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中華思想

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華夷秩序から転送)

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[2][3][1][2][4]

[3](Hua-Yi distinction)sinocentrism

意味[編集]

古代漢民族のエスノセントリズム[編集]


[5][5]

[1]   [5]西[1]


四夷[編集]

中華思想の概念図 華と夷の関係は地方の部分として説明できる:地の中心に立つ天子が天のエネルギーを一身に受けとめ、そのエネルギーが、天子の身体から方形をなす地の四方にむけて同心方形を描きつつ水平拡散し、エネルギーのおよぶ範囲が「華=文明」の範域で、エネルギーが尽きるところから外方が、「夷=野蛮」となり、中国では、このような「天地相応」観念にもとづいて、天円地方の「地方」を華と夷に分けてきた[6]

[7][][ 1]



沿

西

西







西



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華夏[編集]


[5][5]

[9][10]


西
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歴史[編集]

春秋における中華と夷狄[編集]




500[11][12]


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清の中華思想[編集]


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西西退Q

1990調調19801990調43[18]

2016[19]

中華民国[編集]


[9]1912使[20]使China[21][22]1930[23][24][25][26]


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日本[編集]




西西西



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西[27]

朝鮮[編集]

朝鮮の歴史においては中国と直接国境を接しているため安全保障の背景から皇帝に対し臣下の礼をとり国内の敵対国との抗争に有利な立場を得たり儒教及びそれに伴う華夷観を受容し、中華に同化することで自国の格上げを図る道を選択するなど[28]、自らを「中国(大中華)と共に中華を形成する一部(小中華)」と見なそうとした。

ベトナム[編集]

ベトナムの歴史においては自国と中国を南国と北国、自国人と中国人を南人と北人と呼んで対比し両者の対等性の主張がしばしば行われた。『大越史記全書』に代表されるベトナム王朝の正史には中国への貢物の進呈や中国からの冊封の事実を記しているが朝貢使の派遣については「宋に如く」「清に如く」などと書かれ対等の外交関係とみなしている。

1010年に李公蘊ハノイに建都したことを賞賛する中でハノイが 地の利 を得たことの効果として李氏が宋に抵抗し占城を平らげることができ、その後の歴代帝王も中国に抗衡できたことを強調した[29]

1285年の元寇の記録には陳平仲中国語版が元軍に捕縛され王爵を以て降伏を勧告されたのに対し「むしろ(死んで)南の鬼になろうとも、北の王にはなるまいぞ」と呼んで元人に殺害されたことや[30]1370年に即位した陳朝芸宗が先朝日礼の国制がのそれに従わなかったのは「南北おのおの、その国に帝たる」がゆえんであるとして衣服楽章などを「北俗」に合わせることを拒否した[31]

1329年ごろに成立した国家祭祀を受けた神々の事績集越甸幽霊集においても李朝の仁宗の時(1076年)に来侵した宋兵に対して

南国山河南帝居 裁然分定在天書 如何逆虜来侵犯 汝輩行看取敗虚

と詩を吟ずるのが聞こえたとされ「南国の山河には南の帝が居る」という一句が北国や北の帝との対比を暗示している[32]

黎朝で儒教の礼制と科挙官僚制を基礎とする集権国家体制の確立を見るなか、「中国」を「北国」としそれに対する自らを「南国」とする国家意識(「南国意識」)が形成され、「中国」世界からの自立が意図された。明軍撤退後の1428年、黎朝を建国した黎利の命により儒者の阮廌が撰述した『平呉大誥中国語版』において

おもうに我が大越国は実に文献の邦たり。山川の封域すでに深くして、南北の風俗また異なる。趙の我が国をはじめて造れるより、漢唐宋元と各々一方に帝たり。強弱は時によりて不同ありといえども、豪傑は世に未だかつて乏しからず。

[33]1677[34]

19[33]

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(一)

(二)

(三)

(四)

(五)

西西


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 以下、竹内の引用する説文解字の説や、歴史上の文献により概略を述べる。

出典[編集]



(一)^ abcd[]

(二)^ ab -  2. . 2021828

(三)^ ab197131468 

(四)^ 197131103-104 

(五)^ abcde[]

(六)^ <(5) : >  : 51-22012288-118doi:10.14989/161191ISSN 1881-8323 

(七)^ NHK1999 

(八)^ []

(九)^ ab :  ︿() 31282010hdl:2065/36274NAID 500000542843https://hdl.handle.net/2065/36274 

(十)^ 

(11)^ 

(12)^ ︿2012ISBN 9784480015433 pp.194-196.

(13)^ NHK

(14)^ 1990[]

(15)^ 1994[]

(16)^ 1967[]

(17)^ 1994[]2004[][]

(18)^  P.2 

(19)^ Quadrante :  :  : 2020183169-174doi:10.15026/91617ISSN 1344-5987 

(20)^  2002, pp. 81.

(21)^  2002, pp. 8182.

(22)^  2002, pp. 85.

(23)^  2002, pp. 87.

(24)^  2002, pp. 88.

(25)^  2002, pp. 8992.

(26)^  2002, pp. 9899.

(27)^ []

(28)^ 171699

(29)^ 2: (1010)

(30)^ 5: 7(1285)2

(31)^ 7: 1115

(32)^ 3: 53

(33)^ abcd1995

(34)^ 19:5<1667>9

(35)^  -  YesNews

(36)^ 

(37)^   2018/2/6

(38)^  - 2017631 p.68-84, doi:10.11479/asianstudies.63.1_68, 

(39)^  -P7

(40)^   PHP P137

(41)^     1 

(42)^    2005514 p.83-87, doi:10.11479/asianstudies.51.4_83, 

(43)^ ,  :  : 162017218-231,180CRID 1520573330544050816 

(44)^ ...西. . (2017714). 2017716. https://web.archive.org/web/20170716120725/http://www.businessweekly.com.tw/article.aspx?id=20256&type=Blog 

(45)^ PHP

[]


 : ()4620021179-108ISSN 02893479CRID 1050282677926080128 

PHP︿PHP2013ISBN 9784569815466 NCID BB13742072http://id.ndl.go.jp/bib/024896037 

:PHPISBN 978-4-569-83745-1

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