鳴子火山群
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鳴子火山群 | |
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鳴子火山群および鳴子カルデラ | |
標高 | 尾ヶ岳: 470.3 m |
所在地 |
日本 宮城県大崎市 |
位置 | 北緯38度43分44秒 東経140度44分03秒 / 北緯38.72889度 東経140.73417度座標: 北緯38度43分44秒 東経140度44分03秒 / 北緯38.72889度 東経140.73417度 |
種類 | カルデラ、溶岩ドーム |
最新噴火 | 837年(潟沼付近) |
鳴子火山の位置
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プロジェクト 山 |
鳴子火山群︵なるこかざんぐん︶は宮城県北西部にある活火山[1]。栗駒国定公園内に位置する。
概要[編集]
直径約7kmの不鮮明な輪郭をもつカルデラとその中央部の溶岩ドーム群からなる活火山。溶岩ドーム群は、直径約400mの火口湖﹁潟沼﹂を取り囲む様に位置し、南東から北西に連なる尾ヶ岳︵おがたけ, 470.3m︶、胡桃ヶ岳︵くるみがたけ, 461.4m︶、その北西に位置する松ヶ岳︵まつがたけ, 370m︶[2]、西に連なる鳥谷ヶ森︵とやがもり, 396m︶などで構成される[3]。最高点は尾ヶ岳(470.3m)。火山活動[編集]
現在も潟沼の内外や、その西側の鳥谷ヶ森の壁では盛んな噴気活動が見られる。 火山体の基盤は砂礫層で、胡桃ヶ岳-松ヶ岳間の標高340mまで砂礫層が露出する。鳴子火山噴出物の一部は、鳴子湖成層に凝灰岩として挟まれ、一部は明らかに湖成層上に堆積し、湖盆から火山活動が始まったことを示している[2]。 鳴子火山のうち、鳥谷ヶ森は溶岩直下の砂礫層中の樹幹の年代測定により、約11,800年前頃から開始したと推定される。また、山麓部では腐植土中に鳴子火山起源の火山灰が分布しており、その噴出年代は約5,400年前以降と推定される[3]。溶岩ドーム形成後の地熱活動により、2,000〜3,000年前に水蒸気爆発が発生している[4]。 過去の火山活動の様子は3つに大別される[5]。 ●カルデラ形成以前‥降下軽石を伴う噴火活動で、19万年前の岩出山軽石、11〜12万年前の一迫軽石を噴出した[6]。 ●カルデラ形成期‥大規模な火砕流を伴う2度の噴火活動で、7.3万年前の荷坂凝灰岩及び、4.5万年前の柳沢凝灰岩を噴出した[6][7]。 ●後カルデラ期‥溶岩ドーム︵胡桃ヶ岳、尾ヶ岳、鳥谷ヶ森、松ヶ岳︶の形成[4][8]、2万1千年前の鳴子潟沼-上原テフラを噴出[4]、3,000年前の水蒸気爆発による火山灰降下[3]。有史以降[編集]
837年︵承和4年︶‥﹃続日本後紀﹄に噴火活動に伴う温泉流出の記述があり[9]、降下火山灰層から水蒸気爆発と見られる[1]。人間との関わりの歴史[編集]
古代[編集]
正史には玉造の温泉石神、温泉神の2柱が登場する。837年に温泉石神の噴火を伝え、6年後の843年に温泉神が神階の陞叙を受けている。噴火の記録には﹁鎮謝災異、教誘夷狄﹂の記述があり、大和朝廷による蝦夷征服との関連がうかがえる。 ●837年︵承和4年︶4月‥﹃続日本後紀﹄に﹁玉造塞温泉石神、雷響振動、昼夜不止、温泉流河、其色如漿、加以山焼谷塞、石崩木折、更作新沼、沸声如雷、如此奇恠不可勝計、仍仰国司、鎮謝災異、教誘夷狄﹂の記述がある[9]。 ●843年︵承和10年︶9月‥無位の温泉神に従五位下の神階が贈られる[10]。 ●927年︵延長5年︶‥﹃延喜式﹄に﹁温泉石︵ゆのいしの︶神社﹂﹁温泉︵ゆの︶神社﹂の2柱が記載される。近世[編集]
仙台藩が安永年間にまとめた﹃風土記御用書出﹄には、大口村分に嶽山として﹁大くわ山︵尾ヶ岳︶﹂﹁くるミ嶽︵胡桃ヶ岳︶﹂の表記が、鳴子村分に御林として﹁鳥屋ヶ森御林︵鳥谷ヶ森︶﹂の表記がある[11]。鳴子村は岩出山伊達氏の知行地だが、御林は仙台藩が直接管理し保護していた[12]。近代・現代[編集]
1902年時点で噴気孔での硫黄の採掘が行なわれていた[13]。太平洋戦争がはじまると潟沼の北岸に硫黄製錬所ができた[14]。上野々スキー場と合わせ、鳴子火山群の外輪山を巡るルートがスキーツアーコースとして知られた[15][16]。 ●1968年︵昭和43年︶7月22日‥栗駒国定公園に指定[17]。登山[編集]
胡桃ヶ岳、中ノ岳︵なかのだけ, 440m︶[注釈 1]に地元の有志の方々が整備する登山コースがある。中ノ岳は眺望が良く、潟沼だけでなく、川渡方面へ大崎耕土が一望できる。
胡桃ヶ岳登山口
胡桃ヶ岳登山口→胡桃ヶ岳山頂 距離0.4km, 標高差160m
中ノ岳登山口
中ノ岳登山口→胡桃ヶ岳-中ノ岳分岐→中ノ岳山頂 距離0.5km, 標高差140m