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1998年頃からは音楽事業からの資金を元手に不動産投資事業に参入、﹁ビープラネッツ﹂をはじめとした不動産子会社が大阪府大阪市西区北堀江周辺に30棟以上のビル・マンションを取得・保有し、hills パン工場の﹁THURSDAY LIVE﹂などによって北堀江を若者の街に変化させた[3]。この手法はそれ以前に東京の代官山町でも使っており代官山町の土地のほとんどを創業者である長戸大幸が所有していた時期があり、若手の新進気鋭のデザイナーらに次々と出店させ代官山を現在の資産価値ある土地へと成功させ長戸大幸は巨額の富を得た。
その後も関西地区での不動産事業を拡大させ、﹁オーク四ツ橋ビル﹂、﹁HORIE hills﹂︵旧GIZA hills︶、﹁ANNEX GIZA﹂、﹁ビーイング四ツ橋ビル﹂などビル・マンションを2021年までに約2500棟以上を取得[6]、2008年には大阪市福島区︵ほたるまち︶に多目的ホール堂島リバーフォーラムと高級賃貸マンションリバーレジデンス堂島を完成させた。
不動産のほとんどは貸しビル、高級デザイナーズ賃貸マンション、貸し事務所、駐車場などでグループ全体の収益の半数以上を不動産収入が占めている。不動産の多くは東京代官山一帯と大阪市の堀江・心斎橋一帯に集中しているが愛知県、長野県、岐阜県など全国に規模を拡大しているほかハワイ島、ニューヨーク、スイスなどの海外にも不動産を所有するなど、かつてはビーイング系と言えば大手の音楽プロダクションとしての認知度が高かったが2022年現在では﹁関西の不動産王﹂と呼ばれるまでに急成長をしている。
音楽事業、不動産事業、IT事業のほか飲食業やライブハウス、音楽養成スクール、損害保険代理業、デザイン会社、イベント会社、番組・映像制作会社、ローン会社、法務などの経営もしている。
グループ代表の長戸大幸が全面プロデュースを行っていた80年代~90年代のビーイングは、既存のアイディアを奇抜に組み替えて全く別のものを作るという意識であった。特に顕著だったのは、アマチュアバンドと契約してプロデビューさせるのではなく、オーディションで発掘したボーカリストを主体に、完全にプロデューサー主導で結成されたバンドがほとんどな点である。B'zも含めて、顔を合わせるまでお互いの素性も経歴、音楽志向も知らなかったケースもよくあった。
また、ビーイングはクリエイター集団という特徴を最大限生かし、バンドやアーティスト自身の自作にはあまりこだわらずに、グループ所属の人気ミュージシャンやクリエイターの作品をほぼ独占的に採用して分業していた点にある。ただ、こうした制作方針は結成当初にはうまく機能して大ヒットを量産するものの、活動していくにつれてメンバー間の「音楽への方向性の違い」などから脱退・解散してしまうことが少なくなかった。
現在は、一部を除きそのような傾向は薄れており、B'zがK-POPのキム・ヒョンジュンに楽曲を提供したり、ビーイング所属クリエイター陣の小澤正澄(元PAMELAH)がSKE48「アイシテラブル!」、後藤康二(元ZYYG)が乃木坂46「ガールズルール」のシングル曲をそれぞれ作曲・編曲してオリコン週間シングルチャートで1位を記録するなど、K-POPやアイドル作品を含めて外部に幅広く作品を提供している。
1999年の倉木麻衣の『Love, Day After Tomorrow』が全国のラジオ局でパワープレイされてミリオンセールスを記録した事をきっかけに、アーティストデビュー時に全国のラジオ局と組んでパワープレイを獲得してプロモーション展開を図っている。
なお、日本でいち早くパワープレイを導入した大阪のFM802では、これまでビーイング系アーティストの楽曲が一度も採用された事がない。[注釈 6]
FM802の姉妹局であるFM COCOLOではパワープレイは設けられていないが、過去にB'zがマンスリーアーティストとして選ばれた事がある。
今でこそプロダクション系レコード会社はめずらしくなくなっているが、ビーイングでは1991年から立て続けに専用レコード会社及びレーベルを設立している。インディーズレーベルも含む。
●B.JIN︵ビージン︶ → ZAIN RECORDS︵1991年︶
●BMG ROOMS → Rooms RECORDS → VERMILLION RECORDS︵1992年︶
●B-Gram RECORDS︵1993年︶
●GIZA studio︵1999年︶
●TENT HOUSE︵1999年︶※インディーズ作品のリリース
●ZAZZY︵2005年︶※インディーズ作品のリリース
●NORTHERN MUSIC︵2007年︶
●D-GO︵2012年︶
●GIZA JAZZ → O-TOWN Jazz︵2012年︶
●Being︵2012年︶
●CRIMZON︵2014年︶※インディーズ作品のリリース
●海峡レコード︵2019年︶※演歌レーベル
●asistobe︵2020年︶※Z世代クリエイター専門レーベル︵読みはアズイズトゥビィ︶
1995年には、流通販売も自社で行う目的でJ-DISCを設立。これにより制作から、発売・販売・宣伝全てを自前で行う仕組みが完成した。
現在、上記レコード会社および流通販売会社はGIZA studioを除きビーイングに統合され、ZAIN、B-Gram、VERMILLION、NORTHERNはレコード・レーベルの一つである。その結果、現在のレコード会社としてはBeing INC.とGIZAの2社で統一され、各レーベルが付帯されている。
- Amemura O-town Record(1997年7月1日〜1999年4月30日)※関西拠点最初のメジャーレーベル。実質的に小松未歩のプライベートレーベルとなっていた。[注釈 7]
- Styling Records(1996年)※同レーベルよりインディーズデビューしていたYOKO Black. Stoneがメジャーデビューする際、レーベル名をそのまま継承し、運営をギザ(GIZA. Inc.)に移した。
- DAY TRACK(2003年)※インディーズ作品のリリース
- pure:infinity(2010年)
- CARAMEL MONSTER RECORDS(2011年)※インディーズ作品のリリース
- FREEDOM WEST(2011年)※インディーズ作品のリリース
- depth(2012年)※インディーズ作品のリリース
- Rozetta(2014年)※インディーズ作品のリリース
- White cafe(2015年)
- Honey Bee Records(2016年)
1990年代以降はビーイング出資によるレコード会社が次々に設立されてきたが、遡れば1980年代初頭より自社制作音源を供給する目的で大手レコード会社内に専門レーベルを設立した経緯がある。
なお、LOUDNESS・BOØWY・亜蘭知子・秋本奈緒美・浜田麻里・TUBE・B'zなど1980年代に発表された作品はビーイングが制作したマスターテープ︵原盤︶をレコード会社側が買い取った上で発売されているが、1990年代以降はビーイングが原盤権を保有しレコード会社や音楽出版社と原盤供給契約をしているものが殆どである。[注釈 8]
また1980年代に発表された一部作品で、レーベルと合わせて原盤制作を示す意でビーイングのロゴマークが併記されてあるものやクレジットされてあるものがある。
●日本コロムビア
●B&M - 1980年代初頭に設立。LOUDNESSや早瀬ルミナなどの作品をリリース。
●B-C → Beat reC - 1993年設立。PAMELAHやW-NAO、BAADなどの作品をリリース。1998年に"Beat reC"へ改称に合わせてZAIN RECORDSよりFIELD OF VIEWが移籍。
●キングレコード
●BILL BOX - 1980年にビーイングが初めて設立したレーベル。三原じゅん子やスピニッヂ・パワー、清水信之などの作品をリリース。
●テイチク
●Bi-Ta-Ming - 1991年設立。ビーイング制作ではW-NAOやKEY WEST CLUBなどの作品をリリースされているが、芸能事務所浅井企画所属のタレントの関連作品もリリースされた。レーベル第一弾アーティストは浅井企画所属だった佐野量子。
●ポリドール
●b.gram - 1991年設立。ZARDなどの作品をリリース。1993年2月にビーイングとポリドールの共同出資によるB-Gram RECORDSを設立し法人化。ZARD作品のみ、B-Gramから再発売。
●徳間ジャパン
●Baby,Be Love - 徳間に吸収される以前の1991年にメルダック時代に設立。松本孝弘やTUNE'Sなどの作品をリリース。[注釈 9]
●ソニー・ミュージックエンタテインメント
●HUMAN BEE - 1992年にソニー・ミュージックレコーズ内に設立。
●Rhizome - 1989年にBMGビクター︵現‥アリオラジャパン︶内に設立。1992年にBMGルームス設立に伴い移管。原盤権の関係で、B.B.クィーンズの﹃おどるポンポコリン﹄等はアリオラジャパンが保有し、現在もカタログとして残されており販売され続けている。[注釈 10]
●ZEZ - 1990年にBMGビクター︵現‥アリオラジャパン︶内に設立されたB'zのプライベートレーベル。1992年にBMGルームス設立に伴い移管。
●D.O.G. HOUSE - 1991年にBMGビクター︵現‥アリオラジャパン︶内に設立。1992年にBMGルームス設立に伴い移管。
●BERG - 1998年にBMGビクター︵現‥アリオラジャパン︶内に設立。第一弾アーティストはB-Gram RECORDSより移籍したDEEN。[注釈 11]
●VAP
●B-VAP - 1993年設立。[注釈 12]
●アポロン
●Dreamix - 当初は1990年に設立されたビーイングとの共同プロデュースによる渡辺プロダクションの関連会社だったが、1991年にKIX-SのCDデビューに合わせて事務所兼レーベルとして運営された。[注釈 13]
etc・・・
●1980年代からグループ内にタレントマネジメントを行う子会社は存在しており、ビーイングランドにはアイドル・声優として活動していた太田貴子やベストワンプロには山口かおりらが所属していた。またビーイング本体でも秋本奈緒美や榎本三恵子らをマネジメントしていた。
●1988年に設立されたオフィスフットワークスには、元おニャン子クラブの五味岡たまきや1991年に他事務所から移籍してきた網浜直子と飯島直子が所属。網浜と飯島はW-NAOとしてCDデビューしている。ビーイング全盛期はZARDや大黒摩季で露出を控える戦略を取っていたが、ZARDや大黒とは違い事務所移籍後の飯島は活動の末、モデルからタレント・女優として転身し、癒し系芸能人としてブレイクを果たした。1990年代中盤まで事務所が存在していたが、代表者の引退などによる理由で事務所が解散。それにより網浜、飯島、亜蘭知子といった所属タレントはヒロ・グループ系列のヒロ・エンターテイメント︵現‥ハーキュリーズ︶へ移籍する事になった。[注釈 14]
●オフィスフットワークスはジャニーズ事務所から独立したばかりの田原俊彦と業務提携しており、その経緯からコンサートツアーのバックメンバーにビーイング所属のミュージシャンが参加していた。田原もフットワークス解散後は、ヒログループへ移籍している。
●1990年代初頭は南野陽子の個人事務所サザンフィールドと業務提携しており、音楽制作やファンクラブ業務をビーイングが行なっていた事もあった。
●2000年代にはマネージメント会社﹁LOOP﹂がモデル・タレント部門を設立。モデル・タレント・俳優の育成にも力を入れ始める。
●2009年2月28日をもってタレント部門の閉鎖。現在はタレント部は系列のWhite Dreamが運営している。
●BREAKERZのヴォーカルDAIGOはミュージシャン活動のマネジメントのみビーイングが行なっており、タレントとしてのマネジメントはバーニングプロダクション系列のエープラスが担当。
1993年当時、ビーイングの拠点は六本木にあり、そのスタジオでの様子をセピア調のジャケットや歌詞カードにして、TV露出を行わないながらアーティストイメージを印象付けた。レコーディング用マイクの前、ミキサー卓での作業風景、ギターやベースの楽器を持つ、ドラムセットに座るなどの姿を採用しているケースが多かった。
下記の大型オーディション以外にも様々なオーディションを開催されている。
SUPER STARLIGHT CONTEST
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Treasure Hunt 〜ビーイングオーディション2012〜
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Treasure Hunt 〜ビーイングオーディション2012〜はビーイングが2012年初めに告知したメジャーデビューが確約された大規模オーディション。6月24日に行われた最終審査で、新山詩織がオリジナル曲の﹃だからさ﹄と椎名林檎の﹃丸ノ内サディスティック﹄を弾き語りで披露し、審査員の高評価を得て応募総数8000人以上の中からグランプリを受賞。メジャーデビューの権利を得て、2013年にメジャーデビューとなった。他の応募者と比較し明らかに飛びぬけた才能と歌声という評価。審査特別賞に焚吐、蓮花が受賞し、2015年にメジャーデビューした。
『映画主題歌 女性シンガーオーディション ~Future Girls Audition~』
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映画主題歌 女性シンガーオーディション ~Future Girls Audition~は2016年初めにビーイングが告知した大規模オーディション。グランプリ獲得者は2017年公開の映画﹃傷だらけの悪魔﹄主題歌でのデビューが確約されていた。応募資格として歌と容姿に自信のある中学生~21歳までの女性と限定されていた。またこのオーディションではこの映画でのデビューができるNEXTSTAR賞も同時に募集。こちらも女性限定。アーティスト部門、グランプリには菜々、審査員特別賞には荒木結衣、NEXTSTAR賞には藤咲百恵がそれぞれ受賞した。
2016年に菜々は、﹁Liliy's Blow﹂名義でデビュー。2017年公開の映画﹁傷だらけの悪魔﹂で藤咲がデビュー。
『平成生まれの女性ギタリストオーディション』
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2017年公開の映画「傷だらけの悪魔」の演出プランで、急遽、女性ギタリストのキャスティングが決定した。それに伴い、先に行われた「女性シンガー主題歌オーディション」のスピンオフ・オーディションとして、平成生まれの女性ギタリストの緊急募集が決定。オーディション合格者は、映画出演とレコーディングの参加が約束された。
また、この演出には主題歌オーディションのグランプリの菜々も出演した。
2017年開催のビーインググループの大型オーディションで、日本国内のみならず世界の舞台で活躍できる人材を発掘するのを目的に行われた。募集は性別は問わず25歳までで日本国内に限らず全世界から応募が可能となっており、合格者はビーインググループの全面的バックアップを受けデビューの準備にはいることが約束されていた。[20]
『九州Teen`sオーディション2019』
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2019年11月4日にビーイングと福岡にある音楽スクールであるオンリードがタッグを組み九州・沖縄エリアから若い人材を発掘するために行われる10代限定のオーディションである。参加資格は九州及び沖縄に住民票があり2019年12月31日付けで10代であること。アーティスト部門とアクター部門の2つに分かれてグランプリが選ばれる。アーティスト部門でのグランプリは九州エリア限定1曲入りオリジナル音源でBeingよりCDリリースされることが確約されている。アクター部門でのグランプリは上記のグランプリアーティストのMVへの出演が確約されている。
●かつてビーイングブームと呼ばれたように、1990年代前半は音楽業界でトップを走り続けていた。しかし90年代後半から、所属アーティストの全体的な売り上げが下降気味になり、1999年以降90年代のビーイングを支えてきた織田哲郎、栗林誠一郎、大黒摩季、DEENらがビーイングから移籍や活動停止。WANDS、T-BOLAN、FIELD OF VIEWらの解散が続きブームが終焉。90年代から実質引き続き残ったのはTUBE、B'z、ZARDの3組となった。
●1995年から1997年 - 大阪心斎橋︵直後に自社ビルを北堀江に購入し拠点を移動︶に拠点を移し、GIZA studioがメインとなった。以前のビーイングサウンドよりR&B寄りやUKロック的な音楽を指向するようになり、他社のアーティストと明確な楽曲やアレンジ上の差異は1993年前後に比べて少なくなったが、所属アーティストのメディアコントロール手法とアニメ・ゲームタイアップで活動する手法は変わっていない。
●1998年から2000年 - 小松未歩のアルバムヒット、倉木麻衣の大ヒット、テレビアニメ﹃名探偵コナン﹄タイアップ作品で愛内里菜がシングル﹃恋はスリル、ショック、サスペンス﹄のスマッシュヒットを飛ばすなど、一時期女性アーティストの柱が立っていた。
●2002年から2003年 - TUBE、B'z、ZARD、の3本柱に加え、倉木麻衣、愛内里菜、GARNET CROWが着実に売り上げを確保していたが、CD不況やインターネットや携帯電話などで購入する音楽配信への移行の影響もあり、いずれのアーティストとも全盛期より売り上げが大幅に減下した。これに呼応するように2003年にZAIN RECORDSがB-Gram RECORDSに吸収合併された。
●2004年 - GIZA studioからK-POPブームが国内で流行する直前いち早く韓国の人気女性グループJEWELRYを日本デビューさせるも日本活動は1年で終了となった。
●2006年から2007年 - 東京にNORTHERN MUSICを設立し、GIZA studioから倉木麻衣、スパークリング☆ポイント、ZAIN RECORDSから滴草由実を移籍させて再起を図った。2007年5月にはZARDの坂井泉水が死去し、代表取締役だった長戸大幸が退任し相談役へ。従来のR&B寄りやUKロック的な音楽はもとより、ジャズやボサノヴァなどにも力を入れるようになった。
●2008年 - 平田香織が、Perfumeのブレイクで注目を集めるようになったテクノポップを踏襲した楽曲でデビューしており、新たなジャンルを開拓し始めた。また、同年DAIGO率いるBREAKERZがデビューし、男性アーティストが少ないビーイングにおいて、TUBE、B'zに続く新たな男性バンドのファン層を取り入れた。
●2009年 - 大阪の音楽事業の縮小︵拠点を東京に戻した為︶により所属アーティストの契約解除や解散が目立った。およそ7年に渡り活動を続けてきた三枝夕夏 IN dbを筆頭に、スパークリング☆ポイント、Naifuが解散し、菅崎茜、岸本早未、平田香織らが活動を休止した。レコード会社移籍して活動を続けたアーティストは上木彩矢のみ︵GIZA studioからavex traxへ移籍︶。
●2010年12月31日 - 坂井泉水逝去後のビーイングを支えた女性アーティスト3本柱[注釈 16]の一人で、第54回NHK紅白歌合戦にも出場した愛内里菜が、甲状腺の病気療養のためにアーティスト活動より引退。
●2011年7月10日 - 北原愛子がhills パン工場でのライブを最後に芸能界を引退。
●2012年6月 - 韓国出身の男性アイドルグループBOYFRIENDをBeingレーベルから日本デビューさせ、第27回 日本ゴールドディスク大賞 ベスト3ニュー・アーティスト︵アジア︶を受賞した。
●2013年6月9日 - GARNET CROWが大阪ライブをもって解散。GIZA studioでオリコントップ10入りできるアーティストが完全消滅する。
●2015年1月28日 - 女性アイドル&ダンスグループLa PomPonをデビューさせる。
●2015年8月26日 - アンティック-珈琲店-がこれまでのインディーズ活動を終えメジャーデビュー。
●2016年1月6日 - 楽曲制作に関与した名古屋を拠点に活動する男性アイドルグループBOYS AND MENの﹃BOYMEN NINJA﹄が、1月18日付オリコン週間シングルチャートで1位を獲得。翌月に発売された後藤康二作曲の﹃Wanna be!﹄も2月15日付オリコン週間シングルチャートで1位を獲得し、2作連続で首位を獲得。
●2016年4月 - 長戸大幸を中心に製作したビーイング傘下レーベル・GIZA studioを中心による音楽集団、d-projectを始動。
●2016年6月20日 - 無期限の活動休止中だった大黒摩季がビーイングと再契約し活動を再開。
●2017年6月 - 活動休止していたT-BOLANが活動を再開。
●2019年4月1日 - 1999年12月31日に解散したロックバンドZYYGの活動再開が発表された。
●2019年9月18日、GIZA studioより女性4人組バンドSARD UNDERGROUNDがZARDトリビュートアルバムでメジャーデビュー。
●2019年5月1日、ビーイング初の演歌歌手新浜レオンがデビュー。
●2019年11月17日、WANDSが19年ぶりに新ボーカリスト上原大史の加入により第5期WANDSとして活動を再開。
1994年に不動産部門として株式会社ビープラネッツを設立。東京代官山町での都市開発で成功し巨額な収益を上げ、その後1998年頃よりこれまでに蓄えていた豊富な財源を利用し大阪市内︵主に堀江、心斎橋周辺︶に多数のビルやマンション、駐車場などの不動産投資を始める。2008年に大阪大学医学部附属病院跡地に高級賃貸マンションリバーレジデンス堂島と共にオープンした堂島リバーフォーラムでは不動産開発から管理運営をするまでに成長している。その後も保有資産を増やし続けており、イタリアの建築家アントニオ・チッテリオが設計したデザイナーズ商業ビル﹁RASTER ON SHINSAIBASHI﹂が完成するなど、2022年現在までにグループが保有するビル、マンション、駐車場などの不動産は関西地区のみだけで2500を超える。また近年は国内のみならずニューヨークやハワイといった海外不動産へも投資している。2000年代中期より音楽業界ではCDの売り上げ不振が続き各レコード会社とも業績の悪化を余儀なくされている状況だが、それ以前に不動産投資に着手したビーイングはとても音楽プロダクションとは思えないほどのバイイング・パワーを誇示しており音楽事業以外での収益の獲得に成功している。不動産部門では株式会社ビープラネッツをはじめとした多数の不動産会社をグループの傘下に従えている。
発売元:販売元:株式会社ビーゾーン
2011年10月よりビーイングがNORTHERN MUSICを吸収
- 倉木麻衣(音楽プロデューサーはKANONJIと共同)
販売元:株式会社ビーゾーン
White Dream所属のタレント・モデル・俳優
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![[icon]](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1c/Wiki_letter_w_cropped.svg/20px-Wiki_letter_w_cropped.svg.png) | |
●MVN︵あいテレビ ほか︶ - BEINGアーティストがリリースする新曲をPV映像を交えて紹介。
●THE MOMENT︵チバテレ ほか︶ - 主にBEINGアーティストの新曲や話題を紹介。ENTERTAINMENT NEWSの後継番組だが、MCは設けていない
●ダンスシャッフル︵tvk ほか︶
●MU-GEN︵チバテレ ほか︶
●音楽ニュースHO ︵テレビ朝日系︶
●NO. ︵テレビ朝日系列、ミニ番組︶
1993年4月から1999年9月まで放送され、ビーイング系アーティストのプロモーションビデオが放映されていた。
●CD NEWS ︵UHF系、ミニ番組︶ 出演:浜家優子︵有文子︶など。
1993年4月から1999年9月まで放送され、ビーイング系アーティストのプロモーションビデオが放映されていた。
●GIZA STATION ︵UHF系、ミニ番組︶
●情報IN︵テレビ東京、ミニ番組︶1996年から1997年にかけて﹃ワールドビジネスサテライト﹄放送終了後に放送されていた﹃SUNDAY BLUES LIVE﹄の模様を紹介した番組。
●いま人︵日本テレビ、ミニ番組︶ - 1996年秋スタート。
●チェキラ! ︵日本テレビ、ミニ番組︶
渋谷界隈のショップ・グッズ情報と絡めた番組。シングル・アルバムチャートではビーイング歌手が1位〜5位を必ず獲得し、実際のチャートとかなり乖離していた。出演:こずえ鈴
●チェキ!チェキ! ︵日本テレビ、ミニ番組︶
チェキラ!の後継番組。出演:榮倉奈々、徳澤直子
●J-ROCK ARTIST BEST 50 ︵UHF系︶
視聴者投稿でアーティストをカウントダウンする番組で、ビーイング歌手が上位を独占。﹁今週の似ている曲﹂ではビーイング以外の楽曲のみを扱う。数回、番組名を変えリニューアル。
●BEST OF J-GROOVE ︵UHF系︶
R&Bが流行し始めた頃、J-ROCKがタイトル変更。SINGLE・ALBUM REVIEWコーナーではビーイングしか取り上げなかった。
●ROOTS ︵UHF系︶
関西ブルースムーブメント再興促進とポピュラー音楽史をシナジーさせビーイング関西活動のきっかけとした番組。
●アメロク︵UHF系︶
ナレーション:和田誠・浅井博章 ほか。アメムラ・ロック・ストリートの略。オーバー気味なナレーションと共に毎回出演するゲストが、オススメのアーティスト紹介で必ずビーイングの歌手を推薦する番組構成。
●SO-HOT︵UHF系、テレビ大阪制作︶
ナレーション:浅井博章・U.K.。堀江最新情報番組と称してGIZAアーティストを紹介していた。﹁人気・実力・ルックスの3つを兼ね備えたブレイク必至のバンド﹂として、活動停止したWAG︵GIZA所属︶をフィーチャーしていた。
●HIP-POP︵UHF系︶
活動停止したソウル・クルセーダーズ︵GIZA所属︶のキング・オパールが出演。
●ホームページ京都︵UHF系 KBS京都制作︶
京都の観光スポットを紹介する番組で、前期は若者向けの京都情報を中心に紹介。スタジオ収録は大阪アメリカ村にあるグランカフェ。後期は評論家・八幡和郎を迎え一新。京都、滋賀を始め関西の情報を多岐に渡って紹介。収録は京都北山スタジオ、GIZA本社。初期のレギュラー‥NewCinema蜥蜴、RAMJET PULLEY、WAG、cocott、内藤智子、キングオパール、京都の著名人。後期のレギュラー‥八幡和郎、内藤智子、庭和田薫、斉田才。斉田才の音楽情報ではビーイングを中心に紹介。
●BOOMs︵UHF系︶
中高生向け音楽情報番組だがエイベックス系は取り上げなかった。
●メッチャE!︵UHF系︶
BOOMsがリニューアル。ビーイング音楽情報のほかにGARNET CROWの岡本仁志が同志社大学を再訪したり、デビュー前の三枝夕夏が出演。
●ヒルズ音楽工場︵UHF系︶
3ヶ月で終了、この頃からビーイング制作番組が縮小していく。
●CD News︵UHF系︶
司会:斉田才、内藤智子、KAORU。MUSIC NEWSのコーナーではビーイングは発売前、非ビーイングは発売後の紹介という徹底ぶりだった。
●The MUSIC 272 ︵SKY PerfecTV! 272ch︶
ビーイングが運営する上記の番組を多数有料放送していたが、2005年6月30日電波停止された。今後はPPVや動画配信に力を入れていく様子である。
●ENTERTAINMENT NEWS︵UHF系、チバテレ ほか︶
MCはLOOP所属タレントの石井琴里と矢田達也。専用スタジオなどは一切なく、副調整室で収録されていた。
●ARTIST REQUEST︵UHF系、チバテレ ほか︶
2011年6月終了。
●MUSIC FOCUS︵チバテレとの共同制作、全国22局ネット・Music Japan TV︶
Beng GIZA VERMILLION オフィシャルポータルサイト﹃Musing﹄でのダウンロードも可能。
2009年4月 - 2012年3月放送。
●MUSIC LAUNCHER︵チバテレとの共同制作、全国22局ネット・Music Japan TV︶
MUSIC FOCUSの後継番組。2012年4月 - 2016年3月放送。この番組が最後のチバテレとの共同制作番組となる。
●﹃音都﹄︵サンテレビ︶ - 2019年1月9日から2019年9月25日まで放送されていた。長戸大幸がゼネラルプロデューサーとしてクレジットされているほかギザのスタッフが制作に関わっていた。
●J-ROCK magazine︵1994年 - 2000年、月刊誌、ジェイロックマガジン社︶
●J-groove magazine︵2000年 - 2006年、月刊誌、ジェイロックマガジン社︶
●Music Freak Magazine︵1994年 - 2009年、フリーペーパー、エムアールエム︶ - ビーイング系歌手がメイン
●music freak Es︵2010年 - 2015年、有料会員限定雑誌、エムアールエム︶ - 2016年からは有料メールマガジン﹁music freak press﹂に移行。
●Undown︵1997年 - 2003年、フリーペーパー、エムアールエム︶ - インディーズ系アーティストがメイン
●大塚製薬 ポカリスエット ︵1991年 - 1996年・1998年︶、ファイブミニ︵1992年 - 1993年︶、エネルゲン︵1996年︶、カロリーメイト︵2010年︶
●川島だりあ、織田哲郎、ZARD、DEEN、FIELD OF VIEW、B'z、TWINZER、T-BOLAN、SO-Fi、近藤房之助
●NTTドコモ
●DEEN、宇徳敬子、ZARD、上原あずみ ︵上原はCMにも出演︶
●カネボウ化粧品﹁夏のキャンペーンソング﹂︵1989年 - 1991年︶
●浜田麻里︵1989年︶、栗林誠一郎︵1990年︶、B'z︵1991年︶ ※1989年の浜田麻里は音楽出版権の一部保有及び楽曲制作をビーイングが担っている。
●三貴﹁カメリアダイヤモンド﹂﹁ブティックJOY﹂﹁ファニィ﹂
●亜蘭知子、TUBE、B'z、ZARD、WANDS、REV、MANISH
●日本コカ・コーラ﹁アクエリアス﹂︵1993年︶、﹁紅茶花伝﹂︵1994年︶、﹁爽健美茶﹂ ︵2001年︶
●GEARS、宇徳敬子、倉木麻衣︵倉木はCMにも出演︶
●資生堂﹁SEA BREEZE﹂︵1995年・2002年 - 2003年︶
●ZARD、倉木麻衣︵倉木はCMにも出演︶
●コーセー﹁エスプリーク・プレシャス﹂︵2008年 - 2011年︶
●B'z、倉木麻衣︵倉木はイメージキャラクターも担当︶
●サントリー﹁ペプシネックス﹂︵2011年 - 2013年︶、B'z︵CMにも出演︶
●江崎グリコ﹁ポッキー﹂︵2013年、2018年 - ︶、新山詩織︵CMにも出演︶、B'z
●JR西日本﹁関西へ行こう﹂︵2015年 - ︶倉木麻衣︵CMにも出演︶
●ムラサキスポーツ﹁SNOW WEAR COLLECTION﹂︵2015年 - 2016年︶、安良波明里︵CMにも出演︶
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(一)^ ビーイングが制作する番組やT-BOLAN﹁愛のために 愛の中で﹂やZARD・倉木麻衣などのPVの撮影場所でも使用された。1995年から1997年12月までは毎週日曜日にSUNDAY BLUES LIVEが催されており、近藤房之助やAKASHI MASAO GROUPなどが出演。2016年5月に閉店。またグランカフェは升田敏則が代表を務める九十九ラーメンの大阪地区のフランチャイジーであったが、頓挫している。
(二)^ Spoonfulは、当初、ZAIN RECORDSのサブレーベルであったが、独立レーベルとしてAmemura O-town Recordが設立され、そのサブレーベルとなった。
(三)^ 倉木麻衣と大野愛果のアルバムを全米で発売した以外は、B'zの海外A&R業務を行なっていた。
(四)^ 2002年にB'zと倉木麻衣の韓国限定アルバムを発売後は、2004年に日本語解禁に伴い韓国国内での発売・プロモーション業務を行なっていた。現在は清算されている。
(五)^ 1988年のソウルオリンピックのテーマソングだった浜田麻里の﹁Heart and soul﹂は制作には関与していないものの、音楽出版権はNHK出版と共同でビー企画室が保有している。
(六)^ FM802は小室ファミリーやジャニーズ系はオンエアされていないが︵同一運営の姉妹局のFM COCOLOでは時折オンエアされることがある︶、ビーイング系楽曲はオンエア制限の対象にはなっていない。またB'zや大黒摩季などの関西地区でのコンサートの(名義)主催や音楽イベント﹁音都﹂の後援はFM802である。
(七)^ Amemura O-town Recordは、小松未歩が同じビーインググループ、しかも、同じビルの別の階にあるGIZA studioへ移籍したことでアーチスト不在となり消滅した経緯より、別会社ではあるが運営的にはGIZA studioとAmemura O-town Recordは一体であったと見做されることが多い。GIZA studio自体がAmemura O-town Recordと一体であったと見做している例として、コンピレーション・アルバム﹃GIZA studio presents -Girls-﹄にて、小松未歩のAmemura O-town Record時代の作品が、3曲も選曲されている。
(八)^ BOØWYがビーイング在籍時代に発表した楽曲の原盤権はレコード会社にあるが、未発表曲だった﹁たった一度のLOVESONG﹂のみビーイングが保有している。また原盤供給契約が満了した織田哲郎のプラッツ在籍時の作品や、日本コロムビアの"Beat reC"やテイチクの"Bi-Ta-ming"から発売した作品は現在ビーイングが原盤権を有している。
(九)^ メルダックより発表した松本孝弘の作品の原盤権は、現在ビーイングが保有。TUNE'Sの原盤権は徳間ジャパンが保有している。
(十)^ 近藤房之助・坪倉唯子・栗林誠一郎等の作品はBMGルームス移管後も再発売や音楽配信がされていないものがあるが、代表原盤権がアリオラジャパンにある為である。
(11)^ 本レーベル作品の原盤権は全てビーイングが保有しているため、B'zが2000年に発表した﹃B'z The Mixture﹄が"BEING GIZA STUDIO"で配信されている以外は音楽配信はされていない。
(12)^ レーベル終了は1994年。本レーベル作品の原盤権は、ビーイングが保有。
(13)^ 原盤権が事務所側(関連会社の渡辺音楽出版が保有)にある事を示すために、KIX-Sがレコード会社移籍後のAriola/BMGジャパンから発売された作品と1998年-1999年にかけてBAIDIS/テイチクエンタテインメントより発売したベストアルバム2作にはレーベルロゴと併せて事務所ロゴが付与されてある。事務所はKIX-S活動休止後に、関連会社のマニアマニアに吸収されている。
(14)^ ヒロ・グループは2004年にビクターエンタテインメント系列の関連会社4社と事業統合した上で、JVCエンタテインメント・ネットワークス株式会社になる。ビクターが資本を引き上げた事により2011年にタレントマネジメント部門は新設のハーキュリーズと音楽マネジメント部門はフォーミュラエンタテインメントにそれぞれ業務が引き継がれる事になる。網浜と飯島はハーキュリーズへ、亜蘭知子と田原俊彦はフォーミュラへそれぞれ移籍。2016年フォーミュラが行なっていたマネジメントは明石昌夫が所属しているジェイロックに移管される事になり、J-BRAVEが設立、現在に至る。尚、織田哲郎と相川七瀬はフォーミュラ時代から業務提携している。
(15)^ シングルでは﹁touch me, kiss me﹂から﹁口づけ﹂まで
(16)^ 愛内里菜、倉木麻衣、GARNET CROWの3組
(17)^ 同社の設立に関与したかつてのスタッフだった一人。退社後は上記のパブリック・イメージを設立し、同社所属歌手のサポートとして活動していた横関敦、神長弘一、須貝幸生を所属させた。
(18)^ 1990年代に関係が深く、1992~93年ごろのテレ朝系番組の主題歌およびテーマ曲に使っていた。特に、BAADと秋吉契里はテレビ朝日系主題歌の常連であった。
(19)^ かつてBeingが販売しているCD・DVDの製造を行っていた企業。小学館から販売受託されている名探偵コナンDVD・Blu-ray Discを除く。2015年9月撤退
(20)^ Beingが販売しているCD・DVD・Blu-ray Discならびに小学館から販売受託されている名探偵コナン関連のDVD・Blu-ray Discを製造している企業。
(21)^ 1990年代中盤、B-Gram RECORDSがCDのプレスを委託していた企業。DVDソフトに参入し始めた2000年から2004年までのDVDの製造を委託。
(22)^ 2004年から2007年までのDVDソフトの製造元。また2007年度に関しては、CDプレスも委託。
(23)^ Beingが販売しているソフトの物流ならびに商品管理を行っている。JVCケンウッドの元関連会社。