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ウォルト・ディズニー

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ウォルト・ディズニー
Walt Disney
ウォルト・ディズニー Walt Disney
ウォルト・ディズニー氏の顔写真(1954年撮影)
本名 ウォルター・イライアス・ディズニー
Walter Elias Disney
生年月日 (1901-12-05) 1901年12月5日
没年月日 (1966-12-15) 1966年12月15日(65歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州バーバンク
民族 アイルランド系アメリカ人
身長 175cm
職業 アニメーター映画監督漫画家プロデューサー脚本家
実業家
活動期間 1920年1966年
配偶者 リリアン・バウンズ英語版
著名な家族 兄:ロイ・O・ディズニー
長女:ダイアン・ディズニー・ミラー
公式サイト https://www.disney.co.jp/
主な作品
ディズニー作品を参照

 

受賞
アカデミー賞
短編アニメ賞
1931年花と木
1933年三匹の子ぶた
1934年うさぎとかめ
1935年三匹の親なし子ねこ
1936年田舎のねずみ
1937年風車小屋のシンフォニー
1938年牡牛のフェルディナント
1939年みにくいあひるの子
1941年プルートの悩み
1942年総統の顔
1953年プカドン交響楽
1968年プーさんと大あらし
短編映画賞
1958年グランド・キャニオン
短編二巻賞
1948年Seal Island
1950年In Beaver Valley
1951年Nature's Half Acre
1952年水鳥の生態
1953年『Bear Country
長編ドキュメンタリー映画賞
1953年『砂漠は生きている
1954年滅びゆく大草原
短編ドキュメンタリー映画賞
1953年『民族と自然/アラスカのエキスモー
1955年民族と自然/北極圏の人々
名誉賞
1932年 長年の功績に対して
1938年『白雪姫』の製作に対して
1941年『ファンタジア』の製作に対して
アービング・G・タルバーグ賞
1941年 長年に渡るアニメ映画製作への功績に対して
カンヌ国際映画祭
審査員特別賞
1953年 アニメ映画の革命に対して
ヴェネツィア国際映画祭
審査員特別賞
1950年シンデレラ
国際賞
1948年メロディ・タイム
芸術メダル
1938年『白雪姫』
特別メダル
1936年誰がコック・ロビンを殺したの?
ベルリン国際映画祭
ベルリン市政府特別賞
1954年
ニューヨーク映画批評家協会賞
特別賞
1938年『白雪姫』
1940年『ファンタジア』
エミー賞
プロデューサー賞(録画番組部門)
1956年ディズニーランド
ゴールデングローブ賞
特別賞
1947年バンビ
1953年『砂漠は生きている』
セシル・B・デミル賞
1952年
セザール賞
名誉賞
1978年
その他の賞
テンプレートを表示

Walt Disney, 1901125 - 19661215

O350

 (Walter Elias Disney)Disneyd'Isigny11

生涯

生い立ち


4

4119201930

81[ 1][1]

7

青年期


4:30[2]沿

退161


アニメーターへの転身

Newman Laugh-O-Gram (1921)

19201

1920L調20Laugh O'Gram Studio

ディズニー社設立

モリナ・カンポスとウォルト(1941年

Laugh O'Gram studios1939

1925Lillian BoundsDianeSharon()

ユニバーサルによる引き抜き

1927年、興行師チャールズ・B・ミンツの紹介でユニバーサル・ピクチャーズと繋がりを得たウォルトは、自社キャラクターとして「オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット」を考案、オズワルドを主人公にしたアニメをユニバーサル配給で制作した。オズワルドはシリーズスタートと同時に子供の間で大ヒットを飛ばし、一躍ディズニー社躍進の切っ掛けを作った。ウォルトはカンザスフィルム時代の旧友達を次々に会社へと誘って、ディズニー社はアメリカでも屈指のアニメ製作会社に急成長した。

だが1928年2月、チャールズ・B・ミンツと契約料の取引に臨んだウォルトはそこで大きな悲劇に見舞われた。ミンツはユニバーサル社に法外な配給手数料を支払う様に要求、ウォルトがこれを拒否すると露骨な社員への引き抜き工作を仕掛けた。ウォルトを二重に落胆させたのは、この引き抜き工作にアイワークスを除く殆どのアニメーター達が応じてしまった事だった。(その例がハーマン=アイジングである)。契約書上、オズワルドが配給会社の管理下に置かれていた事も不利に働き、ディズニー社は配給元と自社キャラクター、そしてスタッフの大半を失って倒産寸前に追い込まれた。しかし、諦めきれなかったウォルトはその後も頑張って仕事を続けた。

ミッキーマウスの誕生


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使

1930

ディズニーリゾート

ディズニーとヴェルナー・フォン・ブラウン(右)

1948姿[3]

19513[4]19539160(730,000m2)

1954TVABC200854寿ABC

調195472119501843[5]

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湿西19652

[6]

死去


1966121565

[7]

38[]

LIFE19991000100

人物

従業員との関係
ウォルトは優秀なアニメーターには厚遇する事もあったが、アシスタントに対しては「誰にでも出来る仕事をしている人間に何故、高い報酬を支払わないといけない」と下に見て薄給でこき使い、アシスタント達を中心としてストライキを起こされた事もある。ウォルトはウォルト・ディズニー・カンパニーの創業者で、ミッキーマウスの生みの親であるが、ウォルトが自分で原画を書いて映画を作っていたのは初期の頃であり、後世に名を遺すディズニー映画の大作のほぼ全ては脚本家とアニメーターが制作しており、ウォルトは金と口を出すのが仕事だった。映画を製作する際は何度も意見が分かれ、ウォルトと制作陣が衝突・喧嘩にも似た侃々諤々の議論をする事は日常茶飯事だったという。
倹約家
アニメ界、映画界の大成功者であり、世界的企業の創業者であるにも関わらず借入が多かった事と倹約家だった為、人々が想像する程裕福でも無く、娘達曰く「家も車も人より少し良い程度」の質素な暮らしを送っていたという。

政治との関係

プロパガンダ映画の制作


1941128[8]



1254en:Our Friend the Atom()



 Victory Through Airpower1943

 The New spirit1943

FP-45使

反共姿勢


193310[9]SAG

FBI

7調Walt Disney姿姿1964[10] 

人種・性差別姿勢


NAACP

[11][12][13][14][15]

主な製作作品

受賞歴

アカデミー賞

1968年の米国の切手
ディズニーのサイン

アカデミー賞の個人受賞最多記録をもつ。

  • 1931年 - 1932年 短編アニメ賞花と木
  • 1932年 名誉賞 ミッキーマウスの創造に対して
  • 1932年 - 1933年 短編アニメ賞 『三匹の子ぶた
  • 1934年 短編アニメ賞 『うさぎとかめ
  • 1935年 短編アニメ賞 『三匹の親なし子ねこ』
  • 1936年 短編アニメ賞 『田舎のねずみ』
  • 1937年 短編アニメ賞 『風車小屋のシンフォニー
  • 1939年 名誉賞 『白雪姫
  • 1938年 短編アニメ賞 『牡牛のフェルナンド』
  • 1939年 短編アニメ賞 『みにくいアヒルの子』
  • 1942年 名誉賞 『ファンタジア
  • 1941年 短編アニメ賞 『プルートのなやみ』
  • 1941年 アービング・G・タルバーグ賞
  • 1942年 短編アニメ賞 『総統の顔
  • 1948年 短編二巻賞 『あざらしの島』
  • 1950年 短編二巻賞 『ビーバーの谷』
  • 1951年 短編二巻賞 『大自然の片隅』
  • 1952年 短編二巻賞 『水鳥の生態』
  • 1953年 長編ドキュメンタリー映画賞砂漠は生きている
  • 1953年 短編ドキュメンタリ映画賞 『民族と自然/アラスカのエスキモー』
  • 1953年 短編二巻賞 『熊の楽園』
  • 1953年 短編アニメ賞 『プカドン交響曲』
  • 1954年 長編ドキュメンタリー映画賞 『滅びゆく大草原』
  • 1954年 短編ドキュメンタリー映画賞 『民族と自然/北極圏の人々』
  • 1958年 短編実写賞 『グランドキャニオン』
  • 1968年 短編アニメ賞 『プーさんと大あらし』

脚注

注釈

  1. ^ ウォルトは鉄道マニアで、後に彼が作ったディズニーランドには必ず鉄道が走っている

出典

  1. ^ 『ネズミの罠、ディズニーの夢のマシンの中で(“The Mousetrap”Inside Disney's dream machine)』(『NI』誌、1998年12月号)
  2. ^ [https://kilosophy.com/business-leader/walt_disney
  3. ^ ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)p425-426 2007年7月26日第1刷
  4. ^ ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)p439 2007年7月26日第1刷
  5. ^ ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)p464 2007年7月26日第1刷
  6. ^ 『ディズニーリゾート物語』第9巻 2002年 講談社
  7. ^ 『ネズミの罠、ディズニーの夢のマシンの中で』(『NI』誌、1998年12月号)
  8. ^ 『ハリウッド帝国の興亡―夢工場の1940年代』(オットー・フリードリック著、文藝春秋)
  9. ^ http://www.english.illinois.edu/maps/mccarthy/blacklist.html
  10. ^ 『ネズミの罠、ディズニーの夢のマシンの中で』(『NI』誌、1998年12月号)
  11. ^ 『MICKEY MOUSE ANNUAL』(1932年)
  12. ^ 『Thursday from Mickey Mouse and the Boy Thursday』(1948年)
  13. ^ 『子供映画におけるステレオタイプ人種差別(Stereotypes & Racism in Children's Movies)』(Libby Brunette、Claudette Mallory & Shannon Wood共著、「児童教育のための全米協会(NAEYC)」刊)
  14. ^ 『The 9 Most Racist Disney Characters』(Cracked
  15. ^ 『ネズミの罠、ディズニーの夢のマシンの中で』(『NI』誌、1998年12月号)

参考文献

  • グリーン夫妻著/山口和代訳 『魔法の仕掛人ウォルト・ディズニー』(ほるぷ出版) 1994年 ISBN 4-593-53360-0
  • マーク・エリオット著/古賀林幸訳 『闇の王子ディズニー(上、下)』(草思社) 1994年 ISBN 4-7942-0576-7 ISBN 4-7942-0577-5
  • ラッセル・シュローダー著/スタジオジブリ編集/田畑正儀訳 『Walt Disney : 伝記・映像の魔術師』(徳間書店) 1998年 ISBN 4-19-860860-1
  • ボブ・トーマス著/山岡洋一, 田中志ほり訳『ディズニー伝説 : 天才(ウォルト)と賢兄(ロイ)の企業創造物語』(日経BP社)1998年 ISBN 4-8222-4138-6
  • ニール・ゲイブラー著/中谷和男訳『創造の狂気 : ウォルト・ディズニー』(ダイヤモンド社)
  • ボブ・トマス著『ウォルト・ディズニー』(講談社)1995年 (日本図書館協会選定図書・全国学校図書館議会選定図書)

関連項目

外部リンク

先代
-
ミッキーマウス原語版声優
初代(1928年~1947年)
次代
ジム・マクドナルド