トーゴ
- トーゴ共和国
- République Togolaise
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(国旗) (国章) - 国の標語:Travail, Liberté, Patrie
(フランス語: 労働、自由、祖国) - 国歌:我等の祖先の地
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公用語 フランス語 首都 ロメ 最大の都市 ロメ - 政府
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大統領 フォール・ニャシンベ 首相 ヴィクトワール・トメガ・ドグベ - 面積
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総計 56,785km2(122位) 水面積率 4.2% - 人口
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総計(2020年) 8,279,000[1]人(101位) 人口密度 152.2[1]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2020年) 4兆3598億5400万(推計)[2]CFAフラン - GDP(MER)
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合計(2020年) 75億8600万(推計)[2]ドル(149位) 1人あたり 915.625(推計)[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2020年) 184億600万(推計)[2]ドル(148位) 1人あたり 2221.738(推計)[2]ドル
独立
- 日付フランスより
1960年4月27日通貨 CFAフラン(XOF) 時間帯 UTC0 (DST:なし) ISO 3166-1 TG / TGO ccTLD .tg 国際電話番号 228
概要[編集]
トーゴはサハラ以南の熱帯国で、アフリカ大陸においては波乱に満ちた歴史を持ち合わせる国の1国である。11世紀から16世紀にかけて、部族が様々な方向から同国地域に侵入して来ており、16世紀から18世紀にかけては西アフリカ沿岸部がヨーロッパ人の奴隷購入における交易の中心地であった点からトーゴ地域とその周辺地域は﹁奴隷海岸﹂と呼ばれていた。 1884年、ドイツが自国の保護領を含む地域の樹立を宣言し﹁トーゴラント﹂と呼ばれる地域を発足させる。第一次世界大戦後、トーゴラントの統治はフランスへ移譲されるものの、イギリスとフランスにより2つの委任統治領に分割された。この分割された地域のフランス領はのちに1960年にフランスから独立を果たし、現在のトーゴとなった。 トーゴは世俗国家であり、国際連合、アフリカ連合、イスラム協力機構、南大西洋平和協力地帯のメンバーとして加盟している。また、フランコフォニー国際機関、イギリス連邦および西アフリカ諸国経済共同体にも加盟している。国名[編集]
正式名称はフランス語で、République Togolaise [ʁepyblik tɔgɔlɛz]︵レピュブリク・トゴレーズ︶。通称、Togo [tɔgo]︵トゴ︶。 公式の英語表記は、Togolese Republic [tougouˈliːz,-ˈliːs rɨˈpʌblɪk]︵トウゴウリーズ・リパブリック︶。通称、Togo [ˈtoʊɡoʊ] ( 音声ファイル)︵トウゴウ︶。 フランス語でRépublique du Togo、英語でRepublic of Togoと表記することもある。 トーゴはエウェ語で﹁川辺の村﹂という意味である[3]。1884年にドイツのグスタフ・ナハティガルが沿岸の小村であるトーゴ村の族長と保護条約を結び、内陸進出の足がかりとしたため、拡大後の植民地にもこの小村の名前がそのままつけられた[4]。歴史[編集]
独立前[編集]
独立後[編集]
ニャシンベ政権[編集]
2005年3月5日、エヤデマ大統領が療養のためフランスに向かう途中、飛行機の中で死去した。同大統領は、1967年のクーデターにより政権の座に就いてから死去するまでのおよそ40年近く政権の座にあり、アフリカ最長の国家指導者という事実上の独裁者として君臨した[15]。 トーゴ共和国憲法では大統領死去の際の代行職には国会議長が就くとされているが、ナンジャ陸軍参謀長は﹁国会議長は外遊中であり、権力の空白を防ぐため﹂として、エヤデマ大統領の息子フォール・ニャシンベ設備・鉱業・電気通信相が代行職に就いたと発表した。しかし、実際はトーゴ軍が陸海空全ての国境を閉鎖したため国会のファンベア・オウアターラ・ナッチャバ議長がトーゴ国内に戻れなくなっており、﹁権力世襲﹂﹁憲法違反﹂の措置であると西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)やアフリカ連合(AU)などの国際社会から非難され、2月25日にニャシンベ大統領は辞任した。議会のボンフォー・アッバス副議長が暫定大統領に就任したが、4月24日の大統領選でニャシンベが当選し、5月4日より再びニャシンベが大統領の座に就いた。しかし、選挙に不正があったとする野党側との対立で154人が死亡する流血事件に発展した。 2010年3月4日には大統領選挙が行われた。事実上ニャシンベ大統領と、変化の力同盟党のジャン=ピエール・ファーブル総書記の一騎討ちとみられていたこの選挙では抗議デモがあった他は流血沙汰には至らず、選管はニャシンベ大統領が60.9%の票を獲得して再選されたと発表した[16]。2015年の大統領選で、ニャシンベ大統領は3選された[17]。2020年2月の大統領選挙では野党側が分裂したため、ニャシンベ大統領が大勝して4期目を迎えた[18]。 2022年6月25日、同じく旧フランス領のガボンと共にイギリス連邦に加盟した[19]。非イギリス植民地の加盟はモザンビーク、ルワンダに続く3か国目。政治[編集]
大統領は強大な権力を憲法により保障されている。
行政[編集]
立法[編集]
議会は一院制の国民議会︵81議席︶で、議員任期は5年。政党[編集]
主要政党にはトーゴ人民連合︵RPT︶がある。RPTは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。他の主な政党には変化の力同盟︵UFC︶、パン・アフリカン愛国連合︵CPP︶があるが、いずれもRPT寄りか、政治勢力が小さいため、政権交代の可能性は極めて低い。南北の対立が政治的に激しく、独立時は南部のエウェ人が権力を握っていたが、1967年以降エヤデマ一族が権力を握ると北部が優勢となった[24]。司法[編集]
トーゴの司法は、フランス司法の影響を強く受けている面を持つ。
司法は、一般裁判所と専門裁判所の2種類の裁判所によって管理されている。
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国際関係[編集]
旧宗主国であるフランスとの関係が深い。西隣のガーナとは旧トーゴランド植民地の帰属を巡って1960年代から1980年代にかけては激しく対立した[25]ものの、関係は改善されている。近隣諸国とは1975年に西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)を結成しており、また旧フランス領西アフリカ諸国とは西アフリカ経済通貨同盟(UEMOA)を結び、共通通貨であるCFAフラン圏を形成している。
フランスとの関係[編集]
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日本との関係[編集]
駐日トーゴ大使館[編集]
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駐日トーゴ大使館全景
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トーゴ大使館正面玄関
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トーゴ大使館プレート
トーゴに日本の在外公館は存在せず、在コートジボワール日本大使館が兼轄している[26]。トーゴは東京の目黒区に在日本トーゴ大使館を置いている[27]。 在留日本人数 - 3人(2021年10月現在)[28] 在日トーゴ共和国人数 - 42人(2021年6月現在)[28]
国家安全保障[編集]
選抜徴兵制。兵役は2年。陸軍9千人、海軍200人、空軍250人。2002年の国防予算は3,300万ドル。
地理[編集]
気候[編集]
生態系[編集]
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地方行政区画[編集]
トーゴの地方行政区画は北から順に次の5つの州に分かれる。
また、5州は首都のロメ(コミューン)と30の県に分かれている。
主要都市[編集]
経済[編集]
農業[編集]
農業が労働人口に占める割合は大きいものの、基本的にトーゴの農業は自給農業の色彩が強い。食糧作物としては、南部ではトウモロコシとキャッサバ、中部ではヤムイモ、北部ではトウジンビエが主に栽培されるが、生産は停滞気味である。商品作物としては南部海岸でアブラヤシ、内陸南東部におけるカカオとコーヒー、そして全土で栽培される綿花があり、独立時には総輸出の89%がカカオやコーヒーなどの農産品によって占められていたが[36]、カカオとコーヒー栽培は衰退しつつある[37]。輸出農産品としては綿花が最も大きく、2016年度には総輸出の7.2%を占めた[38]。鉱工業[編集]
トーゴの最大の鉱物資源はロメ近郊のハホトエで採掘されるリン鉱石である[37]。1969年時点には14万3000トンだったが、1991年には296万5000トンまで採掘量が増加し、世界シェア10位に達した[39]。しかしリン鉱石の産出は減少傾向で、2003年時点には53万トン、2015年には40万トンまで減少している[38]が、それでも2016年にはリン鉱石は総輸出額の11%を占める最大輸出品となっている。このほか、セメントの生産も行われており、2016年には輸出の8%を占めていた[38]。鉄鉱石の生産もわずかに行われている。交通[編集]
国民[編集]
人口・住民[編集]
民族[編集]
住民は、アフリカ系が99%で40以上の民族がある。最大民族は南部に住むエウェ族であり、人口の約22%を占める。このほか、北部に主に居住しエヤデマ一族の属するカビエ族が13%を占める[31]。他にドイツ、フランスやレバノンからの移民がいる。言語[編集]
言語はフランス語が公用語だが、ボルタ・ニジェール語群のグベ語群をはじめ南部のエウェ語や北部のカビエ語、ダバニ語(Dagomba)などが主要言語。北部はグル語群のモシ語やグルマンチェマ語なども話される。
宗教[編集]
宗教はキリスト教が47%、伝統的宗教が33%、イスラム教が14%である[31]。
教育[編集]
保健[編集]
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治安[編集]
2022年01月31日時点で外務省は「ブルキナファソとの国境地帯では、ブルキナファソのテロ組織が活動領域を拡大しつつあり、日本人・日本権益がテロ・誘拐の標的となる、あるいはその巻き添えとなる可能性があることから、同地域への渡航はどのような目的であれ止めてください。」としている。また、外務省は「サバヌ州全域(ブルキナファソとの国境地帯を除く。)及びカラ州北部は、ブルキナファソとの国境地帯の治安悪化を受けて、テロの脅威が広がりつつあるとみられることから、同地域への不要不急の渡航は止めてください。」「サバヌ州全域及びカラ州北部以外の地域においても、窃盗事件や凶器を用いた強盗事件等が発生していますので、十分注意してください。」と通達している[45]。
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法執行機関[編集]
トーゴにおける法執行は、主に国家警察、文民国家警察、準軍事組織である憲兵隊によって分担されている。
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人権[編集]
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マスコミ[編集]
トーゴの代表的な報道機関にはトーゴ通信社(ATOP)が挙げられる。
トーゴ通信社はAFPと国際ニュースを提携している。
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文化[編集]
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食文化[編集]
文学[編集]
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音楽[編集]
ベラ・ベロー、アコファー・アクサー、アフィア・マラ、イタディ・ボニー、ウェルボーン、キング・メンサー、ジミ・ホープなど、国際的に有名な人気エンターテイナーを数多く輩出している。
映画[編集]
トーゴにおける映画監督にはマルセリン・ボッソウが挙げられる。ボッソウはベナン出身のトーゴ人で、アフリカ各地でも活動していた。
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世界遺産[編集]
トーゴ国内には、世界遺産のうちの文化遺産が1件存在する。バタマリバ人の土地クタマクは2004年に世界遺産に指定された[3]。
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | Jour de l'an | |
4月27日 | 独立記念日 | Fête de l'indépendance | |
5月1日 | メーデー | Fête nationale du travail | |
6月21日 | 殉教者の日 | Jour des Martyrs | |
12月25日 | クリスマス | Noël |
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
オリンピック[編集]
トーゴはオリンピックには1972年ミュンヘン大会で初出場し、1984年ロサンゼルス大会以後は連続して参加し続けている。2008年北京大会ではカヌー競技・スラローム男子カヤック1人乗りで、バンジャマン・ボクペティが銅メダルを獲得し同国選手として初のメダルを手にした。
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- トーゴ共和国大統領府 (フランス語)
- 在日本トーゴ共和国大使館(日本語)
- 日本政府
- 日本外務省 - トーゴ (日本語)