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「ラグビーフットボール」の版間の差分

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{{|date= 202146 () 06:56 (UTC)}}{{Otheruses|2=15|3=|4=13|5=}}[[:Scrum-1.JPG|thumb|360px|'''[[]]'''[[ ()|]][[ ()|]][[ ()|]]]]

{{Otheruses}}

{{出典の明記|date=2015年11月21日}}


[[:Scrum-1.JPG|thumb|360px|'''[[]]'''[[ ()|]][[ ()|]][[ ()|]]]]

[[ファイル:Paul Gallen (26 October 2008).jpg|thumb|'''[[ラグビーリーグ]]'''/[[ニュージーランド]]の選手が[[オーストラリア]]の選手にタックルしている。]]

[[ファイル:Paul Gallen (26 October 2008).jpg|thumb|'''[[ラグビーリーグ]]'''/[[ニュージーランド]]の選手が[[オーストラリア]]の選手にタックルしている。]]




''''''{{lang-en-short|'''Rugby'''}}[[]][[ ()|]][[]]2[[]]code[[]][[]]13[[]]15''''''{{lang-en-short|'''Rugby football'''}}<ref name="kb">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ |title= |publisher=[[]] |author=[[|]]  |accessdate=2019-10-10 }}</ref><ref name="kb_">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ |title= |publisher= |author=[[]][[]] |accessdate=2019-10-01 }}</ref>

''''''{{lang-en-short|Rugby football}}[[]][[ ()|]][[]]2[[]]code[[]]'''[[]]'''13'''[[]]'''15[[|]][[]]

[[日本のラグビーユニオン|日本でのラグビー]]は通常[[ラグビーユニオン]]である。




15[[10|10]][[7|7]]13[[|9]][[|7]]7[[]][[]][[]]

15[[10|10]][[7|7]]13[[|9]][[|7]]7[[]][[]][[]]
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== 概要 ==

== 概要 ==

[[ファイル:Rugby tackle cropped.jpg|thumb|220px|]]

[[ファイル:Rugby tackle cropped.jpg|thumb|220px|]]

ラグビーは2つのチームに分かれて行われ、[[楕円形]]([[回転楕円体]])の[[ボール]]を奪い合って相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競う[[スポーツ]]である。

ラグビーフットボールは2つのチームに分かれて行われ、[[楕円形]]([[回転楕円体]])の[[ボール]]を奪い合って相手陣のインゴールまで運ぶ、あるいはH型のゴール上部に蹴り入れて得点を競う[[スポーツ]]である。



[[イングランド]]発祥の競技ということもあって、[[ヨーロッパ]]([[イングランド]]、[[スコットランド]]、[[アイルランド]]、[[ウェールズ]]、[[フランス]]、[[イタリア]]。この内イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズは'''[[ホーム・ネイションズ|ホームユニオン]]'''と称される)ばかりでなく、[[オセアニア]]([[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[サモア]]、[[フィジー]]、[[トンガ]])および[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]、[[アルゼンチン]]で人気の競技である。とりわけ[[英連邦]]諸国内では[[サッカー]]や[[クリケット]]と並ぶ人気スポーツである。[[アメリカンフットボール]]は楕円形のボールを使う、タックルにより相手の前進を止めるなどラグビーと共通する特徴をもっていることから、古い時代に共通の起源をもつと考えられているものの、まったく別の競技である。

[[イングランド]]発祥の競技ということもあって、[[ヨーロッパ]]([[イングランド]]、[[スコットランド]]、[[アイルランド]]、[[ウェールズ]]、[[フランス]]、[[イタリア]]。この内イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズは'''[[ホーム・ネイションズ|ホームユニオン]]'''と称される)ばかりでなく、[[オセアニア]]([[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]、[[サモア]]、[[フィジー]]、[[トンガ]])および[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]、[[アルゼンチン]]で人気の競技である。とりわけ[[英連邦]]諸国内では[[サッカー]]や[[クリケット]]と並ぶ人気スポーツである。[[アメリカンフットボール]]は楕円形のボールを使う、タックルにより相手の前進を止めるなどラグビーフットボールと共通する特徴をもっていることから、古い時代に共通の起源をもつと考えられているものの、まったく別の競技である。




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== 名称 ==

== 名称 ==


{{Anchors|Rugbyrugby|rugger|rugby player||}}[[]][[ ()|]]'''Rugby'''[[]]使使{{r|kb}}{{Anchors||}}[[]]'''rugger'''<ref name="kb_">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ |title= |publisher= |author=[[]][[]][[]][[]]3 [[]] |accessdate=2019-10-01 }}</ref> "'''rugby player'''"  "rugger" [[]][[]]''''''[[]]''''''{{lang-en-short|'''rugger man'''}}<ref group="">rugger man[[]] "rugger man" </ref><ref name="kb_">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ |title= |publisher= |author=3  |accessdate=2019-10-01 }}</ref>

{{Anchors|Rugbyrugby|rugger|rugby player||}}[[]][[ ()|]]'''Rugby'''[[]]使使{{r|kb}}{{Anchors||}}[[]]'''rugger'''<ref name="kb_">{{Cite web||url=https://kotobank.jp/word/ |title= |publisher= |author=[[]][[]][[]][[]]3 [[]] |accessdate=2019-10-01 }}</ref> "'''rugby player'''"  "rugger" [[]][[]]''''''[[]]''''''{{lang-en-short|'''rugger man'''}}<ref group="">rugger man[[]] "rugger man" </ref><ref name="kb_">{{Cite web||url=https://kotobank.jp/word/ |title= |publisher= |author=3  |accessdate=2019-10-01 }}</ref>


{{Anchors|ラ式蹴球|蹴球|闘球}}現代日本語では、ほとんどすべての場合「ラグビー」というが、[[1925年]]([[大正]]14年)ごろ以降{{Refnest|group="注"|[[小学館]]『精選版 [[日本国語大辞典]]』の1925年刊行の大増補改版に付属する「新らしい言葉の字引」が、少なくとも同社における初出である<ref name="kb_ラ式蹴球">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ラ式蹴球 |title=ラ式蹴球 |publisher=コトバンク |author=小学館『精選版 日本国語大辞典』、ほか |accessdate=2019-10-01 }}</ref>。}}、[[戦前]]([[第二次世界大戦]]前)には「'''ラ式蹴球'''(ラしきしゅうきゅう)」{{r|kb_ラ式蹴球}}が正式名称であったという<ref name="水牛">{{Cite web |author=大澤水牛 |title=ラグビー |url=http://sogyusha.org/saijiki/04_winter/rugby.html |publisher=[[特定非営利活動法人|NPO法人]]双牛舎[http://sogyusha.org/] |website=水牛歳時記(公式ウェブサイト) |accessdate=2019-10-01 }}</ref>。また、戦局が悪化して[[敵性語]]が禁止され始めた[[1943年]](昭和18年)3月から[[終戦]]まで使われた「'''闘球'''(とうきゅう)」がある<ref name="朝日_20180618">{{Cite news |和書 |author=吉永岳央 |date=2018-06-18 |title=日本はなぜサッカーと呼ぶ? 世界はフットボールが主流 - サッカーワールドカップ |url=https://www.asahi.com/articles/ASL6B4RD9L6BUTQP00Y.html |publisher=[[朝日新聞社]] |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2019-09-30 }}</ref>。なお、[[慶應義塾大学]]のラグビー[[クラブ活動|部]]は例外的に現在も昔ながらの「蹴球部」([[慶應義塾體育會蹴球部]])を名乗っている{{r|朝日_20180618}}。今でこそ「'''蹴球'''」は<ref name="kb_蹴球">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/蹴球 |title=蹴球 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-01 }}</ref>[[サッカー]]の別名という認識が定着しているが、当クラブが創立された[[1899年]]([[明治]]32年)頃にはフットボール全般が「蹴球」で、ソッカー部(今でいうサッカー部)より数年早く創部されたラグビー部がその名を占有した(''cf.'' {{small|[[慶應義塾体育会ソッカー部]]}})。「ラ式(※ラグビー式)」ことラグビー{{r|kb_蹴球}}、「ア式(※アソシエーション式)」ことソッカー(サッカー){{r|kb_蹴球}}<ref name="kb_ア式蹴球">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/ア式蹴球 |title=ア式蹴球 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-01 }}</ref>、「米式(べいしき)」こと[[アメリカンフットボール]]{{r|kb_蹴球}}<ref name="kb_米式蹴球">{{Cite web |url=https://kotobank.jp/word/米式蹴球 |title=米式蹴球 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-01 }}</ref>などといった呼び分けは後付けである。

{{Anchors|ラ式蹴球|蹴球|闘球}}現代日本語では、ほとんどすべての場合「ラグビー」というが、[[1925年]]([[大正]]14年)ごろ以降{{Refnest|group="注"|[[小学館]]『精選版 [[日本国語大辞典]]』の1925年刊行の大増補改版に付属する「新らしい言葉の字引」が、少なくとも同社における初出である<ref name="kb_ラ式蹴球">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/ラ式蹴球 |title=ラ式蹴球 |publisher=コトバンク |author=小学館『精選版 日本国語大辞典』、ほか |accessdate=2019-10-01 }}</ref>。}}、[[戦前]]([[第二次世界大戦]]前)には「'''ラ式蹴球'''(ラしきしゅうきゅう)」{{r|kb_ラ式蹴球}}が正式名称であったという<ref name="水牛">{{Cite web|和書|author=大澤水牛 |title=ラグビー |url=http://sogyusha.org/saijiki/04_winter/rugby.html |publisher=[[特定非営利活動法人|NPO法人]]双牛舎[http://sogyusha.org/] |website=水牛歳時記(公式ウェブサイト) |accessdate=2019-10-01 }}</ref>。また、戦局が悪化して[[敵性語]]が禁止され始めた[[1943年]](昭和18年)3月から[[終戦]]まで使われた「'''闘球'''(とうきゅう)」がある<ref name="朝日_20180618">{{Cite news |和書 |author=吉永岳央 |date=2018-06-18 |title=日本はなぜサッカーと呼ぶ? 世界はフットボールが主流 - サッカーワールドカップ |url=https://www.asahi.com/articles/ASL6B4RD9L6BUTQP00Y.html |publisher=[[朝日新聞社]] |newspaper=[[朝日新聞デジタル]] |accessdate=2019-09-30 }}</ref>。なお、[[慶應義塾大学]]のラグビー[[クラブ活動|部]]は例外的に現在も昔ながらの「蹴球部」([[慶應義塾體育會蹴球部]])を名乗っている{{r|朝日_20180618}}。今でこそ「'''蹴球'''」は<ref name="kb_蹴球">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/蹴球 |title=蹴球 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-01 }}</ref>[[サッカー]]の別名という認識が定着しているが、当クラブが創立された[[1899年]]([[明治]]32年)頃にはフットボール全般が「蹴球」で、ソッカー部(今でいうサッカー部)より数年早く創部されたラグビー部がその名を占有した(''cf.'' {{small|[[慶應義塾体育会ソッカー部]]}})。「ラ式(※ラグビー式)」ことラグビー{{r|kb_蹴球}}、「ア式(※アソシエーション式)」ことソッカー(サッカー){{r|kb_蹴球}}<ref name="kb_ア式蹴球">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/ア式蹴球 |title=ア式蹴球 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-01 }}</ref>、「米式(べいしき)」こと[[アメリカンフットボール]]{{r|kb_蹴球}}<ref name="kb_米式蹴球">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/米式蹴球 |title=米式蹴球 |publisher=コトバンク |accessdate=2019-10-01 }}</ref>などといった呼び分けは後付けである。



== ラグビーの歴史 ==

== ラグビーフットボールの歴史 ==

{{See also|ラグビーユニオンの歴史}}

{{See also|ラグビーユニオンの歴史}}

ラグビーの起源は、「[[1823年]]、[[イングランド]]の有名な[[パブリックスクール]]である[[ラグビー校]]での[[フットボール]]の試合中、[[ウィリアム・ウェッブ・エリス]]がボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。

ラグビーフットボールの起源は、「[[1823年]]、[[イングランド]]の有名な[[パブリックスクール]]である[[ラグビー校]]での[[フットボール]]の試合中、[[ウィリアム・ウェッブ・エリス]]がボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。




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エリスは1806年に[[マンチェスター]]近郊で生まれ、ラグビー校では少なくとも3シーズン、フットボールをプレーしている。[[オックスフォード大学]]に進み、卒業した後は[[牧師]]となり、病気療養のために渡った南フランスで65歳で没した。南仏[[コートダジュール]]の小都市[[マントン]]に墓地がある。ラグビーと[[クリケット]]を愛したと伝えられている。

エリスは1806年に[[マンチェスター]]近郊で生まれ、ラグビー校では少なくとも3シーズン、フットボールをプレーしている。[[オックスフォード大学]]に進み、卒業した後は[[牧師]]となり、病気療養のために渡った南フランスで65歳で没した。南仏[[コートダジュール]]の小都市[[マントン]]に墓地がある。ラグビーフットボールと[[クリケット]]を愛したと伝えられている。



ラグビー校ではラグビーのルーツ以外にも多くの習慣が生まれており、イングランド代表の白い[[ラグビージャージ|ジャージ]]の元になった白いシャツとショーツと紺色のストッキング、ハーフタイムにサイドをチェンジする習慣、インターナショナル代表がかぶるキャップ、H型のゴールポスト、楕円球のボールなどラグビーの起源を示すような証拠が多くこの学校から生まれた。

ラグビー校ではラグビーフットボールのルーツ以外にも多くの習慣が生まれており、イングランド代表の白い[[ラグビージャージ|ジャージ]]の元になった白いシャツとショーツと紺色のストッキング、ハーフタイムにサイドをチェンジする習慣、インターナショナル代表がかぶるキャップ、H型のゴールポスト、楕円球のボールなどラグビーフットボールの起源を示すような証拠が多くこの学校から生まれた。



ラグビーの源流である「原始フットボール」は中世[[イングランド]]に起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って村と村の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようと[[オフサイド]]が生まれ、今日のラグビーにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。

ラグビーフットボールの源流である「原始フットボール」は中世[[イングランド]]に起源をさかのぼる。数千人の大人数が手と足を使って村と村の対抗戦として原始的な「フットボール」を行っていた。ちなみに1点先取で勝負を決めていたことから、長時間続けるために得点するのを難しくしようと[[オフサイド]]が生まれ、今日のラグビーフットボールにもルールとして生き永らえている。試合は祝祭でもあり、死者も出るほど激しかった。



19世紀に入り、ラグビー校や[[イートン校]]、ハロー校など[[パブリックスクール]]では学校ごとに独自のルールでそれぞれのフットボールを行なっていた。それぞれ学校で違うルールの統一を目指した協議は長らく行われてきたが、1863年[[10月26日]]に[[ロンドン]]のフリーメイソンズ・タバーンで[[フットボール・アソシエーション|FA]](フットボール・アソシエーション)と[[ロンドン]]にある12のクラブの間で会議が開かれ、12月までに6回のミーティングを持って統一ルールの作成を行った。この統一ルール作成により近代[[サッカー]]が本格的に誕生した。このとき、一部のクラブの代表が、ボールを持って走ること、ボールを運んでいる相手に[[ハッキング (ラグビー)|ハッキング]](すねをけること)、トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)およびホールディング(おさえること)を行うことが認められなくなったことに合意できず、FAを脱退した。これがラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(サッカー)が分岐した瞬間である。

19世紀に入り、ラグビー校や[[イートン校]]、ハロー校など[[パブリックスクール]]では学校ごとに独自のルールでそれぞれのフットボールを行なっていた。それぞれ学校で違うルールの統一を目指した協議は長らく行われてきたが、1863年[[10月26日]]に[[ロンドン]]のフリーメイソンズ・タバーンで[[フットボール・アソシエーション|FA]](フットボール・アソシエーション)と[[ロンドン]]にある12のクラブの間で会議が開かれ、12月までに6回のミーティングを持って統一ルールの作成を行った。この統一ルール作成により近代[[サッカー]]が本格的に誕生した。このとき、一部のクラブの代表が、ボールを持って走ること、ボールを運んでいる相手に[[ハッキング (ラグビー)|ハッキング]](すねをけること)、トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)およびホールディング(おさえること)を行うことが認められなくなったことに合意できず、FAを脱退した。これがラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(サッカー)が分岐した瞬間である。

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=== ラグビーユニオンとラグビーリーグ ===

=== ラグビーユニオンとラグビーリーグ ===

{{main|ラグビーユニオン|ラグビーリーグ|ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較}}

{{main|ラグビーユニオン|ラグビーリーグ|ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較}}

ラグビーは[[イギリス|英国]]でも指折りの[[炭鉱]]地帯である[[マンチェスター]]を中心とするイングランド北部の[[ランカスター (ランカシャー州)|ランカスター]]、[[ヨークシャー]]地方ならびに[[ウェールズ]]南部で発展していった。

ラグビーフットボールは[[イギリス|英国]]でも指折りの[[炭鉱]]地帯である[[マンチェスター]]を中心とするイングランド北部の[[ランカスター (ランカシャー州)|ランカスター]]、[[ヨークシャー]]地方ならびに[[ウェールズ]]南部で発展していった。




[[1895]][[|]]RFU222[[]][[]][[]][[]]'''[[]]''''''[[]]'''

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1513[[ ()|]][[ ()|]]

1513[[ ()|]][[ ()|]]
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=== ラグビーユニオンとラグビーリーグの統合年表 ===

=== ラグビーユニオンとラグビーリーグの統合年表 ===

; 18世紀まで

{| class="wikitable" style="font-size:85%"

* 1400年から1800年 - 多くの異なる種類の[[フットボール]](サッカーやラグビーフットボールの先祖)が[[グレートブリテン島]]各地で行われていた。現代サッカーと異なり、ほとんどのフットボールの試合では手を使うことが許されていた。

!年!!出来事!! ルール

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!colspan="3" style="text-align:center"|〜19世紀

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|1400-<br />1800年

|多くの異なる種類の[[フットボール]](ラグビーの先祖)が[[グレートブリテン島]]中で行われていた。現代サッカーと異なり、ほとんどのフットボールの試合では手を使うことが許されていた。

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|1830年

|ボールを持って走ることは1830年代にラグビー校で一般的になり、1850年代と1860年代にラグビースクールフットボールは連合王国中で人気となった。

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|1863年

|ザ・フットボール・アソシエーション (FA) が結成され、FAとラグビーフットボールの間の分裂が正式なものとなった。

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|1864年


|[[]][[]]18701880[[]][[]][[]]

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|1871年

|ラグビー・フットボール・ユニオン(ラグビーフットボール協会、RFU)が創設され、{{仮リンク|ポールモールレストラン|en|Pall Mall Restaurant}}で21クラブによる会合が開かれた。

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|1871年

|確認されている初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われた。

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|1876年


|{{||en|Matthew Bloxam}}{{||en|The Meteor}}1895調

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|1876年


|{{| ()|en|Yorkshire Cup (rugby union)|label=}}[[FA]]

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|1877年

|選手数が1チーム20人から15人に減少した。

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|1883年

|初の[[シックス・ネイションズ|ホーム・ネイションズ・チャンピオンシップ]]がイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズの間で行われた。

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|1886年

|大部分が[[労働者階級]]で構成される北部クラブの高まる優越性を危惧して、南部が主体のラグビーフットボール協会は厳格なアマチュアルールを導入した。

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|1888年

|1888年と1889年に、ニュージーランド先住民フットボールチームがブリテン、オーストラリア、ニュージーランド遠征を行った。

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|1890年

|1890/91シーズンから現代の得点システムが[[ホーム・ネイションズ]]によって一様に承認された。

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|1892年

|[[ブラッドフォード]]{{要曖昧さ回避|date=2014年6月16日}}とリーズのラグビーフットボールクラブが選手の休業保障を行ったことによって、プロフェッショナリズムの非難が向けられた。しかしラグビー・フットボール・ユニオン (RFU) 自身も、1888年ブリテン諸島代表のオーストラリア遠征や、1904年にイングランドと対戦したニューサウスウェールズのHarry Hamillに対する支払いを認めている。

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|1893年

|ヨークシャーのクラブは選手の休業保障として6[[シリング]]を支払うことを提案したが、RFUはこの提案を否決した。これによって北部のクラブおよび選手による試合の中止が広がっていった。

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|1895年

|ラグビーフットボール界の分裂の結果、ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン (NRFU) が結成された。この分裂には、労働者階級の北部チームの成功や、入場料を徴収した競技場でのラグビー試合のRFUによる禁止命令、クラブがアマチュアリズムを受け入れなかった場合のRFUからの除籍に対する恐れ、選手が仕事を休んでラグビーの試合に出場した際の休業保障の開始など多くの要素が作用している。同じような動きは他の国々でも存在した。22のクラブがハダーズフィールドのジョージホテルで会合を開きNRFUが結成された。ハダーズフィールドでの初会合から15年以内に、200以上のクラブがRFUを脱退しNRFUに加入した。

|リーグ・<br />ユニオン

|-

|1896年

|[[マニンガムFC|マニンガム]]が初のノーザン・ユニオン・チャンピオンシップで優勝した。マニンガムは1903年にアソシエーションフットボール([[サッカー]])に転向し、[[ブラッドフォード・シティAFC|ブラッドフォード・シティ]]となった。

|リーグ

|-

|1896年

|[[ラグビーリーグ・チャレンジカップ]]が創設され、開始から成功を収めた。[[バトリー・ブルドッグズ|バトリー]]が[[セント・ヘレンズRFC|セント・ヘレンズ]]を10対3で破り、初の勝者となった。

|リーグ

|-

|1897年

|試合をより興奮するものにするため、ノーザン・ユニオンはラインアウトを廃止し、全てのゴールの得点を2点に減らした。ラインアウトはタッチラインからのパントに変更された。トライは3点を与えられた。

|リーグ

|-

|1898年

|ノーザン・ユニオンにプロフェッショナリズムが導入された。このプロフェッショナリズムは厳密にパートタイムであり、選手は他の「きちんとした」仕事を持っていることが義務付けられた。

|リーグ

|-

|1900年


|1900[[ (1900)|]]1924[[ (1924)|]]

| style="white-space:nowrap"| ユニオン

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!colspan="3" style="text-align:center"|20世紀前半

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|1901年

|ラグビーリーグのラインアウトに代わるパントアウトの導入実験がわずか4年で終了した。現在はボールがアウト・オブ・プレーになると[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]でリスタートされる。

|リーグ

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|1904年

|ラグビーリーグの初の国際試合が[[ウィガン]]で行われ、イングランドが他国合同チームに3対9で敗れた。

|リーグ

|-

|1905年


|{{||en|The Game of the Century<!--  -->}}

|ユニオン

|-

|1906年


|[[]]{{| ()|en|James Peters (rugby)|label=}}

|ユニオン

|-

|1906年

|ジェームス・ピータースはイングランド代表としてスコットランドと戦い、初の黒人ラグビー選手となった。

|ユニオン

|-

|1906年

|ラグビーリーグにおいて、よりクリエイティブなプレーのためのスペースを与えるために選手数が15人から13人に減らされた。タックル後の試合再開の形としてプレー・ザ・ボールの初期の形が導入された。

| リーグ

|-

|1907年

|ラグビーリーグが[[オーストラリア]]および[[ニュージーランド]]に広まっていった。ニューサウスウェールズ・ラグビー・フットボール・リーグが[[シドニー]]のBateman'sホテルで創設された。ニューサウスウェールズ・ラグビー・リーグは故障した選手に対する保障問題でオーストラリアン・ラグビー・ユニオンと喧嘩した後に、8チームで開始した。初優勝はサウス・シドニーが果たした。ラグビーリーグは[[ニューサウスウェールズ州]]と[[クイーンズランド州]]での主要なフットボール競技としてラグビーユニオンに取って代わっていった。

|リーグ

|-

|1907年

|ニュージーランドラグビーリーグチームがブリテンへ遠征を行った。ニュージーランドの郵便局員{{仮リンク|アルバート・ヘンリー・バスカヴィル|en|Albert Henry Baskerville}}によって組織されたニュージーランド遠征チームは、彼らのオープン・プロフェッショナリズムのために母国のメディアに「オール・ゴールズ (All Golds)」との汚名を着せられた。彼らはシドニーとブリテンではラグビーユニオンのルールで試合を行い、オーストラリアの偉大な選手である{{仮リンク|ダリ・メッセンジャー|en|Dally Messenger}}に遠征に加わるよう説得した。彼らは初の[[テストマッチ]]に2対1で勝利したが、バスカヴィルは帰国中に[[肺炎]]のため25歳で死去した。

|リーグ

|-

|1908年

|初のオーストラリア[[カンガルーズ]]遠征チームがブリテンを訪れた。{{仮リンク|ハンスレット・ホークス|en|Hunslet Hawks|label=ハンスレット}}は、チャンピオンシップ、チャレンジカップ、ヨークシャーカップ、ヨークシャーリーグの4つのトロフィー全てを手にした初のクラブとなった。ハンスレットはラグビーリーグ初期の主要な選手である{{仮リンク|アルバート・ゴールドソープ|en|Albert Goldthorpe}}に率いられた。

|リーグ

|-

|1910年

|ラグビーユニオンのホーム・ネイションズ・チャンピオンシップがフランスの参加により[[シックス・ネイションズ|ファイブ・ネイションズ・チャンピオンシップ]]となった。

| ユニオン

|-

|1910年

|初のノーザン・ユニオンの{{仮リンク|ラグビーリーググレートブリテン代表|en|Great Britain national rugby league team|label=ブリティッシュ・ライオンズ}}による遠征がオーストラリアおよびニュージーランドへ行われ、シドニーと[[ブリスベン]]で行われたテストマッチに勝利した。

|リーグ

|-

|1912年


|[[|]]5

|ユニオン

|-

|1914年

|[[ハダーズフィールド・ジャイアンツ|ハダーズフィールド]]の{{仮リンク|アルバート・ローゼンフェルド|en|Albert Rosenfeld}}が1シーズン100トライを記録した。ブリテン代表遠征チームはテストマッチ3連戦の最終戦でオーストラリアに14対6で勝利し、{{仮リンク|ジ・アッシーズ (ラグビーリーグ)|en|The Ashes (rugby league)|label=The Ashes}}を勝ち取った。最後までこの試合に残っていたのはわずか10人であり(選手交代は認められていなかった)、{{仮リンク|ロークス・ドリフトの防衛戦|en|Battle of Rorke's Drift|label=ロークス・ドリフト}}のテストマッチとして知られるようになった。

|リーグ

|-

|1922年

|ノーザン・ユニオンはラグビー・フットボール・リーグと改名した。この組織名がオーストラリアにおけるこのスポーツの名称としても以後使用されるようになった。

|リーグ

|-

|1925年


|[[]]The Invincibles

|ユニオン

|-

|1929年


|[[]][[ (1923)|]]41,500[[|]]{{||en|Dewsbury Rams|label=}}132

|リーグ

|-

|1930年

|ファイブ・ネイションズとは別にラグビーユニオンヨーロピアンカップが始まった。この大会は第二次世界大戦で中断された。

|ユニオン

|-

|1930年

|ラグビーリーグのブリテン代表とオーストラリア代表のテストマッチ第3戦が0対0の引き分けに終わった後、前例のない第4戦が[[ロッチデール]]で行われた。ブリテン代表は3対0で勝利しThe Ashesを手にした。

|ユニオン

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|1932年

|夜間照明の下で初のラグビーリーグの試合が開催された。

| リーグ

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|1933年

|大晦日、フランスにおける初のラグビーリーグの試合が、イングランドとオーストラリアの間で行われた。フランスはプロフェッショナリズムの申し立ての真っ只中にありラグビーユニオンのファイブ・ネイションズから除外されていたことから、新しいスポーツを受け入れようとしていた。

|リーグ

|-

|style="white-space:nowrap"|1934年


|{{||en|Jean Galia}}1939225

|リーグ

|-

|1934年


|3221[[|]]Les Diables Rouges

|リーグ

|-

|1941年


|[[|]]

|リーグ・ユニオン

|-

|1943年


|{{| ()|en|Northern Command (United Kingdom)|label=}}[[|]]181115101996

|リーグ・ユニオン

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|style="white-space:nowrap"|1944年

|ヴィシー政権の崩壊により、フランスにおけるラグビーリーグの禁止令が解除された。

|リーグ

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|1945年

| {{仮リンク|ブライアン・ビーヴァン|en|Brian Bevan}}が[[ウォリントン・ウルブズ|ウォリントン]]でラグビーリーグデビューを果たした。16年間に渡って、ビーヴァンはウォリントンで620試合に出場し740トライを上げた。キャリア通算トライ数は796。しかし、故郷のオーストラリア代表としてプレーすることはなかった。

|リーグ

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|1946年

|{{仮リンク|ランス・トッド・トロフィー|en|Lance Todd Trophy}}がチャレンジカップ決勝のマン・オブ・ザ・マッチに初めて手渡された。[[ウェイクフィールド・トリニティ|ウェイクフィールド・トリニティー・ワイルドキャッツ]]の{{仮リンク|ビリー・ストット|en|Billy Stott}}が初の受賞者となった。1942年に交通事故で死亡した{{仮リンク|ランス・トッド|en|Lance Todd}}は1907年ニュージーランド代表遠征チームの一員であり、サルフォードを1928年から1940年まで指揮した。

|リーグ

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|1946年

|この年は史上最も有名なラグビーリーグ遠征が行われた。ライオンズは[[インドミタブル (空母)|HMSインドミタブル]]でオーストラリアへ航海した。オーストラリアを横断する5日間の旅で、{{仮リンク|ガス・リスマン|en|Gus Risman}}に率いられたチームはテストマッチを2勝1引き分けで終えThe Ashesを保持した。

|リーグ

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|1949年

|フランスラグビーリーグは名称への「ラグビー」の使用を禁止され、''Jeu à Treize''(Game of Thirteen)へと改称した。

|リーグ

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|1950年

|[[トリノ]]からのイタリアチームがイングランド北部へと遠征した。イタリアは後に国内大会やオーストラリアとの試合を行ったが、この活動は1962年に途絶えた。

|リーグ

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!colspan="3" style="text-align:center"|20世紀後半

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|1951年


|{{||en|South American Rugby Championship}}

|ユニオン

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|1951年

|南アフリカラグビーユニオン代表がブリテン諸島およびフランスへ遠征した。南アフリカは二度目のファイブ・ネイション・グランドスラムを達成した。

|ユニオン

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|1951年

|活動を終えてからちょうど10年後、フランスはオーストラリアでの初のラグビーリーグシリーズに勝利した。フランスは1955年にも再び勝利を収めた。

|リーグ

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|1951年

|ラグビーリーグの{{仮リンク|セク・トンプソン|en|Cec Thompson}}はあらゆるスポーツの中で初のグレートブリテン代表の黒人選手となった。

|リーグ

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|1952年

|ラグビーユニオンのヨーロピアンカップが再開した。

|ユニオン

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|1953年

|英国陸軍通信部隊で兵役を果たしていたウェールズ人の若者、{{仮リンク|ビリー・ボストン|en|Billy Boston}}がウィガンでデビューした。彼はイギリスの最多トライ数の記録を持っており、全世界ではビーヴァンに次いで第2位である。

|リーグ

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|1954年

|イングランドブラッドフォードOdsalスタジアムで行われた{{仮リンク|label=1953-54 ラグビーリーグチャレンジカップ|1953-54 ノーザン・ラグビー・フットボール・リーグ・シーズン|en|1953–54 Northern Rugby Football League season}}決勝は102,569の観衆を集め、ラグビーユニオン・ラグビーリーグを含むラグビーフットボールの試合の新記録を打ち立てた。

|リーグ

|-

|1954年

|初の[[ラグビーリーグ・ワールドカップ]](ユニオンも含めて初)がフランスで開催された。パリ、[[パルク・デ・プランス]]で行われた決勝では、グレートブリテン代表がフランス代表を16対12で破り優勝した。

|リーグ

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|1956年

|[[ラグビー南アフリカ共和国代表|スプリングボクス]]がニュージーランドに遠征した。南アフリカはニュージーランドに対して遠征で初めての敗戦を喫した。

|ユニオン

|-

|1957年

|オーストラリアがラグビーリーグ・ワールドカップ第2回大会で優勝した。

|リーグ

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|1958年

|ラグビーリーグテストマッチ第2試合でグレートブリテン代表はオーストラリア代表に25対18で勝利した。この試合では健康なグレートブリテン代表はピッチに8人しかいなかった。{{仮リンク|アラン・プレスコット|en|Alan Prescott}}は腕を骨折しながら77分間プレーした。

|リーグ

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|1960年

|グレートブリテンが第3回ラグビーリーグ・ワールドカップで優勝した。

|リーグ

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|1964年

|ラグビーリーグで初めて選手交代が認められたが、ハーフタイム前に負傷した選手に限られていた。

|リーグ

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|1966年

|[[国際ラグビーリーグ連盟|国際ラグビーリーグ委員会]]は、ボールを保持したチームには3度のプレー・ザ・ボールが認められ、4度目のタックルでスクラムが組まれるルールを導入した。次の年に南半球はこのルールを採用した。1972年には6度の攻撃権が認められるようになり、1983年にスクラムはボールの引き渡しに変更された。

|リーグ

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|1967年

|プロラグビーリーグは減少する観客を呼び戻す試みで、他のスポーツに先駆けて主な試合日を日曜日とした。

|リーグ

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|1968年


|Watersplash{{||en|Don Fox}}1110

|リーグ

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|1968年

|ラグビーユニオンで選手交代が初めて認められた(負傷選手のみ)。

|ユニオン

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|1969年

|スクリングボクスがブリテンとアイルランドに遠征した。この遠征は[[アパルトヘイト]]に対する抗議を受け、以後南アフリカはアパルトヘイト廃止までヨーロッパ遠征を行わなかった。

|ユニオン

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|1969年

|ラグビーリーグはイギリスの大学のスポーツとしてついに認められていった。

|リーグ

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|1970年

|グレートブリテン代表はオーストラリアとのテストマッチの後半2戦に勝利しThe Ashesを得た。

|リーグ

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|1970年

|イングランドで開催されたラグビーリーグ・ワールドカップは少ない観客しか集めることができなかった。オーストラリアが優勝した。

|リーグ

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|1971年

|ニュージーランドがブリテンでのラグビーリーグシリーズで初めて勝利した。

|リーグ

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|1971年

|ラグビーユニオンの[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ|ライオンズ]]がオーストラリアとニュージーランドに遠征した。このライオンズはニュージーランドでのテストシリーズで勝利した唯一のチームである。

|ユニオン

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|1971年

|スプリングボクスのオーストラリア遠征は抗議活動を受けた。

|ユニオン

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|1972年

|タイムキーパーとサイレンがラグビーリーグに初めて導入された。

|リーグ

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|1972年

|グレートブリテンがフランス・ラグビーリーグ・ワールドカップで再び優勝した。

|リーグ

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|1973年

|[[バーバリアンズ]]が[[カーディフ・アームズ・パーク]]で[[オールブラックス]]を破った。

|ユニオン

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|1973年


|RFL{{||en|British Amateur Rugby League Association}}30

|リーグ

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|1974年

|ラグビーユニオンのライオンズが南アフリカに遠征した。[[99コール]]が悪名高い遠征である。

|ユニオン

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|1974年

|ラグビーリーグの[[ドロップゴール]]による得点が2点から1点に減点された。

|リーグ

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|1975年

|ウェールズとイングランドが別々のチームでラグビーリーグ・ワールドカップに参加し、両半球で数カ月に渡ってプレーした。オーストラリアがイングランドに1ポイントリードしトロフィーを手にした。

|リーグ

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|1976年

| ラグビーユニオンニュージーランド代表(オールブラックス)が南アフリカに遠征した。南アフリカとスポーツで交流することを禁じた[[国際オリンピック委員会]] (IOC) の決定に反抗したニュージーランドの1976年夏季[[モントリオールオリンピック]]からの追放をIOCが拒否したことから、28の国(アフリカのほとんどの国)がモントリオールオリンピックを[[ボイコット]]した。

|ユニオン

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|1978年

|ラグビーユニオンニュージーランド代表がブリテンおよびアイルランドに遠征した。ニュージーランドはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズを破り初めてグランドスラムを達成した。

|ユニオン

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|1980年


|[[|RFC]]9,500[[|]][[]]

|リーグ

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|1980年

|オーストラリアで出身州別のラグビーリーグチームが対戦する形式(クイーンズランド出身の選手とサウスウェールズ出身の選手が相対する)が作られた([[ステート・オブ・オリジン]])。‘State against state; mate against mate’である。1982年から、3試合シリーズとして行われており、世界最強・最も厳しいラグビーと認識されている。

|リーグ

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|1981年

|オーストラリアでラグビーリーグに「[[シン・ビン]]」が導入された。

|リーグ

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|1981年

|スプリグボクスがニュージーランドに遠征した。

|ユニオン

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|1981年

|国際ラグビー評議会によってアパルトヘイト政策を廃止するまで南アフリカのラグビーユニオン国際大会への参加が禁止された。

|ユニオン

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|1982年

|トンガ、フィジー、サモアによるラグビーユニオンの[[パシフィック・トライネイションズ]]開催

|ユニオン

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|1982年

|ラグビーリーグオーストラリアチームの遠征において初めて全試合に勝利し、「The Invincibles(無敵)」として知られるようになった。

|リーグ

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|1983年

|ラグビーリーグのトライが4点に加点された。6度目のタックルによるポゼッション移行の導入やスクラムの下図を劇的に減少させたことで、試合の性格は大きく変化した。退場に値しない反則に対してシン・ビン(一時的な退場)が導入された。

|リーグ

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|1983年

|ラグビーリーグの他国リーグ間の移籍が解禁された。

|リーグ

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|1984年

|オーストラリアラグビーユニオンチームのブリテンおよびアイルランド遠征。オーストラリアはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズを破り初めてグランドスラムを達成した。

|ユニオン

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|1987年

|ニュージーランドとオーストラリアで開催された初の[[ラグビーワールドカップ|ラグビーユニオンワールドカップ]]でニュージーランドがフランスを29対9で破り優勝した。

|ユニオン

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|1987年

|アマチュアレベルにおける2つのルール間の「自由通路」が導入されたが、個々の場合の区別は継続した。

|ユニオン・<br />リーグ

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|1987年

|RFUはラグビーユニオンに108のリーグのおよそ1000クラブが参加する昇格・降格ありのピラミッド型[[プレミアシップ (ラグビー)|カリッジ・リーグ]](the Courage Leagues)を導入した。

|ユニオン

|-

|1988年

|ラグビーリーグのウィガンが[[ハリファックスRLFC]]を32対12で破り、チャレンジカップ8連覇のスタートを切った。{{仮リンク|エレリー・ハンリー|en|Ellery Hanley}}、{{仮リンク|アンディー・グレゴリー|en|Andy Gregory}}、{{仮リンク|ショーン・エドワーズ|en|Shaun Edwards}}といった選手を擁した現代的なタレント揃いのチームは10年間リーグを支配し、この期間に3度ワールドカップで優勝した。

|リーグ

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|1989年


|[[]][[]]{{||en|Canberra Raiders}}3018

|リーグ

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|1990年

|ロシアでラグビーリーグが始まった。ロシアは2000年ワールドカップに出場し、クラブもチャレンジカップに出場した。

|リーグ

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|1990年

|ラグビーリーグにブラッド・ビン(Blood-bin)が導入された。

|リーグ

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|1990年

|フランスのラグビーリーグの名称への「ラグビー」の使用禁止が解除された。これいによって名称はRugby à Treizeへと戻った。

|リーグ

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|1991年

|ブリテン諸島とフランスで開催された第2回ラグビーユニオンワールドカップ決勝(ロンドン、[[トゥイッケナム・スタジアム|トゥイッケナム]])でオーストラリアがイングランドを12対6で破った。

|ユニオン

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|1992年

|アパルトヘイトの廃止によりスプリングボクスが国際ラグビーユニオン界に復帰した。

|ユニオン

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|1992年

|[[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]で行われたラグビーリーグワールドカップ決勝は73,631人の観衆を集め、オーストラリアがグレートブリテンを10対6で破った。

|リーグ

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|1992年


|{{||en|Martin Offiah}}440,000

|リーグ

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|1993年

|アメリカ合衆国は初のラグビーリーグ国際試合でカナダを54対14で破った。

|リーグ

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|1994年


|{{||en|David Hinchliffe}}<ref>{{cite news|title=Do I not like that . . . / Hypocrisy has to end: David Hinchliffe MP explains why he has introduced a Bill to stop rugby union discriminating against the league code |url=http://www.independent.co.uk/sport/do-i-not-like-that-----hypocrisy-has-to-end-david-hinchliffe-mp-explains-why-he-has-introduced-a-bill-to-stop-rugby-union-discriminating-against-the-league-code-1425064.html|author=David Hinchliffe|date=1994-06-26|accessdate=2011-11-25|newspaper=The Independent}}</ref>

|ユニオン・<br />リーグ

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|1994年

|イギリスの三軍はラグビーリーグをスポーツであると認めた。ラグビーリーグは軍において他のスポーツと同じ立場を得た。

|リーグ

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|1995年

|国際ラグビー評議会はラグビーユニオンが「オープン」プロフェッショナルスポーツであると宣言した。これによって、試合に関係する全ての支払いや手当の制限が撤廃された。

|ユニオン

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|1995年


|3[[]][[|]]1512

|ユニオン

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|1995年

|ブリテンでワールドカップが復活し、ラグビーリーグ百周年が祝われた。ウェンブリーで行われた決勝でオーストラリアがイングランドに16対8で勝利した。フィジー、トンガ、南アフリカ、西サモアは本大会に出場したが、アイルランド、スコットランド、アメリカ合衆国、ロシア、[[クック諸島]]、[[モルドヴァ]]、[[モロッコ]]は{{仮リンク|ラグビーリーグ新興国トーナメント|en|Rugby League Emerging Nations Tournament}}に参加した。

|リーグ

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|1995年

|ラグビーユニオンのヨーロッパ12クラブによって争われる[[ハイネケン・カップ]]が作られた。

|ユニオン

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|1995年

|オーストラリアにおけるテレビ放映権に関する紛争の一部として、イギリスのRFLは[[ニューズ・コーポレーション]]からラグビーリーグの[[スーパーリーグ (ラグビーリーグ)|スーパーリーグ]]を新設する87百万ポンドのオファーを受けた。リーグ側は夏シーズン制に移行することを承諾し、{{仮リンク|パリ・ザンジェルマン・ラグビーリーグ|en|Paris Saint-Germain Rugby League}}がイギリスのトップクラブに加わり14チームが参加した。

|リーグ

|-

|1996年

|RFLはラグビーリーグのスーパーリーグにビデオ判定を導入した。

|リーグ

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|1996年

|オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの間で争われるラグビーユニオンの[[ザ・ラグビーチャンピオンシップ|トライ・ネイションズ]]が始まった。

|ユニオン

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|1996年

|イングランドのユニオンおよびリーグのそれぞれトップクラブである[[バース・ラグビー]]と[[ウィガン・ウォリアーズ|ウィガンRLFC]]が、それぞれのルールで試合を行うという歴史を作った([[クラッシュ・オブ・ザ・コーズ]]を参照)。最初の試合はマンチェスター、[[メイン・ロード]]においてリーグルールで行われウィガンがバースに82対6で勝利した。2週間後、リターンマッチがトゥイッケナムにおいてユニオンルールで行われ、バースがウィガンに44対19で勝利した。

|リーグ・<br />ユニオン

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|1998年

|オーストラリアにおいて、{{仮リンク|スーパーリーグ戦争|en|Super League war}}が終わりを迎え、{{仮リンク|ニューズ・インターナショナル|en|News International}}と{{仮リンク|オーストラリアン・ラグビーリーグ|en|Australian Rugby League}}は彼らの大会を融合させて[[ナショナルラグビーリーグ]]を作ることで合意した。

|リーグ

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|1998年

|[[コモンウェルスゲームズ]]および[[アジア競技大会]]においてラグビーセブンズ競技が始まった。

|ユニオン

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|1999年

|[[IRBセブンズワールドシリーズ]]が始まった。

|ユニオン

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|1999年

|ウェールズで開催された第4回ラグビーユニオンワールドカップ、カーディフ[[ミレニアム・スタジアム]]で行われた決勝でオーストラリアがフランスを35対12で下した。

|ユニオン

|-

|2000年

|IRBは南半球のスーパー12で試みた後、国際ラグビーユニオンに「シン・ビン」と「テレビジョン・マッチ・オフィシャル」(TMO) を導入した。

|ユニオン

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|2000年

|ラグビーユニオンのカリッジリーグはチューリッヒ・プレミアシップとなった。

|ユニオン

|-

|2000年

|ラグビーユニオンのファイブ・ネイションズはイタリアの参加により[[シックス・ネイションズ|シックス・ネイションズ・チャンピオンシップ]]となった。

|ユニオン

|-

|2000年

|スタジアムオーストラリアの世界記録109,874人の観衆の前で、ニュージーランドはオーストラリアをかろうじて破った。

|ユニオン

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!colspan="3" style="text-align:center"|21世紀

|-

|2001年

|ラグビーユニオンのライオンズによるオーストラリア遠征が行われた。ワラビーズはライオンズに初めて勝利した。

|ユニオン

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|2003年


|[[]][[A ()|A]]13

|ユニオン

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|2003年

|オーストラリアで開催された第5回ラグビーユニオンワールドカップ、シドニー、スタジアム・オーストラリアで行われた決勝で、イングランドは延長戦の末にオーストラリアを20対16で破った。

|ユニオン

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|2003年


|{{||en|Rugby League European Federation}} (RLEF) 

|リーグ

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|2006年

|フランスのチーム[[カタラン・ドラゴンズ]]にラグビーリーグのスーパーリーグライセンスを与えられた

|リーグ

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|2007年

|フランス、スコットランドおよびウェールズで開催された第6回ラグビーユニオンワールドカップ決勝、[[スタッド・ド・フランス]]において、南アフリカがイングランドを15対6で破った。

|ユニオン

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|2008年

|ラグビーリーグは2000年大会以来のワールドカップを開催した。

|リーグ

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|2011年


|7[[ ()|]][[]]87

|ユニオン

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|2011年

|14チームが2013ラグビーリーグワールドカップの出場権を得た: オーストラリア、イングランド、ニュージーランド、サモア、ウェールズ、フィジー、フランス、パプアニューギニア、アイルランド、スコットランド、トンガ、クック諸島、イタリア、アメリカ合衆国。

|リーグ

|-

|2012年

|トライネイションズがアルゼンチンを含んで拡大し、ラグビー・チャンピオンシップに改称された。

|ユニオン

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| 2015年 || ニュージーランドが第8回ラグビーユニオンワールドカップ決勝でオーストラリアを34対17で下し、初の連覇を達成した。

|ユニオン

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| 2016 || [[PRO]]PRO1

|ユニオン

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| 2016 || [[7|]]

|ユニオン

|-

| 2017年 || [[トロント・ウルフパック]]が[[カナダ]]初の完全なプロラグビーリーグチームとなった。イギリス/フランスのプロラグビーリーグシステムの3部ディビジョンである[[リーグ 1 (ラグビーリーグ)|リーグ 1]]に加入した。

|リーグ

|-


| 2018 || [[]]

|ユニオン

|}



; 19世紀

== 各国におけるラグビーの協会 ==

* 1830年 - ボールを持って走ることは1830年代にラグビー校で一般的になり、1850年代と1860年代にラグビースクールフットボールは連合王国中で人気となった。

=== ラグビーユニオン ===

* 1863年 - ザ・フットボール・アソシエーション (FA) が結成され、FAとラグビーフットボールの間の分裂が正式なものとなった。

[[ラグビーユニオン]]はプロ競技およびアマチュア競技として行われ、次に示す'''ティア1'''の実力が抜きんでている。

; ラグビーとサッカーの分裂

: [[アイルランドのラグビーユニオン|アイルランド]]、{{仮リンク|アルゼンチンのラグビーユニオン|en|Rugby union in Argentina|label=アルゼンチン}}、{{仮リンク|イタリアのラグビーユニオン|en|Rugby union in Italy|label=イタリア}}、{{仮リンク|イングランドのラグビーユニオン|en|Rugby union in England|label=イングランド}}、{{仮リンク|ウェールズのラグビーユニオン|en|Rugby union in Wales|label=ウェールズ}}、{{仮リンク|オーストラリアのラグビーユニオン|en|Rugby union in Australia|label=オーストラリア}}、{{仮リンク|スコットランドのラグビーユニオン|en|Rugby union in Scotland|label=スコットランド}}、{{仮リンク|ニュージーランドのラグビーユニオン|en|Rugby union in New Zealand|label=ニュージーランド}}、[[フランスのラグビーユニオン|フランス]]、{{仮リンク|南アフリカのラグビーユニオン|en|Rugby union in South Africa|label=南アフリカ}}

* 1864年 - 初のラグビークラブが[[リーズ]]と[[ハダーズフィールド]]で結成され、その後1870年代と1880年代には[[カンバーランド]]、[[ランカシャー]]、[[ヨークシャー]]で何百ものクラブが作られた。

* 1871年 - '''ラグビー・フットボール・ユニオン'''(ラグビーフットボール協会、'''RFU''')が創設され、{{仮リンク|ポールモールレストラン|en|Pall Mall Restaurant}}で21クラブによる会合が開かれた。

* 1871年 - 確認されている初の国際試合がイングランドとスコットランドの間で行われた。


* 1876 - {{||en|Matthew Bloxam}}{{||en|The Meteor}}1895調

* 1876 - {{| ()|en|Yorkshire Cup (rugby union)|label=}}[[FA]]

* 1877年 - 選手数が1チーム20人から15人に減少した。

* 1883年 - 初の[[シックス・ネイションズ|ホーム・ネイションズ・チャンピオンシップ]]がイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズの間で行われた。

* 1886年 - 大部分が[[労働者階級]]で構成される北部クラブの高まる優越性を危惧して、南部が主体のラグビーフットボール協会は厳格なアマチュアルールを導入した。

* 1888年・1889年 - ニュージーランド先住民フットボールチームがブリテン、オーストラリア、ニュージーランド遠征を行った。

* 1890年- 1890/91シーズンから現代の得点システムが[[ホーム・ネイションズ]]によって一様に承認された。

* 1892年 - [[ブラッドフォード]]{{要曖昧さ回避|date=2014年6月16日}}とリーズのラグビーフットボールクラブが選手の休業保障を行ったことによって、プロフェッショナリズムの非難が向けられた。しかしラグビー・フットボール・ユニオン (RFU) 自身も、1888年ブリテン諸島代表のオーストラリア遠征や、1904年にイングランドと対戦したニューサウスウェールズのHarry Hamillに対する支払いを認めている。

* 1893年 - ヨークシャーのクラブは選手の休業保障として6[[シリング]]を支払うことを提案したが、RFUはこの提案を否決した。これによって北部のクラブおよび選手による試合の中止が広がっていった。



; ラグビーリーグとラグビーユニオンの分裂

'''ティア2'''および'''ティア3'''には、次の国々の協会がある。

* 1895年(リーグ・ユニオン) - ラグビーフットボール界の分裂の結果、'''ノーザン・ラグビー・フットボール・ユニオン''' ('''NRFU''') が結成された。この分裂には、労働者階級の北部チームの成功や、入場料を徴収した競技場でのラグビー試合のRFUによる禁止命令、クラブがアマチュアリズムを受け入れなかった場合のRFUからの除籍に対する恐れ、選手が仕事を休んでラグビーの試合に出場した際の休業保障の開始など多くの要素が作用している。同じような動きは他の国々でも存在した。22のクラブがハダーズフィールドのジョージホテルで会合を開きNRFUが結成された。ハダーズフィールドでの初会合から15年以内に、200以上のクラブがRFUを脱退しNRFUに加入した。

: {{仮リンク|ブラジルのラグビーユニオン|en|Rugby union in Brazil|label=ブラジル}}、{{仮リンク|カナダのラグビーユニオン|en|Rugby union in Canada|label=カナダ}}、{{仮リンク|チリのラグビーユニオン|en|Rugby union in Chile|label=チリ}}、{{仮リンク|コロンビアのラグビーユニオン|en|Rugby union in Colombia|label=コロンビア}}、{{仮リンク|フィジーのラグビーユニオン|en|Rugby union in Fiji|label=フィジー}}、[[ジョージアのラグビーユニオン|ジョージア]]、[[日本のラグビーユニオン|日本]]、{{仮リンク|メキシコのラグビーユニオン|en|Rugby union in Mexico|label=メキシコ}}、{{仮リンク|ナミビアのラグビーユニオン|en|Rugby union in Namibia|label=ナミビア}}、{{仮リンク|ペルーのラグビーユニオン|en|Rugby union in Peru|label=ペルー}}、{{仮リンク|ポルトガルのラグビーユニオン|en|Rugby union in Portugal|label=ポルトガル}}、{{仮リンク|ルーマニアのラグビーユニオン|en|Rugby union in Romania|label=ルーマニア}}、{{仮リンク|サモアのラグビーユニオン|en|Rugby union in Samoa|label=サモア}}、{{仮リンク|スペインのラグビーユニオン|en|Rugby union in Spain|label=スペイン}}、{{仮リンク|トンガのラグビーユニオン|en|Rugby union in Tonga|label=トンガ}}、{{仮リンク|アメリカ合衆国のラグビーユニオン|en|Rugby union in the United States|label=アメリカ合衆国}}、{{仮リンク|ウルグアイのラグビーユニオン|en|Rugby union in Uruguay|label=ウルグアイ}}、{{仮リンク|ベネズエラのラグビーユニオン|en|Rugby union in Vanezuela<!-- 存在しない -->|label=ベネズエラ}}

* 1896年(リーグ) - [[マニンガムFC|マニンガム]]が初のノーザン・ユニオン・チャンピオンシップで優勝した。マニンガムは1903年にアソシエーションフットボール([[サッカー]])に転向し、[[ブラッドフォード・シティAFC|ブラッドフォード・シティ]]となった。

* 1896年(リーグ) - [[ラグビーリーグ・チャレンジカップ]]が創設され、開始から成功を収めた。[[バトリー・ブルドッグズ|バトリー]]が[[セント・ヘレンズRFC|セント・ヘレンズ]]を10対3で破り、初の勝者となった。

* 1897年(リーグ) - 試合をより興奮するものにするため、ノーザン・ユニオンはラインアウトを廃止し、全てのゴールの得点を2点に減らした。ラインアウトはタッチラインからのパントに変更された。トライは3点を与えられた。

* 1898年(リーグ) - ノーザン・ユニオンにプロフェッショナリズムが導入された。このプロフェッショナリズムは厳密にパートタイムであり、選手は他の「きちんとした」仕事を持っていることが義務付けられた。

* 1900年(ユニオン) - ラグビーユニオンが1900年の夏季[[パリオリンピック (1900年)|パリオリンピック]]に採用された。これは1924年の[[パリオリンピック (1924年)|パリオリンピック]]に終了した。



; 20世紀前半


[[]][[]][[]]{{||en|Rugby union in Madagascar|label=}}<ref>{{cite news|last=Kemp |first=Stuart |url=http://www.reuters.com/article/idUSN2437023820070826 |title=Rugby World Cup gaining wide popularity |agency=Reuters |accessdate=30 May 2011 |date=24 August 2007}}</ref>[[7|]]72016<ref>{{cite web|url=http://www.irb.com/rugbyandtheolympics/news/newsid=2035087.html#olympics+sevens+heaven+rugby |title=International Rugby Board  News |publisher=Irb.com |accessdate=30 May 2011}}</ref>

* 1901年(リーグ) - ラグビーリーグのラインアウトに代わるパントアウトの導入実験がわずか4年で終了した。現在はボールがアウト・オブ・プレーになると[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]でリスタートされる。


* 1904年(リーグ) - ラグビーリーグの初の国際試合が[[ウィガン]]で行われ、イングランドが他国合同チームに3対9で敗れた。

=== ラグビーリーグ ===


* 1905 - {{||en|The Game of the Century<!--  -->}}

ラグビーリーグもまたプロ競技およびアマチュア競技として行われており、世界レベルでは[[国際ラグビーリーグ連盟]]によって統括されている。次の国々にはアマチュアおよびセミプロの競技会がある。


* 1906 - [[]]{{| ()|en|James Peters (rugby)|label=}}

* {{仮リンク|アメリカ合衆国のラグビーリーグ|en|Rugby league in the United States|label=アメリカ合衆国}}、{{仮リンク| ロシアのラグビーリーグ|en|Rugby league in Russia|label=ロシア}}、{{仮リンク|レバノンのラグビーリーグ|en|Rugby league in Lebanon|label=レバノン}}、{{仮リンク|セルビアのラグビーリーグ|en|Rugby league in Serbia|label=セルビア}}、[[ヨーロッパ]]、[[オーストララシア]]

* 1906年(ユニオン) - ジェームス・ピータースはイングランド代表としてスコットランドと戦い、初の黒人ラグビー選手となった。


* 1906年(リーグ) - ラグビーリーグにおいて、よりクリエイティブなプレーのためのスペースを与えるために選手数が15人から13人に減らされた。タックル後の試合再開の形としてプレー・ザ・ボールの初期の形が導入された。

上記に加えて、次の2つの主要なプロリーグがある。

* 1907年(リーグ) - ラグビーリーグが[[オーストラリア]]および[[ニュージーランド]]に広まっていった。ニューサウスウェールズ・ラグビー・フットボール・リーグが[[シドニー]]のBateman'sホテルで創設された。ニューサウスウェールズ・ラグビー・リーグは故障した選手に対する保障問題でオーストラリアン・ラグビー・ユニオンと喧嘩した後に、8チームで開始した。初優勝はサウス・シドニーが果たした。ラグビーリーグは[[ニューサウスウェールズ州]]と[[クイーンズランド州]]での主要なフットボール競技としてラグビーユニオンに取って代わっていった。

* オーストララシアの[[ナショナルラグビーリーグ]]、ヨーロッパの[[スーパーリーグ (ラグビーリーグ)|スーパーリーグ]]

* 1907年(リーグ) - ニュージーランドラグビーリーグチームがブリテンへ遠征を行った。ニュージーランドの郵便局員{{仮リンク|アルバート・ヘンリー・バスカヴィル|en|Albert Henry Baskerville}}によって組織されたニュージーランド遠征チームは、彼らのオープン・プロフェッショナリズムのために母国のメディアに「オール・ゴールズ (All Golds)」との汚名を着せられた。彼らはシドニーとブリテンではラグビーユニオンのルールで試合を行い、オーストラリアの偉大な選手である{{仮リンク|ダリ・メッセンジャー|en|Dally Messenger}}に遠征に加わるよう説得した。彼らは初の[[テストマッチ]]に2対1で勝利したが、バスカヴィルは帰国中に[[肺炎]]のため25歳で死去した。


* 1908年(リーグ) - 初のオーストラリア[[カンガルーズ]]遠征チームがブリテンを訪れた。{{仮リンク|ハンスレット・ホークス|en|Hunslet Hawks|label=ハンスレット}}は、チャンピオンシップ、チャレンジカップ、ヨークシャーカップ、ヨークシャーリーグの4つのトロフィー全てを手にした初のクラブとなった。ハンスレットはラグビーリーグ初期の主要な選手である{{仮リンク|アルバート・ゴールドソープ|en|Albert Goldthorpe}}に率いられた。

ラグビーリーグ代表チームの実力は、次の国々が抜きん出ている。

* 1910年(ユニオン) - ラグビーユニオンのホーム・ネイションズ・チャンピオンシップがフランスの参加により[[シックス・ネイションズ|ファイブ・ネイションズ・チャンピオンシップ]]となった。

* [[ラグビーリーグオーストラリア代表|オーストラリア]]、[[ラグビーリーグイングランド代表|イングランド]]、[[ラグビーリーグニュージーランド代表|ニュージーランド]]

* 1910年(リーグ) - 初のノーザン・ユニオンの{{仮リンク|ラグビーリーググレートブリテン代表|en|Great Britain national rugby league team|label=ブリティッシュ・ライオンズ}}による遠征がオーストラリアおよびニュージーランドへ行われ、シドニーと[[ブリスベン]]で行われたテストマッチに勝利した。


* 1912年(ユニオン) - [[ラグビー南アフリカ代表|ラグビーユニオン南アフリカ代表]]がブリテン諸島およびフランスに遠征した。遠征チームはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランスのヨーロッパ5チーム全ての勝利する「グランドスラム」を達成した。


{{||en|Pacific Cup}}{{| ()|en|Rugby League European Cup|label=}}

* 1914年(リーグ) - [[ハダーズフィールド・ジャイアンツ|ハダーズフィールド]]の{{仮リンク|アルバート・ローゼンフェルド|en|Albert Rosenfeld}}が1シーズン100トライを記録した。ブリテン代表遠征チームはテストマッチ3連戦の最終戦でオーストラリアに14対6で勝利し、{{仮リンク|ジ・アッシーズ (ラグビーリーグ)|en|The Ashes (rugby league)|label=The Ashes}}を勝ち取った。最後までこの試合に残っていたのはわずか10人であり(選手交代は認められていなかった)、{{仮リンク|ロークス・ドリフトの防衛戦|en|Battle of Rorke's Drift|label=ロークス・ドリフト}}のテストマッチとして知られるようになった。

* 1922年(リーグ) - ノーザン・ユニオンは'''ラグビー・フットボール・リーグ'''と改名した。この組織名がオーストラリアにおけるこのスポーツの名称としても以後使用されるようになった。


* 1925 - [[]]The Invincibles

* 1929 - [[]][[ (1923)|]]41,500[[|]]{{||en|Dewsbury Rams|label=}}132

* 1930年(ユニオン) - ファイブ・ネイションズとは別にラグビーユニオンヨーロピアンカップが始まった。この大会は第二次世界大戦で中断された。

* 1930年(ユニオン) - ラグビーリーグのブリテン代表とオーストラリア代表のテストマッチ第3戦が0対0の引き分けに終わった後、前例のない第4戦が[[ロッチデール]]で行われた。ブリテン代表は3対0で勝利しThe Ashesを手にした。

* 1932年(リーグ) - 夜間照明の下で初のラグビーリーグの試合が開催された。

* 1933年(リーグ) - 大晦日、フランスにおける初のラグビーリーグの試合が、イングランドとオーストラリアの間で行われた。フランスはプロフェッショナリズムの申し立ての真っ只中にありラグビーユニオンのファイブ・ネイションズから除外されていたことから、新しいスポーツを受け入れようとしていた。


* 1934 - {{||en|Jean Galia}}1939225

* 1934年(リーグ) - フランスはパリで初めての国際試合を行いイングランドに32対21で敗れた。[[サルフォード・レッドデビルズ|サルフォード]]はフランス遠征を行い、‘Les Diables Rouges’(赤い悪魔)のニックネームを得た。


* 1941 - [[|]]

* 1943 - {{| ()|en|Northern Command (United Kingdom)|label=}}[[|]]181115101996

* 1944年(リーグ) - ヴィシー政権の崩壊により、フランスにおけるラグビーリーグの禁止令が解除された。

* 1945年(リーグ) - {{仮リンク|ブライアン・ビーヴァン|en|Brian Bevan}}が[[ウォリントン・ウルブズ|ウォリントン]]でラグビーリーグデビューを果たした。16年間に渡って、ビーヴァンはウォリントンで620試合に出場し740トライを上げた。キャリア通算トライ数は796。しかし、故郷のオーストラリア代表としてプレーすることはなかった。

* 1946年(リーグ) - {{仮リンク|ランス・トッド・トロフィー|en|Lance Todd Trophy}}がチャレンジカップ決勝のマン・オブ・ザ・マッチに初めて手渡された。[[ウェイクフィールド・トリニティ|ウェイクフィールド・トリニティー・ワイルドキャッツ]]の{{仮リンク|ビリー・ストット|en|Billy Stott}}が初の受賞者となった。1942年に交通事故で死亡した{{仮リンク|ランス・トッド|en|Lance Todd}}は1907年ニュージーランド代表遠征チームの一員であり、サルフォードを1928年から1940年まで指揮した。

* 1946年(リーグ) - この年は史上最も有名なラグビーリーグ遠征が行われた。ライオンズは[[インドミタブル (空母)|HMSインドミタブル]]でオーストラリアへ航海した。オーストラリアを横断する5日間の旅で、{{仮リンク|ガス・リスマン|en|Gus Risman}}に率いられたチームはテストマッチを2勝1引き分けで終えThe Ashesを保持した。

* 1949年(リーグ) - フランスラグビーリーグは名称への「ラグビー」の使用を禁止され、''Jeu à Treize''(Game of Thirteen)へと改称した。

* 1950年(リーグ) - [[トリノ]]からのイタリアチームがイングランド北部へと遠征した。イタリアは後に国内大会やオーストラリアとの試合を行ったが、この活動は1962年に途絶えた。

; 20世紀後半

* 1951年(ユニオン) - {{仮リンク|南米ラグビーチャンピオンシップ|en|South American Rugby Championship}}が開始した。

* 1951年(ユニオン) - 南アフリカラグビーユニオン代表がブリテン諸島およびフランスへ遠征した。南アフリカは二度目のファイブ・ネイション・グランドスラムを達成した。

* 1951年(リーグ) - 活動を終えてからちょうど10年後、フランスはオーストラリアでの初のラグビーリーグシリーズに勝利した。フランスは1955年にも再び勝利を収めた。

* 1951年(リーグ) - ラグビーリーグの{{仮リンク|セク・トンプソン|en|Cec Thompson}}はあらゆるスポーツの中で初のグレートブリテン代表の黒人選手となった。

* 1952年(ユニオン) - ラグビーユニオンのヨーロピアンカップが再開した。

* 1953年(リーグ) - 英国陸軍通信部隊で兵役を果たしていたウェールズ人の若者、{{仮リンク|ビリー・ボストン|en|Billy Boston}}がウィガンでデビューした。彼はイギリスの最多トライ数の記録を持っており、全世界ではビーヴァンに次いで第2位である。

* 1954年(リーグ) - イングランドブラッドフォードOdsalスタジアムで行われた{{仮リンク|label=1953-54 ラグビーリーグチャレンジカップ|1953-54 ノーザン・ラグビー・フットボール・リーグ・シーズン|en|1953–54 Northern Rugby Football League season}}決勝は102,569の観衆を集め、ラグビーユニオン・ラグビーリーグを含むラグビーフットボールの試合の新記録を打ち立てた。

* 1954年(リーグ) - 初の[[ラグビーリーグ・ワールドカップ]](ユニオンも含めて初)がフランスで開催された。パリ、[[パルク・デ・プランス]]で行われた決勝では、グレートブリテン代表がフランス代表を16対12で破り優勝した。

* 1956年(ユニオン) - [[ラグビー南アフリカ共和国代表|スプリングボクス]]がニュージーランドに遠征した。南アフリカはニュージーランドに対して遠征で初めての敗戦を喫した。

* 1957年(リーグ) - オーストラリアがラグビーリーグ・ワールドカップ第2回大会で優勝した。

* 1958年(リーグ) - ラグビーリーグテストマッチ第2試合でグレートブリテン代表はオーストラリア代表に25対18で勝利した。この試合では健康なグレートブリテン代表はピッチに8人しかいなかった。{{仮リンク|アラン・プレスコット|en|Alan Prescott}}は腕を骨折しながら77分間プレーした。

* 1960年(リーグ) - グレートブリテンが第3回ラグビーリーグ・ワールドカップで優勝した。

* 1964年(リーグ) - ラグビーリーグで初めて選手交代が認められたが、ハーフタイム前に負傷した選手に限られていた。

* 1966年(リーグ) - [[国際ラグビーリーグ連盟|国際ラグビーリーグ委員会]]は、ボールを保持したチームには3度のプレー・ザ・ボールが認められ、4度目のタックルでスクラムが組まれるルールを導入した。次の年に南半球はこのルールを採用した。1972年には6度の攻撃権が認められるようになり、1983年にスクラムはボールの引き渡しに変更された。

* 1967年(リーグ) - プロラグビーリーグは減少する観客を呼び戻す試みで、他のスポーツに先駆けて主な試合日を日曜日とした。


* 1968 - Watersplash{{||en|Don Fox}}1110

* 1968年(ユニオン) - ラグビーユニオンで選手交代が初めて認められた(負傷選手のみ)。

* 1969年(ユニオン) - スクリングボクスがブリテンとアイルランドに遠征した。この遠征は[[アパルトヘイト]]に対する抗議を受け、以後南アフリカはアパルトヘイト廃止までヨーロッパ遠征を行わなかった。

* 1969年(リーグ) - ラグビーリーグはイギリスの大学のスポーツとしてついに認められていった。

* 1970年(リーグ) - グレートブリテン代表はオーストラリアとのテストマッチの後半2戦に勝利しThe Ashesを得た。

* 1970年(リーグ) - イングランドで開催されたラグビーリーグ・ワールドカップは少ない観客しか集めることができなかった。オーストラリアが優勝した。

* 1971年(リーグ) - ニュージーランドがブリテンでのラグビーリーグシリーズで初めて勝利した。

* 1971年(ユニオン) - ラグビーユニオンの[[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ|ライオンズ]]がオーストラリアとニュージーランドに遠征した。このライオンズはニュージーランドでのテストシリーズで勝利した唯一のチームである。

* 1971年(ユニオン) - スプリングボクスのオーストラリア遠征は抗議活動を受けた。

* 1972年(リーグ) - タイムキーパーとサイレンがラグビーリーグに初めて導入された。

* 1972年(リーグ) - グレートブリテンがフランス・ラグビーリーグ・ワールドカップで再び優勝した。

* 1973年(ユニオン) - [[バーバリアンズ]]が[[カーディフ・アームズ・パーク]]で[[オールブラックス]]を破った。


* 1973 - RFL{{||en|British Amateur Rugby League Association}}30

* 1974年(ユニオン) - ラグビーユニオンのライオンズが南アフリカに遠征した。[[99コール]]が悪名高い遠征である。

* 1974年(リーグ) - ラグビーリーグの[[ドロップゴール]]による得点が2点から1点に減点された。

* 1975年(リーグ) - ウェールズとイングランドが別々のチームでラグビーリーグ・ワールドカップに参加し、両半球で数カ月に渡ってプレーした。オーストラリアがイングランドに1ポイントリードしトロフィーを手にした。

* 1976年(ユニオン) - ラグビーユニオンニュージーランド代表(オールブラックス)が南アフリカに遠征した。南アフリカとスポーツで交流することを禁じた[[国際オリンピック委員会]] (IOC) の決定に反抗したニュージーランドの1976年夏季[[モントリオールオリンピック]]からの追放をIOCが拒否したことから、28の国(アフリカのほとんどの国)がモントリオールオリンピックを[[ボイコット]]した。

* 1978年(ユニオン) - ラグビーユニオンニュージーランド代表がブリテンおよびアイルランドに遠征した。ニュージーランドはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズを破り初めてグランドスラムを達成した。


* 1980 - [[|RFC]]9,500[[|]][[]]

* 1980年(リーグ) - オーストラリアで出身州別のラグビーリーグチームが対戦する形式(クイーンズランド出身の選手とサウスウェールズ出身の選手が相対する)が作られた([[ステート・オブ・オリジン]])。‘State against state; mate against mate’である。1982年から、3試合シリーズとして行われており、世界最強・最も厳しいラグビーと認識されている。

* 1981年(リーグ) - オーストラリアでラグビーリーグに「[[シン・ビン]]」が導入された。

* 1981年(ユニオン) - スプリグボクスがニュージーランドに遠征した。

* 1981年(ユニオン) - 国際ラグビー評議会によってアパルトヘイト政策を廃止するまで南アフリカのラグビーユニオン国際大会への参加が禁止された。

* 1982年(ユニオン) - トンガ、フィジー、サモアによるラグビーユニオンの[[パシフィック・トライネイションズ]]開催

* 1982年(リーグ) - ラグビーリーグオーストラリアチームの遠征において初めて全試合に勝利し、「The Invincibles(無敵)」として知られるようになった。

* 1983年(リーグ) - ラグビーリーグのトライが4点に加点された。6度目のタックルによるポゼッション移行の導入やスクラムの下図を劇的に減少させたことで、試合の性格は大きく変化した。退場に値しない反則に対してシン・ビン(一時的な退場)が導入された。

* 1983年(リーグ) - ラグビーリーグの他国リーグ間の移籍が解禁された。

* 1984年(ユニオン) - オーストラリアラグビーユニオンチームのブリテンおよびアイルランド遠征。オーストラリアはイングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズを破り初めてグランドスラムを達成した。

* 1987年(ユニオン) - ニュージーランドとオーストラリアで開催された初の[[ラグビーワールドカップ|ラグビーユニオンワールドカップ]]でニュージーランドがフランスを29対9で破り優勝した。

* 1987年(リーグ・ユニオン) - アマチュアレベルにおける2つのルール間の「自由通路」が導入されたが、個々の場合の区別は継続した。

* 1987年(ユニオン) - RFUはラグビーユニオンに108のリーグのおよそ1000クラブが参加する昇格・降格ありのピラミッド型[[プレミアシップ (ラグビー)|カリッジ・リーグ]](the Courage Leagues)を導入した。

* 1988年(リーグ) - ラグビーリーグのウィガンが[[ハリファックスRLFC]]を32対12で破り、チャレンジカップ8連覇のスタートを切った。{{仮リンク|エレリー・ハンリー|en|Ellery Hanley}}、{{仮リンク|アンディー・グレゴリー|en|Andy Gregory}}、{{仮リンク|ショーン・エドワーズ|en|Shaun Edwards}}といった選手を擁した現代的なタレント揃いのチームは10年間リーグを支配し、この期間に3度ワールドカップで優勝した。

* 1989年(リーグ) - 初の公式[[ワールドクラブチャレンジ]]で[[ウィドネス・バイキングズ]]が{{仮リンク|キャンベラ・レイダーズ|en|Canberra Raiders}}を30対18で破った。

* 1990年(リーグ) - ロシアでラグビーリーグが始まった。ロシアは2000年ワールドカップに出場し、クラブもチャレンジカップに出場した。

* 1990年(リーグ) - ラグビーリーグにブラッド・ビン(Blood-bin)が導入された。

* 1990年(リーグ) - フランスのラグビーリーグの名称への「ラグビー」の使用禁止が解除された。これいによって名称はRugby à Treizeへと戻った。

* 1991年(ユニオン) - ブリテン諸島とフランスで開催された第2回ラグビーユニオンワールドカップ決勝(ロンドン、[[トゥイッケナム・スタジアム|トゥイッケナム]])でオーストラリアがイングランドを12対6で破った。

* 1992年(ユニオン) - アパルトヘイトの廃止によりスプリングボクスが国際ラグビーユニオン界に復帰した。

* 1992年(リーグ) - [[ウェンブリー・スタジアム (1923)|ウェンブリー・スタジアム]]で行われたラグビーリーグワールドカップ決勝は73,631人の観衆を集め、オーストラリアがグレートブリテンを10対6で破った。

* 1992年(リーグ) - {{仮リンク|マーティン・オファイア|en|Martin Offiah}}が世界記録の440,000ポンドの移籍金によりウィドネスからウィガンへ移籍した。

* 1993年(リーグ) - アメリカ合衆国は初のラグビーリーグ国際試合でカナダを54対14で破った。


* 1994 - {{||en|David Hinchliffe}}<ref>{{cite news|title=Do I not like that . . . / Hypocrisy has to end: David Hinchliffe MP explains why he has introduced a Bill to stop rugby union discriminating against the league code |url=http://www.independent.co.uk/sport/do-i-not-like-that-----hypocrisy-has-to-end-david-hinchliffe-mp-explains-why-he-has-introduced-a-bill-to-stop-rugby-union-discriminating-against-the-league-code-1425064.html|author=David Hinchliffe|date=1994-06-26|accessdate=2011-11-25|newspaper=The Independent}}</ref>

* 1994年(リーグ) - イギリスの三軍はラグビーリーグをスポーツであると認めた。ラグビーリーグは軍において他のスポーツと同じ立場を得た。

* 1995年(ユニオン) - 国際ラグビー評議会はラグビーユニオンが「オープン」プロフェッショナルスポーツであると宣言した。これによって、試合に関係する全ての支払いや手当の制限が撤廃された。

* 1995年(ユニオン) - 南アフリカで開催された第3回ラグビーユニオンワールドカップにおいて、[[ヨハネスブルク]][[エリス・パーク・スタジアム|エリス・パーク]]で行われた決勝で、延長戦の末に南アフリカがニュージーランドを15対12で破った。

* 1995年(リーグ) - ブリテンでワールドカップが復活し、ラグビーリーグ百周年が祝われた。ウェンブリーで行われた決勝でオーストラリアがイングランドに16対8で勝利した。フィジー、トンガ、南アフリカ、西サモアは本大会に出場したが、アイルランド、スコットランド、アメリカ合衆国、ロシア、[[クック諸島]]、[[モルドヴァ]]、[[モロッコ]]は{{仮リンク|ラグビーリーグ新興国トーナメント|en|Rugby League Emerging Nations Tournament}}に参加した。

* 1995年(ユニオン) - ラグビーユニオンのヨーロッパ12クラブによって争われる[[ハイネケン・カップ]]が作られた。

* 1995年(リーグ) - オーストラリアにおけるテレビ放映権に関する紛争の一部として、イギリスのRFLは[[ニューズ・コープ]]からラグビーリーグの[[スーパーリーグ (ラグビーリーグ)|スーパーリーグ]]を新設する87百万ポンドのオファーを受けた。リーグ側は夏シーズン制に移行することを承諾し、{{仮リンク|パリ・ザンジェルマン・ラグビーリーグ|en|Paris Saint-Germain Rugby League}}がイギリスのトップクラブに加わり14チームが参加した。

* 1996年(リーグ) - RFLはラグビーリーグのスーパーリーグにビデオ判定を導入した。

* 1996年(ユニオン) - オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカの間で争われるラグビーユニオンの[[ザ・ラグビーチャンピオンシップ|トライ・ネイションズ]]が始まった。

* 1996年(リーグ・ユニオン) - イングランドのユニオンおよびリーグのそれぞれトップクラブである[[バース・ラグビー]]と[[ウィガン・ウォリアーズ|ウィガンRLFC]]が、それぞれのルールで試合を行うという歴史を作った([[クラッシュ・オブ・ザ・コーズ]]を参照)。最初の試合はマンチェスター、[[メイン・ロード]]においてリーグルールで行われウィガンがバースに82対6で勝利した。2週間後、リターンマッチがトゥイッケナムにおいてユニオンルールで行われ、バースがウィガンに44対19で勝利した。

* 1998年(リーグ) - オーストラリアにおいて、{{仮リンク|スーパーリーグ戦争|en|Super League war}}が終わりを迎え、{{仮リンク|ニューズ・インターナショナル|en|News International}}と{{仮リンク|オーストラリアン・ラグビーリーグ|en|Australian Rugby League}}は彼らの大会を融合させて[[ナショナルラグビーリーグ]]を作ることで合意した。

* 1998年(ユニオン) - [[コモンウェルスゲームズ]]および[[アジア競技大会]]においてラグビーセブンズ競技が始まった。

* 1999年(ユニオン) - [[IRBセブンズワールドシリーズ]]が始まった。

* 1999年(ユニオン) - ウェールズで開催された第4回ラグビーユニオンワールドカップ、カーディフ[[ミレニアム・スタジアム]]で行われた決勝でオーストラリアがフランスを35対12で下した。

* 2000年(ユニオン) - IRBは南半球のスーパー12で試みた後、国際ラグビーユニオンに「シン・ビン」と「テレビジョン・マッチ・オフィシャル」(TMO) を導入した。

* 2000年(ユニオン) - ラグビーユニオンのカリッジリーグはチューリッヒ・プレミアシップとなった。

* 2000年(ユニオン) - ラグビーユニオンのファイブ・ネイションズはイタリアの参加により[[シックス・ネイションズ|シックス・ネイションズ・チャンピオンシップ]]となった。

* 2000年(ユニオン) - スタジアムオーストラリアの世界記録109,874人の観衆の前で、ニュージーランドはオーストラリアをかろうじて破った。

; 21世紀

* 2001年(ユニオン) - ラグビーユニオンのライオンズによるオーストラリア遠征が行われた。ワラビーズはライオンズに初めて勝利した。

* 2003年(ユニオン) - ラグビーユニオンの[[チャーチルカップ]]がカナダ、アメリカ合衆国、イングランド・サクソンズ(イングランド[[A代表 (ラグビー)|A代表]])と招待国1チーム(後に3チーム)によって始まった。

* 2003年(ユニオン) - オーストラリアで開催された第5回ラグビーユニオンワールドカップ、シドニー、スタジアム・オーストラリアで行われた決勝で、イングランドは延長戦の末にオーストラリアを20対16で破った。

* 2003年(リーグ) - ラグビーリーグのヨーロッパ全土への振興のために{{仮リンク|欧州ラグビーリーグ連盟|en|Rugby League European Federation}} (RLEF) が作られた。

* 2006年(リーグ) - フランスのチーム[[カタラン・ドラゴンズ]]にラグビーリーグのスーパーリーグライセンスを与えられた

* 2007年(ユニオン) - フランス、スコットランドおよびウェールズで開催された第6回ラグビーユニオンワールドカップ決勝、[[スタッド・ド・フランス]]において、南アフリカがイングランドを15対6で破った。

* 2008年(リーグ) - ラグビーリーグは2000年大会以来のワールドカップを開催した。


* 2011 - 7[[ ()|]][[]]87

* 2011年(リーグ) - 14チームが2013ラグビーリーグワールドカップの出場権を得た: オーストラリア、イングランド、ニュージーランド、サモア、ウェールズ、フィジー、フランス、パプアニューギニア、アイルランド、スコットランド、トンガ、クック諸島、イタリア、アメリカ合衆国。

* 2012年(ユニオン) - トライネイションズがアルゼンチンを含んで拡大し、ラグビー・チャンピオンシップに改称された。

* 2015年(ユニオン) - ニュージーランドが第8回ラグビーユニオンワールドカップ決勝でオーストラリアを34対17で下し、初の連覇を達成した。

* 2016年(ユニオン) - アメリカ合衆国の[[PROラグビー]]の初開催シーズン。PROラグビーはわずか1シーズンで解散した。

* 2016年(ユニオン) - 夏季オリンピックで[[7人制ラグビー|ラグビーセブンズ]]競技が開始。

* 2017年(リーグ) - [[トロント・ウルフパック]]が[[カナダ]]初の完全なプロラグビーリーグチームとなった。イギリス/フランスのプロラグビーリーグシステムの3部ディビジョンである[[リーグ1 (ラグビーリーグ)|リーグ 1]]に加入した。

* 2018年(ユニオン) - [[メジャーリーグラグビー]]の初開催シーズン。アメリカ合衆国とカナダのラグビーユニオンチームが参加。

* 2019年(ユニオン) - [[ラグビーワールドカップ]]日本大会が開催。決勝で南アフリカがイングランドを32対12で破り3度目の優勝。



== ルール==

== ルール==

{{Main|ラグビーユニオン#規則|ラグビーリーグ}}

{{Main|ラグビーリーグとラグビーユニオンの比較}}

ラグビーユニオンとリーグに共通する特徴的な要素には、楕円形のボールの使用や前方へボールを投げることの禁止があり、選手が陣地を得る方法はボールを持って走るかボールを蹴るかしかない。ラグビーリーグではユニオンと分離し以降、より速いペースのよりトライを指向した試合とする目的でルール改正が行われている。

ラグビーユニオンとリーグに共通する特徴的な要素には、楕円形のボールの使用や前方へボールを投げることの禁止があり、選手が陣地を得る方法はボールを持って走るかボールを蹴るかしかない。ラグビーリーグではユニオンと分離し以降、より速いペースのよりトライを指向した試合とする目的でルール改正が行われている。



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ユニオンの[[セットプレー]]には、相手選手のパックをボールのポゼッションのために互いに押し合う「[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]」や、[[タッチライン]]に対して垂直に平行なラインで並んだ両チームの選手がタッチから投げられたボールをキャッチしようと試みる「[[ラインアウト]]」がある。

ユニオンの[[セットプレー]]には、相手選手のパックをボールのポゼッションのために互いに押し合う「[[スクラム (ラグビー)|スクラム]]」や、[[タッチライン]]に対して垂直に平行なラインで並んだ両チームの選手がタッチから投げられたボールをキャッチしようと試みる「[[ラインアウト]]」がある。




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== 文化 ==

== 文化 ==

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=== 季語 ===

=== 季語 ===


[[]]''''''[[]]{{r|}}<ref name="">{{Cite web |title= |url=http://kigosai.sub.jp/kigo500b/385.html |publisher= |website= |accessdate=2019-10-01 }}</ref>//<ref group="">[[]]</ref>''''''{{r|}}[[]]{{r|}}1

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* 例句 - ラガーらの [[雄蕊|雄しべ]]のごとく円となる  [[加藤三七子]]

* 例句 - ラガーらの [[雄蕊|雄しべ]]のごとく円となる  [[加藤三七子]]

* 例句 - ラグビーや 緑の大地あるかぎり  [[長谷川櫂]] 『初雁』

* 例句 - ラグビーや 緑の大地あるかぎり  [[長谷川櫂]] 『初雁』


== 関連競技 ==

* [[ラグビーユニオン]](15人制ラグビー)

* [[ラグビーリーグ]](13人制ラグビー)

* [[7人制ラグビー]](セブンズ)

* [[タッチラグビー]]

* [[タグラグビー]]

* [[ビーチフットボール]]

* [[ウィルチェアーラグビー]](車いすラグビー)



== 脚注 ==

== 脚注 ==

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=== 注釈 ===

=== 注釈 ===

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=== 出典 ===

=== 出典 ===

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<ref name="kb">{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/ラグビー |title=ラグビー |publisher=[[コトバンク]] |author=『[[ブリタニカ百科事典|ブリタニカ国際大百科事典]] 小項目事典』、ほか |accessdate=2019-10-10 }}</ref>

}}



== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

{{関連項目過剰|date=2020年4月}}

{{ウィキポータルリンク|ラグビー}}

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{{sisterlinks|commons=Rugby}}

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* [[ラグビーリーグ]](13人制ラグビー)

===リーグ===

** [[ラグビーリーグナインズ]]

*組織

**[[ラグビーリーグ国際連盟]]

** [[ラグビーリーグセブンズ]]

** {{仮リンク|タッチ (スポーツ)|en|Touch (sport)}}

**[[ラグビーリーグヨーロッパ連盟]]

**[[ラグビー・フットボー・リーグ]](RFL)

** [[車いすラグビー]](ウィチェアビーとも)

* [[ラグビーユニオン]](15人制ラグビー) - 日本で一般に「ラグビー」と呼ばれているのは15人制のラグビーユニオンである。

**[[日本ラグビーリーグ協会]](Japan RL)

** [[7人制ラグビー]](セブンズ)

*チーム

**[[ラグビーリーグ日本代表]]

** [[10人制ラグビー]]

**[[:Category:ラグビーリーグチーム]]

** [[タッチラグビー]]

** [[ビーチラグビー]]

*大会

**[[スーパーーグ (ラグビーリーグ)]]

** {{仮ンク|田んぼラグビー|en|Tambo rugby}}

**[[ナショナルラグビーリーグ]]

**[[ワールドクラブチャレンジ]]

**[[チャレンジカップ (ラグビーリーグ)]]

**[[ステート・オブ・オリジン]]

**[[ラグビーリーグワールドカップ]]

**[[フォーネイションズ]]

*会場

**[[オールド・トラッフォード]] - 毎年スーパーリーグのグランドファイナルが開催される。

**[[ウェンブリー・スタジアム]] - 毎年チャレンジカップの決勝が開催される。


===ユニオン===

*組織

** [[ワールドラグビー]]

** [[ラグビーヨーロッパ]]

** [[日本のラグビーユニオン]]

** [[日本ラグビーフットボール協会]]

** [[国際ビーチフットボール協会]]

*チーム

** [[ラグビー日本代表]]([[A代表 (ラグビー)|A代表]]、年齢別代表、女子代表など)

** [[ラグビーチーム一覧]]

** [[ラグビー選手一覧]]

** [[日本の大学ラグビーチーム]]

** [[ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズ]]

** [[バーバリアンズ]]

** [[:Category:ラグビーナショナルチーム|ラグビー代表国一覧]]

*大会

** [[:Category:ラグビー大会|ラグビー大会一覧]]

** [[ラグビーワールドカップ]] (RWC) - [[ラグビーワールドカップ2019|2019]], [[ラグビーワールドカップ2015|2015]]

** [[アジア5カ国対抗]] (Asian 5 Nations)

** [[ワールドラグビーネイションズカップ]]

** [[チャーチルカップ]]

** [[ラグビージュニア世界選手権]](U20世界ラグビー選手権)

** [[ジャパンラグビートップリーグ]]

*会場

** [[東大阪市花園ラグビー場]](旧 近鉄花園ラグビー場)

** [[秩父宮ラグビー場]] - [[秩父宮雍仁親王]]


===その他===

* [[クラッシュ・オブ・ザ・コーズ]]

* [[マウスピース (スポーツ)]]

* [[オフロードタッチ (ラグビー)]]

* [[スクール☆ウォーズ]]



== 外部リンク ==

== 外部リンク ==

* [http://www.rlif.com/ Ruby League International Federation] {{en icon}} - [[ラグビーリーグ国際連盟]]

* [https://intrl.sport/ Ruby League International Federation] {{en icon}} - [[ラグビーリーグ国際連盟]]

* [https://www.japaneserl.com/ Japan RL] {{ja icon}} - [[日本ラグビーリーグ協会]]

* [https://www.japaneserl.com/ Japan RL] {{ja icon}} - [[日本ラグビーリーグ協会]]

* [https://www.world.rugby/ World Rugby] {{en icon}} - [[ワールドラグビー]]

* [https://www.world.rugby/ World Rugby] {{en icon}} - [[ワールドラグビー]]

* [https://www.rugby-japan.jp/ JRFU] {{ja icon}} - [[日本ラグビーフットボール協会]]

* [https://www.rugby-japan.jp/ JRFU] {{ja icon}} - [[日本ラグビーフットボール協会]]

* {{Kotobank|ラグビー(フットボール)}}



{{スポーツ一覧}}

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[[Category:ラグビー|*]]

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[[Category:イギリスのスポーツ]]

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[[Category:オリンピック競技|廃]]

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[[Category:冬の季語]]

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[[ru:Регби]]

[[sk:Ragby]]


2024年2月23日 (金) 14:23時点における最新版

ラグビーユニオンクルセイダーズブランビーズとの間のスクラム
ラグビーリーグニュージーランドの選手がオーストラリアの選手にタックルしている。

: Rugby football2code1315

1510713977


[]


2H

使

[1]

[]


Rugby使使[2]rugger[3] "rugby player"  "rugger" : rugger man[ 1][4]

192514[ 2][5][6]1943183使[7][7][8]189932cf. [8][8][9][8][10]

ラグビーフットボールの歴史[編集]


1823

18401調使[ 3]

1806365

H

使1

1918631026FA12126FA退

1871退FA1863RFU


ラグビーユニオンとラグビーリーグ[編集]




1895RFU222

1513



1201995[11]

[]


18

14001800 - 使

19

1830 - 183018501860

1863 -  (FA) FA



1864 - 18701880

1871 - RFU21

1871 - 

1876 - 1895調

1876 - FA

1877 - 12015

1883 - 

1886 - 

18881889 - 

1890- 1890/91

1892 - [] (RFU) 18881904Harry Hamill

1893 - 6RFU



1895 -  (NRFU) RFURFU22NRFU15200RFU退NRFU

1896 - 1903

1896 - 103

1897 - 23

1898 - 

1900 - 19001924

20

1901 - 4

1904 - 39

1905 - 

1906 - 

1906 - 

1906 - 1513

1907 - Bateman's8

1907 - 便 (All Golds)2125

1908 - 4

1910 - 

1910 - 

1912 - 5

1914 - 11003146The Ashes10

1922 - 使

1925 - The Invincibles

1929 - 41,500132

1930 - 

1930 - 300430The Ashes

1932 - 

1933 - 

1934 - 1939225

1934 - 3221Les Diables Rouges

1941 - 

1943 - 181115101996

1944 - 

1945 - 16620740796

1946 - 1942190719281940

1946 - HMS521The Ashes

1949 - 使Jeu à TreizeGame of Thirteen

1950 - 1962

20

1951 - 

1951 - 

1951 - 101955

1951 - 

1952 - 

1953 - 2

1954 - Odsal1953-54 102,569

1954 - 1612

1956 - 

1957 - 2

1958 - 22518877

1960 - 3

1964 - 

1966 - 34197261983

1967 - 

1968 - Watersplash1110

1968 - 

1969 - 

1969 - 

1970 - 2The Ashes

1970 - 

1971 - 

1971 - 

1971 - 

1972 - 

1972 - 

1973 - 

1973 - RFL30

1974 - 99

1974 - 21

1975 - 1

1976 -  (IOC) 1976IOC28

1978 - 

1980 - RFC9,500

1980 - State against state; mate against mate19823

1981 - 

1981 - 

1981 - 

1982 - 

1982 - The Invincibles

1983 - 46退退

1983 - 

1984 - 

1987 - 299

1987 - 2

1987 - RFU1081000the Courage Leagues

1988 - RLFC32128103

1989 - 3018

1990 - 2000

1990 - Blood-bin

1990 - 使Rugby à Treize

1991 - 2126

1992 - 

1992 - 73,631106

1992 - 440,000

1993 - 5414

1994 - [12]

1994 - 

1995 - 

1995 - 31512

1995 - 168西

1995 - 12

1995 - RFL8714

1996 - RFL

1996 - 

1996 - RLFC82624419

1998 - 

1998 - 

1999 - IRB

1999 - 43512

2000 - IRB12(TMO) 

2000 - 

2000 - 

2000 - 109,874

21

2001 - 

2003 - A13

2003 - 52016

2003 -  (RLEF) 

2006 - 

2007 - 6156

2008 - 2000

2011 - 787

2011 - 142013: 

2012 - 

2015 - 83417

2016 - PROPRO1

2016 - 

2017 - /31

2018 - 

2019 - 32123

[]


使

1315



66




[]

[]


[13]西[14]

[15]

[16][15]西westies

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[]


沿19

[]


[6][19]//[ 4][19][6]1

[6][6]
  • 例句 - ラグビーの 肉搏(う)つひびき 吾が聞きぬ  山口誓子
  • 例句 - ラグビーの 野辺も稲城も 狐色  山口誓子
  • 例句 - ラグビーや 青雲一抹あれば足る  中村草田男 [2]
  • 例句 - ラグビーや 敵の汗に触れて組む  日野草城 『昨日の花』
  • 例句 - 枯草に ラグビーの血の乾かざる  日野草城 『昨日の花』
  • 例句 - ラガーらの そのかち歌のみぢかけれ  横山白虹
  • 例句 - ラガーらの 雄しべのごとく円となる  加藤三七子
  • 例句 - ラグビーや 緑の大地あるかぎり  長谷川櫂 『初雁』

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ rugger man "rugger man" 

(二)^  1925[5]

(三)^ 20201823使使

(四)^ 

出典[編集]



(一)^ .  SPAIA (2016327). 20201117

(二)^ ab . .  . 20191010

(三)^ 3 . .  . 2019101

(四)^ 3 . .  . 2019101

(五)^ ab . .  . 2019101

(六)^ abcde. . .  NPO[1]. 2019101

(七)^ ab? - 20186182019930

(八)^ abcd.  . 2019101

(九)^ .  . 2019101

(十)^ .  . 2019101

(11)^ Sam Larner (2019717). Analysis: Leagues growing impact on union.  planetrugby. 2019113

(12)^ David Hinchliffe (1994626). Do I not like that . . . / Hypocrisy has to end: David Hinchliffe MP explains why he has introduced a Bill to stop rugby union discriminating against the league code. The Independent. http://www.independent.co.uk/sport/do-i-not-like-that-----hypocrisy-has-to-end-david-hinchliffe-mp-explains-why-he-has-introduced-a-bill-to-stop-rugby-union-discriminating-against-the-league-code-1425064.html 20111125 

(13)^ Phillips, Buchler. Appendices to the Minutes of Evidence to Select Committee on Culture, Media and Sport. [2]

(14)^ Sommerville, D. (1997). The Encyclopedia of Rugby Union. Aurum Press, UK. ISBN 1-85410-481-0.

(15)^ abCollins, T. (2005). "Australian Nationalism and Working-Class Britishness: The Case of Rugby League Football." History Compass, Vol. 3, No. 1.

(16)^ Collins, T. (1998). Rugbys Great Split: Class, Culture and the Origins of Rugby League Football (London).

(17)^ Rugger:
OED:Rugger "Slang or colloquial alteration of RUGBY (in the sense of 'Rugby football'). Freq. attrib. rugger-tackle".

Tony Collins, Football, rugby, rugger?, BBC sound recording with written transcript, and a comment in prose by Jonnie Robinson, Curator, English accents and dialects, British Library Sound Archive.

(18)^ The New Zealand Pocket Oxford Dictionary. ISBN 0-19-558379-5.

(19)^ ab. . 2019101

関連項目[編集]

外部リンク[編集]