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[[東京府]][[本郷 (文京区)|本郷]]に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である[[岡山県]][[備前市]]︵現在[[法鏡寺 (備前市)|法鏡寺]]がある場所︶で祖母に育てられた。[[岡山県立和気閑谷高等学校|閑谷中学校]]を経て、[[青山学院]]高等商業部に進むが、[[結核#肺結核|肺結核]]のため中退。療養生活を続けながら雑誌社で編集を手伝う傍ら、[[外村繁]]に投書雑誌の選者をしていた縁で師事して創作活動を行い、同人誌﹃曙﹄を発行。1945年の[[岡山空襲]]で吉備津に疎開、戦後は[[倉敷市]]に移り、同人誌﹃文学祭﹄を発行。これに掲載した﹁煉獄の曲﹂が[[河盛好蔵]]に認められる。
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1946年に外村繁の雑誌『素直』に「破倫」、また河盛の推薦で『[[新潮]]』に「永夜」、『新生』に「初花」を発表。この頃は骨董屋になろうとしていたが、翌年[[奥津温泉]]を舞台にした美しい文章の恋愛小説「秋津温泉」を発表し、文壇での評価を得て、1948年に上京して外村の家に下宿しながら本格的に作家活動に入る。[[新宿]]で焼け跡闇市派作家として[[酒]]と[[麻雀]]の放蕩無頼の生活をしつつ、話題作「魔子を待つ間」などを発表するが、肺結核が再発して入院。[[1950年]]に2度の大手術で肋骨8本を切除する。この1952年までの入院期期間中にも入院費の捻出と妻子への仕送りのために小説を書き続け、中間小説誌ブームに乗って社会派風俗小説の書き手となる。 |
1946年に外村繁の雑誌『素直』に「破倫」、また河盛の推薦で『[[新潮]]』に「永夜」、『新生』に「初花」を発表。この頃は骨董屋になろうとしていたが、翌年[[奥津温泉]]を舞台にした美しい文章の恋愛小説「秋津温泉」を発表し、文壇での評価を得て、1948年に上京して外村の家に下宿しながら本格的に作家活動に入る。[[新宿]]で焼け跡闇市派作家として[[酒]]と[[麻雀]]の放蕩無頼の生活をしつつ、話題作「魔子を待つ間」などを発表するが、肺結核が再発して入院。[[1950年]]に2度の大手術で肋骨8本を切除する。この1952年までの入院期期間中にも入院費の捻出と妻子への仕送りのために小説を書き続け、中間小説誌ブームに乗って社会派風俗小説の書き手となる。 |
2017年12月19日 (火) 01:28時点における版
藤原 審爾︵ふじわら しんじ、1921年︵大正10年︶3月7日 - 1984年︵昭和59年︶12月20日︶[1]は、日本の小説家。純文学から中間小説、エンターテイメントまで幅広い作品で活躍し、﹁小説の名人﹂の異名を取った。初期の代表作﹃秋津温泉﹄や、﹃泥だらけの純情﹄﹃新宿警察﹄など、映画、ドラマ化された作品も数多い。
経歴
東京府本郷に生まれる。3歳で母と生別、6歳で父と死別し、父の郷里である岡山県備前市︵現在法鏡寺がある場所︶で祖母に育てられた。閑谷中学校を経て、青山学院高等商業部に進むが、肺結核のため中退。療養生活を続けながら雑誌社で編集を手伝う傍ら、外村繁に投書雑誌の選者をしていた縁で師事して創作活動を行い、同人誌﹃曙﹄を発行。1945年の岡山空襲で吉備津に疎開、戦後は倉敷市に移り、同人誌﹃文学祭﹄を発行。これに掲載した﹁煉獄の曲﹂が河盛好蔵に認められる。 1946年に外村繁の雑誌﹃素直﹄に﹁破倫﹂、また河盛の推薦で﹃新潮﹄に﹁永夜﹂、﹃新生﹄に﹁初花﹂を発表。この頃は骨董屋になろうとしていたが、翌年奥津温泉を舞台にした美しい文章の恋愛小説﹁秋津温泉﹂を発表し、文壇での評価を得て、1948年に上京して外村の家に下宿しながら本格的に作家活動に入る。新宿で焼け跡闇市派作家として酒と麻雀の放蕩無頼の生活をしつつ、話題作﹁魔子を待つ間﹂などを発表するが、肺結核が再発して入院。1950年に2度の大手術で肋骨8本を切除する。この1952年までの入院期期間中にも入院費の捻出と妻子への仕送りのために小説を書き続け、中間小説誌ブームに乗って社会派風俗小説の書き手となる。 1952年、﹁罪な女﹂﹁斧の定九郎﹂﹁白い百足虫﹂で第27回直木賞を受賞[2]。この頃親友の戸石泰一のつながりで日ソ図書館の文学学校や中央労働学院の講師、また雑誌﹃文学の友﹄︵旧﹃人民文学﹄︶の編集委員も勤めた。占領軍による暴行、陵辱事件を扱った﹁裏切られた女達﹂を1955年に﹃小説公園﹄に連載︵後に﹃みんなが見ている前で﹄として出版︶。また﹃赤い殺意﹄﹃恐喝こそわが人生﹄などのサスペンス小説、犯罪小説を量産した。1962年、﹁殿様と口紅﹂で小説新潮賞受賞。 1970年頃から、﹃赤い標的﹄﹃薄毛の女﹄などのスパイ小説、﹃総長への道﹄﹃昭和水滸伝﹄などの仁侠ものを発表。1972年﹁狼よ、はなやかに翔べ﹂に始まる、﹃熊鷹-青空の美しき狩人﹄などの動物小説などを発表。1977年以降﹃死にたがる子﹄﹃落ちこぼれ家庭﹄﹃結婚の資格﹄など、家庭の問題をテーマとした、社会性の強い作品を手がける。﹃みんなが見ている前で﹄﹃不良外人白書﹄などのドキュメンタリー風作品、﹃ろくでなしはろくでなし﹄、短編集﹃拳銃の詩﹄などのハードボイルド小説、﹃さきに愛ありて﹄などの教養小説、恋愛小説、﹃三行人生﹄﹃わが国おんな三割安﹄などのユーモア小説、﹃天才投手﹄などのスポーツ小説、﹃武士道地獄﹄などの歴史・時代小説、﹃藤十郎狸武勇伝﹄﹃妖怪の人間狩り﹄などの幻想的な作品もある。﹁庭にひともと白木蓮﹂は山田洋次により﹃馬鹿まるだし﹄として映画化されて﹁馬鹿シリーズ﹂に続き、本作でのエピソードを積み重ねる手法は﹃男はつらいよ﹄シリーズにも踏襲された。﹃わが国おんな三割安﹄中の作品は、松竹の﹁喜劇・女シリーズ﹂として3作が映画化されている。 1950年代から﹁藤原学校﹂と呼ばれる勉強会を自宅で開き、三好京三、山田洋次、江國滋、色川武大、高橋治らの後進を育てた。 ライフワークとして﹃宮本武蔵﹄の執筆を進める中、1984年に癌で入院し、4ヶ月の入院生活の後に死去。娘の真理は女優藤真利子。主な著作
秋津温泉と初期作品
1947年に発表して、作家としての地位を得るきっかけとなるとともに、初期の代表作として挙げられる。戦時中の21歳頃から書き進めていて、1947年に前半を﹃人間別冊﹄に、後半を﹃別冊文藝春秋﹄に掲載。1948年、講談社の新鋭文学選書として刊行された。加筆したものを1949年に新潮社より刊行。1988年に集英社文庫刊。 作者自身にも重なる境遇の、両親のない17歳の少年が伯母に連れられて山奥の秋津の温泉宿を訪れ、3年後、その5年後、また8年後と繰り返し秋津を訪れながら、そこで出会った女性と、妻子を持つ身となっていく主人公の関わりを叙情的に描いている。井伏鱒二は﹁底抜けに詩情ゆたかな筆致﹂﹁戦後の混乱した世相と対蹠的で特に引きたった﹂と評している。舞台の秋津温泉は、岡山県の奥津温泉がモデルの架空の地名で、また藤原が伯母に連れられて湯治に訪れていた紀州の温泉もモデルの一つ[3]。この伯母と思われる人物を描く短編﹁紅顔﹂(1948)もある。 1962年、松竹にて岡田茉莉子の企画・主演、吉田喜重監督で映画化された。 本作や﹁愛撫﹂、新宿の飲み屋の魔子を愛する経緯を描いた連作﹁魔子シリーズ﹂など私小説的な初期作品は、心理主義、文体と情感で読ませる作風と言われる。﹁魔子シリーズ﹂は妻子を岡山の実家に帰して東京で執筆を続ける作家である﹁私﹂が、屋台にいる若い女魔子と愛し合うようになり、一時帰郷した岡山から魔子に手紙を書く﹁魔子への手紙﹂、屋台で酒を飲みながら魔子に耽溺していく自分をみつめている﹁魔子を待つ間﹂、魔子の家族にも二人の関係が知れて﹁私﹂は別離の予感も覚えながら仕事のために転居するが、その宿へ魔子が訪れて来る﹁初夜﹂の3作がある。また昭和29年までについての自伝的作品として﹃愛の夜 孤独の夜﹄がある。- 『秋津温泉』講談社 1948(加筆版 新潮社, 1949)
- 『初花』桜井書店 1947(短編集)
- 『浮寝』改造社 1948
- 『藤の実の落ちる季節』改造社 1949
- 『魔子』世界社 1950 (「魔子への手紙」「魔子を待つ間」「初夜」)
新宿警察
「新宿警察」も参照
新宿にある架空の警察署﹁新宿警察﹂を舞台に、根来刑事を初めとする刑事たちの活躍を描く警察小説。エド・マクベインの87分署シリーズのように複数の刑事達の行動が並行して描かれるスタイルで、﹁日本の87分署﹂とも言われる。1975年に﹁新宿警察﹂としてテレビドラマ化された。執筆当初は実際には新宿の警察署は淀橋警察署という名前で、新宿警察署というのは実在しない架空の警察署だった。自身では﹁ある時会った所轄の刑事たちが〜燃えるような情熱をもっていることを知って、わたしはそれにうたれた﹂のを契機に書き始めたと述べている[4]。
●﹃新宿警察﹄ 報知新聞社 1968年︵短編集︶
●﹃新宿警察 新宿広場﹄ 報知新聞社 1969年︵短編集︶
●﹃マリファナ﹄ 双葉社 1972︵短編集︶
●﹃新宿真夜中ソング﹄ 桃園書房 1974年 ︵短編集︶
●﹃新宿警察﹄双葉社 1975年︵短編集︶
●﹃夜だけの恋﹄双葉社 1975年 のち角川文庫︵﹃漫画サンデー﹄1970/1/7・15合併号-8/8号に連載、連載時題は﹁新宿その暗黒の恋﹂︶
●﹃続新宿警察﹄双葉社 1975年︵短編集︶
●﹃愛しながら殺せ﹄グリーンアロー出版社 1975年︵短編集︶
●﹃マリファナ殺人事件﹄ 実業之日本社 1977年︵短編集︶
●﹃新宿心中﹄ 実業之日本社 1978年
●﹃真夜中の狩人﹄ 実業之日本社 1978年 のち角川文庫︵短編集︶
●﹃あたしにも殺させて﹄ 双葉社 1984年
●﹁新宿西口ビル街殺人事件﹂︵﹃ろくでなしはろくでなし﹄に併録︶
●﹃新宿警察﹄﹃慈悲の報酬﹄﹃所轄刑事﹄﹃新宿生餌﹄双葉社 2009年︵短編集、1975年﹃新宿警察﹄﹃続新宿警察﹄を分冊化したもの︶
︵各出版社の短編集には重複して収録されている作品がある。︶
また﹃よるべなき男の仕事・殺し﹄ ﹃女の性の精﹄﹃わが国おんな三割安﹄の舞台も﹁新宿署﹂の管轄で、シリーズ中の刑事が登場する。
他の小説
●﹃恋愛神話﹄矢代書店, 1950 ●﹃湖上の薔薇﹄新潮社, 1950 ●﹃新版好色一代男﹄新潮社, 1950 ●﹃花びらの肖像﹄東京文庫, 1951 ●﹃伊豆物語﹄東京文庫, 1951 ●﹃青春の肖像﹄小説朝日社 1952︵﹁罪な女﹂所収︶ ●﹃安五郎出世﹄小説朝日社, 1952 ●﹃藤十郎狸武勇伝﹄三啓社, 1953 ●﹃好色五人女﹄紫書房 1953 ●﹃海の囁き﹄山田書店, 1955 ●﹃みんなが見ている前で 占領下日本女性受難の記録﹄正続 鱒書房(コバルト新書) 1955 ●﹃ぼくらの恋人たち﹄河出書房 1955 ●﹃三行人生﹄東方社 1956 のち徳間文庫 ●﹃裏切られた女達﹄大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス) 1956 ●﹃東京のサラリーガール﹄東洋書館, 1956 ●﹃辱しめられても﹄虎書房, 1957 ●﹃みんなが知っている 百万支那派遣軍による中国婦女子の受難﹄春陽堂書店 1957 ●﹃この女に手を出すな﹄東方社, 1957 ●﹃人斬り稼業﹄講談社 1957年 ●﹃夜ひとり哭く﹄光風社 1958 ●﹃悪魔と天使の季節﹄大日本雄弁会講談社, 1958 ●﹃青い夢の夜﹄光風社, 1958 ●﹃盗賊説法﹄和同出版, 1958 ●﹃愛染天使﹄小壷天書房, 1958 ●﹃果しなき欲望﹄光風社, 1958 ●﹃恋がノックをする時﹄和同出版社, 1959 ●﹃愛のかたち﹄平凡出版 1959 ●﹃赤い殺意﹄光文社 1959 のち集英社文庫 ●﹃千姫﹄中央公論社 1959 ●﹃太陽は狂ってる﹄︵原題﹁ちんぴら﹂),1960頃,オール読物所載 ●﹃静かな脱獄者﹄アサヒ芸能出版 1960年 ●﹃若い刑事﹄彌生書房 1960年 ●﹃花と風とギャング達﹄昭和書館, 1961︵﹃生きる女性﹄1960年連載︶ ●﹃可愛いめんどりが歌った﹄東方社, 1962 ︵﹃週刊平凡﹄1960年連載︶ ●﹃金と女と死﹄東方社, 1961 のち角川文庫 ●﹃恐喝こそわが人生﹄﹃共同通信﹄1962年連載︵のち報知新聞社 1968年、角川文庫︶ ●﹃泥だらけの純情﹄七曜社 1962年︵短編集︶ ●﹃結婚までを﹄講談社, 1963 のち集英社文庫 ●﹃殿様と口紅﹄新潮社, 1963年︵短編集︶ ●﹃ぐれん隊純情派﹄七曜社, 1963 ●﹃三尺高い空の上-鼠小僧異聞-﹄双葉社 1964︵﹃サンケイ新聞﹄1962年連載︶ ●﹃黄金の女﹄光風社, 1964 ●﹃好色七人女﹄双葉社 1965年︵短編集︶ ●﹃逃亡者﹄久保書店 1965年 ●﹃わたしの事情﹄講談社 1965年 ●﹃赤い関係﹄双葉社, 1966年 ︵﹃週刊大衆﹄1965年連載︶ ●﹃愛と孤独と昼と夜﹄講談社, 1966 ●﹃愛しながらの別れ﹄春陽文庫 1966 ●﹃悪魔からの勲章﹄双葉社, 1967 ●﹃赤い標的﹄双葉社, 1968 のち角川文庫 ●﹃武士道地獄﹄報知新聞社, 1968 のち角川文庫 ●﹃孤狼のバラード﹄日本文華社 1968年 ●﹃不良外人白書﹄講談社, 1969 ●﹃贅沢な殺人﹄文藝春秋 1969 のち角川文庫 ●﹃赤い殺し屋﹄日本文華社, 1969 ●﹃殺しの手順﹄秋田書店 1969年 ●﹃女類妻族﹄報知新聞社 1969年 ●﹃女の性の精﹄講談社, 1970 ●﹃わが国おんな三割安﹄徳間書店 1970 のち文庫 ●﹃赤い愛の生活﹄双葉社, 1970 ●﹃新宿その暗黒の恋﹄実業之日本社, 1970 ●﹃青春売ります﹄青樹社 1970 ●﹃散歩のように恋を﹄桃園書房 1971 ●﹃総長への道﹄︵シリーズ︶ 双葉社, 1971年︵﹃週刊大衆﹄1970-71年連載︶のち角川文庫 ●﹃昭和おんな仁義﹄実業之日本社, 1971 ●﹃夜は回転する﹄日本文華社, 1972 ●﹃東京下町しあわせ人間﹄世紀出版, 1972 ●﹃天才投手﹄KKベストセラーズ, 1972年︵﹃報知新聞﹄1971年連載︶のち徳間文庫 ●﹃旅鴉でござんす﹄日本文華社, 1972 ●﹃おそい愛﹄東邦出版社, 1972 のち講談社文庫 ●﹃藤原審爾の奇妙種族﹄KKベストセラーズ, 1972︵﹁わが国おんな三割安﹂﹁今日駄目人間﹂︶ ●﹃総長への道・番外編﹄双葉社 1972年 ●﹃狼よ、はなやかに翔べ﹄講談社 1973 のち角川文庫︵﹁山犬たちが吠える夜﹂﹁赤い人食い熊﹂﹁黒豹よ、魔人のごとく襲え﹂︶ ●﹃愛すること死ぬこと﹄東邦出版社 1973 ●﹃藤原審爾の極楽亭主﹄KKベストセラーズ, 1973︵﹁東京どまんなか﹂﹁わが国女房五割安﹂︶ ●﹃ろくでなしはろくでなし﹄いんなあとりっぷ社 1974年︵﹃小説新潮﹄1973年連載︶のち角川文庫 ●﹃さきに愛ありて﹄第1-6部 新潮社, 1973-77年︵﹃赤旗 日曜版﹄1973-76年連載︶︵新潮文庫 1985年︶ ●﹃へそまがり﹄中央公論社, 1974︵﹃地上﹄1973年連載︶︵徳間文庫﹃われらが国のへそまがり﹄1985年︶ ●﹃シャム猫ロマンの放浪﹄新潮社, 1974 ●﹃妖怪の人間狩り﹄ベストセラーズ, 1974 ●﹃花氷﹄いんなあとりっぷ社, 1974年︵﹃京都新聞﹄1972年連載︶︵講談社文庫 1978︶ ●﹃あこがれの関係﹄講談社, 1974年︵﹃週刊現代﹄1973年連載︶︵角川文庫 1982年︶ ●﹃鴉五千羽夕陽に向う﹄読売新聞社 1975 のち角川文庫 ︵﹃小説現代﹄1974年連載﹃今、鴉五千羽、夕陽に向う﹄改題︶ ●﹃昭和水滸伝﹄双葉社 1974-76年︵﹃週刊大衆﹄1973-74年連載︶のち角川文庫 、小学館文庫 ●﹃黒幕﹄新評社 1975、角川文庫 1978︵﹃新評﹄1973年連載︶ ●﹃女王陛下は御満悦﹄ベストセラーズ, 1975 のち徳間文庫 ●﹃野球賭博﹄ワールドフォトプレス, 1975 ●﹃よるべなき男の仕事・殺し﹄双葉社, 1975 のち角川文庫 ●﹃三人姉妹﹄東邦出版社, 1975 ●﹃女の頭男の頭 ぎょっとする17個所﹄青春出版社 1975 ●﹃鏡の間﹄講談社 1976 ●﹃私は、ヒモです﹄実業之日本社, 1976 のち徳間文庫︵﹁庭にひともと白木蓮﹂所収︶ ●﹃薄毛は悪女﹄双葉社 1976︵のち﹃暗号名は赤い蛇﹄に改題、角川文庫︶ ●﹃エンタープライズ爆破計画﹄双葉社 1976 のち角川文庫 ●﹃薔薇の人﹄文藝春秋 1976 ●﹃寝息﹄光風社 1976年 ●﹃愛すべき人物﹄双葉社, 1977年︵﹃週刊読売﹄1967年連載︶のち徳間文庫 ●﹃怒りて猿よ山を揺すれ﹄光文社, 1977 のち角川文庫 ●﹃天の花と実﹄新潮社, 1977 ●﹃スパイ・その苦い歳月﹄双葉社, 1978 のち角川文庫 ●﹃死にたがる子﹄新日本出版社 1978 のち新潮文庫 ●﹃大妖怪﹄文藝春秋, 1978 のち文庫、集英社文庫 ●﹃東京の真赤な雲雀﹄双葉社, 1978︵1981年角川文庫化時に﹃国際大謀略作戦﹄に改題︶ ●﹃天空拳勝負録﹄双葉社 1978 のち角川文庫 ●﹃恐喝その死の匂い﹄双葉社 1979 ●﹃落ちこぼれ家庭﹄新日本出版社, 1979 のち新潮文庫 ●﹃誰でも愛してあげる﹄双葉社, 1979 のち徳間文庫 ●﹃愛の夜 孤独の夜﹄講談社、1980年 ●﹃これがビッグドライブだ﹄ごま書房(ゴマブックス) 1980 ●﹃絵本の騎士﹄実業之日本社, 1981 ●﹃結婚の資格﹄新日本出版社, 1981 のち新潮文庫 ●﹃熊鷹青空の美しき狩人﹄文藝春秋, 1982 ●﹃風と夢・オンザロード﹄三推社, 1983 のち角川文庫 ●﹃まだ愛を知らない﹄新日本出版社, 1984-85︵未完︶ ●﹃涙ながして、また夜﹄新潮社, 1984 ほか。作品の正確な書誌は作成できておらず、特に量産期に未単行本化の不明作品があると見られている。エッセイ・ノンフィクション
●﹃孤独のために感傷のために わが闘病の記録﹄春陽堂書店 1958年 ●﹃日本やきもの旅行5﹄ 平凡社 1976年︵共著︶ ●﹃昨日の頭 明日の頭﹄青春出版社 1977年 ●﹃この﹁落ちこぼし﹂教育 教師・父母への提言﹄現代史出版会 1979年︵槙枝元文と共著︶ ●﹃一人はうまからず﹄毎日新聞社 1985年 ●﹃遺す言葉﹄新潮社 1985年作品集
●﹃藤原審爾作品集﹄︵全7巻︶森脇文庫 1957-58年 ●﹃藤原審爾 その華麗な世界﹄双葉社 1975-79年 ●﹃永夜 ひたむきな女たちの物語﹄徳間書店 1978年︵自選作品集︶ ●﹃講談社大衆文学館 赤い殺意・罪な女﹄講談社 1997年 ●﹃藤原審爾 昭和の短篇一人一冊集成﹄結城信孝編 未知谷 2008年人物像
若い頃の肺結核の後も、胆嚢の切除、心臓病、腎臓病、肝硬変、糖尿病など、数々の持病に悩まされた。 多彩な趣味も有名で、陶芸、釣り、ビリヤードなどの他、野球ではチーム﹁藤原﹂を結成して東京都代表として1969年長崎国体出場、建築設計では自宅の他に知人の屋敷や民芸館を設計、麻雀では色川武大からも﹁旦那芸としては、玄人に近いレベル﹂と評された。バイク小説﹃風と夢・オンザロード﹄連載中には自動二輪免許も取得した。尊敬する作家は広津和郎で、自宅にその書を飾っていた。映画化作品
- 『獣の宿』松竹、黒澤明脚本、大曽根辰夫監督、1951年、鶴田浩二、岸恵子(原作「湖上の薔薇」)
- 『伊豆物語』東宝、渡辺邦男監督、1951年、若原雅夫、花柳小菊
- 『安五郎出世』東宝、滝沢英輔監督、1953年、森繁久彌、越路吹雪
- 『この女に手を出すな』松竹、酒井辰雄監督、1956年、高橋貞二、竜崎一郎
- 『悪魔と天使の季節』日活、堀池清監督、1958年、中原早苗、葉山良二、小林旭
- 『果しなき欲望』日活、今村昌平監督、1958年、長門裕之、渡辺美佐子
- 『地獄の曲り角』日活、蔵原惟繕監督、1959年(原作「金と女と死」)
- 『真紅の男』東宝、本多猪四郎監督、1961年、佐藤允、久保明、白川由美
- 『地平線がぎらぎらっ』新東宝、土居通芳監督、1961年、ジェリー藤尾、多々良純
- 『花と嵐とギャング』ニュー東映、石井輝男監督、1961年、高倉健、鶴田浩二
- 『可愛いめんどりが歌った』大映、富本壮吉監督、1961年、大空真弓、菅原謙二、田宮二郎
- 『太陽は狂ってる』日活、舛田利雄監督、1961年、浜田光夫、川地民夫、吉永小百合
- 『恋と太陽とギャング』東映、石井輝男監督、1962年、高倉健、丹波哲郎
- 『秋津温泉』松竹、吉田喜重監督、1962年、長門裕之、岡田茉莉子
- 『泥だらけの純情』日活、中平康監督、1963年、吉永小百合、浜田光夫
- 『わが恐喝の人生』東映、佐伯清監督、1963年、梅宮辰夫、千葉真一(原作「恐喝こそわが人生」)
- 『赤い殺意』日活、今村昌平監督、1964年、春川ますみ、西村晃
- 『馬鹿まるだし』松竹、山田洋次監督、1964年(原作「庭にひともと白木蓮」)
- 『愛しながらの別れ』日活、江崎実生監督、1965年、浜田光夫、和泉雅子
- 『ある殺し屋』大映京都、森一生監督、 増村保造・石松愛弘脚本、1967年、市川雷蔵、野川由美子(原作「前夜」)
- 『ある殺し屋の鍵』大映京都、森一生監督、 1967年、市川雷蔵、佐藤友美(原作「消される男」)
- 『恐喝こそわが人生』松竹、深作欣二監督、1968年、松方弘樹、佐藤友美
- 『喜劇・一発大必勝』松竹、山田洋次監督、1969年、ハナ肇、倍賞千恵子
- 『新兄弟仁義』東映、佐伯清監督、1970年、北島三郎、菅原文太
- 『日本やくざ伝 総長への道』東映、マキノ雅弘監督、1971年、高倉健、鶴田浩二、若山富三郎、松方弘樹
- 『喜劇 女は男のふるさとヨ』松竹、森崎東監督、1971年、森繁久彌、中村メイ子
- 『喜劇 女生きてます』松竹、森崎東監督、1971年、森繁久彌、左幸子
- 『喜劇 女売り出します』松竹、森崎東監督、1972年、森繁久彌、市原悦子
- 『昭和女博徒』東映、加藤泰監督、1972年、江波杏子、松方弘樹(原作「昭和おんな仁義」)
- 『日陰者』東映、山下耕作監督、1972年、鶴田浩二、池部良
- 『女生きてます』松竹、森崎東監督、1972年、森繁久彌、中村メイコ
- 『反逆の旅』松竹、渡辺祐介監督、1976年、原田芳雄(原作「よるべなき男の仕事・殺し」)
- 『泥だらけの純情』東宝、富本壮吉監督、1977年、山口百恵、三浦友和
- 『よるべなき男の仕事・殺し』アルゴプロジェクト、村川透監督、1991年、加藤雅也
注
参考文献
- 神原孝史「年譜」(『花氷(下)』講談社文庫 1978年)
- 「藤原審爾「新宿警察」は全部で何篇書かれたのだろうか?」(本の雑誌編集部『活字探偵団 増補版』本の雑誌社 1994年)
- 宮城谷昌光「春夏秋冬」(『藤原審爾氏のこと』『月と肉』)新潮社 2015年)