乙羽信子
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おとわ のぶこ 乙羽 信子 | |||||||||||||||
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![]() 映画『お遊さま』(ポスター)での乙羽(上) | |||||||||||||||
本名 |
新藤 信子 しんどう のぶこ (旧姓:加治) | ||||||||||||||
生年月日 | 1924年10月1日 | ||||||||||||||
没年月日 | 1994年12月22日(70歳没) | ||||||||||||||
出生地 |
![]() 大阪府育ち | ||||||||||||||
民族 | 日本人 | ||||||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||||||
ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台 | ||||||||||||||
活動期間 | 1937年 - 1994年 | ||||||||||||||
配偶者 | 新藤兼人 | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
『原爆の子』、『愛妻物語』、『裸の島』、『おしん』 | |||||||||||||||
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乙羽 信子︵おとわ のぶこ、本名・新藤信子︵旧姓・加治︶、1924年10月1日 - 1994年12月22日︶は、日本の女優。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Genbaku_no_ko_2.jpg)
﹃原爆の子﹄での乙羽
1952年、﹁近代映画協会﹂を設立していた新藤兼人の第1回自主制作映画﹃原爆の子﹄に大映の反対を押し切って出演する。これを機に大映を退社し、近代映画協会の同人となる。
以後、近代映画協会が製作する映画に立て続けに出演する中で、それまでの﹁宝塚歌劇団出身﹂﹁お嬢様女優﹂﹁百萬弗のゑくぼ﹂﹁清純派﹂のイメージから180度転換し強烈なリアリズムあふれた演技を見せ、日本映画史にその名を残すこととなる。それを象徴する作品で、代表作となったのが、1960年の﹃裸の島﹄である。せりふが一切なく、登場人物も狭い島で働く夫婦︵乙羽と殿山泰司が演じた︶だけという実験的な映画であったが、そのリアリティーあふれる画面は大好評となり、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、世界的に高い評価を受ける。
1978年、新藤と結婚。結婚後、最初の作品となった﹃絞殺﹄で、1979年、ヴェネツィア国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞する。
新藤とは夫婦であっても、乙羽は﹁先生﹂と呼び、また新藤は﹁乙羽君﹂と呼び合っていた。﹃原爆の子﹄に出演した頃に恋仲になった時、新藤には既に妻がおり、忍ぶ間柄であった。しかし、新藤の前妻が亡くなった後の1978年に結ばれた2人を、前妻の子は祝福し迎えている。﹁いきなり子供達ができました﹂と、乙羽は喜んでいた。
新藤の監督作品へは﹁午後の遺言状﹂まで全作出演しているが、新藤以外との仕事も多くこなし、テレビ・舞台と幅広く活躍。温和な母親役から凄味を感じさせる殺人者役まで善悪硬軟こなせる貴重な名脇役として人気を博した。1983年には驚異的な視聴率を記録した﹃おしん﹄に出演。主人公・おしんの晩年期を演じ、主演もこなせる女優であることを改めて知らしめ、国内外において新たなファンを獲得した。また1987年から1992年にかけて、日本テレビ放送網の火曜サスペンス劇場で、水谷豊主演の浅見光彦ミステリーとその続編である、朝比奈周平ミステリーで、水谷の母親役を演じた。
社会性の高い作品に多く出演したが、特定の政党や候補者の応援などは行わず、政治とは距離を取り続けた。[1]
杉村春子との共演で話題になった新藤の﹃午後の遺言状﹄の撮影を終えた1994年12月22日午前、肝臓癌による肝硬変で死去。享年70。新藤は作品が乙羽の遺作になるという覚悟の上で制作に臨み、メガホンを取ったという。乙羽自身も残された時間を知った上で出演したといわれている。墓は京都市にあるが、遺骨の半分は代表作﹃裸の島﹄を撮影した広島県三原市の宿祢島に散骨された[2]。
来歴
鳥取県西伯郡米子町︵現・米子市︶西倉吉町に生まれる。父の家に引き取られ、大阪で育つ。間もなく、饅頭屋の養女となり、神戸市に移る。 小学校のときから日本舞踊を習い、また、養父の姉に連れられて宝塚歌劇を見に行くうち、憧れるようになり、1937年、宝塚音楽歌劇学校︵現・宝塚音楽学校︶に入学する。宝塚歌劇団26期生。同期生に越路吹雪、月丘夢路、東郷晴子、大路三千緒、浦島千歌子、瑠璃豊美らがいた。1939年の公演﹃宝塚花物語﹄で同期生達と共に初舞台を踏む。戦後、再開された公演でトップ娘役︵主に雪組公演出演︶として淡島千景と人気を二分し戦後の宝塚歌劇団第一期黄金時代を支える。 1950年、娘役に限界を感じ始め、松竹入りした淡島に倣うように退団。 退団後、大映に入社する。大映は、宝塚時代から人気のあったえくぼに﹁百萬弗のゑくぼ﹂というキャッチフレーズをつけて、純情型のスターとして売り出す。デビュー作は同年の新藤兼人脚本、木村恵吾監督の﹃處女峰﹄で、上原謙と共演した。その後、何作かに出演した後、1951年の新藤兼人の第1回監督作品﹃愛妻物語﹄で、夫を陰で支える妻を演じ、映画界でもスターの地位を手に入れる。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b3/Genbaku_no_ko_2.jpg)
主な出演
宝塚歌劇団時代の主な舞台
●小國民︵花組、1940年11月26日 - 12月28日、中劇場︶ ●第一回満州公演︵1942年︶ ●櫻井の駅︵雪組、1944年2月26日 - 3月4日、宝塚大劇場︶ ●棒しばり/勘平の死︵雪組、1945年9月4日 - 9月24日、映画劇場︶ ●カルメン/春のをどり(愛の夢)︵雪組、1946年4月22日 - 5月30日、宝塚大劇場︶ ●人魚姫︵雪組、1946年8月1日 - 8月30日、宝塚大劇場︶ ●蝶々さん︵雪組、1946年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場︶ ●おもかげ/ファイン・ロマンス︵雪組、1947年2月1日 - 2月27日、宝塚大劇場︶ ●南の哀愁/世界の花︵雪組、1947年6月1日 - 6月29日、宝塚大劇場︶ ●山三と阿國/眞夏の夜の夢︵雪組、1947年8月1日 - 8月31日、宝塚大劇場︶ ●リラの花咲く頃︵雪組、1947年11月1日 - 11月30日、宝塚大劇場︶ ●ヴェネチア物語︵雪組、1948年2月1日 - 2月29日、宝塚大劇場︶ ●アルルの女︵雪組、1948年6月1日 - 6月29日、宝塚大劇場︶ ●二つの顔︵雪組、1948年8月1日 - 8月30日、宝塚大劇場︶ ●夜鶴双紙/アロハ・オエ︵雪組、1948年10月13日 - 11月3日、宝塚大劇場︶ ●ハムレット︵雪組、1949年1月1日 - 1月24日、宝塚大劇場︶ ●玉昭君/春のをどり︵雪組、1949年4月1日 - 4月20日、宝塚大劇場︶ ●鏡獅子/ウインナ・ワルツ︵雪組、1949年10月1日 - 10月30日、宝塚大劇場︶ ●妖炎/ホフマン物語︵雪組、1950年3月1日 - 3月30日、宝塚大劇場︶ ●お夏笠物狂/君を呼ぶ歌︵雪組、1950年7月1日 - 7月30日、宝塚大劇場︶NHK紅白歌合戦
●第3回NHK紅白歌合戦︵1953年、NHK︶ ﹁初恋椿﹂で初出場映画
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f2/Aisai_Monogatari.jpg/200px-Aisai_Monogatari.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/35/Genbaku_no_ko_3.jpg/200px-Genbaku_no_ko_3.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/69/Ataka-ke_no_hitobito.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/37/Nobuko_Otowa_in_Yoakemae.jpg/200px-Nobuko_Otowa_in_Yoakemae.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Nobuko_Otowa_in_Ginshinju.jpg)
テレビドラマ
●細雪︵1959年、NET 現・テレビ朝日︶ ●東芝日曜劇場﹁白い闇﹂︵1959年、TBS︶ ●ママちょっと来て︵1959年〜1963年、日本テレビ︶ ●女系家族︵1963年~1964年、毎日放送、矢島藤代役︶ ●ただいま11人︵1964年〜1967年、TBS︶ ●大河ドラマ﹁太閤記﹂︵1965年、NHK、おえつ役︶ ●大河ドラマ﹁樅ノ木は残った﹂︵1970年、NHK、初乃役︶ ●肝っ玉かあさん︵第3シリーズから出演、1971年〜1972年、TBS、堀川とみ役︶ ●ありがとう︵第1シリーズ、1970年、TBS、九静香役︶ ●ありがとう︵第2シリーズ、1972年〜1973年、TBS、佐久間貴子役︶ ●春の雪︵1970年、フジテレビ︶ ●はじめまして︵1975年、TBS、川崎 ちよ役︶ ●放浪家族︵1975年、毎日放送、井汲康代役︶ ●石坂洋次郎シリーズ 女の顔︵1976年、NHK︶ ●暖流︵1976年、日本テレビ︶ ●毛糸の指輪︵1977年、NHK︶ ●土曜ドラマ﹁松本清張シリーズ・最後の自画像﹂︵1977年、NHK、小松かね子役︶ ●この世の花︵1977年、読売テレビ︶ ●横溝正史シリーズII仮面舞踏会︵1978年、毎日放送、笛小路篤子役︶ ●女たちの忠臣蔵︵1979年、TBS︶ ●沓掛時次郎︵1981年、フジテレビ︶ ●和宮様御留︵1981年、フジテレビ︶ ●出逢い︵1981年、TBS︶ ●サザエさん︵1981年~1985年、フジテレビ、磯野フネ役︶ ●平岩弓枝ドラマシリーズ﹁女たちの海峡﹂︵1981年、フジテレビ︶ ●出逢い・めぐり逢い︵1983年、TBS︶ ●連続テレビ小説﹁おしん﹂︵1983年、NHK︶ ●大奥︵1983年、フジテレビ︶ ●土曜ワイド劇場 美人殺しシリーズ︵テレビ朝日︶ ●﹁女優殺し﹂︵1983年︶ ●﹁美人コンパニオン殺し﹂︵1990年︶ ●﹁花も嵐も踏み越えて 女優田中絹代﹂︵1984年、テレビ朝日︶ ●ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる 第1・12・19回︵1984年、テレビ朝日、ナレーター︶ ●未婚の女医の診察室︵1985年、テレビ朝日︶ ●月曜ワイド劇場﹁すりかわった恋人﹂︵1985年、テレビ朝日︶ ●おんなは一生懸命︵1987年、TBS︶ ●京都サスペンス﹁妻たちのパスポート﹂︵1988年10月、KTV系 / 京都映画︶ ●水曜グランドロマン﹁女の中の祭り﹂︵1989年、日本テレビ︶ ●マザコン刑事の事件簿︵1990年、テレビ東京︶ ●火曜サスペンス劇場﹁松本清張作家活動40年記念 ゼロの焦点﹂︵1991年、日本テレビ、北村警部補の母役︶ ●忠臣蔵 風の巻・雲の巻︵1991年、フジテレビ︶ ●温泉に行きたい︵1992年、TBS︶ ●野菊の墓︵1993年、テレビ東京︶CM
●大正製薬︵パブロン・初代︶NHK紅白歌合戦出場歴
●第3回︵1953年12月31日、NHK東京放送会館第一スタジオ︶﹃初恋椿﹄著作・関連書籍
●﹃どろんこ半生記﹄︵聞き書き・江森陽弘 朝日新聞社、1981 のち文庫、日本図書センター、1997年︶ ISBN 4820542796 ●﹃ふたりの居る場所﹄新藤兼人共著 香匠庵 1986 ●新藤兼人﹃ながい二人の道 乙羽信子とともに﹄東京新聞出版局 1996演じた女優
●斉藤由貴︵﹃女優時代﹄︵1990年頃・読売テレビ系木曜ゴールデンドラマ枠︶原作‥新藤兼人 ●林清羅︵2005年・フジテレビ女の一代記シリーズ︶ ●片平なぎさ︵2006年・日本テレビドラマ・コンプレックス︶﹁乙羽信子 どろんこ半生記﹂の映像化 ●大谷直子︵2012年・NHK﹁最後のカチンコ﹂︶脚注・出典
(一)^ 自伝﹁乙羽信子 どろんこ半生記﹂ (二)^ 新藤兼人監督﹁裸の島﹂に散骨へ - nikkansports.com 2012年6月1日 2012年8月6日閲覧。関連項目
●鳥取県出身の人物一覧 ●春日野八千代︵乙羽入団時の花組トップスター。1929年 - 2012年︶外部リンク
●乙羽信子 - 日本映画データベース