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「インドの歴史」の版間の差分

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'''インドの歴史'''(インドのれきし、History of India)では、[[インダス文明]]以来の[[インド]]の歴史について略述する。

'''インドの歴史'''(インドのれきし、History of India)では、[[インダス文明]]以来の[[インド]]の歴史について略述する。



== インダス文明・ガンジス文明 ==

== インダス・ガンジス文明 ==

=== インダス文明 ===

=== インダス文明 ===

[[ファイル:IVC Map.png|thumb|200px|right|インダス文明]]

[[ファイル:IVC Map.png|thumb|200px|right|インダス文明]]

{{Main|インダス文明}}

{{Main|インダス文明}}


[[2600]][[]][[]][[:en:Iravatham Mahadevan|Iravatham Mahadevan]][[3500]]西Dravidian hypothesis[[|]][[]]Rajesh P. N. Rao[[]]{{||en|Asko Parpola}}<ref>[http://wired.jp/wv/2009/04/24// ] (WIRED.jp)</ref>

[[2600]][[]][[]][[:en:Iravatham Mahadevan|Iravatham Mahadevan]][[3500]]西Dravidian hypothesis[[|]][[ ()|]]Rajesh P. N. Rao[[]]{{||en|Asko Parpola}}<ref>[http://wired.jp/wv/2009/04/24// ] (WIRED.jp){{|date=202110}}</ref>



[[]][[]][[|]][[|]]沿[[]][[]][[]]

[[]][[]][[|]][[|]]沿[[]][[]][[]]{{Sfn|&西|2007|pp=38-39}}


焼き[[煉瓦]]を用いて街路や[[用水路]]、浴場などを建造し、一定の都市計画にもとづいて建設されていることを特徴としていたが、紀元前2000年頃から衰退へとむかった。この頃になると各地域ごとに文化発展がみられ、{{仮リンク|アハール・バナス文化|en|Ahar-Banas culture}} (Ahar-Banas culture)、{{仮リンク|マールワー王国|en|Malava Kingdom|label=マールワー文化}} (Malava Kingdom, Malwa culture)、{{仮リンク|ジョールウェー|en|Jorwe|label=ジョールウェー文化}} (Jorwe culture) などがその例として挙げられる。


[[]][[]]2000退{{Sfn|&西|2007|p=39}}{{||en|Ahar-Banas culture}} (Ahar-Banas culture){{||en|Malava Kingdom|label=}} (Malava Kingdom, Malwa culture){{||en|Jorwe|label=}} (Jorwe culture) 


これらの文化が滅亡した要因として環境問題(紀元前1628年から紀元前1626年までの気候変動の原因となった[[ギリシャ]]・[[サントリーニ島]]の[[ミノア噴火]])などが指摘されているが、[[インダス文字]]が未解読なこともあり、詳細ははっきりとしていない。


16281626[[]][[]][[]][[]]{{Refnest|2007{{sfn|&西|2007|p=40}}|group=}}

インダス文明が後世のインド文明に与えた影響として、[[沐浴]]の習慣や[[リンガ]]信仰などが挙げられるほか、彼らの神像がシヴァ神の原型でありヨーガの源流になったと考えられてきていた。


[[File:Yogi. Mold of Seal, Indus valley civilization.jpg|upright|thumb|200px|紀元前2500-1500年頃の彫像]]

これは、1921年に[[モヘンジョダロ|モエンジョ・ダーロ]]と[[ハラッパー]]の遺跡を発掘した[[考古学|考古学者]]のジョン・マーシャルらによって、発掘された印章に彫られた図像を、[[坐法]]を行っている[[シヴァ|シヴァ神]]の原型であると解釈したものである{{sfn|シングルトン|2014|p=33}}。そこから宗教学者[[ミルチャ・エリアーデ|エリアーデ]]も、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした{{sfn|シングルトン|2014|p=33}}。


近代に至る[[ヨーガ]]の歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている{{sfn|シングルトン|2014|p=33}}。



[[]]{{sfn||1973|p=23}}{{sfn||1973|p=23}}

また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている{{sfn|シングルトン|2014|pp=33-34}}。


近年、このようなヨーガのインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており{{sfn|シングルトン|2014|p=34}}、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。



=== 前期ヴェーダ時代 ===

=== 前期ヴェーダ時代 ===

[[ファイル:KhyberPassPakistan.jpg|thumb|200px|right|カイバル峠]]

[[ファイル:KhyberPassPakistan.jpg|thumb|200px|right|カイバル峠]]

{{Main|ヴェーダ}}

{{Main|ヴェーダ}}

[[インド・アーリア人]]は、紀元前1500年前後に現在の[[アフガニスタン]]・[[バクトリア]]から北西インド(現在のパキスタン)に移住したと考えられているが<ref>{{cite book|author=Masica, Colin P|title=The Indo-Aryan languages|year=1993|origyear=1991|publisher=Cambridge University Press|isbn=0521299446|edition=paperback|page=36}}</ref>、インドの伝承では移動に関して何も記していない。[[リグ・ヴェーダ]]によれば、その後、[[バラタ族]]・[[トリツ族]]など諸部族の間で戦争が勃発した([[十王戦争]])。バラタ族の社会は、いくつかの部族集団によって構成されていた。部族を率いたものを「ラージャン」と称し、ラージャンの統制下で戦争などが遂行された。ラージャンの地位は世襲されることが多かったが、[[部族]]の構成員からの支持を前提としており、その権力は専制的なものではなかったとされる。


[[]]1500[[]][[]]西<ref>{{cite book|author=Masica, Colin P|title=The Indo-Aryan languages|year=1993|origyear=1991|publisher=Cambridge University Press|isbn=0521299446|edition=paperback|page=36}}</ref>[[]][[]][[]][[]][[]]{{Sfn|&西|2007|p=82}}



[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]

[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]

[[紀元前12世紀]]頃に編纂されたリグ・ヴェーダなどのヴェーダの時代には「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としての[[ヨーガ]]を指す用例はない{{sfn|山下|2009|p=69}}。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている{{sfn|山下|2009|p=68}}。



=== 後期ヴェーダ時代とガンジス文明 ===

=== 後期ヴェーダ時代とガンジス文明 ===

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[[ファイル:Ancient india.png|thumb|280px|right|十六大国の位置]]

[[ファイル:Ancient india.png|thumb|280px|right|十六大国の位置]]

{{Main|十六大国}}

{{Main|十六大国}}


[[1000]][[]][[]][[]][[950]][[]]{{||en|Kurukshetra War}}[[]]退[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[6]][[]][[1]] ([[:en:Iranian invasion of Indus Valley]]) 

[[1000]][[]]{{Sfn|&西|2007|p=83}}


[[]]{{Sfn|&西|2007|p=84}}[[]][[]][[950]][[]]{{||en|Kurukshetra War}}[[]]退{{Sfn|&西|2007|p=85}}[[]][[]][[]]{{Sfn|&西|2007|pp=81-83}}[[]][[]]{{Sfn|&西|2007|p=85}}[[]][[6]][[]][[1]] ([[:en:Iranian invasion of Indus Valley]]) {{Sfn|&西|2007|p=103}}


==== ウパニシャッド哲学と新宗教 ====

==== ウパニシャッド哲学と新宗教 ====

{{Main|ウパニシャッド|仏教|ジャイナ教|枢軸時代|六師外道}}

{{Main|ウパニシャッド|仏教|ジャイナ教|枢軸時代|六師外道}}

紀元前5世紀になると、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成した。ガンジス川流域で諸国の抗争が続く中で[[バラモン]]が凋落すると、それに代わり[[クシャトリヤ]]や[[ヴァイシャ]]が勢力を伸ばすようになった。こうした変化を背景にウパニシャッド哲学がおこり、その影響下に[[マハーヴィーラ]](ヴァルダマーナ)によって[[ジャイナ教]]が、[[マッカリ・ゴーサーラ]]によって[[アージーヴィカ教]]が、[[釈迦]](シャカ、ガウタマ・シッダールタ)によって[[初期仏教]]が、それぞれ創始され当時の'''インド四大宗教'''はほぼ同時期にそろって誕生し、「[[六師外道]]」とも呼称された自由思想家たちが活躍した。

紀元前5世紀になると、4大ヴェーダが完成し、バラモン教が宗教として完成した。ガンジス川流域で諸国の抗争が続く中で[[バラモン]]が凋落すると、それに代わり[[クシャトリヤ]]や[[ヴァイシャ]]が勢力を伸ばすようになった。こうした変化を背景にウパニシャッド哲学がおこり、その影響下に[[マハーヴィーラ]](ヴァルダマーナ)によって[[ジャイナ教]]が、[[マッカリ・ゴーサーラ]]によって[[アージーヴィカ教]]が、[[釈迦]](シャカ、ガウタマ・シッダールタ)によって[[初期仏教]]が、それぞれ創始され当時の'''インド四大宗教'''はほぼ同時期にそろって誕生し、「[[六師外道]]」とも呼称された自由思想家たちが活躍した。



[[500]] - [[400]][[]][[]]{{sfn||2009|p=71}}{{sfn||2009|p=71}}[[350]] - [[300]][[]]{{sfn||1973|p=27}}


=== ペルシャとギリシャの征服 ===

=== ペルシャとギリシャの征服 ===

{{Main|[[アケメネス朝]]|[[:en:Greco-Buddhism|Greco-Buddhism]]|[[アレクサンドロス3世]]|[[ナンダ朝]]|[[:en:Gangaridai|Gangaridai]]|グレコ・バクトリア王国|インド・グリーク朝|マッロイ戦役}}

{{Main|[[アケメネス朝]]|[[:en:Greco-Buddhism|Greco-Buddhism]]|[[アレクサンドロス3世]]|[[ナンダ朝]]|[[:en:Gangaridai|Gangaridai]]|グレコ・バクトリア王国|インド・グリーク朝|マッロイ戦役}}

[[紀元前330年]]頃には、インド北西部に[[マケドニア王国]]の[[アレクサンドロス3世]](大王)が進出していた。


[[330]]西[[]][[3]]{{Sfn|&西|2007|pp=103-104}}


== 古代インドの諸王朝 ==

== 古代インドの諸王朝 ==

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[[ファイル:BuddhaHead.JPG|130px|right|thumb|ガンダーラの仏頭([[2世紀]])]]

[[ファイル:BuddhaHead.JPG|130px|right|thumb|ガンダーラの仏頭([[2世紀]])]]

{{Main|クシャーナ朝|ガンダーラ}}

{{Main|クシャーナ朝|ガンダーラ}}


[[]][[1]][[]][[|]][[2]][[]][[]][[#|]][[3]][[]][[]][[1]]退

[[]][[1]][[]][[|]][[2]][[]][[]][[]][[3]][[]][[]][[1]]退


=== サータヴァーハナ朝と古代交易網 ===

=== サータヴァーハナ朝と古代交易網 ===

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仏像彫刻では、上述の[[ガンダーラ]]のほか、[[マトゥラー]]ではインド様式による製作がなされるようになった。

仏像彫刻では、上述の[[ガンダーラ]]のほか、[[マトゥラー]]ではインド様式による製作がなされるようになった。


=== 古典ヨーガ ===

{{see also|ヨーガ|ヨーガ学派}}

[[File:Patanjali.jpg|thumb|180px|パタンジャリの典型的な像]]

紀元後4-5世紀頃には、『[[ヨーガ・スートラ]]』が編纂された{{sfn|山下|2009|p=105}}<ref>{{Cite book|和書|title=世界宗教百科事典 |publisher=丸善出版 |year=2012}}p.522</ref>。この書の成立を紀元後3世紀以前に遡らせることは、文献学的な証拠から困難であるという{{sfn|山下|2009|p=105}}。『ヨーガ・スートラ』の思想は、[[仏教]]思想からの影響や刺激も大きく受けている{{sfn|佐保田|1973|p=36}}{{sfn|シングルトン|2014|p=279}}。


国内外の[[ヨーガ]]研究者や実践者のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」であるとするものがあるが、ヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンはこのような理解に注意を促している。『ヨーガ・スートラ』は当時数多くあった修行書のひとつに過ぎないのであって、かならずしもヨーガに関する「唯一」の「聖典」のような種類のものではないからである{{sfn|シングルトン|2014|p=35}}。サーンキヤ・ヨーガの思想を伝えるためのテキストや教典は、同じ時期に多くの支派の師家の手で作られており、そのなかでたまたま今日に伝えられているのが『ヨーガ・スートラ』である{{sfn|佐保田|1973|p=35}}。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパ人研究者の知見に影響を受けながら、20世紀になって英語圏のヨーガ実践者たちによって、また、ヴィヴェーカーナンダやH・P・ブラヴァツキーなどの近代ヨーガの推進者たちによって、「基本教典」としての権威を与えられていった{{sfn|シングルトン|2014|p=35}}。



[[]][[]][[]]{{sfn||1993|p={{|date=yyyym}}}}[[]][[]](


=== 二大叙事詩と『マヌ法典』 ===

=== 二大叙事詩と『マヌ法典』 ===

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また、[[バラモン教]]と民間信仰が結びついた形で、[[ヒンドゥー教]]がこの時代に確立され民衆に広まった。上述した二大叙事詩やヒンドゥー二大法典が広く普及したのもグプタ朝の時代である。

また、[[バラモン教]]と民間信仰が結びついた形で、[[ヒンドゥー教]]がこの時代に確立され民衆に広まった。上述した二大叙事詩やヒンドゥー二大法典が広く普及したのもグプタ朝の時代である。




[[]][[]]5[[|]][[]]

[[|]][[]]5[[]][[]]


[[医学]]・[[天文学]]・[[数学]]なども発展した。「[[0|ゼロ]]」を発見したのも、古代インド人だといわれている。

[[医学]]・[[天文学]]・[[数学]]なども発展した。「[[0|ゼロ]]」を発見したのも、古代インド人だといわれている。

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=== 南インドの諸王朝 ===

=== 南インドの諸王朝 ===

[[ファイル:Rathas-Mahabalipuram.jpg|280px|right|thumb|マハーバリプラムの「石彫寺院」(ラタ)、7世紀]]

[[ファイル:Mahabalipuram, Pancha Rathas, Tamil Nadu, India.jpg|280px|right|thumb|マハーバリプラムの「石彫寺院」(ラタ)、7世紀]]

{{Main|前期チャールキヤ朝|パッラヴァ朝|ラーシュトラクータ朝|チョーラ朝|エローラ石窟群|パッタダカル}}

{{Main|前期チャールキヤ朝|パッラヴァ朝|ラーシュトラクータ朝|チョーラ朝|エローラ石窟群|パッタダカル}}


[[]][[]]6[[8]][[]]7282[[]][[]][[|]]2{{||en|Badami}}[[]]

[[]][[]]6[[8]][[]]7282[[]][[]][[|]]2{{||en|Badami}}[[]]
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{{Main|チョーラ朝|パーンディヤ朝}}

{{Main|チョーラ朝|パーンディヤ朝}}


[[]]10[[]][[]]貿11[[]]12[[]]13

[[]]10[[]][[]]貿11[[]]12[[]]13

=== 後期ヨーガ ===

{{see also|ハタ・ヨーガ}}

[[12世紀]]-[[13世紀]]には、[[タントラ]]的な身体観を基礎として、動的な[[ヨーガ]]が出現した。これは[[ハタ・ヨーガ]](力〔ちから〕ヨーガ)と呼ばれている。内容としては印相(ムドラー)や調気法(プラーナーヤーマ)などを重視し、[[超能力]]や三昧を追求する傾向もある。教典としては『[[ハタ・ヨーガ・プラディーピカー]]』、『[[ゲーランダ・サンヒター]]』、『[[シヴァ・サンヒター]]』がある。


[[File:Swami_Vivekananda_1896.jpg|thumb|180px|ヴィヴェーカーナンダ]]


{{sfn||1973|p=37}}19[[]][[]]{{sfn||2011|p=96}}

ヨーガの歴史的研究を行ったマーク・シングルトンによれば、近代インドの傾向において、ハタ・ヨーガは望ましくない、危険なものとして避けられてきたという{{sfn|シングルトン|2014|p=99}}。ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシら近代の聖者である指導者たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語っていて、高度に精神的な働きや鍛錬のことだけを対象としており、ハタ・ヨーガは危険か浅薄なものとして扱われた{{sfn|シングルトン|2014|p=99}}{{refn|group=†|name="あるがままに1"|例えば、近代インドを代表する聖者である[[ラマナ・マハルシ]]<ref>{{Cite book|和書|author=ポール・ブラントン |translator=日本ヴェーダーンタ協会 |year=2016 |origyear=1982 |title=秘められたインド 改訂版 |publisher=日本ヴェーダーンタ協会 |isbn=978-4-931148-58-1}}{{要ページ番号|date=yyyy年m月}}</ref>は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している<ref name="あるがままに2">{{Cite book|和書|author=デーヴィッド・ゴッドマン編 |translator=福間巖 |year=2005 |title=あるがままに - ラマナ・マハルシの教え |publisher=ナチュラルスピリット |isbn=4-931449-77-8 |pages=249-267}}</ref>。}}。ヨーロッパの人々は、現在ではラージャ・ヨーガと呼ばれる古典ヨーガやヴェーダーンタなどの思想には東洋の深遠な知の体系として高い評価を与えたが、行法としてのヨーガとヨーガ行者には不審の眼を向けた。それは、17世紀以降インドを訪れた欧州の人々が遭遇した現実のハタ・ヨーガの行者等が、不潔と奇妙なふるまい、悪しき行為、時には暴力的な行為におよんだことなどが要因であるという{{sfn|シングルトン|2014|pp=45-52}}{{refn|group=†|{{harvnb|シングルトン|2014}}によれば、これらの行者のなかには、実際にかなり暴力的な方法で物乞いをする者達もいて、一般の人々から恐れられていたらしい。武装したハタ・ヨーガ行者たちは略奪行為を働くこともあった。略奪行為が統治者から禁止されるようになると、行者らはヨーガを見世物とするようになり、正統的なヒンドゥー教徒たちからは社会の寄生虫として蔑視されていた{{sfn|シングルトン|2014|pp=45-52}}。}}。



=== ヴィジャヤナガル王国 ===

=== ヴィジャヤナガル王国 ===

185行目: 152行目:


=== バクティ信仰とシク教の創始 ===

=== バクティ信仰とシク教の創始 ===

[[ファイル:Amritsar-golden-temple-00.JPG|280px|right|thumb|アムリトサルの黄金寺院]]

[[ファイル:Goldener Tempel Amritsar 2022-11-21 4.jpg|280px|right|thumb|アムリトサルの黄金寺院]]

{{Main|シク教}}

{{Main|シク教}}


[[]][[]]15[[]][[]][[]]

[[]][[]]15[[]][[]][[]]
281行目: 248行目:

==== チャンドラ・ボースとインド国民軍 ====

==== チャンドラ・ボースとインド国民軍 ====

{{Main|スバス・チャンドラ・ボース|インド国民軍}}

{{Main|スバス・チャンドラ・ボース|インド国民軍}}


[[]][[|]][[]][[1942]][[]][[]][[]][[]] (INA) [[]]<ref>201996{{|date=yyyym}}</ref>[[A.M.]][[]]{{2||date=20188}}

[[]][[|]][[]][[1942]][[]][[]][[]][[]] (INA) [[]]<ref>201996{{|date=yyyym}}</ref>[[A.M.]][[]]{{2||date=20188}}

=== 近現代のヨーガ ===

{{see also|ハタ・ヨーガ#現代のハタ・ヨーガ}}


1920西{{||en|Physical culture}}[[]][[]]{{||en|Tirumalai Krishnamacharya}}1888 - 1989西[[]]<ref name="">{{Cite journal||author= |date=2011-03-30 |title= :  |journal= |volume=84(4) |publisher= |naid=110008514008 |pages=417-418}}</ref>{{refn|group=|[[]]19201930{{harvnb||2014}}1930西<ref name=""/>}}

インド伝統のエクササイズ(健康体操)と喧伝されることで、アーサナが中心となったハタ・ヨーガの名前が近現代に復権することになった{{sfn|シングルトン|2014|p=5}}。


2016年、[[ユネスコ]]が推進する[[無形文化遺産]]にインド申請枠で登録された<ref>[http://www.unesco.org/culture/ich/en/RL/yoga-01163 Yoga India Inscribed in 2016 (11.COM) on the Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity] Intangible Heritage UNWSCO</ref>。



== 第二次世界大戦後 ==

== 第二次世界大戦後 ==

319行目: 279行目:

=== 印パ戦争と中印国境紛争 ===

=== 印パ戦争と中印国境紛争 ===

{{Main|印パ戦争|中印国境紛争}}

{{Main|印パ戦争|中印国境紛争}}


[[]][[#|]][[]]1947 - 1948[[]]1965 - 1966[[|]][[]]1971[[1999]][[]]{{||en|Kargil War|label=}}

[[]][[#|]][[]]1947 - 1948[[]]1965 - 1966[[|]][[]]1971[[1999]][[]]{{||en|Kargil War|label=}}



19591962

19591962
339行目: 299行目:

1990年代より[[ヒンドゥー至上主義]]の立場をとる[[インド人民党]]が[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]](バジパイ)らの指導のもと勢力を伸ばし、1998年から2004年まで政権を獲得した。

1990年代より[[ヒンドゥー至上主義]]の立場をとる[[インド人民党]]が[[アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー]](バジパイ)らの指導のもと勢力を伸ばし、1998年から2004年まで政権を獲得した。



2004年以降は国民会議派で[[シク教徒]]の[[マンモハン・シン]]政権続いている。

2004年5月から2014年5月までは国民会議派で[[シク教徒]]の[[マンモハン・シン]]、2014年5月以降は[[インド人民党]]の[[ナレンドラ・モディ]]首相を務めている。



=== BRICsの一角 ===

=== BRICsの一角 ===

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その一方では、広大な国土に対する[[インフラ]]整備が進んでいないことがしばしば指摘される。2006年8月10日、モンスーンによる洪水の被害者は、東部の[[グジャラート]]、南東部の[[アーンドラ・プラデーシュ]]の2州だけで約1300万人に上る惨事となった。

その一方では、広大な国土に対する[[インフラ]]整備が進んでいないことがしばしば指摘される。2006年8月10日、モンスーンによる洪水の被害者は、東部の[[グジャラート]]、南東部の[[アーンドラ・プラデーシュ]]の2州だけで約1300万人に上る惨事となった。


[[2019年インド総選挙]]では、[[インド人民党]]が過半数の議席を獲得した<ref>{{Cite web|和書

|url=https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/05/8322791d56f1e7c2.html |title=下院総選挙、モディ政権与党のBJPが圧勝(インド)ビジネス短信―ジェトロの海外ニュース |accessdate=2024-05-10}}</ref>。


== インドにおけるヨーガの歴史 ==

=== インダス文明 ===

インダス文明が後世のインド文明に与えた影響として、[[沐浴]]の習慣や[[リンガ]]信仰などが挙げられるほか、彼らの神像がシヴァ神の原型でありヨーガの源流になったと考えられてきていた。


[[File:Yogi. Mold of Seal, Indus valley civilization.jpg|upright|thumb|200px|紀元前2500-1500年頃の彫像]]

これは、1921年に[[モヘンジョダロ|モエンジョ・ダーロ]]と[[ハラッパー]]の遺跡を発掘した[[考古学|考古学者]]のジョン・マーシャルらによって、発掘された印章に彫られた図像を、[[坐法]]を行っている[[シヴァ|シヴァ神]]の原型であると解釈したものである{{sfn|シングルトン|2014|p=33}}。そこから宗教学者[[ミルチャ・エリアーデ|エリアーデ]]も、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした{{sfn|シングルトン|2014|p=33}}。


近代に至る[[ヨーガ]]の歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている{{sfn|シングルトン|2014|p=33}}。



[[]]{{sfn||1973|p=23}}{{sfn||1973|p=23}}

また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている{{sfn|シングルトン|2014|pp=33-34}}。


近年、このようなヨーガのインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており{{sfn|シングルトン|2014|p=34}}、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。


=== 前期ヴェーダ時代 ===

[[紀元前12世紀]]頃に編纂されたリグ・ヴェーダなどのヴェーダの時代には「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としての[[ヨーガ]]を指す用例はない{{sfn|山下|2009|p=69}}。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている{{sfn|山下|2009|p=68}}。


=== ウパニシャッドの時代 ===


[[500]] - [[400]][[]][[]]{{sfn||2009|p=71}}{{sfn||2009|p=71}}[[350]] - [[300]][[]]{{sfn||1973|p=27}}

=== 古典ヨーガ ===

{{see also|ヨーガ|ヨーガ学派}}

[[File:Patanjali.jpg|thumb|180px|パタンジャリの典型的な像]]

紀元後4-5世紀頃には、『[[ヨーガ・スートラ]]』が編纂された{{sfn|山下|2009|p=105}}<ref>{{Cite book|和書|title=世界宗教百科事典 |publisher=丸善出版 |year=2012}}p.522</ref>。この書の成立を紀元後3世紀以前に遡らせることは、文献学的な証拠から困難であるという{{sfn|山下|2009|p=105}}。『ヨーガ・スートラ』の思想は、[[仏教]]思想からの影響や刺激も大きく受けている{{sfn|佐保田|1973|p=36}}{{sfn|シングルトン|2014|p=279}}。


国内外の[[ヨーガ]]研究者や実践者のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」であるとするものがあるが、ヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンはこのような理解に注意を促している。『ヨーガ・スートラ』は当時数多くあった修行書のひとつに過ぎないのであって、かならずしもヨーガに関する「唯一」の「聖典」のような種類のものではないからである{{sfn|シングルトン|2014|p=35}}。サーンキヤ・ヨーガの思想を伝えるためのテキストや教典は、同じ時期に多くの支派の師家の手で作られており、そのなかでたまたま今日に伝えられているのが『ヨーガ・スートラ』である{{sfn|佐保田|1973|p=35}}。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパ人研究者の知見に影響を受けながら、20世紀になって英語圏のヨーガ実践者たちによって、また、ヴィヴェーカーナンダやH・P・ブラヴァツキーなどの近代ヨーガの推進者たちによって、「基本教典」としての権威を与えられていった{{sfn|シングルトン|2014|p=35}}。



[[]][[]][[]]{{sfn||1993|p={{|date=yyyym}}}}[[]][[]](

=== 後期ヨーガ ===

{{see also|ハタ・ヨーガ}}

[[12世紀]]-[[13世紀]]には、[[タントラ]]的な身体観を基礎として、動的な[[ヨーガ]]が出現した。これは[[ハタ・ヨーガ]](力〔ちから〕ヨーガ)と呼ばれている。内容としては印相(ムドラー)や調気法(プラーナーヤーマ)などを重視し、[[超能力]]や三昧を追求する傾向もある。教典としては『[[ハタ・ヨーガ・プラディーピカー]]』、『[[ゲーランダ・サンヒター]]』、『[[シヴァ・サンヒター]]』がある。


[[File:Swami_Vivekananda_1896.jpg|thumb|180px|ヴィヴェーカーナンダ]]


{{sfn||1973|p=37}}19[[]][[]]{{sfn||2011|p=96}}


{{sfn||2014|p=99}}{{sfn||2014|p=99}}{{refn|group=|name="1"|[[]]<ref>{{Cite book||author= |translator= |year=2016 |origyear=1982 |title=  |publisher= |isbn=978-4-931148-58-1}}{{|date=yyyym}}</ref> <ref name="2">{{Cite book||author= |translator= |year=2005 |title= -  |publisher= |isbn=4-931449-77-8 |pages=249-267}}</ref>}}17{{sfn||2014|pp=45-52}}{{refn|group=|{{harvnb||2014}}{{sfn||2014|pp=45-52}}}}

=== 近現代のヨーガ ===

{{see also|ハタ・ヨーガ#現代のハタ・ヨーガ}}


1920西{{||en|Physical culture}}[[]][[]]{{||en|Tirumalai Krishnamacharya}}1888 - 1989西[[]]<ref name="">{{Cite journal||author= |date=2011-03-30 |title= :  |journal= |volume=84(4) |publisher= |naid=110008514008 |pages=417-418}}</ref>{{refn|group=|[[]]19201930{{harvnb||2014}}1930西<ref name=""/>}}

インド伝統のエクササイズ(健康体操)と喧伝されることで、アーサナが中心となったハタ・ヨーガの名前が近現代に復権することになった{{sfn|シングルトン|2014|p=5}}。


2016年、[[ユネスコ]]が推進する[[無形文化遺産]]にインド申請枠で登録された<ref>[http://www.unesco.org/culture/ich/en/RL/yoga-01163 Yoga India Inscribed in 2016 (11.COM) on the Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity] Intangible Heritage UNWSCO</ref>。



== インドの歴史の史料 ==

== インドの歴史の史料 ==

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|佐保田|1973}} |author=[[佐保田鶴治]] |title=ヨーガ根本教典 |publisher=平河出版社 |year=1973 |isbn=4-89203-019-8}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|佐保田|1973}} |author=佐保田鶴治|authorlink=佐保田鶴治 |title=ヨーガ根本教典 |publisher=平河出版社 |year=1973 |isbn=4-89203-019-8}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|シングルトン|2014}} |author=マーク・シングルトン |others=喜多千草訳 |title=ヨガ・ボディ - ポーズ練習の起源 |publisher=大隅書店 |year=2014 |isbn=978-4-905328-06-3}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|シングルトン|2014}} |author=マーク・シングルトン |others=喜多千草訳 |title=ヨガ・ボディ - ポーズ練習の起源 |publisher=大隅書店 |year=2014 |isbn=978-4-905328-06-3}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|山下|2009}} |author=山下博司 |title=ヨーガの思想 |publisher=講談社 |series=[[講談社選書メチエ]] |year=2009 |isbn=978-4-06-258432-6}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|山下|2009}} |author=山下博司 |title=ヨーガの思想 |publisher=講談社 |series=[[講談社選書メチエ]] |year=2009 |isbn=978-4-06-258432-6}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|伊藤|2011}} |author=伊藤武 |title=図説 ヨーガ大全 |publisher=[[佼成出版社]] |year=2011 |isbn=978-4-333-02471-1}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|伊藤|2011}} |author=伊藤武 |title=図説 ヨーガ大全 |publisher=[[佼成出版社]] |year=2011 |isbn=978-4-333-02471-1}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|川崎|1993}} |author=[[川崎信定]] |title=インドの思想 |publisher=[[放送大学教育振興会]] |year=1993 |isbn=4-595-21344-1}}

*{{Cite book|和書|ref={{Harvid|川崎|1993}} |author=川崎信定|authorlink=川崎信定 |title=インドの思想 |publisher=[[放送大学教育振興会]] |year=1993 |isbn=4-595-21344-1}}




{{参照方法|date=2021年4月|section=1}}

{{参照方法|date=2021年4月|section=1}}

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* 近藤治『インドの歴史 多様の統一世界』[[講談社現代新書]]、1977年1月、ISBN 4061158562

* 近藤治『インドの歴史 多様の統一世界』[[講談社現代新書]]、1977年1月、ISBN 4061158562

* R.S.シャルマ『古代インドの歴史』山崎利男・[[山崎元一]]訳、[[山川出版社]]、1985年8月、ISBN 4634650908

* R.S.シャルマ『古代インドの歴史』山崎利男・[[山崎元一]]訳、[[山川出版社]]、1985年8月、ISBN 4634650908

* {{Cite book|和書 |title=世界歴史大系 南アジア史1 ─先史・古代─ |date=2007-06-10 |year=2007 |publisher=[[山川出版社]] |volume=1 |isbn=978-4634462083 |editor=[[山崎元一]]・[[小西正捷]] |ref={{SfnRef|山崎&小西|2007}}}}



== 関連項目 ==

== 関連項目 ==

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[[Category:インドの歴史|*]]

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2024年5月17日 (金) 04:24時点における最新版

モエンジョ・ダーロ遺跡

インドの歴史(インドのれきし、History of India)では、インダス文明以来のインドの歴史について略述する。

インダス・ガンジス文明[編集]

インダス文明[編集]

インダス文明

2600Iravatham Mahadevan3500西Dravidian hypothesisRajesh P. N. Rao[1]

沿[2]

2000退[3] (Ahar-Banas culture) (Malava Kingdom, Malwa culture) (Jorwe culture) 

16281626[ 1]

前期ヴェーダ時代[編集]

カイバル峠

1500西[5][6]


後期ヴェーダ時代とガンジス文明[編集]

十六大国[編集]

十六大国の位置

1000[7]

[8]950退[9][10][9]61 (en:Iranian invasion of Indus Valley) [11]

ウパニシャッド哲学と新宗教[編集]


54

ペルシャとギリシャの征服[編集]

紀元前330年頃には、インド北西部にマケドニア王国アレクサンドロス3世(大王)が進出し、ナンダ朝マガダ国(後述)に接触していた[12]

古代インドの諸王朝[編集]

マウリヤ朝マガダ国のインド統一[編集]


4

32西4

クシャーナ朝[編集]

ガンダーラの仏頭(2世紀

1231退

サータヴァーハナ朝と古代交易網[編集]


2西貿綿

貿

大乗仏教のおこり[編集]

頭上にナーガをいただくナーガールジュナ(龍樹)
マトゥラー出土の弥勒菩薩像(2世紀、ギメ東洋美術館



西12


二大叙事詩と『マヌ法典』[編集]

マハーバーラタ』より「クルクシェートラの戦い英語版



24

インド古典文化の完成[編集]

グプタ朝の成立とヒンドゥー教の確立[編集]

アジャンター石窟寺院の壁画

4452

45



5



56

ヴァルダナ朝とラージプート時代の到来[編集]

ナーランダ僧院跡

67

7西111012


南インドの諸王朝[編集]

マハーバリプラムの「石彫寺院」(ラタ)、7世紀

6872822

121

北インドのイスラーム化と南インド[編集]

ガズナ朝・ゴール朝の侵入[編集]


10


[]

13

12063005

5

514141398


南インドのヒンドゥー諸王国[編集]


10貿111213

ヴィジャヤナガル王国[編集]

ハンピのヴィルーパークシャ寺院

1336

14171336 - 14861486 - 15051505 - 15691569 - 16494

15655退

21614

[]


141347

215275

51565


バクティ信仰とシク教の創始[編集]

アムリトサルの黄金寺院

15

[]


1498沿1510

15802

ムガル帝国[編集]

タージ・マハルアーグラ

1526年から1858年までの332年間は、バーブル以来の王朝が統治するムガル帝国の時代であった。

ムガル帝国の成立と隆盛[編集]


161526

3

175

使

ムガル帝国の衰退[編集]


1761674



1707退1719

17081737

英蘭の南インド進出[編集]

マドラスのセント・ジョージ要塞(18世紀末ころ)

1716121623

1639164016511663

英仏の進出と植民地抗争[編集]

プラッシーの戦い

綿貿31661169016731674

181757

イギリスによる蚕食とインドの貧困化[編集]

対英戦争に一生を費やし『マイソールの虎』と怖れられたティプー・スルターン

1817631765

1813貿綿綿退19綿100綿綿綿綿179319

19貿19

イギリス植民地時代[編集]

1858年から1947年まで、イギリスによる植民地化からインド・パキスタン分離独立までの89年間は、イギリス人総督を機軸とするイギリス領インド帝国の時代である。

インド大反乱と英領インド帝国の成立[編集]

『インドのジャンヌ・ダルク』ラクシュミー・バーイー

1857

1877

インド国民会議派の成立[編集]


18854

国民会議派の急進化と全インド・ムスリム連盟[編集]

全インド・ムスリム連盟初代総裁アーガー・ハーン3世

1905190641911

2度の世界大戦とインド[編集]

ローラット法とアムリットサル事件[編集]


19072100西[]1919191934

ガンディーの登場[編集]


19194

プールナ・スワラージと塩の行進[編集]

塩の行進

1929: 

19303360 km2921935

チャンドラ・ボースとインド国民軍[編集]


1942 (INA) [13]A.M.[?]

第二次世界大戦後[編集]


219471950

[]

1920

194592

1947815

19481

1950194612194911261950126

126815

"Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic"



[14]

非同盟主義[編集]


51954

印パ戦争と中印国境紛争[編集]


1947 - 19481965 - 196619711999

19591962

[]


19746

20067933,500

国内政局の変換[編集]

インディラ・ガンディーとニクソン米大統領

196419661977

19801984

1997

199019982004

200452014520145

BRICsの一角[編集]

アジア最古の歴史をもつボンベイ証券取引所

19801997

21BRICsIT

200681021300

2019[15]

[]

[]



2500-1500

1921[16][16]

[16]

[17][17]

[18]

[19]

[]


12[20][21]

[]


500 - 400[22][22]350 - 300[23]

古典ヨーガ[編集]

パタンジャリの典型的な像

4-5[24][25]3[24][26][27]

[28][29]20HP[28]

[30](

後期ヨーガ[編集]


12-13調

[31]19[32]

[33][33][ 2]17[36][ 3]

近現代のヨーガ[編集]


1920西1888 - 1989西[37][ 4] [38]

2016[39]

インドの歴史の史料[編集]








712

脚注[編集]

補注[編集]



(一)^ 2007[4]

(二)^ [34] [35]

(三)^  2014[36]

(四)^ 19201930 20141930西[37]

出典[編集]



(一)^  (WIRED.jp)[]

(二)^ &西 2007, pp. 3839.

(三)^ &西 2007, p. 39.

(四)^ &西 2007, p. 40.

(五)^ Masica, Colin P (1993) [1991]. The Indo-Aryan languages (paperback ed.). Cambridge University Press. p. 36. ISBN 0521299446 

(六)^ &西 2007, p. 82.

(七)^ &西 2007, p. 83.

(八)^ &西 2007, p. 84.

(九)^ ab&西 2007, p. 85.

(十)^ &西 2007, pp. 8183.

(11)^ &西 2007, p. 103.

(12)^ &西 2007, pp. 103104.

(13)^ 201996[]

(14)^  -- --2006p.204

(15)^ BJP. 2024510

(16)^ abc 2014, p. 33.

(17)^ ab 1973, p. 23.

(18)^  2014, pp. 3334.

(19)^  2014, p. 34.

(20)^  2009, p. 69.

(21)^  2009, p. 68.

(22)^ ab 2009, p. 71.

(23)^  1973, p. 27.

(24)^ ab 2009, p. 105.

(25)^ 2012 p.522

(26)^  1973, p. 36.

(27)^  2014, p. 279.

(28)^ ab 2014, p. 35.

(29)^  1973, p. 35.

(30)^  1993, p. [].

(31)^  1973, p. 37.

(32)^  2011, p. 96.

(33)^ ab 2014, p. 99.

(34)^    20161982ISBN 978-4-931148-58-1 []

(35)^    - 2005249-267ISBN 4-931449-77-8 

(36)^ ab 2014, pp. 4552.

(37)^ ab : 84(4)2011330417-418NAID 110008514008 

(38)^  2014, p. 5.

(39)^ Yoga India Inscribed in 2016 (11.COM) on the Representative List of the Intangible Cultural Heritage of Humanity Intangible Heritage UNWSCO

[]


1973ISBN 4-89203-019-8 

 - 2014ISBN 978-4-905328-06-3 

︿2009ISBN 978-4-06-258432-6 

 2011ISBN 978-4-333-02471-1 

1993ISBN 4-595-21344-1 

199210ISBN 4-582-12634-0

 199211ISBN 4-10-601836-5

18Historic India: 1973

 19771ISBN 4061158562

R.S.19858ISBN 4634650908

西  1  12007610ISBN 978-4634462083 

[]