国鉄103系電車
国鉄103系電車 | |
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基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 九州旅客鉄道 |
製造所 | 汽車製造、東急車輛製造、近畿車輛、川崎車輛/川崎重工業、日本車輌製造、帝國車輛工業、日立製作所、東芝 |
種車 |
国鉄72系970番台(3000番台) 国鉄101系(クハ103形2000・2050番台、サハ103形750番台) |
製造年 |
1963年(試作車) 1964年 - 1984年(量産車) |
製造数 | 3,447両 |
改造数 | 56両(3000番台、クハ103形2000・2050番台とサハ103形750番台の合計) |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 直流1,500 V |
最高運転速度 | 100 km/h[1] |
起動加速度 | 2.0[* 1] - 3.3 km/h/s[* 2] |
減速度(常用) | 3.5 km/h/s |
減速度(非常) | 5.0 km/h/s |
車両定員 |
48(席)+88(立)=136名[* 3] 54(席)+90(立)=144名[* 4] |
全長 | 20,000 mm[1] |
全幅 | 2,870 mm[1] |
全高 | 3,935 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 |
ウイングばね式コイルばね台車 DT33(電動車) TR201(付随車) |
車輪径 |
910 mm (電動車) 860 mm (付随車) |
固定軸距 |
2,300 mm (電動車) 2,100 mm (付随車) |
主電動機 |
直流直巻電動機 MT55形 |
主電動機出力 | 110 kW×4基 / 両 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 | 6.07[1](860 mm車輪で5.73に相当) |
制御方式 |
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁 バーニア制御(地下鉄対応型) |
制御装置 | 国鉄制式CS20形 |
制動装置 |
発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ (応荷重装置付) 手ブレーキ |
保安装置 | ATS-B/S/Sn/ST/SW/SK/P,ATC(運用路線によって異なる) |
概要[編集]
国鉄初の新性能通勤電車として1957年に登場した101系を基本に、駅間距離の短い線区の運転やMT比1:1の編成を組成可能な経済性を重視し、当時の国鉄の財政・設備・保守などの各事情を考慮の上で設計され、3,447両が製造された[2]。新造車3,447両のほか、20両が72系から、36両が101系から編入され、総数は3,503両であるが、後述する105系への改造や老朽化、事故廃車などにより、全車が同時に存在した時期はない。 基本的な構成は、前級に当たる101系を概ね踏襲している。切妻形車体・3枚窓による運転台のシンプルなデザイン・幅1,300 mmの両開き4扉・扉間7人掛け車端部3人掛けのロングシート・コイルばね台車はウイングばね軸箱支持・主電動機に直巻整流子電動機を用いた抵抗制御・MM'ユニット方式である。 本系列の設計は帝都高速度交通営団︵現・東京地下鉄︶東西線乗入用のアルミニウム合金製車両である301系の基本[3]となったほか、地方電化路線用の105系にも応用[4]された。 JRグループ発足時に、事故廃車2両と105系改造車65両を除いた3,436両が、北海道旅客鉄道︵JR北海道︶と四国旅客鉄道︵JR四国︶を除く各旅客鉄道会社に引き継がれた。その後老朽化による新型車両への置き換えによって廃車が進行し、東海旅客鉄道︵JR東海︶が所有していた該当車両は2001年︵平成13年︶、東日本旅客鉄道︵JR東日本︶が所有していた該当車両は2009年︵平成21年︶に形式消滅となっており、2023年2月1日現在残存するのは西日本旅客鉄道︵JR西日本︶が関西圏で運用する40両と九州旅客鉄道︵JR九州︶が筑肥線で運用する15両の合計55両である[5]。年 | JR東日本 | JR東海 | JR西日本 | JR九州 | 総計 |
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1987年(昭和62年) | 2,418両 | 70両 | 894両 | 54両 | 3,436両 |
1988年(昭和63年) | 2,418両 | 70両 | 894両 | 54両 | 3,436両 |
1989年(平成元年) | - | - | - | 54両 | - |
1990年(平成 | 2年)2,359両 | 64両 | 893両 | 54両 | 3,370両 |
1991年(平成 | 3年)2,208両 | 64両 | 888両 | 54両 | 3,214両 |
1992年(平成 | 4年)- | 64両 | 850両 | 54両 | - |
1993年(平成 | 5年)2,055両 | 51両 | 821両 | 54両 | 2,981両 |
1994年(平成 | 6年)1,979両 | 51両 | 817両 | 54両 | 2,901両 |
1995年(平成 | 7年)1,845両 | 50両 | 809両 | 54両 | 2,758両 |
1996年(平成 | 8年)1,734両 | 50両 | 804両 | 54両 | 2,642両 |
1997年(平成 | 9年)1,640両 | 50両 | 795両 | 54両 | 2,539両 |
1998年(平成10年) | 1,489両 | 50両 | 777両 | 54両 | 2,370両 |
1999年(平成11年) | 1,350両 | 50両 | 777両 | 54両 | 2,231両 |
2000年(平成12年) | 1,284両 | 17両 | 775両 | 54両 | 2,130両 |
2001年(平成13年) | 1,052両 | 10両 | 775両 | 54両 | 1,887両 |
2002年(平成14年) | 939両 | 0両 | 771両 | 54両 | 1,764両 |
2003年(平成15年) | 605両 | - | 770両 | 54両 | 1,429両 |
2004年(平成16年) | 331両 | - | 734両 | 54両 | 1,119両 |
2005年(平成17年) | 146両 | - | 718両 | 54両 | 918両 |
2006年(平成18年) | 31両 | - | 656両 | 54両 | 741両 |
2007年(平成19年) | 4両 | - | 587両 | 54両 | 645両 |
2008年(平成20年) | 4両 | - | 524両 | 54両 | 582両 |
2009年(平成21年) | 4両 | - | 458両 | 54両 | 506両 |
2010年(平成22年) | 0両 | - | 430両 | 54両 | 484両 |
2011年(平成23年) | - | - | 358両 | 54両 | 412両 |
2012年(平成24年) | - | - | 296両 | 54両 | 350両 |
2013年(平成25年) | - | - | 288両 | 54両 | 342両 |
2014年(平成26年) | - | - | 278両 | 54両 | 332両 |
2015年(平成27年) | - | - | 269両 | 48両 | 317両 |
2016年(平成28年) | - | - | 268両 | 21両 | 289両 |
2017年(平成29年) | - | - | 198両 | 21両 | 219両 |
2018年(平成30年) | - | - | 98両 | 18両 | 116両 |
2019年(令和元年) | - | - | 48両 | 15両 | 63両 |
2020年(令和 | 2年)- | - | 48両 | 15両 | 63両 |
2022年(令和 | 4年)- | - | 40両 | 15両 | 55両 |
2023年(令和 | 5年)- | - | 40両 | 15両 | 55両 |
開発の経緯[編集]
101系全電動車化計画の頓挫[編集]
101系電車の使用方法の検討[編集]
混雑時 | 閑散時 | 備考 | |||
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編成 | 時隔 | 編成 | 時隔 | ||
京浜東北 | 8 | 2'00" | 8 | 5'00" | - |
山手 | 8 | 2'00" | 8 | 4'00" | - |
赤羽 | 8 | 5'30" | 4 | 5'30" | - |
中央急行 | 10 | 2'00" | 8 | 5'00" | - |
中央緩行 | 8 | 2'30" | 8 | 5'00" | - |
南武 | 6 | 3'00" | 4 | 6'00" | - |
横浜 | 8 | 10'00" | 2 - 4 | 15'00" | - |
常磐 | 9 | 3'00" | 6 | 6'00" | 混雑時の時隔は中距離電車等との平均 |
新形通勤電車の構想[編集]
101系が設備面と主電動機の容量不足で今後の通勤線区に対して効果的な増備が行えないことから、国鉄本社運転局では﹁通勤電車の問題点﹂を1960年︵昭和35年︶2月にまとめ、次期通勤電車に対する要望として経済的で大量生産できる車両を挙げた[14]。方向性としては、オール電動車形式による高性能車と回生ブレーキをセットに考える方法と、電動機の出力をアップしてMT比を1:1にして運転する方法が検討されている。回生ブレーキは勾配用抑速ブレーキとして国鉄でも採用実績はあったが停止用回生ブレーキは民鉄を含めても一般的ではなく、京阪電気鉄道が1959年︵昭和34年︶2月以降1650型の一部において搭載し、営業運転をしながら試験を続けており[15]、その試験結果によって同年9月より回生ブレーキ付き2000型の営業運転を開始した[16]。また、小田急電鉄では主電動機の出力を高めMT比を1:1とした2400形がデビューし、これまでのオール電動車による高性能車から、MT比1:1による高性能車へと変革をとげつつあった。構想にあたって回生ブレーキは京阪の研究結果を待つことにしたが、国鉄でも試作車を1959年︵昭和34年︶度中に落成している。架線温度上昇問題[編集]
中央線の新性能化に大きく貢献してきた101系だが、1960年︵昭和35年︶には別の問題が発生した。旧形国電に比べてパンタグラフ当たりの集電電流が大きくなったことによる架線への影響である。中央線の101系化率は同年4月には84 %に達し、101系の通過両数が増えたことから中央線の架線温度を上昇させ、架線の摩耗が激しいだけでなく、夏場などには架線溶断の危険性も浮上した[17][18]。この問題は、架線を平行に並べるツインシンプルカテナリー方式を用いることで改善できることもあり、中央線と中央・総武緩行線の工事を行った。101系のパワーアップを検討[編集]
101系の問題点を克服し、標準形通勤電車を設計するための基礎資料として、1960年︵昭和35年︶3月末に回生ブレーキを搭載した101系910番台を試作し、同年6月から回生試験を開始した。試験の結果、初期費用が高いこともあり、回生による消費電力量の削減などを照らし合わせて考えても、大量生産しなければならない通勤形電車に搭載することは不適切との結果となった。また、小田急2400形が採用しているのと同じ120 kWのMB3039A形[19]電動機を101系2両に搭載し、1961年︵昭和36年︶1月に中央線や山手線で試験を行った。結果として、回生ブレーキを採用できない状態で主電動機のみをパワーアップすることはできないため、国鉄の1961年度技術課題では回生ブレーキ試作車を大阪環状線に転じて、編成単位での長期試験を行うことも検討された[20]。限界性能の6M4T化[編集]
1960年︵昭和35年︶初頭から選考に入った101系に代わる次期通勤電車は、101系の失敗を繰り返さないためにも、様々な試験を重ねたうえで電気局など多数の関係者も含めて慎重に仕様を決める必要があり、それまでの通勤輸送改善のための車両増備は101系に頼らざるを得ない状況にあった。国鉄の整備計画である第一次5ヵ年計画での車両増備が、予定の390億円に対して321億円と予算不足[21]にあったことから、101系を10両中モーター車8両という構成から10両中モーター車6両にして、製造費の高いモーター車を減らすことで少ない予算で多くの車両を通勤輸送に投入した[22]。これを実現させるには編成を基本8両編成から7両編成に減車しなければならないため、東京鉄道管理局の日中輸送力の検討結果を待って決定された。その結果、昭和35年度本予算では101系のモーターなし車のみ88両が製造され、101系の編成替えを実施し各線の輸送力増強に充てられた他、中央線では11月21日のダイヤ改正にてオール101系化がなされた[23]。標準形通勤電車の設計へ[編集]
候補線区 | 検討 対象 |
平均駅間 距離 (km) |
平均速度 (km/h) |
---|---|---|---|
中央緩行 | ○ | 1.27 | 39.6 |
総武 | ○ | 1.74 | 46.0 |
京浜東北 | ○ | 1.45 | 44.4 |
阪和 | ○ | 1.26 | 38.6 |
常磐 | - | 2.64 | 52.8 |
京阪神緩行 | - | 3.29 | 56.7 |
運転時隔と車両性能の検討[編集]
線名 | 区間 |
---|---|
東北本線 | 東京 - 大宮間(電車線) |
東海道本線 | 東京 - 横浜間(電車線) |
根岸線 | 横浜 - 磯子間[注 1] |
山手線 | 電車線 |
中央本線 | 東京 - 高尾間 |
総武本線 | 御茶ノ水 - 千葉間 |
常磐線 | 日暮里 - 松戸間 |
大阪環状線 | 全線 |
主電動機の設計[編集]
101系が中央線など駅間距離が長い路線でないと使えない電車になってしまったのは、オール電動車で設計されていたものをモーターの付いていない車両を編成中に増やしたことによるモーターの過負荷が原因である。特に通勤線区は駅間距離が短い路線が多いため、101系電車で運転しようとすると、モーター車の比率を高めるか限流値を下げて運転速度を落とすしかなかった。これは、101系に用いられているMT46Aという主電動機の熱容量が小さかったからである。熱容量にはモーターの絶縁材が大きく関わっており、MT46Aの温度上昇限度は電機子が特別B種の120度まで、界磁がH種で150度までの制約があり、電流を流した時に発生する熱は電流の二乗に比例するため、大きな電流を流して加速度を高めると電動機の大きな過熱を招いて絶縁材の寿命が短くなる。温度が8度上がるだけで絶縁材の寿命が半減するという﹁8度半減則﹂という法則[36]もあり、許容温度以上の負荷使用は、特別な場合を除き避けなければならなかった。 RMS電流は求める線区の運転曲線から列車の電流量を計算により求める手法[37]である。その列車が実際に運転を行った後は、主電動機の温度が上昇するが、これを最初から一定の電流を流して同様な温度上昇になる数値を計算により求めることともいえる。よって、その列車が運転曲線通りに運転できるかどうかは、RMS電流を計算して主電動機の連続定格電流以下か、一時間定格電流の80%以下の電流値であることが求められる。ちなみに、基準運転時分作成のための速度定数業務では速度定数査定基準規程︵昭和39年12月10日︶によって様々な条件が課せられるが、主電動機の温度制限に関する第33条の内容は下記の通り。 ●第33条 主電動機の温度は、次の各号に揚げる場合、その温度上昇の許容限度内にあるとみなす。 (一)運転線図における加速区間の平均加速電流及びその他区間の電流が1時間定格以内の場合 (二)運転全区間のR.M.S電流︵平均二乗平方根電流︶が1時間定格の80 %以内の場合 (三)運転線図に基づいて温度上昇を計算した結果が許容限度内にある場合 限流値を一時間定格電流以下に設定して運転する旧形国電と違い、MT46以降の電車用主電動機は電流の過負荷に対する耐性が一時間定格電流の160 %までで設計されており、起動電流を大きく取って加速度を高めると、モーターが過負荷運転になる場合もあった。そこで1959年︵昭和34年︶の秋頃から、主電動機の温度上昇限度をオーバーせずに運転線図を作成し運転計画を立てることが当然となり、RMS電流計算により推定する[38]ことが基本となった。 前述のように、101系をモデルチェンジした新型車両では回生ブレーキの採用や出力の増強が見送られ、運転時隔や架線への影響、消費電力量などの経済性なども含めて通勤用途に適した主電動機を新たに設計することになった。消費電力量や起動電流の面からは定格速度を低く取る方が良いが、低く取りすぎると力行率が増して回復運転余力がなくなるほか、高速運転のために極端に界磁を弱める必要が出たり、電気ブレーキ使用時に過電圧になる問題があった[39]。これらを勘案し、標準形通勤電車用としてMT55形主電動機を開発した。回生ブレーキの採用は定期的に発生する維持費用の低減をはるかに上回る試算になったため見送られた[9]。 103系通勤電車用としては、端子電圧375 VのMT55が設計された。想定される速度域や消費電力量などを考慮し、全界磁定格回転数は1,250 rpmで103系に搭載した場合の定格速度は33.5 km/hという中速形の電動機となった。本系列の投入先[編集]
新型通勤電車の概要がまとまると、どの線区に投入するかが焦点となった。1962年︵昭和37年︶6月頃には本系列を山手線に投入するのか、捻出される101系の転用先をどうするのか早急に決めるべきだという議論がなされた。 1962年秋の山手線8両化のための変電所増強では、101系6M2Tの限流値300 Aでの運転を想定しており、限流値を350 A → 480 Aにするための変電所増強計画が提案・検討された。変電所増強時点で、本系列4M4Tで限流値415 Aの場合、101系6M2Tの限流値480 Aでの運転とほぼ同等の所要時間で運転を行うことが可能と判断されたため、本系列の山手線投入を早急に決定しなければ、不要な変電所増強を行うことになる。このため1962年10月には国鉄本社運転局・営業局・電気局・工作局などにより﹁新型通勤電車の投入線区について﹂がまとめられ、103系の投入線区を山手線・京浜東北線・総武緩行線に絞り込んで議論が続けられた。その結果を踏まえ、同年11月5日の常務会にて本系列は山手線に投入し、101系を総武緩行線に転用することが決定された。 1962年11月15日に渋谷・東京などの変電所増強が完成し、11月19日のダイヤ改正から山手線の一部8両編成化が行われた。電動車比率が上がったことから限流値は300 Aのままとされ、山手線一周の運転時分は5M3Tの旧性能車よりも20秒短縮できたが、変電所増強が完了するまで、新性能化がされながらも旧性能車並に制約を受けざるを得なかったのが、当時の首都圏電力事情である。量産[編集]
1963年︵昭和38年︶3月25日先行試作車1編成が落成し、9か月に渡る試運転を繰り返した後、12月28日より営業運転に入った。試運転では問題が発生していたものの、早急な新車投入が求められていたことから、最低限の手直しで量産車を発注している。1964年︵昭和39年︶5月より量産車︵ウグイス色︶が山手線に配置され、1964年度で202両が製造された。捻出された101系︵カナリアイエロー︶は中央・総武緩行線に転出し、別途新製された先頭車2両を組み込み10両編成で運用された。 103系は1964年以降の国鉄における通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車はもとより日本の鉄道車両としても最大の車両数を誇り、1970 - 1980年代︵昭和40 - 50年代︶の首都圏や近畿圏など日本の都市圏通勤輸送を支えた。JR化後は3500両近い103系がJRに承継されたが運用線区の変更や置き換えなどが行われた。製造名目[編集]
103系は大量に生産されたが、何の目的で製造されたかという製造名目がある。年度計については早期債務や1次債務での発注は年度初めに投入される部分であるが、1960年代前年度末までに入っていたことがあり、それに従い、年度末までに投入された予算は年度をまたいでも前年度で計上しているものもある。年度ごと製造両数と製造名目[40] | ||||||
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年度 | 年度計 | 累計 | 製造予算 | 製造数 | 製造名目 | 投入先 |
1962年 (昭和37年) |
8両 | 8両 | 昭和37年度本予算 | 8両 | 103系試作車新製 | 山手線 |
1964年 (昭和39年) |
202両 | 210両 | 昭和38年度第3次債務 | 16両 | 総武線新性能化用 | 山手線 |
昭和38年度第4次債務 | 40両 | 総武線新性能化用 | 山手線 | |||
昭和39年度民有 | 16両 | 総武線新性能化用 | 山手線 | |||
昭和39年度第2次民有 | 112両 | 総武線新性能化用 | 山手線 | |||
昭和39年度早期債務 | 18両 | 総武線新性能化用 | 山手線 | |||
1965年 (昭和40年) |
350両 | 560両 | 昭和39年度第3次債務 | 90両 | 総武線新性能化用 | 山手線 |
昭和40年度民有 | 136両 | 京浜東北線新性能化用 | 京浜東北線 | |||
昭和40年度第2次民有 | 124両 | 京浜東北線新性能化用 | 京浜東北線 | |||
1966年 (昭和41年) |
445両 | 1005両 | 昭和40年度早期債務 | 42両 | 京浜東北線新性能化用 | 京浜東北線 |
昭和40年度第2次債務 | 108両 | 京浜東北線新性能化および10両化用・ 総武線新性能化用 |
京浜東北、山手線 | |||
昭和41年度本予算 | 100両 | 京浜東北線新性能化および10両化用 | 京浜東北線 | |||
昭和41年度第1次債務 | 195両 | 京浜東北線新性能化用・ 赤羽線新性能化用・ 長野原線電化用 |
京浜東北、山手線 | |||
1967年 (昭和42年) |
158両 | 1163両 | 昭和42年度本予算 | 48両 | 総武線新性能化用 | 山手線 |
昭和42年度本予算追加 | 110両 | 常磐線新性能化用(御殿場線・内房線木更津電化用) | 常磐線 | |||
1968年 (昭和43年) |
158両 | 1321両 | 昭和42年度第3次債務 | 64両 | 山手線10両化用・ 阪和線新性能化用 |
山手、阪和線 |
昭和43年度第1次債務 | 94両 | 総武線新性能化用 | 山手線 | |||
1969年 (昭和44年) |
117両 | 1438両 | 昭和43年度第5次債務 | 49両 | 東海道山陽線新性能化用 | 東海道山陽線 |
昭和44年度本予算追加 | 68両 | 大阪環状線増発用・ 東海道山陽線新性能化用 |
大阪環状、東海道山陽線 | |||
1970年 (昭和45年) |
179両 | 1617両 | 昭和44年度第2次債務 | 22両 | 山手線10両化用 | 山手線 |
昭和44年度第3次債務 | 10両 | 根岸線洋光台延長用 | 京浜東北線 | |||
昭和44年度第4次債務 | 87両 | 呉線電化用・ 吾妻線大前、地下鉄東西線西船橋、常磐緩行線開業用 |
常磐、山手、総武、常磐線 | |||
昭和45年度民有 | 60両 | 常磐緩行線開業用 | 常磐線 | |||
1971年 (昭和46年) |
85両 | 1702両 | 昭和45年度第1次債務 | 60両 | 常磐緩行線開業用 | 常磐線 |
昭和46年度本予算 | 25両 | 東海道山陽線新性能化用 | 東海道山陽線 | |||
1972年 (昭和47年) |
293両 | 1995両 | 昭和46年度第1次債務 | 93両 | 常磐緩行線開業用 | 常磐線 |
昭和46年度第3次債務 | 44両 | 東西線津田沼乗入用・ 常磐線10両化用 |
総武、常磐線 | |||
昭和47年度民有 | 156両 | 武蔵野線、根岸線大船開業用・ 京浜東北線増結増発用・ 山手線増発用 |
中央、山手線 | |||
1973年 (昭和48年) |
257両 | 2252両 | 昭和48年度民有 | 92両 | 関西線電化用・ 大阪環状線輸送力増強用 |
大阪環状線 |
昭和47年度第3次債務 | 10両 | 我孫子線電化用 | 山手線 | |||
昭和48年度第3次民有 | 155両 | 東海道山陽線、横浜線、阪和線新性能化 | 山手、中央線 | |||
1974年 (昭和49年) |
60両 | 2312両 | 昭和48年度第2次債務 | 60両 | 横浜線新性能化用 | 京浜東北線 |
1975年 (昭和50年) |
175両 | 2487両 | 昭和49年度第1次債務 | 80両 | 東海道山陽線新性能化用 | 東海道山陽、山手線 |
昭和49年度第3次債務 | 40両 | 南武線新性能化用・ 大阪環状線輸送力増強用 |
京浜東北、大阪環状線 | |||
昭和50年度本予算 | 55両 | 片町線、阪和線新性能化用・ 武蔵野線延長用 |
京浜東北、大阪環状線 | |||
1976年 (昭和51年) |
233両 | 2720両 | 昭和50年度第1次債務 | 45両 | 片町線新性能化用 | 京浜東北、大阪環状線 |
昭和50年度第3次債務 | 112両 | 阪和線、青梅五日市線新性能化・武蔵野線延長用 | 京浜東北、大阪環状線 | |||
昭和51年度本予算 | 76両 | 阪和線、中央西線新性能化・武蔵野線延長用 | 京浜東北線 | |||
1977年 (昭和52年) |
191両 | 2911両 | 昭和51年度第1次債務 | 181両 | 南武線、青梅五日市線新性能化 | 京浜東北、山手線 |
昭和52年度本予算 | 10両 | 成田線増発用 | 京浜東北、山手線 | |||
1978年 (昭和53年) |
155両 | 3066両 | 昭和52年度第1次債務 | 38両 | 紀勢線電化用・ 東西線増発用 |
京浜東北、総武線 |
昭和52年度第2次債務 | 21両 | 東海道山陽線、中央西線輸送力増強 | 京浜東北、山手、東海道山陽線 | |||
昭和53年度本予算 | 96両 | 101系取替用・ 仙石線新性能化用 |
山手、中央、総武線 | |||
1979年 (昭和54年) |
183両 | 3249両 | 昭和53年度第1次債務 | 52両 | 101系取替用・ 仙石線新性能化用 |
京浜東北、山手、総武線 |
昭和53年度第2次債務 | 91両 | 横浜線新性能化用・ 片町線輸送力増強用 |
京浜東北、山手、総武、片町、大阪環状線 | |||
昭和53年度第3次債務 | 40両 | 鶴見線新性能化用 | 総武線 | |||
1980年 (昭和55年) |
130両 | 3379両 | 昭和54年度第2次債務 | 94両 | 101系取替用・ 阪和線、横浜線、武蔵野線輸送力増強用 |
中央、阪和、京浜東北、片町、大阪環状線 |
昭和54年度第3次債務 | 18両 | 福知山線電化用 | 福知山線 | |||
昭和55年度本予算 | 18両 | 福知山線電化用 | 福知山線 | |||
1982年 (昭和57年) |
54両 | 3433両 | 昭和56年度第1次債務 | 12両 | 筑肥線電化用 | 筑肥線 |
昭和56年度第3次債務 | 42両 | 筑肥線電化用 | 筑肥線 | |||
1983年 (昭和58年) |
14両 | 3447両 | 昭和57年度第3次債務 | 10両 | 赤羽線10両化用 | 赤羽線 |
昭和57年度第4次債務 | 4両 | 山手線増発用 | 山手線 |
構造[編集]
車体[編集]
車体は101系をベースに片側両開き4扉、普通鋼が採用されたが変更点がある。製造が進むにつれ設計変更が盛り込まれており、初期製造車と最終増備車で相違が大きい。屋根コンタは肩部から順に250R・1,000R・2,500R・5,000R(1500番台を除く)[41]。 車内の床は101系ではリノリウム︵コルク材を使用︶が貼られていたが、リノリウムを塗り固めた構造では修繕作業に手間がかかることから、103系では床面痛み対策として床鋼板の上に床仕上げ剤を装着した簡易な構造に変更された[42][注 3]。遮音性・遮熱性は損なわれた一方で、101系とは異なりA基準を満たした構造となった。床の厚みが薄いことから台枠底面の高さが上昇したが、床面高さは101系と同じに揃えられたため、後年に登場した101系改造編入車などとの連結時は、車体裾の高さが不揃いとなった[43]。 運転台窓は101系と同じく非貫通の3枚分割窓であるが、101系より幅が広くなり、高さが上下に小さくなっている[43]。これは運転中の乗務員に対する軌道の流れによる圧迫感を防ぐための配慮である。夏季の通気性向上のため、運転台下部正面中央にも外気導入口が追加された。正面行先表示器の寸法も横方向に拡大された[44]。 主電動機および電動発電機の冷却風取入口は電動車の車体外側幕板部に設置し、戸袋を利用して車体下部へ導く新方式が採用された[45]。モーター付き車両の側面には主電動機などの回転機の冷却風の取込用として風取り入れ口を設けた[46]。 側面の客用扉は、101系と同様の幅1,300 mmの両開き扉が片側に4箇所配置された[44]。両開き式客用扉のドアエンジン機構が変更され、西武建設︵→西武所沢車両工場︶が西武鉄道451系電車向けに開発した両開き扉の連動開閉機構﹁ST式戸閉装置﹂が導入された[47]。1基のドアエンジン︵TK4形︶とドア上鴨居に仕込まれた連動ベルトで構成され、低費用で簡略ながら作動の確実性も高い開閉機構となっている。 後期に増備された先頭車では、視認性向上のため従来の低運転台から高運転台に変更された。地下鉄直通用の1000番台・1200番台では、前面に非常用の貫通扉が設置された。1500番台では従来の103系と異なる車体となり、基本形態は201系に、前面スタイルは105系に準じたものとなった。乗務員室[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/JNR_Tc103-235cab.jpg/200px-JNR_Tc103-235cab.jpg)
主要装置[編集]
主電動機[編集]
主電動機は、1時間定格出力110 kWのMT55形である[48]。MT比︵電動車と付随車の比率︶1:1で駅間距離の短い通勤線区で運用されることを前提に、主電動機を低回転数域トルク特性を重視して定格回転数を引き下げ、これに合わせて電機子の磁気容量を大きく取った新設計とした。原設計は日立製作所が担当[49]。MT55は直径が大きいため、電動台車の車輪径は旧型電車並みの910 mmと大きくなっている[50]。 高速域での使用も考慮したが、保守との兼ね合いから補償巻線を設けない範囲で最大限弱めることとし、弱め界磁率を35%と高くとって高速性能をカバーした。正規運転時におけるRMS電流を1時間定格の80 %、回復余力を10 %と見込み、電気ブレーキの有効範囲なども比較検討した結果、主電動機出力は110 kWとした[51]。定格速度は36.5 km/hとなり、定格回転数は1,350 rpmとなった。これは定格速度が低く、実際では弱め界磁運転が多くなるため、定格を85 %界磁上においてバランスをとっている[52]。また最大許容端子電圧をMT54などの750 Vではなく900 Vまでにしたことで、電気ブレーキの有効範囲も広く取ることが可能となった。 製造年度により初期型のMT55、中期型でISOネジ採用のMT55A、冷却ファン構造が強化された後期型MT55Aの計3種類が存在しており、いずれも同一機能で完全互換性がある。後期型MT55AはMT55、前期型MT55Aと走行時の音が異なる。 ●MT55形の主要諸元 ●1時間定格出力 = 110 kW / 375 V / 330 A / 1350 rpm︵85 %界磁︶[注 4] ●85 %界磁定格速度 = 36.5 km/h[注 5] ●加速度 = 4M4T時2.0︵6M4T時2.3︶km/h/s[注 6]台車・駆動装置[編集]
台車はコスト低減のため、枕ばねにコイルばねが採用された[42]。電動台車は主電動機のMT55形が大直径化したのに合わせ、車輪径は通常の860 mmより大きい910 mm、ホイールベースは通常の2100 mmより長い2300 mmとなった[45]。 試作車では電動台車はDT26C形が、付随台車はTR62X形が搭載された[48]。電動台車DT26C形はクモヤ791形用のDT26形の枕ばねをコイルばねに変更したもので[45]、DT21形の派生形式である。付随台車のTR62X形は、クハ111形等で用いられるTR62形のブレーキシューを片押し式踏面ブレーキに変更したものである[45]。 量産車では電動台車にDT33形が、付随台車にTR201形が搭載された[53]。DT33形はDT26C形の、TR201形はTR62X形の量産化形式である。付随台車は量産の途中でTR201形のブレーキを再度ディスクブレーキ化したTR212形に変更された。 駆動方式は101系と同様の中空軸平行カルダン駆動方式である[50]。歯車比は低速性能に重点を置くため、101系の15:84=5.60に対して103系では15:91=1:6.07とされた[50]。860 mmの車輪径で換算すると、1:5.73に相当する。-
DT33形台車(JR西日本車)
-
TR212形台車(JR西日本車)
ブレーキ[編集]
その他機器[編集]
電動発電機は101系の主抵抗器冷却送風機兼用形から独立させ、車体側面の給気口から冷却風を散り入れる構造に変更された[45]。地下形を除く初期非冷房車は、115系や165系でも用いられた容量20kVAのMH97-DM61がM'車︵モハ102形︶に搭載された[48]。 パンタグラフは、高圧引通線の短縮化などを目的にM車︵クモハ103形・モハ103形︶に搭載された。形式は101系後期車と同じPS16形である[48]。性能[編集]
103系は国鉄の汎用的通勤形電車として設計されたため、主に比較的駅間が短く運転速度の低い線区で使用することを前提として設計されたが、週末などの臨時電車運転を考慮して主電動機の界磁を35%まで弱めて高速特性を近郊形電車の111系並に設定[56]している。設計当時多くの路線で最高速度が95km/hであったこともあり、よほど特殊な線区以外では高速運転をする機会はなかったが、大量に製造されるうちに、駅間距離が長い路線やブレーキ初速度の高い路線などにも投入された結果、高速性能を求められるケースも増え、加速性能では分流抵抗による弱め界磁率の誤差などを修正する小改造[57]を、高速域からの電気ブレーキ性能では過電圧対策[58]などを施した車両も存在した。 なお、最初の投入先が山手線であったことから駅間距離が短い山手線専用形式と言われたこと[59]もあったが、当時の関係者によって完全に否定[60]されている。最高速度は100 km/hとなっているが、MT比1:1では90 km/hを超えると加速余力は少なく95 km/h程度である[61]。形式[編集]
本系列は電動車にMM'ユニット方式を採用しており、モハまたはクモハ103形と102形に主要機器を分散搭載して、電動車2両を1単位としている。形式解説順序は慣例に準じて記述する。車両の方向は東海道本線基準で奇数向きは東京寄り、偶数向きは神戸寄りを表す。 クモハ103形 (Mc) モハ102形またはクモハ102形とユニットを組む制御電動車で、パンタグラフや主制御器などの主回路を構成する機器群を搭載する。奇数向き専用。新造は製造初期の1965年︵昭和40年︶から1968年︵昭和43年︶の3年間に限られた。3両〜5両を組成する場合にはこの形式が必要となる[注 7]。 クモハ102形 (Mc') モハ103形またはクモハ103形とユニットを組む制御電動車で、電動発電機(MG)MH97-DM61や空気圧縮機(CP)MH113-C2000Mなどの機器を搭載する。偶数向き専用。国鉄は車種が増えることを避けたために1970年から製造された1200番台5両以外に新造車はない。しかし、短編成化時の必要性からJR化後に一部のモハ102形から改造されたほか、3000番台の片側先頭車はこの形式となった。 モハ103形 (M) クモハ102形またはモハ102形とユニットを組む電動車で、クモハ103形と同様にパンタグラフと主制御器を搭載する。 モハ102形 (M') クモハ103形またはモハ103形とユニットを組む電動車で、クモハ102形と同様に電動発電機(MG)MH97-DM61と空気圧縮機(CP)MH113-C2000Mを搭載する。 クハ103形 (Tc) 制御車。75 - 91および線区の事情で方向転換した車両を除く0・900・1000・1500番台は、車番が奇数の車両は奇数向き、偶数の車両は偶数向きの先頭に連結される。クモハ103形と同時に製造された500番台は偶数向き専用で、101系ではクハ100形に相当する。 サハ103形 (T) 運転台のない付随車で量産化開始の1964年から製造された。新造車[編集]
103系の場合、通勤形車両として大量に生産されたことから、製造時期や使用目的などにより、様々な設計変更や、後述する番号の重複を避けるため、番台区分が行われた。そのため、車番により仕様の判別が可能である。試作車[編集]
1963年3月に先行試作車として新造された車両で、山手線用に4両編成2本の8両が製造された[47]。新製配置は池袋電車区である[62]。量産車との相違点を以下に示す。 台車はコイルばね台車で、電動車がDT26C形、付随車がTR62X形を装着した[48]。DT26C形はクモヤ791形のDT26形が、TR62X形は近郊型111系・修学旅行用155系用のTR62形がベースとなっている[45]。 ブレーキは、高速域は電動車の発電ブレーキのみで、低速域は付随車の空気ブレーキも付加する方式が採用された。空気圧縮機は101系のC1000形を大容量化したC2000形が試用されることとなり、モハ102-1には歯車直結式のMH113-C2000M、モハ102-2には電動機直結式のMH114-C2000Nがそれぞれ搭載された[48]。ジャンパ連結器はKE58形2基︵19芯×2︶となった[54]。 車体塗装はウグイス色︵黄緑6号︶[63]となり、車両番号はウグイス色の地に白文字とされた。 103系試作車は1963年3月25日に落成後、東北本線で公式試運転が行われた[63]。続いて東海道本線や山手線でも試運転が行われ、1963年12月より営業運転に投入された[64]。 改良を加えた量産車が1964年に登場するのを前に、先行試作車は1からの番号を量産車に転用することとなり、1964年3月31日付で900番台に改番された[64]。1967年には量産化改造が行われている[45]。0番台[編集]
0番台 | |
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![]() クモハ103-131 2004年8月28日 大川駅 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 |
主要諸元 | |
起動加速度 | 2.0 km/h/s |
自重 |
最小 - 25.8 t(サハ103 1964年度車) 最大 - 40.2 t(モハ102 1974年度車) |
保安装置 |
ATS-SW ATS-P ATS-Ps ATC-6(1974年以降製造の一部、すでに消滅) |
初期車[編集]
1964年から1967年にかけて製造されたクモハ103-1 - 133・モハ103-1 - 159・モハ102-1 - 292・クハ103-1 - 114・501 - 616・サハ103-1 - 225の計1039両が該当する。山手線向けを皮切りに、首都圏各線区へ導入された。 山手線に先行投入されていた試作車では4両編成2本の8両編成を組んでいたが、量産車では8両貫通編成とされたため、新形式のサハ103形が追加された。京浜東北線向けは下十条電車区の検修線が8両分しか確保できないため、7両 + 3両の10両編成を組むこととなり、1965年に103系初の制御電動車としてクモハ103形が投入された[53]。クモハ103形は奇数向き専用であり、編成で対となるクハは偶数向きに固定されていたため、1966年より偶数向き専用としてクハ103形500番台が登場している[65]。 車体は試作車とほぼ同様であるが、ウグイス色の地色に対する文字の表記が白から黒に変更された[53]。引き通し線は試作車が101系と同じKE58形2本であったものを、量産車ではKE70形1本に変更された[53]。 台車は試作車の実績を踏まえた改良が行われ、電動台車がDT33に、付随台車がTR201にそれぞれ変更された[53]。ブレーキは試作車では発電ブレーキ優先の構造であったが、ブレーキ距離が長くなり空転も頻発したため、101系と同じく発電ブレーキ・空気ブレーキを併用する方式に変更された[66]。空気圧縮機は試作車で試用された2種類のうち、歯車直結式のMH113-C2000Mに統一された[53]。 前照灯は、101系と同じく250 Wの白熱灯1灯が装備された。白熱灯は1970年︵昭和45年︶までに製造された先頭車︵クハ103-1 - 179・500番台・900番台全車・クモハ103-1 - 155︶に採用されている。 1967年10月以降に製造された﹁昭和42年度本予算車﹂から、客用ドアがステンレス製に変更されており、それ以前に製造された鋼製ドア車もステンレス製のものに交換されたが、改造工場・時期によって窓の支持にHゴムを使用したタイプと押え金具を使用したタイプがあり、併用車両も存在している。-
クモハ103-127
-
モハ103-82
-
モハ102-273
-
クハ103-6
-
サハ103-25
ディスクブレーキ採用車[編集]
上記に続いて1967年から1970年にかけて製造された量産車グループで、クモハ103-134 - 155・モハ103-160 - 278・モハ102-293 - 433・クハ103-115 - 177・617 - 638・サハ103-226 - 305の計447両が該当する。
1967年(昭和42年)の「昭和42年度本予算追加車」では高速運転を行う常磐線に初投入されており、高速域からのブレーキ対策として付随車の台車がディスクブレーキ装備のTR212形に変更されている[67]。続く「昭和42年度第3次債務車」は阪和線に投入され、関西初の103系となった。
1967年11月にはバーニヤ制御の試作車として電動車ユニット3組6両が投入され、910番台に区分された[65]。
クモハ103形0番台とクハ103形500番台は、本グループで製造が打切られた。
-
クハ103-149
-
サハ103-279
試作冷房車[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/33/L25_Tc103-178_680.jpg/200px-L25_Tc103-178_680.jpg)
試作冷房車
床下にMGを搭載
1968年(昭和43年)に京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が初代5000系・5100系電車増備車に冷房を装備したのを皮切りに、私鉄において冷房を取付けたロングシート車両が登場した[注 8]のに呼応し、私鉄とのサービス格差を改善する目的で試作冷房装置を搭載して10両編成1本が山手線に試験投入された[68][69]。
113系では既存の非冷房車に試作の冷房装置が改造搭載されたが、103系の試作冷房車は113系と異なり新製車の投入となった[70]。
(大崎駅基準) ← 渋谷・新宿・池袋 上野・東京・品川 → | ||||||||||
車両番号 | クハ103-179 | モハ103-279 | モハ102-434 | サハ103-306 | モハ103-280 | モハ102-435 | サハ103-307 | モハ103-281 | モハ102-436 | クハ103-178 |
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冷房装置 製造会社 |
AU75X形 三菱電機 |
AU74X形 日立製作所 |
AU73X形 東京芝浦電気 | |||||||
扇風機 | あり | なし | あり | なし | あり | なし | あり | |||
風道構造 | 2本 | 1本 | 2本 | 1本 | 2本 | 1本 | 2本 |
1次改良車[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0e/JNR_Tc103-184.jpg/200px-JNR_Tc103-184.jpg)
量産冷房車[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/JNR_EC_Tc103-239.jpg/200px-JNR_EC_Tc103-239.jpg)
高運転台ATC・非ATC車[編集]
1974年から1981年にかけて増備されたモハ103-414 - 786・モハ102-570 - 899及び2001 - 2043・クハ103-269 - 499及び701 - 844・846・848・850・サハ103-360 - 503の計1268両が該当する。クハ103形は将来の山手線・京浜東北線のATC化に対応するとともに、運転環境向上のため高運転台が採用された。 増備の過程でクハ103形は車両番号が499に達したため、以降の増備車は500番台との重複を避けて701以降の飛び番が付与された[83]。モハ102形も同様に車両番号が899に達したため、以降は1000番台・1200番台との重複を避けて2001以降の飛び番が付与された[83]。飛び番に伴う番台区分はない。 踏切事故対策や視認性向上のため、運転台部分は300 mm高い高運転台構造に変更され、正面窓の位置も高くなった[81]。正面窓下にはステンレスの飾り帯が設置され、デザイン上のアクセントとなった[84]。窓下の面が間延びしないようにとの配慮も込められている。 ATC化のための準備として、運転台後部にATC装置︵ATC-6︶を搭載する機器室が設置され、乗務員室が客室側に600 mm食い込む形となった。この機器室の設置に伴い、同部分の戸袋窓は廃止された[85]。ブレーキ弁はME40A形からATC対応の非常抜き取り化されたME48形に変更された。昭和52年度本予算車より、ATC装置を本格搭載して落成した[85]。 クハ103形は奇数向き車と偶数向き車で別仕様とされており、ATC運転時は奇数・偶数の向きを固定して使用された[85]。これはATCの信号波が上下線で異なるためである[84]。 北陸トンネル火災事故の教訓を受けて火災対策が強化され、A-A基準に準拠した。妻扉のガラスが網入りになり、消火器が増設された︵1両につき2箇所に︶。1977年後期製造車からは座席下の蹴込み板がステンレス製になるなど、車内の完全無塗装化が行われた。 1973年製造車で設置が開始された半閉回路は、使用時間帯の選定が困難とされたため、クハ103-317以降から廃止された[85]。 後に中央快速線や福知山線などのATC非設置線区にも投入されることになり、対応するクハ103-797・799 - 808・810 - 815・817 - 844・846・848・850はATC関連非装備で製造され[注 12]、ATC機器室の省略・戸袋窓を復活・ME40A形ブレーキ弁装備で落成した。 本グループの途中から主電動機MT55Aの自己冷却ファンの形状が変更されている。なおMT55とMT55Aのファンの相違による2種の計3種類とも完全互換性があり、全般検査の機会に台車の交換が行われた事から、製造年が古い車輌にMT55A後期型、新しい車輌にMT55が搭載されるなど多様な形態が見られた。なお自己冷却ファンは外扇型である。 なお、サハ103形は本グループをもって製造終了となった。-
モハ103-520
-
モハ102-676
-
クハ103-347
ATC準備車
乗務員室直後戸袋窓なし -
クハ103-831
非ATC準備車
乗務員室直後戸袋窓あり
最終増備車[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/48/JNR_M102-2050.jpg/200px-JNR_M102-2050.jpg)
クハ103形500番台[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f2/JNR_EC_Tc103-580-2.jpg/200px-JNR_EC_Tc103-580-2.jpg)
試作番台[編集]
900番台[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b6/JNR_M103-902.jpg/200px-JNR_M103-902.jpg)
モハ103形・モハ102形910番台[編集]
加減速時に発生する空転を防止する観点から、超多段バーニア式制御器を搭載した試作車として、1967年に910番台が登場した[86]。制御器搭載のモハ103-911 - 913とユニット間の引通線を一部変更したモハ102-911 - 913の合計3ユニット6両が製造された[86]。 主制御器はCS30形で、制御段数は力行55段・ブレーキ51段と大幅に増加している︵従来のCS20Cでは力行29段︶[86]。品川電車区に配置され、山手線で試験が行われた結果、問題点の改善策を講じた量産型であるCS40形が後述の地下鉄乗り入れ用1000番台に採用された[87]。精密なバーニア機構は製造費用が高く保守にも手間がかかることから、地下鉄直通用の1000番台・1200番台に採用されたに留まり、その他の増備車は従来型のCS20形のままで製造された。 山手線で910番台は1編成に集約の上で運用されていたが、同線の205系化により他線区に転出させる際、特殊な制御器淘汰を名目に以下の転用改造が施工された。 ●冷房改造され160 kVAのMGを搭載していたモハ102-911・913以外の4両については電装解除のうえ、後述のサハ103形800番台に改造。 ●モハ102-911は浦和電車区に転属、モハ103-107とユニットを組成。 ●モハ102-913は豊田電車区に転属、モハ103-62とユニットを組成。 ●新ユニット組成車は、ほぼ同時期に保全工事を施工された非冷房車︵後にAU712形で冷房化︶。 ●ユニットを組替で捻出されたモハ102-172・62はサハ103形800番台に改造。 1994年にモハ102-913が、1995年にモハ102-911が廃車となり区分番台消滅した。地下鉄対応車両[編集]
地下鉄乗入用として、以下の車両が0番台と並行して製造された。乗入先各線はすべて保安設備が異なるため、投入路線ごとに仕様を変え、新たな番台が起こされているのが特徴である。1000番台[編集]
1000番台 | |
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![]() 1000番台 登場時の塗色 1985年 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
製造年 | 1970年 - 1971年 |
製造数 | 160両 |
運用開始 | 1970年 |
引退 | 2004年 |
投入先 | 常磐緩行線ほか |
主要諸元 | |
編成 | 16編成 |
軌間 | 1067mm |
起動加速度 | 3.3 km/h/s |
減速度 | 3.2km/h/s |
保安装置 |
ATS-B ATS-P ATC-4(CS-ATC) ATC-3(WS-ATC)(三鷹電車区転属車のみ) |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e4/Jnr_103-1000.jpg/200px-Jnr_103-1000.jpg)
2003年4月7日
1200番台[編集]
1200番台 | |
---|---|
![]() 1200番台 2003年5月25日 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
製造年 | 1970年 - 1978年 |
製造数 | 35両 |
引退 | 2003年 |
投入先 | 中央・総武緩行線ほか |
主要諸元 | |
起動加速度 | 3.3 km/h/s |
自重 | 29.1 t(クハ103) - 37.2 t(クモハ102) |
保安装置 |
ATS-B ATS-P ATC-3(WS-ATC) |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e3/L25_Tc103-1201_680.jpg/200px-L25_Tc103-1201_680.jpg)
常磐快速線転用後
1993年2月1日 我孫子
1500番台[編集]
1500番台 | |
---|---|
![]() クハ103-1513(製造当初) 1983年2月24日 西ノ宮駅(現・西宮駅) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 九州旅客鉄道 |
製造年 | 1982年 |
製造数 | 54両 |
投入先 | 筑肥線 |
主要諸元 | |
起動加速度 | 2.5 km/h/s |
自重 | 34.1 t(クハ103) - 42.2 t(クモハ102) |
保安装置 |
ATS-SK ATC-9 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/Kuha103-1514_interior.jpg/200px-Kuha103-1514_interior.jpg)
大韓民国(韓国)仕様派生形式[編集]
- 共通点
- 103系がベース
- 1974年から製造
- 地下区間の直流1,500Vと地上区間の交流20 kV・60 Hzに対応した交直流電車
- 1000、1200番台や301系、営団5000系を折衷したような前面
- 登場時は6両編成で、のちに韓国製の中間車が組み込まれて8連化(1984年)、10連化(1989年)
- 日本製は既に全廃し、現在走っているのは全て韓国製
改造車[編集]
他形式からの編入車[編集]
103系と車体構造の違いが少ない101系のうち、103系が量産を開始した後も総武線10両化用として製造された101系付随車や制御車は、経年が浅いため103系に編入された。また、仙石線用の72系アコモ車は旧形車の下回りに車体を103系ベースで製造して組み合わせたもので、車体自体の経年が浅かったことから下回りを103系に合わせて改造編入した。サハ103形750番台[編集]
クハ103形2000・2050番台[編集]
3000番台[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3b/JNR_EC_T103-3004.jpg/200px-JNR_EC_T103-3004.jpg)
← 石巻 仙台 → | ||||
|
← 高麗川 大宮 → | |||
|
1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正で青梅・五日市線の増結用3両編成が4両編成化されることになり、休車となっていたモハ72形がサハ103形3000番台に改造された[104]。側面の空気取入口は埋め込まれている。電動車であったことから、屋根上にパンタグラフ台が残るなどの特徴のほか、機器類も流用品である。オレンジバーミリオン(朱色1号)に塗装され豊田電車区配置となり、3両編成に組み込まれて4両編成化された。
← 立川 | ||||
|
分割民営化では全車がJR東日本に継承され、その後AU712形冷房装置とインバーター (SIV) を搭載して冷房化、同時に側面行先表示機(先頭車のみ)も搭載する改造が施工された。
1996年(平成8年)には、八高線八王子 - 高麗川間の電化完成に伴い同線でも運用開始されるとともに、輸送力増強と新たに投入された本系列3500番台改造車、209系3000番台と編成を合わせることから、サハ103形3000番台を川越線用3000番台編成に組み込み4両編成となった。これにより3000番台は川越電車区配置となり、以下の編成が組成された。
← 八王子・高麗川 川越・大宮 → |
|||||
編成番号 | クモハ102 3000番台 |
モハ103 3000番台 |
サハ103 3000番台 |
クハ103 3000番台 |
廃車 |
ハエ51 | 3001 (大井) |
3001 (大井) |
3001 (大井) |
3001 (大井) |
2004年10月 |
ハエ52 | 3002 (大宮) |
3002 (大宮) |
3002 (大井) |
3002 (大宮) |
2005年5月 |
ハエ53 | 3003 (大宮) |
3003 (大宮) |
3003 (大井) |
3003 (大宮) |
2005年11月 |
ハエ54 | 3004 (大船) |
3004 (大船) |
3004 (大井) |
3004 (大船) |
2003年11月 |
ハエ55 | 3005 (新津) |
3005 (新津) |
3005 (大井) |
3005 (新津) |
2004年11月 |
JR東日本の系列内改造車[編集]
サハ103形800番台[編集]
CS30形超多段バーニア式制御器搭載試作車の910番台ユニットは一般車とは混結運用ができないことから、山手線から転用する際には以下の2グループに分かれた。 (一)別ユニットのモハ103形とユニットを組成 ●モハ102-911 + ︵モハ103-62︶ ●モハ102-913 + ︵モハ103-107︶ ●ユニット組成時にモハ102形2両はAU75形冷房改造車、モハ103形は非冷房車。後にモハ103形はAU712形で冷房化。 (二)サハ103形化改造 ●CS30形制御器搭載のモハ103-911 - 913・モハ102-912・上述のユニット解除されたモハ102形2両の計6両は以下の改造を施工されサハ103形800番台となり、松戸電車区配置で常磐快速線に投入された。 ●電装関係機器の撤去 ●モハ103形はパンタグラフの撤去とベンチレータの設置 ●台車をTR201形へ交換 ●モハ103-912・911・913・モハ102-912・172・62→サハ103-801 - 806 ●全車が冷房改造を受けており、国鉄時代改造の802・803が集中式AU75形、サハ化後改造の残り4両が集約分散式AU712形を搭載︵後者は側面方向幕設置未施工︶。国鉄時代に特別保全工事を受けた802・803・805・806が1993年︵平成5年︶に、JR化後に車両更新工事を受けた801・804が2003年︵平成15年︶に廃車。(元・モハ103-913)
モヤ102形(訓練車)[編集]
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/89/L25_Mz102-3_680.jpg/200px-L25_Mz102-3_680.jpg)
1991年に同社では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を整備することになった。一般営業用車両を現車訓練に用いることが難しくなったことも一因である。
本系列の訓練車は非冷房車3両3編成が整備され、豊田電車区・浦和電車区・松戸電車区に配置した。一般車両との識別のため、これらの編成の車体には2本の白帯と「訓練車」の文字が書き込まれた。浦和・豊田配置のモハ102形は、一部のドアの締め切りや荷物棚の撤去、機材置場の設置などを行ったため事業用車両に変更となり、新形式のモヤ102形となった(モハ102-138・140→モヤ102-1・2)。
豊田電車区 | クモハ103-44 | モヤ102-1 | クハ103-522 |
---|---|---|---|
浦和電車区 | クモハ103-45 | モヤ102-2 | クハ103-540 |
松戸電車区 | クモハ103-64 | モハ102-168 | クハ103-54 |
その後、改造種車が非冷房だったこと、ATC・ATS-S・ATS-Pが未搭載で本線運転に制約があったことから、1995年に冷房車の4両3編成と交代となった。豊田・浦和配置編成は、モヤ102形に改造された(モハ102-508・519→モヤ102-3・4)。
豊田電車区 | クハ103-341 | モハ103-363 | モヤ102-4 | クハ103-342 |
---|---|---|---|---|
浦和電車区 | クハ103-399 | モハ103-352 | モヤ102-3 | クハ103-400 |
松戸電車区 | クハ103-335 | モハ103-274 | モハ102-429 | クハ103-336 |
3500番台[編集]
← 八王子・高麗川 川越・大宮 → | ||||
ハエ56 | クハ103 -3501 |
モハ102 -3501 |
モハ103 -3501 |
クハ103 -3502 |
旧番号 | (725) | (2047) | (790) | (738) |
JR西日本の系列内改造車[編集]
クハ103形2500・2550番台[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9c/Tc103-2551.jpg/220px-Tc103-2551.jpg)
5000番台・サハ102形[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/76/JR_EC_Mc103-5003.jpg/220px-JR_EC_Mc103-5003.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/63/JNR_EC_T102-2.jpg/220px-JNR_EC_T102-2.jpg)
← 京橋 木津 → | ||||||||||||||||
| ||||||||||||||||
|
クモハ103形2500番台[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/JR_EC_Mc103-2507.jpg/200px-JR_EC_Mc103-2507.jpg)
3500番台[編集]
3500番台(JR西日本) | |
---|---|
![]() クモハ103-3508 | |
基本情報 | |
運用者 | 西日本旅客鉄道 |
種車 | 103系0番台 |
改造年 | 1997年 - 1998年 |
改造数 | 18両 |
投入先 | 播但線 |
主要諸元 | |
起動加速度 | 2.5 km/h/s |
自重 | 42.0 t(クモハ103) - 42.6 t(クモハ102) |
保安装置 |
ATS-SW ATS-P |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0d/JRW_EC_MC102-3508.jpg/200px-JRW_EC_MC102-3508.jpg)
3550番台[編集]
3550番台 | |
---|---|
![]() クモハ102-3554 後部の窓がない部分がトイレ | |
基本情報 | |
運用者 | 西日本旅客鉄道 |
種車 | 103系0番台 |
改造数 | 16両 |
投入先 | 加古川線 |
主要諸元 | |
起動加速度 | 2.5 km/h/s |
自重 | 42.0 t(クモハ103)・42.3 t(クモハ103 2パンタ車)・42.6 t(クモハ102) |
保安装置 | ATS-SW |
霜取パンタ装備車
JR九州の系列内改造車[編集]
クモハ103・102形1500番台[編集]
筑肥線は筑前前原を境に輸送量が大きく異なることから、以西運用の短編成化を行うことになり、1989年(平成元年)にJR九州小倉工場で6両編成9本のうち4本に対して3両編成8本に分割する改造が施工された。
タイプ | ← 西唐津 福岡空港 → |
編成番号 | |||||
6両 | クハ103 | モハ103 | モハ102 | モハ103 | モハ102 | クハ103 | E01 + E02, E03 + E04 E05 + E06, E07 + E08 E09 + E10 |
3両A | クハ103 | モハ103 | クモハ102[* 1] | E11, E13, E15, E17 | |||
3両B | クモハ103[* 1] | モハ102 | クハ103 | E12, E14, E16, E18 |
- 編成番号 +1500で各形式の車両番号となる(6両編成車は3両一単位で編成番号が付けられている)
-
2代目九州色
3 + 3の6両編成 -
クハ103-1512(左)とクモハ102-1517(右)
他系列への改造車[編集]
105系への改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/91/JNR105-500-wakayama_color.jpg/200px-JNR105-500-wakayama_color.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7c/JNR_EC_Tc105-105.jpg/200px-JNR_EC_Tc105-105.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/36/JR_EC_Tc104-551.jpg/200px-JR_EC_Tc104-551.jpg)
延命工事[編集]
車両の寿命は各社の規程などにより決められているが、置き換え時期を延命工事により伸ばし、その間の車両投資を抑制することで調達・製造~使用~廃棄の段階で必要となる費用を低減する効果や、陳腐化したアコモデーションの改善効果がある。 ●特別保全工事︵国鉄・JR東日本・JR東海・JR西日本︶ ●リフレッシュ工事︵国鉄・JR東海︶ ●延命N工事︵JR西日本︶ ●延命NA工事︵JR西日本︶ ●延命NB工事︵JR西日本︶ ●車両更新工事︵JR東日本︶ ●延命N40工事︵JR西日本︶ ●体質改善40N工事︵JR西日本︶ ●体質改善30N工事︵JR西日本︶国鉄時代の延命工事[編集]
特別保全工事[編集]
1980年代に入ると103系は製造後20年が経過することになったが、当時の国鉄は財政難で新車への早期置き換えが困難であったため、全般検査1回分程度の延命を図る特別保全工事が施工された[104]。この工事は1981年︵昭和56年︶度に国鉄小倉工場が423系に対して施行したのが最初であるが、103系では1981年度にクハ103-1で初めて施工され[130]、翌1982年︵昭和57年︶度から本格的な工事が行われるようになった。工事はJR化後にも施工されている[104]。 主な改造内容は車体腐食部分の貼り替え、配管や配線の引き直しなどである[104]。関東地区では車内化粧板の暖色化、座席モケットの茶色化などのアコモデーション改良も行われた[130]ほか、関西地区では同時に屋根の塗り屋根化、側引戸やドアレールのステンレス化なども同時に施工された例がある[130]。リフレッシュ工事︵国鉄︶[編集]
関西地区の103系は国鉄分割民営化直前時点で製造後18年以上の車両が1000両以上在籍しており、JR西日本に継承後も10年から15年ほどの継続使用が必要なため、民営化後に行う更新工事の試作として特別保全工事を一歩進めたリフレッシュ工事が施工された[131]。この工事内容の一部は民営化後の延命N工事にも継承されている[131]。 改造内容は特別保全工事の内容に加え、関西向けの特別保全工事で行われなかったアコモデーション改良を行い、各所のステンレス・アルミ材化も行われた[131]。座席と床・壁が接する巾木部分にFRP材の面取りが設置されたほか、貫通扉は103系一般車で初のステンレス製となった[131]。JR東日本の延命工事[編集]
車両更新工事[編集]
国鉄時代から特別保全工事が施工されていたが、同社では、1988年︵昭和63年︶から一層徹底した延命工事に切り替えられた。施工対象は、主に1967年 - 1972年製造車で、一部は冷房化も施工された。 ●工事内容 ●屋根鋼板補修とポリウレタン樹脂系塗屋根化 ●雨樋取替 ●外板取替︵屋根・腰板部・窓周辺︶ ●側窓枠取替 ●外板塗装更新 ●空気配管取替および除湿装置取付 ●主回路配線引替 ●ジャンパ連結器の取替および片栓車の両栓化 ●引戸の取替︵上レール・下レール座・戸車取替︶ ●室内化粧板とカーテン取替 ●シートモケット取替︵フットライン入り︶ ●握り棒・荷物棚のステンレス化 ●吊手の取替 ●側扉を除いた各ゴム類の黒ゴム化︵戸先・戸当り・Hゴム・押えゴム︶ ●側扉ガラス支持方法の変更︵Hゴム方式から金属押えゴム方式。一部車両はドア自体をゴムの無い金属押え方式のものに交換したほか、更新前に金属押さえ方式に交換された車両はそのままとした。︶ 本工事は複数の工場が担当しており、車内でも化粧板の柄や腰掛モケットが異なるなど、仕様に差異が見られる。*大井工場施工車の一部は袖仕切設置が施工され、長野工場施行車はドアコック蓋が原型のままである、など。 1992年︵平成4年︶に低費用で量産可能な209系が登場するとJR東日本は更新工事を中止し、老朽車の置換えに移行した。そのため、後期車の大半は未更新車であり、後期車の多い中央・総武線では更新車の比率が他の路線に比べて低かった。仙石線向けアコモデーション改善工事[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fe/JNR_EC_Mc103-155.jpg/200px-JNR_EC_Mc103-155.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/77/T103-234-yane.jpg/200px-T103-234-yane.jpg)
JR東海の延命工事[編集]
リフレッシュ工事︵JR東海︶[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8c/JNR_EC_M102-97.jpg/200px-JNR_EC_M102-97.jpg)
JR西日本の延命工事[編集]
延命N・NA工事[編集]
国鉄時代の﹁特別保全工事﹂と国鉄末期の﹁リフレッシュ工事﹂を発展させる形で、車両延命と接客設備改善のための工事が行われた。- 延命N
- 製造から30年の使用を目指し外板整備・機器の一部更新・配管の交換および化粧板の張替・客室扉のステンレス化・妻窓の固定化など。1972年までの製造車大半が該当。白熱灯1灯装備の制御車は2灯シールドビーム化、非冷房車には同時に冷房改造を受けたものが大半であったが、一部例外もあった。
- 延命NA
- 国鉄時代の特別保全工事施工車を対象とし、内壁の張替など前述の延命N工事に準じた工事を施工。一部車両には、客用扉がHゴムを廃した金属押さえのものに交換されたものが存在し、内側に化粧板を張り付けた形態も見られた。
-
延命N車
-
延命NA車
-
延命NA車車内
扉にまで化粧板が張られている
延命NB・N40工事[編集]
- 延命NB
- 1970年(昭和45年)以前製造の初期車が対象で延命N工事と同時にWAU102形搭載冷房改造・側窓の延命N40工事(後述)で使用されるものと同様の黒サッシへの交換を施工。施工車両は11両に留まり、2006年(平成18年)4月までに全車廃車となった。
- 延命N40
- 製造から40年の使用を目指し、従来の延命N・NA工事内容に加え、塗装総剥離塗り替え・雨樋のFRP化・窓サッシの交換(上段下降・下段固定の黒色サッシ)など。主に1973年 - 1976年製の車両に施工されたほか、広島運転所では1972年までに製造された車両の一部にも施工。この工事で採用された黒色サッシは取付部枠の幅が太く、ガラス面積が従来より減少。なお、延命NA工事で行われた客用扉の交換は見送られている。
-
延命N40車
-
延命NA車(左)
延命N40車(右) -
延命NB車
-
延命N40車車内
体質改善工事(40N)[編集]
← 奈良・和歌山 大阪 → | ||||||||||
クハ103 | モハ103 | モハ102 | サハ103 | サハ103 | モハ103 | モハ102 | クハ103 | 竣工 | 初期配置 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
245 | 387 | 543 | 404 | 409 | 408 | 564 | 264 | 1996.3.30 | 森ノ宮 | 体質改善工事試作車 |
481 | 637 | 1996.12.6 | 奈良 | |||||||
510 | 666 | 415 | 1997.1.11 | 森ノ宮 | ||||||
496 | 652 | 1997.2.27 | 奈良 | |||||||
255 | 398 | 554 | 1997.3.28 | 森ノ宮 | パワー・オブ・ハリウッド号ラッピング | |||||
482 | 638 | 1997.4.18 | 奈良 | |||||||
384 | 1997.4.18 | 森ノ宮 | ||||||||
371 | 256 | 1997.6.11 | 森ノ宮 | パワーオブハリウッド号ラッピング(クハ) | ||||||
399 | 555 | 1997.7.5 | 森ノ宮 | パワー・オブ・ハリウッド号ラッピング | ||||||
182 | 1997.7.22 | 奈良 | ||||||||
240 | 1997.7.28 | 森ノ宮 | アメリカの街並風景→スパイダーマン号ラッピング | |||||||
239 | 1997.9.2 | 奈良 | ||||||||
483 | 1997.9.2 | 森ノ宮 | ||||||||
396 | 552 | 1997.9.30 | 森ノ宮 | アメリカの街並風景号ラッピング | ||||||
399 | 528 | 684 | 1997.12.26 | 森ノ宮 | ||||||
529 | 685 | 400 | 1998.4.22 | 森ノ宮 | ||||||
488 | 644 | 1998.6.12 | 奈良 | OSAKA POWER LOOP | ||||||
504 | 660 | 482 | 1998.7.10 | 森ノ宮 | アメリカの街並風景→スパイダーマン号ラッピング | |||||
509 | 665 | 370 | 1998.8.31 | 森ノ宮 | OSAKA POWER LOOP(サハ) | |||||
521 | 677 | 425 | 1998.9.29 | 森ノ宮 | ||||||
490 | 646 | 401 | 1999.1.22 | 森ノ宮 | ||||||
402 | 491 | 647 | 1999.2.9 | 森ノ宮 | ||||||
424 | 520 | 676 | 1999.2.26 | 森ノ宮 | ||||||
410 | 1999.3.12 | 森ノ宮 | ||||||||
659 | 815 | 660 | 816 | 2000.7.11 | 日根野 | |||||
726 | 882 | 728 | 884 | 2000.8.12 | 奈良 | |||||
799 | 2000.9.26 | 奈良 | アメリカの街並風景→スパイダーマン号 | |||||||
833 | 775 | 2032 | 782 | 2039 | 840 | 2000.9.26 | 宮原 | ウッドペッカー号ラッピング | ||
730 | 886 | 484 | 2000.10.30 | 森ノ宮 | ||||||
731 | 887 | 806 | 2000.11.30 | 森ノ宮 | ||||||
836 | 2000.12.18 | 奈良 | ||||||||
714 | 870 | 2001.2.20 | 森ノ宮 | |||||||
823 | 763 | 2020 | 764 | 2021 | 830 | 2001.2.27 | 森ノ宮 | ユニバーサルグローブ→セサミストリート号ラッピング | ||
841 | 848 | 2001.3.12 | 奈良 | OSAKA POWER LOOP | ||||||
475 | 2001.3.15 | 森ノ宮 | OSAKA POWER LOOP | |||||||
715 | 871 | 800 | 2001.3.31 | 森ノ宮 | ||||||
827 | 767 | 2024 | 768 | 2025 | 834 | 2001.10.18 | 日根野 | |||
486 | 2001.11.6 | 森ノ宮 | ||||||||
804 | 2001.11.21 | 奈良 | ||||||||
837 | 781 | 2038 | 786 | 2043 | 846 | 2002.1.12 | 宮原 | スパイダーマン号ラッピング(モハ103-781・モハ102-2038) |
← 奈良・和歌山 大阪 → | |||||
クモハ103 | モハ102 | クハ103 | 竣工 | 初期配置 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
2504 | 451 | 192 | 1997.11.12 | 日根野 | 羽衣線ワンマン対応 |
← 寺前 姫路 → | ||||
クモハ103 | クモハ102 | 竣工 | 初期配置 | 備考 |
---|---|---|---|---|
3501 | 3501 | 1998.3.5 | 網干 | 播但線ワンマン対応 |
3502 | 3502 | 1997.12.20 | ||
3503 | 3503 | 1998.3.6 | ||
3504 | 3504 | 1997.10.8 | ||
3505 | 3505 | 1998.2.3 | ||
3506 | 3506 | 1997.12.15 | ||
3507 | 3507 | 1998.2.26 | ||
3508 | 3508 | 1997.9.24 | ||
3509 | 3509 | 1998.2.26 |
-
体質改善40N車(低運転台)
-
体質改善40N車(高運転台)
-
体質改善40N試作車
クハ103-245 ※2013年3月廃車 -
方向幕部分支持方法の相違
内支持(左)金属枠支持(右) -
体質改善40N車車内
冷房風道ラインフロー化
ラインデリア改造車 -
体質改善40N車車内
風道改造・妻面窓閉塞車 -
体質改善40N試作車車内
下部空洞化片持ち式座席 -
カバー取付扇風機
ラインデリア化省略車 -
(参考)通常の扇風機
体質改善工事(30N)[編集]
← 奈良・和歌山 大阪 → | ||||||||
クハ103 | モハ103 | モハ102 | モハ103 | モハ102 | クハ103 | 竣工 | 初期配置 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
797 | 494 | 650 | 2002.9.13 | 奈良 | OSAKA POWER LOOP(モハ) | |||
784 | 2041 | 2002.10.11 | 宮原 | |||||
533 | 689 | 2002.11.15 | 森ノ宮 | |||||
771 | 2028 | 2003.3.26 | 宮原 | |||||
525 | 681 | 2003.3.28 | 森ノ宮 | |||||
425 | 581 | 2003.6.27 | 森ノ宮 | |||||
424 | 580 | 2003.7.28 | 森ノ宮 | |||||
831 | 773 | 2030 | 774 | 2031 | 838 | 2003.8.28 | 奈良 | |
843 | 850 | 2004.1.20 | 奈良 | |||||
386 | 542 | 244 | 2004.2.14 | 森ノ宮 | ||||
829 | 2004.3.26 | 奈良 | ||||||
769 | 2026 | 2004.7.9 | 日根野 | |||||
802 | 2004.7.16 | 奈良 | ||||||
785 | 2042 | 2004.7.23 | 森ノ宮 | |||||
825 | 765 | 2022 | 766 | 2023 | 832 | 2004.10.14 | 日根野 | |
779 | 2036 | 844 | 2004.12.15 | 日根野 | ||||
835 | 777 | 2034 | 842 | 2005.1.28 | 日根野 | |||
783 | 2040 | 2005.2.21 | 日根野 | |||||
261 | 2005.3.19 | 森ノ宮 |
-
体質改善30N車(低運転台)
-
体質改善30N車車内
原型窓・照明カバー省略以外は40N車に準ずる
改造[編集]
国鉄時代の改造工事[編集]
国鉄は1970年代になると財政難により、新造費用を軽減する目的で、別の用途に振り向けた。101系の103系連結対応工事[編集]
1970年︵昭和45年︶12月10日より大阪環状線の一部を8両編成化した。大阪環状線は101系または103系の6両編成が25本配置されており、ラッシュ時2分40秒間隔運転を行っていたが、8両編成化にあたりラッシュ時の時隔を3分に戻し、捻出される6両編成4本24両を既存の6両編成に組み入れる編成替えを行い、6両編成12本を8両編成12本に組成し直した[138]。 大阪環状線の101系は4M2Tの6両編成から6M2Tの8両編成への組成変更が行われた結果、サハ4両が余剰となった。これを活用するため、103系6両編成2本が101系のサハに併結改造を行って組み込んだ8両編成となった[139]。森ノ宮電車区のサハ100-55・58・サハ101-55・58の計4両が対象で、ジャンパ連結器のKE57形2基からKE70形1基への交換と貫通幌の交換が吹田工場で施工された。この改造は後のサハ103形750番台への布石になったといわれている[140][139]。 改造に伴う車両番号の変更は行われず、1979年︵昭和54年︶度にジャンパ栓が復元され、片町線の101系による新性能化用として淀川電車区に転属した[141]。冷房化改造[編集]
103系は1973年︵昭和48年︶以降の製造車は基本的に冷房車となったが、それまでの非冷房車も1975年︵昭和50年︶度以降冷房改造工事を行った。冷房装置は新製冷房車と同じAU75形の集中冷房装置で、搭載にあたり車体の補強や側面行き先表示器の追加を行なった。冷房用電源もモハ102形に160 kVAのMGを搭載することになり、既存の20 kVAのMGと交換した。これらは新製冷房車に準じたものである。また、これらとは別に1975年夏に関西地区で先頭車のみ非冷房車の編成が投入されたが、扇風機回路を冷房起動回路に代用することによって一斉起動できるように施工された。その後関東地区にも同様の事例が発生したが、こちらでは両端の乗務員室内に新たに冷房起動回路用のスイッチ︵冷房制御スイッチ︶を取付けた。1981年︵昭和56年︶度からは中京地区でも冷房改造が始まり、冷房制御スイッチ取付が施工された。前照灯シールドビーム化改造[編集]
初期製造の先頭車は前照灯に白熱灯を装備していたが、1971年登場の1000番台は営団地下鉄との協定によりシールドビーム2灯となり、0番台も1972年製造のクハ103-180以降で1000番台同様のシールドビーム2灯となった[142]。 1972年の日暮里駅での追突事故で被災したクハ103-544の復旧工事の際、1975年に大井工場︵現在の東京総合車両センター︶で試験的にシールドビーム2灯が改造で設置された[142]。別の事故で被災したクハ103-4も、1977年の復旧の際にシールドビーム化が施工された[143]。 1979年7月に全般検査を施工したクモハ103-69より、本格的なシールドビーム化が開始された[142]。未改造のまま白熱灯で残存した車両も存在し、京葉電車区︵現在の京葉車両センター︶所属のクハ103-562が最後まで白熱灯で残っていたが、2000年︵平成12年︶11月6日付で廃車となり、103系の白熱灯車は消滅した[142]。中央本線名古屋地区転用改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a3/JNR_EC_Mc103-36.jpg/200px-JNR_EC_Mc103-36.jpg)
仙石線転用改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e0/JNR_EC_Mc103-9.jpg/200px-JNR_EC_Mc103-9.jpg)
0番台と1000番台の併結対応改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/19/JNR_EC_Tc103-188.jpg/200px-JNR_EC_Tc103-188.jpg)
1500番台へのスカート設置[編集]
1500番台では踏切事故対策として国鉄時代から先頭車にスカートを取付を施工開始し、JR九州移行後に全車完了した。JR東日本の改造工事[編集]
本系列は、大量輸送に特化した国鉄の標準型通勤形電車という形態から、20年以上に渡り製造が継続された。そのため性能・設備面では陳腐化が目立ったが、1983年︵昭和58年︶3月の中央線快速が201系への、1986年︵昭和61年︶4月の常磐緩行線が203系への置換え完了を除き進行しておらず、分割民営化時には現役車両は全て承継された。しかし、その後はJR各社で新型車の開発・投入による置換えにより廃車が進行した。その一方で国鉄時代より柔軟かつ徹底した改造施工例も多く、様々な新区分番台も発生した。 また、運用路線ごとに特化した仕様への改造も施工された。 ●南武線・鶴見線用︵全車︶京浜東北線・常磐快速線用︵一部︶…外幌取付とそれに伴う妻窓閉鎖。 ●京葉線用…先頭車にスカート︵排障器︶を取付。 ●常磐快速線用…運行番号表示器をLED式に変更。 しかし、1990年代からは205系・209系・E231系などの置換えにより廃車が進行した。首都圏では2006年︵平成18年︶3月18日のダイヤ改正までに全車が定期運用を離脱。同年4月8日の常磐快速線でのさよなら運転、その翌日の車両展示会を最後に営業運転が終了し、仙石線では最後まで残っていたRT-235編成が2009年︵平成21年︶10月21日に営業運転を終了した。 これにより、同社の本系列は消滅。なお、以下で同社が施工した大規模改造工事について解説を行う。AU712形による冷房化[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/51/T103-128.jpg/220px-T103-128.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c5/JNR_EC_T103-245.jpg/220px-JNR_EC_T103-245.jpg)
ATS-P設置改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/JR103-musashino.jpg/200px-JR103-musashino.jpg)
電気連結器設置改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b7/L25_Tc103-574_640.jpg/200px-L25_Tc103-574_640.jpg)
1200番台塗色変更・10両編成化関連[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dc/JNR_301_and_103-1200.jpg/200px-JNR_301_and_103-1200.jpg)
号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
編成番号 | K6 | クハ103 -1204 |
モハ103 -1211 |
モハ102 -1208 |
モハ103 -1210 |
モハ102 -1207 |
サハ 103-430 |
モハ103 -1214 |
モハ102 -1210 |
モハ103 -1212 |
クモハ102 -1204 |
K7 | クハ103 -1205 |
モハ103 -1202 |
モハ102 -1202 |
モハ103 -1207 |
モハ102 -1205 |
サハ103 -429 |
モハ103 -1213 |
モハ102 -1209 |
モハ103 -1215 |
クモハ102 -1205 | |
K9 | クハ103 -1203 |
モハ103 -1208 |
モハ102 -1206 |
モハ103 -1209 |
クモハ102 -1203 |
前面強化工事[編集]
仙石線RT-235編成復活時の改造[編集]
仙石線での本系列運用は2004年7月に一旦終了したが、2006年以降に予定された多賀城駅付近の立体交差化工事の際に車両不足が想定[注 36]されることから、本編成のみ郡山総合車両センターで留置された。2006年11月に同センターで復帰のための整備が施工され、2007年3月19日より営業運転に復帰した[132]。 クハ103-235に車椅子対応の大型トイレが設置され[注 37]、モハ103-343のパンタグラフはシングルアーム式2基に換装された[132]︵本系列初かつ唯一︶。台車はグレー塗装化、座席モケットは205系と同タイプに変更されている。保安装置はATS-SNからATS-Psに変更された。 復帰後は平日朝のラッシュ時に区間運転2往復限定で運用された。しかし、老朽化と首都圏配置車の需給調整の結果、南武線209系2200番台投入により205系が捻出できることになり、2009年10月21日を最後に営業運転を終了[150]、同月26日に郡山総合車両センターへ廃車回送され、JR東日本管内の103系は全廃となった[151]。4両とも2009年10月28日付で廃車となり[132]、2010年1月に解体された[152]。← 石巻 あおば通 → | |||
クハ103-235 | モハ103-343 | モハ102-499 | クハ103-236 |
- 4両とも中央線快速→中央総武緩行線→仙石線と転属してきた車両である。
-
RT-235編成
-
クハ103-235 トイレと車椅子スペース(左)
モハ103-343 交換された座席(右)
入換車への転用[編集]
JR東海の改造工事[編集]
国鉄からの継承車70両は1965年︵昭和40年︶から翌1966年︵昭和41年︶にかけて製造された初期車両であったことから、一部の冷房車を含む20両は廃車し、残った50両にリフレッシュ工事などの改良工事を施工した。C-AU711A形による冷房化[編集]
JR東日本のAU712形と同様に、工期短縮と経費削減の観点から、C-AU711A形集約分散式2基搭載による改造工事が施工された[134]。1987年度から翌年度にかけて12両に施工され、非冷房で残った16両はAU75改造車の4両とともに廃車となっている[134]。側面方向幕の設置は施工されなかった[134]。モハ102-76・81・96・97の4両は、冷房電源確保のためMGからC-SC24形SIVに換装された[134]。ドア点検蓋の設置[編集]
JR東海の103系には、側引戸のドア点検蓋の設置も行われた[134]。特別保全工事・リフレッシュ工事とは別工事となったが、50両全車に施工されている[134]。電動方向幕の使用[編集]
国鉄時代は前面の方向幕部分に﹁中央線﹂と表示し、行先案内には先頭車側面の行先表示板︵サボ︶を使用していたが、JR化後の1987年度より方向幕付車両で電動方向幕の使用が開始された[134]。前面幕にも側面用の幕が流用されたため、前面幕窓の上下に余白が入る形となった[134]。JR西日本の改造工事[編集]
承継車両の多くが初期から中期型車であったことから、延命を図っている。また、JR化後に新たな用途が多数発生しており、それに合わせた改造も見られる。羽衣線向けワンマン化改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9f/Tc103-194.jpg/220px-Tc103-194.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6a/JRW_series103-Hagoromo.jpg/200px-JRW_series103-Hagoromo.jpg)
WAU102形による冷房化[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d8/JR_West_103_series_skyblue.jpg/200px-JR_West_103_series_skyblue.jpg)
ATS-P形導入に伴うブレーキ弁改造・交換[編集]
ATS-P搭載に付随して、ブレーキ弁の改修が施工された。電源投入方式がJR東日本と異なるため非常抜取対応のME48形は導入せず、従来からのME40形に電気接点部分改造施工で対応。その後117系などに採用されたME49系への交換が開始された。座席モケット交換[編集]
イメージアップの一環として、201・203・205系と同様の、座席モケットが茶系統で3-1-3の区分入仕様に交換したが、その後、緑色などの試験を経て近年ではシーマンブルー︵わずかに紫がかった青︶1色に再交換されつつある。優先座席も青地にピクトグラムの入ったものに交換されている。福知山線脱線事故によりJR東日本から転入した8両のうち、広島運転所に投入されたクハ103形は2廃車までJR東日本仕様のままであった。腐食対策[編集]
延命の一環として、腐食の原因を取り除く改造がされた。戸袋窓閉塞施工車
固定式妻窓(左側)
新貫通扉
金属枠支持(左)
Hゴム支持(右)
前面窓ステンレス
側扉窓アルミ押さえ支持車
前面窓・側扉窓Hゴム支持車
スカート設置[編集]
下関・広島地区転用改造[編集]
和田岬線転用改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1f/JRW_series103_Wadamisaki.jpg/200px-JRW_series103_Wadamisaki.jpg)
クハ103 -247 |
モハ103 -389 |
モハ102 -545 |
モハ103 -397 |
モハ102 -553 |
クハ103 -254 |
JR九州の改造工事[編集]
筑肥線向けワンマン化改造[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6b/JRK103.jpg/220px-JRK103.jpg)
2000年3月11日ダイヤ改正から西唐津 - 筑前前原間で車内で運賃を収受しないワンマン運転を開始した[160]。ワンマン運転に対応するための改造工事を1999年末から2000年3月にかけて小倉工場で実施した[161]。施工内容は車外スピーカーの追設・ドア開閉時に駅ホーム設置のカメラ映像を確認可能な安全確認用液晶モニターを設置している。
筑肥線向けトイレ設置改造[編集]
2002年度下期より本系列としては初となるトイレの設置が行われ、全編成の唐津向き先頭車(クハ103形奇数番号車またはクモハ103形)の車端部の海側に身体障害者対応の大型洋式トイレが設置された。これに際し、トイレ設置部分の側窓・妻窓が埋め込まれ、車椅子スペースとした側窓を1/4程度に縮小された。この改造によりJR九州の電車編成でのトイレ設置率は100 %を達成している。
その他の改造[編集]
- AU720形冷房装置搭載
- 松戸電車区所属車を中心にクーラーを209系と同タイプのAU720形に交換した。効果の程は不明だが、一般車と区別なく廃車された。JR西日本でも日根野電車区所属車に同様の工事を施工した車両が存在する(WAU709形)。
-
WAU709形搭載車
AU75形より小型のためランボード長と不一致 -
WAU709形上部
性能・運用面での比較・評価など[編集]
投入線区の拡大[編集]
駅間距離の長い線区への進出[編集]
国鉄の新製通勤形電車は、特殊用途の301系を除き全て103系で賄われることになったため、増備が進むと次第に本来の投入予定線区とは性格を異にする路線にも投入されるようになっていった。1962年︵昭和37年︶の新形通勤電車の投入候補線区には比較的駅間の長い常磐線︵平均速度52.8 km/h︶と京阪神緩行線︵同56.7 km/h︶も含まれていたが、本系列の仕様決定は、これらの路線を除いた対象4線区での平均駅間距離︵1.34 km︶や平均速度が参考にされた。比較的駅間距離が長い路線向けにはMT46A形主電動機の界磁を40 %からさらに弱めた35 %にするなどの措置が必要であり、MT55形が35 %まで界磁を弱めているのはこれに対応するためでもある。 当時の多くの路線の最高速度は95 km/hであり、80 km/hを超える高速域では101系より加速力が高い[注 38]ため大きな問題にはなっていない。しかし、快速列車から逃げ切るために高加速かつ最高速度の高い通勤電車を求めていた大阪鉄道管理局には、1964年︵昭和39年︶に京阪神緩行線を新性能化する際に、新形式を必要とするのか検討させている。大阪鉄道管理局では当時の線路使用方法︵快速と緩行の内側線のみの集中︶が改善されるなら、新形式ではなく既存形式︵101系や本系列︶でも使えるとの認識を示した︵詳細は京阪神緩行線#新形通勤電車構想を参照︶。 35 %まで界磁を弱めて高速特性を高めたが、定格速度は30 km/h台であることから、平均駅間距離が2 km台の京浜東北線[注 39]に1965年︵昭和40年︶に投入する際には、以下の案も検討された。 ●ノッチオフの速度が上がったことから、本系列の歯車比を1:5.6にする。 ●MT54形主電動機により中速以上の特性を高めた通勤電車の可能性を模索。 しかし、いずれも本系列に比べて電力消費量が増加することのデメリットが大きく、高速運転区間も経済性が高く、高速タイプにする必要はないとの結論を得た。これらの調査結果を受け、1967年︵昭和42年︶末から常磐線に本系列が投入される際には、ブレーキ初速と使用頻度が高くなることもあり、新規開発されたメンテナンスフリーのディスクブレーキ付きTR212形付随台車を採用した[注 40]。 京阪神緩行線への投入から3年後の1972年︵昭和47年︶3月15日のダイヤ改正後のスピードアップでは、ブレーキ初速が90 km/h台になると電気ブレーキを使用した際に主電動機に過電圧がかかることから、保護回路が頻繁に作動し、電気ブレーキが作動せずに故障と紛らわしいと苦情が多発。保護回路が作動する際に衝動が大きく、乗り心地にも影響を与えることなどが判明した。設計上95 km/h程度までは過電圧が発生しないため、101系に取り付けられていた減圧継電器を省略していたことも原因の1つではあるが、本来の性能に近づけるため一部の回路を改良し、1972年度中に過電圧を防止する対策が施工された[162]。 JR西日本では1991年度からJR東西線の開業を見越し、乗り入れ予定の片町線では地下線対応の207系に置き換えを始めた。捻出された103系は100両を超えそのほとんどが冷房車であったことから、関西本線・阪和線の非冷房車置き換えに転用されたが一部は山陽本線下関運転所に冷房化率改善のため転出[163]。103系は過去にも通勤区間で駅間の長い路線に投入されたことはあっても、近郊形電車の運用区間に直接転用されたことは無かった故に、鉄道雑誌ではその使用方法について疑問が投げかけられた。特に山陽本線岩国以西は105系トイレなし編成での運用実績は有ったが103系の投入により約半年で広島運転所に転配されている。ダイヤ上の問題[編集]
常磐快速線と阪和線で問題になった。これは103系単独の問題ではなく、運用上、阪和線では113系、常磐快速線では401・403・415系と並行ダイヤを組むことになったためである。加速度が高く高速性能が劣る103系と、加速度が低く高速性能に優れる近郊形電車とで同一の線路を走り並行ダイヤを組んだため、どちらの特性もスポイルした。更に常磐快速線では485系︵後に651系も加わる︶、阪和線では381系特急もそのダイヤの中に入りこんだため、ダイヤカット︵列車の運転間隔の短縮︶に苦労することになる。 このため、東京鉄道管理局では1972年︵昭和47年︶の中央・総武緩行線分離後に首都圏の101系を常磐線に集結させ、上野~取手間の快速電車と取手以北へ行く中距離列車の加減速特性を近づけ、同時に松戸電車区の103系0番代を常磐快速線より平均駅間の狭い線区に転出させることが検討された。しかし、この計画は実現しなかった。元々、常磐線の103系は緩急分離以降4M4Tの8両編成になったため混雑が激しく、1973年3月からは編成に電動車2両を追加して10両編成に増車。結果的にMT比が上がったことで走行性能が改善された。常磐線快速電車と中距離列車の特性を揃えるという対策は、JR化後に前者をE231系、後者をE531系に置き換えることでようやく実現した。主電動機の性能比較[編集]
101系との主電動機比較[編集]
8両編成でMT比1:1とすることを前提として計画されたが、1968年︵昭和43年︶10月の山手線10両編成化の際には6M4Tとなるため、MT比が3:2となった。単純に編成出力だけを見れば101系の2,400 kWに対し本系列は2,640 kWと大きく、﹁10両ならば103系は不要で101系でいい[164]﹂という意見も存在した。 実際の変電所負担に関わる電力消費に関しては、定格引張力が小さい101系は[注 41]本系列の加速度に合わせるためには起動時の限流値を高めなければならなかった。 同様な駅間距離を持つ総武・中央緩行線の101系と本系列6M4T同士の試算では、以下のようになる。 ●運転時分を同等とした場合の限流値は本系列で415 Aに対し101系では480 Aとなる[注 42]。 ●同試算によると101系に比べ本系列の方が変電所設備や年間電力消費量を低減できるとされており、上記の編成出力だけを基準とした意見は必ずしも正確ではない。 101系のみならずMT46系主電動機を採用した形式は、主電動機の絶縁種別が低いこともあって熱容量︵電動機の通電による熱に対しての耐性︶が不足しており、山手線のような加速・減速を繰り返すような線区ではオール電動車にしても熱容量が足りない[166]との試算がすでに1960年代初頭に出ており、101系は全電動車でも問題点があるとされていた。 さらに101系は熱容量不足から応荷重装置が使えず、乗車効率が300 %にもなるラッシュ時には乗客の数に応じて運転時分が変わる。一方で、応荷重装置を使える本系列は乗客の数に関わらず起動加速度は一定に保つことができる。 そもそもMT比1:1設計をMT比3:2とすれば運転性能は上がり、1965年の京浜東北線10両編成投入の際に、長短所については検討しているが、省電力などのメリットはMT比3:2でも引き続き得られることを確認[167]している。したがって、同じMT比3:2の6M4Tでも101系より本系列の方が加速度の高いことがわかる。国鉄電車用主電動機との比較[編集]
電気鉄道用主電動機は固定歯車比の減速機構を通して車軸を駆動する関係で、主電動機に幅広い回転数変化とくに、弱め界磁時の高速回転に耐えることが求められる。このことを数値的に表すために主電動機の高速回転能力を示す指針としては出力よりもSRP (Specific Ratio Power) を用い、電動機進歩の比較としてSSRP (Specific Speed Ratio Power)[168][169]を用いることがある。ここでSRPとは許容回転数×︵電動機出力÷定格回転数︶︵馬力HP︶であり、SSRPはSRPを主電動機質量で除したものである。下記に国鉄の主な主電動機のSSRPとSRPを示す。MT30 | MT40 | MT46A | MT54 | MT55 | MT60 | MT61 | MT63 | WMT61A(JR西日本) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
主な形式 | モハ72形 | モハ72形 | 101系 | 113系 | 103系 | 201系 | 205系 | 207系(国鉄) | 205系1000番台 |
許容回転数 (rpm) | 2000 | 2000 | 4320 | 4320 | 4400 | 4850 | 4600 | 6000 | 5100 |
定格回転数 (rpm) | 780 | 870 | 1860 | 1630 | 1250 | 1890 | 1540 | 2200 | 1540 |
電動機出力 (kW) | 128 | 142 | 100 | 120 | 110 | 150 | 120 | 150 | 120 |
電動機出力 (HP) | 171.7 | 190.4 | 134.1 | 160.9 | 147.5 | 201.2 | 160.9 | 201.2 | 160.9 |
SRP | 440.3 | 437.7 | 355.4 | 426.4 | 479.8 | 516.3 | 480.6 | 548.7 | 532.9 |
電動機質量 (kg) | 2100 | 1970 | 740 | 800 | 980 | 835 | 800 | 535 | 800 |
SSRP | 0.21 | 0.22 | 0.48 | 0.53 | 0.49 | 0.62 | 0.60 | 1.03 | 0.67 |
SRPの定義式は、許容回転数×(電動機出力÷定格回転数)と変形できるのでSRPはすなわち、設計安全最高速度と定格トルクの積に比例する値となる。したがって車両の設計安全最高速度と質量あたり出力を決めると、起動加速度はSRPにほぼ比例することが分かる。定格回転数が低いにもかかわらず許容回転数が高い103系のMT55は、SRPやSSRPで比較すれば、他の新性能電車向け主電動機に負けず劣らず軽量で高速回転に耐える優秀な主電動機であるのだが、「103系の高速運転時にはモーターがブンブンと回るだけ」と、高回転では103系のモーターが能力外であると勘違いさせるかのような記述[173]も見受けられる。ただしMT55を定格速度が低い103系のセッティング(歯数比と車輪径)で使う場合、定出力領域は64 km/hで終わり、それ以上高速になると出力が落ちる。これは113系や115系(ともに歯数比は4.82〈17:82〉)の84 km/hに比べて低いばかりか、定格出力の小さい101系の67 km/hよりも低い数値[170]であり、高速域では主電動機の持つポテンシャルを出し切れていないことになる。
通勤用車両の冷房化率の推移[編集]
昭和40年代前半になると家庭でもクーラーが普及し始め、通勤型電車でもクーラーの要求が増していく。そこで国鉄では103系と113系にて冷房装置の試作を昭和45年に行い、昭和48年度より103系は冷房車製造を行っていく。冷房装置付きの103系が増備されることで各線区の冷房化率が上がった。
国鉄広報部が毎年1回出している「数字でみた国鉄」では昭和49年版から通勤用車両の冷房化率が掲載されている。201系の量産が始まる昭和57年版までの冷房化率の推移を示す。一部は101系冷房改造車によるものも含まれるが、103系が昭和50年代に大量に増備された結果、通勤輸送における冷房化率が向上した。
東京・大阪付近の通勤用車両の冷房化率(各年7月現在) | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1974年 | 1975年 | 1976年 | 1977年 | 1978年 | 1979年 | 1980年 | 1981年 | 1982年 | 備考 | |
中央本線 | 20 % | 21 % | 21 % | 23 % | 34 % | 44 % | 48 % | 52 % | 67 % | 特別快速は100 % |
山手線 | 31 % | 31 % | 39 % | 41 % | 54 % | 66 % | 72 % | 74 % | 76 % | |
京浜東北線 | 7 % | 7 % | 18 % | 52 % | 64 % | 64 % | 65 % | 66 % | 68 % | |
常磐快速 | 13 % | 23 % | 38 % | 48 % | 52 % | 56 % | ||||
総武緩行 | 1 % | 10 % | 17 % | 17 % | 39 % | |||||
南武 | 3 % | 16 % | 30 % | 35 % | 50 % | |||||
横浜 | 17 % | 31 % | 44 % | 48 % | 59 % | |||||
青梅 | 3 % | 5 % | 12 % | 12 % | 18 % | |||||
武蔵野 | 6 % | 6 % | ||||||||
東海道・山陽本線(緩行) | 20 % | 27 % | 42 % | 43 % | 44 % | 47 % | 51 % | 54 % | 56 % | |
大阪環状線 | 34 % | 34 % | 50 % | 64 % | 64 % | 64 % | 76 % | 76 % | 76 % | |
阪和線 | 8 % | 8 % | 16 % | 23 % | 32 % | 42 % | 61 % | 63 % | 69 % | |
片町線 | 12 % | 28 % | 33 % | 33 % | 33 % |
他形式等との比較[編集]
旧形国電や101系との電力消費量率の比較︵1966年頃︶[編集]
103系が経済性が高いと言われた所以は、単にMT比1:1による運転が出来て車両費などが安いという点だけでなく、高い加速度と高い減速度によって同時代の他の抵抗制御車よりも消費電力量が少なく、経済運転が可能な点に依るところが大であった。設計当時は後者のメリットを語る記述が多かったが、1980年代以降に回生ブレーキ車が一般化し、さらに軽量ステンレスやアルミ車などが標準になってからは﹁103系は他系列より消費電力において経済的﹂というロジックは完全に過去のものとなっている。 下表は103系が量産され始めた当時に試算された他形式との比較表であり、103系が他形式よりも有利であることがわかる[175]。電力消費率は、1 kmまたは1000 t・kmあたりの消費電力量だが、ここでは1000 t・kmを用いている。また、消費電力量は運転時分を長くするとそれだけ減る傾向にあるが、103系の消費電力量、消費電力量率は他の形式に比べて運転時分が短い状態での数値である。同じ運転時分ベースで考えるとさらに103系の消費電力量等は下がる。線名 | 車種 | 編成と限流値 | 運転時分 | 電力消費率 | 比率 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
山手線 | 旧形 | 5M3T 210 A | 53分40秒 | 58.3 kWh/1000 t・km | 100 | |
101系 | 6M2T 300 A | 53分20秒 | 52.5 kWh/1000 t・km | 90 | ||
6M2T 480 A | 48分40秒 | 55.4 kWh/1000 t・km | 95 | 参考値。実際にこの限流値で運転されたことはない | ||
103系 | 4M4T 415 A | 50分00秒 | 48.6 kWh/1000 t・km | 83 | ||
京浜東北線 | 旧形 | 6M4T 210 A | 79分20秒 | 47.7 kWh/1000 t・km | 100 | 参考値。京浜東北線で旧形の10連は運転されていない |
旧形 | 5M3T 210 A | 78分50秒 | 47.9 kWh/1000 t・km | 101 | ||
101系 | 6M4T 480 A | 73分20秒 | 46.0 kWh/1000 t・km | 97 | 参考値。実際にこの限流値で運転されたことはない | |
103系 | 6M4T 415 A | 72分40秒 | 44.0 kWh/1000 t・km | 92 |
113系やMT54の歯車比1:5.60車との比較(1975年頃)[編集]
1 km | 2 km | 3 km | 4 km | 5 km | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|---|
113系 | 12.5 kWh 106秒 | 19.0 kWh 154秒 | 24.4 kWh 199秒 | 29.2 kWh 244秒 | 33.3 kWh 289秒 | |
101'系 | 11.1 kWh 101秒 | 18.0 kWh 151秒 | 23.2 kWh 197秒 | 27.0 kWh 240秒 | 31.7 kwh 284秒 | 101系の主電動機をMT54に換装した架空形式 |
103系 | 10.2 kWh 96秒 | 16.5 kWh 148秒 | 21.4 kWh 196秒 | 26.2 kWh 242秒 | 31.9 kWh 285秒 |
営団6000系や301系などアルミ車との比較(1975年頃)[編集]
103系1000番台 | 営団6000系 | |
---|---|---|
編成 | 8M2T | 6M4T |
編成重量 | 358 t | 288 t |
力行電力 (kWh/km) | 25.0 | 20.1 |
回生電力 (kWh/km) | 0 | -5.3 |
消費電力量 (kWh/km) | 25.0 | 14.8 |
比率 | 100 | 60 |
旧型国電や101系との比較(1981年頃)[編集]
駅間が長く高速運転できる形式との比較︵1985年頃︶[編集]
103系電車が阪和線や東海道・山陽緩行線などに投入されると、駅間距離が長い路線では、一般に最高速度やブレーキ初速が高い運転がされているため、投入当初は苦情も多かった。しかし、原因の追及などによりそれらの不満は解消されることになる[58]が、このことが恒久的な問題点だと記事にしたケース[174]などもあり、駅間が長く高速運転をする線区では103系は適さないと思われるようになった。 しかし車両設計事務所の川添雄司は﹁103系は駅間の長い路線や最高速度が高い路線など別形式が有利に見える路線でも、データを見ると103系に有利な数字が出るとしている。東海道本線・山陽本線などでは、3ドアの113系を4ドアにしたような車両[注 43]でよいかもしれないが、比較すると103系の方が消費電力量が少ない。103系は駅間の短いところから長いところまで使える上に、価格も安い﹂と述べている[180]。このことは前述の113系等との1 km - 5 kmの運転時分や消費電力量の比較などを見ても明らかである。山手線205系との比較︵1986年頃︶[編集]
1985年9月から1986年9月まで山手線の103系と205系それぞれ1編成に積算電力計を設置し、実車による消費電力量調査を行っている[181]。力行時の効果は205系が軽量ステンレス車体やボルスタレス台車などの採用で編成あたり65トン軽いという要素があり、補機については103系が主抵抗器の強制冷却用ブロアモーターがあること、冷房装置が205系の省エネタイプのAU75Gに比べて古いタイプであることなどによる差も含んだデータとなっている。回生率などのデータはその路線での運転方法と綿密な関連があるので、このデータはあくまでも山手線のものである。103系電車 | 205系電車 | 差 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
力行 | 23.14 | 19.85 | 3.29 | |
回生 | 0 | -4.55 | 4.55 | |
補機 | 7.92 | 4.49 | 3.43 | MG等 |
消費電力量 | 31.02 | 19.79 | 11.26 |
京浜東北線205系・209系との比較(1993年頃)[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Tc208-13.jpg/220px-Tc208-13.jpg)
京浜東北線に209系が配置されると、実際の消費電力量を車両サイドで調査している[182]。この結果を受けて、209系には「この電車は、従来の半分以下の電力で走っています」のステッカーが貼られた。山手線205系での比較にあるように、103系は消費電力量の大きな冷房装置などを使っていることや抵抗器を強制冷却していることなどから、これらを含めると差はさらに広がる。
103系電車 | 205系電車 | 209系電車 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
力行 | 18.12 | 16.16 | 12.97 | |
回生 | 0 | -4.19 | -4.38 | |
補機 | - | - | - | 考慮していない |
消費電力量 | 18.12 | 11.97 | 8.58 | |
比率 | 100 | 66 | 47 |
大量生産の弊害[編集]
標準化による技術の停滞[編集]
国鉄では1960年︵昭和35年︶頃から日本国有鉄道規格、いわゆるJRS (Japanese National Railways Standards) が整備されはじめる[183]。標準化の効果は費用が低減すること、品質が安定すること、作業能率が上がること、安全性が高まることなどメリットが多く[184]、大量の資材調達を行う国鉄が導入することは当然のことであった。標準化による技術の阻害については、標準品を継続して使いつつ技術の進歩を蓄積し、一定のタイミングでモデルチェンジを行うことで技術開発との調和ができると考えられていた[184]が、結果的には単純化の考えにより特定メーカーごとの特徴が出にくくなったこと、特定会社に有利にならないように配慮したことが逆にメーカーの競争力を奪ったことなど、技術革新テンポに合致せず技術の停滞を招く原因にもなり、JR化後に廃止された[185]。国鉄の財政赤字[編集]
車両を軽量化すれば維持費用が下がるほか、加速力が質量と関係があることから、加速性能や高速性能のアップが見込める。1960年代に入るとアルミやステンレス車体の試作車を製造し始め、国鉄でも関門トンネル用や営業車ではサロ153形やキハ35形などでステンレスを用いた車両を製造していたが、地下鉄東西線への乗り入れ用として1966年︵昭和41年︶に全アルミ車体の301系を完成させる[186]。301系では1両あたり5 t近い車体軽量化が図られたほか、台車を空気ばね付きとして乗り心地を改善している。 アルミ車体の採用によって103系と同一走行システムを維持しつつ走行性能の問題点を解決できたが、素材の価格が鋼板の6倍から7倍するアルミを用いた車両を大量に製造することは国鉄には難しく、1971年︵昭和46年︶の西船橋延長用の増備車は低コストな普通鋼車体・金属ばねの103系1200番台になった。これはアルミ車体軽量化で顕著な効果があったと認めながらも、財政事情が悪い国鉄では同じ予算で1両でも多くの車両を製造したいという考え[187]があり、財政赤字が車両の改善をも影響を及ぼしていることがわかる[注 46]。長期量産による初期製造コストの低さ︵短期的費用の安さ。代わりに長期的には在来車同様のメンテナンスや重更新の必要性が発生する︶と、﹁いくつかの欠点を度外視すれば、大方の用途において当面の必要性能を充足しうる﹂という103系の特性は、それが旧弊化・陳腐化していることが明白であっても、なお財政赤字の国鉄に増備を続行させる動機となったのである。チョッパ制御車の開発遅れ[編集]
山手 | 京浜東北 | 中央 | |
---|---|---|---|
力行時の節減 | 4.4 % | 3.0 % | 0.6 % |
回生時の節減 | 22.9 % | 23.4 % | 21.3 % |
抜本的な性能特性改善の未実施[編集]
同時期に製造され性能特性も近い営団5000系電車などは、回生ブレーキ化によるトンネル内発熱抑制や経済化、性能特性改善のため界磁添加励磁制御へ改造されている。他にも大手私鉄では、同時期の抵抗制御車が界磁添加励磁制御に改造された例が散見されるが、本形式ではそれらの改造は行われなかった。運用[編集]
本稿では各線区の103系の動向について、国鉄時代から分割民営化後を通じて述べる。山手線・赤羽線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/JNR103_198508_Uguisudani.jpg/220px-JNR103_198508_Uguisudani.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/L25_akabane_Tc103-273_750.jpg/220px-L25_akabane_Tc103-273_750.jpg)
京浜東北線・根岸線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d1/Type103-shinagawa-oimachi.jpg/220px-Type103-shinagawa-oimachi.jpg)
常磐線・成田線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/JNR_103-0_Joban_Line.jpg/220px-JNR_103-0_Joban_Line.jpg)
中央快速線[編集]
101系による新性能化が完了していた中央快速線には、1973年の武蔵野線開業用の101系を捻出するため、103系の新製冷房車10両編成7本が豊田電車区に配置された[222]。車体塗装はオレンジバーミリオン︵朱色1号︶となった[222]。冷房車であったことから、当初は主に特別快速で使用された[222]。 103系はその後も他線区からの転入や101系置き換え用の新製投入で増備されたが、1981年より201系量産車の中央快速線への投入が開始され、中央快速線の103系は101系よりも早く1983年に撤退した[223]。中央・総武緩行線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/JNR_103_and_101_at_Ochanomizu_Station_19870211.jpg/220px-JNR_103_and_101_at_Ochanomizu_Station_19870211.jpg)
横浜線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ec/JRE-EC103-Yokohama-Line.jpg/220px-JRE-EC103-Yokohama-Line.jpg)
埼京線[編集]
1985年9月30日に大宮 - 赤羽 - 池袋間の運転系統として開業した埼京線では、開業時より103系が投入された。山手線や赤羽線で使用されていた車両から捻出され、川越線内に新設された川越電車区に配置された。大宮 - 川越間では川越線に乗り入れている。1986年には山手貨物線の線路への乗り入れにより新宿まで延伸された[231]。 しかし騒音問題が発生した為、1989年より205系の投入による置き換えが開始され、1990年12月10日で205系に統一、103系の埼京線での運用は終了した[232]。川越線・八高線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/JRE-EC103-3000-at-Omiya.jpg/220px-JRE-EC103-3000-at-Omiya.jpg)
青梅・五日市線[編集]
旧性能車が使用されていた青梅線・五日市線では、1976年より103系の営業運転が開始された[229]。京浜東北線へのATC車投入に伴う捻出車が豊田電車区に転入したもので、塗装は京浜東北線時代のスカイブルーからオレンジバーミリオンに変更された[229]。編成は当初は4両編成が入り、1977年からは3両編成も転入した[235]。1977年からはラッシュ時に4両 + 3両の7両編成での運転を開始している[235]。 翌1978年には五日市線の旧性能車クモハ40形・72系の置き換えのため、京浜東北線からの103系が5両編成で転入した[235]。これにより中央線快速から直通の101系を除く青梅・五日市線内の列車が103系で揃えられ、旧性能車は1978年3月29日のさよなら運転をもって運用を終了した[235]。 1985年のダイヤ改正で5両編成が6両編成となり、101系から改造のサハ103形750番台が増結された[235]。1986年に3両編成が4両編成化される際は、仙石線の72系アコモ改造車から川越線用103系3000番台への改造で余剰となったモハ72形5両がサハ103形3000番台に改造されて編入された[145]。 2000年からの中央・総武緩行線へのE231系投入により、捻出された三鷹電車区の201系が豊田電車区に転入し、103系の置き換えが開始された[236]。青梅・五日市線の103系は2002年3月7日に定期運用を終了し、4月13日のさよなら運転をもって全廃となった[236]。武蔵野線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c4/Musashino_103_Niiza_20020527.jpg/220px-Musashino_103_Niiza_20020527.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6d/103_series_38_Mitaka_20050625.jpg/220px-103_series_38_Mitaka_20050625.jpg)
京葉線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/Keiyo_103_19960614.jpg/220px-Keiyo_103_19960614.jpg)
南武線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8b/103_set_21_Nambu_Line_Shukugawara_20010626.jpg/220px-103_set_21_Nambu_Line_Shukugawara_20010626.jpg)
鶴見線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/72/JNR103_Tsurumi_04p5678v.jpg/220px-JNR103_Tsurumi_04p5678v.jpg)
仙石線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/ab/JR_Senseki_Line_103_Umikaze.jpg/220px-JR_Senseki_Line_103_Umikaze.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/27/L25_RT235_takasago_N4045.jpg/220px-L25_RT235_takasago_N4045.jpg)
名古屋地区[編集]
中央本線の名古屋口で最初の電化区間である名古屋 - 瑞浪間では、72系が5両 + 5両編成の10両編成で運用されていたが、1977年3月11日より103系の6両 + 4両の10両編成への置き換えが開始され、4月13日に103系化が完了した[145]。 当初投入分の52両︵予備車含む︶は京浜東北線へのATC対応車の投入に伴う捻出車であり、先頭車側面へのサボ受けの設置や前面窓のデフロスタ設置等の工事が施工され、神領電車区に転入した[145]。塗装はスカイブルー︵青22号︶とされたが、1978年に転入した10両には横浜線から転入したのウグイス色の車両が含まれており、混色編成も存在した[254]。 前面方向幕は当初は使用せず、1979年10月より﹁中央線﹂のステッカーが貼られた[254]。1980年には冷房化改造車が登場したが、側面幕も白幕のまま使用されなかった。1985年度以降は青梅・五日市線からの転用で豊田電車区より冷房車6両含む8両が転入したが、オレンジバーミリオンのままの車両も一時期存在した[254]。 1986年11月1日のダイヤ改正では輸送力適正化のため7両 + 3両に組み換え、3両編成単独での運用も開始された[254]。冷房車は前面・側面の方向幕の使用が開始されている[254]。 民営化によるJR東海への継承後は211系5000番台が大量増備され、103系はラッシュ時のみの運用となった[253]。1995年からは関西本線での運用も開始され、3両編成が亀山まで入線した[253]。1999年の313系の投入に伴って103系は1999年12月に運用を終了し、2001年に全廃となった[253]。← 名古屋 中津川 → | ||||||||||
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大阪環状線・桜島線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/JR_West_103_series_orange.jpg/220px-JR_West_103_series_orange.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/40/Series103_LA4.jpg/220px-Series103_LA4.jpg)
(2017年9月15日 大正駅)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ed/JRW_VIERRA_Tamatsukuri.jpg/220px-JRW_VIERRA_Tamatsukuri.jpg)
関西本線︵大和路線︶・奈良線・おおさか東線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Series103_NS413.jpg/220px-Series103_NS413.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3a/JRW_series103-OsakaLoop.jpg/220px-JRW_series103-OsakaLoop.jpg)
阪和線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2d/Series103_HK609.jpg/220px-Series103_HK609.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/%E7%BE%BD%E8%A1%A3%E6%94%AF%E7%B7%9A103%E7%B3%BB.jpg/220px-%E7%BE%BD%E8%A1%A3%E6%94%AF%E7%B7%9A103%E7%B3%BB.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/bd/%E9%98%AA%E5%92%8C%E7%B7%9A103%E7%B3%BB%E9%AB%98%E9%81%8B%E8%BB%A2%E5%8F%B0%E8%BB%8A.jpg/220px-%E9%98%AA%E5%92%8C%E7%B7%9A103%E7%B3%BB%E9%AB%98%E9%81%8B%E8%BB%A2%E5%8F%B0%E8%BB%8A.jpg)
東海道・山陽緩行線︵京阪神緩行線︶[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/70/JNR_kuha103-154.jpg/200px-JNR_kuha103-154.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9b/JNR_103_tokaido_yamazaki.jpg/220px-JNR_103_tokaido_yamazaki.jpg)
片町線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/05/JR_Katamachi_Sta.jpg/220px-JR_Katamachi_Sta.jpg)
福知山線︵JR宝塚線︶[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A-1991%E5%B9%B4-01.jpg/220px-%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A-1991%E5%B9%B4-01.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b8/L25_Miha103.jpg/220px-L25_Miha103.jpg)
和田岬線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/60/Series103_R1.jpg/220px-Series103_R1.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5d/Series103-Sanyo-Line.jpg/220px-Series103-Sanyo-Line.jpg)
加古川線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/05/JRW_Kumoha103-3553_at_Ao_Station.jpg/220px-JRW_Kumoha103-3553_at_Ao_Station.jpg)
播但線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d8/Series103_Bantan-line.jpg/200px-Series103_Bantan-line.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5b/JRW_103_base_version_sky_blue_Bantan_Line_Himeji_Station_2006-03-27.jpg/200px-JRW_103_base_version_sky_blue_Bantan_Line_Himeji_Station_2006-03-27.jpg)
岡山地区[編集]
下関地区と同様に115系非冷房車を置換えるため、1994年より広島支社に続いて岡山支社にも投入、同年4月25日より営業運転を開始した[332]。塗装については独自の﹁マスカット色﹂に変更された。岡山電車区に4両編成5本20両配置で、山陽本線岡山地区や宇野線などで運用。クハ103 | モハ103 | モハ102 | クハ103 |
編成構成はすべて0番台でクハ103形は1次改良型と初期量産冷房車、中間車も1971年以降のユニット窓装備車で統一された。冷房装置は全車一般的なAU75形を搭載する。中間MM'ユニット3組は延命N40工事車、他の14両は延命N工事車で、戸袋窓は全車とも閉塞施工済である。
長らく20両で推移したが、2004年に213系「マリンライナー」の転用により運用離脱し、3編成が広島支社に、N40施工MM'ユニット1組が奈良電車区に転属し、MM'ユニットと編成を組成していたクハ2両は廃車された。残存1編成は2005年10月改正で定期運用を失い[333]予備車とされたが2006年に廃車され、完全に運用を離脱していた。その直後にアーバンネットワークでの車両置換えに伴い、奈良電車区・日根野電車区からの余剰車が転入して、本系列の運用が再開された。
クモハ103 | モハ102 | サハ103 | クハ103 |
-
モハ103-497
1994年転入車 -
H17編成
日根野電車区転入車 -
H18編成
奈良電車区転入車 -
H19編成
広島運転所転入車
広島・下関地区[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/%E5%BA%83%E5%B3%B6_D-01%E7%B7%A8%E6%88%90.jpg/220px-%E5%BA%83%E5%B3%B6_D-01%E7%B7%A8%E6%88%90.jpg)
筑肥線[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/%E8%99%B9%E3%83%8E%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E3%81%A8%E7%AD%91%E8%82%A5%E7%B7%9A103%E7%B3%BB.jpg/220px-%E8%99%B9%E3%83%8E%E6%9D%BE%E5%8E%9F%E3%81%A8%E7%AD%91%E8%82%A5%E7%B7%9A103%E7%B3%BB.jpg)
試験[編集]
103系をベースにしていくつかの車両試験がおこなわれた。チョッパ制御試験[編集]
103系が量産を開始した直後から、電機子チョッパ制御の試験などが活発化し、1970年︵昭和45年︶に阪神電気鉄道の7001・7101形が日本で最初のチョッパ制御営業車として運転を始めた[351]。国鉄でも1967年︵昭和42年︶に101系を用いたチョッパ試験テストを行なったほか、103系を母体にして1969年︵昭和44年︶11月23日から12月1日までモハ103-59に取り付けて根岸線で試験を行なったほか、1974年︵昭和49年︶7月にもモハ103-57に取り付けて根岸線で試験を行なった[352]。VVVF試験[編集]
DDM試験[編集]
JR東日本が開発中であったダイレクトドライブ・モーター︵直接駆動電動機︶をモハ103-502に搭載し、試験を行った[355]。同期電動機駆動用制御装置としてIGBT素子によるVVVFインバータ化も同時施工されE993系との比較実験もされたが、実験の終了に伴い廃車された。同様の試験が鉄道総研内でも行われていたが、試験車両は解体された。この時の試験車両は武蔵野線で使用されていたクモハ103-104[355]・モハ102-230である。 モハ103-502は2002年6月28日付で大宮工場にてDDMの搭載と制御装置のVVVF化が行われ、2003年5月15日から12月にかけて京葉線で旅客営業運転が行われた[355]。DDMは2006年3月に製造されたE331系の量産先行車でも採用されたが、量産車は登場しなかった[355]。訓練機械[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/JRE-103_Higashi%C5%8Dmiya-Training_car.jpg/220px-JRE-103_Higashi%C5%8Dmiya-Training_car.jpg)
塗色[編集]
101系と同様に、103系では車両塗色にラインカラーが制定されて用いられ、JR発足後の現在でも使用されている。国鉄時代に定められた各路線の塗装は以下の5色と地下鉄乗入用車両の各専用色3色(それぞれの項で解説)の計8色であったが、現在では様々な地域色が発生している。なお、塗色の号数呼称は「国鉄車両関係色見本帳」に準拠し、その後の記号は修正マンセル記号である[357]。また、JR設定色は公式な呼称が存在しないため最も一般的な呼称で紹介している。
なお、一部は各路線の塗装として定められた色以外の塗装の車両を組込んだ編成も存在した。この中には、誤乗防止のためにドア上などにステッカーを貼付したものも存在した。
色 | 過去の運用線区〔 〕は所属 | |
---|---|---|
ウグイス■ (黄緑6号 7.5GY6.5/7.8) |
![]() | |
スカイブルー■ (青22号 3.2B5/8) |
|
![]() |
エメラルドグリーン■ (青緑1号 2BG5/8) |
![]() | |
オレンジバーミリオン■ (朱色1号 0.5YR3/8.8) |
![]() | |
カナリアイエロー■ (黄5号 2.5Y7.5/8.8) |
![]() |
- 以上5種類は車体すべてを一色で塗装するものである。
地下鉄対応車両[編集]
色 | 過去の運用線区〔 〕は所属 | |
---|---|---|
シルバーグレー(灰色8号 N7) + エメラルドグリーン(青緑1号 2BG5/8)■■ |
![]() | |
シルバーグレー(灰色8号 N7) + カナリアイエロー(黄5号 2.5Y7.5/8.8)■■ |
![]() | |
シルバーグレー(灰色8号 N7) + スカイブルー(青22号 3.2B5/8)■■ |
![]() | |
スカイブルー(青22号 3.2B5/8) + クリーム色(クリーム1号 1.5Y7.8/3.3)■■ |
|
![]() |
- 以上4種類は車体地色 + 帯色の組み合わせ塗装である。
JR設定色[編集]
色 | 現在の運用線区〔 〕は所属 | 過去の運用線区〔 〕は所属 | |
---|---|---|---|
九州色■■ |
|
![]() ![]() | |
仙石色□■■→□■ |
|
![]() ![]() | |
東海色■■■ |
|
![]() | |
マスカット色■■ | ![]() | ||
瀬戸内色■■ |
|
![]() | |
瀬戸内地区地域統一色■ |
|
![]() | |
播但色 (DIC N-727) ■ | ![]() | ||
加古川色■ |
|
![]() |
ラッピング・イベント塗装[編集]
桜島線のUSJラッピング車[編集]
森ノ宮電車区の6両編成4本が、沿線にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) のPR車両として、それぞれ違ったテーマのラッピングを施された。全車両に40N体質改善工事を施工している(ユニバーサルグローブ号はラッピングと同時に施工)。2012年末までに201系と入れ替わる形で運行を終了し、24両全車両がスカイブルーまたはオレンジ色へ再塗装された。その後、225系・323系の導入により、2016年から2018年にかけて全車廃車された。
各車両のデザイン名称とコンセプトは次の通り[359][360][361]。
- パワーオブハリウッド号[注 49](2001年1月-2012年3月[362]:スカイブルーに再塗装の上、日根野電車区へ転属。2018年6月20日付けで廃車。)
- USJのメインアトラクションのキャラクターを用いて、華やかさやエキサイティングをイメージした車両。
- ウッディー・ウッドペッカー号[注 50](2001年2月 - 2012年6月[363]:スパイダーマン号の中間車を編入しオレンジ色に再塗装された。2018年1月22日付けで廃車。)
- ウッディー・ウッドペッカーがアトラクションを紹介するリズミカルをイメージした車両。
- アメリカの街並風景号[注 51](2001年2月 - 2004年1月)
- 園内にあるロマンチックな街並風景をデザインした大人向けのシックをイメージした車両。
- ユニバーサルグローブ号[注 52](2001年2月 - 2003年4月)
- USJのロゴマークやグローブを用いてシンプルでワールドワイドをイメージした車両。
- セサミストリート 4−D ムービーマジック号(2003年4月 - 2012年10月[262] :もとユニバーサルグローブ号。スパイダーマン号の中間車を編入し、オレンジ色に再塗装された。2016年10月7日付けで廃車。)
- 想像力豊かに4Dの楽しさが体験できる「セサミストリート 4−D ムービーマジック」の魅力を表現した車両。
- アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド号[注 53](2004年1月-2012年3月 :もとアメリカの街並風景号;2012年に先頭車2両は日根野電車区へ転属、中間車4両は2両ずつもとセサミストリート 4−D ムービーマジック号およびもとウッディー・ウッドペッカー号に組み込まれ、いずれもオレンジ色に再塗装された。日根野に転属した先頭車は2016年9月5日付けで廃車。)
- アトラクションのスリリングなアクションシーンをダイナミックに表現した車両。
-
パワーオブハリウッド号
-
アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド号
-
セサミストリート 4−D ムービーマジック号
-
ウッディー・ウッドペッカー号
-
ユニバーサルグローブ号
-
アメリカの街並風景号
加古川線の横尾忠則ラッピング車[編集]
-
「眼(め)のある電車」
-
「銀河の旅」
-
「走れ!Y字路」(正面)
-
「走れ!Y字路」(横)
播但線「銀の馬車道」[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/95/JRW_EC_103-3507_ginno_basha_michi_color.jpg/200px-JRW_EC_103-3507_ginno_basha_michi_color.jpg)
(2009年2月15日 福崎 - 甘地間)
生野銀山(朝来市)と飾磨港(姫路市)を結ぶ約49 kmの馬車専用道路であった生野鉱山寮馬車道、通称「銀の馬車道」をPRするためにデザインされた車両で、網干総合車両所に所属する2両編成3本にラッピングが施されている[366][367][368]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fd/JR_EC_Mc103%2BMc102-3506.jpg/400px-JR_EC_Mc103%2BMc102-3506.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9b/JR_EC_Mc103%2BMc102-3507.jpg/400px-JR_EC_Mc103%2BMc102-3507.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/91/JR_EC_Mc103%2BMc102-3509.jpg/400px-JR_EC_Mc103%2BMc102-3509.jpg)
そのほか[編集]
- アニメ・ドリームトレイン1999用
- イベントに合わせて車体を旧形客車を模したぶどう色2号に塗装した。
- 関門・海峡物語
![]() | この節の加筆が望まれています。 |
- OSAKA POWER LOOP
- 「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、森ノ宮電車区のLA3編成に大阪環状線沿線の街の魅力を表現したラッピングが施され[369]、2014年6月1日から2017年9月7日まで運転された。2017年11月27日付けで廃車。
- デザインは地元のFM802が担当した。
- 各車デザイン[370]
- クハ103-848 歴史(作:曄田依子)
- モハ102-650 ランドマーク(作:さくらいはじめ)
- モハ103-494 食(作:イフクカズヒコ)
- サハ103-370 パワースポット(作:カンバラクニエ)
- サハ103-475 自然(作:MARUMIYAN)
- モハ102-644 伝統芸能(作:山下良平)
- モハ103-488 地域交流(作:寺田マユミ)
- クハ103-841 アーバンスポット(作:HR-FM)
-
アニメ・ドリームトレイン1999(モハ103形)
-
関門・海峡物語
-
OSAKA POWER LOOP
事故廃車[編集]
●1970年5月20日、根岸線新杉田 - 洋光台間で下り電車が土砂崩壊に乗り上げ、前位側2両にあたるクハ103-548とモハ102-169が大破した[371]。その結果この2両は1971年3月27日付けで廃車[372]となっている。モハ102-169とペアを組むモハ103-105は整備の上、新たに製造されたモハ102-445とペアを組んで復帰している︵窓枠の異なる車両同士でのユニット︶。 ●1988年12月5日、中央緩行線東中野駅構内に停車中の103系10両編成に、後続の201系10両編成が追突する事故︵東中野駅列車追突事故︶[373]が発生した。103系の後位側9両︵クハ103-277・モハ103-334・モハ102-490・サハ103-326・モハ103-21・モハ102-21・サハ103-327・モハ103-336・モハ102-492︶のうち中間車8両が回復不能として1989年3月23日付け[374]で、先頭車のクハ103-277が1989年7月25日付け[375]で廃車となっている。 ●1994年8月3日、福知山線三田 - 新三田間で上り電車がトラックと衝突[376]、前位側先頭車であるクハ103-839が大破した。その結果同車は1994年8月10日付けで廃車[377]となっている。譲渡車[編集]
JR東日本からJR西日本への譲渡[編集]
譲渡前の武蔵野線E38編成︵2005年6月︶ モハ102-841 戸袋窓閉塞後車内 2005年4月25日の福知山線脱線事故により被災した207系の廃車および帯色変更工事、117系の同線からの撤退などの事象が重なり、車両が不足した。そのためJR東日本武蔵野線で運用されていた8両編成1本が同年7月28日付でJR西日本に譲渡された。譲渡後は先頭車が広島地区で2010年まで[378]、中間車は阪和線や大阪環状線などで2011年まで使用された[379]。クハ103
-828モハ102
-842モハ103
-686モハ102
-841モハ103
-685モハ102
-840モハ103
-684クハ103
-821同社に入籍後は、既存車と編成を組み替えられ、以下の配置経歴を持つ。 ●クハ103-821・828 : 広島運転所︵E04編成︶ ●モハ103-684 + モハ102-840 + モハ103-685 + モハ102-841 : 宮原総合運転所→日根野電車区︵K801編成→K606編成︶ ●モハ103-686 + モハ102-842 : 森ノ宮電車区︵モリ17編成︶→奈良電車区︵NS402編成︶→日根野電車区︵J404編成→J414編成︶ 車両不足解消後には戸袋窓閉塞工事が施工されたが、貫通扉は廃車まで窓の小さいものを装備し続けた。 2010年6月21日付でクハ103-821・828が廃車となった。また2011年3月にモハ103-686 + モハ102-842が吹田工場へ、4月にはモハ103-684 + モハ102-840 + モハ103-685 + モハ102-841も幡生工場へ廃車回送された。インドネシアへの譲渡[編集]
2004年︵平成16年︶、JR東日本が武蔵野線で運用していた103系のうち、4両編成16両がインドネシアの鉄道会社PT Kereta Api︵現.PT Kereta Commuter Indonesia︶︵以降PT KCI︶に有償譲渡された[241]。クハ103-815 モハ103-752 モハ102-2009 クハ103-822 クモハ103-105 モハ102-231 サハ103-246 クハ103-597 クハ103-359 モハ103-654 モハ102-810 クハ103-384 クモハ103-153 モハ102-321 サハ103-210 クハ103-632 これらの譲渡車両は現地での長期使用を考慮し、後期製造車または車両更新工事施工車が選ばれた。その後は東急8000系・8500系を導入したため16両で終了となった。現地では前面下部にオレンジ色の大型スカート(排障器と前面窓に投石対策として金網が設置され、元都営6000形や東京メトロ(営団)の車両とともに日本のODAにより整備されたジャカルタ首都圏の通勤電車で、以前は有料の急行 (Ekspres) ・準急(Semi Ekspres/2008年に種別廃止)・Ekonomi AC(2007年新設)用として運用されていたが、営業運転終了までは冷房付各駅停車「Commuter Line」に使用されていた。
当初、塗装は武蔵野線時代のまま使用されたが、その後窓周りに黄色が塗られてツートンとなった。2008年秋頃には濃い青を基調とした新たな塗装に変更、2011年にはJR東海色を基調した塗装、運行終了まではKCI標準色で運行された。現地でもJR 103と呼ばれており、車番は日本での製造時から付番されていたものをステンシルで記入している。ただし、「クハ」「モハ」に相当する記号標記は無い。行先表示は前面窓内に方向板を掲出し、本来の行先表示器は使用しない。車内にはJR時代の路線図がそのまま掲出されている。老朽化および元JR205系の譲渡に伴い、2016年(平成28年)に運行終了した。
-
1代目塗装
-
3代目塗装
北海道へ渡った103系[編集]
JR北海道では、電化区間が全て交流であることから、国鉄時代から1両も本系列が配置されたことはなかったが、1998年︵平成10年︶8月に103系8両が機関車牽引で入線した[380][381]。 譲渡に関する情報は一般には全く公表されたことはなく、雑誌の投稿を含めても交友社﹃鉄道ファン﹄の1998年11月号 No.451のP.120に掲載された﹁103系が北海道へ﹂に津軽海峡線をED79形50番台に牽引された被験車8両編成の写真レポートが投稿されたのみである。 この103系は﹃鉄道ファン﹄同号掲載の写真、および苗穂で撮影されYoutubeに投稿された動画から以下の状態が確認された。 ●一部の車両が鉄板による窓・扉などの埋め込み ●一部の車両が片エンドの鋼体を骨組みのみに改造 ●車番をRTRI-A、RTRI-C2、RTRI-D3などへ変更︵RTRIは鉄道総合技術研究所の英語略称︶ ●連結器を密着式から自動式への換装 この改造は東急車輛製造で施工された[153]。 その後は苗穂工場内に留置された。工場内を移動することはあったが、関係者以外には一切非公開で、使用目的も明かされず、同年末までにすべて姿がなくなった。 なお苗穂工場到着後、追加で側面ドアの埋め込みや、妻面に鉄枠や鉄板で補強をされ、側面に衝突試験で用いられるターゲットマークを貼付された姿も、Youtubeに投稿された動画から確認できる。 収集されたデータの目的は公開されていないが、実験結果は英文にて2003年に公開されている[382]。- 譲渡車一覧(所属は廃車時)
-
- クハ103-396・454・481・482・719・724
- サハ103-230・417
- クハ103-396・サハ2両:松戸電車区所属エメラルドグリーン塗装
- ほかの5両:浦和電車区所属スカイブルー塗装。
保存車[編集]
103系保存車・保管車一覧 画像 番号 所属 最終配置 廃車 所在地 備考 クハ103-713 JR東日本 京葉 2005年11月22日 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47
鉄道博物館乗務員室側約9 mのカットボディが保存されている。当初はスカイブルーであったが、2017年(平成29年)のキッズプラザリニューアルに際し、白ベースにオレンジ・スカイブルー・カナリアイエロー・ウグイス・エメラルドグリーンの103系がまとった5色を水玉で配した模様に塗り替えられた。 高運転台車では唯一の保存車である。
クハ103-525 JR東日本 中原 1994年10月13日 (東京都府中市東芝町1 東芝府中事業所→)
千葉県いすみ市作田1298
ポッポの丘譲渡後、機器類を改造された状態で東芝府中事業所にて留置。車体はオレンジ一色に塗り替えられている。
2020年4月14日、同所保管のクモニ83006(国鉄クモニ83形電車)と共にポッポの丘へ向け陸送された。クモハ103-18 JR東海 神領 2001年9月14日 岐阜県美濃加茂市
美濃太田車両区屋外留置のため腐食や褪色が見られる。2011年3月14日にオープンしたリニア・鉄道館の展示リストには入っていない。 クハ103-1 JR西日本 日根野 2011年3月30日 京都府京都市下京区観喜寺町
京都鉄道博物館クハ103形のトップナンバー。2011年3月まで阪和線で使用され、廃車後は一時期吹田総合車両所に保管されていた[383]が、スカイブルーからオレンジバーミリオンに塗装変更して2015年3月2日に吹田総合車両所から搬出され[384]、京都鉄道博物館に搬入された。103系の保存車では唯一戸袋窓が封鎖されている。 クモハ103-110 JR西日本 岡山 2009年7月3日 大阪府大東市平野屋1丁目4−1
大阪府立消防学校
※非公開もと阪和線用。2009年に廃車となった際、消防学校の整備工事が進められていたため、同校の訓練施設として譲渡された[385][386][387]。 クモハ103-147 JR東日本 松戸 2006年5月10日 個人へ譲渡(所在地非公開) 脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ 昭和40年当時、磯子 - 大船間は未開業。 (二)^ 第46条第1項第3号 (三)^ 101系は後年、関西地区の水害で床材の芯に入っているコルクが吸水膨張し修理不能となり大量廃車を出したが、103系の構造ではこうした不具合は生じない。 (四)^ 回転数は全界磁時1250 rpm、35 %界磁時2370 rpm。最高回転数4400 rpm。 (五)^ 全界磁時33.5 km/h、35 %界磁時64.0 km/h。 (六)^ 1000・1200・1500番台を除く。 (七)^ ただし、1987年︵昭和62年︶からの常磐快速線での15両編成運転開始から2000年頃までは、増結用付属5両編成の一部に2M3T︵下り寄りからTcMM'TTc︶の編成があり、成田線で単独運行されたこともある。 (八)^ 通勤型電車というカテゴリーでは、それ以前の1959年︵昭和34年︶に名古屋鉄道5500系電車が冷房を装備して登場しているが、クロスシート車両であり登場当初優等列車に優先的に使用されていたことには注意する必要がある。 (九)^ 番号は従来車の続番。 (十)^ JR西日本に継承された車両のうち、JR化後にWAU102形で冷房改造された車両については、側面の電動方向幕の取り付けが行われていない。 (11)^ 東海道本線基準で山側。 (12)^ クハ103-811・818は1984年2月のダイヤ改正に伴う山手線増発用としてATC設搭載工事を施工し、池袋電車区へ転属。 (13)^ 後述する1200番台は東西線にシールドトンネルが少なく地上区間も多いことから、抵抗器の冷却についても問題なく、冷房取り付け改造も受けて2003年︵平成15年︶まで活躍している。 (14)^ 当初AU75系→AU712。 (15)^ 東西線乗り入れで運用された車両で唯一、AU75で冷房化改造が行われていた編成であった。 (16)^ 国鉄では1980年代より1列車あたりの編成両数を減らし、代わりに運転本数を増やすことでサービス改善をする政策︵フリークエント・サービス、広島シティ電車方式︶を実行していた。具体的には長編成からモハユニットを抜取り、そこに新たに先頭車を連結するという方法が取られたので、この時期には全国的に先頭車が不足する傾向にあった。1984年2月1日国鉄ダイヤ改正・1986年11月1日国鉄ダイヤ改正も参照。 (17)^ ただし、冷房装置や側面行先表示機は未搭載。 (18)^ 理由として、車体は新形であるが老朽化を含め下回りは旧性能電車のため検査周期が短く対費用効果の観点からも不利であったこと。埼京線開通の際に投入予定であった本系列が同じ路線を走行する場合に性能的にダイヤ編成上の障害となる恐れがあったためとされる。 (19)^ 停車中、乗客が客用扉を1枚単位で自由に開閉できるようにする機能。主に冬期の車内保温の目的で装備される。 (20)^ 予備品の台車をあらかじめ整備しておき、台車検査を受ける車両の台車を整備済品と交換してすぐさま検査を終了させる方法。検査を受ける車両から抜取られた台車は整備の後、次に検査を受ける車両の交換などとしてストックしておく。検査期間が短くなるという利点があるが、常時各形式の予備台車をストックしておかなければならないという欠点がある。 (21)^ 予備車期間中に205系3000番台の車両故障で代走運用に投入され、これが本当の最終運用となった。 (22)^ ラッシュ対応として、可能な限り客室に出っ張りを作らないように配慮。 (23)^ 3500番台となった車両と同世代のクモハ103形ユニットは2011年3月廃車となった。 (24)^ 粟生駅︵三木鉄道廃止前は厄神駅も︶で他社線乗り換え時には、2編成併結時でも無人駅と同様に1番前の車両の運賃箱でJR線の運賃を精算する必要があるため、貫通形にする必要がある。 (25)^ クハ103-245 + モハ103-387 + モハ102-543 + サハ103-409 + サハ103-404 + モハ103-408 + モハ102-564 + クハ103-264 (26)^ 2011年3月30日をもって廃車。 (27)^ クモハ103-1・2・144・149・クハ103-74・81・92・503の8両。 (28)^ 本系列の塗装変更が完了するまでは、﹁総武・中央線各駅停車﹂の透明ステッカーを205系編成の黄色帯の上部分に貼付して対応した。 (29)^ 帯のスカイブルー化は301系の登場時より営団から依頼されていたが、国鉄側が拒んでいたために実現していなかったという。 (30)^ 灰色で塗りつぶしていた時期もある。 (31)^ この改造により﹁快速 中野﹂などの種別表示も追加。 (32)^ 松戸転出車は、クモハ102形には電気連結器取り付けが見送られたほか、冷房電源のない車両ばかりで冷房化に支障があったことから1993年 - 1994年にかけてすべて廃車になり、製造年の古い1000番台より先に消滅した。モハ103・102-1044などの1000番台は2002年以降の廃車である。 (33)^ 三鷹区では冷房用電源を装備していたMM'ユニット6組のみで、10両編成では2組の組成が必要なことから、第3 - 5編成が残存した。転出車の中にユニットサッシ車の第2編成が混ざっていたにもかかわらず、モハ103・102-1202︵三鷹電車区に唯一残った非ユニットサッシ車︶が残されたのは冷房電源のためであり、この2両は松戸転出車廃車後も2003年5月まで運用され続けた。 (34)^ 元々A-A基準、AU75形集中式冷房装置装備で製造された車両であり、軽微な改造で編入。 (35)^ この編成には両方の先頭車に幌が取り付けられた。 (36)^ 構内配線の変更から折返し駅が多賀城から東塩釜まで延長されたため、運用増加による予備編成が確保された。 (37)^ 当初は準備工事で営業運転開始時に設置完了。 (38)^ 弱め界磁最終段の定格速度は101系の67.5 km/hに対して64.0 km/hで僅かに下回るが、電動機出力との相乗値では上回る。また100 km/h時のユニット当たり引張力が101系の約1,300 kgに対して約1,900 kg︵111系とほぼ同じ︶であることからも、103系の方が高速性能に優れることがわかる。 (39)^ 検討時の平均駅間距離は赤羽 - 蒲田間の値で、京浜東北線全体では2 km台となる。 (40)^ ブレーキ初速度が高い常磐線向けにこの台車を開発したのではなく、偶々開発終了と常磐線への投入時期が重なった。 (41)^ MT55、MT46ともに弱め界磁定格のため100 %界磁に換算して比較すると、電動車1ユニット当たり103系が約9500 kgに対して101系は約6300 kgとなり約1.5倍の差がある。 (42)^ 101系は限流値480 Aで63分、本系列は限流値415 Aで62分50秒の基準運転時分である[165]。 (43)^ もっとも近い特性の車両は東武8000系で、出力130kW、定格回転数1,750rpm(界磁82%)、歯車比は5.31。起動加速度は2.33km/h/sと低めだが、これは中間速度域の段数を増やし、駅間で﹃デラックスロマンスカー﹄1720系から“逃げ切る”ための設定だった。その一方、各停運用では103系よりさらに低速向けの2000系と同居したが、どちらも特に悪評は立っていない。阪和線と阪急電鉄ほど著名ではないが、この両者も常磐快速線と伊勢崎線の荒川橋梁上で比較対象とされがちな形式だった。 (44)^ JR東日本運輸車両部車両開発プロジェクトシステム電機グループリーダー (45)^ こちらにも209系が103系比47 %の記述あり。 (46)^ 鋼製車体や旧式な機器類に起因する点検費用増大は、本来、それを理由とした車両置き換えの動機となり得るものであるが、それは合理化と表裏一体の措置でもある。現場職員に膨大な余剰人員を抱え、その人事・労務対策に苦しんだ昭和40-50年代の国鉄では、大手私鉄と異なり、省人化のメリットを追求することが容易でなかった。 (47)^ 寺前方からクハ103-15 + モハ103-15 + モハ102-15 + モハ103-16 + モハ102-16 + クハ103-16。元は中間に延命N40工事を受けたサハ102-10・13も組み込まれていたが、転出時に廃車。 (48)^ 断流器を流れる大電流を遮断すると、断流器内の電極が離れているのにもかかわらず、アークと呼ばれる閃絡現象が起こり、電流が流れ続けようとする現象が起こるため、大電流を遮断する前に、一旦減流抵抗器を回路に直列に挿入して、電流値をある程度少なくしてから遮断を行う減流遮断方式に使用される抵抗器である。 (49)^ ←西九条 クハ103-255 + モハ103-398 + モハ102-554 + モハ103-399 + モハ102-555 + クハ103-256︵全車森ノ宮の生え抜き編成︶。 (50)^ ←西九条 クハ103-833 + モハ103-775 + モハ102-2032 + モハ103-782 + モハ102-2039 + クハ103-840 (ラッピング列車の運行開始に先駆け、宮原総合運転所から転属。︶ (51)^ ←西九条 クハ103-799 + モハ103-504 + モハ102-660 + モハ103-396 + モハ102-552 + クハ103-240 (ラッピング列車の運行開始に先駆け、クハ103-799が奈良電車区から転属。残り5両は森ノ宮の生え抜き編成。︶ (52)^ ←西九条 クハ103-823 + モハ103-763 + モハ102-2020 + モハ103-764 + モハ102-2021 + クハ103-830︵ラッピング列車の運行開始に先駆け、日根野電車区から転属。︶ (53)^ ←西九条 クハ103-799 + モハ103-504 + モハ102-660 + モハ103-781 + モハ102-2038 + クハ103-240 (日根野からモハ103-781 + モハ102-2038が転属し、モハ103-396 + モハ102-552と差し替え︶出典[編集]
(一)^ abcd平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、12-13頁。 (二)^ 平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、10頁。 (三)^ 岡田直昭︵国鉄車両設計事務所︶ ﹁301系軽合金電車詳説 (1)﹂﹃電気車の科学﹄1966年9月号、電気車研究会、pp.19 - 22。 (四)^ 石津一正︵国鉄車両設計事務所電気車︶ ﹁105系通勤形直流電車の概要﹂﹃電気車の科学﹄1981年3月号、電気車研究会、pp.35 - 40。 (五)^ ジェー・アール・アール編﹃JR電車編成表 2019夏﹄交通新聞社、2019年。410頁。 (六)^ 新車年鑑/鉄道車両年鑑︵鉄道ピクトリアル増刊︶各年度版 (七)^ 西山信夫︵国鉄工作局修車課︶ ﹁国鉄の誇るモハ90形の誕生﹂﹃電車﹄1957年7月号、交友社、pp.19-24。 (八)^ ﹁国電モハ90形電車が営業運転開始﹂﹃電車﹄1958年2月号、交友社、p.50。 (九)^ abc久保田博 & 福原俊一 2003, pp. 27–30 (十)^ ﹁2ヵ年計画で中央線の新性能電車化 付随車を入れ新編成に切換えて﹂﹃電車﹄1958年6月号、交友社、p.79。 (11)^ 渡辺千代治︵国鉄東京鉄道管理局総務部文書課長︶ほか68名﹁電車輸送の将来﹂﹃東鉄10年のあゆみ﹄国鉄東京鉄道管理局、1960年10月、pp.105 - 107。 (12)^ 大熊孝夫 2006, pp. 92–92. (13)^ 藤田義人︵国鉄本社運転局客貨車課総括補佐︶ほか﹁R.M.S電流による主電動機の温度上昇計算法﹂﹃電車運転工学 理論編﹄1964年12月号、日本鉄道図書、pp.215 - 219。 (14)^ 大熊孝夫 2006, p. 95. (15)^ 川合茂太郎︵京阪電鉄車両部長︶﹁京阪電鉄回生ブレーキ付き試験車について﹂﹃電気車の科学﹄1959年6月号、電気車研究会、pp.6 - 11。 (16)^ 川合茂太郎︵京阪電鉄車両部長︶﹁京阪スーパーカー回生ブレーキ付2000形﹂﹃電気車の科学﹄1959年10月号、電気車研究会、pp.21 - 27。 (17)^ 真家昇︵国鉄東京鉄道管理局電力課︶ ﹁新型電車と架線容量﹂﹃鉄道電気﹄1960年6月号、鉄道現業社、pp.26 - 27。 (18)^ 真家昇︵国鉄東京鉄道管理局電力課︶ ﹁中央線電車線路整備工事について﹂﹃電気鉄道﹄1960年10月号、鉄道電化協会、pp.14 - 16。 (19)^ 大熊孝夫 2006, p. 97. (20)^ ﹁36年度技術課題﹂﹃電車﹄1961年8月号、交友社、pp.25 - 29。 (21)^ 大熊孝夫 2006, pp. 87–88. (22)^ 西谷畷︵国鉄東京鉄道管理局運転部電車課長︶﹁国電の時刻改正と、中央線急行100系電車の"6M.4T"編成について﹂﹃電車﹄1960年11月号、交友社、pp.9 - 14。 (23)^ 猪口信︵元国鉄首都圏本部列車課長︶﹁大都市圏通勤輸送の立役者 101系電車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2002年11月号、電気車研究会、pp.42 - 51。 (24)^ 中西寛︵国鉄東京鉄道管理局運転部電車課長︶ ﹁国電区間の冬期輸送対策﹂﹃電車﹄1961年12月号、交友社、pp.18 - 24。 (25)^ ﹁鉄道メモリアル32酷電ラッシュ﹂﹃鉄道の旅﹄2003年9月18日号 No.32、講談社、pp.32 - 33。 (26)^ 久保田博︵国鉄本社工作局車両課︶ ﹁36年度の国鉄車両計画について﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1961年5月号、電気車研究会、pp.19 - 21。 (27)^ 国鉄臨時車両設計事務所 ﹃モハ90形電車詳説﹄1958年11月、p.4 (28)^ 久保田博︵元国鉄本社工作局︶ ﹁国鉄通勤形電車最近の動き﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1964年4月号、電気車研究会、pp.35 - 37。 (29)^ 運転保安設備基準規程第46条別表 (30)^ 中西寛︵国鉄東京鉄道管理局運転部列車課︶﹁通勤時の混乱緩和対策 …1分50秒間隔運転…が生んだ ホーム中間の信号機﹂﹃信号保安﹄ 8巻、3号、信号保安協会、1953年3月、3-5頁。doi:10.11501/2369602。 (31)^ 山口進治︵国鉄東京鉄道管理局運転部列車課︶﹁東京縦貫電車線の運転設備概況﹂﹂﹃信号保安﹄ 12巻、1号、信号保安協会、1957年1月、10-16頁。doi:10.11501/2369651。 (32)^ 藤田義人︵国鉄運転局客貨車課︶ほか10名﹃電車運転工学 理論編﹄日本鉄道図書、1964年12月25日、pp.495 - 499。 (33)^ 久保田博︵国鉄工作局車両課補佐︶﹁103系通勤形電車誕生のいきさつ﹂﹃電車﹄1963年1月号、交友社、pp.27 - 34。 (34)^ ﹁昭和36年 山手線品川 - 田端路線図﹂﹃鉄道ピクトリアル鉄道青春時代-国電 (I)﹄2011年2月別冊、電気車研究会、巻末資料。 (35)^ 東京南鉄道管理局﹃山手線線路図﹄日本国有鉄道、1974年2月。 (36)^ 川添雄司︵国鉄車両設計事務所︶﹁3・2定格と温度上昇﹂﹃交流電気車両要論﹄1971年12月1日、電気車研究会、pp.62 - 87。 (37)^ 河合肇︵国鉄運転局客貨車課︶﹁新しい電車運転理論 運転線図の描き方とR.M.S.電流の計算について (1)﹂﹃電車﹄1960年10月号、交友社、pp.34 - 41。 (38)^ 河合肇︵国鉄運転局客貨車課︶﹁新しい電車運転理論 運転線図の描き方とR.M.S.電流の計算について (5)﹂﹃電車﹄1961年3月号、交友社、pp.48 - 52。 (39)^ 岡田直昭︵国鉄臨時車両設計事務所︶﹁103系電車の概要﹂﹃電車﹄1963年1月号、交友社、pp.35 - 44。 (40)^ 大熊孝夫︵元国鉄︶﹁究極の標準形通勤電車103系﹂﹃鉄道ファン﹄2006年5月号、交友社、pp.66 - 82。 (41)^ 鉄道ピクトリアル国鉄形車両ライブラリー105系電車 2018, p. 7. (42)^ ab鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、11頁。 (43)^ ab平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、11頁。 (44)^ ab平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、14頁。 (45)^ abcdefg毛呂信昭﹃103系物語﹄47頁。 (46)^ 岡田直昭︵国鉄臨時車両設計事務所︶﹁103系電車の概要﹂﹃電車﹄1963年1月号、交友社、pp.35 - 44。 (47)^ abc毛呂信昭﹃103系物語﹄46頁。 (48)^ abcdefg平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、15頁。 (49)^ ﹁電車モーターを設計していたころ (PDF)﹂ 、﹃わだち﹄第130号、鉄道友の会福井支部、2010年5月。 (50)^ abc鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、12頁。 (51)^ ﹃新性能電車用主電動機﹄1968年10月、国鉄車両設計事務所 (52)^ 井上等︵国鉄臨時車両設計事務所︶﹁今後の電車用新形主電動機﹂﹃電車﹄1962年7月号、交友社、pp.36 - 43。 (53)^ abcdef平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、17頁。 (54)^ abc平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、16頁。 (55)^ 石塚健次郎︵東京鉄道管理局池袋電車区検査掛︶ほか4名﹁103系電車のブレーキ時の衝動と防止対策﹂﹃電気車の科学﹄1966年4月号、電気車研究会、pp.13 - 17。 (56)^ ﹃電車・気動車加速力曲線﹄1966年、国鉄運転局 (57)^ 田川憲司ほか︵JR西日本宮原電車区︶ ﹁103系電車の力行性能改善﹂﹃電気車の科学﹄1990年8月号、電気車研究会、pp.49 - 58。 (58)^ ab手槌康博ほか︵国鉄明石電車区車両検査掛︶ ﹁103系電車ブレーキ時における過電圧防止対策﹂﹃電気車の科学﹄1973年6月号、電気車研究会、pp.41 - 44。 (59)^ 曽根悟︵東京大学教授︶ ﹁101系電車の評価と日本の通勤電車﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1987年11月号、電気車研究会、pp.20 - 23他多数。 (60)^ 久保田博 & 福原俊一 2003. (61)^ 佐藤芳彦︵元国鉄車両設計事務所補佐︶﹁全国に広まった通勤電車-103系﹂﹃通勤電車テクノロジー﹄山海堂、2005年、pp.67 - 75。 (62)^ 鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、10頁。 (63)^ ab毛呂信昭﹃103系物語﹄45頁。 (64)^ ab鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、13頁。 (65)^ ab平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、20頁。 (66)^ 毛呂信昭﹃103系物語﹄50頁。 (67)^ 平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、19頁。 (68)^ abcd交通労働研究所﹃鉄道工場﹄1970年5月号﹁通勤車両の冷房﹂pp.8 - 11。 (69)^ 鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、18頁。 (70)^ abc平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、21頁。 (71)^ 東京芝浦電気﹃東芝レビュー﹄1971年3月号特集﹁昭和45年の技術成果﹂pp.341 - 342。 (72)^ 日立製作所﹃日立評論﹄1971年1月号﹁昭和45年度における日立技術の成果 (PDF) ﹂p.60。 (73)^ 三菱電機﹃三菱電機技報﹄1971年1月号﹁技術の進歩特集﹂ p.103。 (74)^ abc毛呂信昭﹃103系物語﹄54頁。 (75)^ ab平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、22頁。 (76)^ ab交通労働研究所﹃鉄道工場﹄1971年6月号﹁通勤電車冷房装置の試験結果について﹂pp.30 - 31。 (77)^ 三菱電機﹃三菱電機技報﹄1972年1月号﹁技術の進歩特集﹂ p.98。 (78)^ abcde平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、25頁。 (79)^ 毛呂信昭﹃103系物語﹄57頁。 (80)^ abcdef平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、26頁。 (81)^ abcd平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、28頁。 (82)^ ab平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、27頁。 (83)^ abc鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、20頁。 (84)^ ab毛呂信昭﹃103系物語﹄60頁。 (85)^ abcd平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、29頁。 (86)^ abcdefgh鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、21頁。 (87)^ abcd鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、22頁。 (88)^ abcd平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、23頁。 (89)^ 帝都高速度交通営団﹃東京地下鉄道千代田線建設史﹄︵1983年︵昭和58年︶刊︶より (90)^ abc平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、24頁。 (91)^ 毛呂信昭﹃103系物語﹄55頁。 (92)^ 転用時は黄色だったが、ほどなくして青色に変更された。 (93)^ ab毛呂信昭﹃103系物語﹄56頁。 (94)^ ﹃鉄道ファン﹄交友社、1982年11月。 (95)^ ab﹃電気車の科学﹄電気車研究会、1982年11月。 (96)^ abc平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、31頁。 (97)^ 毛呂信昭﹃103系物語﹄64頁。 (98)^ 平石大貴﹁103系電車 新製車のあゆみ﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、32頁。 (99)^ 芳田・前納・永尾﹁103系に編入された101系電車﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2013年4月号、56頁。 (100)^ abc平石大貴﹁103系電車形式集﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号︵通巻941号︶、電気車研究会。53頁。 (101)^ 芳田・前納・永尾﹁103系に編入された101系電車﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2013年4月号、64頁。 (102)^ abcdef芳田・前納・永尾﹁103系に編入された101系電車﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2013年4月号、65頁。 (103)^ 鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、23頁。 (104)^ abcdefghij前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、86頁。 (105)^ 毛呂信昭﹃103系物語﹄71頁。 (106)^ abc毛呂信昭﹃103系物語﹄74頁。 (107)^ abc鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、24頁。 (108)^ abc前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、96頁。 (109)^ abcdefghijkl前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、107頁。 (110)^ abcd平石大貴﹁103系電車形式集﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号︵通巻941号︶、電気車研究会。49頁。 (111)^ abcdefgh前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、108頁。 (112)^ ab平石大貴﹁103系電車形式集﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号︵通巻941号︶、電気車研究会。34頁。 (113)^ ab平石大貴﹁103系電車形式集﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号︵通巻941号︶、電気車研究会。55頁。 (114)^ abcdefghijk前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、109頁。 (115)^ 日向旭﹁JR西日本 103系の現況﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、電気車研究会。75頁。 (116)^ ab﹃Rolling stock & Machinery﹄第6巻第3号、p.21 (117)^ ab﹃Rolling stock & Machinery﹄第6巻第3号、p.22 (118)^ ab永尾信幸 ﹁残された103系の現在﹂﹃レイルマガジン﹄1998年12月号、ネコパブリッシング、pp.18 - 49。 (119)^ ﹃Rolling stock & Machinery﹄第6巻第3号、p.23 (120)^ ﹃Rolling stock & Machinery﹄第6巻第3号、p.24 (121)^ ab日向旭﹁JR西日本 103系の現況﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、電気車研究会。76頁。 (122)^ ﹃JR電車編成表 2010夏﹄交通新聞社、2010年、169頁。ISBN 9784330143101。 (123)^ ﹁CAR INFO JR西日本103系3550番台﹂﹃鉄道ファン﹄2004年8月号︵通巻520号︶、交友社。94頁。 (124)^ ﹁CAR INFO JR西日本103系3550番台﹂﹃鉄道ファン﹄2004年8月号︵通巻520号︶、交友社。97頁。 (125)^ abc﹁CAR INFO JR西日本103系3550番台﹂﹃鉄道ファン﹄2004年8月号︵通巻520号︶、交友社。95頁。 (126)^ ab鉄道ピクトリアル編集部﹁103系電車―その誕生から現在まで﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2004年4月号、30頁。 (127)^ ab﹁105系・119系電車形式集﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2012年4月号︵通巻861号︶、電気車研究会。28-30頁。 (128)^ 野元浩﹁4扉の105系登場﹂﹃鉄道ファン﹄1984年8月号︵通巻280号︶、交友社。48頁。 (129)^ 前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、85頁。 (130)^ abc前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、p.87。 (131)^ abcd前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、p.88。 (132)^ abcdefgh前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、105頁。 (133)^ abcde前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、104頁。 (134)^ abcdefghijklmn前納・永尾・芳田﹁103系改造工事―改造項目逆引き事典﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2018年1月号、106頁。 (135)^ abcdefghij日本鉄道運転協会﹃運転協会誌﹄2004年8月号﹁西日本旅客鉄道体質改善工事の概要﹂pp.13 - 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通史[編集]
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(一)岡部達郎︵国鉄本社施設局停車場課︶﹁中央線︵東京 - 三鷹間︶の増強計画について﹂﹃交通技術﹄ 13巻、3(143号)、交通協力会、1958年3月、2-6頁。doi:10.11501/2248492。 (二)伊東正信︵国鉄総裁室調査課︶﹁昭和33年度国鉄の工事計画について﹂﹃交通技術﹄ 13巻、5(145号)、交通協力会、1958年5月、6-8頁。doi:10.11501/2248494。 (三)酒井弘︵国鉄本社電気局電力課︶﹁通勤輸送に対処する自営電源と送電網﹂﹃交通技術﹄ 13巻、6(146号)、交通協力会、1958年6月、32-33頁。doi:10.11501/2248495。 (四)国鉄臨時車両設計事務所﹃これからの鉄道車両﹄1959年1月、pp.11 - 15。 (五)大塚長一郎︵京浜急行電鉄車両部長︶﹁補償線輪付車両用主電動機について﹂﹃電気車の科学﹄1959年5月号、pp.11 - 14。 (六)塚本清治︵国鉄技師長室︶﹁昭和34年度の技術課題について﹂﹃交通技術﹄ 14巻、7(160号)、交通協力会、1959年7月、2-5頁。doi:10.11501/2248509。 (七)榊原三郎︵国鉄運転局客貨車課補佐︶﹁昭和35年度電車計画の展望﹂﹃電車﹄1960年1月号、pp.28 - 33。 (八)山村秀幸︵小田急車両課長︶﹁小田急"HE車"の概要﹂﹃電気鉄道﹄1960年1月号、pp.18 - 21。 (九)山村秀幸︵小田急車両課長︶﹁小田急2400形HE車 (1)﹂﹃電気車の科学﹄1960年2月号、pp.12 - 15。 (十)﹁技術時評 通勤電車とドア﹂﹃交通技術﹄ 15巻、2(168号)、交通協力会、1960年2月、27頁。doi:10.11501/2248517。 (11)山村秀幸︵小田急車両課長︶﹁小田急2400形HE車︵続︶﹂﹃電気車の科学﹄1960年3月号、pp.21 - 26。 (12)山村秀幸︵小田急車両課長︶﹁小田急HE車︵高性能高経済車︶の概要 (1)﹂﹃電車﹄1960年4月号、pp.12 - 20。 (13)山村秀幸︵小田急車両課長︶﹁小田急HE車︵高性能高経済車︶の概要 (2)﹂﹃電車﹄1960年5月号、pp.32 - 39。 (14)真宅正博・井上等︵国鉄臨時車両設計事務所︶﹁国鉄試作電力回生ブレーキ電車﹂﹃電気鉄道﹄1960年9月号、pp.25 - 29。 (15)真家昇︵東鉄局電力課︶﹁中央線電車線路整備工事について﹂﹃電気鉄道﹄1960年10月号、pp.14 - 16。 (16)井ノ口章太郎︵国鉄本社電気局電力課︶﹁国鉄関東地区の電気需要と供給力﹂﹃交通技術﹄ 16巻、3(182号)、交通協力会、1961年3月、2-5頁。doi:10.11501/2248531。 (17)小沼清志︵国鉄技師長室︶﹁昭和36年度の国鉄技術課題﹂﹃運転協会誌﹄1961年6月号、pp.26 - 27。 (18)大城康世・川添雄司︵国鉄外務部・元国鉄関東支社大井工場︶﹁こんごの通勤電車﹂﹃JREA﹄1961年6月号、pp.14 - 17。 (19)太田清水︵国鉄鉄道技術研究所電気材料調査研究室︶﹁H種絶縁﹂﹃電気鉄道﹄1961年9月号、pp.23 - 24。 (20)太田益次︵大阪鉄道管理局電気部変電課︶﹁大阪環状線の時間短縮に伴う運転用電力について﹂﹃電気鉄道﹄1962年6月号、pp.6 - 8。 (21)井上等︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁今後の電車用主電動機﹂﹃電車﹄1962年7月号、pp.36 - 43。 (22)萩原仁太郎︵仙台鉄道管理局福島電力区・元千葉鉄道管理局電力課︶ ﹁トロリー線の集電摩耗とその対策について﹂﹃電気鉄道﹄1962年9月号、pp.9 - 12。 (23)久保田博︵国鉄工作局車両課補佐︶﹁103系通勤電車誕生のいきさつ﹂﹃電車﹄1963年1月号、pp.27 - 34。 (24)岡田直昭︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁103系電車の概要﹂﹃電車﹄1963年1月号、pp.35 - 44。 (25)河合肇︵国鉄運転局客貨車課︶﹁新形通勤電車103系および101系の次期投入線区について﹂﹃電車﹄1963年1月号、pp.45 - 51。 (26)井上等︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁103系電車の概要﹂﹃電気車の科学﹄1963年2月号、pp.6 - 10。 (27)岡田直昭︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁新通勤形103系電車﹂﹃電気鉄道﹄1963年3月号、pp.11 - 13。 (28)佐藤武士︵静鉄静岡運転所︶﹁新形電車における1ユニット不動の推定法と運転扱いについて﹂﹃電車﹄1964年3月号、pp.26 - 37。 (29)寺島和年︵前大鉄運転部電車課長︶﹁大阪国電の現状とその将来について﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1964年4月号、pp.25 - 27。 (30)久保田博︵仙鉄運転部長・元本社工作局︶﹁国鉄通勤形電車の最近の動き﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1964年4月号、pp.35 - 37。 (31)小沢耕一︵東鉄運転部電車課長︶﹁東京の通勤輸送の現状と問題点﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1964年4月号、pp.4 - 6。 (32)石本祐吉︵川崎製鉄KK千葉製鉄所︶﹁通勤形電車はどうあるべきか﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1964年4月号、pp.72 - 73。 (33)加藤精一︵国鉄大井工場第1電車職場長︶・望月旭︵国鉄浜松工場製缶職場長︶ ﹁電車用主電動機の性能向上﹂﹃電車﹄1964年4月号、pp.66 - 76。︵注 : ガラスバインドとハンダレス整流子関係︶ (34)久保卓三︵国鉄運転局客貨車課︶﹁国鉄中央線と地下鉄5号線の相互乗り入れについて (1)﹂﹃電車﹄1964年5月号、pp.12 - 18。 (35)小沢耕一︵東鉄運転部電車課長︶﹁東京付近の通勤輸送をめぐって﹂﹃電車﹄1964年5月号、pp.45 - 54。 (36)川添雄司︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁ユニット不動の推定法と運転扱いについてを読んで﹂﹃電車﹄1964年5月号、pp.66 - 68。 (37)運転局客貨車課 ﹁新形電車現行使用限流値調べ﹂﹃電車﹄1964年5月号、p.18。 (38)大石一男︵静鉄静岡運転所︶﹁現場から見たユニット不動時の運転の問題について﹂﹃電車﹄1964年6月号、pp.52 - 53。 (39)久保卓三︵国鉄運転局客貨車課︶﹁国鉄中央線と地下鉄5号線の相互乗り入れについて (2)﹂﹃電車﹄1964年6月号、pp.85 - 93。 (40)﹁103系量産車の運転性能試験が実施される!!﹂﹃電車﹄1964年7月号、p.31。 (41)丹羽一夫︵元運輸省都市交通課専門官・現運輸省保安課補佐︶﹁東京およびその周辺における都市交通について﹂﹃電車﹄1964年8月号、pp.22 - 27。 (42)﹁国鉄中央線と地下鉄5号線との相互直通車両の規格仕様に関する覚え書が交換された﹂﹃電車﹄1964年8月号、pp.54 - 56。 (43)岡田直昭︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁運転台シリーズ (4) 国電103系の運転台 (1)﹂﹃電車﹄1964年10月号、pp.73 - 78。 (44)岡田直昭︵国鉄臨時車両設計事務所技師︶﹁運転台シリーズ (4) 国電103系の運転台 (2)﹂﹃電車﹄1964年11月号、pp.32 - 35。 (45)﹁新らしい機器の紹介 C2000形空気圧縮機﹂﹃電車﹄1964年12月号、pp.31 - 33。 (46)小田急電鉄株式会社﹃新設計の通勤車について﹄1965年2月1日、pp.1 - 16。︵注 : 2600形の設計時資料︶ (47)森章︵東鉄局電気部電力課長︶﹁東鉄における電車線路の保守について︵その1︶﹂﹃電気鉄道﹄1965年5月号、pp.19 - 22。 (48)川添雄司︵国鉄臨時車両設計事務所︶﹁電気車の性能と容量︵その1︶﹂﹃電気鉄道﹄1965年5月号、pp.23 - 25。 (49)伊東正行︵東京急行電鉄株式会社電気部変電課変電係長︶﹁回生制動により生ずる回転変流機の逆流防止装置﹂﹃電気鉄道﹄1965年6月号、pp.8 - 11。 (50)川添雄司︵国鉄臨時車両設計事務所︶﹁電気車の性能と容量︵その2︶﹂﹃電気鉄道﹄1965年6月号、pp.20 - 22。 (51)小林喜幹︵国鉄運転局客貨車課︶﹁京浜東北線にはどのような性能の車両がよいか﹂﹃電車﹄1965年6月号、pp.13 - 19。 (52)森章︵東鉄局電気部電力課長︶﹁東鉄における電車線路の保守について︵その2︶ ダブルシンプルカテナリ (1)﹂﹃電気鉄道﹄1965年8月号、pp.24 - 26。 (53)森章︵東鉄局電気部電力課長︶﹁東鉄における電車線路の保守について︵その3︶ ダブルシンプルカテナリ (2)﹂﹃電気鉄道﹄1965年9月号、pp.21 - 24。 (54)柿沼道夫・後閑始︵東京鉄道管理局田端電力区︶﹁東鉄における電車線路の保守について︵その6︶ ダブトロ工事の施行および今後の保守﹂﹃電気鉄道﹄1966年1月号、pp.27 - 31。 (55)石塚健次郎・山口義雄・杉野治之・小沼栄︵以上 東鉄池袋電車区電車検査掛︶・藤巻亀忠︵東鉄池袋電車区電車運転士︶﹁103系電車のブレーキ時の衝動と防止対策﹂﹃電気車の科学﹄1966年4月号、pp.13 - 17。 (56)佐藤善一﹁列車運転における電力消費率﹂﹃電気鉄道﹄第20巻第9号、鉄道電化協会、1966年9月、2-6頁、NAID 40018094663。 ︵国鉄電気局電化課︶ (57)高藤茂︵国鉄池袋電車区長︶﹁運転業務研究会をかえりみて﹂﹃電気鉄道﹄1966年11月号、pp.24 - 27。︵注 : 103系電車のブレーキ衝動対策関係︶ (58)平野慎吾︵古河電工︶・武田清治︵昭和電線電纜︶・皆川伯夫︵日立電線︶・稲川洋一︵藤倉電線︶・川端昭雄︵大日日本電線︶・宗像和夫︵住友電工︶﹁電車線路用裸電線について︵第2章トロリー線について︶﹂﹃電気鉄道﹄1966年12月号、pp.39 - 43。 (59)平野慎吾︵古河電工︶・武田清治︵昭和電線電纜︶・皆川伯夫︵日立電線︶・稲川洋一︵藤倉電線︶・川端昭雄︵大日日本電線︶・宗像和夫︵住友電工︶﹁電車線路用裸電線について︵第3章き電線について︶﹂﹃電気鉄道﹄1967年1月号、pp.31 - 35。 (60)内田真・藤村敏郎︵以上 国鉄鉄道技術研究所︶・権藤豊義・府川有治・佐藤善一・冨中昭三︵以上 国鉄電気局電化課︶﹁大都市通勤輸送区間における大電流き電回路の現状と問題点﹂﹃電気鉄道﹄1967年4月号、pp.2 - 18。 (61)山本幸司・粥川昭二・飯島薫・塙三郎︵以上 国鉄品川電車区︶ ﹁ATS-B形諸問題の現状と対策について﹂﹃電気鉄道﹄1967年6月号、pp.17 - 21。︵注 : 列車運転時の電圧変動関係︶ (62)金子一彦︵国鉄新宿変電区︶﹁車両の空転によるき電用高速しゃ断器の動作について﹂﹃電気鉄道﹄1968年2月号、pp.16 - 20。 (63)浅野幸夫︵国鉄運転局機関車課︶﹁電気車の運転性能 (I)﹂﹃電気鉄道﹄1968年3月号、pp.9 - 12。 (64)浅野幸夫︵国鉄運転局機関車課︶﹁電気車の運転性能 (II)﹂﹃電気鉄道﹄1968年4月号、pp.22 - 24。 (65)猪野淳之助︵国鉄車両設計事務所次長︶﹁通勤電車設計の展望﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1968年4月号、pp.4 - 7。 (66)小林喜幹︵国鉄運転局客貨車課︶﹁国鉄通勤電車の配置運用と見通し﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1968年4月号、pp.8 - 10。 (67)浅野幸夫︵国鉄運転局機関車課︶﹁電気車の運転性能 (III)﹂﹃電気鉄道﹄1968年5月号、pp.19 - 21。 (68)高橋金吾︵国鉄運転局列車課︶﹁電気車の運転性能 (IV)﹂﹃電気鉄道﹄1968年6月号、pp.18 - 21。 (69)高橋金吾︵国鉄運転局列車課︶﹁電気車の運転性能 (V)﹂﹃電気鉄道﹄1968年8月号、pp.13 - 15。 (70)宇津木弘︵東京西局運転部電車課︶﹁青梅・五日市線に103系電車を迎えて﹂﹃電車﹄1977年3月号、pp.37 - 40。 (71)角野勇・春日井竹次︵以上 国鉄大阪電気幸司局︶﹁桜井線・和歌山線︵王寺・五条間︶及び草津線の電車線路設備の概要﹂﹃電気鉄道﹄1980年4月号、pp.13 - 17。 (72)沼野稔夫︵車両設計事務所電気車主任技師︶﹁電気車両の省エネルギー (1)﹂﹃電車﹄1981年2月号、pp.25 - 29。 (73)沼野稔夫︵車両設計事務所電気車主任技師︶﹁電気車両の省エネルギー (2)﹂﹃電車﹄1981年3月号、pp.18 - 23。 (74)沼野稔夫︵車両設計事務所電気車主任技師︶﹁電気車両の省エネルギー (3)﹂﹃電車﹄1981年4月号、pp.22 - 25。 (75)沼野稔夫︵車両設計事務所電気車主任技師︶﹁電気車両の省エネルギー (4)﹂﹃電車﹄1981年5月号、pp.52 - 54。 (76)島秀雄︵宇宙開発事業団理事長︶﹁電車列車の経済運転について﹂﹃電気車の科学﹄1982年7月号、pp.56 - 57。 (77)加進昇︵車両設計事務所電気車補佐︶﹁界磁制御車両について︵昭和58年度技術課題の成果︶﹂﹃電車﹄1984年10月号、pp.18 - 23。 (78)大沢健︵日本鉄道建設公団計画部調査課︶﹁運転曲線の作成 (1) -パソコンによる-﹂﹃電車﹄1986年1月号、pp.26 - 31。 (79)大沢健︵日本鉄道建設公団計画部調査課︶﹁運転曲線の作成 (2) -パソコンによる-﹂﹃電車﹄1986年2月号、pp.15 - 21。 (80)大沢健︵日本鉄道建設公団計画部調査課︶﹁運転曲線の作成 (3) -パソコンによる-﹂﹃電車﹄1986年3月号、pp.10 - 14。 (81)大沢健︵日本鉄道建設公団計画部調査課︶﹁運転曲線の作成 (4) -パソコンによる-﹂﹃電車﹄1986年4月号、pp.16 - 20。 (82)大沢健︵日本鉄道建設公団計画部調査課︶﹁運転曲線の作成 (5) -パソコンによる-﹂﹃電車﹄1986年6月号、pp.23 - 28。 (83)石川陽一︵車両局設計課︶﹁電力消費量の比較 山手線の205・103系﹂﹃電車﹄1987年3月号、pp.6 - 9。 (84)古田良介︵JR東日本運輸車両部車両課︶﹁機器別シリーズ 電車用主電動機 (1)﹂﹃電車﹄1987年8月号、pp.31 - 37。 (85)古田良介︵JR東日本運輸車両部車両課︶﹁機器別シリーズ 電車用主電動機 (2)﹂﹃電車﹄1987年9月号、pp.25 - 29。 (86)古田良介︵JR東日本運輸車両部車両課︶﹁機器別シリーズ 電車用主電動機 (3)﹂﹃電車﹄1987年10月号、pp.24 - 29。 (87)古田良介︵JR東日本運輸車両部車両課︶﹁機器別シリーズ 電車用主電動機 (4)﹂﹃電車﹄1987年11月号、pp.19 - 26。 (88)須永宏資・田部井賢夫︵以上JR東日本下十条運転区経済運転プロジェクトチーム︶﹁経済運転実践の研究﹂﹃電車﹄1987年11月号、pp.21 - 29。 (89)曽根悟︵東京大学教授電気工学︶﹁101系電車の評価と日本の通勤電車﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1987年11月号、pp.20 - 23。 (90)国井浩一︵JR東日本運輸車両部運用課︶﹁常磐線快速の15両化﹂﹃電車﹄1988年1月号、pp.24 - 27。 (91)小口良夫︵鈴木合金株式会社東京営業所・元国鉄車両局設計課︶﹁機器別シリーズ 電車用主抵抗器 (1)﹂﹃電車﹄1988年5月号、pp.17 - 24。 (92)小口良夫︵鈴木合金株式会社東京営業所・元国鉄車両局設計課︶﹁機器別シリーズ 電車用主抵抗器 (2)﹂﹃電車﹄1988年7月号、pp.33 - 39。 (93)小口良夫︵鈴木合金株式会社東京営業所・元国鉄車両局設計課︶﹁機器別シリーズ 電車用主抵抗器 (3)﹂﹃電車﹄1988年8月号、pp.49 - 57。 (94)曽根悟︵東京大学教授電気工学︶﹁103系をどうするか﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄1995年3月号、pp.28 - 29。 (95)曽根悟︵工学院大学電気工学科教授︶﹁私鉄高性能車は何をもたらしたか﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄2003年1月号、pp.10 - 18。 (96)日本規格協会﹁JIS E 4001 鉄道車両用語‥1999﹂﹃JISハンドブック69鉄道2008﹄2008年6月、pp.957 - 1032。 (97)日本規格協会﹁JIS E 6002 通勤用電車の性能通則‥1989﹂﹃JISハンドブック69鉄道2008﹄2008年6月、pp.2026 - 2030。国鉄資料[編集]
- 車両設計事務所『103系通勤形直流電車』1964年
- 車両設計事務所『103系通勤形直流電車』1971年3月
- 車両設計事務所『電車性能曲線』1962年
- 車両設計事務所『電車性能曲線(追録)』1964年2月
- 車両設計事務所『電車性能曲線(追録)』1969年3月
- 車両設計事務所『電気機関車性能曲線』1962年
- 車両設計事務所『新性能電車用主電動機』1968年3月
- 運転局『電車気動車加速力曲線』1966年
- 運転局『速度定数便覧』1972年
参考資料[編集]
運転・設備・理論に関わるもの[編集]
- 福崎直治(国鉄工作局)・沢野周一(国鉄工作局)『電車と電気機関車』岩波書店、1964年4月30日
- 川島泰太郎(国鉄東鉄局運転部電車課)『電車運転曲線と操縦理論』交友社、1955年6月25日
- 竹崎確(国鉄技師長室)『運転総論』ヘッドライト社、1967年12月1日
- 運転設備研究会編(国鉄運転局 明本昭義ほか24名)『運転設備』日本鉄道運転協会、1973年3月25日
- 野田忠二郎(阪神電鉄 工学博士)ほか10名『電気鉄道(改訂版)』電気学会、1964年5月25日(12版)
- 野田忠二郎(阪神電鉄 工学博士)ほか10名『電気鉄道ハンドブック』電気学会、1962年9月20日
- 内田富彦(国鉄運転局列車課)『輸送計画論』交通書房、1956年8月10日
- 藤田義人(国鉄運転局客貨車課)ほか10名『電車運転工学 理論編』日本鉄道図書、1964年12月25日
- 吉江一雄(元国鉄輸送局設備課)『電車輸送と建設』交友社、1981年5月1日(再版)
- 井上進(元JR東日本運輸車両部輸送課長)ほか7名『列車ダイヤと運行管理』成山堂書店、2008年11月28日
- 大沢健(国鉄東京鉄道管理局運転部調査課)『目で見てわかる運転取扱規程技術図典』交友社、1968年6月20日(改訂再版)
- 電車運転理論研究会編(関東鉄道学園運転第一科長 一杉治夫ほか2名)『電車運転理論』交友社、2006年8月30日(24版)
歴史に関わるもの[編集]
- 佐藤信之(亜細亜大学講師)『首都圏の国電 戦後の発展史』グランプリ出版、2005年6月20日
- 佐藤信之(亜細亜大学講師)『東京圏鉄道プロジェクト 都市鉄道整備の展開』電気車研究会、1995年1月10日
構造に関わるもの[編集]
- 菊池直助(元中央鉄道学園運転第2課長)ほか9名『直流電車』交友社、1965年3月1日(新訂改版)
- 松田新市『高速度電動機と駆動装置』電気車研究会、1958年6月25日
- 入江則公(国鉄車両設計事務所)『交流電気車両の基礎理論』1984年10月1日(再版)
- 川添雄司(国鉄車両設計事務所)『交流電気車両概論』電気車研究会、1971年12月1日
- 藤田義人(国鉄運転局客貨車課)ほか10名『電車運転工学 構造編1』日本鉄道図書、1964年9月20日
- 藤田義人(国鉄運転局客貨車課)ほか15名『電車運転工学 構造編2』日本鉄道図書、1966年7月1日
- 関東鉄道学園電車研究会『直流用新形電車教本』交友社、1986年3月8日(改訂増補12版)
- 国鉄大井工場電車修繕研究会編『電車の修繕』交友社、1969年7月15日(改訂再版)
- 『鉄道技術研究所80年史』日本国有鉄道鉄道技術研究所、1987年3月31日
- 浅野幸夫(国鉄運転局車務課課長補佐)ほか4名『車両用無接点装置の基礎と応用』交友社、1972年2月18日(4版)
- 久保田博(国鉄小倉工場長)『最新鉄道車両工学』交友社、1972年12月10日(改訂4版)
- 杉山武史(国鉄鉄道技術研究所)ほか26名『鉄道車両と設計技術』大河出版、1980年12月15日
鉄道会社の経営等全般に関わるもの[編集]
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1960』日本国有鉄道、1960年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1961』日本国有鉄道、1961年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1963』日本国有鉄道、1963年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1964』日本国有鉄道、1964年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1965』日本国有鉄道、1965年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1966』日本国有鉄道、1966年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1967』日本国有鉄道、1967年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1968』日本国有鉄道、1968年
- 日本国有鉄道広報部『国鉄メモ1969』日本国有鉄道、1969年
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 昭和34年版』日本国有鉄道、1959年10月
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 昭和37年版』日本国有鉄道、1962年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1963 昭和38年版』日本国有鉄道、1963年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1964 昭和39年版』日本国有鉄道、1964年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1965 昭和40年版』日本国有鉄道、1965年12月20日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1966 昭和42年版』日本国有鉄道、1966年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1967 昭和42年版』日本国有鉄道、1967年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1968 昭和43年版』日本国有鉄道、1968年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1969 昭和44年版』日本国有鉄道、1969年10月5日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1970 昭和45年版』日本国有鉄道、1970年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1971 昭和46年版』日本国有鉄道、1971年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1972 昭和47年版』日本国有鉄道、1972年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1973 昭和48年版』日本国有鉄道、1973年10月30日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1974 昭和49年版』日本国有鉄道、1974年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1975 昭和50年版』日本国有鉄道、1975年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1976 昭和51年版』日本国有鉄道、1976年10月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1977 昭和52年版』日本国有鉄道、1977年10月20日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1978 昭和53年版』日本国有鉄道、1978年10月30日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1979 昭和54年版』日本国有鉄道、1979年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1980 昭和55年版』日本国有鉄道、1980年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1981 昭和56年版』日本国有鉄道、1981年
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1982 昭和57年版』日本国有鉄道、1982年12月1日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1983 昭和58年版』日本国有鉄道、1983年12月15日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1984 昭和59年版』日本国有鉄道、1985年1月30日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1985 昭和60年版』日本国有鉄道、1985年10月14日
- 日本国有鉄道広報部『数字でみた国鉄 1986 昭和61年版』日本国有鉄道、1986年10月14日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 30年版』交通協力会、1955年3月10日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 31年版』交通協力会、1956年3月10日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 32年版』交通協力会、1957年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1961』交通協力会、1961年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1962』交通協力会、1962年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1963』交通協力会、1963年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1964』交通協力会、1964年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1965』交通協力会、1965年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1966』交通協力会、1966年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1967』交通協力会、1967年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1968』交通協力会、1968年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1969』交通協力会、1969年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1970』交通協力会、1970年2月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1971』交通協力会、1971年3月1日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1972』交通協力会、1972年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1974』交通協力会、1974年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1975』交通協力会、1975年3月20日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1976』交通協力会、1976年3月10日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1977』交通協力会、1977年3月10日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1978』交通協力会、1978年3月10日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1979』交通協力会、1979年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1981』交通協力会、1981年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1982』交通協力会、1982年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1983』交通協力会、1983年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1984』交通協力会、1984年3月15日
- 運輸省・日本国有鉄道各部門担当者『交通年鑑 1985』交通協力会、1985年3月15日
- 運輸省・JR各社各部門担当者『交通年鑑 1988』交通協力会、1988年3月15日
- 運輸省・JR各社各部門担当者『交通年鑑 1989』交通協力会、1989年3月15日
- 運輸省・JR各社各部門担当者『交通年鑑 1990』交通協力会、1990年3月15日
- 運輸省・JR各社各部門担当者『交通年鑑 1991』交通協力会、1991年3月15日
- 国土交通省・JR各社各部門担当者『交通年鑑 2004』交通協力会、2004年3月25日
外部リンク[編集]
- 【秘蔵映像】混色編成も!? 全国で活躍”103系”の歴史を一挙公開 日テレNEWS 2023.3.18
- ^ “地球環境保全への貢献”. 東海旅客鉄道. 2023年11月29日閲覧。
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