「つくば科学万博の交通」の版間の差分
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'''つくば科学万博の交通'''(つくばかがくばんぱくのこうつう)は、[[1985年]]([[昭和]]60年)[[3月17日]]から[[9月16日]]まで[[茨城県]][[筑波郡]][[谷田部町]](現 |
'''つくば科学万博の交通'''(つくばかがくばんぱくのこうつう)は、[[1985年]]([[昭和]]60年)[[3月17日]]から[[9月16日]]まで[[茨城県]][[筑波郡]][[谷田部町]](現:[[つくば市]])で開催された[[国際科学技術博覧会]](通称:つくば科学万博)の交通機関について解説する。 |
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[[File:EXPOLinerHM.JPG|right|thumb|320px|つくば科学万博マスコット「コスモ星丸」が描かれたエキスポライナーのヘッドマーク]] |
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== 会場アクセス == |
== 会場アクセス == |
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鉄道と道路のインフラが同時整備された。鉄道のメインルートは、万博開催期間限定で[[日本国有鉄道]]︵国鉄︶[[常磐線]]に設置された仮設臨時駅の'''万博中央駅'''で乗降し、2両連接バス﹁'''スーパーシャトル'''﹂に乗って万博会場北ゲートまで往復できた<ref name="iharaki19850316">﹁鉄道道路交通案内 会場周辺交通規制図﹂﹃[[茨城新聞|いはらき]]﹄ |
鉄道と道路のインフラが同時整備された。鉄道のメインルートは、万博開催期間限定で[[日本国有鉄道]](国鉄)[[常磐線]]に設置された仮設臨時駅の'''万博中央駅'''で乗降し、2両連接バス「'''スーパーシャトル'''」に乗って万博会場北ゲートまで往復できた<ref name="iharaki19850316">「鉄道道路交通案内 会場周辺交通規制図」『[[茨城新聞|いはらき]]』茨城新聞社、1985年3月16日付日刊、37面。</ref>。また、常磐線[[土浦駅]]<ref group="注釈">土浦駅は特急が利用できた。</ref>と常磐線[[牛久駅]]から会場間を往復する在来型[[シャトルバス]]が用意された<ref name="iharaki19850316"/>。このほかに、国鉄[[東北本線]][[古河駅]]から会場まで往復する国鉄バスも用意されていた<ref name="iharaki19850316"/>。 |
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いっぽう道路では、[[常磐自動車道]]をメインルートに、東京方面からは[[谷田部インターチェンジ]]を降りて[[サイエンス大通り]]を使うか、'''谷田部仮出口'''<ref group="注釈">万博中央駅同様、開催期間限定で常磐自動車道下り線に仮設出口が設けられた。</ref>を降りて[[国道408号]](牛久学園通り)を経て会場へと向かうルートと、水戸方面からは[[桜土浦インターチェンジ]]を降りて、[[学園東大通り]]と[[エキスポ大通り]]を経て会場へと向かうルートが、それぞれひと目でわかるように設置された案内標識により案内された<ref name="iharaki19850316"/>。団体バスは会場内駐車場を利用することができ、自家用車利用者は場外東駐車場に駐車して、東駐車場から会場までは「動く歩道」で移動できた<ref name="iharaki19850316"/>。 |
いっぽう道路では、[[常磐自動車道]]をメインルートに、東京方面からは[[谷田部インターチェンジ]]を降りて[[サイエンス大通り]]を使うか、'''谷田部仮出口'''<ref group="注釈">万博中央駅同様、開催期間限定で常磐自動車道下り線に仮設出口が設けられた。</ref>を降りて[[国道408号]](牛久学園通り)を経て会場へと向かうルートと、水戸方面からは[[桜土浦インターチェンジ]]を降りて、[[学園東大通り]]と[[エキスポ大通り]]を経て会場へと向かうルートが、それぞれひと目でわかるように設置された案内標識により案内された<ref name="iharaki19850316"/>。団体バスは会場内駐車場を利用することができ、自家用車利用者は場外東駐車場に駐車して、東駐車場から会場までは「動く歩道」で移動できた<ref name="iharaki19850316"/>。 |
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開催期間中の会場周辺およびアクセス路となる一般幹線道路や各交差点では、シャトルバスが時間に正確な運行ができるように、交通渋滞回避ための大規模な交通規制が敷かれた<ref name="iharaki19850316"/>。 |
開催期間中の会場周辺およびアクセス路となる一般幹線道路や各交差点では、シャトルバスが時間に正確な運行ができるように、交通渋滞回避ための大規模な交通規制が敷かれた<ref name="iharaki19850316"/>。 |
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=== 万博中央駅 === |
=== 万博中央駅 === |
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|4=万博開催を機に白色青帯へ塗装変更した415系電車 |
|4=万博開催を機に白色青帯へ塗装変更した415系電車 |
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国鉄常磐線牛久駅 - 荒川沖駅間︵牛久駅から4.0キロ、荒川沖駅から2.6キロ地点、現[[ひたち野うしく駅]]︶に開催直前の[[3月14日]]<ref group="注釈">[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|国鉄のダイヤ改正]]が同日であったため開幕3日前に先行開業。</ref>から閉幕日の[[9月16日]]まで[[臨時駅]]として'''万博中央駅'''︵ばんぱくちゅうおうえき、{{ |
国鉄常磐線牛久駅 - 荒川沖駅間︵牛久駅から4.0[[営業キロ|キロ]]、荒川沖駅から2.6キロ地点、現‥[[ひたち野うしく駅]]︶に開催直前の[[3月14日]]<ref group="注釈">[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|国鉄のダイヤ改正]]が同日であったため開幕3日前に先行開業。</ref>から閉幕日の[[9月16日]]まで[[臨時駅]]として'''万博中央駅'''︵ばんぱくちゅうおうえき、{{Lang-en-short|BAMPAKU-CHŪŌ STATION}}︶を設置した。万博客を迎える鉄道の表玄関となるため、1日最大20万人の乗降者に対応できるよう設計され、この当時の[[名古屋駅]]、[[京都駅]]にも匹敵する規模があった<ref name="iharaki19850308">﹁“国鉄パビリオン”万博中央駅﹂﹃いはらき﹄茨城新聞社、1985年3月8日付日刊、10-11面。</ref>。西口は、シャトルバスが発着する6本のバースと白や黄色の巨大テントが張られた待合広場があり、東口は、連接バス﹁スーパーシャトル﹂100台の待機場が併設された<ref name="iharaki19850308"/>。営業する国鉄は、マスコットマークや天井パネル、BGMでパビリオンさながらのムード作りをしたり、記念乗車券の発売を行ったりした<ref name="iharaki19850308"/>。
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* ホームは長さ |
* ホームは長さ310 mの相対式2面<ref name="iharaki19850308"/>。 |
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* [[跨線橋]]2基、出改札口を設置<ref name="iharaki19850308"/>。 |
* [[跨線橋]]2基、出改札口を設置<ref name="iharaki19850308"/>。 |
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* 構内には旅行センター国鉄直営売店を設置。 |
* 構内には旅行センター国鉄直営売店を設置。 |
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* 停車は7時30分 - 22時40分頃に発着する普通列車と後述の臨時快速列車「エキスポライナー」に限られ、特急列車はすべて通過。 |
* 停車は7時30分 - 22時40分頃に発着する普通列車と後述の臨時快速列車「エキスポライナー」に限られ、特急列車はすべて通過。 |
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万博閉幕後に取り壊される前提で建設され<ref name="iharaki19850308"/>、[[1982年]]︵昭和57年︶7月から約2年8 |
万博閉幕後に取り壊される前提で建設され<ref name="iharaki19850308"/>、[[1982年]]︵昭和57年︶7月から約2年8か月をかけて完成し、1985年︵昭和60年︶[[3月8日]]に関係者を集めた完成記念式典が行われた<ref name="iharaki19850309">﹁万博中央駅オープン - 鉄道観客輸送のかなめ﹂﹃いはらき﹄茨城新聞社、1985年3月9日付日刊、1面。</ref>。地元民は閉幕後も﹁万博中央駅﹂の恒久的存続を請願したものの、国鉄は設備が仮のものであるといった理由などで却下したため、この地に同駅が存在した証として牛久方の上下線間連絡用跨線橋を残すことを承諾させ、さらに﹁飛翔﹂と題された記念碑を設置した。
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臨時駅が開設・廃止されてから13年経った[[1998年]]︵[[平成]]10年︶3月14日、同駅設置場所を新たにひたち野うしく駅として開設。これに伴い万博中央駅営業当時からの跨線橋は撤去され、碑は牛久市役所にて保管後、ひたち野西公園︵現‥ひたち野みずべ公園︶へ移設されたが、[[2009年]]︵平成21年︶にひたち野うしく駅西口へ再移設された。駅舎正面にあった駅名看板は、非公開ではあるが現在も牛久市役所の倉庫に保管されている<ref>[http://portal.nifty.com/kiji/170515199624_2.htm 32年間眠りつづけたコスモ星丸を発掘した︵デイリーポータルZ︶]</ref>。
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==== エキスポライナー号 ==== |
==== エキスポライナー号 ==== |
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|6=「エキスポライナー」3態<br />キハ58系(上)<br />[[国鉄415系電車|415系電車]](中)<br />[[国鉄EF81形電気機関車|EF81 18]]+[[国鉄12系客車|12系客車]] |
|6=「エキスポライナー」3態<br />キハ58系(上)<br />[[国鉄415系電車|415系電車]](中)<br />[[国鉄EF81形電気機関車|EF81 18]]+[[国鉄12系客車|12系客車]] |
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[[上野駅]]・[[我孫子駅 (千葉県)|我孫子駅]]・[[取手駅]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]<ref group="注釈">大宮発着列車は[[武蔵野線]]経由で運転。</ref> - 万博中央駅・[[土浦駅]]間に、下り7時 - 16時台・上り12時 - 22時台に[[臨時列車|臨時]][[快速列車]]﹁'''エキスポライナー'''﹂が設定された。
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[[上野駅]]・[[我孫子駅 (千葉県)|我孫子駅]]・[[取手駅]]・[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]]<ref group="注釈">大宮発着列車は[[武蔵野線]]経由で運転。</ref> - 万博中央駅・[[土浦駅]]間に、下り7時 - 16時台・上り12時 - 22時台に[[臨時列車|臨時]][[快速列車]]﹁'''エキスポライナー'''﹂が設定された。
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; 停車駅(上野駅・我孫子駅・取手駅発着列車) |
; 停車駅(上野駅・我孫子駅・取手駅発着列車) |
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: 上野駅 - ([[日暮里駅]]) - ([[北千住駅]]) - ([[松戸駅]]) - ([[柏駅]]) - 我孫子駅 - 取手駅 - 万博中央駅 - 土浦駅 |
: 上野駅 - ([[日暮里駅]]) - ([[北千住駅]]) - ([[松戸駅]]) - ([[柏駅]]) - 我孫子駅 - 取手駅 - 万博中央駅 - 土浦駅 |
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:* ( |
:* ( )は一部の上野駅発着列車は通過。 |
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; 停車駅(大宮駅発着列車) |
; 停車駅(大宮駅発着列車) |
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: 大宮駅 - 我孫子駅 - 取手駅 - 万博中央駅 |
: 大宮駅 - 我孫子駅 - 取手駅 - 万博中央駅 |
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⚫ | * 開催直前の[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|1985年3月のダイヤ改正]]で、[[急行列車]]・[[寝台列車]]の削減<ref group="注釈">常磐・東北線の昼行電車急行はこの改正で全廃。</ref>による余剰捻出車も多数投入した。 |
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⚫ | ** 寝台車については、座席になっている[[寝台]]の組み立てを行うことが横行し、車内アナウンスで「寝台を組み立てないでください」と再三の注意喚起が行われた。 |
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⚫ | * 限られた交直流電車を有効活用<ref group="注釈">取手駅以南であれば大量に保有している直流電車での運用も可能であった</ref>するため、一部の列車は我孫子駅・取手駅のいずれかで折り返して上野・[[大手町駅 (東京都)|大手町]]方面の定期列車(快速・各駅停車)と「エキスポライナー」を接続させた。 |
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⚫ | 元々需要に反して列車本数が少なかった<ref>[http://www.city.ushiku.ibaraki.jp/section/syougai/bungei/siminteikyo/ushiku-old/photo-0556.html 牛久駅改札口付近1983年(牛久市民提供写真)] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20071024225614/http://www.city.ushiku.ibaraki.jp/section/syougai/bungei/siminteikyo/ushiku-old/photo-0556.html |date=2007年10月24日 }}<br />1983年時点で日中の普通列車は毎時1 - 2本程度</ref>取手駅 - 土浦駅間の利用客にとってエキスポライナーの運転は日常の需要に応える結果となり、利用率が良かった列車については博覧会終了後も毎日運転の予定臨時列車を経て定期列車化された。 |
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⚫ | *開催直前の[[1985年3月14日国鉄ダイヤ改正|1985年3月のダイヤ改正]]で、[[急行列車]]・[[寝台列車]]の削減<ref group="注釈">常磐・東北線の昼行電車急行はこの改正で全廃。</ref>による余剰捻出車も多数投入した。 |
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⚫ | **寝台車については、座席になっている[[寝台]]の組み立てを行うことが横行し、車内アナウンスで「寝台を組み立てないでください」と再三の注意喚起が行われた。 |
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⚫ | 元々需要に反して列車本数が少なかった<ref>[http://www.city.ushiku.ibaraki.jp/section/syougai/bungei/siminteikyo/ushiku-old/photo-0556.html 牛久駅改札口付近1983年(牛久市民提供写真)] {{ |
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==== エキスポドリーム号 ==== |
==== エキスポドリーム号 ==== |
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|4=「エキスポドリーム」2態<br />[[国鉄EF80形電気機関車|EF80 39]]+20系客車(上)<br />583系電車(下) |
|4=「エキスポドリーム」2態<br />[[国鉄EF80形電気機関車|EF80 39]]+20系客車(上)<br />583系電車(下) |
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万博会場付近は[[宿泊施設]]が不足していたため、[[6月1日]] |
万博会場付近は[[宿泊施設]]が不足していたため、[[6月1日]]から[[9月15日]]にかけ「エキスポライナー」で運用されていた寝台車の583系電車・20系客車を土浦駅で[[列車ホテル]]とし、翌朝、万博中央駅まで運転する「'''エキスポドリーム'''」を設定した<ref group="注釈">[[国鉄分割民営化]]後、[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)はこの事例を参考に「[[エキスポトレインわしゅう]]」・「[[ナインドリーム甲子園]]」を運転し、[[九州旅客鉄道]](JR九州)もこのような列車を運転していたことがある。</ref>。 |
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*同年8月の事例では、583系・20系共に土浦駅で21時37分 - 47分に客扱いを行い、その後留置線で翌朝まで待機。翌朝7時43分 - 7時53分に再び土浦駅で再度客扱いを行った後に万博中央駅に8時3分到着というダイヤであった。 |
* 同年8月の事例では、583系・20系共に土浦駅で21時37分 - 47分に客扱いを行い、その後留置線で翌朝まで待機。翌朝7時43分 - 7時53分に再び土浦駅で再度客扱いを行った後に万博中央駅に8時3分到着というダイヤであった。 |
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*寝台券は日本の[[鉄道駅|駅]]・[[旅行 |
* 寝台券は日本の[[鉄道駅|駅]]・[[旅行会社]]で土浦駅 - 万博会場駅間に有効な乗車券を持っている者に対してのみ販売されたが、均一3,000円とされた。 |
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**当時の[[B寝台]]料金は20系客車上中下段・583系電車の上中段が5,000円、583系電車下段が6,000円。 |
** 当時の[[B寝台]]料金は20系客車上中下段・583系電車の上中段が5,000円、583系電車下段が6,000円。 |
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*20系客車による列車は、土浦駅での入替による機回し省略の観点から、廃車が近いEF80形を両端に連結したプッシュプル運行とした。 |
* 20系客車による列車は、土浦駅での入替による機回し省略の観点から、廃車が近いEF80形を両端に連結した[[プッシュプル列車|プッシュプル運行]]とした。 |
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==== 割引乗車券やサービス ==== |
==== 割引乗車券やサービス ==== |
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;科学万博往復割引きっぷ |
; 科学万博往復割引きっぷ |
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: [[東北地方|東北]]から[[九州]]にかけての全国各駅より、牛久駅・万博中央駅・土浦駅のいずれかの区間までの往復[[特別企画乗車券]]。 |
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: 発駅により運賃のみのものから、[[新幹線]]・[[特別急行列車|特急列車]]の[[特別急行券|特急料金]]や寝台列車の[[寝台券|寝台料金]]を含んだものまで様々な種類が存在。
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;科学万博キャリーサービス |
; 科学万博キャリーサービス |
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: 駅に常駐している宅配業者に荷物を預けて宿まで運んでもらうか、逆に宿から駅まで荷物を送り、万博会場は荷物を持たずに見物できるようにしたシステムで[[東京駅]]・上野駅・土浦駅で取扱。 |
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=== スーパーシャトルバス === |
=== スーパーシャトルバス === |
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[[File:Expo-Super-Shuttle-Bus.jpg|thumb|right|200px|スーパーシャトルバス]] |
[[File:Expo-Super-Shuttle-Bus.jpg|thumb|right|200px|スーパーシャトルバス]] |
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万博中央駅から13キロメートル離れた会場までを結ぶアクセスバスとして、[[スウェーデン]]・[[ボルボ]]製[[ボルボ・B10M|B10M]](ボディは富士重工業 |
万博中央駅から13キロメートル離れた会場までを結ぶアクセスバスとして、[[スウェーデン]]・[[ボルボ]]製[[ボルボ・B10M|B10M]]︵ボディは[[スバルカスタマイズ工房|富士重工業]]製︶の[[連節バス]]を使用して運行<ref name="tachihara"/>。会場への所要時間は約20分<ref name="iharaki19850308"/>。全長17.99メートル{{Refnest|group="注釈"|このバスが、日本の公道を走ることは初めてのことで<ref name="iharaki19850308"/>、日本の車両制限の長さを70cmオーバーしていたが特別に認められた<ref name="tachihara">{{Cite journal ja-jp|author= いばらき建設技術研究会‥立原信永|year= 2002|title= 茨城の道路づくり|url= http://www.jsce-ibaraki.com/publication.htm|format= PDF|journal= いばらきの建設文化を語る懇談会 -現場における建設技術の継承を目指して-|publisher= 公益社団法人土木学会関東支部茨城会|page= 11}}</ref>。}}。
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{{refnest|group="注釈"|このバスが、日本の公道を走ることは初めてのことで<ref name="iharaki19850308"/>、日本の車両制限の長さを70cmオーバーしていたが特別に認められた<ref name="tachihara">{{Cite journal ja-jp|author= いばらき建設技術研究会;立原信永|year= 2002|title= 茨城の道路づくり|url= http://www.jsce-ibaraki.com/publication.htm|format= PDF|journal= いばらきの建設文化を語る懇談会 -現場における建設技術の継承を目指して-|publisher= 公益社団法人土木学会関東支部茨城会|page= 11}}</ref>。}}。
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乗車定員は162人(座席53人・立席108人・運転手1人)<ref name="iharaki19850308"/>。料金は大人600円、小人300円で<ref name="iharaki19850308"/>、支払いは会場の北ゲート入り口で行われた。運転手が後車室内の乗客の状況や車外後方の安全を確認するためのモニターテレビを有しており、バスの発着管理を効率よくさばくために、コンピュータを利用した運行管理システムを利用した。[[GPS]]の利用が軍事利用に限られていた当時としては画期的な[[バスロケーションシステム]]だった<ref>オーム社 新電気別冊科学万博ハイテクガイド 1985年3月15日</ref>。 |
乗車定員は162人︵座席53人・立席108人・運転手1人︶<ref name="iharaki19850308"/>。料金は大人600円、小人300円で<ref name="iharaki19850308"/>、支払いは会場の北ゲート入り口で行われた。運転手が後車室内の乗客の状況や車外後方の安全を確認するためのモニターテレビを有しており、バスの発着管理を効率よくさばくために、コンピュータを利用した運行管理システムを利用した。[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]の利用が軍事利用に限られていた当時としては画期的な[[バスロケーションシステム]]だった<ref>オーム社 ﹃新電気 別冊 科学万博ハイテクガイド﹄ 1985年3月15日</ref>。
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運行請負事業者(計31社、いずれも開催当時の社名)と担当車両数(計100台)を以下に示す<ref> |
運行請負事業者(計31社、いずれも開催当時の社名)と担当車両数(計100台)を以下に示す<ref>『[[バスラマ・インターナショナル]] SPECIAL8 [[富士重工業]]のバス事業』([[ぽると出版]])より。</ref>。このルートに関しては地域外の事業者が担い、[[関東鉄道]]など地元業者の担当はなかった。 |
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* [[新常磐交通|常磐交通自動車]] - 15台 |
* [[新常磐交通|常磐交通自動車]] - 15台 |
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* [[東武グループ]] |
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** [[東武バス|東武鉄道]] - 5台 |
** [[東武バス|東武鉄道]] - 5台 |
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** [[阪東自動車]] - 2台 |
** [[阪東自動車]] - 2台 |
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** [[朝日自動車グループ|キング観光バス]] - 1台 |
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* [[小田急グループ]] |
* [[小田急グループ]] |
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** [[神奈川中央交通]] - 5台 |
** [[神奈川中央交通]] - 5台 |
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* [[西武バス]] - 5台 |
* [[西武バス]] - 5台 |
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* [[京浜急行バス|京浜急行電鉄]] - 5台 |
* [[京浜急行バス|京浜急行電鉄]] - 5台 |
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* [[京成グループ]] |
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** [[京成バス|京成電鉄]] - 4台 |
** [[京成バス|京成電鉄]] - 4台 |
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** [[千葉交通]] - 4台 |
** [[千葉交通]] - 4台 |
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** [[千葉中央バス]] - 2台 |
** [[千葉中央バス]] - 2台 |
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** [[小湊 |
** [[小湊鉄道]] - 2台 |
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** [[成田観光自動車]] - 2台 |
** [[成田観光自動車]] - 2台 |
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* [[東都自動車グループ|東都観光バス]] - 4台 |
* [[東都自動車グループ|東都観光バス]] - 4台 |
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* [[ニッコー観光バス|日本交通]] - 2台 |
* [[ニッコー観光バス|日本交通]] - 2台 |
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* [[大阪バス|東京近鉄観光バス]] - 2台 |
* [[大阪バス|東京近鉄観光バス]] - 2台 |
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* [[ |
* [[kmモビリティサービス|ニュー東京観光バス]] - 2台 |
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* [[kmモビリティサービス|国際自動車(ケイエム観光)]] - 2台 |
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* [[kmモビリティサービス|藤田観光自動車]] - 2台 |
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* [[はとバス]] - 2台 |
* [[はとバス]] - 2台 |
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* [[日の丸自動車興業|東日本観光バス]] - 2台 |
* [[日の丸自動車興業|東日本観光バス]] - 2台 |
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* [[オーストラリア]]へ輸出…80台 |
* [[オーストラリア]]へ輸出…80台 |
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* 富士重工業伊勢崎製作所(現:[[桐生工業]]伊勢崎工場)で保存…1台 |
* 富士重工業伊勢崎製作所(現:[[桐生工業]]伊勢崎工場)で保存…1台 |
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: その後[[部品取り|部品供出]]の為に欠品がかなり目立つようになり、[[2000年]]頃に解体。 |
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* [[東京空港交通]]へ譲渡…19台 |
* [[東京空港交通]]へ譲渡…19台 |
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: 運行路線が限定されている連接バスのため運用上のデメリット<ref group="注釈">連節バスは全長が日本の保安基準で定められている12mを越えるなどの特殊構造のため、道路運送法に基づく国土交通省運輸局の特例措置を受け、使用路線を限定して運行される。更に、非常時の迂回路や新規路線への投入にはその都度実車による検証と認可が必要となる。</ref>が多く、のちに運行を廃止。[[成田国際空港|成田空港]]ランプバスに転用。
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:* [[1999年]]に3台が[[旭川電気軌道]]に移籍([[2004年]][[廃車 (自動車)|廃車]])。 |
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:* [[1993年]]廃車の3台︵750, 751, 752︶について、750は[[埼玉県]]の中古車販売店に留置されたのち、[[2008年]]、[[バスファン|バス愛好家]]団体﹁[[アキバエクスプレス]]﹂が[[動態保存]]用に1台購入。751, 752は倉庫代わりとして売却後、751は[[2011年]]に同団体が[[部品取り]][[動態保存]]用に購入。750, 751とも動態車である<ref>[http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/central/utsunomiya/news/20100409/307279 下野新聞2010年4月10日付け18日未明に18メートルの﹁連節バス﹂試運転 宇都宮の愛好家] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100907074630/http://www.shimotsuke.co.jp/town/region/central/utsunomiya/news/20100409/307279 |date=2010年9月7日 }}</ref><ref>[http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/region/news/20100421/312313 下野新聞2010年4月21日付け 連節バス無難に走行 宇都宮で試運転] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20100907073915/http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/region/news/20100421/312313 |date=2010年9月7日 }}</ref><ref group="注釈">しかし代表者が不祥事で逮捕されたため、現在の所在は不明である。</ref>。倉庫として残っている752も現存している。
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=== その他のバス === |
=== その他のバス === |
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万博中央駅以外にも周辺駅から連絡バスが会場まで運行されていた。こちらは日頃から地元・県南県西地域で乗合バスを運行している各事業者が輸送を担当し、各社とも新車を投入した。国鉄︵土浦自動車営業所︶・関東鉄道︵谷田部営業所→現在の[[関東鉄道つくば中央営業所|つくば中央営業所]]・[[関東鉄道土浦営業所|土浦営業所]]︶・[[茨城観光自動車]]︵下高津営業所・竜ヶ崎営業所︶・[[大利根交通自動車]]・[[東武バス|東武鉄道]]︵境営業所︶の各社である。
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万博中央駅以外にも周辺駅から連絡バスが会場まで運行されていた。こちらは日頃から地元・県南県西地域で乗合バスを運行している各事業者が輸送を担当し、各社とも新車を投入した。国鉄︵土浦自動車営業所︶・関東鉄道︵谷田部営業所→現在の[[関東鉄道つくば中央営業所|つくば中央営業所]]・[[関東鉄道土浦営業所|土浦営業所]]︶・[[茨城観光自動車]]︵下高津営業所・竜ヶ崎営業所︶・[[大利根交通自動車]]・[[東武バス|東武鉄道]]︵境営業所︶の各社である。
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* 土浦駅 |
* 土浦駅 |
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: 3 - 10分間隔・所要約30分 |
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* 牛久駅 |
* 牛久駅 |
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: 30 - 60分間隔・所要約30分 |
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* [[関東鉄道]][[関東鉄道常総線|常総線]] [[水海道駅]] |
* [[関東鉄道]][[関東鉄道常総線|常総線]] [[水海道駅]] |
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: 10 - 40分間隔(多客期3 - 7分間隔)・所要約30分 |
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* 古河駅 |
* 古河駅 |
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: 座席定員制「エキスポ号」を1日4往復・所要1時間20分 |
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* [[つくばセンター|つくばセンターバスターミナル]] |
* [[つくばセンター|つくばセンターバスターミナル]] |
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: 開催3日前︵3月14日︶に開設を間に合わせたバスターミナル。[[新治郡]][[桜村 (茨城県)|桜村]][[吾妻 (つくば市)|吾妻]]1丁目︵現‥つくば市吾妻1丁目︶の[[つくばセンタービル]]前に所在。この地は万博開催前後に学園都市の中心地として成立した。当時はまだ[[つくば駅]]がなく、高速バスも運行されていなかった。
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: 3 - 10分間隔・所要約10分 |
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=== オフィシャル・エアライン === |
=== オフィシャル・エアライン === |
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[[File: Japan Airlines JA8119.jpg |thumb|right|200px|JA8119 [[ボーイング747|B747-SR46]]<br />万博ロゴマーク<br />(日本航空123便墜落事故当該機)]] |
[[File: Japan Airlines JA8119.jpg |thumb|right|200px|JA8119 [[ボーイング747|B747-SR46]]<br />万博ロゴマーク<br />(日本航空123便墜落事故当該機)]] |
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[[日本航空]]が﹁オフィシャル・エアライン﹂となり、ほぼすべての機材に万博のロゴマークを入れて運行したほか、多くのパッケージツアーを主催した。一方で、開催期間中の[[8月12日]]に[[日本航空123便墜落事故]]が発生。この事故で死亡した者の中には、 |
[[日本航空]]が﹁オフィシャル・エアライン﹂となり、ほぼすべての機材に万博のロゴマークを入れて運行したほか、多くのパッケージツアーを主催した。一方で、開催期間中の[[8月12日]]に[[日本航空123便墜落事故|墜落事故]]が発生。この事故で死亡した者の中には、万博帰りの観光客も多数いた。
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=== ヘリコプター === |
=== ヘリコプター === |
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[[東亜国内航空]]・[[朝日航洋]]・[[新日本国内航空]]により、[[東京国際空港]]・[[東京ヘリポート]]・新東京国際空港(現 |
[[東亜国内航空]]・[[朝日航洋]]・[[新日本国内航空]]により、[[東京国際空港]]・[[東京ヘリポート]]・新東京国際空港(現:[[成田国際空港]])などから万博会場へ[[ヘリコプター]]便が運行されていた。飛行時間は30分以内で料金は13,800 - 19,580円。会場のヘリポートからは西口ゲートまでバスで送迎された。バスの乗車時間は約8分。[[つくばヘリポート]]は未開業。 |
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== 会場内交通機関 == |
== 会場内交通機関 == |
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|6=ビスタライナー<br />(エキスポランド移設後) |
|6=ビスタライナー<br />(エキスポランド移設後) |
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[[HSST]]方式[[磁気浮上式鉄道]]。当博覧会期間中は試験車両のHSST-03を使用してデモ運行を行った。HSSTは、[[2005年]]開催の[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]に先立って開通した[[愛知高速交通東部丘陵線]]で実用化された。
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[[HSST]]方式[[磁気浮上式鉄道]]。当博覧会期間中は試験車両のHSST-03を使用してデモ運行を行った。HSSTは、[[2005年]]開催の[[2005年日本国際博覧会|愛知万博]]に先立って開通した[[愛知高速交通東部丘陵線|リニモ]]で実用化された。
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* 駅舎はDブロックにあり、[[軌道]]のほとんどはAブロックにあった。直線の約350メートルのコースを約4分で1往復し、最高時速は30キロだった<ref name="茨城新聞19850103">「HSST - 地表を飛ぶ」いばらき新時代-2-『[[茨城新聞|いはらき]]』[[茨城新聞社]]、1985年1月3日付日刊、1面。</ref>。 |
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* 駅舎はDブロックにあり、[[軌道 (鉄道)|軌道]]のほとんどはAブロックにあった。直線の約350メートルのコースを約4分で1往復し、最高時速は30キロだった<ref name="茨城新聞19850103">﹁HSST - 地表を飛ぶ﹂いばらき新時代-2-﹃いはらき﹄茨城新聞社、1985年1月3日付日刊、1面。</ref>。
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* 運賃は4歳以上12歳未満で300円。12歳以上は500円<ref name="茨城新聞19850131">﹁ちょっぴり高め?乗り物料金﹂科学万博 つくば'85﹃いはらき﹄茨城新聞社、1985年1月31日付日刊、1面。</ref>。
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* 全長13.8メートル。幅2.95メートル。高さ3メートル。重量約12トン。47人乗り<ref name="茨城新聞19850103"/>。車体は[[アルミニウム合金]]と床材に[[炭素繊維]]強化の表皮材を用いた[[ハニカム]]サンドイッチ材。 |
* 全長13.8メートル。幅2.95メートル。高さ3メートル。重量約12トン。47人乗り<ref name="茨城新聞19850103"/>。車体は[[アルミニウム合金]]と床材に[[炭素繊維]]強化の表皮材を用いた[[ハニカム]]サンドイッチ材。 |
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* 閉幕後は翌年の[[バンクーバー国際交通博覧会]]に出展。その後は、岡崎葵博で展示・走行のあとに[[動態保存]]されたが、現在では[[愛知県]][[岡崎市]]の[[南公園 (岡崎市)|南公園]]で展示されている。
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* 閉幕後は翌年の[[バンクーバー国際交通博覧会]]に出展。その後は、岡崎葵博で展示・走行のあとに[[動態保存]]されたが、現在では[[愛知県]][[岡崎市]]の[[南公園 (岡崎市)|南公園]]で展示されている。
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=== ビスタライナー === |
=== ビスタライナー === |
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Cブロック北ゲート - Dブロックエキスポプラザの間を連絡するコンピュータ制御のミニ[[モノレール]]。4人乗り[[観覧車]]に似たかご形車両17両連結で4編成が[[泉陽興業]]で製造された。 |
Cブロック北ゲート - Dブロックエキスポプラザの間を連絡するコンピュータ制御のミニ[[モノレール]]。4人乗り[[観覧車]]に似たかご形車両17両連結で4編成が[[泉陽興業]]で製造された。 |
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*スポンサーロゴが2両目の機械室下と各車両の乗降扉に記され、白い車体の下には単色の帯を纏った。 |
* スポンサーロゴが2両目の機械室下と各車両の乗降扉に記され、白い車体の下には単色の帯を纏った。 |
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: スポンサーとなった企業は(カッコ内は帯の色)、[[麒麟麦酒|キリンビール]](オレンジ・2編成)・[[森永製菓]](黄色)・[[日清食品]](水色)の3社。 |
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*運賃は大人500円、子供300円<ref name="茨城新聞19850131"/>。 |
* 運賃は大人500円、子供300円<ref name="茨城新聞19850131"/>。 |
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*終了後、2編成が緑色の帯に塗り替えられ、[[1970年]]に[[大阪府]]で開催された[[日本万国博覧会]]の跡地である[[万博記念公園]]内「[[エキスポランド]]」へ移設された<ref group="注釈">スポンサーは[[富士フイルム]]。</ref>。 |
* 終了後、2編成が緑色の帯に塗り替えられ、[[1970年]]に[[大阪府]]で開催された[[日本万国博覧会]]の跡地である[[万博記念公園]]内「[[エキスポランド]]」へ移設された<ref group="注釈">スポンサーは[[富士フイルム]]。</ref>。 |
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=== スカイライド === |
=== スカイライド === |
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=== ポレポレバス === |
=== ポレポレバス === |
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[[トヨタ自動車]]製[[マイクロバス]]「[[トヨタ・コースター|コースター]]」をベースにした会場内巡回バス。 |
[[トヨタ自動車]]製[[マイクロバス]]「[[トヨタ・コースター|コースター]]」をベースにした会場内巡回バス。 |
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*「ポレポレ」とは、[[スワヒリ語]]で「ゆっくり」という意味。 |
* 「ポレポレ」とは、[[スワヒリ語]]で「ゆっくり」という意味。 |
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*運賃は大人200円、子供100円。身障者や高齢者への利用サービスを考えて、唯一、会場内の他の乗物よりも安く抑えて設定された<ref name="茨城新聞19850131"/>。
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* 運賃は大人200円、子供100円。身障者や高齢者への利用サービスを考えて、唯一、会場内の他の乗物よりも安く抑えて設定された<ref name="茨城新聞19850131"/>。
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*通常会場内は自動車の走行がないため、注意を促す意味から[[童謡]]「かっこう」のメロディーを流して走行した。 |
* 通常会場内は自動車の走行がないため、注意を促す意味から[[童謡]]「かっこう」のメロディーを流して走行した。 |
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*[[ワンマン運転]]のため、乗務員が |
* [[ワンマン運転]]のため、乗務員が停留所での運賃収受や[[車椅子]]の乗降補助を容易にする観点から左ハンドルを採用した。 |
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*8台中4台は、車椅子乗降リフト付き車両でフロント部分を除き窓ガラスがなかったため、雨天・荒天時は運休するケースもあった。 |
* 8台中4台は、車椅子乗降リフト付き車両でフロント部分を除き窓ガラスがなかったため、雨天・荒天時は運休するケースもあった。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 関連項目 == |
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* [[大阪万博の交通]] |
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* [[沖縄県の鉄道#沖縄海洋博で会場内を運行した新交通システム|沖縄海洋博で会場内を運行した新交通システム]] |
* [[沖縄県の鉄道#沖縄海洋博で会場内を運行した新交通システム|沖縄海洋博で会場内を運行した新交通システム]] |
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* [[国際花と緑の博覧会#会場への交通|花の万博の交通]] |
* [[国際花と緑の博覧会#会場への交通|花の万博の交通]] |
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* [[土浦ニューウェイ]] |
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|1-7= 1985年開業の鉄道駅 |
|1-7= 1985年開業の鉄道駅 |
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|1-8= 1985年廃止の鉄道駅 |
|1-8= 1985年廃止の鉄道駅 |
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|1-9= つくば科学万博 |
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|1-10= 牛久市の交通 |
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|1-11= 牛久市の建築物 |
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{{デフォルトソート:つくはかかくはんはくのこうつう}} |
{{デフォルトソート:つくはかかくはんはくのこうつう}} |
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[[Category:つくば科学万博|こうつう]] |
[[Category:つくば科学万博|こうつう]] |
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[[Category:茨城県の交通史]] |
[[Category:茨城県の交通史]] |
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[[Category:つくば市の歴史]] |
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[[Category:牛久市の歴史]] |
[[Category:牛久市の歴史]] |
2023年12月10日 (日) 04:13時点における最新版
会場アクセス[編集]
鉄道と道路のインフラが同時整備された。鉄道のメインルートは、万博開催期間限定で日本国有鉄道︵国鉄︶常磐線に設置された仮設臨時駅の万博中央駅で乗降し、2両連接バス﹁スーパーシャトル﹂に乗って万博会場北ゲートまで往復できた[1]。また、常磐線土浦駅[注釈 1]と常磐線牛久駅から会場間を往復する在来型シャトルバスが用意された[1]。このほかに、国鉄東北本線古河駅から会場まで往復する国鉄バスも用意されていた[1]。 いっぽう道路では、常磐自動車道をメインルートに、東京方面からは谷田部インターチェンジを降りてサイエンス大通りを使うか、谷田部仮出口[注釈 2]を降りて国道408号︵牛久学園通り︶を経て会場へと向かうルートと、水戸方面からは桜土浦インターチェンジを降りて、学園東大通りとエキスポ大通りを経て会場へと向かうルートが、それぞれひと目でわかるように設置された案内標識により案内された[1]。団体バスは会場内駐車場を利用することができ、自家用車利用者は場外東駐車場に駐車して、東駐車場から会場までは﹁動く歩道﹂で移動できた[1]。 開催期間中の会場周辺およびアクセス路となる一般幹線道路や各交差点では、シャトルバスが時間に正確な運行ができるように、交通渋滞回避ための大規模な交通規制が敷かれた[1]。万博中央駅[編集]
エキスポライナー号[編集]
エキスポドリーム号[編集]
割引乗車券やサービス[編集]
科学万博往復割引きっぷ 東北から九州にかけての全国各駅より、牛久駅・万博中央駅・土浦駅のいずれかの区間までの往復特別企画乗車券。 発駅により運賃のみのものから、新幹線・特急列車の特急料金や寝台列車の寝台料金を含んだものまで様々な種類が存在。 科学万博キャリーサービス 駅に常駐している宅配業者に荷物を預けて宿まで運んでもらうか、逆に宿から駅まで荷物を送り、万博会場は荷物を持たずに見物できるようにしたシステムで東京駅・上野駅・土浦駅で取扱。スーパーシャトルバス[編集]
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