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日本軍によるアッツ島の占領

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第二次世界大戦 > 太平洋戦争 > アリューシャン方面の戦い > 日本軍によるアッツ島の占領
アッツ島占領

アッツ島に進出した二式水上戦闘機
戦争太平洋戦争
年月日1942年6月6日 - 1943年5月30日
場所アッツ島アメリカ
結果:日本軍の占領の後、アメリカ軍が奪還
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
指導者・指揮官
大日本帝国細萱戊子郎中将
大日本帝国山崎保代大佐
大日本帝国 穂積松年少佐
アメリカ合衆国 なし
戦力
1,140 - 2,900 なし
損害
不明 1人の一般人死亡
46人の市民が捕虜となる
アリューシャン方面の戦い

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1942661,150755075045[1]

16[2]19651286[3]

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1942使19431018[ 1]20

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アメリカ軍による奪還[編集]

1943年5月12日、15,000名のアメリカ軍が上陸を開始してアッツ島の戦いが始まった。

連合軍により攻撃を受けるチチャゴフ港

5月29日、山崎大佐率いる日本軍の残存兵力約300名が最後のバンザイ突撃を行い、組織的抵抗は終了した。アメリカ軍ジョン・L・デヴィット司令官の下、5月30日に島の占領を宣言した。日本軍の損害は戦死2,638名、重傷を負って意識不明などで捕虜となった29名のみが生存した(生存率は約1%)。アメリカ軍は戦死者549名、負傷者1,148名に上った。島の奪還後、アメリカ軍は日本軍が建設した飛行場を再使用せず、別の位置に新しい飛行場を建設して残りの戦争期間を日本本土を爆撃するための基地として運用した[4]

アッツ村は太平洋戦争終結後に放棄され、日本軍により連行された住民の生き残りは他の島へ移された。2012年、占領70周年を記念してアッツ村の記念碑がかつて村があった場所に建立された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 当時は誤報だったが、翌43年1月12日にアメリカ軍がアムチトカ島に上陸。現地に飛行場を建設してアッツ、キスカ両島への空襲を強化している

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Mary Breu (2009) Last Letters from Attu, Alaska Northwest Books,
  2. ^ Chloe, John Haile (2017). Attu: The Forgotten Battle. National Park Service. pp. 32-33. ISBN 0996583734 
  3. ^ Mary Breu (2009) Last Letters from Attu, Alaska Northwest Books, ISBN 0882408100
  4. ^ Brian Garfield, The Thousand-Mile War: World War II in Alaska and the Aleutians