「1979年の広島東洋カープ」の版間の差分
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|スタジアム = [[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]<br>[[ファイル:Hiroshima Municipal Baseball Stadium 2008.JPG|center|320px]] |
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|前年=1978年の広島東洋カープ |
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|次年=1980年の広島東洋カープ |
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| キャッチフレーズ = 79 LET'S SPARK! |
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'''1979年の広島東洋カープ'''(1979ねんのひろしまとうようカープ)では、1979年の[[広島東洋カープ]]における動向をまとめる。 |
'''1979年の広島東洋カープ'''(1979ねんのひろしまとうようカープ)では、1979年の[[広島東洋カープ]]における動向をまとめる。 |
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このシーズンの広島東洋カープは、[[古葉竹識]]監督の5年目の |
このシーズンの広島東洋カープは、[[古葉竹識]]監督の5年目のシーズンである。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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出典<ref>プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、[[産経新聞出版]]、P198-P201、2015年</ref> |
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3年間優勝を逃し、今年こそ優勝と意気込む古葉監督だがチームは4月7日の開幕戦︵[[阪神タイガース|阪神]]戦︶からいきなり4連敗、その後もなかなか波に乗れず、5月28日の[[中日ドラゴンズ|中日]]戦で極度の不振で打率2割の[[衣笠祥雄]]を古葉監督は初めてスタメンから外し︵5月に入ると成績不振を見かねた[[松田耕平]]オーナーが﹁衣笠がこんなに打てないのに、どうして古葉君は使うんだ﹂と発言したことも古葉の耳に入った︶、衣笠のスタメン落ちで﹁自分も成績が悪ければ︵スタメンから︶落とされる﹂と奮起した主力の活躍もあり前半戦を首位の中日に3.5ゲーム差の4位とまずまずの成績で終えると、後半戦は8月17日の[[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]戦に勝って初めて首位立つと、もたつく大洋・中日・阪神など他球団を突き放して4年ぶり2度目のリーグ優勝と球団初の日本一に輝いた。打線は[[山本浩二]]・衣笠・[[水谷実雄]]・[[ジム・ライトル]}などが20本塁打をマーク、盗塁数は[[高橋慶彦]]などの活躍もあり断トツトップの143で得点もリーグトップの601を記録し投手陣もエース[[北別府学]]などが2ケタ勝利をあげ、前年同様打線の援護に助けられながらもチーム防御率は3.74と1位だった。
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投手陣は[[北別府学]]︵17勝11敗、防御率3.58︶、[[池谷公二郎]]︵12勝8敗、防御率4.88︶、[[山根和夫]]︵8勝4敗、防御率2.91︶、[[福士明夫]]︵7勝9敗1セーブ、防御率3.57︶の4人が先発ローテーションを守って[[規定投球回]]に到達した。抑えは移籍2年目の[[江夏豊]]が55試合登板、9勝5敗22セーブと大車輪の活躍で[[最優秀選手]]に選ばれた。打線は1番に俊足の[[高橋慶彦]]、中軸に[[山本浩二]]、[[衣笠祥雄]]、[[水谷実雄]]、[[エイドリアン・ギャレット]]、[[ジム・ライトル]]と長打力ある選手が揃っており、前評判は高かったが4月7日の開幕戦︵阪神戦︶からいきなり4連敗、その後もなかなか波に乗れず、5月28日の中日戦で極度の不振で打率2割の衣笠を古葉は監督になって初めてスタメンから外し︵5月に入ると[[松田耕平|オーナー]]の﹁こんなに打てないのに、どうして使うんだ。﹂と古葉の耳にも入ってきた︶、前半戦を首位の中日に3.5ゲーム差の4位、後半戦は古葉曰く思い描く試合ができるようになり、8月17日の大洋戦に勝って初めて首位に立つと、そのままトップで、10月6日に4年ぶり2度目のリーグ優勝、11月4日に球団初の日本一に輝いた。この年の日本シリーズ︵対近鉄︶第7戦の9回裏の攻防は[[山際淳司]]のノンフィクション小説﹁[[江夏の21球]]﹂として知られている。3割打者は6月6日から7月31日まで33試合連続安打のプロ野球記録を作った高橋の.304だけでチーム打率はリーグ5位の.257だったが、盗塁数は断トツトップの143で得点もリーグトップの601を記録した。投手陣は好調で、チーム防御率3.74、523失点とリーグトップの成績を収めた。
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== チーム成績 == |
== チーム成績 == |
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=== レギュラーシーズン === |
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{{1979年のセントラル・リーグ順位変動}} |
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{{1979年のセントラル・リーグ順位表|1位}} |
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== できごと == |
== できごと == |
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=== 7月 === |
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* [[7月31日]] - [[高橋慶彦]]が対巨人戦(広島)の1回に[[新浦寿夫]]から安打を打ち、日本プロ野球新記録の33試合連続安打。しかし直後の2回の守備で走者と交錯し負傷退場。翌日から欠場し、復帰した8月8日の対阪神戦は無安打で記録はストップ<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_july2/KFullNormal20080728152.html 【7月31日】1979年(昭54) “ドンくさい”男がスイッチ転向2年目でプロ野球新記録] |
* [[7月31日]] - [[高橋慶彦]]が対巨人戦(広島)の1回に[[新浦寿夫]]から安打を打ち、日本プロ野球新記録の33試合連続安打。しかし直後の2回の守備で走者と交錯し負傷退場。翌日から欠場し、復帰した8月8日の対阪神戦は無安打で記録はストップ<ref>[https://web.archive.org/web/20080911225912/http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_july2/KFullNormal20080728152.html 【7月31日】1979年(昭54) “ドンくさい”男がスイッチ転向2年目でプロ野球新記録] |
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スポーツニッポン 2008年7月28日</ref> |
スポーツニッポン 2008年7月28日</ref> |
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* 78 [[大下剛史]](守備走塁) |
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* 81 [[木下強三]](コーチ補佐兼寮長) |
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2024年5月19日 (日) 14:42時点における最新版
1979年の広島東洋カープ | |
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成績 | |
日本一 | |
日本S | 4勝3敗(対近鉄) |
セントラル・リーグ優勝 | |
67勝50敗13分 勝率.573 | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市 |
球場 | 広島市民球場 |
| |
球団組織 | |
オーナー | 松田耕平 |
経営母体 | 松田家(東洋工業創業者一族) |
監督 | 古葉竹識 |
キャッチフレーズ | |
79 LET'S SPARK! | |
« 1978 1980 » |
概要[編集]
出典[1] 投手陣は北別府学︵17勝11敗、防御率3.58︶、池谷公二郎︵12勝8敗、防御率4.88︶、山根和夫︵8勝4敗、防御率2.91︶、福士明夫︵7勝9敗1セーブ、防御率3.57︶の4人が先発ローテーションを守って規定投球回に到達した。抑えは移籍2年目の江夏豊が55試合登板、9勝5敗22セーブと大車輪の活躍で最優秀選手に選ばれた。打線は1番に俊足の高橋慶彦、中軸に山本浩二、衣笠祥雄、水谷実雄、エイドリアン・ギャレット、ジム・ライトルと長打力ある選手が揃っており、前評判は高かったが4月7日の開幕戦︵阪神戦︶からいきなり4連敗、その後もなかなか波に乗れず、5月28日の中日戦で極度の不振で打率2割の衣笠を古葉は監督になって初めてスタメンから外し︵5月に入るとオーナーの﹁こんなに打てないのに、どうして使うんだ。﹂と古葉の耳にも入ってきた︶、前半戦を首位の中日に3.5ゲーム差の4位、後半戦は古葉曰く思い描く試合ができるようになり、8月17日の大洋戦に勝って初めて首位に立つと、そのままトップで、10月6日に4年ぶり2度目のリーグ優勝、11月4日に球団初の日本一に輝いた。この年の日本シリーズ︵対近鉄︶第7戦の9回裏の攻防は山際淳司のノンフィクション小説﹁江夏の21球﹂として知られている。3割打者は6月6日から7月31日まで33試合連続安打のプロ野球記録を作った高橋の.304だけでチーム打率はリーグ5位の.257だったが、盗塁数は断トツトップの143で得点もリーグトップの601を記録した。投手陣は好調で、チーム防御率3.74、523失点とリーグトップの成績を収めた。チーム成績[編集]
レギュラーシーズン[編集]
1 | 遊 | 高橋慶彦 |
---|---|---|
2 | 二 | 木下富雄 |
3 | 右 | ライトル |
4 | 中 | 山本浩二 |
5 | 一 | 水谷実雄 |
6 | 左 | ギャレット |
7 | 三 | 衣笠祥雄 |
8 | 捕 | 水沼四郎 |
9 | 投 | 福士明夫 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 中日 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- | 広島 | -- |
2位 | 大洋 | 0.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 0.5 | 広島 | 2.5 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 10.0 | 大洋 | 6.0 |
3位 | 阪神 | 1.0 | 大洋 | 大洋 | 1.0 | 大洋 | 3.5 | 中日 | 4.5 | 大洋 | 10.5 | 中日 | 7.5 | |
4位 | 中日 | 1.5 | 広島 | 4.5 | 広島 | 2.0 | 阪神 | 3.5 | 巨人 | 5.0 | 巨人 | 12.0 | 阪神 | 8.0 |
5位 | 広島 | 3.5 | ヤクルト | 4.5 | 阪神 | 4.0 | 巨人 | 3.5 | 大洋 | 5.5 | 中日 | 12.5 | 巨人 | 10.5 |
6位 | ヤクルト | 5.5 | 阪神 | 6.0 | ヤクルト | 7.5 | ヤクルト | 11.0 | ヤクルト | 13.5 | ヤクルト | 18.0 | ヤクルト | 19.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 広島東洋カープ | 67 | 50 | 13 | .573 | 優勝 |
2位 | 横浜大洋ホエールズ | 59 | 54 | 17 | .522 | 6.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 57 | 14 | .509 | 7.5 |
4位 | 阪神タイガース | 61 | 60 | 9 | .504 | 8.0 |
5位 | 読売ジャイアンツ | 58 | 62 | 10 | .483 | 10.5 |
6位 | ヤクルトスワローズ | 48 | 69 | 13 | .410 | 19.0 |
日本シリーズ[編集]
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
---|---|---|---|---|---|
10月27日(土) | 第1戦 | 広島東洋カープ | 2 - 5 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
10月28日(日) | 第2戦 | 広島東洋カープ | 0 - 4 | 近鉄バファローズ | |
10月29日(月) | 移動日 | ||||
10月30日(火) | 第3戦 | 近鉄バファローズ | 2 - 3 | 広島東洋カープ | 広島市民球場 |
10月31日(水) | 第4戦 | 近鉄バファローズ | 3 - 5 | 広島東洋カープ | |
11月1日(木) | 第5戦 | 近鉄バファローズ | 0 - 1 | 広島東洋カープ | |
11月2日(金) | 移動日 | ||||
11月3日(土) | 第6戦 | 広島東洋カープ | 2 - 6 | 近鉄バファローズ | 大阪球場 |
11月4日(日) | 第7戦 | 広島東洋カープ | 4 - 3 | 近鉄バファローズ | |
優勝:広島東洋カープ(初優勝) |
オールスターゲーム1979[編集]
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
コーチ | 古葉竹識 | |
投手 | 江夏豊 | 12 |
北別府学▲ | 初 | |
内野手 | 三村敏之 | 4 |
高橋慶彦 | 初 | |
外野手 | 山本浩二 | 7 |
できごと[編集]
7月[編集]
●7月31日 - 高橋慶彦が対巨人戦︵広島︶の1回に新浦寿夫から安打を打ち、日本プロ野球新記録の33試合連続安打。しかし直後の2回の守備で走者と交錯し負傷退場。翌日から欠場し、復帰した8月8日の対阪神戦は無安打で記録はストップ[2]8月[編集]
●8月1日 - 対巨人戦︵広島︶で巨人投手の3連続死球で3人目の衣笠祥雄が左肩甲骨骨折、全治2週間の重傷を負ってしまい連続出場記録が終わったと思われたが翌2日の試合で7回代打で打席に入る。10月[編集]
●10月6日 - 広島が対阪神戦︵広島︶に4対3で勝利し、4年ぶりのセ・リーグ優勝。11月[編集]
●11月4日 - 大阪球場で行われた近鉄との日本シリーズ第7戦で9回裏無死満塁を守り切り4-3で勝利︵江夏の21球︶、初の日本一となる。選手・スタッフ[編集]
|
登録名変更
|
表彰選手[編集]
リーグ・リーダー | |||
---|---|---|---|
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
江夏豊 | 最優秀選手 | 初受賞 | |
最優秀救援投手 | 31SP | 2年ぶり2度目 | |
山本浩二 | 打点王 | 113打点 | 初受賞 |
最多出塁数 | 220個 | 初受賞 | |
高橋慶彦 | 盗塁王 | 55個 | 初受賞 |
その他 | |||
選手名 | タイトル | ||
三村敏之 | カムバック賞 |
ベストナイン | ||
---|---|---|
選手名 | ポジション | 回数 |
高橋慶彦 | 遊撃手 | 2年連続2度目 |
山本浩二 | 外野手 | 3年連続4度目 |
ダイヤモンドクラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
山本浩二 | 外野手 | 8年連続8度目 |
ライトル | 2年連続2度目 |
ドラフト[編集]
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 片岡光宏 | 投手 | 府中東高 | 入団 |
2位 | 永田利則 | 内野手 | 県立広島商業高 | 入団 |
3位 | 滝口光則 | 投手 | 山形南高 | 入団 |
4位 | 山中潔 | 捕手 | PL学園高 | 入団 |
出典[編集]
- ^ プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、産経新聞出版、P198-P201、2015年
- ^ 【7月31日】1979年(昭54) “ドンくさい”男がスイッチ転向2年目でプロ野球新記録 スポーツニッポン 2008年7月28日
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
優勝 | 広島東洋カープ | 2位 | 横浜大洋ホエールズ | 優勝 | 近鉄バファローズ | 2位 | 阪急ブレーブス |
3位 | 中日ドラゴンズ | 4位 | 阪神タイガース | 3位 | 日本ハムファイターズ | 4位 | ロッテオリオンズ |
5位 | 読売ジャイアンツ | 6位 | ヤクルトスワローズ | 5位 | 南海ホークス | 6位 | 西武ライオンズ |
:日本一 :前期優勝・日本シリーズ出場 :後期優勝(パ・リーグ) | |||||||