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世話人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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1949519591119947

退[2]20221退

12[ 1]1975782004113[ 2]1961155197576019827631990165[3]199610退11退

20179201911202041120218退520243退9[4]5退3

西

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2024583
名前 最高位 就任 所属部屋(世話人就任後)
栃玄王泰幸 幕下26 1995年4月 春日野部屋
大日岳栄隆 十両7 2004年1月 玉ノ井部屋
陸奥北海勝昭 十両6 安治川部屋/伊勢ヶ濱部屋
荒ノ浪二朗 幕下3 武蔵川部屋/藤島部屋雷部屋
嵐望将輔 幕下13 2013年5月 貴乃花部屋千賀ノ浦部屋/常盤山部屋
幕下時代の四股名は福の隆
栃の山博士 幕下2 千賀ノ浦部屋/常盤山部屋
錦風真悟 幕下1 2015年2月 尾車部屋押尾川部屋
隠岐の富士和也 幕下11 2024年3月 八角部屋
勇輝瞬臣 幕下20 陸奥部屋音羽山部屋
海龍元紀 幕下2 出羽海部屋

過去の主な世話人[編集]

名前 最高位 在職期間 所属部屋
光若英夫 三段目28 1957年9月 - 1995年3月(停年(定年。以下同)退職) 花籠部屋放駒部屋
能登ノ山竜三 十両13 1958年5月 - 1971年7月(死去) 立浪部屋
若乃里雄三 十両5 1959年5月 - 1983年4月(死去) 花籠部屋
宮坂清 十両17 1959年11月 - 1985年7月(死去) 若松部屋
十両時代の四股名は高瀬山
瀧見山延雄 十両4 1962年3月 - 1992年9月(停年退職) 二所ノ関部屋
乾龍初太郎 十両5 1978年5月 - 2011年1月(停年退職) 押尾川部屋尾車部屋[注釈 3]
王湖伊津男 前頭14 1985年11月 - 2013年4月(死去) 友綱部屋
總登光一 幕下2 1986年2月 - 2016年3月(死去)[5] 大山部屋高砂部屋
幕下時代の四股名は福本
琴千歳晃精 前頭5 1986年9月 - 1991年7月(若者頭に転向) 佐渡ヶ嶽部屋
白法山和壽 幕下2 1986年10月 - 2020年11月(停年退職[6] 春日山部屋安治川部屋→春日山部屋→追手風部屋中川部屋宮城野部屋
斎須稔 前頭2 1986年11月 - 2021年8月(停年退職) 伊勢ヶ濱部屋桐山部屋朝日山部屋伊勢ヶ濱部屋
友鵬勝尊 幕下1 1991年8月 - 2017年9月(死去)[7] 大鵬部屋/大嶽部屋
現役時代の四股名は勇鵬
福龍岳茂生 十両12 1992年10月 - 2024年5月(停年退職[8] 出羽海部屋[注釈 4]
羽黒海憲司 幕下6 2004年1月 - 2019年11月(死去)[9] 立浪部屋
虎伏山義幸 幕下2 2004年1月 - 2020年3月(若者頭に転向[10] 三保ヶ関部屋→春日野部屋

大坂相撲の世話人[編集]

  • 1927年に消滅した大坂相撲にも世話人の職があった。東京相撲の世話人とは職務、地位が異なり江戸時代までは力士が引退後は世話人に就任し一定年数務めたのち頭取(年寄)に昇格することが一般的であった。
  • 大坂相撲の頭取の歴代には世話人のみで終わった人物も数えられている。
  • 世話人は毎場所数十人在籍していた。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1960年1月場所では12人の世話人が在籍している。
  2. ^ 2015年2月の錦風の就任から2016年3月の總登の死去までの期間は、就任者が14人になっていた。
  3. ^ 2011年1月1日で停年を迎えたため、2010年12月に発表された2011年1月場所の新番付からは名前が外されていた。また、1996年頃の番付には下の名が「初男」「初太郎」と表記されている場所もある。
  4. ^ 2024年5月7日で停年を迎えたため、2024年4月に発表された2024年5月場所の新番付からは名前が外されていた。

出典[編集]



(一)^ 41

(二)^ 68

(三)^ 退8

(四)^ 17退 320243272024327

(五)^ 60  2016330

(六)^ 20201162 

(七)^ 608 -  201799

(八)^ //2024570 

(九)^ 20191152019115

(十)^   -  202042

関連項目[編集]

外部リンク[編集]