突撃隊
突撃隊 Sturmabteilung | |
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SAの組文字からなる突撃隊の記章 | |
創設 | 1921年9月10日 |
廃止 | 1945年5月8日 |
所属政体 |
ヴァイマル共和政 ナチス・ドイツ |
所属組織 | 国民社会主義ドイツ労働者党 |
部隊編制単位 | 総軍 |
人員 | 450万(長いナイフの夜時) [1] |
所在地 |
ミュンヘン バラー通り Barerstraße, München |
通称号/略称 | SA |
愛称 | 褐色シャツ隊 |
標語 |
『全てをドイツに』 (Alles für Deutschland) |
部隊歌 | 『突撃隊は行進す』他 |
最終位置 | ドイツ国 |
主な戦歴 |
義勇軍運動 コーブルク闘争(Deutscher Tag) ルール対仏闘争 ミュンヘン一揆 街頭闘争 第二次世界大戦 |
特記事項 |
【隷下部隊】 鉄兜団(1933年) |
概要[編集]
突撃隊はナチスの前身であるドイツ労働者党︵DAP︶集会の会場警備隊が改組されて創設された。初期の頃はエルンスト・レームの斡旋により義勇軍から流れてきた者を多く受け入れたため、党からの半独立的な性格を持っていた。1923年11月のミュンヘン一揆に参加したが、失敗によって党と共に一時期禁止された。1925年に再建され、党に従属する組織として再出発した。党集会の警備やパレード行進の他、ドイツ社会民主党︵SPD︶の国旗団やドイツ共産党︵KPD︶の赤色戦線戦士同盟などとの街頭闘争を行った。はじめフランツ・プフェファー・フォン・ザロモンが突撃隊最高指導者として指揮したが、党首アドルフ・ヒトラーとの軋轢から1930年に辞職。以降はヒトラー自らが最高指導者に就任するとともに、日常的指揮は突撃隊幕僚長に任命されたレームに委ねられた。1933年にナチスが政権を獲得すると、突撃隊は補助警察となり、政敵の摘発や弾圧にあたった。しかし突撃隊は失業に喘ぐ下層民が多い大衆組織であったため、社会主義的な思想を持つ隊員も多く、国防軍などの保守勢力との連携を深めるヒトラーにとって厄介な存在となり、1934年6月末から7月初旬にかけてレーム以下突撃隊幹部が親衛隊︵SS︶によって粛清された︵長いナイフの夜︶。粛清後は勢力を失い、重要な役割のほとんどが親衛隊に移され、突撃隊は国防軍入隊予定者の訓練を主任務とするようになり、第二次世界大戦の敗戦まで存続した。歴史[編集]
前身[編集]
ヴァイマル共和政期のドイツでは、政党の集会や演説会に他党の党員・支持者が殴り込みをかけるのが日常化しており、各党は警備や他党派攻撃のための武装組織を保有していた。バイエルン州ミュンヘンで活動するDAPも例外ではなかった。1919年11月のエーベルブロイケラーでのDAP党集会において、初めて会場警備を専門とする部隊が設置された[3]。この会場警備部隊はDAPがナチスに改組された後の1920年夏に﹁整理隊﹂と名付けられ、党集会の防衛や敵対政党への妨害活動に動員された[4]。発足当初の隊員数は25名程度で、エミール・モーリスが隊長を務めた[5]。クリンチュ時代[編集]
1922-23年頃の編成[編集]
●第1百人隊︵1. Hundertschaft︶ - 指揮官‥カール・ベッゲル ●第2百人隊︵2. Hundertschaft︶ - 指揮官‥ヨーゼフ・リードル ●第3百人隊︵3. Hundertschaft︶ - 指揮官‥ヴィルヘルム・レムケ ●第4百人隊︵4. Hundertschaft︶ - 指揮官‥ヒューベルト・ホッホグラッスル ●第6SA百人隊︵6. SA-Hundertschaft︶ - 指揮官‥フォークト ●第9百人隊︵9. Hundertschaft︶ - 指揮官‥ハンス・ツェーバーライン ●第11SA百人隊︵11. SA-Hundertschaft︶ - 指揮官‥ルドルフ・ヘス ●第13百人隊︵13. Hundertschaft︶ - 指揮官‥シュティーガー ●第17SA百人隊︵17. SA-Hundertschaft︶ - 指揮官‥ヨーゼフ・ベルヒトルト ●第20SA百人隊︵20. SA-Hundertschaft︶ - 指揮官‥エドムント・ハイネス ●第25百人隊︵25. Hundertschaft︶ - 指揮官‥フランツ・クサーヴァー・ヒルシュボルトゲーリング時代[編集]
1923年頃の編成[編集]
●ミュンヘンSA連隊︵Münchener SA-Regiment︶ - 指揮官‥ヴィルヘルム・ブリュックナー ●ミュンヘンSA第1大隊︵1. Bataillon der Münchener SA︶ - 指揮官‥カール・ベッゲル ●ミュンヘンSA第2大隊︵2. Bataillon der Münchener SA︶ - 指揮官‥ヨーゼフ・ベルヒトルト︵初代︶ エドムント・ハイネス︵1923年7月-11月︶ ●ミュンヘンSA第3大隊︵3. Bataillon der Münchener SA︶ - 指揮官‥ルドルフ・ヘス︵初代︶ ハンス・クナウス︵?-1923年11月︶ 突撃隊の訓練を行ったのは軍の工兵第7連隊と歩兵第19連隊第一大隊で、突撃隊は小銃、機関銃等の扱いを学んだ[22]。また突撃隊に砲兵隊や騎兵隊、自転車中隊や軍楽隊などの組織が作られることになった。軍の影響力はさらに強まり、7月11日には﹁︵突撃隊は︶党の地区組織や党指導部から分離された、国民社会主義運動内部における別個の組織である。隊は突撃隊司令部の命令に従う﹂という命令が出された[30]。 8月13日にグスタフ・シュトレーゼマン内閣が成立し、これまでドイツ政府が取ってきたフランス軍ルール地方占領への﹁受動的抵抗﹂路線が放棄され、西欧列強との関係回復を目指すことになった。これに反発した右左双方によるシュトレーゼマン批判が強まった[31]。 ミュンヘンでも中央政府打倒の機運が高まった。これに乗じてヒトラーは9月2日に突撃隊やオーバーラント義勇軍などを結集させて右翼軍事組織連合﹁ドイツ闘争連盟﹂を結成させた。実質的指揮権はヒトラーが握りつつ、エーリヒ・ルーデンドルフ歩兵大将に名誉総裁に就任してもらっている[32][33]。中央政府への批判を強め、バイエルン州総督グスタフ・フォン・カールによる﹁ベルリン進軍﹂の動きを支持するようになった。しかしやがてカールは中央政府からの圧力でベルリン進軍を日和見するようになり、これに固執するナチスを除外した右翼大連合政府を立ち上げようとしたため、ヒトラーは一揆を起こすことを決意した。9月26日にはレームも軍を退役し、ヒトラーの下に参じた[34]。ミュンヘン一揆[編集]
禁止時代[編集]
ヒトラーやレームら逮捕された一揆指導者は裁判にかけられ、1924年4月1日に判決が下った。ヒトラーは城塞禁固刑5年の実刑判決︵ただし執行6カ月後に保護観察に切り替える事も公約︶、レームは1年3カ月の有罪判決を受けたが、彼は判決のその日のうちに仮釈放を受けた。ランツベルク刑務所に収監されることとなったヒトラーは突撃隊やドイツ闘争連盟をレームに委任した[45][46]。再建[編集]
ザロモン時代[編集]
シュテンネスの反乱[編集]
レーム時代[編集]
政権掌握[編集]
第二革命[編集]
結党から政権掌握までのナチス党史において、突撃隊が大きな力になったことは明らかであったが、独裁体制が安定するにつれて必要性は薄れ、ヒトラーにとって持て余す存在となっていった[109]。保守派との協力を重視するヒトラーは、クルップ・フォン・ボーレン=テュッセン雇用者協会を復活させたり、大百貨店に敵対する小売業闘争同盟を解散させるなど、保守政策を次々と打ち出したが、こうした態度は労働者階級からなり、社会主義的であった突撃隊員の不満を助長した[110]。資本家や地主との妥協を止め、社会主義的政策を打ち出すことを求める﹁第二革命﹂運動が突撃隊内で強まった[111]。突撃隊員の声を代弁するレームも公然とこれを唱え、ヒトラーの革命終了宣言に抵抗した[112][113]。 レームは9月1日、バイエルンの突撃隊最高指導部特別委員制度を廃止し、かわりにバイエルン州政府に突撃隊特別全権官、郡政府に突撃隊特別委任官を置いた。彼らの任務は﹁国家社会主義革命による発展が続けられているかを、官庁と協力しながら監視する﹂ことであった。これによって地方行政機関を第二革命に動かそうとした[114]。10月には、ゲーリングの支配するプロイセン州にも、突撃隊特別全権官の設置を認めさせた。彼は突撃隊政治部長ゲオルク・フォン・デッテンから国会議事堂放火事件の真相を暴露すると強請られ、渋々認めたという[115]。各州もプロイセン州に倣って突撃隊特別全権官の設置を認めた。結果、突撃隊特別全権官による行政への横やりや命令無視が横行し、﹁ヒトラー政権は早晩崩壊するだろう﹂という噂が立つほどであった[115]。 ヒトラーは突撃隊特別全権官と行政府を少しでも一体化させるため、1933年12月1日に﹁党と国家の統一のための法律︵Gesetz zur Sicherung der Einheit von Partei und Staat︶﹂を成立させ、同時にレームを無任所大臣に任じた[115][116][117]。また、ゲーリングは12月15日、﹁プロイセン州市町村制度法﹂を導入して市町村の地方評議会員を25歳以上に限定すると定めることで、若者がほとんどを占める突撃隊員を、プロイセンの地方行政府から締め出した[118][119]。国軍との対立[編集]
突撃隊は国軍とも対立を深めていた。国軍と突撃隊は、1933年5月に協定を結び、突撃隊と親衛隊と鉄兜団は国防省の管轄に入ることになっていた。国軍からのスタッフの手も借りてフリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー突撃隊大将の下に突撃隊員の訓練が行われ、国軍に送りだしていた。しかし、レームは東部国境守備隊の指揮権を要求し、またその武器庫を管理下に置こうとしたため、国軍と対立を深めた[120]。 もともとレームは、貴族が中心の国軍では、旧来のプロイセン王国と同じ古い戦術思想しか持ち得ない軍隊にしかならないと考え、これにかわって突撃隊を国民軍として正規軍にするという構想があった[121]。突撃隊は1934年春には300万人以上の人員を擁するようになっていた[109]。うち武装兵士が50万人いた[122]。ヴェルサイユ条約で陸軍兵力10万人に限定されていた国軍にとって、これは大いに脅威となる存在であった。一方ヒトラーは、政権の維持のためには国軍の支持が不可欠と認識しており、再軍備は国軍を以って行うと決め、レームの国民軍構想を却下していた[123]。 ドイツの国際連盟脱退によって、ポーランドとフランスがドイツへ侵攻してくるのではないかという危機感が高まり、再軍備問題が関心を集めるようになると、レームは1934年1月15日に突撃隊特別全権官の任務を﹁反国家的陰謀との闘争﹂に限定させるなど、第二革命問題で一定の譲歩の姿勢を見せるようになったが、代わりに再軍備問題に関連して、突撃隊を正規軍にするという野望を本格的に抱くようになった。これが達成できれば、突撃隊員の失業問題は大きく改善し、第二革命など起こす必要はなくなるため、レームは革命より突撃隊正規軍化に力を入れるようになった[118]。 ヒトラーは1934年1月2日、レームに対して友情とこれまでの功績への感謝を強調した私信を送った[119]。その中で、安全保障は国軍に任せるべきであることを婉曲に伝えた。しかし、この手紙の真意を理解しなかったレームは、2月初めにヴェルナー・フォン・ブロンベルク国防相に対して、国家安全保障は突撃隊の任務とする書簡を送った[124]。この書簡を見たブロンベルクは﹁レームは全ての国防組織を突撃隊の傘下にして国軍をただの訓練機関にしようとしている﹂と結論し、ヒトラーに処置を要求した[125]。2月末、ヒトラーの仲介で国防省において、ブロンベルクとレームが協定を結び、国軍が国で唯一の武装兵力であり、突撃隊はその補助のため国境地帯の警備や予備訓練を担当することが取りきめられた[124][125][126]。しかしレームの反発は大きかった[125][127]。 1934年4月11日から15日にかけてバルト海上のポケット戦艦ドイッチュラントで、ヒトラーはブロンベルクら国軍幹部と会談し、突撃隊を抑える代わりに死期が迫っていたパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領の死後に自らに忠誠宣誓を行う事を要請した[128]。長いナイフの夜[編集]
事件以降[編集]
戦後[編集]
戦後のニュルンベルク裁判において突撃隊は起訴された6組織の一つとなった︵他にヒトラー内閣、ナチ党指導部、参謀本部、親衛隊、ゲシュタポ︶[154]。この裁判で親衛隊とゲシュタポとナチ党指導部は﹁犯罪組織﹂と判決されたが、一方突撃隊は﹁特殊な場合に置いて突撃隊の若干部隊は戦争犯罪や人道に対する罪の遂行に使用されたが、その成員が一般に犯罪行為に参加していたとかまたは知っていたということはできない﹂とされて有罪判決を受けなかった[155]。突撃隊の組織論[編集]
ヒトラー自身の構想を見るならば、﹃我が闘争﹄には﹁運動の世界観闘争の擁護と強化のための道具[156]﹂というSAの規定が存在する。ナチ党の運動が必ずしもイデオロギー的・綱領的政治運動ではなくその世界観がヒトラーによって体現されたことを考えあわせると、SAはヒトラー及びナチ党の防衛組織・権力手段であり、それ以上の事がここで明記されている訳ではない。﹃我が闘争﹄ではこの規定とパラレルにSAの国防団体化・秘密組織化の否定が強調されており、ポイントは寧ろ後者にあった。この著書の刊行に先立って既に﹃フェルキッシャー・ベオバハター﹄紙上でヒトラーは再建後のSAの構想を明らかにしていた。彼はそこでSAを1923年2月以前の状態に戻すと述べている。1923年11月以前としていない点が注目される。1923年2月という時期はバイエルンに於る民間国防団体統一化の為に結成された﹁祖国闘争共働団の指揮下にSAが属した時期を指しており、これ以後ヒトラーの意思を離れて﹁ビヤホール一揆﹂迄にSAは益々その軍事団体的性格を強めていった。一揆の挫折は、ヒトラーをして合法戦術を以後とらしめるに至り、彼にとって民間国防団体から独立した新しい党を発足させる為にはSAの軍事団体的性格の払拭が必要であった。ヒトラーは同じ﹃フェルキッシャー・ベオバハター﹄紙の中で、SAが宣伝・集会防衛の組織であることを再確認し青年の身体訓練、共通の偉大な理念に対する規律・献身の教育、運動の秩序・啓蒙の完成をその課題に据えた。以上の様なヒトラーのSAについての展望は1920年に会場整理隊として出発したこの組織の非軍事団体的復活を宣していたものの具体的な組織構想とは言い難かった。 1926年から1930年迄の間、SA最高指導者のプフェッファー・フォン・ザロモンは鞏固でかつ弾力的な組織的枠組をSAに与え、有能な組織指導者であることを証明した。彼はSA命令︵SABE︶、SA原則命令︵RUSA︶を発し[注釈 5]、SAの組織的性格を具体的に規定していった。その基調は概ねヒトラーの構想に沿っていた。SAの各隊員に課せられた職務としては、集会設営、会場整理、ビラ配布、パンフレツト・新聞販売、ポスター貼り、パトロールその他困難な特別任務などの活動が挙げられている。ただ、既に編成されていた党政治組織との対比に於てザロモンはSA独自の組織的位置を﹁SAは在来の議会政党からナチ党を区別するその本質的メルクマールをなし、議会主義とその制度に破綻が生じたその時こそSAはナチ党の勝利を保証するものとなる﹂と意味付けていた。更にザロモンはSABE第3の中でも党組織との区別を次のように行っている[157][158]。 SA隊員は同時に党員でもあり、党員としては無論、政治指導部の宣伝には出来るだけ協力しなければならない。しかしSAは政治指導部そのものではない。SAはそれに奉仕する機関ではない。 SA隊員は神聖な自由の闘争者であり、一般党員は策に富む宣伝者・狡滑なアジテーターである。政治的プロパガンダは敵を啓蒙し敵と論争しその立脚点を把握しその思想に係わり、ある程度まで敵を是認しようとする。しかしSAが登場するとこれは終わりとなる。SAが妥協することはない。敵に対して断固突き進むのみである。 このような規定をみると、党が宣伝方針を担当しSAが党の宣伝を実現するという役割分担が存在するものの、寧ろ公衆の眼前への登場それ自体、SAの存在そのものが宣伝価値を形成することになっている。政治的敵対者・大衆に対し恐怖・畏懼の念を植え付けることが、党の活動基盤を準備し拡大することになるのである。つまりSAの意味と機能は純然たる行動の中に、従ってまたその心理的モメントにあったといえる。ザウアーはSAと党との区別をその軍事的性格と政治的性格との差異に求めず﹁SAはゲヴァルトの道具であり、党は策略の道具である﹂と論じている[159]。 SAと党政治組織との関係についていえば、﹁前者が後者に従属し、SAは党政治組織の要請に応じてその都度動員されるべき﹂とSABE第2の中に明記されている[160]。 ただ動員の開始と共にその内部活動に関して党組織の干渉は許されなくなり、SAの従属は条件的なものとなる。ここにはSAを党政治組織とは異なった独自の命令系をもつ機構に編成せんとしたザロモンの志向が窺える。一方彼は1927年2月、SABE第15の中で初めてSAと軍事的組織、特に国防団体との区別を明示した[161][162]。 彼にとって旧ドイツ帝国軍の組織範型は二重の意味で︵一つは目標価値に於て、また一つには指導原理に於て︶否定されねばならなかった。第一にSAは武装組織であってはならなかった。文字通り最新の装備・戦術・戦略をSAに於て追求する意思は彼になく、また共和国政府が諸団体の軍事活動を一揆後は厳しく禁じていた為、当面純軍事的価値は追求できる目標ではなかった。SAは寧ろ内政的・党派政治的価値を﹁武器なき闘争﹂によって実現するものとされた。第二にSAの部隊操作に於ては、組織上の権威が指揮権の担い手個人から分離されてはならなかった。SAの指導原理は、個人としての指導者と被指導者の間にいわば心情倫理的なコンセンサスを要求し、軍指揮官の権限に基づく責任指導原理は、指導者が自らの良心にのみ責任を負う原理へと質的に変化させられなければならなかった。ナチズムの所謂、指導者原理がプロイセン軍の組織範型に由来することはしばしば指摘されてきた点であるが、SAの機動性は軍隊に於ける非人格的な指揮官・兵士関係の形式的ヒエラルヒーに求められるのではなく、寧ろ極めて人格的な指導・被指導関係に基づく同志的結合の中から生み出されるものとされた。パーソナルな接触に基づく恒常的共働活動を通じた実行力・信頼関係が重視されたのである。ヒトラーやザロモンの政治的視野に映った軍事的組織に対するこのような価値否定の判断は、一揆前に発生した義勇軍・国防団体・秘密組織が、鉄兜団やドイツ青年騎士団を除き、相対的安定期の内政展開の中で消滅することによって、その的確さを実証することになった。 ザロモンの強調した先の指導者原理は、また同時に他のあらゆる政党組織からナチ党を区別する組織的母斑でもあった。即ち、各組織毎に於る指導者は選挙によって選出されるのではなく各上位の指導者の決定による、とされた。党政治組織にあっては1929年にヒトラーが人事に関するデモクラシー的手続による慣行を正式に廃止する迄は地区指導者が党員によって選出される制度が擬制であれ残存していたのに対し、SAに於ては上から下への任命系が最初から確立されていたのである。 ザロモンは1930年9月のナチ党の大躍進をみずにその指導者の地位を退いたが、彼がSAに与えた意味づけ・組織原理が継受されなかった訳ではない。 平安は存在しない。SAの意味は﹃突撃隊﹄というこの名称の中に在る。SAは運動の政治的兵士であり、理念の突貫者であらんと欲する。 — 南部SA最高指導者代理アウグスト・シュナイトフーバーの1930年11月の指令[163] 我々SA隊員は軍人でもなければ政治的弁論家でもない。我々は何よりアドルフ・ヒトラーの国民社会主義運動の﹃政治的兵士﹄たらんと欲する。 — 1932年ベルリンSA政治教育用パンフレット[164] これらの表現の中にザロモンのSA独自のイデオロギー形成の痕跡をみることができる。なお、ここで用いられる﹁政治的兵土﹂という表現は、前線兵士との対比でエルンスト・レームや義勇軍の指導者達が嫌悪していた﹁政治的軍人︵参媒将校群︶﹂を意味するものではないことはもちろんである。このような原理に基づくSAの組織化は、共和国の政治空間の中では国防軍・国防団体も他の政党組織も持ち得ない戦闘的エネルギーをナチズム運動に与えることになった。突撃隊の組織体制[編集]
編成[編集]
突撃隊最高指導部︵Oberste SA-Führung、OSAF︶ 上級集団︵Obergruppe︶8つの集団で編成、1934年廃止 集団︵Gruppe︶複数の旅団で編成 下級集団/旅団︵Untergruppe/Brigade︶3つから9つの連隊で編成 連隊︵Standarte︶3つから5つの大隊で編成 大隊︵Sturmbann︶3つから5つの中隊で編成 中隊︵Sturm︶3つから4つの小隊で編成 ●小隊︵Trupp︶3つから4つの分隊で編成 ●分隊︵Schar︶8人から16人で編成 突撃隊最高指導部︵Oberste SA-Führung︶は1926年11月に創設された[55]。最高指導部は突撃隊に関する全ての事務を取り扱い、その隷下の集団が最高指導部の指導のもとに各種訓練学校を運営していた[141]。集団の数は1933年時に21個、開戦時に25個、戦時中には29個になった[141]。階級[編集]
階級名 | 訳 | 軍相当階級 | 襟章
1933–1934 |
襟章
1934–1945 |
肩章 |
SA-Stabschef | 突撃隊幕僚長 | 元帥 |
SA将官階級 | 訳 | 軍相当階級 | 襟章[注釈 6] | 肩章 |
SA-Obergruppenführer | 上級集団指導者 | 大将 | ||
SA-Gruppenführer | 集団指導者 | 中将 | ||
SA-Brigadeführer | 旅団指導者 | 少将 | ||
SA-Oberführer | 上級指導者 | 准将 |
SA将校階級 | 訳 | 軍相当階級 | 襟章[注釈 7] | 肩章 |
SA-Standartenführer | 連隊指導者 | 大佐 | ||
SA-Obersturmbannführer | 上級大隊指導者 | 中佐 | ||
SA-Sturmbannführer | 大隊指導者 | 少佐 | ||
SA-Sturmhauptführer | 高級中隊指導者 | 大尉 | ||
SA-Obersturmführer | 上級中隊指導者 | 中尉 | ||
SA-Sturmführer | 中隊指導者 | 少尉 |
SA下士官階級 | 訳 | 軍相当階級 | 襟章 | 肩章 |
SA-Haupttruppführer
(1938年制定) |
高級少隊指導者 | 特務曹長 | ||
SA-Obertruppführer | 上級小隊指導者 | 上級曹長 | ||
SA-Truppführer | 小隊指導者 | 曹長 | 写真なし | |
SA-Oberscharführer | 上級分隊指導者 | 軍曹 | ||
SA-Scharführer | 分隊指導者 | 伍長 |
SA兵卒階級 | 訳 | 軍相当階級 | 襟章 | 肩章 |
SA-Rottenführer | 班指導者 | 兵長 | ||
SA-Sturmmann
(1938年より Obersturmmann) |
上級突撃者 | 上等兵 | 写真なし | |
SA-Mann
(1938年より SA Sturmmann) |
突撃者 | 一等兵・二等兵 |
指揮権者[編集]
- エミール・モーリス (1920年 - 1921年)※前身部局時
- ハンス・ウルリヒ・クリンチェ(1921年 - 1923年)
- ヘルマン・ゲーリング (1923年)
- エルンスト・レーム(1924年-1925年)※フロントバン司令官
突撃隊最高指導者(Oberste SA-Führer)
- フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン (1926年 - 1930年)
- アドルフ・ヒトラー (1930年 - 1945年)※日常的な指揮は幕僚長が行った
突撃隊幕僚長(SA-Stabschef)
- オットー・ヴァーゲナー(1929年 - 1931年)
- エルンスト・レーム (1931年 - 1934年)
- フィクトール・ルッツェ (1934年 - 1943年)
- ヴィルヘルム・シェップマン (1943年 - 1945年)
上級管区集団[編集]
上級集団 | 本部 | 構成集団 | 各上級集団指導者 | |
---|---|---|---|---|
第一SA上級集団
SA-Obergruppe I |
ケーニヒスベルク
Königsberg |
オストラント
SA-Gruppe Ostland |
カール=ジークムント・リッツマン(Karl-Siegmund Litzmann) | |
第二SA上級集団
SA-Obergruppe II |
シュテティーン Stettin | ポンメルン
SA-Gruppe Pommern ハンザ SA-Gruppe Hansa ノルトマルク SA-Gruppe Nordmark |
マックス・ルイケン(Max Luyken) | |
第三SA上級集団
SA-Obergruppe III |
ベルリン
Berlin |
シュレージェン
SA-Gruppen Schlesien ベルリン・ブランデンブルク SA-Gruppe Berlin-Brandenburg オストマルク SA-Gruppe Ostmark |
エドムント・ハイネス | |
第四SA上級集団
SA-Obergruppe IV |
ドレスデン
Dresden |
ザクセン及びミッテ
SA-Gruppe Sachsen und SA-Gruppe Mitte |
マンフレート・フォン・ キリンガー(Manfred von Killinger) | |
第五SA上級集団
SA-Obergruppe V |
フランクフルト=アム・マイン
Frankfurt a.M. |
テューリンゲン
SA-Gruppe Thüringen ヴェストマルク SA-Gruppe Westmark ヘッセン及びジュードヴェスト SA-Gruppe Hessen und SA-Gruppe Südwest |
エミール・シュタインホーフ(Emil Steinhoff) | |
第六SA上級集団
SA-Obergruppe VI |
ハノーファー
Hannover |
ノルトゼー
SA-Gruppe Nordsee ニーダーザクセン SA-Gruppe Niedersachsen ヴェストファーレン及びニーダーライン SA-Gruppe Westfalen und SA-Gruppe Niederrhein |
ヴィクトール・ルッツェ | |
第七SA上級集団
SA-Obergruppe VII |
ミュンヘン
München |
バイエリッシェ・オストマルク
SA-Gruppe Bayerische Ostmark フランケン及びホッホラント SA-Gruppe Franken und SA-Gruppe Hochland |
アウグスト・シュナイトフーバー | |
第八SA上級集団
SA-Obergruppe VIII |
リンツ
Linz |
エスターライヒ
SA-Gruppe Österreich |
ヘルマン・レシュニー(Hermann Reschny) |
管区集団[編集]
登録番号 | 管区集団名 Gruppen | 略号 [注釈 8] | 本部 | 管区識別色 | 所属番号配色 | ボタン配色 | パイピング配色 [注釈 9] | リッツェ配色 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
01 | SA-Stabschef
SA幕僚部 Chef d.stabes/Hauptamt Stab 参謀部及び本部要員 |
ー | ミュンヘン | ライトレッド
(hochrot)[注釈 10] |
ー | 金(Gold) | ー | ||||||||||
02 | Oberste SA-Führung
SA最高指導部 |
カーマインレッド
(kamesirot) |
銀(Silber) | 白/カーマインレッド(weiß/kamesirot) | |||||||||||||
03 | SA-Gruppenstäbe
SA集団指導部 SA-Reichsführerschule SA指導者学校 |
ライトレッド
(hochrot) |
白
(weiß) |
銀(Silber) | 白/ライトレッド(weiß/hochrot) | ||||||||||||
04 | Ostland | Ost. | Königsberg | ダークワインレッド
(dunkelweinrot) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Westfalen | Wf. | Köln | 銀(Silber) | ||||||||||||||
05 | Niderrhein
ニーダーライン |
Nrh. | Düsseldorf | 黒
(schwarz) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Berlin-Brandenburg | B. | Berlin
ベルリン |
銀(Silber) | ||||||||||||||
06 | Ostmark
オストマルク |
Om. | Frankfurt an der Oder | ローズレッド
(rosarot) |
黒
(schwarz) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
07 | Pommern
ポンメルン |
P. | Stettin | アップルグリーン
(apfelgrün) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Thüringen | Th. | Weimar | 銀(Silber) | 白/ライトレッド(weiß/hochrot) | |||||||||||||
08 | Westmark
ヴェストマルク |
Wm. | Saarburg | ダークブラウン
(dunkelbraun) |
白
(weiß) |
銀(Silber) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Niedersachsen | NS. | Hannover | 金(Gold) | ||||||||||||||
09 | Sachsen | Sa. | Dresden | エメラルドグリーン
(smaragdgrün) |
白
(weiß) |
銀(Silber) | 白/エメラルドグリーン(weiß/smaragdgrün) | ||||||||||
Nordmark | Nm. | Kiel | 金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||||||||||||
10 | Mitte
ミッテ |
Mi. | Magdeburg | オレンジイエロー
(orangegelb) |
黒
(schwarz) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Südwest
ジュードヴェスト |
Sw. | Stuttgart | 銀(Silber) | 黒/オレンジイエロー
(schwarz/orangegelb) |
|||||||||||||
11 | Schlesien | S. | Liegnitz | サルファイエロー
(schwefelgelb) |
白
(weiß) |
銀(Silber) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Franken | Fr. | Nürnberg | 黒
(schwarz) |
金(Gold) | 白/ミディアムブルー(weiß/mittelblau) | ||||||||||||
12 | Hochland
ホッホラント |
HO. | München | ライトブルー
(hellblau) |
白
(weiß) |
銀(Silber) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | ||||||||||
bayerische Ostmark
バイエリッシェ・オストマルク |
BO. | Bayreuth | 金(Gold) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | |||||||||||||
13 | Nordsee
ノルトゼー |
No. | Bremen | スチールグリーン
(stahlgrün) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||||||
Kurpfarz | KP. | Mannheim | ニッケル(nickel) | ||||||||||||||
14 | Hansa | Ha. | Hamburg | ネイビーブルー
(marineblau) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | ||||||||||
Hessen | He. | Frankfurt am Main | ニッケル(nickel) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | |||||||||||||
15 | Hilfswerk Nord-West
ノルトヴェスト(対外救対部) |
Nw. | レッドブラウン
(rotbraun) |
白
(weiß) |
ニッケル(nickel) | 白/ライトレッド(weiß/hochrot) | |||||||||||
16 | Standarte Feldherrnhalle
フェルトヘルンハレ連隊 Wachstandarte 党施設警護要員 |
W. | コチニールレッド
(karmesin) |
白
(weiß) |
ニッケル(nickel) | 白/コチニールレッド(weiß/karmesin) |
登録番号 | 管区集団名 Gruppen | 略号 | 本部 | 管区識別色 | 所属番号配色 | ボタン配色 | リッツェ配色 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
01 | SA-Stabschef
SA幕僚部 Chef d. Stabes/Hauptamt Stab 参謀部及び本部要員 |
ー | ミュンヘン | ライトレッド
(hochrot) |
ー | 金(Gold) | ー | |||
02 | Oberste SA-Führung
SA最高指導部 |
カーマインレッド
(kamesirot) |
アルミ(aluminum) | 白/カーマインレッド(weiß/kamesirot) | ||||||
03 | SA-Gruppenstäbe
SA集団指導部 SA-Reichsführerschule SA指導者学校 |
ライトレッド
(hochrot) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/ライトレッド(weiß/hochrot) | |||||
04 | Ostland | Ost. | Königsberg | ダークワインレッド
(dunkelweinrot) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Westfalen | Wf. | Köln | アルミ(aluminum) | |||||||
05 | Niderrhein
ニーダーライン |
Nrh. | Düsseldorf | 黒
(schwarz) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Berlin-Brandenburg | B. | Berlin
ベルリン |
アルミ(aluminum) | |||||||
06 | Ostmark
オストマルク |
Om. | Frankfurt an der Oder | ローズレッド
(rosarot) |
黒
(schwarz) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Südmark
ジュードマルク |
Sm. | Graz | 白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||||
07 | Pommern | P. | Stettin | アップルグリーン
(apfelgrün) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Thüringen | Th. | Weimar | アルミ(aluminum) | 白/ライトレッド(weiß/hochrot) | ||||||
08 | Westmark
ヴェストマルク |
Wm. | Saarburg | ダークブラウン
(dunkelbraun) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Niedersachsen | NS. | Hannover | 金(Gold) | |||||||
09 | Sachsen | Sa. | Dresden | エメラルドグリーン
(smaragdgrün) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/エメラルドグリーン(weiß/smaragdgrün) | |||
Nordmark | Nm. | Kiel | 金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | ||||||
10 | Mitte
ミッテ |
Mi. | Magdeburg | オレンジイエロー
(orangegelb) |
黒
(schwarz) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Südwest
ジュードヴェスト |
Sw. | Stuttgart | アルミ(aluminum) | 黒/オレンジイエロー
(weiß/gelborange) |
||||||
11 | Schlesien | S. | Liegnitz | サルファイエロー
(schwefelgelb) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Franken | Fr. | Nürnberg | 黒
(schwarz) |
金(Gold) | 黒/ミディアムブルー(schwarz/mittelblau) | |||||
12 | Hochland
ホッホラント |
HO. | München | ライトブルー
(hellblau) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | |||
bayerische Ostmark
バイエリッシェ・オストマルク |
BO. | Bayreuth | 金(Gold) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | ||||||
13 | Nordsee
ノルトゼー |
No. | Bremen | スチールグリーン
(stahlgrün) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/黒(weiß/schwarz) | |||
Kurpfarz | KP. | Mannheim | アルミ(aluminum) | |||||||
14 | Hansa | Ha. | Hamburg | ネイビーブルー
(marineblau) |
白
(weiß) |
金(Gold) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | |||
Hessen | He. | Frankfurt am Main | アルミ(aluminum) | 白/ライトブルー(weiß/hellblau) | ||||||
15 | Donau | Do. | Wien | レッドブラウン
(rotbraun) |
イエロー
(gelb) |
金(Gold) | 白/ライトレッド(weiß/hochrot) | |||
Alpenland
アルペンラント |
Al. | linz | 白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | ||||||
16 | Sudeten | Su. | Reichenberg | ブルーグレー
(blaugrau) |
白
(weiß) |
金(Gold) | イエロー/ライトレッド(gelb/hochrot) | |||
Weichsel | W. | Danzig | アルミ(aluminum) | シルバー/ブラウン(Silber/braun) | ||||||
17 | Warthe
ヴァルテ |
Wa. | Posen | コーンフラワーブルー
(kornblumenblau) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | シルバー/ブラウン(Silber/braun) | |||
18 | Standarte ’’Feldherrnhalle’’
フェルトヘルンハレ連隊 |
コチニールレッド
(karmesin) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/コチニールレッド(weiß/karmesin) |
登録番号 | 管区集団名 Gruppen | 略号 | 本部 | 管区識別色 | 所属番号配色 | ボタン配色 | リッツェ配色 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
01 | SA-Stabschef
SA幕僚部 Chef d. Stabes/Hauptamt Stab 参謀部及び本部要員 |
ー | ミュンヘン | ライトレッド
(hochrot) |
ー | 金(Gold) | ー | ||
02 | Oberste SA-Führung
SA最高指導部 |
カーマインレッド
(kamesirot) |
白
(weiß) |
アルミ(aluminum) | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
03 | SA-Gruppenstäbe
SA集団指導部 SA-Reichsführerschule SA指導者学校 |
ライトレッド
(hochrot) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
04 | Tannenberg | T. | Königsberg | ダークワインレッド
(dunkelweinrot) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Westfalen | Wf. | Köln | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
05 | Niderrhein
ニーダーライン |
Nrh. | Düsseldorf | 黒
(schwarz) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Berlin-Brandenburg | B. | Berlin
ベルリン |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
06 | Oder
オーダー |
O. | Frankfurt an der Oder | ローズレッド
(rosarot) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Südmark
ジュードマルク |
Sm. | Graz | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
07 | Pommern | P. | Stettin | アップルグリーン
(apfelgrün) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Thüringen | Th. | Weimar | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
08 | Mittelrhein
ミッテルライン |
Mrh. | Koblenz | ダークブラウン
(dunkelbraun) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Niedersachsen | NS. | Hannover | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
09 | Sachsen | Sa. | Dresden | エメラルドグリーン
(smaragdgrün) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Nordmark | Nm. | Kiel | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
10 | Elbe | E. | Magdeburg | オレンジイエロー
(orangegelb) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Neckar | N. | Stuttgart | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
11 | Schlesien | S. | Liegnitz | サルファイエロー
(schwefelgelb) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Franken | Fr. | Nürnberg | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
12 | Hochland
ホッホラント |
HO. | München | ライトブルー
(hellblau) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Bayernwald
バイエルンヴァルト |
Bw. | Bayreuth | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
13 | Nordsee
ノルトゼー |
No. | Bremen | スチールグリーン
(stahlgrün) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Kurpfarz | KP. | Mannheim | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
14 | Hansa | Ha. | Hamburg | ネイビーブルー
(marineblau) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Hessen | He. | Frankfurt am Main | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
15 | Donau
ドナウ |
Do. | Wien | レッドブラウン
(rotbraun) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Alpenland
アルペンラント |
Al. | linz | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
16 | Sudeten | Su. | Reichenberg | ブルーグレー
(blaugrau) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Weichsel
ヴァイクセル |
W. | Danzig | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
17 | Warthe
ヴァルテ |
Wa. | Posen | コーンフラワーブルー
(kornblumenblau) (weiß) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||
Oberrehin
オーバーライン |
Orh. | Straßburg | 白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
18 | Standarte ’’Feldherrnhalle’’
フェルトヘルンハレ連隊 |
コチニールレッド
(karmesin) |
白/ブラウン(weiß/braun) | ||||||
SA-Wehrmannschaften
SA防衛団 |
SAブラウン
(SA-braun) |
白/ブラウン(weiß/braun) |
突撃隊旅団[編集]
管区集団 | 旅団番号 | 旅団名 | 管区集団 | 旅団番号 | 旅団名 |
---|---|---|---|---|---|
オストラント | 1 | グンビンネン | クルプファルツ | 50 | ダルムシュタット |
2 | アレンシュタイン | 51 | ノイシュタット | ||
3 | レッツェン | 151 | ザールブリュッケン | ||
4 | ケーニヒスベルク | 153 | ハイデルベルク | ||
220 | ザンクト・イングベルト | ||||
第7SA海上旅団 | マンハイム | ||||
ダンツィヒ=ヴェストプロイセン (1943- ヴァイクセル) |
5 | エルビンク | ミッテルライン | 52 | コブレンツ |
6 | ダンツィヒ | 150 | マインツ | ||
105 | ブロンベルク | 152 | トリーア | ||
106 | トルン | ||||
ポンメルン | 7 | ノイシュテッティン | オーバーライン | 53 | カールスルーエ |
8 | シュナイデミュール | 54 | フライブルク | ||
9 | シュテティーン | 253 | シュトラースブルク | ||
254 | コルマール | ||||
ハンザ | 11 | シュヴェリーン | ジュードヴェスト (1942- ネッカー) |
55 | シュトゥットガルト |
12 | ハンブルク | 56 | ウルム | ||
第3SA海上旅団 | 〃 | ||||
ノルトマルク | 14 | オイティン | ニーダーザクセン | 57 | ゲッティンゲン |
15 | イツェホー | 58 | ブラウンシュヴァイク | ||
16 | シュレースヴィヒ | 59 | クラウスタール=ツェラーフェルト | ||
第4SA海上旅団 | キール | 60 | ユルツェン | ||
61 | ハノーファー | ||||
シュレージェン | 17 | オペルン | ノルトゼー | 62 | ブレーメン |
18 | シュヴァイトニッツ | 63 | オルデンブルク | ||
19 | ゲルリッツ | 64 | オスナブリュック | ||
20 | ブレスラウ | 162 | ミンデン | ||
21 | リーグニッツ | 第2SA海上旅団 | ブレーマーハーフェン | ||
217 | カトヴィッツ | ||||
フランクフルト(オーダー) | 22 | キュストリン | ヴェストファーレン | 65 | デトモルト |
23 | ランツベルク・アン・デア・ヴァルテ | 66 | ミュンスター | ||
24 | コトブス | 67 | ドルトムント | ||
122 | グーベン | ||||
68 | アルンスベルク | ||||
69 | ハーゲン | ||||
70 | レックリングハウゼン | ||||
第5SA海上旅団 | ドルトムント | ||||
ベルリン・ブランデンブルク | 25 | ポツダム | ニーダーライン | 71 | ケルン |
26 | ベルナウ | 72 | ヴッパータール | ||
27 | ラーテノー | 73 | エッセン | ||
28 | 『ホルスト・ヴェッセル』 | 第1SA海上旅団 | 〃 | ||
29 | ベルリン東 | 74 | デュースブルク | ||
30 | ベルリン西 | 75 | デュッセルドルフ | ||
76 | アーヘン | ||||
ザクセン | 33 | ドレスデン | フランケン | 78 | ニュルンベルク |
34 | ケムニッツ | 79 | ヴュルツブルク | ||
35 | ライプツィヒ | バイエリッシェ・オストマルク (1942- バイエルンヴァルト) |
77 | バイロイト | |
36 | プラウエン | 80 | パッサウ | ||
133 | バウツェン | 81 | レーゲンスブルク | ||
82 | アンベルク | ||||
ミッテ (1942- エルベ) |
37 | ヴィッテンベルク | ホッホラント | 第84SA猟兵旅団 | ローゼンハイム |
38 | ハレ | 85 | ミュンヘン | ||
39 | デッサウ | 86 | アウクスブルク | ||
40 | シュテンダール | ヴァルテ | 87 | ポーゼン | |
137 | マクデブルク | 88 | レスラウ | ||
第138SA猟兵旅団 | 〃 | 187 | リッツマンシュタット | ||
テューリンゲン | 41 | ゲーラ | 89 | ツナイム | |
42 | エアフルト | ドナウ | 90 | ウィーン | |
43 | ノルトハウゼン | 91 | 〃 | ||
44 | アイゼナハ | 92 | クレムス | ||
ヘッセン | 46 | フルダ | 93 | バーデン・バイ・ウィーン | |
47 | カッセル | ジュードマルク | 第95SA山岳猟兵旅団 | グラーツ | |
48 | マールブルク | 第96SA山岳猟兵旅団 | レオーベン | ||
49 | フランクフルト・アム・マイン | 97 | クラーゲンフルト | ||
147 | ギーセン | アルペンラント | 94 | リンツ | |
第98SA山岳猟兵旅団 | ザルツブルク | ||||
第99SA山岳猟兵旅団 | インスブルック |
身辺護衛連隊[編集]
1931年11月、SA『ホッホラント』管区集団「第1SA連隊(ミュンヘン市)(SA-Standarte 1 (München/Stadt))」から編成[注釈 11]。
指揮官:ハンス・ブンゲSA大佐(1931年6月1日-1933年9月14日)
- SA『ホッホラント』管区集団
古参連隊[編集]
1931年の「SA下級集団『ミュンヘン=オーバーバイエルン』( SA-Untergruppe München-Oberbayern)[注釈 12]」設立時、ミュンヘンをはじめとするオーバーバイエルン地域の古参SA部隊から編成された。
- 第1SA連隊(ミュンヘン市)(SA-Standarte 1 (München/Stadt))
- 第2SA連隊(ミュンヘン方面)(SA-Standarte 2 (München/Land))
- 第3SA連隊(オーバーバイエルン)(SA-Standarte 3 (Oberbayern))
衛兵連隊[編集]
- 名誉司令官 - ヘルマン・ゲーリング国家元帥(1937-1945)
- 司令官 - エーリッヒ・ライマンSA中将(1937-1945)
- SA衛兵連隊『フェルトヘルンハレ』(SA-Wachstandarte „Feldherrnhalle“)
- 第I衛兵大隊『ベルリン』(I. Wachsturmbann (Berlin))
- 第II衛兵大隊『ミュンヘン』(II. Wachsturmbann (München))
- 第III衛兵大隊『ハッティンゲン=ルール』(III. Wachsturmbann (Hattingen/ Ruhr))
- 第IV衛兵大隊『フィヒテンハイン及びクレーフェルト』(IV. Wachsturmbann (Fichtenheim und Krefeld))
- 第V衛兵大隊『シュテティーン』(V. Wachsturmbann (Stettin))
- 第VI衛兵大隊『バート・カンシュタット』(VI. Wachsturmbann (Bad Cannstadt bei Stuttgart))
- 第VII衛兵大隊『ウィーン』(VII. Wachsturmbann (Wien)) - 1938年発足
- 第VIII衛兵大隊『リンダウ』(VIII. Wachsturmbann (lindau) )- 1941年発足
- 第IX衛兵大隊『コーニッツ』(IX. Wachsturmbann (Konitz/ Pommern))
- 第X衛兵大隊『ワルシャワ』(X. Wachsturmbann (Warschau))
予備連隊[編集]
- 第23SA予備連隊『レーゲンスブルク』
- 第24SA予備連隊『インゴルシュタット』
- 第42SA予備連隊『ゼルプ』
- 第43SA予備連隊『コーブルク』
- 第65SA予備連隊『バンベルク』(後にバイロイトへ異動)
連隊[編集]
連隊番号 | 連隊名 | 連隊番号 | 連隊名 |
---|---|---|---|
1 | ベルリン | 230 | ホルツミンデン |
1 | ケーニヒスベルク | 230 | トレブニッツ |
1 | ブレスラウ | 231 | シュプリンゲ・デイスター |
2 | 『キューテマイヤー』 | 232 | ギーフホルン |
3 | ベルリン=ノイケルン | 232 | アイゼナハ |
3 | ケーニヒスベルク | 234 | ベーブラ |
4 | ラステンブルク | 235 | ポツダム |
4 | ベルリン=ノルト | 235 | イェーナ |
5 | 『ホルスト・ヴェッセル』 | 237 | |
5 | ダンツィヒ | 238 | |
5 | バンベルク | 239 | ギーフホルン |
6 | アンベルク | 240 | |
6 | ベルリン=ミッテ | 241 | 『メーメル防護隊』 |
7 | ヴィルマースドルフ | 242 | |
7 | バイロイト | 243 | |
7 | リーグニッツ | 244 | アンナベルク |
8 | ベルリン=クロイツベルク | 245 | ボルナ |
9 | ベルリン=シュテーグリッツ | 246 | オクセンハウゼン |
9 | アイスレーベン | 247 | |
10 | インゴルシュタット | 248 | |
10 | ベルリン=ヴェディング | 249 | |
10 | シュヴァイトニッツ | 250 | ブルッフザール |
11 | レーゲンスブルク | 251 | |
11 | ブレスラウ | 252 | ノルトハウゼン |
12 | ビッターフェルト | 253 | |
12 | ベルリン=オスト | 254 | |
13 | ビルンバッハ | 255 | ライネ |
14 | ティーゲンホー | 256 | ハム |
14 | ニュルンベルク | 257 | |
15 | 258 | メットマン | |
16 | 『リスト連隊』 | 259 | イーザーローン |
16 | ランツフート | 260 | |
17 | ボーフム | 261 | バート・エムス |
18 | オステローデ | 262 | |
18 | 『エミール・ミュラー』 | 263 | |
18 | ノイシュタット | 264 | |
19 | ゲルリッツ | 265 | ピンネベルク |
20 | クロイツブルク・シュレージェン | 266 | |
20 | ブレスラウ | 267 | |
21 | ハイリゲンバイル | 268 | ベルガート |
21 | レオブシュッツ | 269 | |
22 | 270 | ||
23 | ナイセ | 271 | |
24 | 『リッツマン将軍』 (ノイルピーン) |
272 | |
24 | シュヴェヒャト | 273 | |
24 | ギュストロー | 274 | |
25 | グライヴィッツ | 275 | |
26 | マクデブルク | 276 | |
27 | シュヴァインフルト | 277 | |
27 | アルツァイ | 278 | |
27 | ハルバーシュタット | 279 | |
28 | ホーフ | 280 | |
29 | ローア | 281 | |
30 | ザールラウテルン | 282 | |
31 | アルトナ | 283 | |
32 | デッゲンドルフ | 284 | |
33 | グムビネン | 285 | |
34 | ゲロルシュタイン | 286 | |
35 | ブランデンブルク | 287 | |
36 | ハレ | 288 | |
37 | ヴァルテンブルク | 289 | |
38 | グラーツ | 290 | |
39 | オスト・プリーグニッツ | 291 | |
39 | 『アルベルト・レオ・シュラゲター』 (デュッセルドルフ) |
292 | |
40 | クレーフェルト | 293 | |
41 | シュプロッタウ | 294 | |
42 | ティルジット | 295 | |
43 | ケーニヒスベルク | 296 | |
44 | シュロースベルク | 297 | |
45 | インステルブルク | 298 | |
46 | ヴォルフェンビュッテル | 299 | |
47 | ホイエルスヴェルダ | 300 | |
48 | ランツベルク・ヴァルテ | 301 | |
49 | ブレスラウ | 302 | |
50 | シュタイン | 303 | |
51 | ブレスラウ | 304 | |
52 | プラハ | 305 | |
53 | ゾーリンゲン | 306 | |
54 | ノイシュテッティン | 307 | |
55 | デトモルト | 308 | |
56 | ノイザルツ | 309 | |
57 | ヴェーゼル | 310 | |
58 | グローガウ | 311 | |
59 | マリーエンヴェルダー | 312 | |
60 | ノイシュトレーリッツ | 313 | |
61 | ケスリーン | 314 | |
62 | コーゼル | 315 | |
63 | オペルン | 316 | |
64 | ウッカーマルク | 317 | |
65 | グンマースバッハ | 318 | |
66 | ハルデンスレーベン | 319 | |
67 | ゲンティン | 320 | |
68 | ラーテノー | 321 | |
69 | イダー=オーバーシュタイン | 322 | |
70 | ザールブリュッケン | 323 | |
71 | ゾンダーハウゼン | 324 | |
72 | トルガウ | 325 | |
73 | ハノーファー | 326 | |
74 | 327 | ||
75 | 328 | ||
76 | 329 | ||
77 | ツェレ | 330 | |
78 | 331 | ||
79 | 332 | ||
80 | 333 | ||
81 | 334 | レーヴェンベルク | |
82 | 335 | ||
83 | 336 | ラウェンブルク | |
84 | フースム | 337 | |
84 | ウィーン | 338 | |
85 | ハイデ | 339 | |
86 | 340 | ||
87 | 341 | ||
88 | 342 | ||
89 | 343 | シュラーヴェ | |
90 | 344 | ||
91 | 345 | ||
92 | 346 | ||
93 | ニコルスブルク | 347 | |
93 | デッサウ | 348 | |
94 | 349 | ||
95 | コーブルク | 350 | |
96 | 351 | ||
97 | 352 | ||
98 | 353 | ||
99 | 354 | ||
100 | ドレスデン | 355 | |
101 | 356 | ||
102 | 357 | ||
103 | 『ハンス・フォン・チャマー・ウント・オステン』 (バウツェン) |
358 | |
104 | 359 | ゼンフテンベルク・ニーダーラウジッツ | |
105 | 360 | ||
106 | 361 | ||
107 | ライプツィヒ | 362 | |
108 | 363 | ||
109 | 364 | ||
110 | ハイデルベルク | 365 | |
111 | ラシュタット | 366 | |
112 | マイン・ネッカー | 367 | |
113 | 368 | ||
114 | 369 | ||
115 | 370 | ||
116 | 371 | ||
117 | 372 | ||
118 | 373 | ||
119 | 374 | ||
120 | 375 | ||
121 | 376 | ||
122 | 377 | ヴァルデンブルク | |
123 | 378 | ||
124 | ラーベンスブルク・ヴァインガルテン | 379 | |
125 | 380 | ||
126 | 381 | ||
127 | 382 | ||
128 | ダンツィヒ | 383 | |
129 | ゲルダウエン | 384 | |
130 | 385 | ||
131 | 386 | ||
132 | ハーゲン | 387 | |
133 | 388 | グラーツ | |
134 | プラウエン・フォークトラント | 389 | |
135 | オッフェンバッハ | 390 | |
136 | 391 | ||
137 | 『クニックマン』 (ヴェーゼル) |
392 | |
138 | デュイスブルク | 393 | |
139 | 394 | ||
140 | 395 | ||
141 | ハインリヒスヴァルデ | 396 | |
142 | 『アルベルト・レオ・シュラゲター』 (レラハ) |
397 | ヴァルテンブルク |
143 | 398 | ||
144 | 399 | ||
145 | 400 | ||
146 | ヨハニスブルク | 401 | |
147 | リュック | 402 | |
148 | エルビンク | 403 | |
149 | 404 | ルンメルスブルク | |
150 | アレンシュタイン | 405 | |
151 | ビショフスブルク | 406 | |
152 | マリーエンヴェルダー | 407 | |
153 | 408 | ||
154 | ブンツラウ | 409 | |
155 | 410 | ||
156 | ボイテン | 411 | ヴェーザーミュンデ |
157 | ブリエック | 412 | |
158 | 413 | ||
159 | 414 | ||
160 | 415 | ||
161 | 416 | ||
162 | リューベック | 417 | |
163 | 418 | フルダ | |
164 | 419 | ||
165 | グロース・シュトレーリッツ | 420 | |
165 | クヴェードリンブルク | 421 | |
166 | 422 | ||
167 | 423 | ||
168 | 424 | ||
169 | 425 | ||
170 | 426 | ||
171 | ヴッパータール | 427 | |
172 | 428 | ||
173 | 429 | ||
174 | 430 | ||
175 | 431 | ||
176 | 432 | ドロッセン | |
177 | ピルナ | 433 | バート・クロイツナハ |
178 | 434 | ||
179 | 435 | ||
180 | 436 | ||
181 | 437 | ミュールハウゼン | |
182 | 438 | ||
183 | 439 | グロースアルメローデ | |
184 | 440 | ||
185 | 441 | ||
186 | 442 | ||
187 | 443 | ||
188 | 444 | ||
189 | 445 | ||
190 | 446 | ||
191 | 447 | ||
192 | 448 | ラーベス | |
193 | 449 | ||
194 | 450 | ||
195 | 451 | グーベン | |
196 | 457 | ヘルネ | |
197 | |||
198 | |||
199 | |||
200 | |||
201 | |||
202 | |||
203 | |||
204 | |||
205 | ベースコー・シュトルコー | ||
206 | グロースベーレン | ||
207 | オーバーバルニム | ||
208 | ニーダーバルニム | ||
209 | |||
210 | |||
211 | |||
212 | |||
213 | |||
214 | |||
215 | |||
216 | |||
217 | マクデブルク | ||
218 | |||
219 | |||
220 | |||
221 | |||
222 | |||
223 | |||
224 | |||
225 | ベルンブルク | ||
226 | |||
227 | |||
228 | |||
229 |
突撃隊の制服[編集]
-
褐色シャツ制服
-
突撃隊の褐色シャツと装備
-
褐色シャツ型制服(1933年ユダヤ人商店街ボイコット運動を行う突撃隊員)
-
褐色チュニック制服(1938年突撃隊幕僚長ヴィクトール・ルッツェ)
-
褐色シャツ制服と褐色チュニック制服
-
隊員用のオーバーコートとスポーツ着
-
突撃隊海軍の制服と白いチュニック制服
-
突撃隊防衛団の制服
専門部隊[編集]
各部門 | 部隊識別色 |
---|---|
SA通信部隊
Nachrichten-SA |
レモンイエロー |
SA騎乗部隊
Reiter-SA |
オレンジ |
SA工兵部隊
Pionier-SA |
ブラック |
SA猟兵隊及び銃兵隊
SA-Jäger/SA-Schützeneinheiten |
グリーン |
SA衛生部隊
Sanitäts-SA |
ロイヤルブルー |
SA海上部隊
Marine-SA |
ネイビー |
SA歩兵隊
SA-Fußstandarten |
グレー |
突撃隊を描いた作品[編集]
- 映画
- 地獄に堕ちた勇者ども(1969年、ルキノ・ヴィスコンティ監督)
- ヒットラー(2004年、クリスチャン・デュゲイ監督、※二部構成(第一部「覚醒」)作品公式サイト(英語)
- 戯曲
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b c 長谷川(1996)、p.30
- ^ テーラーとショー(1993)、p.179
- ^ 桧山(1976)、p.32
- ^ 村瀬(1968)、p.97
- ^ 桧山(1976)、p.34
- ^ a b 阿部(2001)、p.80
- ^ トーランド(1979)上巻、p.126
- ^ a b 桧山(1976)、p.46
- ^ 桧山(1976)、p.45
- ^ トーランド(1979)上巻、p.127
- ^ a b Littlejohn(1990)、p.3
- ^ 桧山 1976, pp. 43–46.
- ^ 村瀬(1968)、p.99-101
- ^ 阿部(2001)、p.81
- ^ a b c d e 桧山(1976)、p.47
- ^ フェスト(1975)上巻、p.188
- ^ a b 村瀬(1968)、p.103
- ^ 村瀬(1968)、p.100-101
- ^ 村瀬(1968)、p.100-102
- ^ a b c 桧山(1976)、p.48
- ^ フェスト(1975)上巻、p.190
- ^ a b 村瀬(1968)、p.118
- ^ 村瀬(1968)、p.101
- ^ 村瀬(1968)、p.119
- ^ 村瀬(1968)、p.105
- ^ 村瀬(1968)、p.114
- ^ 平井(2001)、p.7
- ^ a b c 桧山(1976)、p.59
- ^ 阿部(2001)、p.89
- ^ 村瀬(1968)、p.130
- ^ 阿部(2001)、p.96
- ^ 阿部(2001)、p.98
- ^ 桧山(1976)、p.65
- ^ 阿部(2001)、p.99
- ^ 桧山(1976)、p.75
- ^ 桧山(1976)、p.76
- ^ 桧山(1976)、p.77
- ^ フェスト(1975)上巻、p.239
- ^ トーランド(1979)上巻、p.191
- ^ a b Littlejohn(1990)、p.4
- ^ 阿部(2001)、p.104
- ^ トーランド(1979)上巻、p.193-200
- ^ a b 桧山(1976)、p.81
- ^ フェスト(1975)上巻、p.243-244
- ^ 阿部(2001)、p.110
- ^ 桧山(1976)、p.84
- ^ 阿部(2001)、p.112
- ^ 桧山(1976)、p.86
- ^ 桧山(1976)、p.89
- ^ 阿部(2001)、p.115
- ^ フェスト(1975)上巻、p.302
- ^ プリダム(1975)、p.66
- ^ 桧山(1976)、p.90
- ^ 桧山(1976)、p.103
- ^ a b c Littlejohn(1990)、p.5
- ^ a b 桧山(1976)、p.105
- ^ 桧山 1976, p. 103.
- ^ 阿部(2001)、p.125-126
- ^ フェスト(1975)上巻、p.303
- ^ 桧山(1976)、p.104
- ^ a b トーランド(1979)上巻、p.251
- ^ a b c 山下(2010)、p.286
- ^ a b c Littlejohn(1990)、p.8
- ^ 阿部(2001)、p.136
- ^ 桧山(1976)、p.108
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- ^ 桧山(1976)、p.110
- ^ a b 桧山(1976)、p.111
- ^ 長谷川(1996)、p.27
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- ^ 桧山(1976)、p.114
- ^ 阿部(2001)、p.163
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- ^ a b フェスト(1975)上巻、p.360
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- ^ 山下(2010)、p.39
- ^ Littlejohn(1990)、p.20-22
- ^ a b 桧山(1976)、p.156
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- ^ a b 桧山(1976)、p.160
- ^ 阿部(2001)、p.176
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- ^ a b 長谷川(1996)、p.28
- ^ フライ(1994)、p.16
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- ^ 桧山(1976)、p.190
- ^ 阿部(2001)、p.194
- ^ 桧山(1976)、p.198
- ^ 桧山(1976)、p.201
- ^ 阿部(2001)、p.197
- ^ 星乃(2006)、p.125
- ^ 星乃(2006)、p.127/183
- ^ 星乃(2006)、p.127
- ^ 桧山(1976)、p.257
- ^ 桧山(1976)、p.259
- ^ a b 阿部(2001)、p.219
- ^ 阿部(2001)、p.221
- ^ 桧山(1976)、p.261
- ^ 長谷川(1996)、p.14
- ^ 阿部(2001)、p.229
- ^ 阿部(2001)、p.235
- ^ 阿部(2001)、p.241
- ^ 桧山(1976)、p.263/276
- ^ 桧山(1976)、p.263
- ^ a b フライ(1994)、p.14
- ^ a b テーラーとショー(1993)、p.180
- ^ a b 長谷川(1996)、p.29
- ^ 桧山(1976)、p.278
- ^ フェスト(1975)下巻、p.85-86
- ^ 桧山(1976)、p.278-279
- ^ a b c 桧山(1976)、p.279
- ^ 阿部(2001)、p.258
- ^ フライ(1994)、p.21
- ^ a b 桧山(1976)、p.280
- ^ a b 阿部(2001)、p.260
- ^ ヘーネ(1981)、p.102
- ^ ヘーネ(1981)、p.100
- ^ ヘーネ(1981)、p.101
- ^ フライ(1994)、p.27
- ^ a b トーランド(1979)上巻、p.375
- ^ a b c ヘーネ(1981)、p.103
- ^ 阿部(2001)、p.267
- ^ a b トーランド(1979)上巻、p.376
- ^ 阿部(2001)、p.269
- ^ ヘーネ(1981)、p.104
- ^ ヘーネ(1981)、p.107
- ^ 桧山(1976)、p.292-293
- ^ ヘーネ(1981)、p.105
- ^ 桧山(1976)、p.292
- ^ トーランド(1979)上巻、p.377
- ^ フェスト(1975)下巻、p.96
- ^ トーランド(1979)上巻、p.379
- ^ 阿部(2001)、p.274
- ^ ヘーネ(1981)、p.112
- ^ フェスト(1975)下巻、p.192-193
- ^ 桧山(1976)、p.307-310
- ^ a b c d e f g Littlejohn(1990)、p.7
- ^ a b 桧山(1976)、p.310
- ^ ヘーネ(1981)、p.136
- ^ 長谷川(1996)、p.55
- ^ テーラーとショー(1993)、p.172
- ^ トーランド(1979)下巻、p.55
- ^ ラカー(2003)、p.287
- ^ Littlejohn(1990)、p.38
- ^ 長谷川(1996)、p.31
- ^ a b Littlejohn(1990)、p.39
- ^ ヘーネ(1981)、p.403-404
- ^ ヘーネ(1981)、p.404
- ^ ヘーネ(1981)、p.405
- ^ 『ニュルンベルグ裁判記録』(1947)、p.242
- ^ 『ニュルンベルグ裁判記録』(1947)、p.283-284
- ^ アドルフ・ヒトラー『完訳わが闘争』平野一郎・高柳茂共訳、第3巻、1961年、98頁。
- ^ SABE 3 Staf "SA und Öffentlichkeit (Propaganda)" v.3.11.1926, gez.: v.Pfeffer.
- ^ Vgl. Albrecht Tyrell (Hrsg.), Führer befieh Selbstzeugnisse aus der Kampfzeit" der NSDAP. Dokumentation und Analyse (Dusse ldorf.1969) S.235-236.
- ^ Vgl. Wolfgang Sauer in : Bracher/Sauer/Schulz, Die Nationalsozialistlsche Machtergreifung. Studien zur Errichtung des totälitaren Herrschaftssystems in Deutschland. (Köln-Opladen, 1960), S.831.
- ^ SABE 2 Staf. "SA und Partei - S A und Wehrverbände." v.2.11.1926, gez. : v.Pfeffer (HA 73/1549).
- ^ SABE 15 Sturmf. "Lenkung von Massen-Mil itärisches Vorbild" v.19.2.1927, gez. : v.Pfeffer.
- ^ Auch vgl. Heinrich Bennecke, Hitler und die SA (München und Wien, 1962) S.243-246.
- ^ SABE "Anleitung für die Winterarbeit." Osaf-Stellv. Süd, Münch., im Nov.1930. gez. : Schneidhuber (HA 73/1553).
- ^ Dr. Hans v. Helms (Hrsg), Der Politische Soldat. Blatt für politische Schulung und Bildung der S.A. Nur für den inneren Dienstgebrauch! Folge 1 (Berlin, 15.9.1932) in HA 17/311.
- ^ ラムスデン(1997)、p.51
- ^ Littlejohn(1990)、p.29/32
参考文献[編集]
●阿部良男﹃ヒトラー全記録 ‥20645日の軌跡﹄柏書房、2001年。ISBN 978-4760120581。 ●ジェームス・テーラー(en)、ウォーレン・ショー(en) 著、吉田八岑 訳﹃ナチス第三帝国事典﹄三交社、1993年。ISBN 978-4879191144。 ●ジョン・トーランド 著、永井淳 訳﹃アドルフ・ヒトラー 上﹄集英社、1979年。 ●ジョン・トーランド 著、永井淳 訳﹃アドルフ・ヒトラー 下﹄集英社、1979年。 ●F・ノイマン 著、岡本友孝、小野英祐、加藤栄一 訳﹃ビヒモス―ナチズムの構造と実際﹄みすず書房、1963年。ISBN 978-4622017011。 ●長谷川公昭著﹃ナチ強制収容所 その誕生から解放まで﹄草思社、1996年。ISBN 978-4794207401。 ●桧山良昭﹃ナチス突撃隊﹄白金書房、1976年。ASIN B000J9F2ZA。 ●平井正﹃ヒトラー・ユーゲント‥青年運動から戦闘組織へ﹄中公新書、2001年。ISBN 978-4121015723。 ●ヨアヒム・フェスト 著、赤羽竜夫 訳﹃ヒトラー︿上﹀﹄河出書房新社、1975年。ASIN B000J9D51I。 ●ヨアヒム・フェスト 著、赤羽竜夫 訳﹃ヒトラー︿下﹀﹄河出書房新社、1975年。ASIN B000J9D518。 ●ノルベルト・フライ 著、芝健介 訳﹃総統国家 ナチスの支配 1933―1945年﹄岩波書店、1994年。ISBN 978-4000012409。 ●G・プリダム 著、垂水節子・豊永泰子 訳﹃ヒトラー・権力への道‥ナチズムとバイエルン1923-1933年﹄時事通信社、1975年。ASIN B000J9FNO0。 ●ハインツ・ヘーネ著 著、森亮一 訳﹃SSの歴史 髑髏の結社﹄フジ出版社、1981年。ISBN 978-4892260506。 ●星乃治彦﹃男たちの帝国 ヴィルヘルム2世からナチスへ﹄岩波書店、2006年。ISBN 978-4000223881。 ●村瀬興雄﹃ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜﹄中公新書、1968年。ISBN 978-4121001542。 ●山下英一郎﹃制服の帝国 ナチスSSの組織と軍装﹄彩流社、2010年。ISBN 978-4779114977。 ●ウォルター・ラカー 著、井上茂子・木畑和子・芝健介・長田浩彰・永岑三千輝・原田一美・望田幸男 訳﹃ホロコースト大事典﹄柏書房、2003年。ISBN 978-4760124138。 ●ロビン・ラムスデン(en) 著、知野龍太 訳﹃ナチス親衛隊軍装ハンドブック﹄原書房、1997年。ISBN 978-4562029297。 ●﹃ニュルンベルグ裁判記録﹄時事通信社、1947年。 ●David Littlejohn (1990) (英語). The SA 1921-45: Hitler's Stormtroopers. Men-at-Arms. Osprey Publishing. ISBN 978-0850459449関連項目[編集]
- 保守革命
- 民族ボルシェヴィズム
- ナチス左派
- ビーフステーキ(ナチス突撃隊)
- 旗を高く掲げよ
- 突撃隊は行進する
- 第二革命
- わが友ヒットラー
- 民兵
- 国旗団 - ドイツ社会民主党の準軍事組織
- 赤色戦線戦士同盟 - ドイツ共産党の準軍事組織
- 鉄兜団、前線兵士同盟 - ドイツ国家人民党と同盟関係を結ぶ民間の準軍事組織
- 院外団 - 日本における類似の組織だが、準軍事組織化はせず、護衛・支持団体に留まった
- バイエルン護衛団 (バイエルン人民党が保有していた準軍事組織)
- 青年ドイツ騎士団(ドイツ民主党と合併した国民自由主義的な準軍事組織)
外部リンク[編集]