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* 本系列の冷房改造ならびに編成変更実施で不足となる予備車確保の名目でサロ157-6を新造 |
* 本系列の冷房改造ならびに編成変更実施で不足となる予備車確保の名目でサロ157-6を新造 |
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* 3月25日より東北本線・日光線での運用を以下に変更 |
* 3月25日より東北本線・日光線での運用を以下に変更 |
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** 「日光」は引き続き本系列を充当。全車両の冷房化を実施。 |
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** ﹁中禅寺﹂﹁なすの﹂﹁湘南日光﹂は[[国鉄165系電車|165系]]へ置換え<ref group="注">当該3列車は165系による最初の定期運用であるが、冬期運休となる﹁中禅寺﹂の運転開始は同年4月25日からとなった。</ref>。日光 - 黒磯の快速については列車の存廃を含めて不明。
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=== 1963年4月-1964年9月 === |
=== 1963年4月-1964年9月 === |
2022年5月12日 (木) 09:34時点における版
![]() |
国鉄157系電車 | |
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157系電車によるお召し編成の回送 (1978年6月19日) | |
基本情報 | |
運用者 | 日本国有鉄道 |
製造所 | 汽車製造・日本車輌製造・川崎車輛 |
製造年 | 1959年 - 1963年 |
製造数 | 31両(一般車) |
運用開始 | 1959年9月22日 |
運用終了 |
1976年2月28日(一般旅客) 1980年(お召牽引) |
廃車 |
1978年(一般車) 1980年(お召し牽引車) |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流 1,500 V |
最高運転速度 | 110 km/h |
設計最高速度 | 130 km/h |
全長 | 20,500 mm |
全幅 | 2,950 mm |
全高 | 4,090 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 |
揺れ枕方式空気ばね台車 DT24形(電動台車) TR59形(付随台車) |
主電動機 |
直流直巻電動機 MT46形 |
主電動機出力 | 100 kW |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 19:80=1:4.21 |
定格速度 | 68.0 km/h (70 %界磁) |
制御方式 | 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 |
制御装置 | CS12C形電動カム軸式 |
制動装置 |
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ 勾配抑速ブレーキ |
備考 | クロ157形は別記 |
概要
東京駅から日光駅へは、1956年︵昭和31年︶10月からキハ55系気動車による準急﹁日光﹂が運転されていたが、1958年︵昭和33年︶に東北本線・日光線の電化が完成したため、国際的観光地である日光に向かう﹁日光﹂号を電車化しスピードアップすることが計画された。そのうえで、国際観光列車としての色彩や競合する東武鉄道への対抗、ならびに将来の急行形車両の設備向上の試作的意味から、準急列車用に22系電車として計画・開発された。 キハ55系などの準急形車両はおろか急行形車両よりも設備水準がはるかに上のものとして、151系電車に準じたデラックスな特急形車両並の車内設備を有して設計・製造されたのが本系列である。1959年︵昭和34年︶6月の車両称号規程改正後に落成したため﹁157系﹂と称される。 最初に投入された列車名から﹁日光形電車﹂とも呼ばれる。 後に特急列車にも投入され、一般旅客用車両31両と皇室用貴賓車クロ157形の1両をあわせた合計32両が1963年︵昭和38年︶までに日本車輌製造・川崎車輛︵現・川崎車両︶・汽車製造で製造された。構造
機器
101系通勤型電車で採用・確立されたMM'ユニット方式で、1基の主制御器で2両8基の主電動機を制御する1C8M方式・SELD︵発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ︶・中空軸平行カルダン駆動方式などの新技術を導入した新性能電車。性能面では153系急行型電車を基本にしており、DT24形︵電動車︶・TR59形︵付随車︶台車[注 2]MT46A形直巻整流子電動機[注 3]を歯車比1‥4.21=19:80で搭載など共通点も多く、営業運転時最高速度110 km/h・設計最高速度130 km/hも153系と同様である。 制御回路はKE57A形ジャンパ連結器2基によるため、同様の方式を採用する151・153・155・159・161系の各系列とは互換性があり併結・混結は可能で[注 4]、153・161系とは営業運転での実績もある[注 5]。 しかし本系列では、勾配の介在する日光線内での運転条件を考慮して以下の設計変更が行われた。 ●編成内の電動車比率︵MT比︶を高めるため編成両端のクモハ157形 (Mc) +モハ156形 (M') でユニットを組み、その間に付随車のサロ157形 (Ts) ・サハ157形 (T) を2両ないし3両組み込むことを基本とした。食堂車︵ビュフェ車を含む︶は製造されていない。 ●クモハ157形に搭載される主制御器は、既存のCS12A形電動カム軸多段抵抗制御器に抑速ブレーキを追加装備したCS12C形を搭載する。ただし、後にCS15形で一般的となるノッチ戻し機構は未装備である。車体
車体断面は153系に準じた形状とした全金属製セミモノコック構造であり、車両限界に合わせ裾を絞った断面形状とした。 クモハ157形の前面はクハ153形を基本とし前面窓の側面まで回り込んだパノラミックウインドウ採用などの共通点もあるが、当初は同形式同士を向かい合わせにする運用を想定していなかったことにより非貫通構造としたこと、踏切事故対策として高運転台を採用したことにより、本系列独特のものとなった。 客用出入口は151系と同様の幅700 mmの片引戸を採用し、本系列では片側2か所に設けられたほか、横揺れ防止の車端ダンパが搭載された。 当初は準急用であることから冷房装置の搭載は見送られたものの、将来の搭載を考慮し、屋根上の搭載予定部分を鉄板で塞ぐなどの準備工事が施されており、客室には扇風機が設置された。このため側窓は開閉可能なバランサー付き1段下降窓を採用した[注 6]。 新製時の外板塗色はキハ55系と同様のクリーム4号と赤11号の組み合わせとし、車両番号表示は落成当時より切り抜き文字であったクロ157形を除き赤11号とした。ただし、1次車では細かった先頭部裾︵後部標識灯・タイフォン下︶のクリーム色帯が2次車から太くなり後に2次車の仕様に統一された。また1963年︵昭和38年︶のAU12S形分散式冷房装置搭載工事と同時に車両番号表示を含む赤色部分を他の特急用車両と同様の赤2号に変更した[注 7]。車内設備
特急形車両と同等の車内設備を持たせるということで、座席は2等車がリクライニングシート、3等車が回転クロスシートを採用した。 2等車のリクライニングシートは151系のものと基本構造は同一だが、準急形ということで表地は赤7号の合成繊維となり、シートラジオは省略された。テーブルは151系と同様に通常は座席背面の袋に収納し、使用時に袋から出して肘掛け横の穴に差し込む構造である。 3等車の回転クロスシートは151系のものを改良し、座席背面の折畳みテーブルを外付け式とした。また座席背面のほか、側面窓下の壁面にも灰皿を設けている。 荷物棚は当時としては珍しいパイプ式を採用。 トイレ・洗面所はすべての車両に設置されたが、サロ157形には外国人観光客に配慮して洋式トイレを採用した。形式
※は当初の計画段階での形式である。製造 年次 |
形式 | 車両 番号 |
製造 会社 |
製造名目 | 予算 |
1次車 1959 |
クモハ157 モハ156 |
1 - 3 | 汽車 | 準急「日光」電車化 | 昭和33年度債務 |
4・5 | 日車 | ||||
サハ157 | 1 | 汽車 | |||
2 | 日車 | ||||
サロ157 | 1 | 汽車 | |||
2 | 日車 | ||||
2次車 1960 |
クモハ157 モハ156 |
6 - 8 | 日車 | 特急「ひびき」 通年運転用増備 |
昭和35年度本予算 |
9・10 | 川車 | ||||
サハ157 | 3 | 日車 | |||
4・5 | 川車 | ||||
サロ157 | 3 | 日車 | |||
4・5 | 川車 | ||||
3次車 1963 |
サロ157 | 6 | 日車 | 冷房化改造 ならびに「ひびき」予備 |
昭和37年度本予算 |
貴賓車 1960 |
クロ157 | 1 | 川車 | 皇室ならびに各国賓客用 | 昭和34年度債務 |
運用の変遷
1959年9月-1960年12月
田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に配置された1次車14両により1959年9月22日から東京 - 日光「日光」・新宿 - 日光「中禅寺」・上野 - 黒磯「なすの」の各準急と間合い運用で日光 - 黒磯快速列車で運転を開始。
- 下り「日光」→(臨時「第2日光」)→上り「中禅寺」
← 日光・東京・新宿・上野 宇都宮 → | |||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サハ 157 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 下り「中禅寺」→快速黒磯→「なすの」→快速日光→上り「日光」
← 宇都宮・黒磯 日光・東京・新宿・上野 → | |||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 予備車
- McM'ユニット1組
- 所定の編成と運用(1959年11月21日 - 1960年3月19日の年末年始期間を除く)
- 下り「日光」→快速黒磯→快速日光→上り「日光」
- 下り「ひびき」→上り「ひびき」
← (大阪)・日光・東京・伊東 宇都宮・黒磯(東京) → | |||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サハ 157 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 年末年始期間の「日光」減車と「ひびき」増結(1959年12月下旬 - 1960年1月上旬)
- 下り「日光」→快速黒磯→快速日光→上り「日光」
← 日光・東京・伊東 宇都宮・黒磯 → | ||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 下り「ひびき」→上り「ひびき」
← 大阪 東京 → | ||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サハ 157 |
サハ 157 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
1960年12月-1963年3月
1960年12月までに2次車16両が落成し、同月10日から臨時特急﹁ひびき﹂の増発が年間を通じて可能となった[注 17]。また、年末年始の﹁日光﹂減車もこの年以降は行われなくなっている。 ﹁ひびき﹂編成︵使用1本︶← 大阪 東京 → | ||||||||||
1960年12月10日 - 1961年1月31日 | ||||||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
+ | サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
1961年2月1日 - 1963年4月19日 | ||||||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 「日光」編成(春 - 秋期使用2本・冬期1本)は変更なし。
- 予備車
- 1編成+McM'ユニット2組+Ts1両+T1両
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/92/157_Hibiki_Yokohama.jpg/200px-157_Hibiki_Yokohama.jpg)
1963年4月-1964年9月
4月20日に﹁ひびき﹂1往復定期特急格上げのため、サロ157形を﹁ひびき﹂に捻出することから、157系の全車冷房化から1ヶ月で﹁日光﹂編成はサハ157形に置換えた以下の編成へと変更した。- 「ひびき」編成(使用2本)
← 大阪 東京 → | ||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サハ 157 |
サロ 157 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 「日光」編成(使用1本)
← 日光・東京 宇都宮 → | |||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サハ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 予備車
- McM'ユニット4組+Ts2両+T1両[注 21]
「ひびき」は乗車率が高いために、度々McM'ユニットを大阪方もしくは東京方のいずれかに増結した9両編成で運転されるケースも多かったが、同年12月21日の年末年始輸送から増号車扱い継続のまま恒常的に9両での運転となった。
- 本措置は「第1富士」脱線転覆事故の影響で車両運用が大幅に変更された翌1964年(昭和39年)5月6日まで継続した。
1964年10月-1969年4月
東海道新幹線開業による1964年10月1日のダイヤ改正では東海道本線の昼行特急は全廃となったため「ひびき」充当車は同年11月1日から全車座席指定の急行「第1・第2伊豆」に転用されることになり、以下の運用体制に変更になった。
- 「伊豆」編成(使用1本)
東京 → | |||||||||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
+ | クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
伊豆急下田編成 | 修善寺編成 |
- 「そよかぜ」編成
← 東京 中軽井沢 → | ||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
1969年4月-1976年2月
1969年︵昭和44年︶4月25日、東京 - 伊豆急下田に特急﹁あまぎ﹂定期2往復・季節1往復・予定臨時1往復を新設し、本系列が充当された。- これに先立ち4月5日に急行「伊豆」での運用を終了。「日光」も165系に置換えられ、本系列は発祥の地である日光線運用も終了した。
- 「あまぎ」編成
← 伊豆急下田 東京 → | |||||||||
定期列車編成(使用1本) | |||||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
+ | モハ 156 |
クモハ 157 |
季節・予定臨時列車編成[注 26](使用1本) | |||||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
サロ 157 |
サロ 157 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 予備車
- 7両編成1本+McM'ユニット3組+T2両
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/157_Shirane_Ueno_Station_19740811.jpg/200px-157_Shirane_Ueno_Station_19740811.jpg)
廃車
1972年以降は﹁あまぎ﹂﹁白根﹂で運用されたが、冷房取付時に側窓固定化等の改造が行われなかったことから下降窓より車体内部へ雨水が浸入しやすい構造に対策の無いまま使用され、またこの部分には冷房使用に伴う結露も発生し、車体腐食が進行した[注 27]。このため外板更新や窓固定化等が一部車両に施工されたものの対症療法的な処置であり、労使関係が悪化していた当時の国鉄では根本的な対策も見つからず実働、実働から最大でわずか17年[注 28]で183系1000番台への置換えが決定。﹁白根﹂は1975年12月26日で、﹁あまぎ﹂は季節・臨時が1976年1月25日で、定期は同年2月28日で、一般営業運用を終了した。 この結果クロ157-1と牽引用のクモハ157+モハ156-1・2の4両を除く車両は同年中にすべて廃車となった[注 29]。特殊な運用
1962年︵昭和37年︶に信越本線の長岡 - 新潟間の電化が完成することになり、上越線経由で特急電車を運転するという計画がなされた。全線直流区間ということもあり、151系に白羽の矢が立ったが、本来は平坦区間用の電車が山岳路線で20‰勾配の続く上越国境での運用に耐えられるかの懸念が残った。そこで1961年︵昭和36年︶6月21日 - 22日にかけて10月のダイヤ改正用に早期落成した151系と本系列を持込み上越線新前橋 - 長岡間での比較走行試験を行った。 その結果は、山岳路線である上越線の連続勾配で151系4M3Tでは歯車比が3.5と高速指向だったため電動機への過負荷による発熱が見られ、さらに4M2Tであっても同様な状況で問題が残った。一方、歯車比4.21の本系列では何も問題はなく安定した走行を得られたため151系の車体に本系列の走行装置を組み合わせた161系電車が開発されることになった。 1963年︵昭和38年︶4月15日、アジア極東経済委員会一行が建設中の東海道新幹線を視察することになり、東京 - 鴨宮間特別臨時列車﹁ECAFE SPECIAL︵エカフェ スペシャル︶﹂に投入された。 1964年︵昭和39年︶1月24日、2007M下り﹁おおとり﹂が車内に消毒薬を撒き過ぎ使用不可能となり、本来投入予定の151系[注 30]に代わり153系との混結編成で運転された。当日の編成を以下に示す。← 名古屋 東京 → | |||||||||||
クモハ 157-6 |
モハ 156-6 |
サロ 157-2 |
サハ 157-2 |
モハ 156-5 |
クモハ 157-5 |
+ | クハ 153-34 |
サハ 153-203 |
モハ 152-123 |
モハ 153-123 |
クハ 153-21 |
← 上野 新潟 → | |||||||||||
クハ 161 |
モロ 161 |
モロ 160 |
サシ 161 |
モハ 160 |
モハ 161 |
サハ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
貴賓車クロ157形
クロ157形 | |
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![]() クロ157-1(特急色。現行塗装(185系のオリジナル塗装色に準拠)とは異なる) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
製造所 | 川崎車輛 |
製造年 | 1960年 |
製造数 | 1両 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流 1,500 V |
車両定員 | 16人 |
自重 | 38.2 t |
全長 | 20,000 mm |
台車 | TR59形 |
制動装置 | 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ |
構造
車体は、中間車としての使用も考慮して前面貫通構造とし、クハ153形0番台車に酷似する前面形状・低運転台構造[注 35]を採用。ただし、運転室は編成中間に組成される場合などにはシャッターを降ろし入室できない半室構造である。 153系との併結運転も可能であり初期の試運転で実施された。 新製時から空調装置を完備しており、屋根上にAU12形分散式冷房装置を搭載。電源は80系サロ85020での冷房試験で使用した自車給電用18kVAの電動発電機 (MG) [注 36]を再整備して搭載する。客用扉は戸袋を廃した4枚折戸を採用。コンパートメント形式の貴賓室を車体中央部に有し、その前後を控室で挟み込む構造とした。貴賓室の窓は大型合わせガラス[注 37]を片側3枚とし、そのうち中央の1枚は賓客の答礼の便を図るために電動で開閉できるほか、貴賓室は光天井方式で冷房は隣の控室からダクトで導く構造である。さらにテーブルを挟んだ2つの主賓用の椅子は安楽椅子を採用したほか、絨毯の床・ソファ・飾り棚・ラジオなども装備する。定員は6名。 製造当初の車体塗装は他の157系と同様クリーム4号と赤11号の塗り分けで、赤11号から赤2号への塗り替えも他車と同時期に実施された。車体側面の車号表記は他の157系が車体中央下部への赤色ペイントに対し、本形式ではステンレス製切り抜き文字を後位側出入り台脇への貼り付けとした。運用
- 当日の準急「日光」
← 日光・東京 宇都宮 → | |||||||||
クモハ 157 |
モハ 156 |
クロ 157 |
+ | クモハ 157 |
モハ 156 |
サハ 157 |
サロ 157 |
モハ 156 |
クモハ 157 |
- 東京方3両は増号車扱い。またクモハ157形と向かい合わせのために通り抜け不可。
脚注
注釈
出典
関連項目
- 国鉄32系電車
- 国鉄185系電車
- JR東日本E655系電車
- お召し列車
- 皇室用客車
- 日光 (列車)
- 踊り子 (列車)
- 東海道本線優等列車沿革
- 東武1720系電車 - 157系への対抗策として投入された