「フランス海軍」の版間の差分
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中世の[[百年戦争|英仏百年戦争]]以来、フランスはイギリスと欧州においてライバル関係にあった。 |
中世の[[百年戦争|英仏百年戦争]]以来、フランスはイギリスと欧州においてライバル関係にあった。 |
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1688年、イギリスで[[名誉革命]]が起こると、自らの支援する[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]を追放された[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]はイギリスに対し敵対的な政策を取り、 |
1688年、イギリスで[[名誉革命]]が起こると、自らの支援する[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]を追放された[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]はイギリスに対し敵対的な政策を取り、1690年にはビーチ―・ヘッド沖の海戦でトゥルヴィーユ率いるフランス艦隊がイギリス・オランダ連合艦隊に完勝した。両軍合わせて120隻超というこの海戦の規模は当時屈指のものだった。
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フランス海軍は宰相[[リシュリュー]]、[[ジャン=バティスト・コルベール|コルベール]]の采配に因る強大な国力を背景に欧州随一の規模を誇ったが、イギリス海軍も闘志と技量でこれに報い、[[イギリス海峡|英仏海峡]]両岸および[[大航海時代]]を経て世界各地に広がった[[植民地]]と本国を結ぶ長大な航路上で双方の船を襲い合った。この長い戦いの中で、[[ジャン・バール]]、フォルバン、デュゲイ・トルーアンなど現代までフランス海軍の艦名に引き継がれる海軍軍人兼私掠船船長が輩出された。 |
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1745年にフランスは保護下にある[[ステュアート朝]]の王子チャールズ("[[チャールズ3世()|チャールズ3世]]")をスコットランドに上陸させる作戦を企図したが、イギリスの海将ヴァ―ノンと[[ジョージ・アンソン (初代アンソン男爵)|アンソン]]の善戦の前に英本土進攻は阻止された。 |
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帆走海軍時代の海戦では必ずしも敵艦を撃沈せず、むしろ報奨金が貰えるのでその方が得な[[移乗攻撃]]で拿捕する戦い方が主流だった。しかし18世紀中頃に英国海軍が戦術を改良し、統制の取れた(しかし柔軟性を欠く)一列陣形より個艦の状況判断を優先した(主導権を握りやすい)風上からの近接戦闘を重視するようになると、フランス海軍は徐々に1759年の[[キブロン湾の海戦]]や1761年の[[フィニステレ岬の海戦 (1761年)|フィニステレ岬の海戦]]など、イギリス海軍に劣勢を強いられるようになった。 |
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==== アメリカ独立革命 ==== |
==== アメリカ独立革命 ==== |
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1775年、[[13植民地|北アメリカのイギリス植民地]]が[[アメリカ独立戦争|反乱]]を起こし、翌年[[アメリカ独立宣言|独立を宣言]]するとフランスは宿敵イギリスの敵となったこの﹁[[アメリカ合衆国|合衆国]]﹂への支援を決定。1781年の[[チェサピーク湾の海戦]]ではド・グラース率いるフランス艦隊が、包囲された[[ヨークタウンの戦い|ヨークタウン]]の支援に来たイギリス艦隊を撃退。守将コーンウォリス率いるイギリス陸軍を降伏に追い込み戦局を決定的にした。
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北米大陸では1750年代より断続的に英仏両国間で[[フレンチ・インディアン戦争|植民地争奪戦]]が起きており、フランスが[[アカディ|アカディア]]を失う劣勢になっていた。だがその[[耐え難き諸法|戦費の負担]]に対する反発から1775年、[[13植民地|北アメリカのイギリス植民地]]が[[アメリカ独立戦争|反乱]]を起こし、翌年[[アメリカ独立宣言|独立を宣言]]するとフランスは宿敵イギリスの敵となったこの﹁[[アメリカ合衆国|合衆国]]﹂への支援を決定。欧州沿岸での[[ジョン・ポール・ジョーンズ (軍人)|ジョン・ポール・ジョーンズ]]の私掠船活動に便宜を図った他、フランス海軍をも動員して1778年のニューポート︵ナラガンセット湾︶の海戦でイギリス軍に勝利した。1781年の[[チェサピーク湾の海戦]]では[[フランソワ・ジョゼフ・ポール・ド・グラス|ド・グラース]]率いるフランス艦隊が、[[大陸軍 (アメリカ)|大陸軍]]に包囲された[[ヨークタウンの戦い|ヨークタウン]]の支援に来たグレーヴス率いるイギリス艦隊を撃退。守将[[コーンウォリスの退却|コーンウォリス]]率いるイギリス陸軍を降伏に追い込み戦局を決定的にした。
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なおド・グラースは翌年、英仏艦隊の主戦場となっていたカリブ海の[[セインツの海戦|ドミニカ島沖(セインツ海峡)の海戦]]で[[ジョージ・ロドニー|ロドネー]]率いるイギリス艦隊に敗れ落命した。 |
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=== フランス革命の混乱 === |
=== フランス革命の混乱 === |
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絶対王政時代の常識でフランス軍も兵卒は平民、将校は貴族と分かれていたが、1789年に︵アメリカ独立の影響も受けて︶[[フランス革命]]が起きるとその高級将校の多くが失脚した。しかし陸軍以上に高度な熟練が要求される海軍では実務に長けた将校の急な補充・育成は容易ではなく、このため続く[[ナポレオン戦争]]期になっても海軍は宿敵英国海軍に対し常に劣位の戦いを強いられた。[[ナイルの海戦|ナイル︵アブキール︶]]や[[トラファルガーの海戦|トラファルガー岬沖]]の海戦など |
絶対王政時代の常識でフランス軍も兵卒は平民、将校は貴族と分かれていたが、1789年に︵アメリカ独立の影響も受けて︶[[フランス革命]]が起きるとその高級将校の多くが失脚した。しかし陸軍以上に高度な熟練が要求される海軍では実務に長けた将校の急な補充・育成は容易ではなく、このため続く[[ナポレオン戦争]]期になっても海軍は宿敵英国海軍に対し常に劣位の戦いを強いられた。[[ナイルの海戦|ナイル︵アブキール︶]]や[[トラファルガーの海戦|トラファルガー岬沖]]の海戦など名将[[ホレーショ・ネルソン (初代ネルソン子爵)|ネルソン]]の前にフランス海軍は大敗を重ね、ナポレオンが企図したドーバー海峡を渡っての英本土進攻をついに実現させられなかった。
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大西洋を越えて海軍が陸軍部隊を輸送・展開する能力が大幅に低下したことで、フランスはこの時期に[[ハイチ革命|サン=ドマング(ハイチ)]]や[[ルイジアナ買収|ルイジアナ]]といった新大陸の植民地 |
大西洋を越えて海軍が陸軍部隊を輸送・展開する能力が大幅に低下したことで、フランスはこの時期に[[ハイチ革命|サン=ドマング(ハイチ)]]や[[ルイジアナ買収|ルイジアナ]]といった新大陸の植民地も相次いで失った。 |
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=== 植民地獲得の先兵 === |
=== 植民地獲得の先兵 === |
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[[ワーテルローの戦い]]の敗北でナポレオンが完全失脚した後、[[フランス復古王政|復古王政]]を率い |
[[ワーテルローの戦い]]の敗北でナポレオンが完全失脚した後、1827年の[[ナヴァリノの海戦]]を最後に欧州で大きな海戦は起きなくなった。[[フランス復古王政|復古王政]]を率いる[[シャルル10世 (フランス王)|シャルル10世]]は国内の政治的不満のガス抜きのために海外植民地の再獲得に着手。1830年の[[フランス領アルジェリア|アルジェリア]]出兵を始まりとするこの[[フランス植民地帝国|海外進出]]の大方針は19世紀中、フランスの体制が王政、帝政、共和政と目まぐるしく変わっても基本的に維持され、フランス海軍は[[フランス領西アフリカ|アフリカ]]、[[メキシコ第二帝政|メキシコ]]、[[フランス領ポリネシア|南洋]]から[[フランス領インドシナ|アジア]]まで、世界各地をフランスが他の欧米列強と競いつつ征服する際の先兵になった。
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1884年の[[清仏戦争]]では、クールベ率いるフランス艦隊が[[馬江海戦]]で当時建設途上にあった[[清国海軍|清朝海軍]]([[福建艦隊]])を壊滅させた。 |
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==== 日本との関わり ==== |
==== 日本との関わり ==== |
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フランス海軍は[[下関戦争|四国艦隊の下関砲撃]]や明治三年の天保山沖での[[大日本帝国海軍|日本海軍]]初の[[観艦式]]など日本史にも少し関わっている。[[幕府海軍]] |
フランス海軍は[[下関戦争|四国艦隊の下関砲撃]]や江戸幕府の発案の下、技師ヴェルニーの指導で作られた[[横須賀造船所]]、︵ゲスト参加した﹁[[デュプレクス (コルベット)|デュプレ]]﹂ただ一隻の排水量が日本艦六隻の合計を上回った︶明治三年の天保山沖での[[大日本帝国海軍|日本海軍]]初の[[観艦式]]など日本史にも少し関わっている。[[幕府海軍]]が[[長崎海軍伝習所|伝習所]]でフランス海軍軍人を教官に雇い入れた縁で、[[戊辰戦争]]の[[宮古湾海戦]]では幕府軍の﹁[[回天丸|回天]]﹂が新政府軍の﹁[[東艦|東︵甲鉄︶]]﹂へ、自主残留した教官ニコール直伝の[[移乗攻撃|接舷斬り込み︵アボルダージュ︶]]を披露するも撃退されている。
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日本海軍も設立当初はフランスからの技術導入に積極的で、 |
日本海軍も設立当初は海軍先進国フランスからの技術導入に積極的で、技師[[ルイ=エミール・ベルタン|エミール・ベルタン]]のへのいわゆる﹁[[松島型防護巡洋艦|三景艦]]﹂の設計依頼や軍艦の輸入を行った。1886年に﹁[[畝傍 (防護巡洋艦)|畝傍]]﹂が日本回航中に南シナ海で行方不明になるという事件も起こったが、﹁[[松島 (防護巡洋艦)|松島]]﹂は1894年の[[日清戦争]]において日本初の[[連合艦隊]]旗艦を務めた。しかし19世紀末に日本海軍の基本戦略が沿岸防御から外洋での機動打撃に移ると、日本海軍はフランス海軍式の低速巨砲艦よりイギリス海軍式の快速艦と[[速射砲]]の組み合わせを好むようになった。
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=== 技術革新 === |
=== 技術革新 === |
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[[19世紀]]後半のフランス海軍は、艦隊決戦ではなく通商破壊戦と沿岸防衛を主眼に置いて、仮想敵イギリスの[[制海権]]の優位に対抗するため、砲弾や[[装甲艦]]、[[潜水艦]]など軍艦における[[技術革新]]を主導した。[[クリミア戦争]]の頃から加速した、蒸気機関と冶金技術︵装甲︶の発達は1859年に﹁[[ラ・グロワール|グロワール]]﹂を生み、この艦は翌年完成した英国海軍の﹁[[ウォーリア (装甲艦)|ウォーリア]]﹂と並ぶ近代軍艦の祖となった。大砲と砲弾の発達が生んだ[[海防戦艦]]や[[砲艦]]、また[[魚雷|魚形水雷]]の発明により生じた﹁安価な小型艇の増備で英国の大艦隊にも対抗可能﹂とする青年学派の主張は[[水雷艇]]の発達も促し、急ぎ対策の必要性を迫られた英国海軍をして[[駆逐艦]]という新機軸を産ましめるに至った。
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[[19世紀]]後半のフランス海軍は、艦隊決戦ではなく通商破壊戦と沿岸防衛を主眼に置いて、仮想敵イギリスの[[制海権]]の優位に対抗するため、砲弾や[[装甲艦]]、[[潜水艦]]など軍艦における[[技術革新]]を主導した。[[クリミア戦争]]の頃から加速した、蒸気機関と冶金技術︵装甲︶の発達は1859年に﹁[[ラ・グロワール|グロワール]]﹂を生み、この艦は翌年完成した英国海軍の﹁[[ウォーリア (装甲艦)|ウォーリア]]﹂と並ぶ近代軍艦の祖となった。大砲と砲弾の発達が生んだ[[海防戦艦]]や[[砲艦]]、また[[魚雷|魚形水雷]]の発明により生じた﹁安価な小型艇の増備で英国の大艦隊にも対抗可能﹂とする青年学派の主張は[[水雷艇]]の発達も促し、急ぎ対策の必要性を迫られた英国海軍をして[[駆逐艦]]という新機軸を産ましめるに至った。
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加えて、世界各地に点在する植民地警備のための大量の(しかし戦闘が主目的ではない)軍艦の需要はフランスにおいて、[[通報艦|通報艦(植民地通報艦)]]という独自の艦種を発展させた。 |
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⚫ | 19世紀後半のフランス海軍の、鉄製汽走艦ながら木造の帆走戦列艦時代の空気を残す舷窓やマスト、下膨れのタンブル・ホームなど特徴的なデザイン(そして乾舷が低く、重心が高く外洋航行向きではないという特性も)は国ぐるみで関係が深かった[[ロシア海軍|帝政ロシアの海軍]]艦艇に強く影響を与えている。またフランス製の海防戦艦は[[ギリシャ海軍]]でも活躍した。 |
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⚫ | 19世紀後半のフランス海軍の、鉄製汽走艦ながら木造の帆走戦列艦時代の空気を残す舷窓やマスト、下膨れのタンブル・ホームなど特徴的なデザイン(そして乾舷が低く、重心が高く外洋航行向きではないという特性も)は国ぐるみで関係が深かった[[ロシア海軍|帝政ロシアの海軍]]艦艇に強く影響を与えている。またフランス製の[[イドラ級海防戦艦|海防戦艦]]は[[ギリシャ海軍]]でも活躍した。 |
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=== 第一次世界大戦 === |
=== 第一次世界大戦 === |
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[[ファイル:ALGERIEN.jpg|thumb|right|200px|[[アラブ級駆逐艦]]の一番艦「アルジェリアン」]] |
[[ファイル:ALGERIEN.jpg|thumb|right|200px|[[アラブ級駆逐艦]]の一番艦「アルジェリアン」]] |
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[[第一次世界大戦]]が勃発すると、[[ドイツ帝国海軍]]と[[オーストリア=ハンガリー帝国海軍]]が英仏に対して[[通商破壊]]を仕掛けた。 |
[[第一次世界大戦]]が勃発すると、[[ドイツ帝国海軍]]と[[オーストリア=ハンガリー帝国海軍]]が英仏に対して[[通商破壊]]を仕掛けた。戦争序盤に[[ペナン島|ペナン]]を襲った﹁[[エムデン (軽巡洋艦・初代)|エムデン]]﹂等の水上艦から、程なく[[Uボート]]へ脅威の中核が変わると外洋での対潜作戦行動が可能な[[駆逐艦]]が不足したため、フランスは1917年に駆逐艦の委託建造協定を[[日本]]と結び、12隻を発注した。日本では[[樺型駆逐艦]]の武装を変更した艦を建造し、受領したフランスは[[アラブ級駆逐艦]]として1936年頃まで配備していた。
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フランス海軍は[[オスマン帝国]]本土攻略をめざす[[ガリポリの戦い]]に参加した。しかし大戦全期間を通して[[中央同盟国|中央同盟]]側の海軍は北海・バルト海でのわずかな例外を除き[[現存艦隊主義|現存艦隊戦略]]に徹したため、フランス海軍は海戦と呼べるほどの大きな戦いを経験しなかった。大戦を通してフランス海軍が最も多く従事したのは地中海での船団護衛である。フランス海軍は[[ロシア革命|革命後のロシア]]への干渉戦争でも若干の戦闘を経験したが、ここでも海戦は生起していない。 |
フランス海軍は[[オスマン帝国]]本土攻略をめざす[[ガリポリの戦い]]に参加した。フランスは機雷で戦艦﹁[[ブーヴェ (戦艦)|ブーヴェ]]﹂を失い、防潜網で鹵獲された自軍の潜水艦が敵に再利用されすらした︵なおその艦を指揮したのは﹃[[サウンド・オブ・ミュージック (曖昧さ回避)|サウンド・オブ・ミュージック]]﹄で有名な[[ゲオルク・フォン・トラップ|トラップ大佐]]である︶。しかし大戦全期間を通して[[中央同盟国|中央同盟]]側の海軍は北海・バルト海でのわずかな例外を除き[[現存艦隊主義|現存艦隊戦略]]に徹したため、フランス海軍は海戦と呼べるほどの大きな戦いを経験しなかった。大戦を通してフランス海軍が最も多く従事したのは地中海での船団護衛である。フランス海軍は[[ロシア革命|革命後のロシア]]への干渉戦争でも若干の戦闘を経験したが、ここでも海戦は生起していない。
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勝ちはしたが、[[西部戦線 (第一次世界大戦)|陸上での戦い]]で甚大な被害を被ったフランスは、[[ヴェルサイユ条約]]の賠償でドイツから接収した艦艇で、大戦中は陸軍が急務で更新が後回しにされていた海軍戦力を増強することを意図し |
勝ちはしたが、[[西部戦線 (第一次世界大戦)|陸上での戦い]]で甚大な被害を被ったフランスは、[[ヴェルサイユ条約]]の賠償でドイツから接収した艦艇で、大戦中は陸軍が急務で更新が後回しにされていた海軍戦力を増強することを意図した。しかし目当ての戦艦群は[[スカパ・フローでのドイツ艦隊の自沈|スカパ・フローで一斉自沈]]した。
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==== 戦間期 ==== |
==== 戦間期 ==== |
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1922年の[[ワシントン海軍軍縮条約]]でフランスはイタリアと同等の主力艦保有比率を有することとなり、イギリス・アメリカ・日本に続く大海軍国となった。大戦後の欧州不況と[[世界恐慌]]を経てイタリアで[[ローマ進軍|ムッソリーニ]]、ドイツで[[ヒトラー内閣|ヒトラー]]が政権を獲得すると両国との関係は敵対的となり、この二国が(自国の[[1934年2月6日の危機|政情不安]]と[[マジノ線]]建設による軍事予算不足にも悩まされる)フランス海軍の仮想敵国となった。 |
1922年の[[ワシントン海軍軍縮条約]]でフランスはイタリアと同等の主力艦保有比率を有することとなり、イギリス・アメリカ・日本に続く大海軍国となった。大戦後の欧州不況と[[世界恐慌]]を経てイタリアで[[ローマ進軍|ムッソリーニ]]、ドイツで[[ヒトラー内閣|ヒトラー]]が政権を獲得すると両国との関係は敵対的となり、この二国が(自国の[[1934年2月6日の危機|政情不安]]と[[マジノ線]]建設による軍事予算不足にも悩まされる)フランス海軍の仮想敵国となった。 |
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一方、極東では[[上海市|上海]][[黄浦江]]上に、[[上海租界|租界]]に権益を持つ英・仏・米・日の4隻の軍艦が一列に停泊する情景が[[日中戦争]]期まで長く見られた。
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=== 第二次世界大戦 === |
=== 第二次世界大戦 === |
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* 『世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦』海人社 |
* 『世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦』海人社 |
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* 『Jane's Fighting Ships 2011-2012』 |
* 『Jane's Fighting Ships 2011-2012』 |
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* 『船の歴史事典』原書房、アティリオ・クカーリ、エンツォ・アンジェルッチ 共著/堀元美 訳 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2022年9月25日 (日) 07:30時点における版
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国防省 |
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海軍参謀本部 |
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歴史
フランス海軍は王室との伝統的な結びつきによりLa Royale ("the Royal")として親しまれてきたが、イギリス海軍︵Royal Navy︶に代表されるヨーロッパ諸国の海軍のように王室に関わる称号を戴くことはなかった。モットーは "Honneur, Patrie, Valeur, Discipline" ("名誉、祖国、勇気、規律")。これらの言葉は海軍のどの艦船のデッキにも刻まれている。英仏の長い長い戦争
中世の英仏百年戦争以来、フランスはイギリスと欧州においてライバル関係にあった。 1688年、イギリスで名誉革命が起こると、自らの支援するジェームズ2世を追放されたルイ14世はイギリスに対し敵対的な政策を取り、1690年にはビーチ―・ヘッド沖の海戦でトゥルヴィーユ率いるフランス艦隊がイギリス・オランダ連合艦隊に完勝した。両軍合わせて120隻超というこの海戦の規模は当時屈指のものだった。 フランス海軍は宰相リシュリュー、コルベールの采配に因る強大な国力を背景に欧州随一の規模を誇ったが、イギリス海軍も闘志と技量でこれに報い、英仏海峡両岸および大航海時代を経て世界各地に広がった植民地と本国を結ぶ長大な航路上で双方の船を襲い合った。この長い戦いの中で、ジャン・バール、フォルバン、デュゲイ・トルーアンなど現代までフランス海軍の艦名に引き継がれる海軍軍人兼私掠船船長が輩出された。 1745年にフランスは保護下にあるステュアート朝の王子チャールズ("チャールズ3世")をスコットランドに上陸させる作戦を企図したが、イギリスの海将ヴァ―ノンとアンソンの善戦の前に英本土進攻は阻止された。 帆走海軍時代の海戦では必ずしも敵艦を撃沈せず、むしろ報奨金が貰えるのでその方が得な移乗攻撃で拿捕する戦い方が主流だった。しかし18世紀中頃に英国海軍が戦術を改良し、統制の取れた(しかし柔軟性を欠く)一列陣形より個艦の状況判断を優先した(主導権を握りやすい)風上からの近接戦闘を重視するようになると、フランス海軍は徐々に1759年のキブロン湾の海戦や1761年のフィニステレ岬の海戦など、イギリス海軍に劣勢を強いられるようになった。アメリカ独立革命
北米大陸では1750年代より断続的に英仏両国間で植民地争奪戦が起きており、フランスがアカディアを失う劣勢になっていた。だがその戦費の負担に対する反発から1775年、北アメリカのイギリス植民地が反乱を起こし、翌年独立を宣言するとフランスは宿敵イギリスの敵となったこの﹁合衆国﹂への支援を決定。欧州沿岸でのジョン・ポール・ジョーンズの私掠船活動に便宜を図った他、フランス海軍をも動員して1778年のニューポート︵ナラガンセット湾︶の海戦でイギリス軍に勝利した。1781年のチェサピーク湾の海戦ではド・グラース率いるフランス艦隊が、大陸軍に包囲されたヨークタウンの支援に来たグレーヴス率いるイギリス艦隊を撃退。守将コーンウォリス率いるイギリス陸軍を降伏に追い込み戦局を決定的にした。 なおド・グラースは翌年、英仏艦隊の主戦場となっていたカリブ海のドミニカ島沖︵セインツ海峡︶の海戦でロドネー率いるイギリス艦隊に敗れ落命した。フランス革命の混乱
絶対王政時代の常識でフランス軍も兵卒は平民、将校は貴族と分かれていたが、1789年に︵アメリカ独立の影響も受けて︶フランス革命が起きるとその高級将校の多くが失脚した。しかし陸軍以上に高度な熟練が要求される海軍では実務に長けた将校の急な補充・育成は容易ではなく、このため続くナポレオン戦争期になっても海軍は宿敵英国海軍に対し常に劣位の戦いを強いられた。ナイル︵アブキール︶やトラファルガー岬沖の海戦など名将ネルソンの前にフランス海軍は大敗を重ね、ナポレオンが企図したドーバー海峡を渡っての英本土進攻をついに実現させられなかった。 大西洋を越えて海軍が陸軍部隊を輸送・展開する能力が大幅に低下したことで、フランスはこの時期にサン=ドマング︵ハイチ︶やルイジアナといった新大陸の植民地も相次いで失った。植民地獲得の先兵
ワーテルローの戦いの敗北でナポレオンが完全失脚した後、1827年のナヴァリノの海戦を最後に欧州で大きな海戦は起きなくなった。復古王政を率いるシャルル10世は国内の政治的不満のガス抜きのために海外植民地の再獲得に着手。1830年のアルジェリア出兵を始まりとするこの海外進出の大方針は19世紀中、フランスの体制が王政、帝政、共和政と目まぐるしく変わっても基本的に維持され、フランス海軍はアフリカ、メキシコ、南洋からアジアまで、世界各地をフランスが他の欧米列強と競いつつ征服する際の先兵になった。 1884年の清仏戦争では、クールベ率いるフランス艦隊が馬江海戦で当時建設途上にあった清朝海軍︵福建艦隊︶を壊滅させた。日本との関わり
フランス海軍は四国艦隊の下関砲撃や江戸幕府の発案の下、技師ヴェルニーの指導で作られた横須賀造船所、︵ゲスト参加した﹁デュプレ﹂ただ一隻の排水量が日本艦六隻の合計を上回った︶明治三年の天保山沖での日本海軍初の観艦式など日本史にも少し関わっている。幕府海軍が伝習所でフランス海軍軍人を教官に雇い入れた縁で、戊辰戦争の宮古湾海戦では幕府軍の﹁回天﹂が新政府軍の﹁東︵甲鉄︶﹂へ、自主残留した教官ニコール直伝の接舷斬り込み︵アボルダージュ︶を披露するも撃退されている。 日本海軍も設立当初は海軍先進国フランスからの技術導入に積極的で、技師エミール・ベルタンのへのいわゆる﹁三景艦﹂の設計依頼や軍艦の輸入を行った。1886年に﹁畝傍﹂が日本回航中に南シナ海で行方不明になるという事件も起こったが、﹁松島﹂は1894年の日清戦争において日本初の連合艦隊旗艦を務めた。しかし19世紀末に日本海軍の基本戦略が沿岸防御から外洋での機動打撃に移ると、日本海軍はフランス海軍式の低速巨砲艦よりイギリス海軍式の快速艦と速射砲の組み合わせを好むようになった。技術革新
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/Toulon_fleet-Bougault-img_3149.jpg/200px-Toulon_fleet-Bougault-img_3149.jpg)
第一次世界大戦
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/ALGERIEN.jpg/200px-ALGERIEN.jpg)
戦間期
1922年のワシントン海軍軍縮条約でフランスはイタリアと同等の主力艦保有比率を有することとなり、イギリス・アメリカ・日本に続く大海軍国となった。大戦後の欧州不況と世界恐慌を経てイタリアでムッソリーニ、ドイツでヒトラーが政権を獲得すると両国との関係は敵対的となり、この二国が︵自国の政情不安とマジノ線建設による軍事予算不足にも悩まされる︶フランス海軍の仮想敵国となった。 一方、極東では上海黄浦江上に、租界に権益を持つ英・仏・米・日の4隻の軍艦が一列に停泊する情景が日中戦争期まで長く見られた。第二次世界大戦
第二次世界大戦開戦当初、フランス海軍は連合国側として枢軸国相手に参戦し、ノルウェーの戦いでは軽巡洋艦﹁エミール・ベルタン﹂を旗艦とする大型駆逐艦6隻、汎用駆逐艦5隻、補助巡洋艦6隻、潜水艦13隻を投入してナルヴィク上陸を支援した。しかし、ドイツ陸軍の侵攻速度が連合国軍の予想を上回り、上陸作戦を中止し、連合軍をアブリアル中将の指揮の元、ダンケルクの戦いなどに参加しフランス海軍は駆逐艦以下小型艦30隻と舟艇20隻を以って、フランス軍よりも先に撤退を開始するイギリス軍を送り届ける活動を行った。 イタリアの参戦後はイタリア海軍への備えとして仏領アルジェリアのメルセルケビール軍港に高速戦艦﹁ダンケルク級﹂2隻を擁する第1艦隊︵第1戦艦戦隊、第4巡洋艦戦隊、第2軽戦隊および空母﹁ベアルン﹂︶を待機させ、旧式ながら有力な火力を持つ戦艦﹁ロレーヌ﹂をアレキサンドリアに派遣した。イタリア参戦時にはトゥーロンに第3艦隊(第1巡洋艦戦隊、第2巡洋艦戦隊および第3軽戦隊)、アルジェにプロヴァンス級2隻の第2戦艦戦隊と巡洋艦戦隊2隊があり、他に仏領チュニジアのビゼルトに潜水艦戦隊6隊が派遣されていた。イタリア空軍が1940年6月12日にビゼルト港を空襲し、トゥーロンを夜間爆撃を行ったため、フランソワ・ダルラン元帥の立案でトゥーロンの﹁アルジェリー﹂以下重巡洋艦4隻と駆逐隊3隊が第3艦隊司令長官エミール・アンドレ・アンリ・デュプラ中将の指揮の下出撃し、他の連合軍に先駆けてイタリア本土への艦砲射撃︵ヴァード作戦︶も行った。フランスの降伏
1940年6月、フランス降伏によりフランス海軍はその艦艇の大部分をナチス・ドイツ海軍の手の届かない本国以外の植民地に退避させたが、そのうちの主力の一部はドイツの手に落ちることを恐れた英国首相チャーチルにより、1940年7月、アルジェリアのメルセルケビールにおいてイギリスの攻撃を受けた︵メルセルケビール海戦︶。 一方、イギリスのポーツマスとプリマスには弩級戦艦クールベ級﹁クールベ﹂﹁パリ﹂にサフィール級潜水艦﹁リュビ﹂など7隻と駆逐艦10隻、舟艇約200隻があった。これら艦艇は7月3日にイギリス海軍により武装解除され、乗員は陸上に隔離された。物資輸送の途中、マルティニークにあった空母﹁ベアルン﹂と軽巡洋艦2隻は現地で抑留された。一方、アレキサンドリアのフランス艦隊は主砲を向ける英国艦隊の前で水兵達が戦争で汚れた甲板磨きを行うパフォーマンスで場を和ませ、英仏艦隊司令長官同士の話合いにより平和裏に武装解除が行われた。二つのフランス海軍
これらの海外に展開していたフランス海軍は武装解除を受けたが、後に自由フランスを旗揚げしたシャルル・ド・ゴールの指揮下に入り、6月28日にミュズリエ提督の下、自由フランス海軍︵FFNF︶として再編成された。戦艦﹁クールベ﹂には軍港の防空を担うために自由フランス海軍の人員が配置され、宿泊艦兼練習艦となった。その中でいち早く活動を開始したのは駆逐艦以下の小艦艇で、船団護衛や沿岸哨戒任務、枢軸国への通商破壊任務を行った。小艦艇の数に不足していたイギリス海軍にとっては後方を任せられる戦力が増えるのは歓迎すべき事であった。 連合国として本格参戦後はフランス本国のドイツ要塞陣地や親独ヴィシー・フランス側に付いた植民地への攻撃を行った。その中で最大の活動は9月に行われたダカール攻略作戦で、ヴィシー・フランス側に付いていたダカール艦隊を無力化すべく、主力はアンドルー・カニンガム提督率いるイギリス海軍で、自由フランス海軍は植民地通報艦﹁ブーゲンヴィル級﹂3隻と武装トロール船数隻が参加した。一方、ヴィシー・フランス海軍側には未完成戦艦﹁リシュリュー﹂の他、軽巡洋艦3隻、汎用駆逐艦3隻、通報艦6隻、潜水艦3隻が戦力として存在していた。両者が激しく戦いあったが決着が付かず、上陸作戦は中止されイギリス海軍の戦略的撤退となった。この戦いでヴィシー・フランス海軍のイギリスへの不信感は最悪のものとなった。 一方、自由フランス海軍はこの戦いでヴィシー側を勢い付かせないために11月には仏領ガボンを攻略。現地のヴィシー・フランス海軍の通報艦1隻を自由フランス海軍側の同型艦が沈めた。1941年春にはイギリスの支援を受けて仏領ソマリア解放作戦が実施され、自由フランス海軍の通報艦2隻が輸送船団を護衛した後、ジブチに進出して海上封鎖を行った。この折に仏領マダガスカルから出撃した潜水艦からの攻撃を受けたが双方に被害は出なかった。この時の潜水艦は1942年5月にイギリス軍がマダガスカルを攻略した時に、補助巡洋艦1隻と通報艦1隻と共に潜水艦3隻が撃沈された。 ヴィシー・フランス海軍側もその後は何もしていなかった訳ではない。1941年6月のイギリス軍のシリア・レバノン侵攻においてシリアベイルート戦隊司令のピエール・グートン少将の指揮下、大型駆逐艦2隻と潜水艦3隻を使い、仏潜水艦が英軽巡洋艦﹁エイジャックス﹂を攻撃して未遂に終わるも、大型駆逐艦2隻がオーストラリア第七師団を艦砲射撃して損害を与えている。この損害に慌てたイギリス地中海艦隊は水雷戦隊を派遣するも逆にJ級駆逐艦﹁ジェーナス﹂﹁ジャッカル﹂が返り討ちに遭い大破させられてしまった。この損害に業を煮やしたカニンガムは植民地海軍の艦艇を次々と引き抜き、ついにはドイツ攻撃を行っていた基地航空隊を動員してまで駆逐艦狩りを行なう羽目になったが、費やした労力に反比例してイギリス軍は結局この2隻を撃沈することは叶わなかった。 ヴィシー・フランス海軍は1942年11月のトーチ作戦の際にも果敢にイギリス海軍やアメリカ海軍と交戦した。カサブランカでは未完成の戦艦﹁ジャン・バール﹂が米戦艦﹁マサチューセッツ﹂と砲撃戦を行った。しかし、ジャン・バールは乗員の多くを陸戦隊として回していたばかりか2基の主砲塔のうち1基のみしか載っていない状態で戦闘を行ったため、マサチューセッツに撃ち負けて大破してしまった。また、軽巡洋艦﹁プリモゲ﹂や駆逐艦もカサブランカから出撃したアメリカ海軍と交戦したが大きな損害を出した。第二次世界大戦後から現在
第二次世界大戦後は戦勝国として扱われたものの、国土が戦場になった事でフランスは国力を消耗していた。フランスは19世紀、イギリスと並ぶ艦艇製造技術を持っており、日本の江戸幕府が幕末に初めての砲艦を発注したのもフランスであった。しかし普仏戦争から第一次及び第二次世界大戦にかけて幾度となく国土が大戦争の舞台となり、陸軍力編成を優先せざるを得なかった事もあり、独自の造船技術を会得した上でいち早く空母の有効性に着目した日本海軍や、日英同盟下で日本の手本となったイギリスのように戦間期にかけて海軍の整備は遅れ、特に太平洋地域におけるフランス海軍の活動は極めて限定された。例外的に目立った活動としては、仏領インドシナ政府に所属していた艦艇が、現在のカンボジア地域の領有権を巡ってタイ王国海軍と交戦した事件が挙げられる。この泰仏国境紛争は、タイと同盟を結んでいた日本の仲介により停戦した為、結局第二次世界大戦終結までに日仏両国の間で海戦が行われることはなかった。インド洋・太平洋での活動
2014年の日仏外務・防衛閣僚会合︵﹁2+2﹂︶以降、アジア太平洋地域での活動で日本との協力活動も増えた。2015年[1]、2018年のフローレアル級フリゲート艦﹁ヴァンデミエール﹂[2]、2017年の強襲揚陸艦﹁ミストラル﹂[3]の来日訓練、2019年はフリゲート艦﹁ヴァンデミエール(F-734)﹂と空母﹁シャルル・ド・ゴール﹂との訓練[4]及び北朝鮮関連の国連安保理決議に基づく経済制裁を履行する警戒監視活動に哨戒機﹁ファルコン200﹂を派遣参加[5]させることになっている。 インドとは2018年に相互の基地使用協定を締結。2021年4月にはインド東方ベンガル湾で、フランス海軍が主導する多国間軍事演習﹁ラ・ペルーズ﹂が実施され、インド海軍のほか日本の海上自衛隊、アメリカ海軍、オーストラリア海軍が参加した。これは中国の海洋進出への警戒感が背景にある[6]。同年5月には練習艦隊﹁ジャンヌ・ダルク﹂が日本を訪問し、これに合わせて5月11日~17日の日程で、乗り組んでいるフランス陸軍のほか、日本の陸上自衛隊水陸機動団、アメリカ軍と離島防衛を想定した共同訓練を実施した︵相浦駐屯地→九州西方海上→霧島演習場︶[7]。NATOへの復帰
ニコラ・サルコジ大統領によって、2009年にフランス軍をNATOの軍事機構へ復帰させると発表した。また、数年かけてフランス軍を45,000名削減し、小規模でも装備の充実した機動性の高い軍隊に再編成する。海軍も削減の例外ではなく、核戦力は最優先で保持されるが、フリゲートは18隻程度に削減される。NATOの共同作戦を重視した戦略に切り替えるとともに、EU加盟国の海軍艦艇を持ち寄り空母を中心とする部隊を編成する事を提案している。陸上への戦力投射
多くの植民地が独立したが、現在も旧植民地や海外県へ利権を持っているフランスは、警備用の艦艇をそれらの地域に常駐させている。冷戦の終結と増えつつある低強度紛争への対処の為、それらの艦艇は従来からの対潜警戒任務よりも、海上から陸上への戦力投射を重視した運用へ切り替えている。アメリカのフロム・ザ・シー戦略の小型版といってもよい。 ラファイエット級フリゲートとフロレアル級フリゲートは20~30名程度の特殊部隊のためのスペースがあり、搭載するヘリコプターも任務により対潜ヘリコプターと汎用・輸送ヘリコプターを積み替えて運用する事が出来る。大規模な部隊の正規戦よりは対テロなどの非正規戦への対処能力が向上している。旧式のデチエンヌ・ドルヴ級通報艦はFREMM計画によってアキテーヌ級駆逐艦の対地型で代替される予定。アキテーヌ級駆逐艦にも同様に特殊部隊用のスペースが確保される。主な海戦
●キブロン湾の海戦 ●ミノルカ島の海戦 ●ウェサン島の海戦 (1778年) ●マルティニーク島の海戦 ●ウェサン島の海戦 (1781年) ●ポルト・プラヤの海戦 ●チェサピーク湾の海戦 ●セインツの海戦 ●ナイルの海戦 ●トラファルガーの海戦 ●リッサ海戦 (1811年) ●ナヴァリノの海戦 ●クリミア戦争 ●下関戦争 ●普仏戦争の海戦 ●馬江海戦 ●ガリポリの戦い ●ダカール沖海戦 ●メルセルケビール海戦 ●コーチャン島沖海戦 ●カサブランカ沖海戦 ●スエズ動乱組織
海軍の全般組織は国防法によって規定される。1991年7月14日の政令第91-871号により成文化されて以降は、以下の5つを基本軸として各種運用がなされる。2007年現在現役兵約46,200人、文民10,300人が所属。 ●海軍参謀本部 ●水上部隊 ●海軍管区 ●支援部隊 ●教育機関指揮系統
部隊運用系統
軍事作戦については統合参謀総長の下で指揮され、海軍参謀総長はその補佐に当たる。 ●フランス本国 ●大西洋海軍管区司令官︵CECLANT︶ 司令部‥ブレスト ●地中海海軍管区司令官︵CECMED︶ 司令部‥トゥーロン ●海峡海軍管区司令官︵COMAR MANCHE︶ 司令部‥シェルブール ●海外 ●インド洋海軍管区司令官︵ALINDIEN︶ 司令部‥補給艦﹁ヴァール﹂ ●太平洋海軍管区司令官︵ALPACI︶ 司令部‥フランス領ポリネシア、パペーテ ●展開中の戦略海洋部隊︵ALFOST︶所属の潜水艦。部隊管理系統
以下の組織は海軍参謀総長の責任の下で管理される。 ●海軍戦闘部隊︵FAN︶ ●潜水艦部隊︵FSM︶ ●海軍航空隊︵AVIA︶ ●フュージリア海兵作戦コマンド︵FORFUSCO︶ ●フランス海軍コマンド︵Commandos Marine︶その他
●マルセイユ消防大隊︵Bataillon de Marins-Pompiers de Marseille︶ ●海上憲兵隊︵Gendarmerie Navale︶階級
士官は、将官は4階級であるが准将を置かず、代わりに中将と大将の間に上級中将が置かれている。上級中将は英米式の階級制を採用している国では、中将に相当し、中将と少将はそれぞれ少将と准将(代将)に相当する。制度上海軍大元帥となるAmiral de Franceが存在するが、1869年のフランシス・トマ・トレウアール以後の就任例は無い。また、海軍元帥となるAmiral de la flotteもかっては存在したが、フランソワ・ダルランただ一人に授与されたのみであった。佐官・尉官は3階級、その下に士官候補生︵Aspirant︶と海軍大学学生︵Élève-officier︶が存在している。 下士官は、上級3階級、下級2階級の計5階級。但し最上位のMajorは准尉と見なされるため、実質的には4階級である。その下に海軍学校学生︵Maîstrancier︶があるが、これは兵の最高階級と同一の扱いとなり、兵長相当である。兵は3階級、但し最下級のMatelotが厳密には2種に区分されるため実質4階級である。(フランス軍の階級および軍服 (フランス)#海軍の階級章も参照の事。)主要基地・施設
艦船基地 ●ブレスト海軍工廠 ●シェルブール軍港 ●トゥーロン軍港 ●ロリアン港 ●バイヨンヌ港 ●フォール=ド=フランス港︵マルティニーク︶ ●デグラ=デ=カンヌ港︵フランス領ギアナ︶ ●ポール・ド・ラ・ポアント・デ・ギャレ︵レユニオン︶ ●ジブチ市港︵ジブチ︶ ●ヌメア港︵ニューカレドニア︶ ●パペーテ港︵タヒチ島︶ ロング島については潜水艦基地であるが、統合参謀本部戦略海洋部隊が管理する。 航空基地 ●ランディヴィジオ海軍航空基地︵フィニステール県、固定翼艦載機部隊︶ ●ランヴェオック=プルミック海軍航空基地︵フィニステール県、ヘリコプターと固定翼練習機︶ ●ラン=ビウエ海軍航空基地︵モルビアン県、哨戒機など︶ ●ニーム=ギャロン海軍航空基地︵ガール県、哨戒機など︶ ●ディエール・ル・パリヴェストル海軍航空基地︵軍民共用。ヴァール県イエール、各種航空機︶装備
艦艇
2011年6月時点。﹃Jane's Fighting Ships 2011-2012﹄より。 歴代艦艇については﹁フランス海軍艦艇一覧﹂を参照。 戦略型原子力潜水艦弾道ミサイル潜水艦 ●ル・トリオンファン級×4隻 攻撃型原子力潜水艦 ●シュフラン級︵バラクーダ型︶×0隻︵1隻建造中、5隻計画中︶ ●リュビ級×6隻 原子力空母 ●シャルル・ド・ゴール︵R91 Charles de Gaulle︶ - 2001年 駆逐艦 ●フォルバン級︵オリゾン級︶×2隻 ●カサール級×2隻 ●アキテーヌ級×1隻︵対潜型9隻と防空型2隻の予定︶ ●ジョルジュ・レイグ級×7隻︵後期型x3隻︶ フリゲート ●ラファイエット級×5隻 ●デスティエンヌ・ドルヴ級︵フランス海軍の類別では通報艦︶×9隻 ●フロレアル級×6隻 哨戒艦 ●ラドロア︵L'adroit︶︵ゴーウィンド計画︶ - 2012年就役予定 ●Trawler型×1隻 ●アルバトロス︵P681 Albatros︶ - 1967年 ●ル・マリン︵P701 Le Malin︶ - 2005年購入 哨戒艇 ●アラゴ︵P675 Arago︶ - 1991年 ●P400型 ×7隻 ●OPV54型×3隻 強襲揚陸艦︵LHD︶ ●ミストラル級×3隻 ●ミストラル︵L9013 Mistral︶ - 2006年 ●トネール︵L9014 Tonnerre︶ - 2007年 ●ディクスミュード︵L9015 Dixmude︶ - 2012年 ドック型揚陸艦︵LSD︶ ●フードル級×2隻 ●フードル︵L9011 Foudre︶ - 1990年 ●シロッコ︵L9012 Siroco︶ - 1998年 戦車揚陸艦︵BATRAL︵LST︶︶ ●シャンプラン級×3隻 ●デュモン・デュルヴィル(︵L9032 Dumont D'urville︶ - 1983年 ●ジャック・カルティエ︵L9033 Jacques Cartier︶ - 1983年 ●ラ・グランディエール︵L9034 La Grandière︶ - 1987年 戦車揚陸艇︵LCT︶ ●EDIC700型×1隻 ●ダゲ︵L9052 Dague︶ - 1987年 ●CDIC型×2隻 ●ラピエール︵L9061 Rapiére︶ - 1988年 ●アルバード︵L9062 Hallebarde︶ - 1989年 ●EDA-R型×0隻︵4隻建造中、4隻計画中︶ ●2隻 - 2011年就役予定 ●2隻 - 2012年就役予定 中型揚陸艇︵LCM︶ ●CTM型×21 ●CTM17-31、CTM12-17 揚陸艇母艦︵LSL︶ ●ギャプー︵L9090 Gapeau︶ - 1987年 水路調査船 ●アンタレス︵Antarès︶級×3隻 ●アンタレス︵M770 Antarès︶ - 1993年 ●アルター︵M771 Altaîr︶ - 1994年 ●アルデバラン︵M772 Aldébaran︶ - 1995年 水中作業母船 ●ヴリュカン︵Vulcain︶級×4隻 ●ヴリュカン︵M611 Vulcain︶ - 1986年 ●プリュトン︵M622 Pluton︶ - 1986年 ●アシェロン︵A613 Achéron︶ - 1987年 ●スティクス︵M614 Styx︶ - 1987年 ●アリゼ︵A645 Alizé︶ - 2005年 ●水中作業母艇 ●VIP21型×9隻 ●ディオネー︵Y790 Dionée︶、ミヨゾティス︵Y791 Myosotis︶、ギャルデニア︵Y792 Gardénia︶、リゼロン︵Y793 Liseron︶、マグノリア︵Y794 Magnolia︶、アジョン︵Y795 Ajonc︶、ジェネ︵Y796 Genêt︶、ジロフリー︵Y797 Giroflée︶、アコント︵Y798 Acanthe︶ 機雷掃討艇 ●エリダン級×11隻 ●エリダン︵M641 Éridan︶ - 1984年 ●カシオペー︵M642 Cassiopèe︶ - 1984年 ●アンドロメド︵M643 Andromède︶ - 1984年 ●ペガーズ︵M644 Pégase︶ - 1985年 ●オリオン︵M645 Orion︶ - 1986年 ●クリュ・ド・シュド︵M646 Croix du Sud︶ - 1986年 ●エーグル︵M647 Aigle︶ - 1987年 ●リラ︵M648 Lyre︶ - 1987年 ●サジタリー︵M650 Sagittarie︶ - 1996年 ●セフェ︵M652 Céphée︶ - 1988年 ●カプリコーヌ︵M653 Capricorne︶ - 1987年 敷設艇 ●ラペルーズ︵Lapérouse︶級×1隻︵測量艦と同一船体で、水中作業支援艇を兼ねる︶ ●テティス︵A785 Thétis︶ - 1988年 海洋観測艦 ●ボータン・ボープレ︵A758 Beautemps-Beaupré︶ - 2003年 ●プルクワ・パ?︵Pourquoi Pas?︶ - 2005年 情報収集艦 ●デュピュイ・ド・ローム︵A759 Dupuy de Lôme︶ - 2006年 調査艇 ●VH8型×7隻 測量艦 ●ラペルーズ︵Lapérouse︶級×3隻 ●ラペルーズ︵A791 Lapérouse︶ - 1988年 ●ボルダ︵A792 Borda︶ - 1988年 ●ラプラス︵A793 Laplace︶ - 1989年 ●︵A743 Denti︶ - 1976年 ミサイル追跡艦 ●モンジュ︵A601 Monge︶ - 1992年 練習艇 ●シメール︵Y711 Chimere︶ ●レオパール︵Léopard︶級×8隻 ●レオパール︵A748 Léopard︶ - 1982年 ●パンテル︵A749 Panthère︶ - 1982年 ●ジャグワー︵A750 Jaguar︶ - 1982年 ●リンクス︵A751 Lynx︶ - 1982年 ●ゲパール︵A752 Guépard︶ - 1983年 ●シャカル︵A753 Chacal︶ - 1983年 ●ティグレ︵A754 Tigre︶ - 1983年 ●リオン︵A755 Lion︶ - 1983年 ●グリシーヌ︵Glycine︶級×2隻 ●グリシーヌ︵A770 Glycine︶ - 1992年 ●エグロンティーヌ︵A771 Eglantine︶ - 1992年 ●アンガジャント︵Engageante︶級×1隻︵1隻建造中︶ ●アンガジャント︵Y751 Engageante︶、ヴィギロント︵Y752 Viggilante︶ 練習帆船 ●ラ・ベル・プール︵La Bellle Poule︶級×2隻 ●レトワラ︵A649 L'étoile︶、ラ・ベル・プール︵A650 La Belle Poule︶ ●ラ・グラン・エルミヌ︵A653 La Grand Hermine︶ ●ミュタン︵A652 Mutin︶ - 1927年 補給艦 ●デュランス級×3隻 ●ヴァール︵A608 Var︶ - 1983年 ●マルヌ︵A630 Marne︶ - 1987年 ●ソンム︵A631 Somme︶ - 1990年 運送船 ●Chamois級×3隻 ●︵A633 Taape︶ - 1983年 ●︵A768 Élan︶ - 1978年 ●︵A775 Gazelle︶ - 1978年 ●RR4000型×1隻 ●︵A635 Revi︶ - 1985年 運送艇 ●VTP型×2隻 ●︵Y758 Kermeur︶、︵Y759 Kernaleguen︶ 設標船 ●︵Y692 Telenn Mor︶ Range Support Vessel ●Athos級×2隻 ●︵A712 Athos︶、︵A713 Aramis︶ 港内艇 ●V14型×10隻 ●︵Y754 Taina︶、︵Y762 L'etoile de Mer︶、︵Y763 Dharuba︶、︵Y765 Avel Mor︶、︵Y777 Palangrin︶、Y779-781、︵Y786 Auté︶、︵Y787 Tiaré︶ ●La Mitre級×5隻 ●︵Y680 La Mitre︶、︵Y681 Tour Royale︶、︵Y682 Leon︶、︵Y683 Cornouaille︶、︵Y684 Contentine︶ 支援艇 ●Phaéton級×2隻 ※ Towed Array Tender ●︵Y656 Phaéton︶、︵Y657 Machaon︶ ●Couach-Plascoa 980型×3隻 ●︵Y603 Nymphea︶、︵Y605 Gendarme Perez︶、︵Y710 General Delfosse︶ ●Arcor 34型×5隻 ●︵Y606 Lavande︶、︵Y703 Lilas︶、︵Gentiane︶、︵Sterden︶、︵An Heol︶ 放射能調査艇 ●コラリン︵A790 Coralline︶ 消防艇 ●Avel Aber級×3隻 ●︵Y783 Avel Aber︶、︵Y784 La Loude︶、︵Y785 La Divette︶ ●Las級×2隻 ●︵Y670 Las︶、︵Y671 Douffine︶ クレーン船 ●Y675級×5隻 ●Y675-679 航洋曳船 ●Malabar級×2隻 ●︵A664 Malabar︶、︵A669 Tenace︶ 曳船 ●Fréhel級×16隻 ●︵Y638 Lardier︶、︵Y639 Giens︶、︵Y640 Mengam︶、︵Y641 Balaguier︶、︵Y642 Taillat︶、︵Y643 Nividic︶、︵Y647 Le Four︶、︵Y649 Port Cros︶、︵A675 Fréhel︶、︵A676 Saire︶、︵A677 Armen︶、︵A678 La Houssaye︶、︵A679 Kéréon︶、︵A680 Sicié︶、︵A681 Taunoa︶、︵A682 Rascas︶ 港内曳船 ●RPC 50型×2隻 ●︵A641 Esterel︶、︵A642 Lubéron︶ ●Bélier級×3 ●︵A695 Bélier︶、︵A696 Buffle︶、︵A697 Bison︶ ●Maîto級×3隻 ●︵A636 Maîto︶、︵A637 Maroa︶、︵A638 Manini︶ ●RP10型×4隻 ●︵Y770 Morse︶、︵Y771 Otarie︶、︵Y772 Loutre︶、︵Y773 Phoque︶ ●P4型×26隻 ●P6、P13-24、P26-38 ●PSS10型×4隻 ●P101-104航空機
2011年6月時点。﹃Jane's Fighting Ships 2011-2012﹄より。 固定翼機 ●エンデバー EMB121 Xingu×11 ●グラマン E-2C ホークアイ×3 ●ダッソー ファルコン10MER×6 ●ダッソー ファルコン200 ガーディアン×5 ●ダッソー ファルコン50M×5 ●ダッソー ラファールM×28 ●ダッソーブレゲー アトランティク Mk.2×22 ●ダッソーブレゲー シュペル・エタンダール×34 ●ボーイング E-3F セントリー×4 ●CAP 10×7 ●モラーヌ・ソルニエ Rallye×9 回転翼機 ●アエロスパシアル SA319B アルエット3×25 ●アエロスパシアル SA330Ba ピューマ×100 ●ウェストランド リンクス Mk.4×25 ●ユーロコプター SA365F/N ドーファン2×3/6 ●ユーロコプター AS565MA パンター×16 ●ユーロコプター EC225×2 ●ユーロコプター EC725 R2 クーガー Mk.2Plus レスコ×4 ●ユーロコプター EC725 HUS×10 ●NHインダストリー NH90 NFH×2フランス海軍関連の著名人
︵生年順︶脚注
- ^ 日仏親善訓練の実施について 海上自衛隊海上幕僚監部(2015年10月19日)2021年5月14日閲覧
- ^ フランス海軍との共同訓練の実施について 海上自衛隊海上幕僚監部(2018年1月30日)2021年5月14日閲覧
- ^ 英海軍マーリンヘリコプターが佐世保へ 駐日英国大使館(駐日英国大使館(2017年4月28日)2021年5月14日閲覧
- ^ 防衛省・自衛隊:第5回日仏外務・防衛閣僚会合(「2+2」)[リンク切れ]
- ^ 「瀬取り」を含む違法な海上活動に対するフランスによる警戒監視活動 日本国外務省(2019年3月8日)2021年5月14日閲覧
- ^ 「日米豪印、仏と海上訓練 ベンガル湾 中国の海洋進出念頭」『朝日新聞』朝刊2021年4月6日(国際面)2021年4月30日閲覧
- ^ 【News Forecast】11~17日 3カ国、九州沖で離島防衛訓練/仏軍が初参加、中国にらむ『日本経済新聞』朝刊2021年5月9日(総合4面)2021年5月14日閲覧
参考文献
- 『世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史』海人社
- 『世界の艦船増刊第50集 フランス巡洋艦史』海人社
- 『世界の艦船増刊第17集 第2次大戦のフランス軍艦』海人社
- 『Jane's Fighting Ships 2011-2012』
- 『船の歴史事典』原書房、アティリオ・クカーリ、エンツォ・アンジェルッチ 共著/堀元美 訳
外部リンク
- フランス海軍公式サイト(フランス語)
- フランソワ・ダルランド公爵(フランス語)
- フランス海軍情報サイト(フランス語)(英語)