名古屋飛ばし
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名古屋飛ばし︵なごやとばし︶とは、日本の本州での三大都市圏で行われているイベントの開催や鉄道列車の停車、有名チェーン店の進出が、愛知県名古屋市およびその周辺地域︵中京圏︶で行われないことを示す俗語を指す。
1980年代半ばの歌手のマドンナやマイケル・ジャクソンの来日時など、それまで大きなイベントやコンサートで名古屋公演が実施されなかったことが度々あったが、1992年に新幹線のぞみ301号の名古屋駅通過が﹁名古屋飛ばし﹂として大きくクローズアップされた[1][2]。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/02/Nozomi_01.jpg/200px-Nozomi_01.jpg)
運行開始当日の下り一番列車︵のぞみ301号︶の発車案内
1992年3月14日
●1991年
●11月2日 - JR東海が新幹線における新設の速達列車︵仮称‥スーパーひかり︶の東京発一番列車を名古屋駅と京都駅を通過する方針とすることが明らかになり、﹃中日新聞﹄夕刊が﹁名古屋飛ばし﹂と1面トップで採り上げる。
●11月3日 - ﹃中日新聞﹄朝刊が﹁ナゴヤは怒ってます﹂の見出しでこの件を報道し、中部経済連合会会長・名古屋商工会議所会頭・西尾武喜名古屋市長、その他各界の反応を伝えた。
●11月4日 - 鈴木礼治愛知県知事と名古屋市長が定例会見でこの件について触れ、鈴木は﹁地域間競争の教訓としなければならない﹂と述べた[13]。
●11月5日 - 名古屋圏の半径20kmの46市町村長の会合である名古屋市近隣市町村長懇談会で、﹁名古屋飛ばし﹂と地域振興についての話し合いが行われる[19]。
●11月6日 - 超党派の国会議員により﹁スーパーひかりと東海地域を考える会﹂が発足。5人の発足人の1人である国会議員の今枝敬雄が須田寛JR東海社長に面会し、12日の会合に出席するように要請[20]。
●11月9日 - JR東海労働組合が会社側へ﹁名古屋飛ばし﹂反対を申し入れる[21]。
●11月12日 - 東海3県︵愛知県・岐阜県・三重県︶選出の超党派国会議員で結成された﹁スーパーひかりと東海地域を考える会﹂が会合を持った。出席者は国会議員24人と代理出席9人、JR東海社長も参加した[14]。この中で﹁一本許せば、次々と名古屋飛ばしが出る﹂と旧愛知県第1区の衆議院議員、今枝敬雄が声を上げると、他の議員も﹁地元で応援しているのに、恩を仇︵あだ︶で返すのか﹂と追及した[6]。
●11月14日 - 須田JR東海社長が名古屋市役所を訪問。名古屋市議会議長に﹁同時間帯には名古屋からの乗客がほとんどない﹂と経過を説明し、議会運営委員会理事会にも出席して理解を求めた。また、名古屋側は名古屋飛ばしは1本だけであることの確約を要求した[22]。
●11月20日 - 愛知県知事・県議会議長、名古屋市長・同市議会議長の4人がJR東海へ要望書を送る[23]。8日後の28日にJR東海は﹁名古屋飛ばしは1本のみ﹂と回答した[24]。
●12月6日 - ﹁スーパーひかり﹂と仮称された列車名称が﹁のぞみ﹂に決定[25]。
●12月25日 - CBCテレビのバラエティー番組﹃ミックスパイください﹄で、今年の流行語として﹁名古屋飛ばし﹂を﹃現代用語の基礎知識﹄編集長の深川章が解説[26]。
●1992年
●3月14日 - ﹁のぞみ﹂301号運転開始。NHKテレビの﹃モーニングワイド﹄が朝7時40分の名古屋駅通過を生中継し、同時間帯の﹃ズームイン!!朝!﹄︵日本テレビ系︶でも、系列の中京テレビアナウンサーの佐藤啓が﹁まさか私の目の前で乗客がいる列車の名古屋駅通過の瞬間を見るのは初めてであり、これは長年名古屋に住んでいる私達への冒涜︵ぼうとく︶でありましょうか?﹂とレポートした。また同日朝8時30分から放送の﹃海江田万里のパワフルサタデー﹄︵テレビ朝日系。ABCテレビ制作︶も放送開始直後に新大阪駅に到着した﹁のぞみ301号﹂を生中継した。
●1997年
●11月29日 - ﹁のぞみ301号﹂が続行の﹁のぞみ1号﹂に統合する形で廃止され[8]、新幹線の﹁名古屋飛ばし﹂はこの日で消滅する。
鉄道
﹁のぞみ301号﹂の設定とそれをめぐる騒動
﹁名古屋飛ばし﹂が大きな話題となった端緒は、1992年3月14日に東海旅客鉄道︵JR東海︶が東海道新幹線で運転を開始した﹁のぞみ﹂の1日2往復のうち、下りの一番列車︵﹁のぞみ301号﹂︶で新横浜駅に停車して名古屋駅と京都駅を通過するダイヤが組まれることが、1991年11月に報じられたことである。ただし京都駅の場合は、かつて東海道新幹線の建設計画時点で京都駅自体を経由しない案に対する一悶着︵﹁鉄道と政治﹂の項を参照︶と比較すると、将来的に全てののぞみが通過することへの不安は覗かせたものの、京都観光への影響がほとんどない早朝の1本のみということで実際には反発の声や抗議の動きはほとんど見られなかった[3][4]。新横浜駅に停車した理由は、同駅周辺の乗客が早朝帯に東京駅方面へ出るのが難しかったためである[5][6]。 ﹁のぞみ301号﹂は東京・横浜周辺のビジネス・出張利用客が早朝に出発して、大阪市内近辺のオフィスへの出社時刻に間に合うように設定された。しかし、当時は夜間の保線工事の後、地盤を固めるために早朝の数本の列車については減速運転をしなければならない事情を抱えていた[7]うえ、新大阪駅から大阪都心部までは距離がある[6]。そのため、﹁のぞみ301号﹂を新横浜・名古屋・京都の各駅に停車させると、登場当時の﹁のぞみ﹂の売り文句であった﹁東京 - 新大阪間2時間半運転﹂が不可能となり、朝の会議に間に合わなくなる恐れがある[6]ため、苦肉の策として名古屋・京都両駅を通過させることで対応しようとしたのである[1]。新大阪着8:30であれば﹁9:00の会議に間に合う﹂とアピール[8]できるが、名古屋着7:40は早すぎてビジネスマンへのPR材料にはならない。また当時は﹁のぞみ﹂は新大阪止まりであり、名古屋から山陽新幹線沿線︵広島・博多方面︶へ向かう利用者にとってもスピードアップのメリットはあまり無かった。従って﹁のぞみ301号﹂が名古屋を通過しても、当時の状況では利用者にさほど不便を強いるものではなかった。逆に、上り東京着8:42の﹁のぞみ302号﹂は京都・名古屋に停車している。ダイヤ検討の会議で、営業本部の提案したこの名古屋、京都通過案と﹁早朝に名古屋発で西に向かう﹃ひかり﹄がある。利用客に実害はない﹂と合理性を強調する意見に対し、JR東海社長︵当時︶の須田寛は﹁地元の反発はあるかもしれないが、丁寧に説明すれば分かってもらえる﹂と了承した[6]。同年の夏場にはダイヤが固まった[6]。 JR東海は、名古屋駅と京都駅を利用する客には、前後の列車を使用してもらうことで、極力不便を与えないような配慮を講じることにしていた。翌1993年3月18日の﹁のぞみ﹂規格ダイヤ組込に合わせたダイヤ改正では、この列車に続行する﹁新横浜駅通過、名古屋・京都両駅停車﹂の﹁のぞみ1号﹂が設定された。 だが、須田が地元に根回しする前の[6]1991年11月2日にこの方針が︵前記のような事情を公表せず、通過するという話だけが知らされる形で︶明らかになると、愛知県、特に名古屋市を筆頭に尾張地方の政財界は激しい反発を示し[3][6]、中日新聞など地元メディアも﹁名古屋飛ばし﹂として批判的な報道を行い、一カ月の間に国会議員や地方議員、知事、市長、財界団体や主要企業のトップら百人近くに足を運んだ[6]。議員たちは超党派で議員連盟︵議連︶をつくり、ダイヤ変更を求める動きを見せる[6]。須田は﹁ダイヤは精緻に編成してあり直せない。議連ができたら困る﹂と焦りを隠さなかった[6]。中日新聞の﹁中日春秋﹂[9]や大学教授などのコラム[10]・社説[11]・読者投稿欄などでも反応があった。 当時愛知県知事だった鈴木礼治はJR東海の方針に対し﹁通過して結構だとは言えんわな﹂とやんわり指摘した[6]。また、中部経済連合会の幹部は﹁本社のある所に止まらないのはどういうことか﹂と発言した[6]。更に運輸次官経験者で旧愛知県第1区の衆議院議員、今枝敬雄に対しても、須田は今枝が上京する際の名古屋駅ホームで今枝をつかまえて﹁実害はないんです﹂と訴えた[6]。 この時期には名古屋市出身の海部俊樹首相が退陣したことや、中部通商産業局︵現経済産業局︶長が名古屋圏の低落傾向が目立つことを報告しており[12]、鈴木礼治愛知県知事は名古屋圏の地盤沈下を懸念するとともに[13]、地元選出の国会議員たちは将来のリニア中央新幹線での名古屋駅通過に至ることを危惧した[14]。さらに﹁名古屋飛ばし﹂とは直接関係のない﹁名古屋学﹂講座の応募者数の増加[15]、騒音問題[16]を通じての﹁のぞみ﹂の問題視、政治家インタビューでも話題となった。 早朝の1本だけというJR側の説明が功を奏し、次第に理解が広がり[6]、当初反発していた地元選出の国会議員も、これ以上の名古屋飛ばしは許さないが、1本だけならと条件付きで容認する議員が大勢となった[14]。地元駅通過が京都ではほとんど問題視されなかったのとは対照的に名古屋で問題視された背景について、2012年に﹃朝日新聞﹄名古屋本社版夕刊で﹁のぞみ20年﹂を連載した朝日新聞記者の神田大介は、JR東海が地元に事前の根回しをしていなかったことと、﹁名古屋飛ばし﹂をスクープしたのが﹃読売新聞﹄だったため、中京圏で圧倒的なシェアの中日新聞をJR東海批判に走らせて地元世論に影響したのではないかと分析している[4]。 後の中日新聞のインタビューに対して旧三重県第1区の衆議院議員だった北川正恭は、議員の集まりで﹁民間会社に議員が口をはさむべきではない﹂と主張したと明かしている[6]。北川はかつて国鉄改革の委員会に所属し、政治家の利益誘導によるローカル線建設︵=我田引鉄︶が国鉄の収益を圧迫し、国鉄分割民営化の遠因となった経緯に詳しく[6]、その上で﹁民営化後も同じではだめだと思った﹂と振り返っている[6]。 懸念した議連の結成には至らず、今枝ら強硬派も、将来のリニア中央新幹線で名古屋飛ばしがないように﹁今回のダイヤとリニアの停車駅は関係ない﹂との覚書をJR東海に出させ、矛を収める。こうして騒動の主たる中部地方の政財界とJR東海の対立は1か月で終息した[6]。 須田は一連の騒動について、後の中日新聞のインタビューに対し﹁名古屋飛ばしの批判は新幹線を大事にしてくれている裏返し。民間会社として地元がいかに大事かを痛感した﹂と振り返っている[6]。 1992年3月14日に﹁のぞみ301号﹂が運転を開始した。同列車が名古屋駅を通過する瞬間は地元メディアを中心に大きく報じられた。なお名古屋・京都両駅はいずれも全列車停車を前提とした駅構造や配線となっているため、70km/hの速度制限が行われ、新幹線列車としては非常に低速での通過となっていた。﹁名古屋飛ばし﹂の終焉とその後
1997年に道床安定作業車の導入により、路盤安定の技術の進歩[6]によって保線工事の翌日の速度制限(170km/h)が廃止され[17]、新横浜・名古屋・京都の各駅に停車しながら 東京 - 新大阪間を2時間半で結ぶことが可能となったため、同年11月29日に﹁のぞみ301号﹂は後続の﹁のぞみ1号﹂に統合される形で廃止された[8]。以後、名古屋駅と京都駅を通過する新幹線列車は存在していない。 2012年1月9日に名古屋テレビが放送した﹃あなたが選ぶ!東海地方の心に残るニュース50選﹄の﹁社会&政治経済﹂では﹁名古屋飛ばし﹂が13位に選ばれた[1][18]。﹁のぞみ301号﹂の経緯
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娯楽・商業
一般的にはコンサート︵特に海外アーティスト︶などの各種イベントツアーなどで、首都圏と京阪神の途中にある名古屋で行われない例、ファッションブランドや大型量販店などの名古屋地域への店舗進出がなされないケースを指すことが多い。 2015年10月現在、イトーヨーカドー[27]、フライング タイガー コペンハーゲン[28]、アソコ[29]、イケア[30]、コストコ[31]、丸井[32]などの無進出例が挙げられる。 ヨドバシカメラも2017年にJRゲートタワーに出店予定だったが、同タワーの建設工事の遅れから、2015年5月14日にJRゲートタワーへの出店中止が発表された[33][34][35]ものの、松坂屋名古屋店内に出店することが明らかになり[36]、同年10月29日に東海地方では初となるマルチメディア名古屋松坂屋店がオープンした[37][38]。 また、ラオックスも長い間未出店だったが、2016年3月1日に丸栄内にオープン予定の計画が明らかになった[39][40][41]。 1987年のマドンナとマイケル・ジャクソンの初訪日時のコンサートで福岡公演や横浜公演がありながら名古屋公演がなかったことが名古屋飛ばしとして話題になった[2]。関連項目
- 鉄道と政治#新幹線と政治
- 名古屋はええよ!やっとかめ
- 成田エクスプレス - 成田空港のお膝元である千葉県の県庁所在地であり、名古屋市と同じ政令指定都市の千葉市の代表駅である千葉駅には一部を除いて停車しないことが地元住民や一部マスコミで問題になったことがある。
- 京急蒲田駅 - 2010年5月16日のダイヤ改正によるエアポート快特通過が「蒲田飛ばし」と呼ばれた[42]。
脚注
(一)^ abc“︿のぞみ20年﹀一番列車、名古屋飛ばし”. 朝日新聞社︵神田大介︶ (2012年3月4日). 2012年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月20日閲覧。
(二)^ ab﹁﹃のぞみ﹄号の素通りの悲劇﹂﹃ニッポン不思議発見!名古屋の謎だぎゃあ﹄大ナゴヤ人元気会編、KKベストセラーズ・ワニ文庫、1992年、pp.120-121
(三)^ ab﹁“ノンストップ”ひかり 名古屋、京都が猛反発 ﹃阻止する﹄と政財界﹂﹃読売新聞﹄1991年11月8日付
(四)^ ab朝日新聞記者 神田大介のfacebook 2011年3月3日
(五)^ 当時神奈川東部方面線は答申すらされておらず︵答申されたのは2000年の運輸政策審議会答申第18号︶、東海道新幹線の品川駅も未開業であったため、新横浜駅から東京駅に向かうには少なくとも1、2回の乗り換えが必要であった上に所要時間も長かった。
(六)^ abcdefghijklmnopqrstu﹁中部財界ものがたり﹂ 第13部 国鉄からJR東海へ︵8︶ 名古屋飛ばし、苦い教訓 - 中日新聞紙面︵2014年1月17日︶
(七)^ ﹁鉄道ファン﹂2014年7月号p.113。
(八)^ abc“300系﹁のぞみ﹂が名古屋・京都を飛ばした理由”. マイナビニュース (2012年3月17日). 2014年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月29日閲覧。
(九)^ ﹁中日春秋﹂﹃中日新聞﹄1991年11月6日付
(十)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月18日付夕刊。山田登世子愛知淑徳大学教授によるコラム﹁スピードの支配﹂。
(11)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月25日付。社説﹁スーパーひかり騒動を考える﹂
(12)^ ﹁びじねす時評﹂﹃中日新聞﹄1991年11月13日付
(13)^ ab﹃中日新聞﹄1991年11月5日付
(14)^ abc﹃中日新聞﹄1991年11月13日
(15)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月23日付
(16)^ ﹁名古屋とばしの騒音ごめん…﹂﹃中日新聞﹄1991年12月12日付
(17)^ 鉄道ファン 通巻376号 鶴通孝 ﹃500系のぞみ 東京から博多へ 心弾む4時間49分﹄ (1998) p.16
(18)^ あなたが選ぶ!東海地方の心に残るニュース50選 名古屋テレビ公式サイト内
(19)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月6日付
(20)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月7日付
(21)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月10日付
(22)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月14日付夕刊
(23)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月19日付
(24)^ ﹃中日新聞﹄1991年11月28日付夕刊
(25)^ ﹃中日新聞﹄1991年12月6日付
(26)^ ﹃中日新聞﹄1992年1月4日付
(27)^ 愛知県内に6店舗あるが、鳴海店︵現・なるぱーく︶閉店以降、名古屋市内には店舗が存在しない。そのため、市内ではユニー︵アピタ・ピアゴ︶やイオン︵GMS︵同年9月1日から、市内のダイエー5店舗の運営を承継。︶とマックスバリュ中部︶などが多い。
(28)^ 2015年7月10日に矢場町・パルコ付近に出店した。︵﹁名古屋栄ストア﹂出店告知のリリース、ゼブラ・ジャパン、2015年5月25日︶
(29)^ ASOKO
(30)^ 2017年を目処に愛知県長久手市のリニモ・公園西駅付近に出店予定。
(31)^ 2013年8月30日に愛知県常滑市の中部臨空都市に中部空港倉庫店を、2015年11月20日に岐阜県羽島市に岐阜羽島倉庫店をそれぞれ出店。
(32)^ 2007年から2009年の間、名古屋・栄地区、ナディアパーク付近にインテリア専門店﹁インザルーム﹂を出店していた。現在はユニクロになっている。
(33)^ JRゲートタワーにビックカメラ - CBCテレビ 2015年5月14日[リンク切れ]
(34)^ “JR東海の名駅前新ビルにビックカメラ”. メ〜テレ (2015年5月14日). 2015年5月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月18日閲覧。
(35)^ “ビックカメラ、名古屋駅前JR高層ビルに出店 ヨドバシが断念”. 日本経済新聞社 (2015年5月14日). 2015年5月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月15日閲覧。
(36)^ お買い物がますます楽しくなる空間へ 松坂屋名古屋店﹁2015秋 ヨドバシカメラオープン﹂、大丸松坂屋百貨店プレスリリース、2015年6月9日
(37)^ お買いものがますます楽しく便利に!!松坂屋名古屋店 第3期改装計画10月末 先行オープン、大丸松坂屋百貨店プレスリリース、2015年10月16日
(38)^ ヨドバシカメラ中部・東海エリア初出店!マルチメディア名古屋松坂屋店 2015年10月29日︵木︶開店!、ヨドバシカメラ、2015年10月16日
(39)^ ﹁名古屋 丸栄店﹂新規出店に関するお知らせ、ラオックス、2015年12月8日
(40)^ 大型免税店﹃ラオックス﹄名古屋初進出。栄の丸栄内に2016年オープンへ名古屋情報通 2015年12月7日
(41)^ ラオックス名古屋進出へ 爆買い対応、丸栄と交渉、中日新聞(CHUNICHI Web) 2015年12月7日
(42)^ ダイヤ改正﹁蒲田飛ばし﹂解消 区は安堵﹁協力して沿線街づくり﹂ 東京新聞 2012年8月1日