吉田清成書翰目録
吉田清成書翰目録︵よしだきよなりしょかんもくろく︶は、吉田清成を宛先とする書翰の送り元、次には吉田書翰の宛先について、吉田の相手方を50音順に並べたものである。それぞれに﹁吉田宛書翰一覧﹂と﹁吉田書翰一覧﹂の節を設け、何通あったかは括弧書きで相手名に付記した。駐米公使時代に[1]吉田が作成または受信した書翰[2]は、作成した書翰の手書き控えである﹁コピーブック﹂と、受信した書翰を綴じた﹁スクラップブック﹂の節を設けた。
出典の概要[編集]
﹃吉田清成関係文書﹄は、1978年に整理・解読作業が始まり、作業チームはやがて﹁吉田清成関係文書研究会﹂と称するようになった。﹁吉田清成関係文書を中心とする明治期前期外交・財政史研究﹂なる研究課題︵課題番号56310055︶のもとに、1981-1983年度の文部省科学研究費補助金総合研究(A)を得た。 ﹃吉田清成関係文書﹄は全7巻構成で、書翰篇は5巻、書類篇は2巻である。この項目では前者の書翰篇を出典としている。吉田の相手方は各巻の目次に書かれている。ナンバリングは出典の通し番号と一致している。書翰の数も出典の本編に通し番号が打ってあるので、最後の数を記してある。 ﹃吉田清成関係文書﹄の編者は京都大学文学部日本史研究会︵﹁書翰篇1﹂のみ国史研究会︶であり、発行者は思文閣出版である。発行年度がそれぞれ異なるので、出典の節に列挙する。また、それぞれに掲載されている吉田の相手方ナンバーの範囲も括弧書きで記す。- 『吉田清成関係文書一-書翰篇1』1993年12月1日(吉田宛書翰一覧 1-152)
- 『吉田清成関係文書二-書翰篇2』1997年2月24日(吉田宛書翰一覧 153-342)
- 『吉田清成関係文書三-書翰篇3』2000年8月15日(吉田宛書翰一覧 343-502 吉田書翰一覧 1-35)
- 『吉田清成関係文書四-書翰篇4』2008年8月1日(駐米公使時代書翰 半分以上が英語表記)
- 書翰篇5は刊行未定
吉田宛書翰一覧[編集]
|
|
|
吉田書翰一覧[編集]
収録数が少ないのは、後述のコピーブックに譲ったからのようである。
(一)青木周蔵(1)
(二)井上馨(3)
(三)井上馨・伊藤博文(1)
(四)岩倉具視(1)
(五)大久保利通(2)
(六)大倉鶴彦(1)
(七)大鳥圭介(1)
(八)岡内重俊・西周(2)
(九)岡田彦三郎(1)
(十)大給恒(1)
(11)川元(1)
(12)草道(1)
(13)熊谷武五郎(1)
(14)グラント接伴掛(1)
(15)五代友厚(1)
(16)税所新次郎・樺山賢二郎(1)
(17)三十三国立銀行(1)
(18)志村智常(2)
(19)田辺輝美(1)
(20)寺島宗則(1)
(21)中村・下村(1)
(22)野津長ニ(1)
(23)花房義質・柘植善吾(1)
(24)松方正義・吉原重俊(1)
(25)松田栄(1)
(26)三野村利左衛門(1)
(27)湯地定基(1)
(28)吉田玉(7)
(29)吉田貞(39)
(30)吉田貞・吉田清風(4)
(31)吉田勇蔵(1)
(32)吉田兄(1)
(33)吉田姉(1)
(34)吉田家中(1)
(35)フィッシュ(1)
コピーブック[編集]
﹃吉田清成関係文書四-書翰篇4﹄には、コピーブック1[4]とコピーブック2[5]が収録されている。原則として吉田が作成したものが収められているが、一部、受信したものもある[6]。登場する日本人は既に掲げたものが多いので、網羅はしないことにする。 かつて吉田と共にトマス・レイク・ハリスのもとへ赴いた、長澤鼎や鮫島尚信ら薩摩藩第一次英国留学生がいる。横文字の項目は素性が分かるものだけでも下に掲げた数だけある[7]。 ●ジョン・アーマー・ビンガム[8] ●ウィリアム・グリフィス[9] ●ハリー・パークス[10] ●Laidlaw & Company[11] ●en:Edward Everett Hale[12] ●en:Arnold Henry Guyot[13] ●en:Albert Southworth[14] ●en:Alfred A. Taylor[15] ●Dr. Edward Shippen[16] ●ウィリアム・スミス・クラーク[17] ●en:Christopher Raymond Perry Rodgers[18] ●en:National Park Bank[19] ●en:Henry Elijah Alvord[20] ダビッド・モルレー宛てには下関償金問題について述べている[21]。フィッシュからの条約改正問題に関する来信訳文の控えも掲載されている[22]。 コピーブック1では全195通のうち富田鉄之助が21通で最も多い。宛先不明が11通。そもそも誰かに宛てたわけではないメモが6通[23]。コピーブック2では全181通のうち寺島宗則が15通で最も多い。宛先不明が7通。メモ4通[24]。スクラップブック[編集]
﹃吉田清成関係文書四-書翰篇4﹄には202通のスクラップブック[25]が収録されている。en:Daniel Ammenからの書翰が6通。差出人不明が4通。メモ2通。まだ紹介していない邦人もいるが省略する。コピーブックに登場する英米人多数。脚注[編集]
(一)^ 収録範囲で1974年12月20日から1978年11月16日
(二)^ 書翰篇4-5は時系列。名前順ではない。
(三)^ 純嘏
(四)^ pp.3-170.
(五)^ pp.171-324.
(六)^ 先に掲げたフィッシュからのものなど。さらに第三者間のものもいくつかある。
(七)^ 出典は書いたページの他多数。
(八)^ p.5.
(九)^ p.9.
(十)^ p.16.
(11)^ p.22.他
(12)^ p.96.
(13)^ pp.129-130.開拓使関係
(14)^ p.103.
(15)^ p.109.
(16)^ p.144.
(17)^ p.145.
(18)^ pp.167-168.
(19)^ p.202.
(20)^ pp.205-206
(21)^ p.58.
(22)^ p.259.
(23)^ 内訳は以下の通り。
開拓使注文器具についてのメモ
下関償金についてのメモ p.127.
琉球の梵鐘についてのメモ
津田梅子を預かったen:Charles Lanmanによるラッコについてのメモ
小笠原諸島についてのメモ p.135.
給与についてのメモ
(24)^ 内訳は以下の通り。
Ralstonについてのメモ
酒類購入計算メモ
買い物計算メモ
関税協定についてのメモ p.276.
(25)^ pp.325-458.
(26)^ p.326,338.
(27)^ p.453.