いその特権を行使せず2013年9月の卒業まで通常通りに教習所の課程を修めた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/05/31/kiji/K20130531005911460.html 新十両・遠藤 初の関取&相撲教習所生 ]</ref>。翌[[2014年]]には、遠藤同様所要2場所で[[逸ノ城駿]]が十両昇進を果たし、外国出身者で初めて教習所卒業前に関取昇進を果たしたが、遠藤に倣って特権を行使しない意向を示し<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/04/18/kiji/K20140418007993770.html “モンゴルの新怪物”逸ノ城 特権辞退「教習所通う」]</ref>、卒業まで通い続けた。

[[幕下付出]]力士の中でも入門から半年以内に[[関取]]昇進を果たした者はその時点で教習所通いを免除される。ただし[[遠藤聖大]]は初土俵から所要2場所目[[十両]]昇進を果たしたにもかかわらず、師匠である[[大翔山直樹|追手風親方]]の意向に従いその特権を行使せず2013年9月の卒業まで通常通りに教習所の課程を修めた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2013/05/31/kiji/K20130531005911460.html 新十両・遠藤 初の関取&相撲教習所生 ]</ref>。また、翌[[2014年]]には、遠藤同様所要2場所で[[逸ノ城駿]]が十両昇進を果たし、外国出身者で初めて教習所卒業前に関取昇進を果たしたが、遠藤に倣って特権を行使しない意向を示し<ref>[https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/04/18/kiji/K20140418007993770.html “モンゴルの新怪物”逸ノ城 特権辞退「教習所通う」]</ref>、卒業まで通い続けた。



関取特権として受講義務を免除された時点で卒業扱いと言うわけではなく、遠藤や逸ノ城と同じく幕下付出デビューから所要2場所で関取昇進を果たした尾曽武人([[武双山正士]])は入門から半年後の卒業まで相撲教習所に籍を置いており、相撲教習所の卒業式にも出席した<ref group="注釈">なお、武双山は相撲教習所の卒業式に出席した史上初の幕内力士となった。遠藤も卒業時には入幕していたが、ケガのため卒業式を欠席。</ref>。それ以降ある時期から3期半年の履修が必須となったが、[[矢後太規]]は残り1期2ヶ月の履修を免除されただけでなく繰り上げで正式に卒業<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20170929-OHT1T50066.html 矢後、相撲教習所を“繰り上げ”卒業 十両昇進で巡業優先] 2017年9月29日7時0分 スポーツ報知</ref>。[[落合哲也]]は[[幕下付出|幕下15枚目格付出]]の場所で関取昇進を決めたが入所式には出席。史上初の関取としての入所という格好となり、「教習所を一緒にやっていく仲間だと思っています。一緒に稽古したい」と関取特権を行使せずに半年間の受講を行う意向を示した<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202301260001198.html 新十両昇進の落合が相撲教習所入所式に出席 関取として入所するのは過去に例なく] 日刊スポーツ 2023年1月26日21時29分 (2023年1月27日閲覧)</ref>。

なお、関取特権として受講義務を免除された時点で卒業扱いと言うわけではなく、遠藤や逸ノ城と同じく幕下付出デビューから所要2場所で関取昇進を果たした尾曽武人([[武双山正士]])は入門から半年後の卒業まで相撲教習所に籍を置いており、相撲教習所の卒業式にも出席した<ref group="注釈">なお、武双山は相撲教習所の卒業式に出席した史上初の幕内力士となった。遠藤も卒業時には入幕していたが、ケガのため卒業式を欠席。</ref>。それ以降ある時期から3期半年の履修が必須となったが、[[矢後太規]]は残り1期2ヶ月の履修を免除されただけでなく繰り上げで正式に卒業<ref>[https://web.archive.org/web/20170929061323/http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20170929-OHT1T50066.html 矢後、相撲教習所を“繰り上げ”卒業 十両昇進で巡業優先] 2017年9月29日7時0分 スポーツ報知</ref>。[[落合哲也]]は[[幕下付出|幕下15枚目格付出]]の場所(2023年1月場所)で関取昇進を決めたが入所式には出席。史上初の関取としての入所という格好となり、「教習所を一緒にやっていく仲間だと思っています。一緒に稽古したい」と関取特権を行使せずに半年間の受講を行う意向を示した<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202301260001198.html 新十両昇進の落合が相撲教習所入所式に出席 関取として入所するのは過去に例なく] 日刊スポーツ 2023年1月26日21時29分 (2023年1月27日閲覧)</ref>。



また[[外国人]]力士は1年間在籍する<ref group="注釈">逸ノ城は日本の高校に留学経験があるためか、半年で卒業が認められた。</ref>。多くの外国人力士は、[[日本]]に来てすぐ[[相撲部屋]]に入り、ここで指導を受けることが多い。そのため、まだ[[日本語]]を覚えていない外国人力士は多くの場合ここで日本語を覚える。まだ日本語がわからない力士にも、[[通訳]]などがつくことは基本的にない。しかし、指導の親方が日本語で指導する時には、[[ジェスチャー]]と[[外国語]]を織り交ぜて指導するため、ほとんどの力士は相撲のとり方などを理解することができる。

また[[外国人]]力士は1年間在籍する<ref group="注釈">逸ノ城は日本の高校に留学経験があるためか、半年で卒業が認められた。</ref>。多くの外国人力士は、[[日本]]に来てすぐ[[相撲部屋]]に入り、ここで指導を受けることが多い。そのため、まだ[[日本語]]を覚えていない外国人力士は多くの場合ここで日本語を覚える。まだ日本語がわからない力士にも、[[通訳]]などがつくことは基本的にない。しかし、指導の親方が日本語で指導する時には、[[ジェスチャー]]と[[外国語]]を織り交ぜて指導するため、ほとんどの力士は相撲のとり方などを理解することができる。

19行目: 19行目:

この教習所は公益財団法人としての相撲文化の継承・普及のための施設でもある。アマチュア相撲の講習会等で使用されるほか<ref>[https://www.sumo.or.jp/IrohaShidoFukyubuEvent/wrap/ 夏期相撲大会等催事]日本相撲協会</ref>、東京での[[本場所]]の前に行われる[[横綱審議委員会]]稽古総見もこの相撲教習所内の土俵で行われている<ref group="注釈">ただし[[2000年]]から5月場所前は国技館内の本土俵で無料一般公開されており、[[2010年]]9月場所から[[2012年]]5月場所まではすべての東京場所前でも同様に無料一般公開されていた。</ref>。

この教習所は公益財団法人としての相撲文化の継承・普及のための施設でもある。アマチュア相撲の講習会等で使用されるほか<ref>[https://www.sumo.or.jp/IrohaShidoFukyubuEvent/wrap/ 夏期相撲大会等催事]日本相撲協会</ref>、東京での[[本場所]]の前に行われる[[横綱審議委員会]]稽古総見もこの相撲教習所内の土俵で行われている<ref group="注釈">ただし[[2000年]]から5月場所前は国技館内の本土俵で無料一般公開されており、[[2010年]]9月場所から[[2012年]]5月場所まではすべての東京場所前でも同様に無料一般公開されていた。</ref>。



[[2004年]]からは、[[NHK学園高等学校]](開始時は日本放送協会学園高等学校)の[[スクーリング]]会場も設けられているほか、[[2011年]]からは東京場所終了後に[[日本相撲協会自立就職支援相談室|自立就職支援相談室]]の窓口が開設されるなど、力士引退後の[[セカンドキャリア]]支援の拠点にもなっている。

[[2004年]]からは、中卒又は高校中退で入門した力士のために[[NHK学園高等学校]](開始時は日本放送協会学園高等学校)の[[スクーリング]]会場も設けられているほか、[[2011年]]からは東京場所終了後に[[日本相撲協会自立就職支援相談室|自立就職支援相談室]]の窓口が開設されるなど、力士引退後の[[セカンドキャリア]]支援の拠点にもなっている。



東京での本場所直前の時期には、相撲教習所配属の親方を中心にファン対象のイベントが開かれることがある。このため、年に数回ほど、相撲教習所の教室が一般開放されている。

東京での本場所直前の時期には、相撲教習所配属の親方を中心にファン対象のイベントが開かれることがある。このため、年に数回ほど、相撲教習所の教室が一般開放されている。



== 課程 ==

== 課程 ==

朝7時より正午ごろまで開講され、前半は実技、後半は座学となっている<ref>[https://ozumou.com/archives/16 相撲教習所]大相撲ドットコム</ref><ref>[https://sumo-world.com/mechanism/%E7%9B%B8%E6%92%B2%E6%95%99%E7%BF%92%E6%89%80/ 相撲教習所]イッツ・ア・相撲ワールド</ref>。

基本的に平日の朝7時より正午ごろまで開講され、前半は実技、後半は座学となっている<ref>[https://ozumou.com/archives/16 相撲教習所]大相撲ドットコム</ref><ref>[https://sumo-world.com/mechanism/%E7%9B%B8%E6%92%B2%E6%95%99%E7%BF%92%E6%89%80/ 相撲教習所]イッツ・ア・相撲ワールド</ref>。




[[]][[#|]][[]][[]][[]]<ref>[https://sumo.sports.smt.docomo.ne.jp/column/20190410_1.html (1)]dmenu</ref>[[]][[]][[]]

[[]][[#|]][[]][[]][[]]<ref>[https://sumo.sports.smt.docomo.ne.jp/column/20190410_1.html (1)]dmenu</ref>[[]][[]][[]]


座学では、曜日ごとに相撲の[[歴史]]・[[一般常識]]・[[日本語|国語]]([[書道]]・[[作文]])・[[相撲甚句]]・[[運動医学]]・スポーツ[[生理学]]等の教養を学ぶ。大学教員等の有識者を講師に招き、また力士が寝ているときに[[竹刀]]で力士をたたき起こす「竹刀係」という者もいる。

座学では、曜日ごとに相撲の[[歴史]]・[[一般常識]]・[[日本語|国語]]([[書道]]・[[作文]])・[[相撲甚句]]・[[運動医学]]・スポーツ[[生理学]]等の教養を学ぶ。大学教員等の有識者を講師に招き、また力士が寝ているときに[[竹刀]]で力士をたたき起こす「竹刀係」という者もいる。



一日の課程が終わると、食事・入浴・掃除の後解散となる。


[[]]<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=dwvPaT0G7eM ] - </ref>


在籍期間は半年間となっているが、本場所開催中及びその前後の期間は開講されないため、実際に通学するのは約3か月程度である。卒業時の成績により「皆勤」「優等」「精励」「特別」の4つの表彰があり、出席が足りなければ落第もありうる。

在籍期間は半年間となっているが、本場所開催中及びその前後の期間は開講されないため、実際に通学するのは約3か月程度である。卒業時の成績により「皆勤」「優等」「精励」「特別」の4つの表彰があり、出席が足りなければ落第もありうる。



== 現在の教習所担当年寄 ==

== 現在の教習所担当年寄 ==

2023126日現在

2024327日現在

{| class="wikitable"

{| class="wikitable"

!年寄名

!年寄名

!役職!!最高位・四股名!!所属部屋!!備考

!役職!!最高位・四股名!!所属部屋!!備考

|-

|-

|芝田山

|花籠

|相撲教習所長||[[関脇]]・[[太寿山忠明|太寿山]]{{refnest|group="注釈"|協会本部付として危機管理部長、コンプライアンス部長、博物館運営委員を兼任する。}}||[[部屋]]||理事

|相撲教習所長||[[横綱]]・[[大乃国康|大乃国]]||[[部屋]]||理事

|-

|-

|甲山

|甲山

| rowspan="4" valign="top" |相撲教習所員||[[前頭|前]]11・[[大碇剛|大碇]]||[[伊勢ノ海部屋]]||委員

| rowspan="4" valign="top" |相撲教習所員||[[前頭|前]]11・[[大碇剛|大碇]]||[[伊勢ノ海部屋]]|| rowspan="2" valign="top" |委員

|-

|-

|楯山||前6・[[誉富士歓之|誉富士]]||[[伊勢ヶ濱部屋]]||主任

|楯山||前6・[[誉富士歓之|誉富士]]||[[伊勢ヶ濱部屋]]

|-

|-

|清見潟||関脇・[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]||[[春日野部屋]]|| rowspan="2" |年寄

|清見潟||[[関脇]]・[[栃煌山雄一郎|栃煌山]]||[[春日野部屋]]||主任

|-

|-

|佐ノ山||前8・[[天鎧鵬貴由輝|天鎧鵬]]||[[尾上部屋]]

|北陣||前8・[[天鎧鵬貴由輝|天鎧鵬]]||[[尾上部屋]]||年寄

|}

|}



62行目: 62行目:

* 4代:立浪治(元[[関脇]]・[[安念山治|羽黒山]]):1970年2月 - [[1974年]]1月

* 4代:立浪治(元[[関脇]]・[[安念山治|羽黒山]]):1970年2月 - [[1974年]]1月

* 5代:出羽海智敬(第50代横綱・[[佐田の山晋松|佐田の山]]):1974年2月 - [[1976年]]1月

* 5代:出羽海智敬(第50代横綱・[[佐田の山晋松|佐田の山]]):1974年2月 - [[1976年]]1月

* 6代:立浪治<ref group="注釈">4代目所長の再任</ref>(元関脇・羽黒山):1976年2月 - [[1978年]]1月

* 6代:立浪治<ref group="注釈">4代目所長の再任</ref>(元関脇・羽黒山):1976年2月 - [[1978年]]1月

* 7代:伊勢ヶ濱忠雄(元大関・[[清國勝雄|清國]]):1978年2月 - [[1982年]]1月

* 7代:伊勢ヶ濱忠雄(元大関・[[清國勝雄|清國]]):1978年2月 - [[1982年]]1月

* 8代:春日山貴佑(元[[前頭]]筆頭・[[大昇充宏|大昇]]):1982年2月 - [[1986年]]1月

* 8代:春日山貴佑(元[[前頭]]筆頭・[[大昇充宏|大昇]]):1982年2月 - [[1986年]]1月

* 9代:高砂浦五郎(第46代横綱・[[朝潮太郎 (3代)|朝潮]]):1986年2月 - [[1988年]]10月

* 9代:高砂浦五郎(第46代横綱・[[朝潮太郎 (3代)|朝潮]]):1986年2月 - [[1988年]]10月(死去)

* 10代:時津風勝男(元大関・[[豊山勝男|豊山]]):1988年10月 - [[1990年]]1月

* 10代:時津風勝男(元大関・[[豊山勝男|豊山]]):1988年10月 - [[1990年]]1月

* 11代:高砂浦五郎(元[[小結]]・[[富士錦猛光|富士錦]]):1990年2月 - [[1994年]]1月

* 11代:高砂浦五郎(元[[小結]]・[[富士錦猛光|富士錦]]):1990年2月 - [[1994年]]1月

75行目: 75行目:

* 17代:貴乃花光司(第65代横綱・[[貴乃花光司|貴乃花]]):2010年2月 - 2010年8月

* 17代:貴乃花光司(第65代横綱・[[貴乃花光司|貴乃花]]):2010年2月 - 2010年8月

* 18代:武蔵川晃偉(第57代横綱・[[三重ノ海剛司|三重ノ海]]):2010年8月 - [[2012年]]2月

* 18代:武蔵川晃偉(第57代横綱・[[三重ノ海剛司|三重ノ海]]):2010年8月 - [[2012年]]2月

* 19代:出羽海義和<ref group="注釈">在任中の2014年2月1日に高崎に名跡変更。</ref>(元関脇・[[鷲羽山佳和|鷲羽山]]):2012年2月 - [[2014年]]4月

* 19代:出羽海義和<ref group="注釈">在任中の2014年2月1日に高崎に名跡変更。2014年1月の公益財団法人移行に際し役員改選時期が西暦偶数年の1月場所後から同3月場所後へ変更されたことに伴い、理事の任期が2か月延長されたため、理事在任のまま停年(定年)退職。</ref>(元関脇・[[鷲羽山佳和|鷲羽山]]):2012年2月 - [[2014年]]4月(停年退職)

* 20代:友綱隆登<ref group="注釈">16代目所長の再任。</ref>(元関脇・魁輝):2014年4月 - [[2016年]]3月

* 20代:友綱隆登<ref group="注釈">16代目所長の再任。</ref>(元関脇・魁輝):2014年4月 - [[2016年]]3月

* 21代:山響謙司(元前頭筆頭・[[巌雄謙治|巌雄]]):2016年3月 - [[2020年]]3月

* 21代:山響謙司(元前頭筆頭・[[巌雄謙治|巌雄]]):2016年3月 - [[2020年]]3月

* 22代:花籠忠明(元関脇・[[太寿山忠明|太寿山]]):2020年3月 -

* 22代:花籠忠明(元関脇・[[太寿山忠明|太寿山]]):2020年3月 - [[2024年]]3月

* 23代:芝田山康(第62代横綱・[[大乃国康|大乃国]]):2024年3月 -



== 参考文献 ==

== 参考文献 ==


2024年4月4日 (木) 11:19時点における最新版

相撲教習所の看板

[1]

[2]3195710198412

[]


19251957[3]

[4]

2使20139[5]20142駿使[6]

2[ 1]312[7]1520231使[8]

1[ 2]

使[9][ 3]

2004退NHK2011退


[]


7[10][11]

[12]



[13]

34

[]


2024327
年寄名 役職 最高位・四股名 所属部屋 備考
芝田山 相撲教習所長 横綱大乃国 芝田山部屋 理事
甲山 相撲教習所員 11・大碇 伊勢ノ海部屋 委員
楯山 前6・誉富士 伊勢ヶ濱部屋
清見潟 関脇栃煌山 春日野部屋 主任
北陣 前8・天鎧鵬 尾上部屋 年寄

相撲教習所担当の年寄、あるいは配属された経験のある年寄は本場所では決まり手係を担当する。

相撲教習所歴代所長[編集]

相撲教習所の所長は日本相撲協会理事に選出された年寄が代々務めている。

参考文献[編集]

公益財団法人日本相撲協会監修『ハッキヨイ!せきトリくん わくわく大相撲ガイド 寄り切り編』67p

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、武双山は相撲教習所の卒業式に出席した史上初の幕内力士となった。遠藤も卒業時には入幕していたが、ケガのため卒業式を欠席。
  2. ^ 逸ノ城は日本の高校に留学経験があるためか、半年で卒業が認められた。
  3. ^ ただし2000年から5月場所前は国技館内の本土俵で無料一般公開されており、2010年9月場所から2012年5月場所まではすべての東京場所前でも同様に無料一般公開されていた。
  4. ^ 4代目所長の再任。
  5. ^ 5代目所長の再任。
  6. ^ 在任中の2014年2月1日に高崎に名跡変更。2014年1月の公益財団法人移行に際し役員改選時期が西暦偶数年の1月場所後から同3月場所後へ変更されたことに伴い、理事の任期が2か月延長されたため、理事在任のまま停年(定年)退職。
  7. ^ 16代目所長の再任。

出典[編集]