鞆の浦
座標: 北緯34度22分51.173秒 東経133度22分46.878秒 / 北緯34.38088139度 東経133.37968833度
鞆の浦(とものうら)は、広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域(備後灘)である。
概要
[編集]歴史
[編集]古代
[編集]中世
[編集]近世
[編集]近代
[編集]港
[編集]鞆港
[編集]原港
[編集]平港
[編集]島嶼
[編集]仙酔島
[編集]大可島
[編集]鞆港の東側に隣接する島。慶長年間の鞆城築城により埋め立てられ陸続きとなっている。南北朝時代には大可島城が築かれ、合戦も行われた。頂部には円通寺が建てられている。江戸時代には船の出入りを見張る遠見番所が置かれた。また、大可島の麓には遊廓が栄え1678年に記された「色道大鑑」には国内を代表する25の遊郭のひとつにも挙げられていて遊郭建築の遺構も残っている。
つつじ島(躑躅島)
[編集]仙酔島の東に位置する無人島。
皇后島
[編集]弁天島
[編集]鞆町と仙酔島の間にある無人島。島内に弁天堂が建てられていることから弁天島と呼ばれている。
玉津島
[編集]鞆港の南に位置する無人島。現在は鞆港を囲む防波堤で繋がれ本土と陸続きとなっている。鞆港の天然の堤防となっていた。かつては「ふく島」と呼ばれていたが領主となった福島正則により「玉津島」に改名されたといわれる。また、現在はネズミのような形状から「ねずみ島」と呼ばれることもある。
山頂には玉津島神社祀られている。
津軽島
[編集]玉津島のさらに南に位置する無人島。
ギャラリー
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福山市営渡船乗場
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鞆城跡付近から望む大可島
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渡船場沖から望む弁天島
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福禅寺対潮楼から望む皇后島
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常夜燈と玉津島(左手)
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堤防で連繋される玉津島
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玉津島と連繋するL字形状の堤防
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玉津島から見た津軽島
市街部
[編集]鞆町の市街部は古代から「鞆」と呼ばれる港町として栄え、「鞆の浦」の名称の由来ともなった街である。現在では逆に鞆が鞆の浦と呼ばれることも多くなっている。
鞆の浦埋立て架橋計画問題
[編集]架橋計画は頓挫したが、市街地の狭隘な道路と渋滞の問題は残された。広島県は、2020年までに山側にトンネルを建設する計画を取りまとめ、早ければ2023年度までに完成させる計画を地元に示した。トンネルの残土を利用して原地区に交通・交流拠点が設けられ、大型バスの駐車場や仙酔島への渡船発着場、にぎわいスペースなどが整備される見込み[11]。
交通アクセス
[編集]- バス(トモテツバス[12])
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- 鞆線:福山駅南口 - 鞆車庫前 - 鞆の浦(ともてつバスセンター) - 鞆港
- 沼南線:松永駅南口 - 沼隈支所 - 荒神社前 - 鞆港 - 鞆の浦 - 鞆車庫前 1日2往復
- 鞆の浦グリスロバス:市営中島住宅前 - バスセンター - 鞆支所 - 平二会館 - 荒神社前 平日のみ1日3往復
- 福山市内定期観光バス:福山駅南口 - 福山自動車時計博物館 - 明王院 - 鞆の浦( - 福山駅)
- 2024年は4-7月と9-12月(12月22日まで)の土日祝に1日1便運行
- 航路
1954年(昭和29年)までは、鞆鉄道線が福山駅から発着していたが昭和29年に廃止。現在の“県道福山鞆線”がほぼその軌道跡である。
鞆の浦を舞台とした作品
[編集]周辺
[編集]- 磐台寺観音堂(阿伏兎観音)
参照
[編集]外部リンク
[編集]埋立て架橋関連のリンクは別記事の「鞆の浦埋立て架橋計画問題」へお願いします。 |
- 鞆公園 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 鞆の浦 澤村船具店-観光案内、ライブカメラなど
- 福山市鞆の浦歴史民俗資料館-公式ホームページ
- 足利義昭と"幻の鞆幕府" -戦国繚乱録
- 鞆の祇園さん 沼名前神社のホームページ
- 鞆物語 - 鞆の浦 日本でもっとも癒される港町 - 鞆の浦ポータルサイト
- みなとオアシス 潮待ちの港 鞆の浦 - 中国地方整備局
- VISIT鞆の浦-日本遺産 福山・鞆の浦公式ホームページ
- 瀬戸の夕凪が包む国内随一の近世港町 - 日本遺産ポータル
- 長崎大学附属図書館 幕末 明治期 日本古写真メタデータ データベース 。古写真