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東経139度線 (松本清張)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東経139度線
本作の舞台となる群馬県富岡市の一之宮貫前神社
本作の舞台となる群馬県富岡市の一之宮貫前神社
作者 松本清張
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出情報
初出小説新潮1973年2月
初出時の題名 『東経一三九度線』
出版元 新潮社
刊本情報
刊行 『巨人の磯』
出版元 新潮社
出版年月日 1973年7月20日
装画 水木連
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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3

エピソード[編集]

  • 著者は本作に関するメモを以下のように書きつけている。「東経一三九度線。この線に沿うもの。新潟・三条(新潟県)、高崎・鬼石(群馬県)、秩父・小鹿野(埼玉県)、鳥沢(山梨県)、青梅・御岳神社(東京都)、小山・丹那トンネル中央部と伊豆・今井浜温泉(静岡県)」「この南北線には「太占」(鹿の肩甲骨占い)など古社の旧い神事が多い」[1]
  • 日本近代文学研究者の綾目広治は、作中述べられる小川長治の学説について、清張自身が当時言及していた邪馬台国東遷説と比較し、東経139度線を邪馬台国と結び付ける小川説は学説として成立する可能性はない「珍説」であり、そのことは清張自身が一番よく知っていたはずであるが、「古代の時点においては、小川説のような方向も可能性の一つとしてあったのではないか。古代史と関わる清張の小説には、そういう、あり得たかも知れない歴史の可能性を、想像力によって追求してみようとするモチーフもあったように思われる」と述べている[2]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 発表時の表記は『東経一三九度線』。『巨人の磯』単行本および新潮文庫版(1977年)でもこの表記であるが、『松本清張全集 第56巻』(1984年、文藝春秋)収録の際に数字表記が算用数字に改められた。

出典[編集]

  1. ^ 著者による「創作ヒント・ノート」(『小説新潮』1980年2-3月号掲載、『作家の手帖』(1981年、文藝春秋)収録)
  2. ^ 綾目広治「仮説を語る小説 - 『東経139度線』」(『松本清張研究』第6号(2005年、北九州市立松本清張記念館)収録)