館山藩

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館山藩(たてやまはん)は、安房国に存在した。藩庁は館山城・館山陣屋(現在の千葉県館山市城山)に置かれた。江戸時代初期、戦国大名を出自とする里見家を藩主として安房一国を統治していた時期と、江戸時代後期に稲葉家を藩主とする譜代の小藩であった時期の2つに分かれる。


歴史[編集]

館山藩の位置(千葉県内)
千葉

千葉

木更津

木更津

佐貫

佐貫

岡本

岡本

館山

館山

関連地図(千葉県)[注釈 1]

里見家時代[編集]


81580161588181590[1]

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鹿鹿8160331191614

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1868退西

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[]


122000 

(一)

(二)

[]


1130001 

(一)  

(二)  

(三)  

(四)  

(五)  

[]



 - 11713

 - 2

 - 422西

 - 2033


 - 1

 - 413


 - 2

33532241842

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 三枝守昌に与えられた領分であるが、藩庁がどこに置かれたかは不明。館山市山名の智光寺に守昌の墓があり、智光寺は「御倉陣屋」の跡地であると伝えられる。

出典[編集]

  1. ^ 館山市史編纂委員会『館山市史』佐藤今朝夫、1981年5月15日、196頁。 
  2. ^ a b 市村高男「豊臣政権と房総―里見分国上総没収をめぐって―」『千葉県史研究』2号、1994年。 
  3. ^ 滝川恒昭「上野国板鼻城主里見讃岐守について」『館山と文化財』29号、1996年。 
  4. ^ a b 南房総の歴史・行政史 幕藩体制”. 南房総郷土史. 南房総市. 2016年2月26日閲覧。

参考論文[編集]

  • 川名登「館山城についての一考察」『商経論集』16号、1983年。 
  • 岡田晃司「館山町成立の契機について」『房総路』34号、1996年。 
  • 岡田晃司「古文書と伝承から探る歴史の痕跡―安房館山に所在した旗本陣屋―」、佐藤孝之編『古文書の語る地方史』天野出版工房、2010年。 

外部リンク[編集]

先代
安房国
行政区の変遷
1781年 - 1871年 (館山藩→館山県)
次代
木更津県