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木村庄之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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木村庄之助の代々[編集]

襲名期間 備考
初代 寛永年間? 真田伊豆守家臣中立羽左衛門尉清重とされるが、実在は不明
2代 貞享 - 宝永年間? 木村喜左衛門。実在したとされ、木瀬太郎太夫の孫と伝わる
3代 享保年間? 中立羽左衛門正智(?)。実在は不明
4代 ? - 1725年頃? 史実としての初代とされ、九重庄之助から中立姓となり、後に木村姓に改姓したと伝わる。勧進元、差添も務める
襲名期間 師匠 履歴 その後
5代 寛保年間に襲名? 木瀬庄太郎→初代木村庄太郎→庄藏
6代 宝暦初め頃? - 1770年11月場所 木村荒助→初代木村庄九郎→2代庄太郎
7代 1771年3月場所 - 1799年11月場所 木村七次郎(?)→3代庄太郎
8代 1800年4月場所 - 1824年1月場所 7代庄之助の弟子 木村七次郎→4代庄太郎
9代 (10代) 1824年10月場所 - 1834年10月場所
10代として:1836年2月場所 - 1838年10月場所
7代庄之助の弟子で、のち8代庄之助の養子 初代木村喜八→初代木村喜代治→5代庄太郎
11代 1839年3月場所 - 1844年10月場所 木村留次郎→庄助→6代庄太郎
12代 1845年2月場所 - 1853年2月場所 8代庄之助の弟子 木村禎藏→正藏→7代庄太郎
13代 1853年11月場所 - 1876年4月場所 浦風林右エ門の弟子 木村小太郎→幸太郎→市之介→3代木村夛司馬
14代 1877年1月場所 - 1885年1月場所(死跡) 10代庄之助の弟子 木村富吉→留吉→4代喜代治→10代庄太郎 現役没
15代 1885年5月場所 - 1897年5月場所 11代庄之助の弟子 木村八三郎→角次郎(角治郎)→4代木村庄三郎 現役没
16代 1898年1月場所 - 1912年1月場所 13代庄之助の弟子 木村新介→3代木村龍五郎→吉田誠道→初代木村誠道→4代式守鬼一郎→木村誠道(再) 現役没
17代 1912年1月場所 - 1921年5月場所 15代庄之助の弟子 初代木村玉治郎→6代庄三郎→10代式守伊之助
18代 1922年1月場所 - 1925年5月場所 濱風今右衞門の弟子 木村甚馬→甚助→甚之助→甚太郎→木村朝之介 現役没
19代 1926年1月場所 - 1932年5月場所 9代伊之助の弟子 式守夛喜太→2代式守錦之助→5代式守与太夫→13代伊之助 現役没
20代 1932年10月場所 - 1940年1月場所 8代伊之助の弟子で、のち養子 式守子之吉→3代式守錦太夫→6代与太夫→15代伊之助 現役没
21代 1940年5月場所 - 1951年5月場所 3代式守与之吉→4代式守勘太夫→11代木村玉之助→17代伊之助
22代 1951年9月場所 - 1959年11月場所 松翁20代庄之助に師事 初代木村林之助→初代木村容堂→12代玉之助→18代伊之助
23代 1960年1月場所 - 1962年11月場所 木村越後の弟子 2代木村正直
24代 1963年1月場所 - 1966年7月場所 式守義松→義→初代式守伊三郎→義→伊三郎(再)→5代鬼一郎→20代伊之助
25代 1966年9月場所 - 1972年1月場所[注釈 3] 14代木村玉光→9代庄九郎→21代伊之助
26代 1973年1月場所 - 1976年11月場所 21代庄之助の弟子 式守正→木村正→邦雄→5代与之吉→6代勘太夫→22代伊之助
27代 1977年11月場所 - 1990年11月場所 19代伊之助の弟子 木村宗吉→4代木村玉治郎→23代伊之助
28代 1991年1月場所 - 1993年11月場所 松翁20代庄之助の弟子で、のち養子。松翁亡き後、22代庄之助の預かり弟子 木村松尾→式守松尾→式守林之助→2代林之助→8代錦太夫→25代伊之助
29代 1995年1月場所 - 2001年3月場所 三役格9代式守与太夫の養子 木村春芳→壽男→春義→真之助→2代式守慎之助→9代錦太夫→28代伊之助
30代 2001年11月場所 - 2003年1月場所 22代庄之助の弟子 初代木村保之助→3代林之助→2代容堂→31代伊之助
31代 2003年5月場所 - 2005年11月場所 19代伊之助の弟子 式守正夫→木村正三郎→9代庄三郎→32代伊之助
32代 2006年1月場所 22代庄之助の弟子 木村郁也→咸喬→33代伊之助
33代 2006年5月場所 - 2007年3月場所 三役格4代木村誠道の弟子 初代木村要之助→式守要之助→木村要之助(再)→政裕→要之助(再々)→賢嘉→友一→3代朝之助→35代伊之助
34代 2007年5月場所 - 2008年3月場所 幕内木村筆之助の弟子 式守勝春→勝治→11代与太夫→36代伊之助
35代 2008年5月場所 - 2011年9月場所 木村順一→純一郎→順一→旬一→城之介→37代伊之助
36代 2011年11月場所 - 2013年5月場所 26代庄之助の弟子 式守敏廣→9代與之吉→10代勘太夫→38代伊之助
37代 2013年11月場所 - 2015年3月場所 27代庄之助の弟子 木村三治郎→5代玉治郎→10代庄三郎→39代伊之助
38代 2024年1月場所 - 木村英樹 → 和一郎 → 11代式守勘太夫 → 41代伊之助

大阪行司[編集]

備考 履歴
木村兵丸 大坂相撲
木村錦太夫 大坂相撲の行司岩井正朝の弟子 木村金八→信之助
2代木村正直 大坂相撲の名行司木村越後(初代正直、8代玉之助)の弟子 木村藤吾
木村金吾

木村庄之助の記録[編集]

記録
6代 江戸相撲の現存最古の番付が発行された当時の庄之助。木村庄之助正武を名乗り、以来幕末までの歴代のは「正武」と称した。
7代 在位最年長(29年)。珍しい左利きで軍配を持つ。
8代 2代木村瀬平を襲名。1827年に先祖書を幕府に提出。
9代 引退後に復帰して10代庄之助として再勤。
13代 年寄・木村松翁を襲名。
15代 年寄・木村松翁を襲名。
16代 初めて木村・式守両家を名乗る。晩年は中風症のため手が震え「ブル庄」の異名をとった。
17代 初めて式守伊之助より継承。差し違いの責任を取り廃業(「概要」の項参照)。
18代 17代目の突然の廃業、12代伊之助の引退が重なり、伊之助を経ず襲名。能筆で「顔触れ」は名人級と評される。
20代 唯一「松翁」の名誉尊号を番付上に冠した。
21代 12代立田川を襲名。玉之助(当時は立行司)襲名からわずか2年半余りで庄之助襲名。
22代 木村庄之助として行司停年制初の停年退職。稀にみる長寿(104歳で死去)。
23代 式守伊之助を経験せず襲名。稀にみる長寿(96歳で死去)。
24代 停年後は神官職となる。
25代 ストライキ主導と差し違いの責任を取り廃業。(詳しくはこちらを参照)。
27代 史上最年少の51歳で襲名。在位最多場所(79場所)1185番を裁く。稀にみる長寿(97歳で死去)。
28代 平成の名行司。
32代 在位1場所は行司定年制実施後では最短。
38代 41代伊之助を襲名していた当時、庄之助は空位であったが、差し違えや転落などのハプニングが多かった影響で5年間伊之助に留まる。
停年退職直前の1月場所に当たる2024年1月場所で庄之助襲名。

木村庄之助として裁いた時代についての記録[編集]

記録
16代 常陸時代」全盛期の名行司。
20代 双葉山時代」全盛期を裁いた名行司。
22代 時代」全盛期を裁く。
23代 時代」初期を裁く。
24代 「柏・鵬時代」全盛期の名勝負を裁く。
25代 「柏・鵬時代」後期から「時代」を裁く。
26代 時代」初期を裁く。
27代 「輪・湖時代」全盛期から「千代の富士時代」を裁く。
28代 時代」初期を裁く。
29代 四横綱(曙、貴乃花、3代若乃花武蔵丸)時代を裁く。

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 24退242627293034退40

(二)^ 

(三)^ 3

出典[編集]

参考文献[編集]

33代木村庄之助・根間弘海『大相撲と歩んだ行司人生51年 -行司に関する用語、規定、番付等の資料付き-』英宝社、2006年

関連項目[編集]