宝蔵院流中村派
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宝蔵院流中村派︵ほうぞういんりゅうなかむらは︶とは、中村尚政︵中村市右衛門︶の系統の宝蔵院流槍術。他の系統の宝蔵院流と同じく薙刀術の形も伝えていた。
中村尚政は14歳で宝蔵院流開祖・胤栄に入門し、1605年︵慶長10年︶、宝蔵院流の印可を授かった。印可の際、師の胤栄より﹁一つ残さず全て授けた﹂という内容の誓紙を差し出されたという。
その後、さらに他流を研究して工夫を加え、宝蔵院流中村派を大成した。
1631年︵寛永8年︶、尚政は松平忠昌に召し抱えられ、福井藩江戸屋敷の槍術師範となった。以後、中村家は福井藩の槍術師範家となり、代々当流を伝えた。
福井藩以外には、水戸藩、高松藩︵松平家藩政期︶、三河吉田藩︵大河内長沢松平家藩政期︶、高崎藩︵大河内長沢松平家藩政期︶などで伝えられた。
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