グアテマラ
- グアテマラ共和国
- República de Guatemala
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(国旗) (国章) - 国の標語:Libre Crezca Fecundo
- 国歌:グアテマラの国歌(グアテマラよ幸福なれ!)
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公用語 スペイン語 首都 グアテマラシティ 最大の都市 グアテマラシティ 独立
- 日付スペインより
1821年9月15日通貨 ケツァル(GTQ) 時間帯 UTC-6 (DST:なし) ISO 3166-1 GT / GTM ccTLD .gt 国際電話番号 502
国名[編集]
正式名称は、República de Guatemala(スペイン語: レプブリカ・デ・グアテマラ)。通称、Guatemala [gwateˈmala]。 公式の英語表記は、Republic of Guatemala︵リパブリック・オブ・グワーテマーラ︶。通称、Guatemala [ˌɡwɑːtɨˈmɑːlə, ɡwæ-]。 日本語の表記は、グアテマラ共和国。通称、グアテマラ。グァテマラやガテマラと表記されることもある。 国名の由来については、現在の有力な説︵マヤ言語アカデミー︶として、ナワトゥル語で﹁森林の大地﹂を意味する﹁グアテマヤン﹂という先住民語が変化して﹁グアテマラ﹂になったというものである[10]。歴史[編集]
先コロンブス期[編集]
スペイン植民地時代[編集]
植民地から独立国へ[編集]
中央アメリカ連邦共和国︵1823年 - 1839年︶[編集]
1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州︵Provincias Unidas del Centro de América︶の一州となった。中米連邦では最初から内紛が絶えなかったが、1827年から1838年にかけ、ラファエル・カレーラの率いる保守主義のグアテマラ派と、フランシスコ・モラサンの率いる自由主義のエル・サルバドル派の内戦に陥った。再独立とニカラグア国民戦争[編集]
アメリカ合衆国の進出(1898年 - 1920年)と政治的空白期[編集]
1898年にマヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任し、22年間の独裁政治を行うが1920年にカブレーラは失脚した。カブレーラが失脚すると、政治的空白状況が生まれ、クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年にホルヘ・ウビコ将軍が隙を突いて権力を握ると、「ウビコ以外はすべて不自由である」といわれるほど苛烈な統治を行い、グアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。
こうした状態を憂いた愛国者によりウビコは1944年に追放され、民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。
なお、日本とは1935年に堀義貴初代駐グアテマラ日本公使が着任し、正式に外交関係が成立した[11]。
グアテマラの春[編集]
1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、自由な空気のもとに、各種の民主的な社会改革が進められた。
ハコボ・アルベンス・グスマンはポプリスモ的政治家として土地改革などの政策を行ったが、これは次第に、アメリカ合衆国が「グアテマラは共産主義化している」というネガティブキャンペーンを張る要因となっていき[† 2]、土地改革がユナイテッド・フルーツの社有地に適用されることになると、合衆国の怒りは頂点に達した。アメリカ政府の雇用した反アルベンス派傭兵軍がエル・サルバドルから侵攻すると、軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命した。こうして、グアテマラの春は終わりを告げたのであった(PBSUCCESS作戦)[† 3]。
グアテマラ内戦[編集]
内戦終結以降[編集]
1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかった。その後、2015年の国政選挙でジミー・モラレスが大統領に就任した。そして、モラレスの任期満了にともなう2019年8月11日の大統領選挙︵決選投票︶では、右派のアレハンドロ・ジャマテイ が対立候補のサンドラ・トーレス[† 4]を破って当選 [14]。2020年1月14日に大統領に就任した[15]。政治[編集]
国家安全保障[編集]
2014年現在のグアテマラ陸軍は現役1万3,444名、予備役約6万2,000名で、15の軍管区に旅団を基礎とした実戦部隊が配備されている。
国際関係[編集]
日本との関係[編集]
地方行政区分[編集]
グアテマラは22の県(departamentos 地方、州とも訳す)から構成される。
- アルタ・ベラパス県
- バハ・ベラパス県
- チマルテナンゴ県
- チキムラ県
- ペテン県
- エル・プログレソ県
- キチェ県
- エスクィントラ県
- グアテマラ県
- ウェウェテナンゴ県
- イサバル県
- ハラパ県
- フティアパ県
- ケツァルテナンゴ県
- レタルレウ県
- サカテペケス県
- サン・マルコス県
- サンタ・ローサ県
- ソロラ県
- スチテペケス県
- トトニカパン県
- サカパ県
主要都市[編集]
ほとんどの主要都市は国の南半分に位置している。主要都市は首都グアテマラ市、ケツァルテナンゴ、エスクィントラである。その他にも港町としてカリブ海側にプエルト・バリオスが存在する。
地理[編集]
気候[編集]
亜熱帯および高山気候で、グアテマラ・シティは夏でも20~25℃くらいで東京︵8月は23~30℃︶より涼しい。中央7か国の首都ではコスタリカに次いで気温が低い[19]。経済[編集]
鉱業[編集]
2009年時点の原油生産量は110万トン、天然ガスは0.43千兆ジュールにとどまっているが、これは油田・炭田が未開発なためである。金属鉱物資源は金、鉄、ニッケルが中核であるが、鉄は1万トン、ニッケルはほとんど採掘されておらず、金が若干生産されている。
国民[編集]
民族[編集]
グアテマラの民族は、60.7%は非先住民族として分類されており、その内訳はラディーノが51%︵Ladino、ヨーロッパ系と先住民族の混血およびスペイン語を母語とする先住民族︶およびヨーロッパ系が8%となっている。マヤ系先住民族が41.3%︵内訳はキチェ 9.1%、カクチケル族 8.4%、マム︵Mam︶7.9%、ケクチ︵Q'eqchi'︶6.3%、その他のマヤ系民族10.6%︶、先住民族のシンカ︵Xinca︶が0.22%、アフリカ人と先住民族の混血のガリフナ︵Garifuna︶が0.04%である︵2002年センサス︶。 先住民はおもにマヤ系住民が多数を占め、人種的に先住民でも非先住民的な生活様式︵スペイン語の使用︶を行う先住民はラディーノ︵非先住民︶と呼ばれ、メスティーソと同様に扱われる。白人系住民は植民地時代以来からのスペイン人の子孫がもっとも多いが、19世紀にプランテーション農業のためにヨーロッパから移民が導入され、ドイツ人、フランス人、イタリア人、スイス人、ギリシャ人などが、アジアからもアラブ人︵シリア人、レバノン人、パレスチナ人︶、トルコ人、ユダヤ人、中国人、日本人などが導入された。アラブ人の多くが商業に従事しており、商業で得た資金がアラブのテロ組織に送金されているとも言われている。なお、グアテマラはラテンアメリカで最初に日本人が移民した国である。 近年はグアテマラ人の近隣諸国への出稼ぎや移民も多く、アメリカ合衆国やメキシコ、カナダ、ベリーズなどに多くのグアテマラ人が居住している。特にアメリカ合衆国には約150万人以上のグアテマラ人が居住しているが、ほとんどが不法移民であり、毎年合衆国からは約3万人、メキシコからも約3万人が強制送還されている。言語[編集]
言語はスペイン語が公用語とされており、国民の6割程度が使用している。残りの4割は先住民族の言語を使用する。地方では特に21種類のマヤ系言語が用いられているほか、シンカ語やアラワク語族のガリフナ語など、非マヤ系言語も用いられている。DECRETO NÚMERO 19-2003によれば、23種類の言語がグアテマラの国語として認められている。
宗教[編集]
各宗教の信者数の割合 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
国勢調査年 | ローマ・カトリック | プロテスタント | 無宗教 | その他 | ||
(1940) | 97.0% | 2.0% | 0.3% | 0.7% | ||
(1978) | 80.3% | 17.4% | 1.4% | 0.9% | ||
(1980) | 76.9% | 19.1% | 3.0% | 1.0% | ||
(1982) | 72.4% | 22.2% | 4.4% | 1.0% | ||
(1986) | 62.5% | 30.0% | 6.2% | 1.3% | ||
(1991) | 65.0% | 21.0% | 12.0% | 2.0% | ||
(2001) | 58.3% | 25.2% | 14.2% | 2.3% | ||
(2006) | 56.9% | 30.7% | 10.2% | 2.2% | ||
(2010) | 47.3% | 38.7% | 11.6% | 2.4% |
教育[編集]
2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は69.1%である[21]。
おもな高等教育機関としては、サン・カルロス・デ・グアテマラ大学(1676)やフランシスコ・マロキン大学(1971)などの名が挙げられる。
治安[編集]
1960年から36年間続いた内戦によって25万人が犠牲になったグアテマラでは、一般の犯罪や暴力団による殺人で2008年には6,232人が死亡している。また、誘拐では400人以上が誘拐された。2011年には毎日平均14人が殺害され、犯罪を犯しても98%の犯人は処罰されないとされた[22]。
グアテマラの抱える最大の問題は治安問題、麻薬密輸、司法権の機能不全、政府の無策、腐敗、社会的不平等、人権侵害である。治安問題はコロン政権になってもまったく無策であり、毎日、テレビ・ニュースで殺人事件が報道されている。
人権面では、政治犯はいないがいまだに地方都市ではリンチが行われているほか婦女子に対する暴力が多く、また裁判を受ける権利も保証されておらず人権侵害は著しく人権意識が希薄である。
文化[編集]
グアテマラの文化はマヤ文明とスペインの文化に根を持ち、グアテマラには現在もなおマヤ文明とスペイン植民地時代の遺風が残っている。衣食には伝統的なマヤ文化の色彩が今でも残り、また国のいたるところにマヤの遺跡が残っている。また、カリブ海沿岸には宗教儀式、舞踊、音楽などにアフリカ文化の影響がみられる。
文学[編集]
音楽[編集]
グアテマラではアフリカ伝来のマリンバが独特の発展を遂げている。また、カリブ海側の先住民、ガリフナ族の音楽は世界的に有名である。さらにクラシック音楽においては、グアテマラ出身の特に著名な作曲家・指揮者としてホルヘ・サルミエントスの名が挙げられる。
世界遺産[編集]
グアテマラ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、複合遺産が1件存在する。
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ティカル国立公園 - (1979年、複合遺産)
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アンティグア・グアテマラ - (1979年、文化遺産)
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キリグアの遺跡公園と遺跡群 - (1981年、文化遺産)
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 新年(元旦) | Año Nuevo | |
3月~4月の一週間 | イースター週間 | Semana Santa | 移動祝日 |
5月1日 | メーデー | Día del Trabajador | |
6月30日 | 軍隊記念日 | Día del ejército | |
8月15日 | 聖母被昇天祭 | Día de la Virgen de la Asunción | |
9月15日 | 独立記念日 | Día de la Independencia | |
10月20日 | 革命記念日 | Día de la Revolución | |
11月1日 | 死者の日 | Día de los muertos | |
12月24日 | クリスマス・イブ | Noche Buena | 午後のみ |
12月25日 | クリスマス | Navidad, Pascua | |
12月31日 | 大晦日 | Noche Vieja | 午後のみ |
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
陸上競技[編集]
2022年世界陸上競技選手権大会の男子5000メートルで、ルイス・グリハルヴァが4位入賞を果たしている。国の象徴[編集]
災害[編集]
- 1976年2月4日に、首都グアテマラシティ北東部でマグニチュード7.5の地震が発生した。詳細は「グアテマラ地震 (1976年)」を参照・2010年9月4日、豪雨にともなう土砂崩れが各地で発生した。政府は非常事態を宣言した。死者多数、何万人もの人が家を失い、行方不明者も多数にのぼった[23]。 ・2012年11月7日、レタルレウ県チャンペリコ付近で、マグニチュード7.4の地震が発生した[24]。 ・2015年10月1日夜、首都グアテマラシティ郊外で地滑りが発生し、少なくとも30人が死亡、約600人が行方不明になっている。政府の災害当局が2日、発表した︵AFP=時事︶[25]。 ・2018年6月3日、フエゴ山が噴火。
著名な出身者[編集]
詳細は「グアテマラ人の一覧」を参照- ミゲル・アンヘル・アストゥリアス - 作家(ノーベル文学賞受賞)
- リゴベルタ・メンチュウ - 人権活動家(ノーベル平和賞受賞)
- ルイス・グリハルバ-長距離選手(2022世界陸上・4位)
- カルロス・バトレス - サッカー審判員(FIFAワールドカップで通算5試合の審判を担当)
- カルロス・ウンベルト・ルイス・グティエレス - サッカー選手(同国代表・最多出場最多得点者)
- エリック・バロンド - 競歩選手(ロンドン五輪・銀メダリスト)
脚註[編集]
注釈[編集]
(一)^ ポポル・ヴフは林屋永吉元スペイン大使がスペイン語から日本語に重訳し、中央公論社から出版されている。 (二)^ このネガティブキャンペーンの仕掛け人が心理学者ジークムント・フロイトの甥で﹃プロパガンダ教本﹄著者のエドワード・バーネイズである。 (三)^ アルベンス夫人は2009年に亡命先のコスタリカで死亡した。 (四)^ アルバロ・コロン元グアテマラ大統領︵在任:2008-2012︶の妻。 (五)^ いわゆるティエラ・カリエンテ︵熱い土地、海抜600メートル以下、年平均気温24度以下の土地︶ (六)^ ティエラ・カリエンテに属する。雨量は2000~3000ミリに達する (七)^ ティエラ・テンプラーダに属し、海抜600~1800メートルの間で、3000ミリを超える地域もある。年平均気温16~23度出典[編集]
(一)^ ab“UNdata”. 国連. 2021年10月11日閲覧。 (二)^ abcdef“World Economic Outlook Database, October 2021” (英語). IMF (2021年10月). 2021年11月8日閲覧。 (三)^ “World Population Prospects 2022”. 国際連合経済社会局人口部. 2022年7月17日閲覧。 (四)^ “World Population Prospects 2022: Demographic indicators by region, subregion and country, annually for 1950-2100” (XSLX). 国際連合経済社会局人口部. 2022年7月17日閲覧。 (五)^ Blakeley 2009, p. 92. (六)^ Cooper 2008, p. 171. (七)^ Solano 2012, pp. 3–15. (八)^ Navarro 1999. (九)^ “Human Development Index (HDI) | Human Development Reports”. hdr.undp.org. 2017年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月15日閲覧。 (十)^ “在グアテマラ大使館”. Template:Cite webの呼び出しエラー‥引数 accessdate は必須です。 (11)^ ﹁堀義貴公使の中米5ヶ国着任︵1935年︶﹂外務省 (12)^ “Conclusions: The tragedy of the armed confrontation”. Shr.aaas.org. 2009年9月3日閲覧。 (13)^ https://www.usip.org/publications/1997/02/truth-commission-guatemala (14)^ “佐藤外務副大臣のグアテマラ訪問”. 外務省 (2019年9月3日). 2020年5月2日閲覧。 (15)^ “山口特派大使のグアテマラ大統領就任式出席︵結果︶”. 外務省 (2020年1月15日). 2020年5月2日閲覧。 (16)^ ab桜井三枝子編著 ﹃グアテマラを知るための65章﹄ 明石書店︿エリア・スタディーズ﹀ 2006年16ページ (17)^ 桜井三枝子編著 ﹃グアテマラを知るための65章﹄ 明石書店︿エリア・スタディーズ﹀ 2006年16・18ページ (18)^ 桜井三枝子編著 ﹃グアテマラを知るための65章﹄ 明石書店︿エリア・スタディーズ﹀ 2006年18ページ (19)^ ﹃地球の歩き方 B20 中米﹄ (20)^ 外務省安全対策ホームページ (21)^ CIA World Factbook 2009年3月30日閲覧 (22)^ 頭部切断の27遺体発見=グアテマラの農場 時事ドットコム 2011年5月17日 (23)^ “グアテマラで大雨による土砂崩れ相次ぐ、死者41人に”. ロイター (2010年9月6日). 2011年1月9日閲覧。 (24)^ グアテマラ地震の死者48人、負傷者150人 道路や建物の損壊多数 CNN-Japan 2012年11月8日閲覧 (25)^ [1]参考文献[編集]
●エドゥアルド・ガレアーノ 編、大久保光 訳﹃収奪された大地──ラテンアメリカ五百年﹄新評論、東京、1986年9月。 ●マイケル・D・コウ 著、加藤泰建 訳﹃古代マヤ文明﹄創元社、大阪、2003年4月。 ●桜井三枝子﹃グアテマラを知るための65章﹄明石書店、東京︿エリア・スタディーズ﹀、2006年9月。ISBN 4-7503-2389-6。 ●二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩﹃ラテンアメリカ現代史III﹄山川出版社、東京︿世界現代史35﹀、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2。 ●A.レシーノス原訳/林屋永吉重訳﹃ポポル・ヴフ﹄中央公論社、東京︿中公文庫﹀、1977年。関連項目[編集]
●グアテマラ関係記事の一覧外部リンク[編集]
- グアテマラ政府
- グアテマラ共和国政府 (スペイン語)
- グアテマラ観光局 (スペイン語)
- 在日グアテマラ大使館 (日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - グアテマラ (日本語)
- 在グアテマラ日本国大使館 (日本語)
- JICA グアテマラ情報/概要 国際協力機構のサイト。
- その他
- グアテマラ情報 - グアテマラ (日本語)