中山忠彦
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経歴[編集]
9歳で大分県に疎開。1950年に15歳で県展に入選。
中津西高校︵現・大分県立中津南高等学校︶卒業後上京して伊藤清永に入門。アルバイトのかたわら三輪孝主宰の阿佐ヶ谷洋画研究所に学ぶ。1965年の結婚以来は、良江夫人をモデルにした美人画を描き続けた。
●1954年 - 日展に入選。
●1958年 - 白日会会員に推挙される。
●1996年 - 日本芸術院賞受賞
●1998年 - 芸術院会員となる。
●2002年 - 伊藤清永の後任として白日会会長に就任。
●2009年 - 日展理事長に就任 (2013年に退任)。
●2015年 - 日展理事を退任し、新顧問に就任[1]。
●2019年 - 旭日中綬章受章[2][3]。
関連書籍[編集]
●﹃中山忠彦画集﹄︵ビジョン企画出版社、2006︶
脚注[編集]
[脚注の使い方]
- ^ “日展新人事、新役員・準会員決まる”. Art Annual onine. (2015年6月4日). http://www.art-annual.jp/news-exhibition/news/50446/ 2015年6月17日閲覧。
- ^ 『官報』号外第151号、2019年11月3日
- ^ “令和元年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. 2023年1月21日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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