アネクドート
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アネクドート︵анекдо́т、anekdot︶とは、ロシア語では滑稽な小話全般を指すが、日本ではそのうち特に旧ソ連で発達した政治風刺の小話を指して用いられることが多い。本来この言葉はギリシャ語のアネクドトン︵ανέκδοτον︶に由来し﹁公にされなかったもの﹂の意を表した[脚注 1]。同根の言葉である英語のアネクドート︵anecdote︶や、多くの言語での対応する言葉は逸話の意味で用いられている。この記事ではソ連時代を主としたロシアの政治的な小話について取り扱う。
概要
専制的なロシア帝国時代から、ロシアにおいて政治風刺を口にすることは危険なものだと考えられてきた。旧ソ連時代には、公的に発行されていた風刺雑誌﹃クロコジール﹄︵﹃クラカジール﹄とも。Крокодил、Krokodil︶で当時の政治的出来事を風刺することが少なからず認められていたものの、個人でそれを行うことはそのほとんどの時期を通じてやはり非常に際どいものであった。そうした抑圧的環境にもかかわらず、あるいはむしろそれゆえロシアにおけるユーモアは開放感をもつ文化として、またエリート層に対する対抗と冷やかしの手段として花開くこととなった。例えば、1970年代から1980年代初頭にかけてブレジネフのソ連停滞期には、比較的平和で政治的に安定した環境にあったため、むしろ鋭い政治的ウィットが世の中の至らなさへと向けられた。1990年代に専制的な支配体制が終わりを迎えるとともに、逆に政治風刺の衰退が西欧化の徴として惜しまれることになった。共産党支配の終焉後に現れた犯罪者まがいのビジネスマンのような新たなロシアの顔は、別の風刺の形を作り出している。 こうしたロシアの笑いにおいて最も一般的な形式が、﹁落ち﹂をもった小話であるアネクドートである。典型的なアネクドートは固定化された設定とお馴染みの登場人物をもった一連のカテゴリーからなっており、意外さの効果は言葉の上でのプロットや役割の無限のバラエティーによって担われていた。 政治的アネクドートがロシア内の人々の不満のはけ口となった一方、冷戦時代の西側ではこうした政治的アネクドート自体が政治的価値をもち、ソ連のイデオロギーの退廃を示すものとして広められた。さらにアネクドートとして紹介されるもののなかには、実際にはソ連生まれのもののみでなく外国生まれのものもある。日本では1970年代の読売新聞が、アネクドートをよく紹介していた。大きな類型
いくつかの雛形があり、人名や国名を入れ替えるだけでどこの国でも通用するものがある。 ●収容所で。A﹁俺は○○年に××を批判してここに来た﹂B﹁俺は○○年に××を擁護してここに来た﹂C﹁私が××だ﹂ ●社会主義国で失脚した独裁者が、食べ物を買おうと街に出て﹁俺がクビになった途端に行列だらけだ﹂ ●独裁者がお忍びで映画館に。ニュース映画では独裁者の映像ばかり。観衆は本人以外大喝采。﹁あんた、気持ちはわかるけどね、ぶち込まれたくなかったら拍手しなよ﹂ ●社会主義国の小スターリンが、晴天の中を傘を差して歩いている。﹁あいつは何をしているんだ?﹂﹁モスクワが雨なんだろ﹂ ●資本主義国で。学生﹁我が国でも社会主義国家は建設できますか?﹂教授﹁何のために?﹂ ●ユダヤ人の会話。﹁上の兄は○○で社会主義国家を建設している。下の兄も××で社会主義国家を建設している﹂﹁他に兄弟は?﹂﹁テルアビブに弟がいるよ﹂﹁やっぱり社会主義国家を?﹂﹁馬鹿言え、何で自分の国で﹂ ●社会主義国家の宣伝員﹁革命が成就した暁には…︵明るいビジョンを述べる︶﹂老人﹁ああ、やっと昔のように生活できるのか﹂ ●老人が閉鎖された教会を拝む。政府の人間﹁おいあんた、そんなところに祈っても無駄だ。祈るなら○○︵国家元首︶にしなさい﹂老人﹁○○さま、どうか共産党のやつらを早く追い払ってください﹂ ●社会主義国の元首が死んで天国の門を叩いた。門番﹁お前は地獄行きだ。帰れ帰れ﹂数日後、天国の門を叩く鬼の一団が。門番﹁何だお前らは﹂鬼﹁我々は地獄からの難民第一陣だ﹂ ●﹁道を歩いていたら、○○が串刺しにされていた。××も串刺しにされていた。そして△△も。﹂﹁それで?﹂﹁どうだ? 気分がすっきりしただろ?﹂様々な政治的アネクドート
ソ連刑法58条では反ソ的プロパガンダには最高で死刑を適用できた。政治的アネクドートを口にすることは、旧ソ連の人々にとって一種の危険なスポーツのようなものとみなされていた。 ●モスクワの街頭にて。 ﹁今度﹃プラウダ﹄が懸賞つきで政治ジョークを募集するらしいぜ。﹂ ﹁へえ、一等賞はなんだい?﹂ ﹁シベリアへの長期休暇さ。﹂ ●判事が頭を抱えて笑い転げながら法廷から出てきた。同僚の判事が寄ってきて一体何がそんなに可笑しいのかと尋ねた。﹁今世界で一番おかしなアネクドートを聞いたからね。﹂ ﹁へえ、どんな話なのか教えてくれよ。﹂同僚の判事が聞いた。﹁そりゃ無理だ。だって、たった今それを言った奴に10年の刑を喰らわせてきたとこだしね。﹂共産主義に関するもの
マルクス・レーニン主義の理論によれば、共産主義とは社会主義の段階を経て達成される社会発展の最終段階であるユートピアを意味していた。ブレジネフはソ連が共産主義を構築しようと邁進している発達した社会主義の段階にあると規定していた。 ●﹁共産主義が実現すれば電話で食べ物が注文できるようになるって本当?﹂ ﹁ああ、もちろん。そしてテレビで注文した料理を見て楽しめるようになるよ。﹂ ●老いた古参のボリシェビキがもう一人に話しかけた、﹁ああ友よ、我々は共産主義の実現まで生きてはいまい。しかし我々の子供たちなら… ああ、なんとかわいそうな子供たちよ。﹂ ●資本主義国と社会主義国のおとぎ話の違い──資本主義国では﹁むかしむかしある所に、…﹂で始まるが、社会主義国では﹁やがて、いつかは、…﹂で始まる。 ●コルホーズの議長が共産主義になれば腹一杯食事を取ることができると演説していた。すると、1人のコルホーズ員が﹁我々は共産主義へ向かって進んでいるのになぜ、食料が不足しているのか?﹂と尋ねた。 するとコルホーズの議長は次のように答えた。﹁行軍中は食事をするものではない。﹂ ●﹁共産主義社会になれば、秘密警察もなくなるのですか?﹂ ﹁ご存知のように、共産主義社会では国家はその抑圧手段とともに廃止されます。その段階では、人民はどのようにして﹃自己逮捕﹄[1]するか知るようになるのです。﹂ ●宇宙から帰還したガガーリンの歓迎パーティにロシア正教のモスクワ総主教アレクシイ1世が列席しており、ガガーリンに尋ねた。﹁宇宙を飛んでいたとき、神の姿を見ただろうか?﹂﹁見えませんでした。﹂﹁わが息子よ、神の姿が見えなかったことは自分の胸だけに収めておくように。﹂ 暫くしてフルシチョフがガガーリンに同じことを尋ねた。総主教との約束を思い出したガガーリンは先ほどとは違うことを答えた。﹁見えました。﹂﹁同志よ、神の姿が見えたことは誰にもいわないように。﹂ 共産主義では神の存在を否定している事を皮肉ったもの[2]。 ●Q.﹁民主主義と人民民主主義の違いは?﹂ A.﹁ほとんど同じである。両者は椅子と電気椅子くらいしか違わない。﹂ ●Q.﹁歯が32本で足が4本、それってなーんだ? A.﹁それはワニである。﹂ Q.﹁歯が4本で足が32本、それってなーんだ?﹂ A.﹁それは共産党中央委員会(ツェーカ)である[3]。﹂ ●Q.﹁資本主義を説明せよ。﹂ A.﹁それは、ある人が他の人によって搾取されることである。﹂ Q.﹁それでは、社会主義ではどうか?﹂ A.﹁資本主義とは反対に、ある人が他の人を搾取する。﹂ ●Q.﹁﹃人間中心の社会主義﹄とはどのようなものか?﹂ A.﹁人間を、どの方向からでも搾取することができる仕組みだ。﹂ ●﹁社会主義における幹部養成政策ってキノコ栽培の要領でやられてるよね﹂ ﹁?﹂ ﹁頭角を現した者は直ぐに首を切られちゃうんだし﹂ ●あるソ連邦の船が人食い海賊団に捕らわれ、船員たちが食べられてしまうことになった。 船長﹁人食いの同志たち、これまでに集団化をやったことはあるか?﹂ 海賊﹁いいや﹂ 船長﹁では個人崇拝は?﹂ 海賊﹁ないね﹂ 船長﹁レーニン記念日のお祝いは?﹂ 海賊﹁知らんな﹂ 船長﹁どれも経験したことが無いのに、君たちが何故こんなに野蛮なのかが分からない...﹂ 共産党の掲げるさまざまなスローガンは格好のネタとなった。 ●﹃イリイチは死んだ。しかし彼の事業は生きている。﹄ ﹁逆の方が良かった﹂ ●﹃イリイチは死んだ。しかし彼の事業は生きている﹄ ﹁偶然だよね、﹃イリイチ[4]は死んだが、彼の体は生きている﹄﹂ 事業︵дело・delo︶と体︵тело・telo︶が韻を踏んでいる。 ●﹃共産主義とは、ソビエトの権力+全国土の電化である﹄ ﹁つまり、全国土の電化の無い共産主義がソビエトの権力ってことで、共産主義からソビエトの権力が無くならないと全国土の電化が実現されないことになるよね﹂ ﹃共産主義とは、ソビエトの権力+全国土の電化である﹄とは、共産党と農工業の近代化によって共産主義に到達することを説明するためにレーニンが掲げたスローガン。これを単純な算数の公理に適用したもの。 ●﹁勝利から勝利へと導く!﹂、頭の一語取ったら[5]﹁災難から災難へと導く![5]﹂ ﹁勝利から勝利へと導く!﹂はスターリン体制下のソ連国歌のサビ“Пусти от победы к победе ведет!”︵Pusti ot pobedy k pobede vedet!︶。 中には﹁共産党宣言﹂を著わし、社会主義国では神聖視されるのが常だったマルクスについて揶揄したものも存在する。 ●﹁お前の職業は?﹂﹁著述業です﹂ ﹁ふん、労働者じゃないな。ではお前の両親は?﹂﹁商売をしておりました[6]﹂ ﹁なんだ、ブルジョアか。お前の妻は?﹂﹁貴族の娘です[7]﹂ ﹁ああ、ダメだダメだ!お前は社会主義国には相応しくない!……あ、一応名前だけでも聞いておこうか﹂﹁……カール・マルクス﹂アルメニア・ラジオ
架空の放送局アルメニア・ラジオあるいはラジオ・エレバンは、どんな質問であろうとちゃんと答えてくれ、ソ連式の言論の自由を示していた。 ●Q.﹁ソ連にもアメリカのような言論の自由があるって本当ですか?﹂ A.﹁ええ、原則としてその通りです。ワシントンD.C.のホワイトハウスの前で﹃くたばれ、レーガン!﹄って叫んでも罰せられないのと全く同じように、モスクワの赤の広場の前で﹃くたばれ、レーガン!﹄って叫んでも罰せられません﹂ ●Q.﹁科学者のアンバルツミアンが公営宝くじでヴォルガ車を当てたって本当?﹂ A.﹁ええ、そうです。ただ、彼は科学者ではなくて警備員です。それに、名前はアンバルツミアンではなくてラビノヴィッチですね。あと、車ではなくて100ルーブルでした。それから、宝くじではなくてカードゲームでしたが。ただし、勝ったのではなくて負けました。しかし、その他の点ではあなたの言うとおりです。﹂強制労働キャンプに関するもの
スターリンの時代、強制労働キャンプの数は増え続け、1950年代の初めには170万人が収容されていた。 ●アブラモヴィッチは5年の刑を宣告され、10年間服役し、幸運にも刑期を残して釈放された。 ●アルメニア・ラジオに聞いた聴取者からの質問﹁我々の労働キャンプの環境はすばらしいって本当?﹂ A.﹁本当です。5年前に同じことを聞いたリスナーがいましたが、それを調べるためにキャンプに送られました。まだ戻ってきていませんが、そこがとても気に入ったからだそうです。﹂ ●とある強制収容所の大部屋に3人の男が収監されていた。 その中の1人が別の1人に尋ねた﹁なんでお前さんはここにブチ込まれたんだ?﹂﹁共産党の幹部だっていうポポフを批判したら、このざまさ﹂ ﹁へぇ、そうなのかい﹂尋ねた当人が言った。﹁こちとらポポフを支持したってんで、ここに送り込まれたんだがね﹂ 2人の会話を耳にして、また別の1人が言った﹁そのお前さんたちが言うポポフとやらはだな・・・﹂﹁﹁ん?﹂﹂﹁私のことなんだけどね﹂ ●記者﹁同志ブレジネフ、あなたがアネクドートを蒐集しているというのは本当ですか?﹂ ブレジネフ﹁その通りだが﹂ 記者﹁今までに、どのくらい集まったのですか?﹂ ブレジネフ﹁うむ、強制収容所が3か所半分くらい一杯になる分かな﹂ ●ある一家が一羽のオウムを飼っていたのだが、この鳥は﹁共産主義者の馬鹿ども!プロレタリアートのブタども!くたばれ共産党!﹂としゃべる代物だった。 この一家の住居を共産党の地方幹部が視察することになった。一家の夫人は住居をピカピカに掃除したが、オウムの扱いに困り、仕方がないので冷凍庫の中に放り込んでしまった。 ついに地方幹部がやって来て、整理整頓が行き届いた住居の様子をほめたたえ、そして去って行った。しばらくして夫人はオウムのことを思い出して、冷凍庫の扉を開けた。 出てきたオウムはさっそくしゃべり始めた。﹁共産主義の同志達ばんざい!くたばれ資本主義者ども!﹂ 夫人はオウムに、なぜこんなに変わってしまったのかを聞いてみた。 オウム﹁4時間もシベリア送りになれば、それでもう充分さ!﹂ ●Q.﹁強制収容所での暮らしはつらいものだそうだが、それは本当か?﹂ A.﹁最初の10年間は、確かにそうだ﹂ ●政治犯刑務所で、三人の受刑者がなぜここに来たのかを話し合っていた。 一人目﹁俺はいつも定刻の5分前に仕事へ行くので、スパイ容疑さ﹂ 二人目﹁俺はいつも5分遅刻するので、サボタージュ容疑さ﹂ 三人目﹁俺はいつも時間通りなので、西側製の時計を持っていると疑われたのさ﹂ ●政治犯刑務所で、二人の受刑者がなぜここに来たのかを教え合った。 一人目﹁俺が怠け者だったせいさ﹂ 二人目﹁サボタージュでもやったのかい﹂ 一人目﹁ある時、同僚と政治について話をしたんだ。その筋への密告はその次の日にしようと決めたんだが、そいつに先を越されてしまったのさ﹂ ●刑務所の受刑者たちが新入りを出迎えた。 受刑者﹁お前さん、刑期は何年だい?﹂ 新入り﹁15年だよ﹂ 受刑者﹁それで、何の罪で?﹂ 新入り﹁それが何もしていないんだ。無実の罪なんだよ﹂ 受刑者﹁おい、そんなことはないだろう ... 無実の罪の相場は10年だぜ﹂政治家に関するもの
政治家に関するアネクドートはそれぞれの性格を強調して描き出すものが多い。 歴代の人物を話題としたものでは、こんなものがある。 最高指導者たちの乗っている鉄道の列車が突然、急ブレーキを掛けて止まってしまった。前を見てみるとなんと線路が無くなっている! そこで彼らのすることは? ●レーニン: スボートニク︵休日返上の勤労奉仕日︶を宣言、労働者と農民に参加を呼び掛ける。 ●スターリン: 列車を動かさなかった罪で運転手を、線路を先へ敷かなかったのをサボタージュとして鉄道工事に関わった労働者を粛清する。 ●フルシチョフ: 列車の後ろの線路を撤去して、前の線路を作るのに使うよう命令する。 ●ブレジネフ: カーテンを閉めて、列車が動いていると思える様にレコードを聴く。 ●ゴルバチョフ: ﹁線路がない! 線路がないよ!﹂と叫んで列車を揺らす。 ●更にエリツィンが列車を破壊する・プーチンがその場にいた関係者を全員逮捕・投獄した上で秘密裏に線路を敷設させた、などとソ連崩壊・ロシア時代に続けることもある。 こんなものもある。 ●ある日薄汚れた身なりの男が文具店を訪れレーニンとスターリンの肖像画を10枚ずつ買っていった。一週間後同じ男が幾らかこざっぱりした身なりで訪れ今度は100枚ずつ買っていった。更に一週間後にはスーツを着こなした同じ男が今度は1000枚ずつ買っていった。そのまた一週間後外車で乗りつけ10000枚ずつ発注した男に店の主人がとうとう尋ねた。﹁この一ヶ月で肖像画を一体何に使ったんです?﹂男曰く﹁射的屋を開業したのさ。﹂レーニン
ウラジーミル・イリイチ・レーニンは、やさしく、子供好きで、分かち合いの精神を持ち、優しい目をしているなどのプロパガンダによって定着していたイメージをからかわれた。しばしば、革命政府のあったスモーリヌイ学院 (Смольный институт・Smolnyi institut、Smolny institute) で、秘密警察の長官ジェルジンスキーや農民の代表と会話する偽善的でずるい人物として登場した。 ●内戦の飢饉のころ、農民の代表が請願書を届けようとスモリヌイにやってきた。農民のひとりが訴えた、﹁我々はもはや馬のように草さえ口にしています。﹂ レーニンは励ますように言った。﹁大丈夫、何も心配することはない!我々もここで蜂蜜入りの紅茶を飲んでいるが、別に蜂のようにブンブン音を立ててはいないだろう。﹂ ●学校の教師が生徒たちを公園へと連れ出した。そこで彼らは子供の野ウサギを捕まえた。都会生まれの子供たちは誰もそれまでウサギを見たことがなかった。教師が尋ねた﹁これが何か知っている人?﹂しかし誰も答えなかった。﹁どうしたの?みんな、ほら歌にもでてくるし、いつも読んでる詩やお話にも出てくるでしょう。﹂ ﹁そっか、わかった!﹂ひとりの生徒がやさしくウサギの頭を叩きながら言った。﹁これがレーニンおじいさんだ。﹂ レーニンについてのプロパガンダが、あらゆるところに浸透していた事を皮肉っている。 ●﹁レーニンは政治家だろうか、学者だろうか?﹂ ﹁政治家だね。学者なら、人間でやる前に犬で実験しただろうから﹂ レーニンは﹁政治家﹂ではなく﹁学者﹂であるとされ、﹁政治家﹂扱いは禁じられていた。 ●レーニンが死んであの世に行った。神と悪魔が話し合ったが、彼を天国と地獄のどちらへ送ればいいものか決められない。そこでテスト期間として、1年ずつ地獄と天国に入れてみることになり、レーニンはまず地獄へ行った。 1年後に神と悪魔が再び会った。 神﹁様子はどうかね﹂ 悪魔﹁悪くない、彼は小悪魔たちを組織してピオネールを立ち上げたよ﹂。 レーニンは次に天国へ行ったが、1年経っても音沙汰がない。悪魔が天国の様子を見に行くと、神が難しい顔をして何やら書き物をしている。 悪魔﹁どうしたんだね﹂ 神﹁邪魔しないでくれ、第1回党大会の準備をしているんだ﹂スターリン
ヨシフ・スターリンは気難い人物とされ、それを皮肉ったブラック・ユーモアが多い。 ●﹁同志スターリン!この男はあなたにそっくりであります!﹂ ﹁射殺せよ!﹂ ﹁おそらく、ひげを剃ってしまえばいいのではないでしょうか。﹂ ﹁素晴らしい!ひげを剃らせておいて、それから射殺しよう!﹂ ●スターリンは党大会で報告を読み上げていた。そのとき誰かがくしゃみをした。 ﹁誰だ、くしゃみをしたのは?﹂(沈黙︶﹁第一列!立て!射殺せよ!﹂︵拍手︶ ﹁誰だ、くしゃみをしたのは?﹂︵沈黙︶﹁第二列!立て!射殺せよ!﹂︵長い長い拍手︶ ﹁誰だ、くしゃみをしたのは?﹂︵沈黙︶…そして背後から落胆しきったすすり泣く声がした ﹁わたしです。﹂スターリンは身を乗り出して言った、﹁お大事に、同志!﹂ ●スターリンが船遊びをしていて、川に落ちて溺れた。そこをたまたま通りかかった農民が助けた。スターリンは助けてくれた御礼として農民に褒美をやることにした。 スターリン﹁何かして欲しい事はあるか?﹂、農民﹁へい、私が閣下を助けたことを内緒にしてくださいまし。﹂ このジョークには、ヒトラーがユダヤ人に助けられるというバージョンもある。 ●メーデーのパレードに参加したあるユダヤの老人が、こう書かれたプラカードを掲げていた。﹁同志スターリン、幸せな少年時代をありがとう!﹂ これに気付いた党員が、老人に声をかけた。 党員﹁ちょっとあなた、我が党をからかっているんですか? あなたの歳だと、少年時代にはまだ同志スターリンは生まれてもいませんよ!﹂ 老人﹁そう、そのおかげで、わしは﹃幸せな少年時代﹄を送れたのじゃよ﹂ ●アメリカ人がこう自慢した。﹁我がフーヴァー大統領は、飲酒をやめるよう人々に教えたんだ﹂ ロシア人﹁それがなんだい。我がスターリン同志は、食事をやめるよう人々に教えたんだ﹂ ●スターリンが労働者たちの暮らし振りを確かめようと、クレムリンからお忍びで外出した。町を歩いていた彼はある映画館に入ってみた。映画の本編が終わると、ソ連邦国歌が流され、銀幕にはスターリンの肖像がでかでかと映し出された。観客たちは全員立ち上がって国歌を歌ったが、ご満悦のスターリンだけが座ったままでいた。 すると、彼の後ろに座っていた男が身をかがめて、スターリンの耳元でささやいた。﹁なあ同志、俺たちもあんたみたいに座っていたいのはやまやまなんだ。でも、あんたも立ちあがった方が面倒なことにならなくて済むんだぜ﹂ ●スターリンが党員たちの忠誠心を試そうと思い立った。彼はロシア人、ウクライナ人、そしてユダヤ人を呼び出すと、10階の窓から飛び降りるように命じた。 ロシア人は窓の外に目をやると哀願した。﹁同志スターリン、お許しを、私には家族と子供が...﹂ スターリン﹁もういい、逮捕しろ!﹂ ウクライナ人は窓の外に目をやると膝をついて懇願した。﹁同志スターリン、どうかお慈悲を、家族を養えるのは私だけ...﹂ スターリン﹁もういい、逮捕しろ!﹂ ユダヤ人は上着とズボンを脱ぎ、腕時計を外して、これらをスターリンに託した。﹁同志スターリン、私の妻に形見をお渡しください﹂そして窓から身を投げた。 しかし窓の下にはあらかじめ網が仕掛けられていて、命拾いしたユダヤ人は再びスターリンのもとへ連れて来られた。 スターリン﹁同志ラビノヴィッチ、君はすばらしい党員であることを証明してくれた。これは表彰に値するし、君は栄転もするであろう。しかし、あの勇気がどこから出たものか、ぜひ教えてくれないかね。﹂ ユダヤ人﹁同志スターリン、正直な所、今の暮らしを続けるより、いっそ死んだ方がましだと思ったんです﹂ ●スターリンが死んで、フルシチョフら党幹部たちは彼らのいるところから出来る限り遠くに葬りたかったのだが、国内はおろか他の国からも遺体の埋葬を断られる始末。党幹部らが困り果てたところ、イスラエルから﹁建国に際し干渉しなかった恩があるので引き受けよう﹂との申し出があった。 しかし、この申し出に対して以下の理由からフルシチョフはこれを丁重に断ったと言う。﹁だって彼の地では以前一人だけで復活しているじゃないか。﹂フルシチョフ
ニキータ・フルシチョフの話はしばしば彼が試みた経済改革について触れていた。特に彼はとうもろこしを導入したことから﹁とうもろこし男﹂ (кукурузник・kukuruznik) と呼ばれてさえいた。農業政策の失敗や都市開発、米ソ関係の悪化、1961年の党綱領の中で20年で共産主義を実現するといった約束、あるいは単にはげていることや下品さ、女たらしであることなどをからかわれた。 ●スターリン批判を行ったフルシチョフが、演説の最後に﹁何か質問はないか?﹂と言うと、後ろの方からおずおずと声がした。﹁では、お尋ねしますが、その時あなたは何をしていたのでしょうか?﹂ フルシチョフは真っ赤になってテーブルを叩いた。﹁誰だ、今の発言は?﹂会場はシーンとなり、誰も名乗り出なかった。 フルシチョフはさらに大声を張り上げて怒鳴った。﹁質問したのは誰だ!﹂ しばらくの沈黙の後、フルシチョフは一同をジロリと眺め回して言った。﹁そう、君たちと同様こんなふうに沈黙していたのだよ。﹂ ●Q.﹁フルシチョフはなぜ失脚したのか?﹂ A.﹁それは7つのК︵K、カー︶のせいだ。個人崇拝(Культ личности・Kul't lichnosti)、共産主義 (Коммунизм・Kommunizm) 、中国(Китай・Kitai) 、キューバ危機 (Карибский Кризис・Karibskii Krizis) 、とうもろこし (Кукуруза・Kukuruza) 、そしてクージカ(Кузька・Kuz'ka) のお袋。﹂ ロシア語で﹁クージカのお袋さんでも見せてやろうか!﹂とは﹁貴様を生き埋めにでもしてやろうか!﹂[8]︵“We will bury you.”≒﹁ぶっ殺すぞ!﹂︶の意味があり、フルシチョフは西側の大使の前でこの言葉を用いたとされたため外交問題となった。 ●﹁ソ連で最も偉大なマジシャンは誰だろう?﹂ ﹁フルシチョフさ、彼は中央アジアのカザフに種をまいて、カナダのサスカチュワンで収穫したのだもの。﹂ フルシチョフが農業政策の失敗によって、北米から小麦を輸入せざるを得なくなったことを指している。 ●フルシチョフとケネディが世間話をしていた。 フルシチョフ﹁我が国での今年のムギは、まるで電柱のように育っているんだ﹂ ケネディ﹁何だって、そんなに背が高く伸びているのかね﹂ フルシチョフ﹁いや、生えているムギ同士の間隔が、電信柱並みなんだ﹂ ●フルシチョフが養豚場を訪問した際のプラウダ紙の記事より﹁写真‥豚とフルシチョフ︵右から2番目︶﹂ ●フルシチョフがコルホーズを訪問した。同志フルシチョフは、いつものように陽気な冗談交じりで話しかけた。﹁どうだい、君んとこは?﹂ コルホーズの農民たちも、陽気な冗談で答えた。﹁大変上手くいってますよ!﹂ブレジネフ
レオニード・イリイチ・ブレジネフは、愚かでぼけた誇大妄想を抱いている人物として描かれた。また、勲章を多数胸につけるのを好んだこともよく皮肉られた。 ●1980年のモスクワオリンピックでブレジネフが演説を始めた。“O!”︵拍手︶“O!”︵大きな拍手︶“O!”︵さらに大きな拍手︶“O!”︵立ち上がって拍手喝采︶“O!!!”︵総立ちの鳴り止まない拍手喝采︶。側近が演壇に駆け寄ってささやいた。﹁レオニード・イリイチ、それはオリンピックの旗です。読む必要はありません。﹂ ●﹁レオニード・イリイチ…!﹂ ﹁おいおい、お互い同志の間柄でそんなにかしこまらなくてもよい。単に﹃イリイチ﹄と呼んでくれ[4]。﹂ ●﹁レオニード・イリイチ[4]は手術中です。﹂ ﹁また心臓か?﹂ ﹁いえ、胸郭を拡大する手術です。もうひとつ金星勲章 (Золотая Звезда・Zolotaya Zvezda、Gold Star) がつけられるように﹂。 ●政府が当該の委員会に尋ねた。﹁先ほどの地震の震源地はどこか?﹂ ﹁洋服掛けの下です。ブレジネフのパレード用の軍服が落ちたのです。﹂ ●ブレジネフは母親に自分が偉くなったところを見せて喜んでもらおうと、母親をモスクワへ呼んだ。豪華な執務室・幹部用住宅・幹部用別荘などを連れ回すうちにだんだん母親の顔が暗くなっていくのでわけを聞いたブレジネフに母親曰く、﹁お前が偉くなってくれたのは確かに嬉しいよ。でもレオニードや、赤軍が攻めてきたらどうするんだい?﹂ ●ブレジネフが誘拐されて誘拐犯から電話があった。﹁100万ドル払え。さもないとブレジネフを生かして帰すぞ。﹂ ●ブレシネフはスピーチ・ライターに怒鳴った﹁私は15分の原稿を依頼したのだぞ!なぜこれを読むのに1時間もかかってしまったのだ?﹂ ライターは答えた﹁いえ、同志ブレジネフ、原稿は確かに15分のものでした。ただ同志がコピーを4つ読まれたのです。﹂ ●ブレジネフは空港にサッチャー首相を出迎え、原稿を読み始めた。﹁親愛にして深く尊敬すべきインディラ・ガンディー殿!﹂ 補佐官が耳打ちした、﹁レオニード・イリイチ、マーガレット・サッチャーです。﹂が、再び書記長はメガネを直しながらもぐもぐ読み始めた。﹁親愛にして深く尊敬すべきインディラ・ガンディー殿!﹂ 補佐官は真っ青になりもう一度ブレジネフに直させようとしたところ、ブレジネフに耳打ちされた。﹁サッチャーだということは解っている。だが、ここにはこう書いてあるんだ!?﹂ブレジネフが指差した演説草稿にはこう記されていた。﹃親愛にして深く尊敬すべきインディラ・ガンディー殿!﹄ ●ある会議に現れたブレジネフが、左右の足に異なる靴を履いていた。片方の靴は明るい色で、もう片方が暗い色だった。これに気付いた人々は、いったん家に戻って、靴を履き換えて来るよう、ブレジネフに勧めた。するとブレジネフはこう答えた。 ﹁家には同じ靴があるだけだよ。今履いているのと同じ、片方が明るく、片方が暗いやつがね﹂ ●ブレジネフがソ連邦の宇宙飛行士たちを呼び集めた。 ブレジネフ﹁同志諸君、アメリカ人たちが月面に着陸したぞ。そこで協議の結果、諸君には太陽へ行ってもらうことになった﹂ 宇宙飛行士﹁しかしレオニード・イリイチ、それでは我々は焼け死んでしまいます﹂ ブレジネフ﹁うむ、しかし心配は無用だ。ロケットの打ち上げは日没後に行うものとする﹂ ●赤の広場で酔っ払いが﹁ブレジネフはバカだ!﹂と叫んでいた。直ぐ様KGBが駆けつけ酔っ払いを逮捕、彼は裁判にかけられ懲役22年の判決が下った。 ﹁国家侮辱罪で22年って、凄ぇ重くないんじゃねすかね?﹂﹁いや、国家侮辱罪に因るのは2年だけだ﹂﹁残りの20年は?﹂ 裁判官が酔っ払いの許へ行き小声で耳打ちした。﹁国家機密漏洩罪だ﹂[9]。 ●電話が鳴ったのでブレジネフが受話器を上げた、﹁もしもし、親愛なるレオニード・イリイチ[4]だ…。﹂ ●ブレジネフとコスイギン首相の間で、海外に出国する国民が増えている問題が話題になった。 ﹁このままだとソ連に残る者は、我々2人だけになってしまいかねんぞ。﹂とブレジネフは述べた。 コスイギンは答えた。﹁2人とは、閣下と誰のことを指すのでしょうか?﹂ ●イタリアの女優ソフィア・ローレンがブレジネフを表敬訪問した。 ﹁君の願いなら何でも叶えてあげようじゃないか。﹂ ﹁じゃあ、亡命したい方は無条件でさせてあげてくださいませんか?﹂ ﹁おいおい、もしかして君は私と二人きりにでもなりたいのかね?﹂ ●ある朝ブレジネフが目を覚ますと、東の空に昇ったばかりの太陽が﹁これはこれは、親愛なるレオニード・イリイチ、おはようございます﹂と恭しく挨拶した。驚いたブレジネフは側近や幹部に話したがさすがに信じる者は少なかった。そこでブレジネフは日没の際にまた挨拶するだろうと考え全員を呼び集めておいたが、太陽は知らん顔で沈もうとしていた。﹁おい、朝のあの恭しさはどうしたんだ!?﹂と怒鳴るブレジネフに太陽はやっと答えた。﹁貴様なんぞクソでも食らえだ、俺様は今﹃西側﹄にいるんだぞ!﹂ 旧東側諸国では、上記のアネクドート3件のブレジネフを、それぞれの国のトップに置き換えたバージョンが存在した。 ●ブラント西独首相が神に尋ねた。﹁神よ、西ドイツ経済はいつ良くなりますか。﹂神は答えた。﹁あなたの任期中に良くなる。﹂ ニクソン米大統領が神に尋ねた。﹁神よ、アメリカ経済はいつ良くなりますか。﹂神は答えた。﹁あなたの任期中には無理だ。﹂ ブレジネフソ連書記長が神に尋ねた。﹁神よ、ソ連経済はいつ良くなりますか。﹂神は答えた。﹁私の任期中には無理だ。﹂ 西ドイツ首相がシュミット、アメリカ大統領がカーターのバージョンも存在する。 また、ソ連崩壊後のボリス・エリツィンの際にもこのネタが使われ、そのバージョンでは︵既に再統一された︶ドイツ首相はコール、アメリカ大統領はブッシュであり、エリツィンが﹁神よ、ロシア経済は・・・﹂と尋ねている。アンドロポフ/チェルネンコ
短期に終わったアンドロポフとチェルネンコの時代には、人々はクレムリンで行われている棺桶の担ぎ順レースを興味深くながめた。アネクドートに登場する定番のキャラクターであるラビノヴィッチは年会費を支払ったので、葬儀に出席するチケットを買わずに済んだと言っている。 ●﹁権力の継承における専制君主制と社会主義の違いは何か?﹂ ﹁ツァーリズムでは権力は父から息子に継承されるが、社会主義では爺ぃから爺ぃに継承される。﹂ ●新任のアンドロポフのもとへ、あの世のブレジネフから手紙が届いた。 ﹁こちら地獄での暮らしは悪くないのだが、君がこちらに来るときにはわしにフォークとスプーンを持ってきてくれたまえ。ヒトラーが食事当番になると、あいつはわしにいつも意地悪をして、鎌とハンマーでメシを食わねばならないのだ﹂ ●死んだアンドロポフが、あの世でブレジネフに会った。 ﹁やあ、アンドロポフ君、しばらく。ところで、わしが机の上に忘れたメガネを持ってきてくれたかね?﹂ ﹁すみません、忘れました。でも、もうすぐチェルネンコが持ってきてくれますよ。﹂ゴルバチョフ
ミハイル・ゴルバチョフは、しばしば南ロシア訛りをからかわれたが、ペレストロイカの時代には、次々に出されるスローガンと効果のない改革、頭のアザ、夫人のライーサ・マクシーヴォヴナ・ゴルバチョーワがどこにでも首を突っ込むこと、米ソ関係がよく取り上げられた。 ●︵ペレストロイカの当時のレストランにて︶﹁なぜ、このミートボールは四角いのかね?﹂﹁ペレストロイカ︵建て直し︶!﹂ ﹁それに、生焼けじゃないか?﹂﹁ウスカレーニエ︵加速化︶!﹂ ﹁かじった跡があるぞ?﹂﹁ガスプリヨームカ︵国家品質承認︶!﹂ ﹁君はなぜそんなずうずうしいしゃべり方をするのかね?﹂﹁グラスノスチ︵情報公開︶!﹂ ●ペレストロイカは1986年4月に始まり、2007年4月に終了した。これこそ、ロシアが打ち立てた前人未到の世界記録であった。なにしろ、エイプリルフールが21年間にわたって、1700万平方キロメートルの国土で繰り広げられたのだから。 ●ゴルバチョフがソーセージを海外の検査機関に送って分析を依頼し程なく返事が来た。 ﹁ゴルバチョフ様、あなたの排泄物からは寄生虫は発見されませんでした。﹂ ●︵ゴルバチョフ政権当時のモスクワの肉屋の前にて︶ある男が肉を買いに商店へ出かけたが、どこも大変な行列。業を煮やした男は、﹁ゴルバチョフが悪いんだ、奴を殺してやる!﹂と言って 斧を持ってクレムリンに向かった。するとそこには、既に斧を持った人々の長い行列が出来ていた ●︵ゴルバチョフ政権当時のモスクワの酒屋の前にて︶﹁一体どうしてあの男はウォッカの販売を禁止したんだ!ゴルバチョフを殴ってくる!﹂と酒屋に並ぶ行列から一人の男がゴルバチョフの所へ向かった。しかし暫くしてその男は戻ってきた。別の男が﹁一体どうしたんだ?﹂と聞くと﹁この店の行列よりゴルバチョフを殴ろうとする奴の行列が長かった﹂と言った。 ●︵女性秘書と執務室で︶﹁君と一緒だと仕事が上手く進むんだ。喜ばしいから今日はウォッカで乾杯しようじゃないか!﹂ ﹁お酒を飲んではマズイわ…﹂ ﹁じゃ、裸で﹃肉体的友好﹄を図ろうじゃないか!﹂ ﹁いいわよ!﹂︵二人は下着姿に。秘書があわててドアを閉めようとする︶ ﹁あ、ドアは開けておきなさいよ。中で酒を飲んでいると思われたら困るから﹂ 以上の2つはゴルバチョフによるソ連版﹁禁酒法﹂を皮肉ったもの。彼は生産性向上のためにウォッカ生産と流通を著しく制限し、飲酒行為までも制限する法令を施行してキャンペーンも展開したが、これには国民から大きな反発を受けた。 ●︵新連邦条約の賛否を巡る[10]国民投票の出口調査員と︶﹁賛成・反対が33%で拮抗してますね﹂ ﹁残り34%は?﹂ ﹁どうやら食料の配給と勘違いしていたそうです・・・﹂エリツィン
ボリス・エリツィンの場合、ソ連最末期には急進改革派の象徴として英雄視されていたため好意的なものもあるが、ソ連崩壊後は彼自身の酒乱や失政を風刺するものなど、多くがブレジネフと共通していた。 ●ある日、ソビエト人民代議員大会開会中の議場に機関銃を持った男が乱入し、﹁ボリス・エリツィンはどいつだ!?﹂と怒鳴った。 人民代議員たちが蒼白になり一斉にエリツィンを指差すと、確認した男は安全装置を外しながら叫んだ。﹁よし、エリツィン、伏せてろ!!﹂ ●クリントン大統領がロシアを訪問した時、エリツィン大統領がロシア最新鋭の電話システムを披露した。 それは地獄と直通で通話できるシステムで、クリントンは地獄の鬼と会話した。通話料金は1ルーブルであった。 アメリカに戻ったクリントンは直ちに地獄との通話システムを開発させたがその通話料金には100ドルもかかった。 クリントンは﹁どうしてこんなに高いのか?モスクワでは1ルーブルなのに。﹂部下は答えた﹁はい大統領、モスクワから地獄まで接続は市内料金なので。﹂ ●エリツィンの倅が父親に尋ねた。 ﹁親父、お酒に酔うってどんな感じなんだ?﹂ エリツィン﹁簡単な例で言うとだな、そこのテーブルにある二つのグラスが四つに見えるような状態ってところだ﹂ 倅﹁親父…テーブルにはグラスは一つしかないんだが…﹂ ●赤の広場で酔っ払いが﹁エリツィンのクソッタレ!﹂と叫んだところ、クレムリンからも怒り狂った酔っ払いが出てきた。﹁今時、国家侮辱罪か国家機密漏洩罪で引っくくるのかい?﹂と酔っ払いがその相手に言うと、一発ぶん殴られることに。殴られて酔いが醒めた酔っ払いは、その相手が当のエリツィンだったことに初めて気がつき、慌ててその場を去った。プーチン
プーチンに関しては、彼がKGBの出身であることや強権的な政治を絡ませたものが多い。 ●﹁もう聞いたかい? プーチンはインフレを止める (задерживать・zaderzhivat'=ザジェールジヴァチ)ように政府に指示したそうだよ。﹂﹁それは不正確だ。彼はインフレを拘禁[11]の上で投獄するよう指示したんだから。﹂ ●プーチンの夢枕にスターリンの幽霊が立った。そこでプーチンは、国政をうまく進めるための秘訣を聞いてみた。 スターリン﹁まず民主主義者どもを全員捕まえ、撃ち殺してしまえ。その次に、クレムリンの内側を青く塗りたまえ﹂ プーチン﹁クレムリンの内側を青く塗るのは一体どうしてでしょうか﹂ スターリン﹁ふむ、思った通りだ、一つ目の項目については質問が出なかったな﹂ ●大統領選挙前、チュコト半島のチュクチ人のもとへモスクワから無償で人道援助物資が届けられた。中身は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、肉の缶詰だった。 チュクチ人はラジオをつけた。プーチンが話していた。テレビをつけた。プーチンが出演していた。 新聞を開いた。ページごとにプーチンの顔写真があった。雑誌を開いても――同じだった。 チュクチ人は震え上がった。缶詰を開けるのが恐ろしかったのだ。 ●当世流の﹃からすときつね﹄のお話し。 キツネがカラスに声を掛けた。﹁きみ、プーチンの選挙に行くのかい?﹂ カラスは黙って答えなかった。 キツネは再び声を掛けた。﹁きみ、プーチンの選挙に行くのかい?﹂ カラスはやはり黙っていた。 キツネは再三声を掛けた。﹁きみ、プーチンの選挙に行くのかい?﹂ カラスはようやくくちばしを開いて答えた。﹁イエス...﹂ するとくちばしの間からチーズが落ちてしまい、キツネはチーズをさっと奪い去ってしまった。 カラス﹁もし俺が﹃ノー﹄と答えたら、結果は同じだっただろうか?﹂秘密警察
KGBについてのアネクドートはトラの尾を引っ張ってみるような行いだとみなされていた。 ●チェーカー長官フェリックス・ジェルジンスキーは大の子供好きであった。彼の母親はこう証言する。﹁若い頃のフェリックスは本当に子供が好きで、すぐに射殺したりしませんでしたわ。﹂ ●レーニンが妻クループスカヤの出で立ちを見とがめた。 レーニン﹁ナデンカ、その汚れて破れたスカートは何だね﹂ ナデジダ﹁だって着る服が無いのですもの﹂ レーニン﹁そんなことはないだろう。タンスの中を見てみるぞ。ほら、青いシャツに、茶色のコンビネーション、革のジャケットに ... やあ、同志ジェルジンスキー ... それにちゃんとしたスカートもあるぞ﹂ ●スターリンがベリヤを呼び付けていった。﹁ワシの腕時計が見つからん。誰かが盗んだに違いない。すぐに犯人を捜し出せ。﹂﹁分かりました、同志スターリン。﹂ その後、腕時計がスターリンの机の中から出てきたので、再度ベリヤを呼んだ。﹁もういいベリヤ、腕時計は見つかった﹂﹁遅過ぎます同志。既に20人容疑者を逮捕しましたが、全員が犯行を自白しています。今銃殺刑に処する準備をしておりまして・・・﹂ ●天国の門に、死んだスターリンがやってきた。﹁私を天国に入れて下さい。﹂ 門番﹁それはできん。お前の行くところは地獄と決まっておる。﹂ スターリンはとぼとぼと地獄へと立ち去った。 やがてベリヤたちも同じように天国の門まで来たが、同じように地獄へと追い返された。 しばらくして天国の門に、鬼の一団がやってきた。 門番は驚いた。﹁お前らは何をしに来たんだ!?﹂ 鬼は言った。﹁俺達は地獄から亡命してきたんだ﹂ 秘密警察長官のベリヤがスターリンより権力があり、かつ冷酷であることを示すジョークである。 ●聡明なソ連人の5つの戒め (一)考えるなかれ。 (二)考えたなら、喋るなかれ。 (三)考えて喋ったなら、メモするなかれ。 (四)考えて喋ってメモしたなら、サインするなかれ。 (五)考えて喋ってメモしてサインしたなら、驚くなかれ。 ●秘密警察がその暗い陰をおとしていた頃の話。深夜、アパートのドアを激しく叩く音が響いた。 住人は息を潜め、誰も出ようとしなかった。しかしドアは叩かれ続けた。 ついにそのうちの一人が諦めてドアを開けた。次の瞬間、彼は喜色満面に振り返って大声で叫んだ。﹁みんな喜べ、隣の建物が火事だとよ。﹂ 上記2つは、秘密警察に逮捕されないための処世術をジョークのネタにしたものである。 ●KGBの職員2人が世間話をしていた。 一人目の職員﹁なあ、正直今の政権についてどう思う?﹂ 二人目の職員﹁まあ率直に言えば君と同じ感想だ。﹂ 一人目の職員﹁そうか。悪いが同志、君を逮捕する。﹂ ●KGBの職員が通り過がりの通行人に話しかけた。 KGB職員﹁あなたの政治的な立場はどんなものですか?﹂ 通行人﹁はあ、私が考えるに...﹂ KGB職員﹁それで結構、あなたを逮捕します﹂ 自由意思を持つことすら取り締まりの対象になるというブラックジョーク。 ●ホテルの相部屋に4人の初対面の男たちが泊まった。3人はすぐに打ち解け、ウォッカのボトルを空けて酔っ払い、騒がしく歌ったり政治的な笑い話を言い合ったりしていた。4人目は何とか必死で寝ようとしていたが、とうとう頭にきてこっそりと部屋を抜け出した。男は階下で案内係に﹁67号室にお茶を10分後に届けてくれ﹂と頼むと、部屋に戻ってパーティーに加わった。 5分後、前かがみになって何食わぬ顔で彼は灰皿に向かって話しかけた﹁同志少佐、67号室にお茶をお願いします。﹂しばらくすると件の案内係がお茶を持って入ってきた。部屋はしんとして、パーティーはお開きになった。こうして男はゆっくり眠ることができた。 翌日、目覚めてみると部屋には自分ひとりしかいなかった。驚いて再び案内係に尋ねた﹁他の人たちはどこに行ったのかね?﹂﹁ああ、KGBに逮捕されました。﹂ ﹁し、しかし、私はどうして…?﹂恐怖におののいて男は尋ねた。﹁ええ、彼らはあなたはそのままにしておくと決めたそうです。同志少佐がお茶のアネクドートでとても笑わせてもらったからって。﹂ 商業施設の灰皿や電話の受話器には必ずと言っていいほど盗聴器が仕掛けられていることを示している。 ●深夜、ラビノヴィッチの住居の扉を叩く者がいた。 ラビノヴィッチ﹁どなた?﹂ 来訪者﹁秘密警察だ。話があるので、扉を開けたまえ﹂ ラビノヴィッチ﹁そちらは何人さんで?﹂ 来訪者﹁二人だが﹂ ラビノヴィッチ﹁それじゃあ、あんた方の間で話しておいてくださいよ﹂ ●秘密警察にある男がやって来た。 男﹁すみません、私が飼っているオウムが逃げ出したんです﹂ 秘密警察の係員﹁こちらではそういう事案を扱っていません。警察の遺失物係が担当していますよ﹂ 男﹁警察にはこれから行くんです。その前に、オウムが何か政治的な話をしゃべっても、それはあくまでオウムの見解で、私とはいっさい無関係だってことを、こちらに届けておこうと思いまして﹂ ●ソ連のKGBとフランスのGIGNとアメリカのCIAは誰が一番犯人を捕まえるのがうまいか証明しようとしていた。 国連の事務総長は彼らをテストすることにした。彼は森に1匹のウサギを放つと、それを捕まえてくるよう各々に指示した。 CIAは、動物の情報提供者を森じゅうに配置した。さらに、植物や鉱物の目撃者に尋ねて回った。そうして3ヶ月に渡る徹底的な調査が終了した後、彼らはウサギは存在しないという結論を下した。 GIGNは2週間捜索し、成果が得られないとみると森に火をつけウサギもろともみんな殺してしまった。彼らは謝りもせず、ウサギに責任があると言った。 KGBは2時間ほど森に入っていたかと思うと、ひどく痛めつけられたクマを連れてきた。クマはうめいていた、﹁へぇへぇ、俺がウサギでございやす、ウサギで﹂ ●アメリカのCIAとソ連のKGB、それに東ドイツのシュタージが、洞窟の奥に横たわる骸骨がどのくらい古いものかを当てることになった。 最初にCIA職員が洞窟へ入り、5時間後に出てきて審判に報告した。 CIA職員﹁この骸骨は84万年前のものです﹂ 審判﹁かなり正確な答えだが、どうして分かったのか?﹂ CIA職員﹁化学的な手法を用いました、詳細は企業秘密でして﹂ 次にKGB職員が洞窟へ入り、10時間後に出てきた。 KGB職員﹁こいつは84万5000年前のものです﹂ 審判﹁さらに正確な答えだが、どうして分かったのか?﹂ KGB職員﹁同志スターリンは生物学にも秀でておりますが、詳細は企業秘密でして﹂ 最後にシュタージの職員が洞窟に入ったが、いつまで経っても出てこない。やっと25時間後に戻ってきた彼の髪は乱れ、服は穴だらけ、汗が垂れる体は傷だらけになっていた。 シュタージ職員﹁あいつは84万5792年前のものです﹂ この答えに審判は開いた口がふさがらなかった。審判﹁寸分の違いもない正解だ。いったいどうして分かったのか?﹂ シュタージ職員﹁本人が自白しました﹂日常生活
ソ連の政治体制や社会主義体制下での市民生活に関するもの。 ●Q.﹁ソ連邦では、楽観主義者の口癖はなにか?﹂ A.﹁﹃これ以上悪くはならないだろう!﹄﹂ ●﹁新聞とテレビじゃどっちが便利だろう?﹂﹁そりゃ、もちろん新聞さ。テレビじゃセリョートカ(селёдка・selyodka)︵ウォッカの肴として定番の塩漬けのニシン︶をくるめないだろ。﹂ ●汚れたトイレットペーパーを束にしてかついでいる老女がいた。﹁そんなものどうするんです?﹂﹁洗ってもう一回使うんだよ。﹂ ●男が彼の新しいアパートを友人たちに案内していた。 友人のひとりが尋ねた、﹁なぜ時計がひとつもないんだい?﹂男は答えた、﹁そんなことないよ、ひとつしゃべる時計があるんだぜ。﹂﹁え、どこに?﹂ 男は金づちを取り上げるとそれで壁を叩いた。すると壁の反対側から怒鳴る声がした、﹁午前2時だよ!こんな時間に釘を打つなんてどういうつもりだい、ろくでなしめ!﹂ ●Q.﹁クレムリンにはびこるネズミをどうやって駆除したらよいか?﹂ A.﹁﹃コルホーズ﹄と書かれた看板を掲示すればよい。そうすればネズミの半数は飢え死にし、残りの半数は逃げ出す。﹂ ●ソ連空軍の戦闘機で翼が根元から折れる事故が続出し、空軍の幹部と製造を担当する技術者との間で対策が話し合われた。 出席者の一人が言った。﹁翼の根元にミシン目を入れてみてはいかがでしょうか?﹂ ﹁なぜそんなことをするのかね?﹂﹁えぇ、我が国には切れる様なミシン目を製造できる技術はありませんから﹂ ソ連製のトイレットペーパーの品質が悪く、ミシン目の部分で奇麗に切れないことを皮肉ったジョーク。 ●Q.﹁ラーダの取扱説明書の、最後の6ページには何が書いてあるか?﹂ A.﹁それは電車とバスの時刻表だ。﹂ ラーダがいつ故障するか分からない代物だというジョーク。 ●アメリカ人がレニングラードからキエフへ向かう列車に乗った。彼が車内で携帯ラジオを取り出して、ラジオ放送を聴いていると、近くの乗客が声を掛けてきた。 乗客﹁我がソ連邦では、そいつよりももっと性能のいい物を作れるんですよ﹂ アメリカ人﹁おや、そうなんですか!﹂ 乗客﹁もちろんです! で、そいつは一体何ですか?﹂ ●二人の酔客が爆弾について話していた。 ﹁原爆ってどんな爆弾だろう?﹂﹁俺もお前もウォッカもなくなる代物さ。﹂ ﹁じゃあ中性子爆弾は?﹂﹁俺とお前だけいなくなってウォッカだけが残るんだ。﹂ そこで最初の酔いどれが首を傾げて言った。 ﹁俺がいてお前がいてウォッカだけないってこの状況、俺たちゃ一体何の爆弾を落とされたんだろうな?﹂ ●ある男が魚屋に行って肉をくれと言った。女性店員は﹁ここは魚屋よ。﹂と答えた。 男はしつこく頼んだ。﹁俺は肉が欲しいんだよ。﹂女性店員が答えた。 ﹁肉屋なら道の向こう側よ。肉の無いお店のことでしょ?﹂ ●﹁お父さん、車の鍵を持たせて。﹂﹁いいよ、でも無くすんじゃないぞ。あとたった7年で車が来るんだからな。﹂ ●男が冷蔵庫を買いに行き、配達時期について尋ねた。﹁そうですね、10年後の金曜日に。﹂﹁ああ、その日はだめだ。配管工が修理に来ることになっている。﹂ 上2つとも商品の遅配を皮肉ったネタ。 ●冬の最中、肉を買うために5時間も行列に並んでいたイゴーリはとうとう耐え切れなくなってしまった。彼は飛び跳ねて叫びはじめた。 ﹁もう我慢出来ねぇ!こんな﹃発達した社会主義﹄などくそくらえだ!こんな制度は完全にイカれちまってる!﹂ 数分後、いかめしげなトレンチコートの男がイゴーリに近づいて、彼の頭をゆっくりとゆすった。そして指をピストルの形に曲げてイゴーリのこめかみに当てると、そのまま何も言わずに立ち去って行った。 イゴーリはひどく落胆して家に帰った。彼の妻が﹁どうしたっていうの?もう一度お肉を買いに行かないの?﹂と尋ねると、イゴーリはこう答えた。﹁諦めな。もはやこの国にはピストルの弾さえ無いんだぜ。﹂ ●Q.﹁頭がいっぱい、手がいっぱい、足がいっぱい、だけど肉はない。これなーんだ?﹂ A.﹁肉屋に並ぶ行列﹂ 一時期﹁名物﹂とまで言われた食料を求める行列に関するもの。 ●Q.﹁ニワトリと卵の、どちらが先にあったか?﹂ A.﹁共産化の前には、両方ともあった。﹂ ●Q.﹁ロシアの人々が、ロウソクを使うようになる前には、何を使って家の灯りをともしていたか?﹂ A.﹁それは電気だ。﹂ ●クレムリンの衛兵が、近付いてきた人物を呼び止めた。 衛兵A﹁止まれ、誰か!身分証明書を見せろ!﹂ その男はあわてて懐を探ったが、足元に一枚の紙切れを落とした。衛兵はその紙片を拾い上げると、書かれていることを読んでみた。 衛兵A﹁ニョウ・ケンサ...﹂ 衛兵B﹁ふむ、外国人の名前か?﹂ 衛兵A﹁...タンパクシツ・ナシ、トウブン・ナシ、シボウ・ナシ...﹂ 衛兵B﹁よし、もう行ってもいいぞ、プロレタリアートの同志よ!﹂ ●ある党地方支部で、党活動家が労働者をアジっていた。 活動家﹁同志、もし家を二軒持っていたら、そのうち一軒を党に捧げるか?﹂ 労働者﹁ダー!﹂ 活動家﹁自動車を二台持っていたら、一台を党に捧げるか?﹂ 労働者﹁ダー!﹂ 活動家﹁シャツを二枚持っていたら、一枚を党に捧げるか?﹂ 労働者﹁ニェット!﹂ 活動家﹁それはどういうことかね? シャツだけは党に捧げないというのは?﹂ 労働者﹁だって、俺が持っているのは、実際のところシャツ二枚だけなんだ﹂ ●アメリカから来たジャーナリストが、モスクワにあるガガーリンの住居を訪れた。呼び鈴に応えて扉を開けたのは、まだ小さな息子だった。 ジャーナリスト﹁やあこんにちは、お父さんとお話ししたいんだが、家にいるかい?﹂ ガガーリンの息子﹁お父さんは出かけているんだ。今朝宇宙ロケットで打ち上げられて、地球を八周してから戻って来るんで、帰りは夕方の4時58分になるんだ﹂ ジャーナリスト﹁じゃあ、せめてお母さんとお話しできないかな?﹂ ガガーリンの息子﹁お母さんも留守だよ。今朝6時にミルクを買いに行ったんだ。帰りがいつになるのかは分からないや﹂ ●ある工場で開かれた学習会の席上で、党地方組織から来た講師が労働者たちに向かって、ソ連邦の輝かしい未来について語った。 講師﹁同志の皆さん、今次の五か年計画が完了したら、すべての所帯が自分だけのフラットに住めるようになるでしょう。その次の五か年計画が達成されたら、すべての労働者はマイカーを持つことになるでしょう。そしてその次の五か年計画では、すべての家庭が自家用飛行機を持つでしょう!﹂ すると聴衆の中から質問の声が上がった。﹁自家用飛行機なんて、何の役に立つんでしょうか?﹂ 講師﹁いいですか同志、あなたの住む町ではジャガイモが不足しているでしょう。でも大丈夫! 飛行機さえあればモスクワに飛んで行って、ジャガイモを買うことができるではありませんか﹂ ●ある老婦人がモスクワの百貨店を訪れた。 販売員﹁奥様、何をお求めですか?﹂ 老婦人﹁電気掃除機が欲しいのよ﹂ 販売員﹁掃除機はもう長いこと品切れなんです。掃除機工場がある地区で探してみてはいかがでしょう﹂ 老婦人﹁私はまさに、掃除機工場がある町に住んでいるわ。しかも、その工場で働いているのよ﹂ 販売員﹁それでしたら ... いっそのこと、部品を毎日1個ずつ持ち出して、ご自宅で組み立ててみては?﹂ 老婦人﹁実はそれも試してみたわ。ところが何度やってみても、最後に出来上がるのはカラシニコフなのよ﹂ ●Q.﹁大事故と悲劇の違いは?﹂ A.﹁もし君が誤って山羊を川に落として溺れ死にさせたら、大事故じゃなくて悲劇だ。もし閣僚たちの乗った飛行機が墜落して一人も生き残らなかったら、大事故だが悲劇じゃない﹂ ●Q.﹁ロシアで最初の選挙が行われたのはいつのことか?﹂ A.﹁神がアダムの前にイヴを連れてきて、﹃さあ、汝の妻を選べ﹄と言ったとき。﹂ ●ある保育園で外国人の客を迎えることになり、保母たちは子供たちに﹁ソ連のものは世界一です!﹂と答えるように指導した。 当日﹁おもちゃはどう?﹂﹁食べ物はおいしい?﹂などと聞く客に、言われた通り﹁ソ連のものは世界一です!﹂と答える子供たち。 しかしそのうち、一人の子供が泣き出した。訪問者の一人が訳を聞いてみると、大泣きしながらその子は言った﹁﹃ソ連﹄に行きたいよう!﹂。 ●﹁私の妻は3年間料理教室に通っていました。﹂ ﹁それはさぞかし料理がお上手でしょう。﹂ ﹁いえいえ、教室では第12回党大会のところまでしか行き着かなかったもので。﹂ わざわざ料理教室でまで政治教育をしていることを描くことで、ソ連の教育システムにおける政治教育の比重の高さを皮肉っている。 ●資本主義者と社会主義者と共産主義者が会うことになった。社会主義者が遅れてやってきて、﹁すまんすまん、ソーセージを買うのに行列に並んでいたんでね﹂と謝った。 資本主義者は言った﹁行列って何?﹂ 共産主義者は言った﹁ソーセージって何?﹂ ●ドイツ駐留ソ連軍の兵士が外出して、町の居酒屋へ行った。店の主人はビールをジョッキに注ぐと、コースターと一緒に出した。 しばらくして兵士はお代わりを注文したが、先ほどのコースターが見当たらないので、主人は新しいコースターも出した。 三杯目のお代わりの際にも、なぜかコースターがなくなっていた。 不思議に思った主人は、四杯目のお代わりでは新しいコースターを出さなかった。 すると兵士が困った顔で主人に聞いた。﹁なあ同志、あのうまいワッフルはもうもらえないだか?﹂ ドイツで一般的なビアコースターは厚手のボール紙でできている。 ●あるポーランドの男がソ連に行き、再び故郷へ戻ってきて税関審査を受けた。彼は真新しい腕時計をはめ、大きくて重いスーツケースを2個持っていた。 男﹁この時計はソ連の最新型なんですよ。資本主義諸国の製品とは比べ物にならないくらい性能が良いんです。時間、脈拍、月齢を表示できて、ワルシャワ、モスクワ、ニューヨークの天気が分かり、その他にも色んな機能が満載なんです﹂ 税関職員﹁本当だ、これは素晴らしい時計だ! ...しかし、その大きなスーツケースは一体どうしたんですか?﹂ 男﹁ああ、この時計用の予備電池が詰め込んであります﹂ ●Q.﹁ポンドとルーブル、そしてドルの為替レートは、正確にはいくらか?﹂ A.﹁1ポンドのルーブルは、1ドルに等しい。﹂ 貨幣のポンドと質量のポンドとを掛けている。 ●Q.﹁アダムとイヴはどこの国の人だったか?﹂ A.﹁もちろんロシア人である。彼らには何も着るものが無かった。彼らには住む家もなかった。そして地上の楽園で暮らしていると信じていた﹂ ●ハンガリーのある町で、ジプシーの男が西側のラジオ放送を聴いていた。するとそこへ町の警察官が通りかかった。ジプシーの男はバイオリンをつかむと、猛烈な勢いで曲を奏で始めた。 警察官﹁おいお前、今西側のラジオを聴いていただろう!﹂ ジプシーの男﹁お巡りさん、とんでもない、あっしは西側の放送を妨害しているところなんでさ﹂ ●孫﹁おばあちゃん、レーニンはいい人だったの?﹂ 祖母﹁もちろん、いい人だったのよ﹂ 孫﹁スターリンは悪い人だったの?﹂ 祖母﹁もちろん、悪い人だったのよ﹂ 孫﹁じゃあ、フルシチョフはどんな人なの?﹂ 祖母﹁それはねえ、フルシチョフが亡くなってから分かるわ﹂国際関係
●ルーマニアの小学校で、﹁わが国とソ連の関係を人間関係に喩えると何か?﹂と教師が児童に質問した。 児童は、﹁兄弟﹂と答えた。﹁親友と言ったほうがいいのじゃないかな?﹂と教師が述べた。﹁うぅん、兄弟﹂と児童は答えた。 ﹁どうして兄弟って言うの?﹂と教師は質問した。児童は答えた。﹁親友は選べるもん﹂ ●ワルシャワ条約機構の会議で、ハンガリー代表が﹁海軍省[12]を創りたい。﹂と申し出た。 ソ連代表が﹁海の無い国が、海軍省を創ってどうするんだ?﹂と尋ねると、ハンガリー代表は不思議そうな表情で尋ねた。﹁じゃあ、何でソ連には、文化省があるんですか?﹂ ●第三次中東戦争勃発。兵力で圧倒し最新式のソ連式装備を備えたはずのアラブ側はイスラエル相手にズタズタ。事態収拾後責任者が呼び出され責任追及。 ﹁最新式の装備を持ち、兵力も圧倒しているのにまったくなすすべもなく退却を続けたのはなぜか?﹂ ﹁ソ連軍事顧問団から渡された戦術マニュアルのとおりにしたらこうなりました。﹂ ﹁馬鹿なことを。ナポレオンを撃退し、ナチスを打ち破ったわが軍のマニュアルどおりにやればこんな失態はないはず。﹂ ﹁でもこう書いてあります。﹃敵の侵攻を受けたときはまず敵を国土深くさそいこみ、降雪を待ち、しかるのち冬将軍と共に反撃すべし﹄と﹂ ●ソ連軍は合理化のため、アメリカ軍、西ドイツ軍、日本軍︵おそらく自衛隊︶の軍事顧問を招聘した。軍事顧問をある基地に招いて﹁この基地を守るには、最低何人の兵士で済むだろうか?﹂ アメリカ軍の顧問曰く﹁500人で十分だろう。﹂ 西ドイツ軍の顧問曰く﹁いや、相互に裏切りが無いか監視するため、倍の1000人必要だ。﹂ 日本軍の顧問曰く﹁2人いれば十分だ。降伏の白旗を振る兵士1人。基地降伏の責任を取って自決する司令官が1人。﹂ このアネクドートはゴルバチョフ政権時代のもので、工場、店などバリエーションが多く、無難な人数を回答するアメリカ人、互いを監視するために倍の人数が必要だと主張するドイツ人、身も蓋もない正論を言って2人で十分だと主張する日本人というパターンができあがっている。ドイツ人の発言がペレストロイカでかえって非効率になっている事を、日本人の発言がペレストロイカによって社会主義体制そのものが無意味となる事を揶揄している︵事実として後にソ連崩壊に至った︶。 ●スターリンと毛沢東とチョイバルサン︵モンゴル人民共和国の独裁者︶の3人が会話をしていた。 毛沢東﹁最近、東南アジアやインドへの亡命者が増えて困っているのだが﹂ スターリン﹁我々も逃亡者を射殺するなど強化している﹂ チョイバルサン﹁その点、我が国には亡命者はいない。地図を見れば[13]亡命する気など起きませんからね﹂ ●Q.﹁国際社会主義経済の四本柱とは何か? A.﹁モンゴルの電子工学、ソ連農業の大増産、ポーランドの勤勉な労働力、東ドイツの統計数値。﹂ いずれも当てにならないとの落ち。 ●緊張した中ソ関係を改善するために、ブレジネフが北京の毛沢東を訪問した。両者の話し合いの結果、本当に関係改善が図られることになった。 会談の成果に上機嫌のブレジネフは毛沢東に、3つの願いをかなえようと申し出た。 毛沢東﹁1万台の自動車が必要だ﹂ ブレジネフ﹁いいだろう﹂ 毛沢東﹁10万台の自転車も要る﹂ ブレジネフ﹁こちらも直ぐに手配する﹂ 毛沢東﹁そして10万袋のコメも﹂ ブレジネフ﹁同志毛、申し訳ない。私の知る限り、残念ながら東ドイツではコメが穫れないので...﹂ ●ワルシャワ条約機構軍の演習が行われた際、ソ連軍と東ドイツ軍の兵士が偶然、穴に埋められていた財宝を見つけた。 早速ソ連軍兵士がこう持ちかけた。﹁なあ、二人で﹃同志的﹄に山分けしようじゃないか﹂ すると東ドイツ軍兵士はこう答えた。﹁そりゃあ駄目だ、きちんと﹃二等分﹄で山分けしなくっちゃ﹂ ●ホーネッカーがロストックの波止場を散歩していると、三隻の輸送船が泊まっていた。そこで彼は船の乗組員に声を掛けた。 ホーネッカー﹁同志、どこへ行くのかね?﹂ 一隻目の乗員﹁モザンビークへ肥料を運び、バナナを積んで戻ってきます﹂ ホーネッカー﹁すばらしい、続けたまえ! ... 同志、どこへ行くのかね?﹂ 二隻目の乗員﹁キューバへ自転車を運び、砂糖を積んで戻ってきます﹂ ホーネッカー﹁すばらしい、続けたまえ! ... 同志、どこへ行くのかね?﹂ 三隻目の乗員﹁バナナと砂糖をレニングラードへ運びます﹂ ホーネッカー﹁それで、戻りはどうなるのかね?﹂ 三隻目の乗員﹁いつもの通り、鉄道利用ですよ﹂ ●東ベルリン。ぼろぼろの自転車に乗っていた労働者が、市庁舎の前で自転車を降りると、そのまま外壁に立て掛けた。 すぐさま警備の将校が飛んできた。将校﹁君、頭がどうかしたのか。ここはいつソ連代表団が来るか分からないところなんだぞ!﹂ 労働者﹁なあに大丈夫、二重に鍵をかけたからよ﹂ ●Q.﹁不信とは何か?﹂ A.﹁東ドイツ東部国境の警備兵が、ロシアから来るパイプラインの中をのぞいて、石油が流れる方向を確認すること。﹂ いずれも、ソ連が自国のために、同盟諸国の資源・産業を一方的に収奪していたとのジョーク ●東ドイツではそこそこ名前が知られたSED活動家が、東ベルリンのレストランでお茶を一杯注文した。店のウェイターは彼のことを知っていたので、気を利かせてこう聞き返した。 ウェイター﹁ロシアンティーにしますか、それとも中国茶にしますか?﹂ すると活動家は困った顔をした。 活動家﹁それじゃあこうしようか ... コーヒーを一杯くれたまえ。﹂ ●東ベルリン・プレンツラウアー・ベルクの目抜き通りに、アメリカ軍の標識を付けた戦車が現れた。人々は歓喜して道に繰り出して、口々に叫んだ。﹁万歳、ついに東側に自由がやってきた!﹂ ところが、戦車のハッチが開き、顔をのぞかせたのは何とソ連兵。﹁自由違ウ、かーにばるサ!﹂ ●ある時、ソ連の犬とポーランドの犬、そして東ドイツの犬が出合った。ソ連の犬が自分の暮らし振りを自慢した。﹁俺が吠えると、ソーセージをもらえるんだぜ﹂ ポーランドの犬が言った﹁なあ、ソーセージって何だ?﹂ 東ドイツの犬が言った﹁なあ、﹃吠える﹄って何だ?﹂ ●アメリカ人とロシア人、そして東ドイツ人がお国自慢をしていた。 アメリカ人﹁アメリカには広大な森がいくつもあるんだ。朝に森へ入って、夕方になってもまだ一方の端に着かないほど広いのさ﹂ ロシア人﹁お笑いだね、我がシベリアの森に入ったら、1週間経ってもまだもう一方の端に着かないほど広いのさ﹂ 東ドイツ人﹁そんなの大したことないよ、1945年に大勢のロシア野郎がドイツの森へ入ってきたが、いまだに誰一人として出て来ないんだぜ﹂ ●ハンガリー人とロシア人、そして東ドイツ人が同じ列車に乗っていた。ハンガリー人がサラミを取り出したのだが、彼は端を一口かじると、残りを窓の外へ投げ捨ててしまった。 驚いた他の二人が、なぜそんなことをしたのかを尋ねると、彼はこう答えた。﹁我がハンガリーには、こんなものはいくらでもあるから、惜しくはないのさ﹂ 今度はロシア人がウォッカを取り出すと、一口飲んだだけで、残りを瓶ごと窓の外へ投げ捨ててしまった。﹁我がソ連邦には、こんなものはいくらでもあるから、惜しくはないのさ﹂ すると東ドイツ人が、物も言わずにロシア人をつかむと、彼を窓の外へ放り投げてしまった。﹁我が東ドイツには、こんなものはいくらでも...﹂ ●レーガンとゴルバチョフ、そしてエゴン・クレンツが終わらない政争に疲れ果て、自分たちを50年間冷凍保存することにした。 50年が過ぎて彼らは再び目覚め、早速自国の新聞を取り寄せた。 レーガンは新聞の一面を目にした﹃ゼネラルモーターズが社会主義コンテストで優勝!﹄ レーガンは倒れて死んでしまった。 ゴルバチョフが新聞の一面を目にした﹃ポーランド・中国国境で新たな紛争!﹄ ゴルバチョフは卒倒してしまった。 クレンツが新聞の一面を目にした﹃同志ホーネッカーの130歳の誕生日おめでとう!﹄ クレンツは慌ててホーネッカーの許へお祝いの挨拶をしに行った。中国に関するもの
1237年から1480年まで、タタール人による支配を受けた︵ロシア史ではタタールのくびきと呼ばれる︶歴史的経緯から、ロシア人のアジア系諸民族に対する恐怖心は根強いものがある。特に中国人に対する恐怖心は根強いものがあるが、これはロシアの一般民衆レベルではタタール人と中国人の区別がつかず、両者を取り違えているからである。ブレジネフ時代は中ソ対立が激化したこともあり、それをネタにした中華人民共和国絡みの話も作られた。 ●神様が現れて、アイゼンハワー・フルシチョフ・毛沢東の三人に願いを1つずつ叶えてやるといった。 アイゼンハワー﹁ソ連を消してくれ﹂ソ連は消滅した。 フルシチョフ﹁アメリカを消してくれ﹂アメリカは消滅した。 毛沢東﹁お茶を一杯くれ﹂ 神様﹁本当にそれだけでよいのかね?﹂ 毛沢東﹁ええ、先の二人の願いを聞いてくださったので。﹂ ●西暦2000年のある日のニュース﹁フィンランドと中国の国境異状なし﹂ ●中国は長い間、ソ連から各種の航空機の供与や技術援助を受けていたが、仲違いによって援助が打ち切られた。必要に迫られた中国共産党は1960年代に独自の航空機の開発生産を目指したが、ことごとく頓挫してしまった。 理由は以下のとおりだったという。技術者﹁我々は何度も開発しようとしたのです。しかし、毛主席が﹃共産主義的ではない﹄とおっしゃって右翼のない航空機の製造を命じられました。そんな航空機などできっこありません。﹂ 担当者﹁だったらバランスをとって左翼も切り取り、ロケット型の航空機開発に切り替えればよかったではないか?﹂技術者﹁左翼を切り取れば反動分子と見なされます。﹂ ●﹁ソ連の学校では二種類の外国語を教えている。国を出る者にはヘブライ語。国に残る者には中国語。﹂ 旧ソ連では1970年代以降、ユダヤ人がイスラエルへ移住する場合に限り、条件付きで出国が認められるようになっていた。 ●鄧小平が内陸部の貧困農村地帯に視察に行ったときのこと。農民に対して﹁今必要なものは何かね?﹂と尋ねると、その農民はこう答えた。﹁陳勝と呉広[14]﹂ドイツ民主共和国に関するもの
●偉大な国の名前は、常に頭文字uから始まる。 (一)USA - アメリカ合衆国 (二)UdSSR - ソヴィエト社会主義連邦共和国 (三)そして Unsere Deutsche Demokratische Republik - 我らの ドイツ民主主義共和国 ●Q.﹁ドイツ民主共和国の略称﹃DDR﹄とは、何の頭文字か?﹂ A.﹁ロシア語の "daway, daway, raboti"︵急げ、急げ、働け︶。﹂ ●東ドイツの七不思議。 (一)東ドイツには失業者がいない (二)失業が無いのに労働者の半分しか働いていない。 (三)半分しか働いていないのにいつもノルマが達成される。 (四)いつもノルマが達成されるのに店にはものが無い。 (五)店にはものが無いのに誰もが幸せで満足している。 (六)誰もが幸せで満足しているのにいつもデモがある。 (七)いつもデモがあるのに国民の99.9パーセントが政府を再選する。 ●Q.﹁東ドイツの地理的な特色とは何か?﹂ A.﹁それは、隘路だらけの平地である。﹂ ●Q.﹁なぜ東ドイツの道路は穴ぼこだらけなのか?﹂ A.﹁穴ぼこは輸出できないから。﹂ ●Q.﹁東ドイツ製のトイレットペーパーは、なぜ硬くてごわごわなのか?﹂ A.﹁どんなけつの穴野郎でも﹃赤く﹄なるようにだ。﹂ ●Q.﹁08/15[15]ジョークとは何のことか?﹂ A.﹁それはアネクドートのことである。8秒間で話し終ると、15年間ブタ箱送りとなるから﹂ ●Q.﹁社会主義が実現した国には、どうして数多くのアネクドートがあるのか? A.﹁誰一人として、社会主義のことを真面目に考えていないから。﹂ ●東ドイツの国旗に描かれるシンボルが一新され、ヤギと椅子になった。 すなわち、メエメエ鳴く奴は、座らなければならない。 ドイツ語の meckern︵ヤギが鳴く︶という動詞には﹁不平を言う﹂、また sitzen ︵座る︶という動詞には﹁牢屋に入る﹂という意味もある。 ●1986年から、東ドイツではクリスマスのお祝いは取りやめとなった。 ヨセフは国家人民軍に入営し、マリアは働きに出る。 羊飼いたちは国境線で﹁平和の守り﹂に就き、そして三博士たちは西側へ脱出した。 ●エリツィンとブッシュ、そしてホーネッカーが、アフリカの沙漠で盗賊たちに追いかけられた。 エリツィンは逃げながら、紙に﹁見逃してくれたら1000ルーブルをやる﹂と書くと、地面に置いた。盗賊たちはこのメッセージを読んだが、追うのをやめなかった。 次にブッシュが逃げながら、﹁見逃してくれたら100万ドルをやる﹂とのメッセージを置いたが、盗賊たちはやはり追うのをやめなかった。 最後にホーネッカーが逃げながら、メッセージを置いた。すると、それを読んだ盗賊たちはすぐに回れ右をして、一目散に去って行った。 驚いたエリツィンとブッシュは、ホーネッカーに何を書いたのかを聞いてみた。 ホーネッカー﹁﹃ドイツ民主共和国まであと1キロメートル﹄さ!﹂ ●Q.﹁東ドイツの経済は、なぜ膝を屈してしまったのか?﹂ A.﹁資本主義経済を追い越すために、跳躍しようと膝を曲げていたから﹂ ●アメリカとソ連、そして東ドイツの合同調査チームがタイタニック号の引き揚げを行うことになった。 アメリカ人たちの興味の的は、船に積まれていた金銀財宝であった。 ソ連人たちの興味の的は、技術的なノウハウであった。 そして東ドイツ人たちの興味の的は、不安な乗客たちを落ち着かせるために、沈没の瞬間まで素晴らしい音楽を奏で続けた楽団であった。 ●Q.﹁カルテットとは何か?﹂ A.﹁ヨーロッパコンサートツアーから帰国した、東ドイツの交響楽団﹂ 団員の多くが亡命してしまい、四人くらいしか残らないというのを皮肉ったもの。 ●フランスの合同記者団が東ドイツでの取材旅行から戻り、現地の印象について聞かれた。 ﹁私がとくに印象深かったのは﹂とリュマニテ紙[16]の記者が口を開いた。﹁東ドイツの市民たちが誠実で、知的で、国家への愛を抱いていたことです。﹂ するとフィガロ紙の記者が続いた。﹁それは確かでした。しかし、それらのすべてを兼ね備えた市民が誰一人としていなかったことを補足しなくてはなりません。誠実で愛国的な市民には、知性がありませんでした。知的で愛国的な市民は、誠実ではありませんでした。そして誠実で知的な市民は、愛国的ではありませんでした。﹂ ●ヨーロッパ各国の年金生活者は、どのように暮らしているのか? イギリスの年金生活者は、毎朝お茶を飲み、タイムズ紙を読む。 フランスの年金生活者は、毎朝アペリティフを飲み、セーヌ川に沿って散歩する。 東ドイツの年金生活者は、毎朝心臓の薬を飲み、仕事へ出かける。 ●Q.﹁東ドイツ経済の特色とはなにか?﹂ A.﹁困難な成長︵Wachstumsschwierigkeiten︶と、成長する困難︵wachsende Schwierigkeiten︶﹂ ●Q.﹁幸運とはなにか?﹂ A.﹁ドイツ民主共和国に暮らしていることだ﹂ Q.﹁では不運とはなにか? A.﹁その幸運があり余っていることだ﹂ ●すべてのインターショップの店内に、演説台が設けられることになった。 20西ドイツマルクを支払えばだれでも、自分の意見を10分間自由に開陳することができ、しかも特典として、その後でいっさいの処罰を免除されるというのだ。 インターショップは国営小売店の一種で、﹁非社会主義国﹂からの輸入品を販売していた。支払いには東ドイツマルクが使えず、外貨やインターショップ専用金券︵フォールムシェック︶だけを受け付けていた。 ●東ドイツ国営テレビ放送のニュース番組﹃アクトゥエレ・カメラ﹄では、﹁おそらく真実ではない﹂ことと﹁おそらく真実﹂こと、そして﹁真実﹂を放送していた。 政治的なニュース報道は﹁おそらく真実でない﹂、天気予報は﹁おそらく真実﹂であった。そして﹁真実﹂なのは、時報であった。 ●日本からの訪問団を乗せた飛行機が、シェーネフェルト空港への着陸態勢に入った。 客室乗務員﹁皆様、お座席のシートベルトをお締めください。これ以降の喫煙はお控えください。また、お手持ちの時計を現地時間に合わせてください ... 日本との時差は10年間です﹂ ●日本からの視察団が東ドイツを訪問した。滞在の仕上げに、彼らに東ドイツで何が一番気に入ったかを聞いてみた。 ﹁お国の博物館ですね。ベルガモン、ペンタコン、それにロボトロン﹂ 韻を踏みながら、東ドイツの先端技術のレベルを皮肉っている。 ●ある国営工場が第10回党大会を記念する研究成果として、とても細い針金を開発した。あまりに細過ぎたため、東ドイツの計測機器では外径を測ることもできなかった。そこで針金のサンプルが日本へ送られて計測されることになった。ところが発送の際に手違いがあり、依頼内容を記した書類を入れ忘れてしまった。 3か月後、例の針金が日本から返送されてきた。日本人が同封した文書には、こう書かれていた、 ﹁残念ながら、サンプルをどう扱えばよいのか分かりませんでした。そこでサービスとして、サンプルの外周におねじを、さらに内部に孔を開けてめねじも切っておきました﹂ ●Q.﹁チェルノブイリの、東ドイツにおける提携都市はどこか?﹂ A. ﹁それはシュトラールズントだ。﹂ 町の名前と、放射線等を意味するドイツ語﹁シュトラール Strahl﹂とを掛けている。 ●Q.﹁東ドイツに、国の施策としての家族計画がないのは何故か?﹂ A.﹁生産手段が今もなお私的に所有されているから。﹂ ●Q.﹁東ドイツにおいて、カール・マイが名誉回復されたのはなぜか?﹂ A.﹁西部の男オールド・シャターハンドの物語を読むことで、ソ連邦の﹁赤い同志﹂たちを愛するすべを学べるから﹂ウルブリヒト
●ヴァルター・ウルブリヒト︵ドイツ社会主義統一党第一書記(1950 - 1971)、国家評議会議長(1960 - 1976))は史上最大の軍事的天才である。彼は一発の弾丸も撃たずに300万人を逃亡させ、1700万人[17]を捕虜とした。 ●ウルブリヒトが毛沢東と会談した。 ウルブリヒト﹁同志毛、お国にはあなたに敵対する人が何人いるのですか﹂ 毛沢東﹁ざっと1700万人[17]かと﹂ ウルブリヒト﹁ふむ、こちらとほぼ同じですね﹂ ●ウルブリヒトが死んであの世へ行った。聖ペテロから西側の天国と東側の天国のどちらが良いかを聞かれ、彼はもちろん東側の天国がいいと答えた。﹁よろしい、しかし食事の時間になったら西側の天国に来なさい。たった一人のために食事を作るのは効率が悪いからな﹂ ●ウルブリヒトが、今度は地獄に行った。悪魔から西側の地獄と東側の地獄のどちらが良いかを聞かれ、彼は︵天国での経験から︶西側の地獄がいいと答えた。 悪魔﹁おい、気は確かかね?東側の地獄の方がずっといいんだぞ。煉獄の火を焚こうにもコークスや油が無いし、マッチもしょっちゅう品切れさ。それに、責め道具だってなまくら揃いなんだ。﹂ ●Q.﹁レーニンが有名な格言﹃学べ、学べ、なお学べ﹄を言ったのはいつか?﹂ A.﹁それは彼がウルブリヒトの通知表を見た時だ。﹂ ●ウルブリヒトがエジプトを訪問した。ナセルはウルブリヒトとオープンカーに乗って市中パレードを催したが、客人を喜ばせようと、沿道の市民達に二人の名前を連呼させた。 ﹁ナーセル・ウルブリヒト! ナーセル・ウルブリヒト!﹂ すると、駐エジプト東ドイツ大使館員が、これでは変な意味合いのドイツ語になってしまうと忠告した。そこでナセルは、今度はファーストネームの方を連呼させてみた。 ﹁ガメール・ヴァルター! ガメール・ヴァルター!﹂ ファーストネームでは、ザクセン訛りのドイツ語で﹁馬鹿のヴァルター﹂[18]となってしまった。ラストネームを使った﹁ナーセル・ウルブリヒト﹂の方についても、直訳すると﹁びしょ濡れのウルブリヒト﹂という意味だが、﹁酔っ払いのウルブリヒト﹂﹁小便垂れのウルブリヒト﹂と解釈することもできる。 ●ウルブリヒトの乗用車が田舎道を走っていると、ヤギを轢き殺してしまった。そこでウルブリヒトは運転手に、ヤギの飼い主を探し出して謝罪するように命じた。しばらくすると、運転手が持ちきれないほどたくさんの贈り物を抱えて戻ってきた。 ウルブリヒト﹁おや、この贈り物の山はどうしたんだね?﹂ 運転手﹁私はただ、自分はウルブリヒトの所の者で、ヤギ[18]が死んでしまった、と話しただけなんです﹂ホーネッカー
●東ドイツ内務省に泥棒が入った。ホーネッカーが警察トップを呼び、被害状況を聞いた。﹁大したことはありませんでした、向こう30年分の選挙結果が盗まれた程度です﹂ 東ドイツの選挙は予め議席の決まったリストに賛否を問うだけの物であり、しかも末期になると少なからぬ国民が反対票を投じたにもかかわらず結果が操作されて発表されていた。 ●ヴァイマル市がゲーテを記念するモニュメントを建立することになり、市民から広く意見を募った。 一等賞を獲得した案は、こういうものだった。 ﹃ゲーテを読むホーネッカー﹄ ●ホーネッカーが市民に混じって世情を見ようと、お忍びで外出した。党中央委員会の建物を出た彼は、通りでタクシーに乗った。運転手は客の顔を見ると目を丸くして、首を振った。 運転手﹁何ともそっくりですねえ ... お客さん、あなた、さぞいい迷惑でしょうな?﹂ ●ホーネッカーの守護天使が聖ペトロに、過労を理由に休暇を願い出た。 聖ペトロ﹁どの守護天使も担当するのはそれぞれ一人だけだが、一体どうしたのかね﹂ 守護天使﹁なにしろ1700万人[17]から守らなければならないんです﹂ ●ホーネッカーに、西ドイツ・ザールラント州に住む祖母から近況を尋ねる手紙が届いた。 返事の中で彼は、国家評議会議長を務めていて、これは昔のカイザーのような仕事であること、すばらしい邸宅に暮して運転手付きの自動車に乗っていることを書いた。 すると祖母からまた手紙が届いた。﹁エーリッヒ、あんたのことが心配でならんわい。悪い共産主義者どもに身包み剥がされないよう気を付けな﹂ ブレジネフのものと同様共産貴族化したホーネッカーを皮肉っている。ホーネッカーは東ベルリン郊外のプール付の邸宅に住み、別荘や多数の西側の高級車を所有していた[脚注 2]。 ●Q.﹁ホーネッカーの好きなスポーツとは?﹂ A.﹁それはボブスレー。右に壁、左にも壁、そして奈落の底へと逆落とし。﹂ ●1987年、ホーネッカーが西ドイツ訪問から帰国した。早速感想を聞かれた彼はこう答えた。﹁我が国と何も変わる所がなかった。なにしろ、西ドイツマルクさえあれば何でも手に入るのだから﹂ ●ホーネッカー夫妻が郊外でドライブを楽しんでいた。すると一人の女性がホウキを持って、道路を掃除しているところに差し掛かった。 ホーネッカー﹁同志、何をしているのですか?﹂ 女性﹁ウマの糞を集めているんです﹂ ホーネッカー﹁それを一体どうするのです?﹂ 女性﹁イチゴに使うんですよ﹂ ホーネッカー﹁マルゴット、聞いたかい、クリームじゃなくてもいいんだな!﹂ ●コールが死んであの世へ行った。 悪魔﹁さて、お前は生きている間、国民にいくつ嘘をついたのかね?﹂ コール﹁はあ、およそ10回ほど...﹂ そしてコールは罰として、釘打ち10回の刑に処された。 今度はゴルバチョフがあの世へやって来た。 悪魔﹁お前は生きている間、人民にいくつ嘘をついたのかね?﹂ ゴルバチョフ﹁100回くらいかな﹂ そしてゴルバチョフは罰として、釘打ち100回の刑に処された。 すると突然、隣の部屋からけたたましい騒音が聞こえてきた。驚いたコールは、一体何が起きたのかを悪魔に尋ねた。 悪魔﹁ああ、あれはホーネッカーだよ。釘打ちではとても間に合わないので、とりあえず1週間の間ミシンにかけられることになったのさ﹂その他の指導者
●ある刑務所の朝の点呼で、看守がこう告知した。﹁明日、我が共和国の大統領であるヴィルヘルム・ピーク閣下が当刑務所へ来ることになっている﹂ これを聞いた一人の受刑者が思わず叫んだ。﹁こいつはいいや、最高だね!﹂東西ドイツ国境・ベルリンの壁
●東西ドイツの国境で、イノシシが地雷を踏んで爆死してしまった。 東ドイツの国境警備兵がやって来て、一人目の兵士が思った。﹁地雷がもったいないな﹂ 二人目の兵士が思った。﹁イノシシは気の毒だな﹂ 三人目の兵士が思った。﹁ここにいるのが俺一人でなくて[19]残念﹂ ●西ドイツの国境警備兵が東西国境のフェンスに沿ってパトロールしていると、フェンス沿いの木の枝から、首吊り自殺者が西側へぶら下がっているのを見つけた。 一人目の警備兵﹁おい、こいつは報告書がうるさいぞ﹂ 二人目の警備兵はちょっと考えるとこう言った。﹁それじゃあ、向こう側にやってしまえ﹂ 二人は死人をフェンスの東ドイツ側へ移すと、そのまま行ってしまった。 しばらくすると、今度は東ドイツの警備兵がパトロールにやって来た。 東ドイツの警備兵﹁おい見ろや、あいつ、またこっち側でブランコしてるぞ﹂ ●二人の警備兵が、ベルリンの壁沿いをパトロールしていた。 一人目の警備兵﹁なあ、もしも今突然、壁が崩壊したらどうする?﹂ 二人目の警備兵は深く考えず、こう答えた。﹁すぐそこの木に登るよ﹂ 一人目の警備兵﹁それはどうしてだい﹂ 二人目の警備兵﹁だって、踏み殺されたくはないだろう?[20]﹂ ●二人の警備兵が、ベルリンの壁の東側をパトロールしていた。 一人目の警備兵﹁なあ、もしも俺が逃亡したら、お前は俺のことを撃つかい?﹂ 二人目の警備兵﹁それはまあ、そうしなければならないな。じゃあ、もしも俺の方が逃げ出したら、お前はどうする?﹂ 一人目の警備兵﹁びっくり仰天して、体中が固まってしまうだろうさ﹂ 二人目の警備兵﹁よし、早速やってみるか。固まってもいいぜ!﹂ ●Q.﹁世界で一番長い川は何か?﹂ A.﹁それはエルベ川である。ハンブルクに着くまでに65年間かかるから。﹂ 東ドイツ市民が西ドイツへの移住を希望した場合、無条件に認められるのは満65歳以上であった。この措置には、年金支払い額を減らしたいという、東ドイツ政府の意図が反映されていた。 ●西ベルリンの上に、街全体を覆う屋根が設けられることになった。完成のあかつきには、シェーネフェルト空港を発着する飛行機の窓から、腐敗した資本主義を見ずに済みようになるからだ。 そして、屋根を支えるための﹁壁﹂はすでに出来ている... ●東ドイツ市民の間で、ベルリンの壁に穴が開いているという噂が広まった。ところが話には続きがあり、この穴にはギロチンの刃が仕掛けられているというのだ。 この話を聞いたある男が思った。﹁いいオツムは向こう側へ行き、こちら側にはけつ野郎が残るってことか。﹂ ●教師﹁フリッツ君、資本主義者と共産主義者の違いは何でしょうか?﹂ フリッツ﹁資本主義者はお金を愛し、共産主義者は人間を愛します﹂ 教師﹁大変よろしい! では、資本主義者と共産主義者を見分けるにはどうしたらよいでしょうか?﹂ フリッツ﹁資本主義者はお金を金庫にしまい込んで、鍵をかけます。共産主義者は人を...﹂ 教師﹁よろしいフリッツ君、そこまでにしておきなさい!﹂ ●アメリカの銀行家が東ドイツの財務相に招かれて同国を訪問した。銀行家は財務省の敷地内で、大量の黄金が無造作に置かれているのを見て驚いた。 銀行家﹁我が国では、黄金はかけがえのない宝です。フォートノックスでは、突破がほぼ不可能なコンクリート防壁、たくさんの監視塔、地雷や有刺鉄線によって取り囲まれ、大勢の兵士や番犬によって守られているんですよ。﹂ 財務相﹁そこが資本主義と社会主義の違いですな。わが国では、人間こそがかけがえのない宝なのですよ。﹂ 東ドイツがみずからの市民を﹁壁﹂で閉じ込めているという落ち。 ●ホーネッカーが西ドイツ訪問を終え、東ベルリンに戻ってきた。日没後の都心はいつものように照明で照らされていたのだが、なぜか人っ子一人見当たらなかった。政府機関の各庁舎でも電灯は点いているのだが、誰もおらず静まり返っていた。ホーネッカーは運転手に命じて東ベルリン中を調べて回ったが、どこも無人だった。そしてベルリンの壁沿いに走っていると、壁に大きな穴が開けられているのが見つかった。その穴のそばには何かが書かれた紙切れが張り付けられていた。その紙にはこう書かれていた。 ﹁エーリヒ、あんたが最後の一人だ。あんたが出る前に、電気を消しておいてくれ﹂社会主義統一党︵SED︶
●Q.﹁東ドイツにおける社会主義の完成形とは?﹂ A.﹁SED書記が牧師に、日曜日に結婚式を挙げてもらうよう頼み、牧師が﹃日曜日はいつも忙しいんです。戦闘団の訓練を受けねばならないので﹄と言って断った時﹂ ●SEDのある幹部が自動車を飲酒運転して、二人の市民をはねてしまった。裁判官の前に出た彼は、不安な面持ちで、どのような処罰を受けることになるのかを聞いた。 裁判官﹁同志、もちろんあなたへの処罰はありません! なお、あなたの自動車のフロントガラスを破って飛び込んできた市民は不法侵入、15メートル弾き飛ばされた市民の方は当て逃げの罪に問われます﹂ ●父﹁それで、党書記は夜学の講義でどんなことを話したんだい?﹂ 息子﹁よくある話だよ。﹃我々は資本主義者のことを常に警戒すべし﹄、﹃我らが祖国を全力で保衛すべし﹄、﹃もし必要なら自らの身命を祖国に捧げるべし﹄さ。﹂ 父﹁やれやれ、あいつも相変わらずだな﹂ 息子﹁それってどういうこと?﹂ 父﹁1944年当時、ヒトラーユーゲントの地区指導者だったあいつは、今とまったく同じお題目を唱えていたよ。﹂ ●あるSED党員が西ドイツへの出張から戻ってきた。 上司﹁やあ同志、腐敗し、死につつある資本主義を見てきたかね?﹂ 党員﹁はい﹂ 上司﹁それで、君の感想はどうだったかね﹂ 党員は晴れ晴れとした顔つきで答えた。﹁素晴らしき死よ ...﹂ ●SEDの幹部﹁同志国家評議会議長、我が党には現在、二種類の潮流があります。一つ目は不安によるもので、二つ目は信念にもとづいています。どちらの方を重視するべきでしょうか?﹂ ホーネッカー﹁それは不安の方だ。なにしろ信念というやつは、変わってしまうことがあるからな﹂ ●Q.﹁テロリストとSED指導部との違いは何か?﹂ A. ﹁テロリストには、シンパがいる。﹂ ●Q.﹁男が子供を産むことは可能か?﹂ A.﹁不可能なのだが、一度SED指導部に頼んでみるべきだ。西側のカネのためならば、連中は何だってするのだから。﹂ ●路面電車の社内で、SED活動家がある女性の足を踏んでしまった。女性は思わず活動家の頬に平手打ちを与えた。すると、近くの座席に座っていた別の乗客が立ち上がると、活動家のことをさんざん殴りつけた。 女性﹁なぜ彼をこてんぱんに殴ったのですか? あなたもあの人に足を踏まれたのですか?﹂ 乗客の男﹁おや、足を踏まれたので仕返しにビンタをしたんですか。私はてっきり、ついにことが始まったのかと...﹂ ●第9回党大会の式次第。 1. 党中央委員の入場 2. 心臓ペースメーカーの調節 3. ﹃我ら若きプロレタリアート親衛隊﹄を斉唱 上記の歌は20世紀初頭の労働運動期に作られたもので、Dem Morgenrot entgegen︵﹃曙光に向かいて﹄︶という題名で知られる。 ●ある男がキオスクで毎朝ドイツ社会主義統一党の機関紙﹃ノイエス・ドイチュラント﹄ (新しいドイツ) [21]を買うのだが、開きもせずにすぐくずかごへ捨ててしまう。これが毎日続くので、売り子が気になって理由を聞いてみた。 男﹁死亡広告だけが目当てなのさ﹂ 売り子﹁しかしあなたが見ているのはせいぜい1面だけですよ﹂ 男﹁そう、いつか1面に載る死亡広告[22]を見たいのさ﹂ ●ハンニバルとネルソン卿、そしてナポレオン・ボナパルトが東ドイツ軍を見学した。一通り見学を終えた後で、彼らを案内した将官が、何が一番気に入ったかを聞いてみた。 ハンニバル﹁それは戦車だ。もし戦車があれば、我が戦象よりも断然すぐれた活躍を見せたであろう﹂ ネルソン卿﹁それは潜水艦だ。もし潜水艦があれば、余はさらに多くの海戦を制したであろう﹂ ナポレオン﹁余は﹃ノイエス・ドイチュラント﹄[21]を選ぼう。もし同紙があれば、ワーテルローにおける余の敗北が世に知れ渡ることはなかったであろう﹂ ●東ドイツのキオスクにて。 客﹁﹃ノイエス・ドイチュラント﹄ (新しいドイツ) をくれたまえ﹂ 売り子﹁まだできていません﹂ 客﹁それなら、﹃フライハイト﹄ (自由) をくれたまえ﹂ 売り子﹁それも無理ですねえ。自由は新しいドイツになってからでないと手に入りません﹂ ﹃フライハイト﹄紙は1946年から1990年まで、ハレ市で発行されていた日刊新聞。1990年以後は、1946年以前の紙名﹃ミッテルドイチェ・ツァイトゥンク﹄ (中部ドイツ新聞) に戻されている。物資不足・トラバント
東側で最も経済発展を遂げた東ドイツでも物資は不足しており、東ドイツで造られていた大衆車トラバントは発注から納車までに10年近く待たされ、クルマの部品は半年、家具は1-2年、といった具合に多くの物が長い時間待たないと手に入らなかった[脚注 3]。こうした物不足・ことトラバントや自動車に関するアネクドートも結構ある。 ●スイス﹁お宅の国に何故、商業供給省︵Ministerium für Handel und Versorgung︶ってのが存在しているんです?﹂ 東ドイツ﹁何故そんな質問を?﹂ スイス﹁我が国に遠洋漁業省は必要ないでしょう。それと同じ理屈ですよ﹂ ●妊娠した女性が出産支度をしようと買い物へ行った。しかしオムツは三ヶ月待ち・乳児服などは一年待ち・ベビーベッドは三年待ちだと聞かされた。余りに待ちの長さに女性は言った﹁私の待ち時間はたった九ヶ月なのよ!﹂ ●Q.﹁西側の屁と、東側の屁との違いは何か?﹂ A.﹁西側では﹃おい、臭いぞ﹄と言われる。東側では﹃おい同志、どこでタマネギを手に入れたんだい?﹄と聞かれる ●夫﹁なあ、この新聞の記事によると、我が国は世界の10大工業国に名を連ねているそうだ。早速このことを、デュッセルドルフのヘルベルトおじさんに手紙で伝えなくちゃ﹂ 妻﹁もちろんよ、そうしなさいな ... ああ、もう書き始めているなら、今度のイースターにトイレットペーパーを送ってもらうように頼んでおいてね﹂ ●各国の外交官達を招いた年頭のレセプションで、ホーネッカーが東ドイツの主要都市の重要性を強調した。全ドイツの首都であるベルリン、世界トップクラスの見本市都市ライプツィヒ、そして英雄都市のドレスデン。 これを聞いたある記者が尋ねた。﹁ドレスデンはむしろ文化都市ではありませんか?﹂ するとホーネッカーはこう答えた。﹁確かに。しかし英雄都市でもあります。かくも長きにわたって物資の供給が断たれているにもかかわらず、人々は生き延びているのですから﹂ ●東西ドイツ国境を挟んで、それぞれの国境警備兵が対峙した。 西側の警備兵が居眠りした隙に、東側の警備兵がいたずらで彼のヘルメットを汚物で一杯にしてしまった。 ところが東側の警備兵が居眠りすると、西側の警備兵は彼のヘルメットをタバコ、オレンジ、シュナップスで一杯にしてやった。 これに気付いた東側の警備兵は赤面してしまい、口ごもりながらお礼を言った。 西側の警備兵﹁いいってことさ。誰だって、自分の持ち分以上のものは出せないんだから﹂ ●ホーネッカーが、自分の人気のほどを確かめようと、お忍びである集合住宅を訪れた。彼がある住居の呼び鈴を押すと、小さな女の子が扉を開けた。 女の子﹁おじさん、誰ですか?﹂ ホーネッカー﹁お嬢さん、私はね、君たちがいい暮らしを送れるように働いている者だよ。家や食べ物などの面倒を見る...﹂ 女の子﹁お母さんお母さん、早くおいでよ、ミュンヘンのペーターおじさんが来たよ!﹂ ●Q.﹁ライプツィヒが社会主義諸国の中で、聖なる町第一号の認定を受けた。それはなぜか?﹂ A.﹁毎年メッセが二回催され、メッセが無い時期は断食となるから。﹂ ドイツ語のメッセ Messe には見本市とミサの両方の意味がある。ライプツィヒ・メッセは西側諸国の企業が出展し、ホーネッカーら党・政府の幹部が訪問するためメッセの期間中だけはライプツィヒに物資が集められ、店舗の品不足も解消されていた[脚注 4]。 ●ホーネッカーが東ベルリンを散歩していると、買い物を詰め込んだ袋をいくつも抱えた女性と出合った。 ホーネッカー﹁おや同志、買い物に精が出ますね﹂ 女性﹁同志国家評議会議長、それはそうなんですが、このために3時間も行列に並んだんですよ﹂ ホーネッカー﹁でも同志、世界には、たった一口の水を得るために一日中待たねばならない国々もあるんですよ﹂ 女性﹁あら、そこはきっと、我が国よりも長く社会主義をやっているのね﹂ ●ホーネッカーが、ある町の肉屋の前に長い行列ができていることに気付いた。この町を西側のVIPが通ることになっていたので、早速ホーネッカーは解決するよう指示を出した。 一時間後、本当に一台のトラックがやって来た。行列に並んだ人々が希望に満ちた視線を送る中、作業員が荷物を次々と降ろし出した。 その荷物は、ベンチだった。 ●Q.﹁東ドイツ最大のデパートで、宇宙飛行士のジークムント・イェーンが新しい総責任者に就任することになった。彼が選ばれた理由は? A.﹁彼は何もない空間のことをよく知っているから﹂ ●Q.﹁﹃デリカート﹄︵delikat︶は、実はある言葉の頭文字なのだが、何を意味しているか?﹂ A.﹁お前の収入は、共産主義では八日間しかもたない﹂︵dein Einkommen langt im Kommunismus acht Tage︶ デリカートは東ドイツの小売店の一種で、高級な食材や嗜好品を扱っていた。 ●二人の人間がカフェで昼食を摂りながら話をしていた。 ﹁中性子爆弾ってどういうんだ?﹂ ︵手にしていたカップを指さして︶﹁人が死に、カップが無傷で残るってやつだ﹂ ﹁何だ、︵コーヒーの︶﹃ロンド﹄の様なもんか﹂ ロンド等のコーヒーを供給していた東ドイツの企業体は、統一ドイツでも Röstfein Kaffee GmbH︵レーストファイン・カフェー社︶の社名で存続している。 ●ハイレンローダにある国営農場﹃赤きカブラ﹄で、雌ブタが産みだす子ブタの数が、平均して6匹であることが分かった。 国営農場の作業班長﹁6匹ではいかにも少ないな。これでは地区委員会に報告できないぞ﹂ 作業班長は数値を少しだけ水増しして、党地区委員会には7匹と報告した。 党地区委員会の指導者は報告書を熟読すると考えた。﹁7は俺の好きじゃない数字だな。県には8匹と報告しておくか﹂ 党県委員会の指導者﹁8匹か。これが多いのか少ないのか見当もつかん。しかしまあ、報告書はどうせ報告書だからな﹂ 党県委員会の指導者は国の経済計画委員会に対して、9匹との報告を出した。 経済計画委員会の担当者は報告書を読むとこう思った。﹁9匹とは、ハイレンローダの同志たちはなかなかやるじゃないか。しかしブタ肉の需給収支には、なお不足があるんだ﹂ そうして、SED中央委員会の農業分野責任者は、10匹と書かれた報告書を手にすることになった。しかし党中央委員会では、﹁10匹では話にならない!これでは党政治局に報告を上げられないぞ﹂ということになった。 党政治局は11匹と書かれた報告書を踏まえて、ホーネッカーには誇らしげにこう報告した。 ﹁同志ホーネッカー、ハイレンローダの健やかなるブタたちは、子ブタを12匹ずつ産み出しております!﹂ ホーネッカー﹁これは素晴らしい!では、半分の6匹を輸出に充てるとしよう!﹂ ●Q.﹁東西ドイツに分かれて住む双子の兄弟がいた。二人を見分けるにはどうしたらよいか?﹂ A.﹁買い物に行って注文するとき、西ドイツに住んでいる方は﹃これをください﹄と言う。東ドイツに住んでいる方は﹃ひょっとして、ありますか?﹄と言う﹂ ●ある東ドイツ市民がホーネッカーへ手紙を出した。 ﹁親愛なる同志国家評議会議長、トラバントのマフラーを注文したのに、いくら待っても手に入りません。あと4週間で入手できないと、私は首を吊ります﹂ するとすぐに返事が届いた。﹁親愛なる同志、今直ぐ首を吊られるのが宜しいかと存じます。首を吊る縄が4週間後にまだあるかどうか、保証の限りではありませんので﹂ ●Q.﹁なぜ東ドイツでは銀行強盗が滅多に起きないのか?﹂ A.﹁逃走用の自動車を15年間待たねばならないから﹂ ●そんなに人通りの多くないところで二台のトラバントが衝突する事故が起きた。 ﹁死者2名・負傷者54名って、2台の車にそんなに乗っていたのか?﹂ ﹁いえ、乗っていたのは死亡した2名で、その後事故車の部品を奪い合いに大勢集まって、その争いで54名が負傷とのことで・・・・・﹂ ●Q.﹁トラバントの後部に書かれている﹃601﹄[23]とは何を意味するのか?﹂ A.﹁600名が注文して、1人だけ手に入れたことを意味する﹂ ●中東の大金持ちの首長がライプツィヒ見本市を訪れた際、﹁注文してから納車までに10年かかる自動車﹂があると聞いた。果たしてどのような高級車なのかと、この車が欲しくなった彼は早速注文を出した。 ツヴィッカウのトラバント工場はこの栄えある注文に対して、ちょうど完成したばかりの1台を首長の国へ出荷した。 すると首長から手紙が届いた。﹁最短の納期で納品していただき感謝します。ちゃんと自走できる実物大見本に満足しています。追って実物の車が納品されるのを楽しみにしています﹂ ●Q.﹁トラバントはなぜ﹃トラビー﹄と呼ばれるのか?﹂ A.﹁走るスピードがあまりにも遅いから。もしきちんとスピードを出せるなら﹃ガロッピー﹄と呼ばれていた筈﹂ トラバントの愛称 Trabi を、乗馬の Trab︵トラープ、速歩︶と Galopp︵ガロップ、馳歩︶に掛けている。 ●Q.﹁ジェット戦闘機とトラバントの違いは何か?﹂ A.﹁ジェット戦闘機は、音が聞こえる前に姿を現す。トラバントでは、姿を現す前に音が聞こえる﹂ トラバントの2ストローク2気筒エンジンは、甲高い独特の騒音を発していた。 ●Q.﹁トラバント車内の騒音値は非常に低いそうだが、それはなぜか?﹂ A.﹁運転中、自分の膝で耳をふさげるくらいに車内が狭いから﹂ ●Q.﹁東ドイツのアダルトショップが、あまり繁盛しないのは何故か?﹂ A.﹁トラバントにまさるバイブレーターなどないからだ﹂ ●Q.﹁信号が青に変わったのに、トラバントが停まったままだった。それは何故か?﹂ A.﹁そのすぐ後ろにいたメルセデスが、外気取入れファンを回し始めたからだ。﹂ ﹁タイヤのうち1本が、道に落ちていたチューインガムを踏んだ﹂という答えもある。 ●Q.﹁すべてのトラバントオーナーは、死んだら天国へ上ることが約束されている。それはなぜか?﹂ A.﹁彼らは生前、この世の地獄を味わっているから﹂ ●Q.﹁トラバントとコンドームの違いは何か?﹂ A.﹁違いは無い。どちらも﹃通行﹄を妨げる。﹂ ドイツ語の原文で用いられている Verkehr という単語には、﹁交通﹂のほか、﹁性交﹂という意味もある。 ●﹁こんな車︵トラバント︶に何故みんな乗りたがるんですかね?﹂ ﹁君、トラバントはマルクス主義の理念を体現しているものなんだよ。﹃資本論﹄にもあるだろう─﹃価値を持たない使用価値が存在する﹄﹂ ﹃資本論﹄第1部第1章第1節の内容を踏まえている。 ●Q.﹁トラバントを作るために、何人の作業者が必要か?﹂ A.﹁二人だ。一人目が﹃折り﹄、二人目が﹃貼る﹄。﹂ トラバントへの﹁ボール紙のボディの車﹂[24]という揶揄にもとづいたジョーク。 ●Q.﹁トラバントは自動車工業の歴史において、まさしく革新的な大発明である。それはなぜか?﹂ A.﹁交通事故が起こった際、歩行者がクルマに反撃できるようになったから﹂ ●一台のトラバントが田舎道を走っていて、ある村に差し掛かった。村の入り口は右カーブになっていたのだが、その先の路上に一羽のメンドリがいた。トラバントはそのまま走り続け、まともにメンドリをはねてしまった。ドライバーは急ブレーキをかけて停車すると、横たわったメンドリのところに駆け戻った。すると、メンドリはむっくり起き上がり、ふらつく足で立つとこう言った。 ﹁ふん、あたしにアタックするオンドリにしては、なかなかの奴だったわねえ﹂ ●Q.﹁トラバントの価値を倍増するにはどうしたらよいか?﹂ A.﹁満タンに給油するだけでよい。﹂ ●Q.﹁トラバントの加速度を計測するにはどうしたらよいか?﹂ A.﹁カレンダーを使えばよい。﹂ ●Q.﹁トラバントが最高速度を出すのはいつか?﹂ A.﹁レッカー移動されるときだ。﹂ ●Q.﹁後ろの窓に電熱線を備えているトラバントがあるが、その目的は何か?﹂ A.﹁トラバントが冬に故障した時、後押しする手を温めてやるためだ。﹂ ●Q.﹁トラバントには当初、シートベルトが無かったのはなぜか?﹂ A.﹁周りから﹃あの人はリュックサックを背負っている﹄と勘違いされないようにだ。﹂ ●Q.﹁普通のトラバントと﹃トラバント・スポーツ﹄との違いは?﹂ A.﹁ドライバーがスポーツシューズを履いている。﹂ ﹁グローブボックスにスポーツシューズが突っ込んである﹂というバージョンもある。 ●Q.﹁トラバントの16V仕様とはどのようなものか?﹂ A.﹁それぞれのタイヤに、エアバルブが4つずつ付いている。﹂ ●Q.﹁トラバントのマフラーが一本から二本へ増やされることになった。それはなぜか?﹂ A.﹁もしトラバントが故障しても、マフラーに棒を差し込んで、手押し車として使えるように。﹂ ●Q.﹁風洞テストで、トラバントが見事二位の成績を収めた。では一位を獲ったのは何だったか?﹂ A.﹁家具工場が作ったウォールユニットだ。﹂ ●警察官が一台のトラバントを呼び止めた。 警察官﹁君、この車には速度計が付いていないじゃないか。これでは制限速度を守れないぞ﹂ 運転者﹁速度計が無くても大丈夫ですよ。時速20キロメートルで走るとフロントガラス、30キロだとシート、50キロならドア、そして80キロで私の歯がガタガタいい始めますから﹂ ●ある東ドイツ人が西ドイツの自動車修理工場を訪れて、彼のトラバントのエンジン︵Motor︶をもっと強力なものに交換するよう依頼した。一週間後、再び西側にやって来た東ドイツ人は、エンジンの載せ替え作業が完了した愛車の試し乗りをおこなった。トラバントは素晴らしい加速で跳び出したが、なぜかすぐに止まってしまった。そしてその後もダッシュと停止を繰り返すのだった。 東ドイツ人﹁おい、これはどういうことかね?﹂ 修理工﹁ちょっとお待ちを ... さあ、これでもう大丈夫ですよ﹂ 東ドイツ人﹁いったい何が悪さをしていたのかな﹂ 修理工﹁エンジンの代わりに、ワイパーのモーター︵Motor︶を使ったんですよ。ところが、間欠スイッチを切っておくのを忘れていたんです﹂ ドイツ語原文ではエンジンとモーターの両方について、原動機全般を意味する Motor︵モートア︶という名称で呼んでいる。 ●ついに、トラバントがエンジン無しで出荷され始めた。 ﹁エンジンも無いのに走れるの?﹂ ﹁我が国では万事下り坂なんだし、一応使い物にはなるだろ﹂ ●トラバントオーナーのための主の祈り。 道路の上なる我がトラビーよ。 願わくは汝のエンジンをあがめさせたまえ。 田舎道においても、アウトバーンにおいても、 加速を来らしめ、スピードを現せたまえ。 我らの日々の混合燃料を、今日も我らに与えたまえ。 ノロノロ運転を犯す者を、我らが許すがごとく、 我らのスピード違反をも許したまえ。 我らを警察の取り締まりに導かず、 赤信号より救い出だしたまえ。 ピストンとクランクシャフトと内なるブレーキオイル配管とは、 久遠に汝のものなればなり。 アーメン。 ●Q.﹁ヴァルトブルク﹃1.3﹄モデルの意味は?﹂ A.﹁1台分注文して、3台分支払った﹂シュタージ
秘密警察・シュタージは、しばしばアネクドートのネタにされている。 ●シュタージが敬虔なキリスト教徒を尋問した。 シュタージ職員﹁君は教会に通っているな?﹂ キリスト教徒﹁ええ﹂ シュタージ職員﹁十字架のキリスト像の足に口づけしたな?﹂ キリスト教徒﹁ええ﹂ シュタージ職員﹁同志ホーネッカーの足にも、同じように口づけできるか?﹂ キリスト教徒﹁もちろん、彼が同じように十字架に架けられたならね﹂ ●二本の押しピンが、道端で話し合っていた。 一本目の押しピン﹁なあ、俺が知っている政治ジョークがあるんだが ...﹂ 二本目の押しピン﹁しーっ、すぐそばに安全ピンがいるぜ!﹂ 安全ピン Sicherheitsnadel は国家保安 Staatssicherheit、すなわちシュタージを示唆する。 ●Q.﹁シュタージの採用試験とは、どのようなものか?﹂ A.﹁3メートル先のガラス窓に向かって跳び、耳でピタッと吸い付ければ合格。﹂ ●東ドイツの刑務所で、二人の受刑者がなぜここに来たのかを教え合った。 一人目﹁俺は自転車屋なんだが、ホーネッカーにコースターブレーキを勧めたんだ﹂ 二人目﹁俺は望遠鏡を使って、ホーネッカーのことを見たんだ﹂ 一人目﹁たったそれだけのことで逮捕されるなんてあんまりだ﹂ 二人目﹁まあそうなんだが、なにしろ望遠鏡の下に銃がぶら下がっていたのでね﹂ 自転車のコースターブレーキを意味するドイツ語 Rücktritt を直訳すると﹁後ろに踏み込む﹂といった表現となるが、文脈によっては﹁後退する﹂、﹁辞職する﹂という意味もある。 ●東ドイツのウサギが西側に駆け込んできて、政治的亡命を求めた。理由を聞くと、東ドイツのゾウすべてが迫害されることになったのだという。 西側の係官﹁おや、でも君はゾウじゃないよ﹂ ウサギ﹁それは分かってるが、なにしろシュタージの連中にとってはどっちでも同じなんだ﹂ ●駆け出しの若いシュタージ職員が、ロイナ市の化学コンビナート﹁VEBヴァルター・ウルブリヒト﹂で開かれるメーデー式典において、会場に潜入した西側のスパイを検挙するという任務を与えられた。 式典のスピーチの真っ最中に、彼は上官へ報告した。﹁同志中尉、7列の15番席にいるのがスパイです﹂この男を捕えて調べると、本当に西側のスパイであった。 なぜスパイを見付けられたのかと尋ねられたシュタージ職員はこう答えた。﹁政治の授業で﹃階級の敵は決して眠らない﹄と教わりました。スピーチの最中に起きていたのは奴だけでした﹂ ●小さなフリッツ君が父親に、学校での出来事について話した。 フリッツ﹁今日、﹃社会主義が打ち立てた成果﹄について書いた作文が戻って来たんだ。僕がクラスのトップだったよ。5段階評価で、上から数えて﹃4﹄だったんだ﹂ 父親﹁何だって、そんなひどい評価でトップか。他の生徒はどうだったんだ?﹂ フリッツ﹁さあ、分からないや。だって、みんなシュタージの事情聴取からまだ戻って来ないんだ﹂ ●教師﹁みんな、今日は初めての社会科の授業を行います。早速質問ですが、﹃共産党宣言﹄を書いたのは誰でしょうか? 誰も答える生徒がいなかったので、教師は小さなフリッツ君を指名して、同じ質問をした。 フリッツ﹁先生、それは僕じゃありません、本当です!﹂ 愕然とした教師は、自宅に戻ると、妻にこの話をした。 教師の妻﹁私もよく分からないけど、多分その子じゃないわね﹂ さらに頭を抱えてしまった教師は、行きつけの居酒屋に行って痛飲した。すると近くの席にいた男が教師の様子を見て、何があったのかを聞いてきた。そこで教師は、今日の出来事をすっかり話した。 男﹁先生、心配には及びません。実は私はシュタージに勤めているのですが、そいつを必ず見付け出しますよ﹂ 二週間後、教師が居酒屋に行くと、シュタージの男が再び現れた。 男﹁やあ先生、一件落着です。フリッツ君ではありませんでしたよ...フリッツ君の父親が自分の仕業だと自白しました﹂ ●Q.﹁あらゆる物資が欠乏しているにもかかわらず、シュタージが使っているトイレットペーパーはなぜ二重巻きなのか?﹂ A.﹁どのようなくだらないことでも、モスクワにコピーを提出しなければならないからだ。﹂ ●Q.﹁シュタージがロボトロン製の盗聴機を仕掛けたことを、どうやって見分ければよいか?﹂ A.﹁部屋の中に新しいクローゼット、そして家の前に新しい変圧器小屋が出現したら、そうだ﹂ ●ある市民の自宅から、電話機が没収されることになった。市民は抗議して、その理由を尋ねた。 係員﹁あなたが国家保安省のことを誹謗したためです﹂ 市民﹁私が? 一体なんでまた?﹂ 係員﹁あなたは電話口で何回も、通話が盗聴されているようだ、としゃべったでしょう﹂ 本当にシュタージが盗聴していたという落ち。 ●ホーネッカーがパリを公式訪問することになった。初のフランス入りに先立つ現地調査として、彼はヴィリー・シュトフとエーリッヒ・ミールケの二人にパリ出張を指示した。二人はお忍びで鉄道移動して、列車はパリ北駅に到着した。すると、プラットホームを行き来するポーターが呼ばわる大声が聞こえてきた。 ポーター﹁バガージュ、バガージュ!﹂ ミールケ﹁なんてことだ、俺たちの正体がもうばれたぞ!﹂ フランス語の単語﹁バガージュ﹂は荷物や行李を意味し、ドイツ語でも外来語として定着している。一方でドイツ語の文脈によっては、﹁ならず者たち﹂という別の意味となる場合がある。 ●入院したホーネッカーが、政府のトップ達を病室に呼び寄せ弱々しい声で尋ねた。﹁同志ミールケ︵国家保安相︶と同志ケスラー︵国防相︶も来ているのかね?﹂ 一同﹁はい、全員がここに揃っております﹂ これを耳にしてホーネッカーは急に飛び起きて、ブルブル震えながら叫んだ﹁何っ!二人が担当部署にいないとしたら、その間誰が国民の面倒を見ているんだ!?!?﹂人民警察
東ドイツの警察官は、あまり頭がよくないというのがステレオタイプになっていた。 ●Q.﹁東ドイツの警察官は、なぜいつも三人一組でパトロールするのか?﹂ A.﹁一人目が読み、二人目が書き、三人目が二人のインテリを監視する﹂ ●Q.﹁東ドイツの警察官は、なぜいつも警察犬を連れてパトロールするのか?﹂ A.﹁少なくとも、どちらか片方は教育を受けている﹂ ●二人の警察官がパトロール中、踏切を通りかかった。 そのうちの一人が上がったままの腕木を見て言った。﹁なあ、どのくらいの高さなのかな﹂ もう一人の警察官が答えた。﹁遮断機が下りるまで待っていよう。そしたら寸法を測ってみるから﹂ その応答に最初に尋ねた警察官は言った。﹁いんや、幅じゃなくて高さを知りたいんだ﹂ ●街角で二人の警察官が泣いていた。通りかかった市民が事情を聞くと、連れていた警察犬が逃げてしまったのだという。 通行人は警察官を慰めようとした。﹁なに大丈夫ですよ、ちゃんと警察署まで戻れるでしょう﹂ 警察官﹁うん、犬の方はね﹂ ●地方出身の警察官が東ベルリンに配属された。パトロールの際に通りかかったインターショップをのぞいてみると、見たこともないような西側商品がたくさん並んでいる。びっくり仰天した彼は、思わずインターショップに駆け込んだ。 ﹁私は政治的亡命を求めます!﹂ ●二人の人民警察官がパトロールしていた際、一人が相棒に質問した。 一人目の警察官﹁なあ、黒というのは色なのかな?﹂ 二人目の警察官﹁そうだな、色のひとつだな﹂ 一人目の警察官﹁それじゃあ、白も色なのかな?﹂ 二人目の警察官﹁うん、同じように色のひとつだな﹂ 一人目の警察官﹁そうか... じゃあやっぱり、俺の家にあるのはカラーテレビなんだ!﹂ ●ラジオ放送の時報。 ﹁これより8時をお知らせします ... なお警察官の皆様に申し上げます。8時とは、時計の長い針が真上を指して、短い針がプレッツェルを指す時間のことです﹂ ●Q.﹁﹃POST﹄の意味は何か?﹂ A.﹁まともな能力を持たない人達︵Personen ohne sinnvolle Tätigkeit︶の略だ。﹂ Q.﹁では﹃VP﹄の意味は何か?﹂ A.﹁POSTがたくさん︵viel POST︶の略だ。﹂ ﹃VP﹄は実際には、東ドイツ人民警察︵Volkspolizei︶の略称であった。 ●警察学校で、10名の生徒が修了テストを受けた。各人は丸、四角、三角の穴が開けられた板を受け取った。テストの内容は、10分間の制限時間内に、断面がそれぞれ丸、四角、三角の棒を正しい穴に通すというものだった。 テストの結果は、全員合格だった。10名のうち2名が論理的思考によって、そして8名が実力行使によって棒を穴に通したのだった。 ●人民警察でパーティーが催された際に、警察の将官がマルゴット・ホーネッカーをダンスに誘った。 警察の将官﹁ところで同志ホーネッカー、いずれは我が人民警察に対するジョークを禁じねばなりませんな﹂ M・ホーネッカー﹁それには納得できる理由が必要ですわ。だってあなた、私を国歌斉唱でダンスに誘った初めての殿方ですのよ﹂ ●医学生たちが試験を受けることになった。その内容は、ガラス容器に入った脳が何の生き物のものかを当てるというものだった。 一人目の医学生に示されたのはかなり小さな脳だった。医学生﹁あまり渦巻きがないので、ネコの脳でしょう﹂ 教授﹁よろしい、正解だ﹂ 二人目に示されたのはさらに小さな脳だった。医学生﹁構造が単純なので、ネズミの脳でしょう﹂ 教授﹁よろしい、正解だ﹂ 三人目に示されたのはさらにちっぽけな脳だった。医学生﹁渦巻きがふたつしかありません。これは警察官の脳でしょう﹂ 教授﹁答えは正解なのだが、よく見給え、君が二つ目の渦巻きだと思ったのは、実は制帽をかぶって付いた跡だよ﹂ ●パトカーが故障して止まっているところに、一台のトラバントが通りかかった。警察官たちはトラバントを運転していたシュミット氏に、パトカーを牽引するように頼んだ。シュミット氏はこの願いを聞き入れ、交通ルールを完璧に守る運転でパトカーを牽引してやった。 警察官たちは感銘を受けて、シュミット氏にこう言った。﹁まさに模範的な運転でした! 賞金として20マルクを進呈します。あなたは賞金を何に使いますか?﹂ シュミット氏﹁私はこれまで、運転免許証の順番待ちリストに乗ることもできませんでした。賞金を早速、免許証取得に使いますよ﹂ 助手席に座っていたシュミット夫人は、夫の発言を聞いて真っ青になってしまった。﹁どうか信じないでくださいね! うちの人は、お酒を飲むといつもとんでもないデタラメをしゃべるんですよ﹂ すると、後部座席に座っていた娘がこう言った。﹁まったく、盗んだクルマじゃ長続きしないって思っていたのよ﹂ 今度はトランクルームの扉が開いて、お祖父さんが顔をのぞかせた。﹁もう西側に着いたのかい?﹂フルーツ
戦前と同じく、輸入フルーツのバナナやオレンジは東ドイツではぜいたく品であり、これもネタとされた。 ●道の向こうからバナナが息を切らして走って来て、キウイフルーツに出くわした。 キウイフルーツ﹁君、一体どうしたんだい﹂ バナナ﹁僕のことを捕まえようと、大勢の人間が追いかけて来るんだ。君も早く逃げないと食われてしまうぞ﹂ キウイフルーツ﹁それなら大丈夫、どうせ僕のことを知っている人は誰もいないよ﹂ ●Q.﹁東ドイツ人がサルから進化したのではないという証拠は?﹂ A.﹁バナナも無しに、サルを40年間もつなぎとめておくことはできない﹂ ●Q.﹁バナナでコンパスを作るにはどうすればよいか?﹂ A.﹁ベルリンの壁の上にバナナを一本置き、翌朝、バナナが食いちぎられていた方が東[25]﹂ ●ガラスの棺で眠る白雪姫を、誰も目覚めさせることができなかった。小人たちにも、またさえずる小鳥たちにも無理だった。 ところが王子様が白雪姫の耳に魔法の言葉をささやくと、彼女はいっぺんに飛び起きた。その言葉とは... 王子様﹁コンズームでオレンジを売っているよ﹂ ●ある男が仕事を早引けして帰宅すると、彼の妻がベッドで他の男と寝ているところを発見した。夫は憤激のあまり怒鳴った。﹁おい、お前たち、こんなところで一体何をしているんだ! ...HOにバナナが入荷しているというこの時に!﹂ コンズーム︵Konsum︶は消費組合︵生協︶、HO︵Handelsorganisation︶は国営小売店で、上述のインターショップに対して一般の食料品や日用品を扱っていた。なおコンズームは19世紀にドイツ各地で設立された消費組合を起源とし、東ドイツ崩壊後も一部が小売業者として存続している。 ●Q.﹁トラバントの価値を倍増するにはどうしたらよいか?﹂ A.﹁車内にバナナを一本置けばよい﹂ 上述のトラバントにまつわるジョークのバリエーション。ベルリンの壁崩壊とその後の政治体制の変化
東ドイツ末期には、ベルリンの壁の崩壊やその後の急激な政治体制の変化を皮肉ったのが多くある。
●ある東ドイツ市民が、西ドイツ市民に向かって言った。
東ドイツ市民﹁我々は一つの国民だ!﹂
西ドイツ市民﹁そうかい、うちもだよ!﹂
wir sind ein volk! ﹁我々は一つの国民だ!﹂は東ドイツ末期の民主化デモで用いられたスローガン。月曜デモでは wir sind das Volk! ﹁我々こそ国民だ!﹂とも叫ばれた。
●﹁ホーネッカーが、西側への逃亡中に射殺されたそうだよ﹂
﹁それも、背後じゃなくて前から撃たれたんだってね﹂
●Q.﹁ホーネッカーとセナの違いは何か?﹂
A.﹁セナは壁に激突して死に、ホーネッカーは"壁"を生き延びた﹂
セナの代わりにダイアナ元妃を引き合いに出すバージョンもある。
●Q.﹁なぜ中国人たちは、いつもニヤニヤ笑っているのか?﹂
A.﹁中国には、まだ﹁壁﹂があるからだ﹂
●Q.﹁なぜ西ドイツ人は東ドイツ人のことを﹃オッシー﹄と呼ぶのか?﹂
A,﹁西ドイツ人は﹃スペシャリスト﹄と発音できないからだ﹂
●Q.﹁﹃フォード﹄のアルファベット四文字は、何の頭文字か?﹂
A.﹁﹃オッシーにはこれで充分︵für Ossis reicht das︶﹄﹂
●Q.﹁﹃バカなオッシー﹄と言わないのはなぜか?﹂
A.﹁﹃黒いニグロ﹄とは言わないのと同じ﹂
●Q.﹁あるオッシーが海岸を散歩していると、二人の人がおぼれているのを見つけた。オッシーは、有色人種と白色人種のどちらを助けるのか?﹂
A.﹁それは有色人種の方だ。白人は、もしかしたらヴェッシーかも知れないから﹂
●西ドイツ人と東ドイツ人、そして黒人の三人が、産科の待合室で子供の誕生を待っていた。ついに看護士がやってきて、彼らにこう告げた。
看護士﹁みなさん、おめでとうございます!それぞれ元気な男の子が生まれましたよ。ところが当方の手違いで、どの赤ちゃんがどなたのお子さんか分からなくなってしまいました。そこで、皆さんに自分のお子さんを選び出していただけませんか?﹂
これを聞いた東ドイツ人は、真っ先に赤ちゃんたちの所に駆け付けると、一番肌の色が濃い赤ちゃんを選んで、そのまま連れ帰ろうとした。
看護士﹁あのう、その子はどう見ても黒人のお父さんの子ですよ!?﹂
東ドイツ人﹁ヴェッシーじゃなければ、誰でも構わないのさ!﹂
●ケムニッツ出身の若者がドイツ連邦軍に入隊し、NATO平和維持部隊の一員としてボスニア紛争へ派遣された。郷里の母親に宛てて、彼は手紙を書いた。
﹁食事はいいものが出ています。こちらの営舎では6人のオッシーと4人のヴェッシーが一緒に暮らしていて、とても仲良くやっています﹂
しばらくして、母親からの返事が届いた。
﹁ちゃんと食事を摂っているようで安心しました。もう4人も捕虜を取ったなんて、素晴らしいわね...﹂
その他の社会主義国に関するもの
●我がポーランドは世界で一番広い国である。領土はヨーロッパに、首都はモスクワに、国民はシベリアにいる。 ポーランドではなくウクライナとなっているバージョンもある。またキューバを指して﹁領土と国民はカリブ海の沖合に、首都はモスクワに、知識層はフロリダにいて、兵士はアンゴラで死んでいる﹂というのもある。 ●ワルシャワに住むある男が、仕事からの帰り道にかならず文化科学宮殿の塔の上によじ登り、10分間をそこで過ごし、それから降りて来て帰宅するのだった。その理由を尋ねられた男はこう答えた。 ﹁だってあそこはワルシャワの中で、文化科学宮殿を見なくて済む唯一の場所なんだ。﹂ ●Q.﹁スロバキア人にとって、共産主義のいいところは何か?﹂ A.﹁チェコ人もまた、共産主義をやっている点だ。﹂ ●プラハのヴァーツラフ広場で、ある男が尿意に耐えられなくなり、立小便をした。通りかかった警察官がこれを見とがめ、彼を連行しようとしたが、まずズボンの前を閉じるように促した。 男﹁お巡りさん、このままにしておきましょうよ。そうすれば、俺が政治犯で捕まったんじゃないってことが、周りの人にも分かるでしょう?﹂ ●ブダペストで開かれた党の会議で、カーダールが﹁批判と自己批判﹂というテーマの演説を行った。 ﹁6か月前、私等の同胞であったモイシェがイスラエルに亡命しました。彼は一族郎党を引き連れ、家財をみんな持って行きました。彼は祖国ハンガリーと社会主義勢力とを裏切ったのであります!我々は皆、彼のことを呪うべきです。彼はもはや、我々の一員ではありません。 ... 以上が批判です。さて次に自己批判ですが ... 彼と一緒に行かなかったなんて、私はなんてバカなのでしょうか!﹂ ●冬のブカレストを歩いていた男が、ある住居の窓が開けっ放しなのを見付けた。 男﹁もしもし、窓が開いたままですよ。外まで冷たくなってしまったじゃないですか!﹂ ●Q.﹁ルーマニアの生活水準が、この春から100パーセント上昇した。それはなぜか?﹂ A.﹁人々は以前、寒さに震えて腹ペコだった。それが今では、腹ペコなだけだ。﹂ ●重病に罹ったポル・ポトが、死の危険を感じ側近に医者を呼ぶように言った。 側近﹁国内の医者は、貴方の命令により、ひとり残らず粛清致しました。﹂ ポル・ポト﹁とにかく、医者を呼べ。お前も粛清されたいのか?﹂ 側近は必死で国中を駆け回り、やっとの事で医者をみつけてきたが呪術医[26]だった。 ポル・ポトが原始共産主義を唱えて知識階級を弾圧・粛清した事[26]を皮肉った話。関連項目
●政治風刺 ●ジョーク ●エスニックジョーク ●ブラックジョーク ●ロシア的倒置法 ●つるふさの法則 ●米原万里 ●チェブラーシカ解説
(一)^ ロシア革命後、富農と認定された農民からは通常の倍の徴税を﹁自主的﹂に行わせる﹁自己徴税﹂の制度があり、それを皮肉ったもの。
(二)^ ちなみにこのアネクドートは当のガガーリン自身が好んで、よく語っていたと言われる。
(三)^ ソ連共産党中央委員会のメンバーはほとんど歯が残っていないような年寄りばかりしかいない、と言う意味。
(四)^ abcdロシアでは名前と父称で呼ぶのは丁寧な呼びかけにあたる。そして、単にイリイチだけの場合は普通レーニンを指したが、ブレジネフ時代にも﹁親愛なるレオニード・イリイチ!﹂が演説などでの枕詞として頻繁に使われていた。
(五)^ ab“победа”︵pobeda︶=﹁勝利﹂は頭の“по”︵po︶を取ると“беда”︵beda︶=﹁災難﹂になる。
(六)^ 正確には、父は弁護士で︵両親とも︶家業はユダヤ教ラビだった。
(七)^ マルクス自身、妻が貴族の出であることを自慢してはいたものの、妻の実家は地方の小役人で称号だけが貴族というのが実情だった。当該項目の説明も参照のこと。
(八)^ クージカとは人名クジマーの愛称であるとともに、コガネムシ科の昆虫の名前でもあり、冬季は深い穴を掘らないとこの虫を見つけ出すことができない。
(九)^ 罪すべき行為が“﹁スターリンの馬鹿野郎!﹂と叫んだ”になっている場合もある。なお、1989年に中国共産党総書記の趙紫陽が解任された理由の一つは、訪中したゴルバチョフ書記長に﹁最終決定権は鄧小平にある﹂と明かしたためとされる。
(十)^ 実際にはその直前に保守派によるクーデターが起き、実施されなかった。
(11)^ ザジェールジヴァチ (задерживать・zaderzhivat') には拘束するという意味もある。
(12)^ なお、実際のハンガリーにはドナウ川で活動する﹁海軍﹂が存在する
(13)^ モンゴル人民共和国︵現在のモンゴル国︶が北はソ連、南は中国という社会主義の2大国に完全に囲まれている。
(14)^ 二人とも古代秦朝に対して反乱を起こした農民軍の指導者。
(15)^ 08/15には﹁特別じゃないもの﹂﹁凡庸なもの﹂という隠喩も含まれている。当該項目を参照。
(16)^ リュマニテはフランス共産党系の新聞。
(17)^ abc東ドイツの全人口を形容する人数として1700万人という数字が使われているが、これはベルリンの壁が建設された1961年当時の東ドイツの人口。現実には1972年に1700万人を割り込み、統一直前には1600万人を割り込むまで落ち込んでいた。
(18)^ abウルブリヒトはザクセン出身であったことからその方言が風刺の的とされ、その風采からヤギひげと渾名されていた︵当該項目を参照︶。またヤギをひき殺したジョークには、ブタをひき殺して運転手が﹁ブタが死んでしまった、と話しただけ~﹂というバージョンもある。
(19)^ 地雷がなくなったので、誰も見ていなければ簡単に西側へ行けるから。
(20)^ もし壁が崩れたら、大勢の東ベルリン市民が西側へ殺到するという落ち。
(21)^ abノイエス・ドイチュラント紙は東西ドイツ統一後も、左派系の日刊新聞として発行を続けている。
(22)^ つまり最高指導者の訃報記事。
(23)^ 実際にはモデルナンバーを示す番号。
(24)^ 実際の車体は綿の繊維を使った繊維強化プラスチック(FRP)で出来ていたが、1980年代半ば以降は製造コスト低減を図って紙パルプをプラスチックに混ぜ込んでいた。該当項目も参照。
(25)^ 但し、実際のベルリンの壁は西ベルリンを囲む形で作られていたので、壁より西・北・南側にも﹁東ドイツ﹂は存在していた。
(26)^ abポル・ポト政権下の民主カンボジアでは、革命以前に医師だったものは粛清の対象とされ、代わりに民間療法や代替療法を用いた療術師が医師の代わりとなった。彼らの中にはあまり教育を受けず文字も読めないのも多く、15歳以下の子どもが療術師を務めることも珍しくなかった。︵山田寛﹃ポル・ポト︿革命﹀史﹄ pp.146-147︶
脚注
(一)^ 例えば、6世紀の東ローマ帝国・ユスティニアヌス1世時代にプロコピオスが書いた秘密ノート﹃秘史﹄(Ἀνέκδοτα)。
(二)^ 伸井太一﹃ニセドイツ︿1﹀ ≒東ドイツ製工業品﹄社会評論社、2009年 P51-52
(三)^ 仲井斌﹃もうひとつのドイツ﹄朝日新聞社、1983年 P103
(四)^ 伸井斌﹃もうひとつのドイツ﹄︵1983年 朝日新聞社︶P100-101