宮之原謙
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宮之原 謙︵みやのはら けん、1898年︵明治31年︶2月9日 - 1977年︵昭和52年︶8月23日︶は日本の陶芸家。日展理事・参与、光風会理事などを歴任。東京教育大学窯業科講師を務めた。
略歴[編集]
1898年︵明治31年︶鹿児島市鷹師町生まれ[1]。麹町小学校、旧制麻布中学校卒業。早稲田大学建築科中退。1924年︵大正13年︶頃に川端画学校へ通い、山之内高門に日本画、宮川香山に陶芸を学んだ。また、板谷波山にも師事し、1927年︵昭和2年︶﹁東陶会﹂創立に参加。1929年︵昭和4年︶第10回帝展に﹁鉄砂釉竹又陶製花器﹂で初入選し、岡倉由三郎にインド哲学を学ぶ。1931年︵昭和6年︶第12回帝展に壁面照明﹁銀河﹂、翌年の第13回には釉薬象嵌﹁十字文花瓶﹂で連続して特選を受賞し、1933年︵昭和8年︶帝展無鑑査となった。また、佐々木象堂と共に﹁新潟陶苑﹂を創設し、越路焼の指導を行った。1937年︵昭和12年︶第1回文展をはじめとし、戦後の日展の審査員を務めた。1950年︵昭和25年︶日展参事となり、1958年︵昭和33年︶日展評議員、1969年︵昭和44年︶日展理事に就任。1973年︵昭和48年︶には日展参与となった。
受賞[編集]
●1956年︵昭和31年︶日本芸術院賞
作品[編集]
●﹁鉄砂釉竹又陶製花器﹂
●﹁銀河﹂
●﹁空﹂
●﹁泰山木大皿﹂
●﹁十字文花瓶﹂
●﹁挿花用花瓶一対﹂
●﹁牡丹文窯変花瓶﹂
●﹁彩盛上花瓶﹂
など
関連項目[編集]
脚注[編集]
[脚注の使い方]
- ^ 鹿児島市(1970) p.1071
参考文献[編集]
- 『日本美術年鑑』1978年
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年。http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-03.html。
外部リンク[編集]
日本芸術院賞受賞者 | |||||||||||||||||
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太字は恩賜賞受賞者。名跡は受賞時のもの。表記揺れによる混乱を避けるため漢字は便宜上すべて新字体に統一した。 |
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