勘左衛門堰
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勘左衛門堰 | |
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延長 | 10km |
灌漑面積 | 323.9ha |
取水元 | 奈良井川(松本市島立小麦淵) |
合流先 | 万水川(安曇野市) |
流域 | 長野県松本市、安曇野市 |
備考 | 分類:横堰 |
概要[編集]
●取水口‥松本市大字島立字荒井 ●補助取水口‥安曇野市豊科高家字飯田 ●延長‥約10km ●灌漑面積‥約323.9ha歴史[編集]
●1662年︵寛文2年︶2月 - 安曇郡成相組の代官・二木勘左衛門により着手された。当時は、梓川から揚水していた。 ●1685年︵貞享2年︶3月 - 飯田村から下鳥羽村にかけて、開削が着手された。 ●1685年︵貞享2年︶5月 - 現在の堰が完成した。 ●1782年︵天明2年︶ - 奈良井川の小麦淵から梓川まで大改修がおこなわれる。 ●1798年︵寛政10年︶ - 下堀金村・吉野村・新田村が加わり、再び大改修がおこなわれる。下堀金村の平倉六郎右衛門が工事担当人兼堰廻役になり、小麦淵から保高組境まで改修。 ●大正時代 - 梓川の横断は底樋により通水するようになる。 ●1931年︵昭和6年︶ - この底樋をヒューム管︵内径1.35m、長さ370m︶にかえた。特徴[編集]
●拾ヶ堰と同様に、等高線に沿って同じ標高を流れる横堰である。 ●東日本旅客鉄道の大糸線が2度跨る。 ●アルピコ交通︵松本電鉄︶の上高地線が跨る。 ●開削当時は、成相新堰と呼ばれていたが、拾ヶ堰が開削されてからは、勘左衛門堰と呼ばれるようになった。 ●梓川と拾ヶ堰をサイフォンでくぐる。 ●拾ヶ堰をサイフォンでくぐったあと1kmほど拾ヶ堰と並行する。 ●拾ヶ堰の測量を行った平倉六郎右衛門が1798(寛政10)年に大改修を行った。備考[編集]
●流域の小地名としては﹁勘左ヱ門堰﹂と表記されることがある。︵例‥地価公示標準地番号:松本-4︶ギャラリー[編集]
勘左衛門堰 梓川サイフォン(2008年8月撮影)
勘左衛門堰 梓川サイフォン出口(2008年8月撮影)
勘左衛門堰 拾ヶ堰通水口
手前:勘左衛門堰
奥:拾ヶ堰(2008年8月撮影)
手前:勘左衛門堰
奥:拾ヶ堰(2008年8月撮影)