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* [[鎌取駅]] - [[鎌取インターチェンジ|鎌取IC]] - [[千葉駅]] - [[海浜幕張駅]] - [[東京ディズニーリゾート|TDR]] - [[西船橋駅]] - [[東京スカイツリー]](2013年4月19日から5月15日まで千葉方面のみ) - 浅草雷門(千葉方面のみ) - [[京成上野駅]] ⇔ [[大津駅]] - [[山科駅]] - [[三条駅 (京都府)|三条京阪]] - [[京都駅]]八条口 |
* [[鎌取駅]] - [[鎌取インターチェンジ|鎌取IC]] - [[千葉駅]] - [[海浜幕張駅]] - [[東京ディズニーリゾート|TDR]] - [[西船橋駅]] - [[東京スカイツリー]](2013年4月19日から5月15日まで千葉方面のみ) - 浅草雷門(千葉方面のみ) - [[京成上野駅]] ⇔ [[大津駅]] - [[山科駅]] - [[三条駅 (京都府)|三条京阪]] - [[京都駅]]八条口 |
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もとは[[京成バス]]が運行していた路線を[[2010年]][[7月15日]]発便より継承。 |
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⚫ | 新型車両導入後は利用者数は堅調であり、年末年始・盆など繁忙期には増便も運行される。増便は、従前使用車である4列シート車が充当され、運賃も割安の設定となっていたが、2015年5月のゴールデンウィークからは[[京成バス]]から移籍した3列シート車が充当されるようになり、運賃も定期便と同額設定となった。 |
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当初、[[京阪バス]]と京成電鉄︵当時︶の共同運行で開業し、京阪バスの高速バスの愛称﹁[[きょうと号#京都・大津 - 上野・西船橋・TDL・千葉|きょうと号]]﹂のまま案内されていた。後に京阪バスが撤退し京成バスの単独運行になるとともに愛称を廃止。車両のグレードも3列シートから4列シートに変更して値下げ。さらに[[2009年]][[5月11日]]より毎日運行をとりやめ、運行日を限定するようになったが、京成から千葉中央バスへの移管に伴い毎日運行に戻る。ただし京都側の運行支援業務は[[京阪バス洛南営業所]]が撤退後も引き続き行っている。2013年4月19日にダイヤ改正が行われルートが一部変更され、鎌取駅・千葉駅を発着するようになった代わりに[[千葉中央駅]]への乗り入れが廃止された。[[2013年]][[11月15日]]の鎌取駅出発便から新型車両が導入され、再び4列シートから3列シートに変更、あわせて運賃も改定された。
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<ref>[http://www.chibachuobus.co.jp/topics/2015/007.pdf 千葉・「東京ディズニーリゾート®」・上野~京都線増便のお知らせ] 2015年4月1日 公式ウェブページ閲覧</ref> |
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⚫ | 新型車両導入後は利用者数は堅調であり、年末年始・盆など繁忙期には増便も運行される。増便は、従前使用車である4列シート車が充当され、運賃も割安の設定となっていたが、2015年5月のゴールデンウィークからは[[京成バス]]から移籍した3列シート車が充当されるようになり、運賃も定期便と同額設定となった<ref>[http://www.chibachuobus.co.jp/topics/2015/007.pdf 千葉・「東京ディズニーリゾート®」・上野~京都線増便のお知らせ] 2015年4月1日 公式ウェブページ閲覧</ref>。 |
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千葉中央バスの路線では唯一、首都圏外のエリアに向けて運行している路線でもある。 |
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=== 土気 - 東京スカイツリータウン・新宿線 === |
=== 土気 - 東京スカイツリータウン・新宿線 === |
2017年11月5日 (日) 16:00時点における版
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒266-0011 千葉市緑区鎌取町273-4 |
設立 | 1935年12月31日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7040001004824 |
事業内容 | 一般乗合旅客輸送事業、一般貸切旅客輸送事業、広告事業、土地建物の売買及び賃貸借事業、旅行業 |
代表者 | 須藤隆哉 |
資本金 | 1億円 |
従業員数 | 262名(2015年12月現在) |
主要株主 | 京成電鉄(株) |
外部リンク | http://www.chibachuobus.co.jp/ |
沿革
木嶋義夫と千葉郊外自動車
千葉中央バスの前身は、千葉県議会議員︵のち参議院議員︶・木島義夫らによって設立された千葉郊外自動車という会社である。路線の歴史は、木嶋個人が大正時代末期から誉田を起点に、南の瀬又︵現在の市原市︶方面と西の野田︵千葉市緑区誉田町一丁目の野田十文字付近︶に向けて運行していた2つの路線に始まる。 木嶋はその後、積極的に路線の拡張を進め、昭和初期に誉田 - 野田線を鎌取へと延長したのち、1934年に本千葉駅︵現在の千葉中央駅のところ︶への乗り入れを開始する。これには、路線の重複する千葉市街自動車︵京成バス千葉市街路線の前身︶から大きな反発があったが、それを押し切っての延長であった。一方、瀬又側は、木嶋の郷里である国府里︵現在の長柄町︶を経て茂原方面に伸びていくこととなり、1935年に本千葉 - 誉田 - 東国吉 - 茂原という直通運転が開始された。これとともに同年、木嶋らによって千葉郊外自動車が設立され、以後同社の経営となった。千葉郊外自動車はこのほかにも、1939年の時点で潤井戸周辺、土気 - 大網間でも運行していたことが﹁千葉県史﹂に記されている。 1944年には、戦時下の交通統制の流れの中で、小湊鐵道バス部の前身である袖ヶ浦自動車に統合されることとなっていたが、直前に回避され、独立経営が維持された。戦後の復旧と東洋交通
本千葉駅を起点に運行していた千葉郊外自動車であったが、1948年から千葉駅を発着できるようになった︵﹁伸びゆく千葉市﹂による︶。その後、昭和20年代半ば頃までに、宅地化の進んだ蘇我駅東側の白旗地区への乗り入れ︵千葉駅 - 星久喜台 - 今井町︵現・白旗︶線︶、茂原から上市場・国吉方面︵正確な終点が不明︶路線の開通、千葉 - 大網間の直通運転を開始するなどし、さらに千葉 - 茂原間の運行も復旧した。 新規区間の開通や休止路線の復旧だけでなく、千葉駅を発着できるようになったこと、市街地が仁戸名・白旗方面にも拡大したことを背景に、千葉市側での運行回数が増えることとなった。こうしたことを受け、千葉郊外自動車は1953年に千葉市の中心部に近い長洲に本社を移転して社名を東洋交通に改めた。千葉市側での路線拡大
長洲に本拠ができたことで、千葉市側での路線拡張が急速に進んだ。昭和20年代末から昭和30年代初頭にかけて、いずれも千葉駅を起点に、下総療養所線、今井町︵白旗︶経由の川鉄線、大宮町方面に至る坊谷津線、大巌寺・大森方面へ運行する大巌寺線、辺田を経て平山に至る平山終点線、鎌取の都職員保養施設に至る生浜荘線が開通した。 一方、本線の大網街道上では、この時期千葉駅 - 千葉寺、同 - 松ヶ丘、同 - 療養所︵現・千葉東病院︶など、比較的短距離で折り返す便が多かった。 また、時期不明だが、誉田駅から高田方面、および誉田駅・土気駅から中野方面に向かう線も開通し、最盛期にはそれぞれ野呂、本郷台まで足を伸ばしていた。前述の坊谷津線と平山︵終点︶線も、のちに宮田まで延長運行されている。このように、この時代には大網街道側から東金街道に至り、京成の停留所と接する路線が複数存在した。大宮団地乗り入れと京成グループ加入
1963年には、大宮団地の入居が本格的に始まった。これを受け、東洋交通は大網街道経由で千葉駅 - 大宮団地間の輸送を開始したが、団地の人口は予想を上回るペースで増え、入居開始数年で輸送量が限界に達したため、1966年には京成電鉄と共同で団地の北側を走る東金街道経由の新路線を開設した。この時期、東洋交通は当時東京都北区に本社を置いていた東都自動車グループの傘下にあった。当時、東都自動車の社長であった宮本市郎︵現会長︶が木嶋から買収したもので、その後、親交のあった小佐野賢治︵国際興業創業者︶の仲介で、東洋交通を京成グループに売却したことを東都自動車の社史に記している。廃止された旧本社営業所や誉田営業所の改築、鎌取車庫の用地買収などは宮本が手がけたものである。1969年に京成電鉄の子会社となると、大宮団地のバス輸送は東洋交通に全面移管されることになり、京成の坊谷津線︵千城局経由︶も譲渡のうえ大宮団地へ延長された。こうして、現行路線の基礎となる3系統のネットワークができあがった。 また、昭和30年代末から40年代にかけて、向台線︵千葉駅 - 末広街道 - 向台︶、松ヶ丘線︵千葉駅 - 矢作 - 蘇我駅東口︶、市役所線︵千葉駅 - 市役所︶なども運行を開始し、小湊鐵道との競合や共同運行が増えるようになった。 大網街道上ではこの頃、千葉駅 - 療養所などの短距離系統が整理され、新たに千葉駅 - 鎌取車庫︵現・鎌取インター︶系統が運行を開始している。また、千葉郊外自動車時代から続いた千葉駅 - 茂原駅線は1971年限りで直通運行を終了し、誉田駅 - 茂原駅間に短縮された。千葉中央バスの成立と郊外住宅路線
路線の再編成
一方、外房線の本数が増加したことで、これと競合する大網街道の路線では乗客の鉄道への転移が起こり、特に千葉駅からの通し利用者が減少した。これに伴い路線の再編成が実施され、平山線、千葉・市原ニュータウン線のほとんどは鎌取駅、角栄団地線は誉田駅起点に変更、千葉 - 大網間の直通運転は土休日の1往復を残し、運行終了した。 市街地側では、JR京葉線の開通で蘇我駅の利用価値が上がり、さらに1992年には千葉急行線︵現在の京成千原線︶が開通したため、千葉駅だけでなくこれらの鉄道に接続する路線の必要性が高まった。これとともに、大森台駅周辺や蘇我駅に近い白旗地区では、千葉駅に接続するバスの利用者が減少した。一方、青葉の森公園周辺に住宅地の造成が進み、新たな需要も生まれてきた。 こうしたことから、1990年に蘇我鎌取線︵蘇我駅 - 鎌取車庫︶が開設され、大網街道と蘇我駅との連絡が強化された。また、1999年には、大学線︵蘇我駅 - 千葉寺駅 - 大学病院︶が開通し、青葉の森周辺への乗り入れを開始した。一方、向台線は2001年限りで廃止され、代替として花輪線を末広街道経由で運行することとなった。また、かつては千葉営業所の主力路線だった白旗線も2004年に大幅減便となり、同時に新設された青葉の森公園線︵千葉駅 - 博物館・文化ホール︶に余剰車両が振り向けられた。 千葉郊外自動車以来の区間である誉田駅 - 茂原駅間では、過疎化による利用者の減少で運行維持が困難となった。このため、1996年に市原市の郡境で系統を分割し、さらに1999年限りで郡境以南を休止している。なお、この1999年の改正では、茂原営業所管内で大幅な整理が行われ、茂原周辺の路線は上市場線だけとなった。 大宮団地では、住民の高齢化が進んでおり、北大宮台線の新設や千城局経由の経路変更によるサービス改善で利用者の維持に努めているところである。また、1999年以降、房総方面や羽田空港への高速バス路線の新設が相次いでいる。2009年3月19日には、千葉営業所管内の路線においてPASMOが導入された。本社、営業所
本社は、千葉市緑区鎌取町の千葉外房有料道路・鎌取インターそばにある。営業所は、鎌取駅近く︵緑区辺田町︶の千葉営業所、本社併設の貸切千葉営業所、緑の森工業団地︵緑区大木戸町︶内にある大野台営業所、いすみ市のデマンド交通を担当するいすみ営業所の4か所である。-
旧本社・千葉営業所
-
廃止された誉田営業所
現行一般路線
千葉営業所管内
東金線、北大宮台線
- 千葉駅 - 旭町 - 坂月 - 大宮団地(東金線)
- 千葉駅→旭町→坂月→大宮団地→大宮市民の森(東金線深夜バス)
- 千葉みなと駅→千葉駅→坂月→大宮市民の森→大高町→創造の杜→あすみが丘→土気駅(深夜バス)
- 千葉駅 - 旭町 - 北大宮台 - 大宮団地(北大宮台線)
千城局線
●千葉駅 - 旭町 - 千城局 - 北大宮台西 - 大宮団地 - 大宮市民の森 ●千葉駅 - 旭町 - 千城局 - 千葉大宮高校 - 北大宮台西 - 大宮団地 - 大宮市民の森 千城局線は、千葉駅からしばらくは上記2線と同じく東金街道を走り、若葉区に入るとまもなく街道を外れ、大宮町︵旧・千城村︶の中心部を抜けて団地へと向かう路線である。独自区間である和田新道 - 北大宮台西間では、大変狭い道路を走行するため、下り便はすれ違い可能な道幅の地点で上り便の通過を待つ光景が見られる。 この線はもともと1955年7月15日に、京成電鉄によって坊谷津線として要町 - 千城局 - 坊谷津︵現在の坊谷津停留所かは不明︶間で開通し、昭和40年代に国鉄千葉駅 - 千城局 - 坊谷津 - 大宮団地に延長されるとともに東洋交通に移管されたものである。その後、2000年6月1日の改正によりこの線も北大宮台側を回るようになり、団地への到達時間が短縮された。この改正で終点が大宮市民の森に変更されているが、これは大宮台南側の大宮台三丁目、東山科入口の2停留所からも引き続き利用できるよう配慮したためである。 2006年5月21日の改正で、千葉大宮高校経由便および同校までの折り返し便が新設された。これは、2007年度に同校が通信制独立校としてリニューアルするのに備えてのルート変更であり、折返所用地には使用頻度の少なくなった運動施設の一部が転用された。通信制独立校のため、主に平日は通学生の姿はほとんど見られないが、休日を中心に行われるスクーリング授業の日は多くの通学生の利用がある。そのため、時刻表には掲載されていない臨時便ダイヤが設定されている。 2000年の改正以後、東金線は減便が続いているのに対し、千城局線は東金街道の渋滞を一部避けられることからも利用価値が高まり、増便傾向にある。2009年1月の営業所移転時のダイヤ改正でも多少の増便が行われた。川戸線
花輪線
●千葉駅 - 末広町中央 - 蘇我病院 - 大森町 - 赤井町 - 花輪 千葉市中央区南部の大森・赤井・花輪の各町へ向かう路線である。この地域は古くから農村集落として発展してきたところで、現在も昔のまま道幅の狭い箇所が多い。このため、中型車で運行されている。松ヶ丘線、ポートタワー線
蘇我鎌取線
●蘇我駅東口 - 富士見台 - 白旗 - 千葉県がんセンター - 鎌取駅 蘇我鎌取線は、両駅間を白旗、大網街道経由で結ぶ路線である。開通したのは京葉線東京開通から半年が過ぎた1990年10月1日のことである。当初の運行区間は鎌取車庫︵現・鎌取インター︶までであり、このことからもわかるように、蘇我駅と大網街道の松ヶ丘・仁戸名周辺との連絡に重点が置かれている。鎌取駅まで延長されたのは、2001年5月16日のことである。なお、蘇我駅の乗り場は当初千葉銀行近くの路上にあったが、駅前の整備によりロータリー内に移動している。都賀線
大学線
●蘇我駅東口 - 宮崎一丁目 - 千葉寺駅 - 芸術文化ホール - 中央博物館 - 大学病院 蘇我駅から千葉寺駅、青葉の森に周辺の新興住宅地を経由して大学病院まで運行する路線である。大学病院の構内に京成以外のバスが入るのは、この線がはじめてである。1999年の開通時は京成・小湊・千葉中央の3社体制であったが、2001年に京成は運行を取りやめている。 この線の開通に際し、停留所名の整理が行われた。赤井町線との並行ルート上にあった﹁川鉄六寮﹂停留所は、小湊にあわせる形で﹁川鉄寮前﹂に改称され︵現在は﹁水道局﹂︶、大網街道上にあった﹁芸術文化ホール﹂停留所は、大学線のホールにより近い場所に﹁芸術文化ホール前﹂停留所が開設されたので、﹁ハーモニープラザ﹂に変わっている。青葉の森公園線
●千葉駅 - 県庁 - 千葉寺 - ハーモニープラザ - 芸術文化ホール - 中央博物館 - 青葉病院南 - 博物館・文化ホール 千葉寺を経由したのち青葉の森公園に沿って走る路線であり、白旗線が大幅減便された2004年4月16日の改正時に開通した。千葉駅から中央博物館へは、既に京成バスやちばシティバスの路線が通っており、この線はそれらに比べ若干遠回りであるが、その反面、博物館により近いところに停留所が設けられている。終点付近には、芸術文化ホール、中央博物館、博物館・文化ホールと、まぎらわしい名前の停留所が並んでおり、方向幕やバス停における行先案内は﹁中央博物館﹂としている。2007年9月29日のダイヤ改正で、日中30分間隔から60分間隔に減便された。しかし、2013年4月16日のダイヤ改正で、平日1往復と土休日の1往復半︵中央博物館から千葉駅方面に2本︶のみになり、さらに現在では土休日に博物館・文化ホール発千葉駅行きが1本運行されるだけとなった。大網線、千葉リハビリ線
●千葉駅 - 星久喜台 - 鎌取インター - 鎌取駅 - 誉田駅︵大網線・朝夕のみ︶ ●千葉駅 - 星久喜台 - 鎌取インター - 鎌取駅 - 千葉営業所︵千葉リハビリ線︶ ●千葉駅 - 星久喜台 - 鎌取インター - 鎌取駅 - 千葉リハビリテーションセンター︵千葉リハビリ線︶ ●鎌取駅 - 誉田駅 - 村境 - 土気駅 - 小食土 - 大網駅︵大網線︶ ●大網駅 → 小食土 → 土気駅 → 村境 → 誉田駅 → 鎌取駅 → 星久喜台 → 千葉駅︵大網線快速。土休日朝1本のみ︶ 大網線・千葉リハビリ線は、主に大網街道上を運行する千葉中央バスの本線格の路線である。鎌取駅 - 大網駅間を結ぶ便︵誉田駅・土気駅で折り返す便を含む︶を大網線、千葉駅と千葉営業所および千葉リハビリセンターを結ぶ便︵鎌取駅で折り返す便を含む︶を千葉リハビリ線と称し、このほかに土休日に千葉方向に早朝1本のみ千葉駅 - 大網駅間を直通する大網線快速便の運行がある。 誉田駅 - 野田十文字間は大正時代から営業している区間であることから、大網線は同社の中で最も古い路線の1つということもできる。ただし、戦前は本千葉 - 誉田 - 茂原という運行が主であり、千葉 - 大網間がつながったのはそれより後のことである。その時期は千葉市の資料より1948年以前ということしかわからないが、土気 - 大網間は、1939年の時点で千葉郊外自動車の路線が通っていたことが﹁千葉県史﹂より確認できる。 現在、最も本数が多いのは千葉駅 - 鎌取駅 - 千葉営業所間の便である。現在は、これが千葉駅側の最も短い折り返し便であるが、1950年代頃にはさらに千葉寄りで折り返す便があり、その中で療養所︵現・千葉東病院︶発着便は本数が多く、昭和30年代頃までの市街地側の輸送の主な部分を担っていた。しかし、昭和40年代に入る頃から、さらに鎌取側へと市街化が進み、川鉄仁戸名寮・赤井寮のような規模の大きい住宅もできた。これに応じて、運行区間を拡大した鎌取車庫︵現・鎌取インター︶発着便ができ、さらに2006年3月27日の改正で鎌取車庫 - 鎌取駅間が、2009年1月19日の改正で鎌取駅 - 千葉営業所間が延長された。 誉田駅 - 大網駅間は利用者が少なく、近年は徐々に本数が減らされている。2009年1月19日に営業所が鎌取に移転したことから、鎌取駅 - 誉田駅、鎌取駅 - 大網駅の便が新設された。さらに2011年9月7日の改正では鎌取駅 - 土気駅の便が新設されると同時に、日中は定時性の確保から鎌取駅で運行を分離し千葉駅 - 千葉営業所と鎌取駅 - 誉田駅・土気駅・大網駅とした。 大網線にはかつて、ルートから一部外れる便がいくつかあった。1980年代に廃止されたものとして、京成千葉駅︵現・千葉中央駅︶経由便、厚生年金休暇センター︵敷地内︶経由便がある。また、越智町にある靴下団地内に立ち寄る便もあり、誉田 - 大網間の便において長らく運行されていたが、こちらは協議の結果2003年7月1日に廃止されている。 千葉リハビリセンター発着便は、1954年頃に千葉駅 - 下総療養所︵現・下総精神医療センター︶として開通し、千葉県千葉リハビリテーションセンター開業から1年たった1982年3月にリハビリセンターまで延長された︵袖ケ浦の誉田への移転、リハセンの設置に伴う︶ものである。特筆すべき点として、昭和30年代の旧・国鉄駅発着時代に、大和橋から一高︵現・県立千葉高校︶前を経由して葛城町へショートカットする便があったことがあげられる。2009年1月19日の改正で、鎌取駅起点の折り返し便が新設された。ちはら台線、ちはら台東線、ちはら台南北線、おゆみ野駅線、おゆみ野中央病院線
大膳野町線
●鎌取駅 - おゆみ野第一・第二団地 - 市営一丁目団地 - 大膳野町 ●大膳野町 - 市営一丁目団地 - おゆみ野第二・第一団地 - 鎌取駅 ●大膳野町 - 市営一丁目団地 - 千葉南警察署 - (おゆみ野第二団地経由せず︶- おゆみ野第一団地 - 鎌取駅︵大膳野町発鎌取駅最終便のみ︶ 大膳野町線は、鎌取駅からおゆみ野東北部の第一団地・第二団地を経由して大膳野町に至る路線である。 この路線の原型は、1984年4月1日の千葉・市原ニュータウン線開通と同時に設定された鎌取駅 - 小谷 - 誉田駅間の路線であるが、これは出入庫の一部を営業運行としただけのもので、本数は大変少なく実用的ではなかった。沿線は比較的早い時期から入居が開始されていたが、すぐ近くの大網街道に大網線が運行されていることもあり、長らく本数増には至らなかった。しかし、商業施設や公共施設の増加により、鎌取駅南口へのアクセス需要が増加したことから、1999年に鎌取駅からおゆみ野第一団地・第二団地を循環する路線︵おゆみ野団地循環線︶を新設し、本格的な運行を開始した。 2006年9月16日より、鎌取駅 - 八幡神社間はおゆみ野団地循環線と同じルートを走り、その先で大膳野町︵だいぜんのちょう︶に至る大膳野町線が運行を開始した。これにより、両線の重複区間の運行本数はほぼ倍に増加した。その後、2008年9月30日より、おゆみ野団地循環線と大膳野町線のルートが統合され、鎌取駅からおゆみ野第一・第二・市営一丁目団地を経由して大膳野町に至る路線となった。平山線
●鎌取駅 - 平山十字路 - 水砂 - 熊野神社 - 高根町整形外科 ●鎌取駅 - 平山十字路 - 水砂 - 熊野神社 ●鎌取駅 - 平山十字路 - 水砂 - 平和公園正門前 - 熊野神社 ●鎌取駅 - 平山十字路 - 水砂 - 平和公園正門前︵循環・臨時運行︶ 平山線は、鎌取駅から千葉市緑区北部の平山町へ向けて走る路線である。終戦直後までは平山町の中を走るバスはなく、大網街道の赤井交差点停留所が﹁平山﹂という名称で、この町への玄関口となっていたが、昭和30年代初頭に現在の平山坂下付近に﹁平山終点﹂という停留所ができた。これにより、千葉駅 - ︵大網街道︶ - 平山終点というルートで開通したのがこの路線の原型である。 その後、熊野神社経由で東金街道の宮田まで運行していた時期を経て、水砂、熊野神社の2地点を終点とするようになった。その後も長らく千葉駅からの運行が続けられたが、沿線は農村地域で人口が少なく、旧・誉田営業所管内では利用者の少ない路線だったので、1998年の改正で起点が鎌取駅に変更されることにより事実上路線が短縮され、車両も小型化された。また、2009年2月の改正では、それまで水砂と熊野神社へ向けてそれぞれ運行されていた便が統合され、原則として水砂経由で鎌取駅と熊野神社の間を運行する路線となり、さらなる運行の合理化が図られた。 2010年3月からは、土休日の一部の便が若葉区多部田町にある千葉市平和公園の中を経由して運行されるようになった。これは、墓参期に平和公園周辺道路の渋滞を分散させる目的で公園に南門が新設され、バスの乗り入れができるようになったからである。なお、彼岸と盆には鎌取駅 - 平和公園間の臨時便が増発運行される。 2015年8月1日ダイヤ改正から、平日ダイヤのみ熊野神社終点から高根町整形外科まで延伸された。ダイヤ改正日は土曜日であったため、実際に運行を開始したのは8月3日からである。 [1]越智はなみずき台線
●誉田駅 - 村境 - はなみずき台入口 - 越智はなみずき台 ●鎌取駅 - 誉田駅 - 村境 - はなみずき台入口 - 越智はなみずき台 越智はなみずき台は、誉田と土気のほぼ中間地点に位置する住宅地であり、2001年以前は千葉東角栄団地と呼ばれていた。路線は、1980年頃に開通しており、1985年12月16日からは誉田駅 - 千葉東角栄団地で深夜バスの運行も行っている。当初は千葉駅からの直通便もあったが、2000年のダイヤ改正時に廃止され、全便が誉田駅発着となった。その後、営業所の移転・統合に伴い、2009年1月19日より一部の便が鎌取駅発着となっている。2013年4月16日より、蘇我駅発着便が設定されたが、現在は廃止されている。 なお、同住宅地の中学生用に、1981年4月5日から千葉東角栄団地︵現・越智はなみずき台︶ - 土気中学校を結ぶ通学用路線が1往復半運行されていたことがあるが、越智中学校の開校によりわずか数年で廃止となっている。潤井戸線、ちはら台南線
●誉田駅 - 瀬又倉庫 - 番場 - 市津支所 - 潤井戸︵潤井戸線︶ ●誉田駅 - 瀬又倉庫 - 市東第一小学校 - 番場 - 市津支所 - 潤井戸︵潤井戸線、通学時間帯のみ︶ ●誉田駅 - 瀬又倉庫 - ちはら台東1丁目 - ちはら台南3丁目 - スーパービバホーム - 潤井戸︵ちはら台南線︶ 潤井戸線は、誉田駅から茂原街道上の潤井戸に至る路線である。沿線の市東第一小学校の通学路線としても利用されており、通学時間帯に学校の正門前まで乗り入れる便がある。誉田発のローカル線の中では、比較的住居の多いところを走っており、戦前にも千葉郊外自動車が潤井戸を終点とする路線を運行していたとの記録がある。現在、潤井戸の終点は茂原街道のバイパス上にあり、折返場は人目につかない林の中にひっそりと設けられている。 2010年12月20日に瀬又三叉路 - 向井間でちはら台南地区を経由して潤井戸へと向かうちはら台南線が新設された。潤井戸線と比べ大回りな経路を取ることから潤井戸までの所要時間はこちらの方が長くなっている。 2012年10月より住宅団地﹁グリーンヒル﹂を経由するルートに変更される。 ちはら台の造成後、小湊鉄道がちはら台団地 - 五井駅線を開通したため、永吉入口 - 向井間は2社の並行区間となった。なお、小湊にも潤井戸という停留所があるが、この線の終点とはやや離れている。 平成28年4月3日の運行をもって、全路線休止となった。郡境線、火の見線、吉野谷線
千葉中線
●千葉東霊苑 - 高田 - 誉田駅北口 ●誉田駅北口 - 平川 - 千葉中 (1日2〜4本のみ) ●千葉中 - 上大和田 - 土気駅 - 大椎台団地 ●土気駅 - 大椎台団地 ●誉田駅北口 → 平川 → 千葉中 → 上大和田 → 土気駅 → 大椎台団地 (1日1本のみ) 千葉中線は、誉田駅・土気近辺から北へ向けて走るローカル路線の総称である。2008年9月30日より、新設された誉田駅北口ロータリーを発着するようになった。もともと、誉田 - 高田方面、誉田 - 千葉中方面、土気 - 千葉中方面の3系統がそれぞれ別々に運行されていた。 このうち、千葉中方面に向かう便は、かつて誉田・土気両駅から東金街道の本郷台まで運行しており、平川や下大和田で折り返す便もあった。また、高田方面の便は泉公園の前を通って東金街道の野呂まで運行されていたことがあり、下新田入口、千葉東霊苑入口、千葉東霊苑と、たびたび終点が変わっている。現在は誉田駅を出ると西側の踏切を渡っているが、かつては東側にあった踏切を渡り、八幡前︵現・誉田東小学校付近︶から西にルートを変えて高田方面に向かっていた。 平成28年4月1日の運行をもって、千葉東霊園-誉田駅北口はお彼岸やお盆の多客期以外は運休となる。大野台営業所管内
あすみが丘線
あすみが丘東線
●土気駅 - あすみが丘東4丁目 - あすみが丘ブランニューモール 土気駅東方に造成中で2002年に一部の入居が開始されたあすみが丘東住宅地︵ホキ美術館そば︶を経由して、あすみが丘中心部のブランニューモールに至る路線であり、2005年9月28日の開通である。ブランニューモールは、2011年に開店したカスミを中心とする大型商業施設である。あすみが丘ブランニューモール停留所は、あすみが丘線のあけぼの通り東とほぼ同じところである。土気工業団地線、工業団地東線
●土気駅→創造の杜→大野台中央公園→日本海事協会入口→石油エネルギー技術センター・ヤマナカ前︵土気工業団地線︶ ●大野台中央公園→日本海事協会入口→石油エネルギー技術センター・ヤマナカ前→創造の杜→土気駅︵土気工業団地線︶ ●土気駅 - 創造の杜 - 大野台中央公園 - 工業団地東︵工業団地東線︶ 土気工業団地線は、2006年12月18日に開業した、土気駅︵北口︶と千葉外房有料道路大木戸インター近くに広がる土気緑の森工業団地とを結ぶ路線である。土気緑の森工業団地内では道路を時計周りに循環するものの、土気駅には帰らず、土気発は循環部の終わりの停留所である石油エネルギー技術センターで終点となり、また土気駅行きは循環部の最初の停留所である大野台中央公園が始発となる。︵﹁大野台営業所﹂所在地近辺︶ 2008年3月31日より、大野台二丁目の工業団地東に至る工業団地東線が新たに運行を開始した。 年末年始など、工場が稼働していない期間中は運休。コミュニティバス
千葉市・さらしなバス︵田園都市更科線︶
千葉市・おまごバス
●ルートA:千城台駅 - 金親 - 内小間子 - 沖十文字(転車場) - 農政センター ●ルートB:千城台駅 - 金親 - 内小間子 - 沖十文字(転車場) ●ルートC:千城台駅 - 金親 - 内小間子 - 沖十文字(転車場) - 富田町原田池 - 中田町1番 - 御茶屋御殿 - 金親 - 千城台駅 ●ルートD:千城台駅 - 金親 - 内小間子 - 沖十文字(転車場) - 農政センター - 中田町1番 - 御茶屋御殿 - 金親 - 千城台駅︵右廻り・左廻り︶ おまごバスは、千城台駅と若葉区東部を結んでいたちばフラワーバスの3路線が廃止されたことにより、その代替運行を目的として2005年9月1日に開通した千葉市・コミュニティバスの第2路線である。路線はフラワーバス小間子線の全区間と、宮田線、千城台線の一部をカバーしているほか、これまでさらしなバスが運行していた富田町の千葉酪農協周辺も担当する。この地区と小間子との間ではわずかながら八街市内を走行する。 千城台駅を起点に小間子地区、農政センター、泉市民センターを回る循環線︵両回り︶として開通したが、小間子側に本数の重点が置かれており、約半数の便が千城台駅〜内小間子〜農政センターの間で折り返し運行をする。さらに短い千城台駅〜小間子公民館の折り返し便も運行されていたが、この便は2006年10月23日の改正より、八街市の沖十文字︵転回場︶まで延伸された。また、同改正では農政センターや東金街道側を経由しない小回りの循環便が新設され、このうちの一部が千葉市・いずみグリーンビレッジ事業の拠点施設がある富田町原田池に乗り入れることとなった。 千城台駅を通しての乗車も可能ではあるが、小間子方面〜千城台駅〜泉市民センター方面のように走る便は少数で、大半は元のルートへ引き返す形となる。また、早朝の便はコミュニティセンターを経由しない。︵運行開始当時。︶ 2013年10月19日より千葉中央バスに移管され、農政センター - (126号) - 泉市民センター間をいずみバス、宮田 - グリーンタウン東 - 富田入口間をさらしなバスに移管され、富田町1番 - 農政センター間にフリー乗降区間が設けられた。千葉市・いずみバス
現行高速路線
鴨川線︵カピーナ号︶
●千葉駅 - ハーモニープラザ - 青葉の森スポーツプラザ - 久留里駅前 - 安房鴨川駅 - 亀田病院 ︽日東交通・鴨川日東バスと共同運行︾ カピーナ号は、千葉と鴨川の間を館山自動車道、久留里線沿線を経由して結ぶ高速バス路線である。日東交通、鴨川日東バスとの共同運行により1999年に開業した。千葉 - 鴨川間ではJR外房線よりも所要時間が短く、往復乗車券を利用した場合には運賃も安くなることから、開業以来高い利用率を維持している。沿線には、鴨川シーワールドや東京ドイツ村などのレジャー施設もあり、一部の便が乗り入れる。羽田線 ︵空港リムジン︶
京都線
●鎌取駅 - 鎌取IC - 千葉駅 - 海浜幕張駅 - TDR - 西船橋駅 - 東京スカイツリー(2013年4月19日から5月15日まで千葉方面のみ) - 浅草雷門(千葉方面のみ) - 京成上野駅 ⇔ 大津駅 - 山科駅 - 三条京阪 - 京都駅八条口 もとは京成バスが運行していた路線を2010年7月15日発便より継承。 当初、京阪バスと京成電鉄︵当時︶の共同運行で開業し、京阪バスの高速バスの愛称﹁きょうと号﹂のまま案内されていた。後に京阪バスが撤退し京成バスの単独運行になるとともに愛称を廃止。車両のグレードも3列シートから4列シートに変更して値下げ。さらに2009年5月11日より毎日運行をとりやめ、運行日を限定するようになったが、京成から千葉中央バスへの移管に伴い毎日運行に戻る。ただし京都側の運行支援業務は京阪バス洛南営業所が撤退後も引き続き行っている。2013年4月19日にダイヤ改正が行われルートが一部変更され、鎌取駅・千葉駅を発着するようになった代わりに千葉中央駅への乗り入れが廃止された。2013年11月15日の鎌取駅出発便から新型車両が導入され、再び4列シートから3列シートに変更、あわせて運賃も改定された。 新型車両導入後は利用者数は堅調であり、年末年始・盆など繁忙期には増便も運行される。増便は、従前使用車である4列シート車が充当され、運賃も割安の設定となっていたが、2015年5月のゴールデンウィークからは京成バスから移籍した3列シート車が充当されるようになり、運賃も定期便と同額設定となった[3]。 千葉中央バスの路線では唯一、首都圏外のエリアに向けて運行している路線でもある。土気 - 東京スカイツリータウン・新宿線
●土気駅南口 - 誉田駅 - 鎌取駅 - 千葉営業所 - 千葉県がんセンター - 松ヶ丘 - 県庁前 - 千葉駅 - 東京スカイツリータウン前 - バスタ新宿[4] 2012年8月5日開業。開業当初は京王バス東との共同運行で、松ヶ丘停留所を出発すると千葉駅には向かわず京葉道路松ヶ丘インターチェンジから首都高速7号錦糸町ランプに向かっていた。しかし、伸び悩む乗客数改善を目的に2015年1月16日にダイヤ改正を行い、同時に千葉県がんセンター・県庁前・千葉駅を経由するルート変更も実施された。バスタ - 東京スカイツリータウン間の乗車も可能であるが、千葉県内バス停相互間の乗車はできない。トイレ付き車両で運行している。2016年9月30日をもって京王バス東が運行から撤退した[5]。幕張メッセ - 新宿線︵臨時便︶
●幕張メッセ → 新宿駅西口28番のりば 京王バス東との共同運行。幕張メッセで大規模イベントが開催される日に臨時便として新宿駅行きの片道のみ運行される。運行日および時刻表は千葉中央バスならびに京成バスのホームページで告知される。新宿駅の降車場所はバスタ新宿ではなく西口28番のりばである。東京 - 大網線︵深夜急行便︶
●東京駅八重洲南口︵JRハイウェイバスターミナル8番乗り場︶ → 天台駅 → 作草部駅 → 千葉駅 → 県庁 → 千葉県がんセンター → 鎌取駅 → 誉田駅 → 土気駅 → 大網駅 2017年9月17日︵16日深夜︶運行開始。主な廃止路線
君津線
●千葉駅 - 県庁 - 青葉の森スポーツプラザ - 君津バスターミナル - 東京湾フェリー︵金谷港︶ 2004年12月22日に運行を開始した路線で、千葉駅を起点に京葉道路、館山道、君津バスターミナルを経て金谷港の東京湾フェリーまで結び、便数の3分の1は途中の君津バスターミナル止まりであった。日東交通、天羽日東バスとの3社共同運行であったが、利用者は少なく、2005年9月16日に廃止された。わずか9ヶ月という短命の路線であった。向台線
●千葉駅 - 県庁 - 末広町中央 - 富士見台 - 白旗 - 向台 - 大森台駅 向台線は、1960年代に国鉄千葉駅から末広街道を経由して向台に至る路線として開通した。小湊鉄道の千葉駅 - 白旗線、同 - 厚生年金センター線と同じようなルートを走る路線であった。千葉急行電鉄の開業時に大森台駅まで延伸されたが、同鉄道開業による客離れの影響などから、2001年5月16日に廃止された。この路線の廃止後は、赤井花輪線の花輪発着便をルート変更することで、末広街道上の運行を維持している。上市場線
●茂原駅 - 早野新田 - 七井土 - 駒込 - 上市場 ●茂原駅 - 日立正門 - 七井土 - 駒込 - 上市場 上市場線は、茂原営業所が唯一最後まで運行していた一般路線であり、茂原駅から県道茂原夷隅線を南下し、睦沢町の上市場までおよそ8kmを結んでいた。沿線は人口の多い地域ではないものの、企業の工場がいくつか点在しており、通勤者の足ともなっていた。通勤時間帯の1便のみが日立ディスプレイズ茂原事業所︵旧日立製作所茂原工場︶の前を経由していたが、これはもともと茂原駅 - 日立正門 - 双葉電子︵以前は日立寮まで︶として独立していた路線を統合したものである。 茂原から国鉄木原線︵現・いすみ鉄道︶にかけての一帯は、大正末期から昭和初期にかけて、いくつもの事業者による乗合自動車路線が入り乱れていた。これらは戦時の事業統合により、袖ヶ浦自動車︵小湊鉄道バス部の前身︶に統合されたが、戦後になって千葉郊外自動車や都自動車によって、その間を縫っていくつかの路線が開設された。この上市場線の原型となる路線については、睦沢町史に1951年の開通と記されているが、﹁茂原夷隅線に東洋バスが走った﹂︵正確には千葉郊外自動車当時のこと︶とあるだけで、詳しいルートや終点は不明である。﹁茂原市史﹂によれば、1966年頃には、国吉経由で大多喜まで路線が通じており、松丸で分岐して桑田に至る線もあったようである。 その後、茂原駅 - 国吉︵実際の終点は国吉駅東側の苅谷橋︶となったのち、1999年2月の改正で利用者の少ない上市場以南が休止され、線名も国吉線から上市場線となった。これにより、国吉から茂原へのバスがなくなってしまったため、ルートは異なるが、いすみ市が主体となって﹁いすみシャトルバス﹂を増田橋 - 茂原駅間に走らせている︵小湊鐵道が受託︶。 上市場線は、2009年4月1日に全線が廃止され、これにより、1935年の千葉郊外自動車設立時から営業していた千葉中央バスの茂原駅発着路線はすべて廃止となった。代替路線として、同日より小湊鉄道が平日に限って茂原駅 - 上市場間の運行を開始した。白旗・JFEスチール線
●千葉駅 - 星久喜台 - 白旗 ●千葉駅 - 星久喜台 - 白旗 - 蘇我駅東口 白旗地区の宅地化を受け、昭和20年代に開通した路線である。戦前からのエリアである大網街道を大きく外れ、近距離の住宅輸送を行ったのはこの線がはじめてである。1955年ころから川崎製鉄︵現・JFEスチール︶への運行も始まり、最盛期には千葉営業所の中で最も利用者の多い路線であった。 休日ダイヤの際は千葉駅方面行のみ県庁前 - 京成千葉駅経由 - 中央二丁目 - 千葉駅となっていた時期があった。 しかし、やがて川鉄発着便の利用者が減少し、昭和60年代に入って一部の便を蘇我駅に振り向けるなどしたがさほど効果はなく、さらに京葉線の蘇我乗り入れ、千葉急行線の開通により、全線にわたって乗客が減少した。その結果、2004年4月16日の改正で大幅減便され、2009年1月19日の改正でもさらに半数近くの便が削減されたのち、2010年1月21日に廃止となった。ただし千葉駅 - 星久喜台 - 白旗 - 蘇我駅入口 - JFEスチール間の系統については路線維持等の理由で休日の朝に限り運行を続けている。矢作線︵千葉大学病院線︶
●千葉大学病院 - 市立青葉病院 - 星久喜小経 - 川戸都苑 - 川戸︵東︶ - 大宮団地 2013年︵平成25年︶8月8日運行開始 2014年︵平成26年︶9月12日運行終了 この路線はちばシティバスとの共同運行で、平日のみ1日2往復運行されていた。 従前は、大宮団地から千葉大学病院や市立青葉病院方面まで路線バスのみを用いる場合、中央二丁目またはJR千葉駅を経由し、大きく迂回し乗り継がなければならなかったが、この路線の運行開始によって乗り換えることなく直接移動できるようになった。 しかし、利用客数は伸びることはなく、1年あまりで廃止となった。 [6] [7]千葉市内定期観光バス
●千葉駅・千葉中央駅 - 千葉県立中央博物館 - 千葉市動物公園 - 千葉ポートタワー - 千葉県立美術館 - 幕張メッセ - 千葉中央駅・千葉駅 千葉市内の観光スポットをめぐる定期観光バスで、京成電鉄との共同運行だった。鎌取 - 成田空港線
●鎌取インター︵鎌取車庫︶ - 鎌取駅北口3番乗り場 - 誉田駅南口1番乗り場 - 大高町 - 大椎台団地入口 - 創造の杜 - 土気高校 - 成田空港︵第1・第2ターミナル︶ 2012年12月13日開業。成田空港交通との共同運行。2014年3月31日限りで運行休止。車両
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ノンステップバス
-
リフト付き小型車
脚注
- ^ [1] 2015年8月1日 公式ウェブページ閲覧
- ^ [2]
- ^ 千葉・「東京ディズニーリゾート®」・上野~京都線増便のお知らせ 2015年4月1日 公式ウェブページ閲覧
- ^ 新宿駅「降車場所」変更のお知らせ 2016年4月22日 公式ウェブページ閲覧
- ^ 【新宿~土気線】運行便数の変更について(10/1~ 減便運行)2016年9月8日
- ^ 大宮団地~市立青葉病院~千葉大学病院運行開始のお知らせ! 2013年8月26日 公式ウェブページ閲覧
- ^ 矢作線(大宮団地~千葉大学病院)運行終了のお知らせ 2014年8月26日 公式ウェブページ閲覧