千秋公園
千秋公園 | |
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胡月池 | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 | |
座標 | 北緯39度43分20秒 東経140度7分26秒 / 北緯39.72222度 東経140.12389度 |
面積 | 16.29ヘクタール |
設計者 | 長岡安平 |
運営者 | 秋田市 |
駐車場 | 14台(30分100円のコインパーキング) |
告示 | 1896年(明治29年) |
公式サイト | 秋田市のサイト |
千秋公園︵せんしゅうこうえん︶は、秋田県秋田市の久保田城跡にある都市公園︵総合公園︶及び地名である[1]。﹁千秋公園︵久保田城跡︶﹂として秋田市指定名勝に指定されている[2][3]。
概要[編集]
久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された。面積は16.29ha。名称は秋田市出身の漢学者狩野良知による命名︵当初は﹁千秋園﹂[4]︶で、秋田の﹁秋﹂に長久の意の﹁千﹂を冠し、長い繁栄を祈ったものと伝えられる。 園内には緑が多く、復元された久保田城御隅櫓・本丸表門が藩政時代の雰囲気を今に伝えるほか、園内にはあきた芸術劇場ミルハスや秋田市立中央図書館明徳館、秋田市文化創造館、秋田市立佐竹史料館などがある。 また与次郎稲荷神社、八幡秋田神社、彌高神社などの神社も園内に所在する。歴史[編集]
公園となる以前や復元建造物については「久保田城#歴史・沿革」を参照
●1890年︵明治23年︶ - 陸軍省から旧藩主の佐竹氏へ城跡が払い下げられ、うち本丸・二の丸を秋田市が佐竹氏から借り受け公園とする。
●1892年︵明治25年︶
●羽生氏熟ら旧藩士による﹁有終会﹂が、秋田市に桜の苗木1170株を寄付する[5]。
●6月26日 - 保戸野金砂町にあった与次郎稲荷神社が本丸に移転してくる。
●1896年︵明治29年︶ - 秋田市から秋田県へ移管。長岡安平の設計により整備される。
●1899年︵明治32年︶5月 - 東根小屋町︵現在の中通二丁目︶にあった八幡神社と秋田神社が本丸に移転してくる。
●1907年︵明治40年︶12月 - 八幡神社と秋田神社を合祀し、八幡秋田神社と改称する。
●1909年︵明治42年︶ - 三ノ丸八幡山の八幡神社︵藩政期の正八幡社︶社殿を秋田県教育会が購入・修繕し、南秋田郡寺内村八橋の日吉八幡神社境内にあった平田神社を移転。更に佐藤信淵を合祀し、彌高神社と改称する。
●1913年︵大正3年︶ - 渋江政光君三百年祭記念碑建立︵秋田藩家老の記念碑。後に2020年度林業遺産の一つに認定[6]︶
●1916年︵大正5年︶ - 彌高神社が二ノ丸厩門前︵現在地︶に移転する。
●1950年︵昭和25年︶10月 - 秋田県児童会館付属動物園︵後の大森山動物園︶が開園する。
●1953年︵昭和28年︶4月1日 - 秋田市に移管。動物園を秋田市児童動物園と改称する。
●1966年︵昭和41年︶4月1日 - 付近の地名が千秋公園と改称される︵後述︶。
●1970年︵昭和45年︶10月19日 - 動物園からライオンが逃走。園内のトイレに逃げ込んだところを射殺[7]。
●1972年︵昭和47年︶9月1日 - 動物園が秋田市浜田の大森山に移転する。
●1984年︵昭和59年︶ - 前年12月に没した佐竹宗家第35代︵旧侯爵4代︶・佐竹義栄の遺志に従い、公園用地︵約14.6ha︶が佐竹氏から秋田市へ寄贈される。
●1990年︵平成2年︶ - 財団法人日本さくらの会によって日本さくら名所100選に選定される。
●2005年︵平成17年︶1月9日 - 八幡秋田神社が放火により焼失する。
●2008年︵平成20年︶3月25日 - 公園が秋田市指定名勝に指定される[3]。
●2008年︵平成20年︶12月 - 八幡秋田神社を再建する。
●2022年︵令和4年︶12月12日 - 秋田県の﹁未来に伝えたい秋田のインフラ50選﹂に千秋公園︵公園︶が選出される[8]。
つつじまつり
●桜まつり︵4月中旬~下旬︶
●つつじまつり︵5月中旬~下旬︶
イベント[編集]
アクセス[編集]
鉄道 JR秋田新幹線・奥羽本線・羽越本線 秋田駅から徒歩で約5分。 車 秋田自動車道秋田中央ICから約15分。 バス 秋田中央交通﹁千秋公園入口﹂バス停[9]、または﹁千秋久保田町﹂[10]バス停で下車。地名としての千秋公園[編集]
詳細は「千秋 (秋田市)」を参照
1966年(昭和41年)4月1日、住居表示導入に伴い町名整理が行われ、公園内(現在の明徳小学校敷地を含む)の地名が「千秋公園」となった。他にも公園周辺に「千秋」を冠した地名が新たに作られ、総じて「千秋地区」とされる。
脚注[編集]
(一)^ 都市公園明細表︵秋田市︶
(二)^ 秋田市内指定文化財等件数一覧表 - ﹁指定文化財一覧表﹂︵Excelデータ︶秋田市公式HP
(三)^ ab﹁千秋公園の概要﹂秋田市公式HP
(四)^ 明徳館の最高職である第4代酒祭の野上国佐の号が千秋園であった。
(五)^ 2008年時点で園内に存在する桜771株のほとんどが明治期に有終会によって寄付されたものとされ、樹齢の限界を迎えており[1][リンク切れ]、2020年時点では毎年10株前後の新規植栽を行っている[2]。
(六)^ “2020年度林業遺産︵No.43︶秋田藩家老渋江政光の林業思想に関する古文書及び石碑”. 日本森林学会 (2021年). 2021年6月19日閲覧。
(七)^ 老ライオンあわれ オリから逃げて射殺 繁華街近く、一時大騒ぎ﹃朝日新聞﹄1970年︵昭和45年︶10月19日夕刊3版11面
(八)^ 本多恒顕﹁知恵と工夫﹁未来に伝えたい﹂県、インフラ50選を発表 小中学校に冊子配布へ﹂﹃秋田魁新報﹄2022年12月13日、3面。
(九)^ 多くの路線が経由するが、秋田駅西口の次の停留所である
(十)^ 秋田駅西口から秋田駅の北東側へ向かう路線が経由するが、秋田駅西口の次の停留所である