サントメ・プリンシペ
- サントメ・プリンシペ民主共和国
- República Democrática de São Tomé e Príncipe
-
(国旗) (国章) - 国の標語:Unidade, Disciplina, Trabalho
(ポルトガル語: 統一、規律、労働) - 国歌:Independência total(ポルトガル語)
全面独立 -
公用語 ポルトガル語 首都 サントメ 最大の都市 サントメ 独立
- 宣言
- 承認ポルトガルより
1975年7月12日通貨 ドブラ(STN) 時間帯 UTC+0[3] (DST:なし) ISO 3166-1 ST / STP ccTLD .st 国際電話番号 239
概要[編集]
サントメ・プリンシペは大西洋上に位置するもののアフリカの国々の1つに数えられており、中部アフリカに該当する国となっている。 またポルトガル語諸国共同体、ポルトガル語公用語アフリカ諸国加盟国の1つでもある。国名[編集]
正式名称は、República Democrática de São Tomé e Príncipe ︵ポルトガル語発音: [rɨˈpublikɐ dɨmuˈkɾatikɐ dɨ sɐ̃w̃ tuˈmɛ i ˈpɾĩsipɨ] ルプブリカ・ドゥムクラティカ・ドゥ・サォントメ・イ・プリンシプ︶。通称、São Tomé e Príncipe。 公式の英語表記は、Democratic Republic of Sao Tome and Principe。通称、Sao Tome and Principe。 日本語の表記は、サントメ・プリンシペ民主共和国。通称はサントメ・プリンシペ。歴史[編集]
政治[編集]
国際関係[編集]
対中関係[編集]
サントメ・プリンシペは1975年の独立当初は中華人民共和国を承認、1997年5月からは中華民国︵台湾︶を承認。2016年12月20日に中華民国との外交関係を断ち[8]、同月26日に中華人民共和国と国交を回復した。日本との関係[編集]
国家安全保障[編集]
2つの州に分かれている。
2州は、更に7つの県に分けられる。
主要都市[編集]
主要な都市はサントメ(首都)がある。
地理[編集]
生態系[編集]
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経済[編集]
鉱業[編集]
農業[編集]
カカオの栽培には年平均気温25℃前後の高温な気候と、年間降水量2000 mmを超える湿潤な気候が必要とされる。それを満たすサントメ島は、ポルトガル植民地としてカカオの栽培に特化してきた。2015年のカカオ豆の輸出は総輸出の82.6%を占めており[12]、1997年には耕地の39%でカカオが栽培され、農業生産額でも20%を超えているなど[14]、カカオのモノカルチャー経済に近い構造になっている。しかし、カカオの生産量自体が独立時の混乱によって激減しており、独立直前の1975年のカカオ生産量が約10000トンだったのに対し[15]、2005年のカカオ豆の生産量は3500トン超、2009年は2500トン、2014年に3200トン[12]と、おおよそ3分の1程度にまで生産が低下している。その他の農産物は、ココナッツ︵2.9万トン︶、タロイモ︵2.8万トン︶、バナナ︵2.7万トン︶、キャッサバ︵6000トン︶などがある。しかしながら、カカオ豆以外は自給用作物であり、他の農産物は輸出額の2%未満である。切手発行[編集]
1970年代には切手の発行を外貨獲得の手段としており、アラブ首長国連邦の一部土侯国などと同様に自国とは関係のない記念切手︵土侯国切手︶を乱発し、切手商を通じ収集家に販売していた。世界的に権威のあるアメリカ合衆国のスコットカタログで﹁一部は政府が発行したものではない可能性がある﹂と注意書きのある切手も存在し[16]、国外のエージェントと組んで乱発していたことが窺える。2010年代に入っても切手の発行件数は多く、2014年は小型シート約200種︵単片ベースで約500種︶を発行している[17]。また、違法切手(illegal stamps)と呼ばれる、実際にはサントメ・プリンシペが発行していないにもかかわらず同国国名を冠した偽物の切手が市場に出回っている[18]。交通[編集]
サントメにはサントメ国際空港があり、近隣諸国から国際線が就航しているほか、プリンシペ島のプリンシペ空港までの国内線も存在する。鉄道は現在まで存在していない。
国民[編集]
人口[編集]
民族[編集]
全人口の約9割が、サントメ島に居住している。ポルトガルの植民地時代にアフリカから農園の労働力として連れてこられた黒人と、それを支配していたポルトガル系の白人がいたものの、ポルトガルから独立した1975年前後に、ポルトガル系住民の多くがこの国から退去していった。一方で、比較的関係が良好であったアンゴラでは、内戦が勃発し、難民が多数移住してきた[21]。 このため、バントゥー系の黒人、ムラート︵白人と黒人の混血︶、アンゴラ人、ポルトガル人などが居住する。この節の加筆が望まれています。 |
言語[編集]
サントメ・プリンシペの公用語はポルトガル語と定められている。しかし、標準的なポルトガル語を母語とする人は都市部に僅かにいるのみで、多くの国民は、ポルトガル語をベースとしたクレオール言語を話す。このクレオール言語にも地域差が見られ、サントメ島(南端部を除く)のフォロ語、アンゴラ難民が多く居住するサントメ島南端部のアンゴラ語、プリンシペ島のプリンシペ・クレオール語に分類されている。
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宗教[編集]
2001年の調査によれば、キリスト教のカトリックが70.3%、福音派が3.4%、ニュー・アポストリック教会が2%、アドヴェンティストが1.8%、その他が3.1%、無宗教が19.4%を占める[22]。
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教育[編集]
義務教育は4年間に定められている。2018年の調査によれば、15歳以上の国民の識字率は92.8%(男性:96.2%、女性:89.5%)であった[22]。
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保健[編集]
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治安[編集]
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人権[編集]
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マスコミ[編集]
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文化[編集]
サントメ・プリンシペの文化は、アフリカとポルトガルの文化が混ざり合っており、影響が強いのはポルトガル文化となっている
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食文化[編集]
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文学[編集]
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音楽[編集]
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祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | Ano novo | |
1月4日 | アマドール王の記念日 | Rei Amador | |
2月3日 | 解放殉死者の日 | Martires da Liberdade | |
変動祝日 | 謝肉祭 | Carnaval | |
変動祝日 | 復活祭 | Pascoa | |
4月22日 | サントメ市の日 | Cidade de São Tomé | サントメ市のみ |
5月1日 | メーデー | Internacional do Trabalhador | |
7月12日 | 独立記念日 | Dia nacional | |
9月6日 | 軍隊記念日 | Forças armadas | |
9月30日 | 国有化の日 | Nacionalizações | |
11月2日または3日 | 死者の日 | Finados | 2日が日曜日の年は3日 |
12月21日 | 同意の日 | Acordo de Argel | |
12月25日 | クリスマス | Natal ou également Dia da familia |
スポーツ[編集]
サントメ・プリンシペにおけるスポーツを取り巻く状況は悲惨なものとなっており、オリンピックには1996年アトランタ大会で初出場し、以後すべての大会に選手団を送り込んでいるものの、1度もメダルを獲得したことはない。また、冬季オリンピックには1度も出場経験はない。さらにサッカーサントメ・プリンシペ代表も悲惨であり、FIFAワールドカップおよびアフリカネイションズカップともに1度も出場したことはない。また、2003年から2011年まで国際Aマッチが組まれていなかったことからFIFAランキングからも除外されていた。
著名な出身者[編集]
- マリア・ド・カルモ・シルヴェイラ - 政治家
- ジョゼ・ヴィアナ・ダ・モッタ - ピアニスト
- アルマダ・ネグレイロス - 芸術家
- ナイデ・ゴメス - 陸上競技選手
- ヌーノ・エスピーリト・サント - サッカー監督
- ルイス・レアル - サッカー選手
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- サントメ・プリンシペ民主共和国大統領 (ポルトガル語)
- サントメ・プリンシペ民主共和国国民議会 (ポルトガル語)
- 日本外務省 - サントメ・プリンシペ (日本語)
- サントメ・プリンシペ政府観光局 (ポルトガル語)(英語)
- 『サントメ・プリンシペ』 - コトバンク