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主な観光地としてはティワナクの遺跡や、[[チチカカ湖]]、[[ウユニ|ウユニ塩原]]、[[ポトシ]]の鉱山、チェ・ゲバラの戦死した[[イゲラ]]などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、[[カナダ]]、アメリカ合衆国、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[イスラエル]]といった先進国に加えて、南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から[[登山家]]を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。 |
主な観光地としてはティワナクの遺跡や、[[チチカカ湖]]、[[ウユニ|ウユニ塩原]]、[[ポトシ]]の鉱山、チェ・ゲバラの戦死した[[イゲラ]]などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、[[カナダ]]、アメリカ合衆国、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[イスラエル]]といった先進国に加えて、南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から[[登山家]]を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。 |
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2024年5月19日 (日) 09:58時点における版
- ボリビア多民族国
- Estado Plurinacional de Bolivia(スペイン語)
Bulibiya Suyu(ケチュア語)
Tetã Volívia(グアラニー語)
Buliwiya Mama Llaqta(アイマラ語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:La unión es la fuerza!
(スペイン語: 統一は力なり) - 国歌:Himno Nacional de Bolivia(スペイン語)
ボリビアの国歌 -
公用語 スペイン語
ケチュア語族
アイマラ語
グアラニー語
その他33の先住民言語「ボリビアの言語」も参照首都 スクレ(憲法上)[注 1]
ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス(ラパス、事実上)[注 2]最大の都市 サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ - 政府
-
大統領 ルイス・アルセ 副大統領 デビッド・チョケファンカ 上院議長 アンドロニコ・ロドリゲス 下院議長 イスラエル・ワイタリ - 面積
-
総計 1,098,581km2(27位) 水面積率 1.3% - 人口
-
総計(2020年) 11,673,000[1]人(80位) 人口密度 10.8[1]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
-
合計(2020年) 2527億1800万[2]ボリビアーノ(Bs) - GDP(MER)
-
合計(2020年) 368億3900万[2]ドル(91位) 1人あたり 3,167.612(推計)[2]ドル - GDP(PPP)
-
合計(2020年) 965億9200万[2]ドル(92位) 1人あたり 8,305.422(推計)[2]ドル
独立 スペインより
1825年8月6日通貨 ボリビアーノ(Bs)(BOB) 時間帯 UTC-4 (DST:なし) ISO 3166-1 BO / BOL ccTLD .bo 国際電話番号 591
概要
国土面積は約110万平方キロメートルで、日本の約3.3倍[3]。アメリカ大陸では8番目に、ラテンアメリカでは6番目に、世界的には27番目に大きい国であるが、上記のように領土を隣国に奪われる前はさらに広かった。ボリビアは太平洋岸領土の奪還を諦めておらず、チチカカ湖や河川で活動するボリビア海軍︵兵力4800人︶を保持しているほか、3月23日を海の日 (ボリビア)と定め、国際司法裁判所に提訴︵2018年に﹁チリは交渉に応じる義務はないが、善隣の精神に基づいた対話継続を妨げない﹂との判断が示された︶するなどしている[5]。 南半球にあり、晴れていれば南十字星が見える[4]。 かつて﹁黄金の玉座に座る乞食﹂と形容されたように、豊かな天然資源を持つにもかかわらず実際には貧しい状態が続いており、現在もラテンアメリカ貧国の一つである。推定1万4000人の日系ボリビア人がおり[5]、日本人町もある[6]。国名
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Bl-map.png/220px-Bl-map.png)
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歴史
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![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Precolumbian_Statue.jpg/170px-Precolumbian_Statue.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fb/Incamachay_arte_Ruprestre_Oropeza_Chuquisaca_Bolivia.jpg/170px-Incamachay_arte_Ruprestre_Oropeza_Chuquisaca_Bolivia.jpg)
先コロンブス期の発展
スペイン植民地時代
解放戦争から独立まで
独立から混沌へ
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/27/Jose_de_scure.jpg/170px-Jose_de_scure.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Divisiones_administrativas_de_la_Confederaci%C3%B3n_Per%C3%BA-Boliviana.svg/220px-Divisiones_administrativas_de_la_Confederaci%C3%B3n_Per%C3%BA-Boliviana.svg.png)
内陸国化と相次ぐ敗戦
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Map_Bolivia_territorial_loss-en.svg/220px-Map_Bolivia_territorial_loss-en.svg.png)
チャコ戦争後の不安定化
●1936年 チャコ戦争後、白人寡頭支配層への批判が強まり、チャコ戦争の参謀総長だったダビッド・トロ・ルイロバがクーデターにより大統領に就任。﹁軍事社会主義﹂︵国家社会主義︶を掲げた。 ●1937年 スタンダード・オイル社のボリビア国内事業を国有化。これは同時期の、メキシコ革命のラサロ・カルデナス政権による油田国有化に先立って、ラテンアメリカで初の外資国有化政策となる。この社会主義的政策は支配層に嫌われ、同年保守派によりトロは追放され、保守派の支持によりチャコ戦争の英雄だったドイツ系のヘルマン・ブッシュ・ベセラ中佐が大統領になるが、ヘルマン・ブッシュはすぐに保守派との戦いを始め、錫財閥との対決を図った。 ●1938年 チャコ戦争が正式に終結。ブエノスアイレス講和条約によりチャコ地方がパラグアイの領土となる。領土が最大時の約半分になる。この時期にヘルマン・ブッシュはナチス・ドイツの躍進するヨーロッパからユダヤ人の受け入れを宣言した。 ●1939年 ヘルマン・ブッシュが暗殺される。 ●1941年 ビクトル・パス・エステンソロやゲバラ・アルセらにより、民族革命運動党︵MNR︶結成。 ●1942年 カタピ鉱山の労働争議で鉱山労働者700人が虐殺される︵カタピの虐殺︶。 ●1944年 フアン・レチンにより、鉱山労働者組合連合が結成される。 ●1951年 MNRが大統領選に勝利するも、クーデターにより軍部に政権を奪われ、MNRは非合法化され、このことに対する国民の不満が高まる。ボリビア革命とその挫折
●1952年4月 鉱山労働者らの武装蜂起。MNRによる政権樹立。ビクトル・パス・エステンソロが大統領に就任し、ボリビア革命が成功した︵4月革命とも︶。インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択された。革命政権の国策として、このころからサンタクルスを中心とする東部の低地地帯の開発が進む。 ●1956年 エルナン・シレス・スアソ政権成立。 ●1959年 農地改革が行われ、大プランテーションが解体され、インディオの小作人に土地が分与された。 ●1960年 第2次パス・エステンソロ政権成立。軍が再建される。 ●1964年 第3次パス・エステンソロ政権成立するも、軍によるクーデターによりMNRが失権。ボリビア革命が終焉する。大統領となったレネ・バリエントスらの軍部とボリビア共産党の対立が進む。 ●1965年 軍事政権、インディオ農民を基盤とすることに成功する。 ●1966年 キューバ革命指導者の一人であるチェ・ゲバラがウルグアイ人ビジネスマンに偽装してボリビアに潜入し、ボリビア民族解放軍︵ELN︶を設立してゲリラ戦を行う。ゲバラの戦死から現在まで
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/80/Che_Guevara_-_Guerrillero_Heroico_by_Alberto_Korda.jpg/200px-Che_Guevara_-_Guerrillero_Heroico_by_Alberto_Korda.jpg)
政治
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/LaPaz_Plaza_Pedro_Di_Murillo_10.2004.jpg/220px-LaPaz_Plaza_Pedro_Di_Murillo_10.2004.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5e/Palacio_de_Justicia_o_de_Gobierno_Sucre_%28Bolivia%29.jpg/220px-Palacio_de_Justicia_o_de_Gobierno_Sucre_%28Bolivia%29.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0e/Canciller_Andr%C3%A9s_Allamand_participa_del_saludo_protocolar_al_Presidente_de_Bolivia%2C_Luis_Arce%2C_y_al_Vicepresidente%2C_David_Choquehuanca_02.jpg/220px-Canciller_Andr%C3%A9s_Allamand_participa_del_saludo_protocolar_al_Presidente_de_Bolivia%2C_Luis_Arce%2C_y_al_Vicepresidente%2C_David_Choquehuanca_02.jpg)
行政
議会
国会にあたる多民族立法議会は両院制。上院は全36議席で、各県から4名ずつ比例代表制選挙により選出される。代議院︵下院︶は、全130議席で、そのうち77議席は小選挙区から選出、53議席は比例代表制で選出されるが、全体の議席配分は比例代表制によって決まる︵小選挙区比例代表併用制。ただし 超過議席が出ないようになっている[10]ため、連用制に近い︶。両院とも議員の任期は5年で、同日選挙である。 直近の総選挙は、2020年10月18日に行われた。政党別の獲得議席数は、以下の通り[11]。- 上院(定数36)
- 代議院(下院、定数130)
- 社会主義運動 (MAS) 73
- 市民共同体 (CC) 41
- 政党連合「私たちは信じる」 16
近年の政治情勢
国家安全保障
地方行政区画
![ボリビアの県の一覧](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Bolivia_departments_named-ja.png/250px-Bolivia_departments_named-ja.png)
ボリビアには、9つの県(departomentos)が設けられている。カッコ内は、県庁所在地。
- オルロ県 (オルロ)
- コチャバンバ県 (コチャバンバ)
- サンタ・クルス県 (サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ)
- タリハ県 (タリハ)
- チュキサカ県 (スクレ)
- パンド県 (コビハ)
- ベニ県 (トリニダ)
- ポトシ県 (ポトシ)
- ラパス県 (ラパス)
主要都市
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/89/Santa_cruz_skyline_48.jpg/220px-Santa_cruz_skyline_48.jpg)
地理
![]() | |||
山名 | 標高(m) | ||
---|---|---|---|
ネバダ・サハマ | 6.542 | ||
イリャンプ | 6.485 | ||
イリマニ | 6.462 | ||
アンコウマ | 6.380 | ||
チェアロコ | 6.127 | ||
ポメラペ | 6.240 | ||
チャチャコマニ | 6.074 | ||
パリナコタ山 | 6.362 | ||
ワイナ・ポトシ | 6.088 | ||
アコタンゴ | 6.052 | ||
アカマラチ | 6.046 | ||
チャウピ・オルコ | 6.040 | ||
ウトゥルンク | 6.008 |
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/94/Isla_del_Sol%2C_Bolivia_%2836142247744%29.jpg/200px-Isla_del_Sol%2C_Bolivia_%2836142247744%29.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3e/Salar_uyuni_200701.jpg/200px-Salar_uyuni_200701.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/Bolivia_Topography.png/220px-Bolivia_Topography.png)
経済
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3a/Laguna_Glaciar_Bolivia.png/220px-Laguna_Glaciar_Bolivia.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/89/Camino_de_los_Yungas_Bolivia.jpg/220px-Camino_de_los_Yungas_Bolivia.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/04/Isla_del_Pescado%2C_Salar_de_Uyuni.jpg/450px-Isla_del_Pescado%2C_Salar_de_Uyuni.jpg)
アンデス共同体、南米諸国連合に加盟し、メルコスールの準加盟国でもある。 国家統計局の発表によるボリビアの経済指標は以下の通り(いずれも2003年の値)。
国内総生産(GDP) | 7,856 百万ドル |
同国民一人当たり | 870 ドル |
経済成長率(前年比) | 2.45% |
公的為替レート(対ドル) | 7.67 Bs/$us |
輸出額 | 1,650.7 百万ドル |
輸入額 | 1,684.6 百万ドル |
国内所得 | 8,085.4 百万ボリビアーノス |
農業
農地改革
1958年、第一次農地改革が行われたが、2006年現在では、分配された土地の95%に当たる約3200万ヘクタールが企業の手に渡っている。 2006年5月16日、ガルシア副大統領より﹁第二次農地改革﹂計画案が発表された。﹁生産的でない﹂土地及び国有地を農民や先住民に分配するというものである。観光
国民
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2e/Colegio_Franco_Boliviano_La_Paz.jpg/220px-Colegio_Franco_Boliviano_La_Paz.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8d/Boliviapop.svg/langja-220px-Boliviapop.svg.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/43/Bolivia-demography.png/220px-Bolivia-demography.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/54/Cristo_de_la_Concordia_02.jpg/170px-Cristo_de_la_Concordia_02.jpg)
民族・出自
ケチュア人が約30%、メスティーソ︵混血︶が約30%、アイマラ人が約25%、ヨーロッパ系が約15%、アフリカ系が約0.5%であると見られるが、正式な統計は取られていない。 先住民人口比率が85%と南米最多である[26]。 先住民としては南東部のチャコ地方にはグアラニー族も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、チキタノ人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。 メスティーソのうち、伝統的な衣装を身に付けている女性はチョリータと呼ばれる。彼女らの格好はボリビアを特徴づける習俗となっている。 クリオーリョ︵スペイン系︶の出身地としては植民地時代からのスペイン人が最も多いが、ドイツ、アメリカ合衆国、イタリア、クロアチア、ロシア、ポーランドなどにルーツを持つ者やバスク民族系なども存在している。 全人口の0.5%程であるアフリカ系は、元々ブラジルに奴隷としてやってきた人々が移住してきたのが始まりであり、ラパス県の南北ユンガスに最も多い。日系ボリビア人は推定1万4000人ほど存在する[5]。ペルーへの日系移民がボリビアへ来たのが始まりといわれている。1900年代に日本人移住者が当時起きていたアマゾンのゴム景気に引き寄せられ、ゴム労働者として北部アマゾン地域のリベラルタやトリニダに移住した。1954年からは主に沖縄県や九州からの移住者がサンタ・クルス県に移住し、オキナワ移住区やサンフアン・デ・ヤパカニ移住区を開拓した。言語
宗教
教育
教育への支出
15歳以上の識字率
2020 年時点で94%であり[28]、ラテンアメリカ並びにカリブ諸国の識字率94%と比較すると概ね平均的な識字率である[29]。ボリビアでの非識字率は2001年の13.28%から2014年に3.8%に下がっている。これは2006年に発足したモラレス政権が非識字克服を最優先課題の一つに掲げ、キューバの教育者が開発した識字メソッド(Yo, sí puedo)の活用とベネズエラからの資金援助によって、読み書きできない国民へ無償の教育を提供した影響が大きい[30]。教育段階
4〜5歳を対象とした2年間の就学前教育から始まり、6年間の初等教育、6年間の中等教育、高等教育が行われる。義務教育は初等教育から中等教育までの14年間であり、学年暦は2月から始まり、11月に終わる[27]。高等教育は大学やその他の高等教育機関で行われる。大学では,学士課程︵4〜6年︶,修士課程︵2年︶,博士課程︵4年︶が置かれる。その他の高等教育機関では,上級技術者ディプロマを取得する3〜4年の課程などが置かれる。高等教育までは全ての公教育が無償となっている[31]。学校の実態
一般的に同じ校舎内で午前に小学校の授業,午後は中学・高校その他の学校の授業,夜は夜間学校と技術専門学校などの授業が行われている[32]。また、学校施設不足などの理由から1つの校舎を別の複数の学校が共有することもある。 義務教育後の教育としては私立高校からは大学へ進学する者が多い。大学は入学が簡単である一方、卒業は困難である。公立高校からは経済的理由により働くか公立大学へ進学する者が多い。 私立校は小・中・高までの一貫教育を行っており、公立校よりも教師、設備に優れ、教育水準も高い。公立校は授業料が無料であるが、ほとんどの学校で教科書をコピーして使っており、教職員のストライキが多く教育課程に支障が出る場合がある[33]。教育の効果
独立機関である教育の質研究所(OPCE)の2010年の調査によると、初等教育では国語よりも算数の能力が低い児童が多いことが確認された。また、中等教育では初等教育と同様に算数の能力の低さが確認された。特に開発が遅れているとされている県において能力が低い生徒の割合が多く、県ごとに能力のばらつきが大きいことが確認されている[34]。算数能力が低い理由として、授業が教師主導型で練習問題を解かせるだけであり生徒の自主性を重要視していないことが指摘されている[35]。保健
平均寿命
主な死因
2019年時点で第1に虚血性心疾患、第2に下気道感染症、第3に脳卒中である[37]。 寿命に大きな影響を与えている要因として栄養失調、肥満がある[38]。健康への支出
2019年時点でGDPに占める比率は6.92%であり[39]、2000年から徐々に上昇している。医療
医療施設
公共の保健医療施設はサービスレベルに応じて3段階に分けられている。第1次レベルは初期治療などを提供する診療所、保健センターが該当する。第2次レベルは基本的専門医療を提供する県病院が該当する。第3次レベルは最も高度な医療を提供する総合・専門病院が該当する[40]。保健政策
妊産婦死亡率や5歳未満の乳幼児の死亡率が高く、母子保健が劣悪な状況であることから、1996年7月に﹁国家母子保健政策﹂が政府によって策定され、妊産婦および5歳未満の乳幼児が無料で診療を受けられるようになった[41]。2003年には国家母子保険はユニバーサル母子保険と名称が変更され、社会保険や民間の施設でも適用されるようになった[42]。妊産婦死亡率や幼児死亡率は近年(2019)の経済成長によって減少しつつあるが、依然として人口1万人あたりの医師数は中南米域内の平均を大きく下回っており、病院の数・人材・機材・薬品も不足している状態が長く続き、栄養失調などの問題が残っていた。こうした状況を踏まえ、政府は2019年3月に全国統一医療システムを導入し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの拡大に取り組んでいる。具体的には全国民の保健サービスへのアクセスを目標とし、妊産婦死亡率を現状より50%削減し、幼児死亡率については現状より30%削減するとしている[43]。医療体制の課題
ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ拡大の政策によって医療設備の数は増加しており、新しく導入された国民皆保険により、国民の51%が無料診療を受けられるようになった一方で、患者数の急増に病院のインフラが追いつかず、十分な医療サービスを提供できない病院もある。そのため、より多くの機材や医師を病院に配置することが求められている[43]。社会福祉
年金
2008年2月1日、前年の11月に成立した新年金法が施行され、無年金者への﹁尊厳ある年金﹂の支給が始まった。この政策は、資源主権の確立を通じて様々な社会政策を実施しているベネズエラや、無年金救済制度をつくったアルゼンチンなどの経験に学んだものである。財政的裏付けは、天然ガス国有化による国家収入の増大である。60歳以上の無年金者は年2,400ボリビアーノス︵約35,500円、最低賃金の4.6か月分︶、何らかの国の年金を既に受けている人は1,800ボリビアーノスが支給される。約70万人が受給する見通しである。文化
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/29/Mate_de_coca_Peru.jpg/220px-Mate_de_coca_Peru.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/Padilla%2C_Bolivia_local.jpg/220px-Padilla%2C_Bolivia_local.jpg)
食文化
文学
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/Diablada_oruro_fraternidad.jpg/220px-Diablada_oruro_fraternidad.jpg)
音楽
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Dance_in_La_Paz_Bolivia.jpg/220px-Dance_in_La_Paz_Bolivia.jpg)
映画
世界遺産
ボリビア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件ある。
-
ポトシ市街
(1987年) -
チキトスのイエズス会伝道所群
(1990年) -
古都スクレ
(1991年) -
サマイパタの砦
(1998年) -
ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地
(2000年) -
ノエル・ケンプ・メルカード国立公園
(2000年)
- ボリビアの無形文化遺産
祝祭日
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Año Nuevo | - |
移動祝日 | 謝肉祭(カーニバル) | Carnaval | 2005年は2月7日-8日 |
移動祝日 | 聖金曜日 | Viernes Santo | 2005年は3月25日 |
5月1日 | 労働者の日(メーデー) | Día del Trabajo | - |
移動祝日 | 聖体の祝日 | Corpus Cristi | 2005年は6月9日。 聖霊降臨節の10日後の木曜日。 |
8月6日 | 独立記念日 | Aniversario Patrio | - |
11月1日 | 諸聖人の日 | Todos Los Santos | - |
12月25日 | クリスマス | Navidad | - |
2月10日 | オルロ県の日 | Aniversarios Cívicos de Oruro | オルロ県のみ |
4月15日 | タリハ県の日 | Aniversarios Cívicos de Tarija | タリハ県のみ |
5月25日 | チュキサカ県の日 | Aniversarios Cívicos de Chuquisaca | チュキサカ県のみ |
7月16日 | ラパス県の日 | Aniversarios Cívicos de La Paz | ラパス県のみ |
9月14日 | コチャバンバ県の日 | Aniversarios Cívicos de Cochabamba | コチャバンバ県のみ |
9月24日 | サンタ・クルス県の日 | Aniversarios Cívicos de Santa Cruz | サンタ・クルス県のみ |
10月1日 | パンド県の日 | Aniversarios Cívicos de Pando | パンド県のみ |
11月10日 | ポトシ県の日 | Aniversarios Cívicos de Potosi | ポトシ県のみ |
11月18日 | ベニ県の日 | Aniversarios Cívicos de Beni | ベニ県のみ |
スポーツ
サッカー
著名な出身者
脚注
注釈
出典
参考文献
総合 ●眞鍋周三編著﹃ボリビアを知るための68章﹄明石書店、東京︿エリア・スタディーズ﹀、2006年4月。ISBN 4-7503-2300-4。 ●眞鍋周三編著﹃ボリビアを知るための73章﹄第2版 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 ISBN 978-4-7503-3763-0 歴史 ●エドゥアルド・ガレアーノ 著、大久保光夫 訳﹃収奪された大地──ラテンアメリカ五百年﹄新評論、東京、1986年9月。 ●中川文雄、松下洋、遅野井茂雄﹃ラテン・アメリカ現代史III﹄山川出版社、東京︿世界現代史34﹀、1985年1月。ISBN 4-634-42280-8。 ●増田義郎 編﹃ラテンアメリカ史II﹄山川出版社、東京︿新版世界各国史26﹀、2000年7月。ISBN 4-634-41560-7。 地理 ●下中彌三郎 編﹃ラテンアメリカ﹄平凡社、東京︿世界文化地理体系24﹀、1954年。 ●P.E.ジェームズ 著、山本正三、菅野峰明 訳﹃ラテンアメリカII﹄二宮書店、1979年。 ●野沢敬 編﹃ラテンアメリカ﹄朝日新聞社、東京︿朝日百科世界の地理12﹀、1986年。ISBN 4-02-380006-6。 ●福井英一郎 編﹃ラテンアメリカII﹄朝倉書店、東京︿世界地理15﹀、1978年。 社会 ●中川文雄、三田千代子 編﹃ラテン・アメリカ人と社会﹄新評論、東京︿ラテンアメリカ・シリーズ4﹀、1995年10月。ISBN 4-7948-0272-2。関連項目
●ボリビア関係記事の一覧 ●アンデス・スペイン語外部リンク
- 政府
- ボリビア多民族国政府 (スペイン語)
- 在日本ボリビア多民族国大使館 (スペイン語)(日本語)
- 日本政府
- 観光
- NGO
- その他
- "Bolivia". The World Factbook (英語). Central Intelligence Agency. (英語)
- ボリビア - Curlie(英語) (英語)
ボリビアのウィキメディア地図 (英語)
- 地図 - Google マップ
- 『ボリビア』 - コトバンク